居酒屋での議論
朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術。こんばんは、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。
今日は居酒屋回です。居酒屋での楽しい議論ということでお話したいと思います。
はい、ときどきですね、私は近所の居酒屋へ行って、まあお酒を楽しく飲むんですけれども、
大概はですね、1杯飲んで2杯飲んでも帰るという感じで、20分ぐらいで去っていくことが多いんですけれども、
ときどきですね、店主が暇だと相手してくれるときがあってですね、もちろん相手してくれるんですけれども、
他のお客さんと3人ぐらいで盛り上がるときがあります。
盛り上がるパターンも色々あるんですけど、私が食いつきやすいのはですね、
多分にですね、市政官に関わるところとかですね、政治体制みたいなところの話になってしまうと、
なかなか帰れないでね、3杯目4杯目と飲んでしまうことが多いです。
で、今週ですね、つい先日そういう話を盛り上がったときは、どんな話をしたかというとですね、
面白かったのが、どうせ死ぬならちゃんと内臓をね、他の人に役に立てるようにして死んだ方がいいのに、
みたいな極端な議論になったことがありました。
死刑になる人とかですね、自殺される方について、そういう過激な発言があったわけですよ。
それはね、もっともだと思うんだけども、自分の命は自分で無駄にするなんて、
自分の体の部品っていうのは、自分が好きに使う権利もあるだろうと僕は思っているので、
もったいないみたいな思想をそこに持ち込むのはちょっと違うかなと思っています。
ただ、そういう風に思って、そういう議論を話しかけてくれるっていうのが結構面白くて、
要するに極論で議論すると、いろいろ自分の考えが明らかになってくるなということが分かりました。
あんまりね、深く考えていなかったポイントですよね。
例えばね、自分が死ぬ時に内臓をどうしたいのかっていうのをしっかり意思を表明しておくべきなのか、
そもそもそんな議論をするべきでもないのかとかですね、
そういうことを考えるきっかけをもらえたと思って、面白いなと思って参加してました。
考えの深まり
だから私は、もったいない思想に基づく感じがあるからちょっと違くないっていう話はしてみましたけれども、
ただ、一定の支持のある論点だと思います。
どう死んでしまう命を他に役立てていくという考え方は主としてはありなのかもしれません。
なかなかね、難しいですね。
私はね、そう思いませんが、死ぬ自由もあるし、自分の体を自由に使うのもありなのかなと思っています。
もうちょっと言うと、何らかですね、怠惰なことをする自由ですらそれは個人の自由だと思っているし、
他人に積極的に危害を加えないのであれば、自分に不利益をこむる不幸になる自由ですらあるんじゃないかなという気もしています。
そんな多様な価値観を認めてもいいんじゃないかなというふうに思っています。
なかなかね、センシティブなんですけども、
今日思ったのは、今日言いたかったのは要するにですね、極端な議論から考えが深まっていくことがあるよということですね。
なので、極論っていうのはね、極論をこだかに最後まで主張することが重要ではないんだけど、
極論をベースに考えを深めていくという作業はありなんじゃないかと思っています。
ただその区別ができない場合、ちょっと危険な時もあるんですけどね。
極論っていうのをスタートラインにして自分の考えを深めていく。
こういう作業がそれぞれできたら、よりね、深い議論ができるかなと思っています。
はい、今日はここまでです。
明日から何を喋ろうか、最近ね、あんまりそういうことを考える時間がありませんので、
明日はですね、ちょっと久しぶりに仕事についてお話ししてみようと思います。
では、おやすみなさい。バイチャ!