僕出身が北海道札幌市なんですけど、8月31日の夜にはあんまりピンとこなかったっていうのは、北海道って夏休みが8月20日くらいまでなんですよ。
夏休みと冬休みが25日ずつ、なんかトータルで50日で、多分関東とかの人は30日20日とか、なんか40日10日、冬休みがめっちゃ短いところもあるっていうのを聞いたことあるんですけど、
なので8月31日の夜にというのは、桃色クローバーのワニとシャンプーという歌の歌詞で、
8月31日が夏休みの最終日ってところもあるんだ、みたいなのを思った記憶が当時あったりして、って感じなんですが、
僕の10代は、やっぱりセクシャリティがゲイなんですが、中学くらいにもゲイなんだろうなーって気づいて、
すごくなんかゲイだということにネガティブな気持ちを持っていました。
みんなと違うんだっていうことをね、思ってました。
で、やっぱり親にも、女性と結婚して子供を育てるっていうのを見せてあげれないんだなーみたいなのを、子供ながらにやんわり思っていたし、
そっかーと思っていて、みんなと違う、なんか正常じゃない、そんな思いを持っていましたね、当時は。
これが大人になってね、なんか変なプライドとか変な自信とかがつくと、いや俺はなんか逆にみんなと違うのは選ばれてるんじゃないか、みたいなのを思ってた時期もあったんですけど、
今はね、そんな思ってないです。もう自分も何も変わんないっていうか、自分もみんなと変わんないっていうか、みんなそれぞれ変わってるなーっていうのを今特に感じているので、
これは本当に10代、20代、前半やっぱり2丁目に行く前にすごい悶々としてた時でしたね。
テレビで事故とか事件とかに巻き込まれた人のニュースを見ると、
なんかなんでこんな優等生の人とかね、インタビューとかですごく真面目な人で勉強もできて、みたいなのを聞くと、なんでそういう人がぽっといなくなっちゃって、自分は悶々と生きているんだろうって思ってました。
はい。で、高校を卒業してどうするかで、専門学校に行きたい、東京に行きたいと親に言ってみて、
これは僕はね、親がありがたいことに、多分、東京に行って一人暮らしたいってことをOK出してくれるような環境だったので、そこは本当にありがたいことなんですけど、
東京に行きたいっていうのも、やっぱりゲイだということに悩んで、まず親もと離れたいっていうのと、
東京ね、僕高校の時放送局に入ってて、当時その学校が結構強い学校で放送局の中ではNHKでやっているコンテストで番組作って全国大会で選ばれるようなところだったんで、
自分が携わったドラマも全国大会に選んでもらって、それで東京に来たりして、
東京、札幌も都会の方ではあると思うけど、東京の人の多さが尋常じゃなくて、
東京ってすごいなみたいな、こんだけ人がいたら紛れるかなみたいなのと、逆に言うとのたれじねるなみたいな、
東京に出てきちゃえば、あんまりバイト経験もほぼなくね、生命力が多分当時はそれこそネガティブだったのでなかったし、
友達も高校とかほぼ放送局の中での友達はいたけど、クラスの友達とかもできず、修学旅行とかであぶれちゃうみたいな、そういうのがあって、
逆に言うとそういう意味では決断が早いというか、周りに止める人もいない、親が大丈夫かなと言ってくれたけど、それでも
ちょっと行ってみたいんだって話をして、
東京に来ましたね。東京に来てから専門学校の2年間はほぼ芸活をせず、
高校くらいから父親のパソコンをね札幌時代にこっそり借りて、まだISDNとかADSLとか
そんな時代ですよ。だから多分すごいパソコン代がぶち上がっちゃっただろうな、当時は何も言わずにいてくれて本当ありがたいなと思って
それで、写真付き出会い系のサイト見て、本当に世の中にゲイの人はいるんだな、もう世界でゲイは自分だけなんじゃないか、みたいなのも思ってたと思う、当時は
あんまりね、テレビでもオスギースとピーコさんとかが出てて、でもなんかちょっとそこと一緒なのかな、みたいな、そこもわかってなくて
本当にそのゲイということにポジティブな感情が何一つ10代の頃はなくて
なんで正常に生まれれなかったんだろう、みたいなのを思ってました。 年とともにね、そんなことないのにねっていうのは
思ってはいるし、これは多分それこそそういう出会いが自分をポジティブに変えてくれたことではあるんですが
東京出てきて専門入って、専門卒業してから会社員になって、会社員時代からやっとゲイ活動をしだして
出会い系であったりとか、二丁目に飲みに行ったりして、本当にこんなにゲイの人っているんだ、みたいな
年もね、50代のママの店とかも行ってたんですけど、こういう方もいて、みんな楽しそうだったんですよね
その尾根言葉を使ったりとか、尾根言葉を使われると自分とはちょっと違う人なのかなって思うんだけど仲良くして
よくしてもらってたんで、そういう人の話を聞くと一緒かもみたいな、自分も私もすごい悩んでねみたいな
そういうのを聞いてて、みんなそういう悩みを経て強くなっていったというか
古いただせて、自分で自分を守るための尾根を身につけた、尾根言葉を身につけたみたいな人もいたりして
なんかすごく新宿二丁目っていうのは生命力にあふれている街であり、でもちょっと影もありみたいな
そういうね、そこに行き着くまでに時間もかかったけど、でも東京出てきたことでこうやってねいろんな出会いができたなぁと思います
札幌だとやっぱ地元ってこともあって、きっと鈴木野にも芸場があるんですけど、やっぱちょっとハードルが高かったかなぁみたいなのは思っていて
やっぱり高校までは自分のセクシャリティーのことを誰一人として言ってなかったので、友達もいたけど
彼女早く作んなよみたいな、まぁ実際彼氏もいなかったので、パートナーを作りなよって意味では心配をねしてくれてる人もいたけど、でももうそんなモードにもなれない
そもそもなんか、ゲイの彼氏作りはね、その一般社会だととてもハードルが高いというか
彼氏作り体力も当時は本当に、なんでゲイなんだろうみたいな、女の子好きになればいいのにって言って女の子を好きになろうとした時期もあったけど、僕はもう本当に
そもそものコミュ力が高くなかったので、そこまで女の子と仲良くなってみたいなのもできなくて
そんな時代でしたね、夏休み中に友達と遊ぶとかも多分してなかったんじゃないかな
だからこそこう、カメラ片手に一人で、札幌の観光施設とか、箱建てにバスで行って写真撮って帰ってくるとかそういうのをしてたんだよな
それが今の自分に繋がってはいると思うし、飲みに出れば友達なんてすぐできるよみたいなポジティブには思ってない
ゆえんみたいな、からこそ言えることがあるかなって今は前向きに捉えているんですけど、ちょっと明るくない