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牛肉を食べることが公には禁じられていた戦国時代。
ポルトガルの宣教師によって、牛肉食の習慣が持ち込まれたという逸話もあるそうですが、
日本で牛肉食が認められるようになったのは明治時代のことだそうです。
人間に身近な大型家畜である牛は、大きくて泥間でよく物を食べるという特徴から、
日本語に様々な関与句をもたらしています。
例えば、組織を支配し、思いのままに動かすこと。
これを牛の耳という漢字を使って、牛耳るという表現をします。
牛耳を取るという言い方をされることもありますが、
この言葉は中国の春秋戦国時代に諸国が明約を結ぶ際、
名手になるべき人が牛の耳を切り取り、みんなでその血をすすって忠誠を誓いあったというところが由来になっているそうです。
サッカー選手の代理人は時に史上を牛耳っていると批判されることがあります。
抱える顧客が多くなればなるほど、結果として特定のクラブに多くの選手を送り込むことになります。
ポルトガルのスーパーエージェント、ジョルジュ・メンデスの顧客はスタープレイヤーが勢揃いです。
これまでに動かした金額も数知れず、今日はそんなジョルジュ・メンデスの仕事に目を向けてみたいと思います。
ザ・リトリートタイム始まりました。
今回は、史上を想像する男、ジョルジュ・メンデスというテーマでお届けします。
こんにちは、マドリディスタのヨシフジです。
サンリュ・ユナサポのヒラキです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は、冬の遺跡史上も別に終わったんですけど、
史上を想像する男、ジョルジュ・メンデスということで、ジョルジュ・メンデスの話をしたいと思います。
また、なんでこのタイミングなんですか?
ポルトガルリーグを年の初めに、1月25日公開の回で見ていくという話をしたんですけど、
はい、しましたね。
ね、しましたよね。
我々、八流ベンフィキスタになりましたね。
八流ベンフィキスタとして現地メディアを追いかけてるわけですよ、僕なんかは。
はい。
新聞、アボラとか王朝語とかレコードっていう新聞を3誌ね、ちょっと追いかけて読んでるわけなんです。
まあ読むというか、一面だけ見てるんですけど。
はい。
あのポルトガルリーグのススメの回で紹介した、タレントがどんどん出てきてますっていう話。
はい。
よく考えたら、これ結局ジョルジュ・メンデスじゃね?っていう風になったんで。
03:04
結局ジョルジュ・メンデスが送り出してるんだと、プレミアだったりだとかリーガとかに。
そうそう、それポルトガルがすごいっていうか、ポルトガルがすごいのは間違いないんですけど、
ジョアン・カンセロ、ルベンディアス、ベルナルド・シューバー、マンチェスタ氏行ってますけど、全部ジョルジュ・メンデスなんですよ。
ああ、確かに。
やっぱ代理人が売り出しに来ないと、やっぱ気づけないってこともあるかもしれないですしね。
うん、そうっすよね。
なんで、ちょっとポルトガルリーグをこの番組で扱いたかったんですけど、そろそろ。
例えば今月のベンフィカみたいなね、マドリード通信みたいなやり方でもよかったんですけど、
まあ一変ジョルジュ・メンデス挟むかと。
そうですね、なんかそもそもポルトガルがすごいのか、ジョルジュ・メンデスがすごいのかみたいな、これははっきりさせておきたいっすよね。
そうですね、でまあ僕の結論というか、今パッと思うのは、ジョルジュ・メンデスがすごいです。
おお、まじっすか。あれ、なんかタレントの方向だからとか思ってたんですけど、そうなんですね。
ちょっとそこ確かにちょっと僕気になりますね。
まあメンデス確かに有名っちゃ、一番もう今ライオラさんとジョルジュ・メンデスってもう二大巨頭だったじゃないですか。
うん。
だからまあ有名だから知ってはいるんですけど、なんかどんなところがすごいのかみたいなのはうまく説明できないところがありますね。
うん、なんかね、そのまあジョルジュ・メンデスはそのだいたい90年代から仕事してるんですね、代理人形なんですけど、
まあだいたいその辺からポルトガルがその代表でもちょっと強くなってきたなっていう感覚があるんですよ。
はいはい、なるほど。
まあポルトガルリーグの時言ったかわからないですけど、まあフィーゴとかはいたけど、それ以外ってなんかそんなに、まあその後の世代っていうのがなかなか出てきてなかったと思うんですけど、
その後の世代って正直ジョルジュ・メンデスが作ったのかなーってまあなんかちょっと想像したりはして、ちょうど時期が一致するんでね。
はいはい。
まさにそのデコとか、デコなんかはもうほぼメンデスが発掘したようなもんだと思うんで。
ああ、そうだったんですね。
うーん、まあその今日の話で扱う予定なかったですけど、デコはそれこそそのブラジルにもう帰ろうかなー言ってる時にメンデスが呼び止めてこう遺跡させたみたいな、そんなんもありますんでね。
ああ、なるほど。
なんで、まあそうなってくると、その時期の若手にだいぶ発掘してポルトガル自体を強くしていったのはなんかメンデスなような気はしますね。
うーん。
もう今の、今のなんかタレントの方向みたいなところを作ったのがもうメンデスなんじゃないかってところですかね。
そういうことですねー。
うん、なるほど。
で、まあ事前情報として、そのまあ今のメンデスっていうのを話すと、
06:04
はい。
カタールワールドカップありましたよね?
はい、ありましたね。
あそこのポルトガル代表はまあモロッコに敗れてベスト8に終わったわけなんですけど、
はい。
まあなかなか期待感高かったじゃないですか。
うーん、まあ、まあさっき言った通りタレントの方向でもあるから、代表チームに固まった時のこの所属クラブとか豪華でしたよね。
そうですよね。
うん。
で、まあ一応26人登録されてて、
はい。
そのうち18人がメンデスのまあ契約した選手っていう話なんですよ。
えー。
18人ね。
なるほど。
で、あのびっくりでしょこれ。
あの。
そうですね。
まあ。
逆にその他の5人ぐらい誰なんだろうみたいなとか。
で。
なっちゃいますけど、まさかそんな割合だと思わなかったですね。
まあね、ちょっと読み上げるとざっと、ゴールキーパー3人いてまず全員ね、全員メンデスなんですよ。
はいはい。
ルイ・パトリッシオ、ジョゼッサー、リオゴ・コスターも全員です。
うん、はい。
ディフェンダー、アントニオ・シューバー、これベンフィカですね。
はい。
ペペ・フォルト、それからダニーロ・ペレイガ、パリサン・ジェルマン、とジョアン・カンセロ・ルヴェンティアス、シティですね。
はい。
で、違うのはヌーノ・メンデス・パリサン・ジェルマン、ラファエル・ゲレイロ・ドルドムント、それからダロウと由来で。
はい。
はい。
は違うってことですね。
うん。
で、ディフェンダーは3人違うんですね。
はい。
違うほうが少ないんで。
なるほど。
はい。
で、ミッドフィルターでいうと、まあざっと言いますけど、ジョアン・マリオ、オタービオ、ビティーニャかな、ビティーニャ、それからマテウス・ヌネス、ルヴェンネーベス、この辺はウルフスですね。
はい。
と、ベルナルド・シューバーがメンデス顧客で。
うん。
まあ、あとはジョアン・パリーニャ、ウィリアム・カール・バーニョン、それからブルーノ・フェルナンデス、この辺は違うんです。
うん、そうですね。
で、フォワード・クリスチャーノ・ロナウド、ジョアン・フェリックス有名ですね、アンドレ・シューバー、ライブ・ツギー、それからゴンサロ・ラモス、この辺がメンデス顧客で、あとはラファエル・レオン、ミランのラファエル・レオン、それからリカルド・ホルダーという選手、ブラガーの選手ですけど、ブラガーの選手でいいんじゃない?
この辺は違うということで。
なるほど。
なんか有名な選手大体メンデスですね、これ。
まあ確かにそうですね、ロナウド・ヒットに。
ポルトガル代表はもうほとんどメンデス顧客ってことなんですね。
そうですね、今に始まったことじゃないんですけどね、もう何年も前から半分以上はメンデスの顧客だったわけです。
うん。
はい、それがどうやって出来上がっていったのか、全部見るの不可能なんですけどね、多すぎて量が。
はい。
なんですけど、ちょっとメンデスがどういう仕事をしてきたのかっていうのを、今一度ちょっと知っておこうじゃないかという回でございます。
おお、なるほど。
まあジョルジュ・メンデスって代理人ですけど、エージェント。
09:03
はい。
そんなになんか、僕としては良いイメージないんですけど、代理人に対して。どうですか?
まあ、なんかそうですね、なんかライオラのイメージがあるので、ちょっとあんまり良いイメージがないというか、っていうのはありますね。
やっぱ金ね、金と詐欺みたいなイメージね、なんか。
詐欺。
まあ確かになんか、やっぱり選手の立場に立つかチームの立場に立つかみたいなのもありますよね、代理人としては。
そうですね、うんうん。
やっぱその、ジョルジュ・メンデスについて調べると、まあ本とか色々あるわけですけど、
はいはい。
闇の部分がやっぱ多いんですけど、
えー。
まあ中にはその、メンデスを褒めたたえる本もあるわけですよ。
はいはい。
だから正直どっちから見るかっていうのの違いだと思うんで、
ちょっとね、そのメンデス自体が、まあちょっとある本だとね、その信頼できるとか、
まあ選手とクラブの立場をちゃんと重んじて仕事してるとか、
まあそんなんね、書かれてるけど、一旦ちょっとそういう評価は置いといてですね。
はい。
メンデスが成し遂げた遺跡そのものだけをちょっと拾っていきたいと思います。
おお。
これは楽しみですね。なんか見ていくだけでビッグディールが結構ありそうですしね。
いや面白いし懐かしっすよ。やっぱ。
あーそうそうか。歴史も見ていくわけですしね。
そうですね。
あ、こんなあったなとか、あ、これメンデスだったのかみたいなのもあるそうだな。
うん。
ちょっと楽しみっすね、そこは。
ね、あんまり意識してないですからね、普段。
はいはい。
はい。
じゃあまずちょっと見ていきたいんですけど、
えーと、まあジョルジュ・メンデスはポルトガル人です、まず。
はい。
老いたちの話をしますと、リスボーンで生まれた人で、1966年生まれなんで今50歳ぐらい?56ぐらいか?57とか?
うーん、なるほど。
うん、なんですよね。
はい。で、まあ元々サッカー選手やってて、なんかね、ディフェンダーとしてベンフィカの株組織でプレーしたようなんですよ。
はいはい。えー、それ実際にプレーしてたの意外ですね。
そうですね。なんでサッカー好きらしいですね、もともと。まあ当然でしょうけど代理人なんで。
うんうん、なるほど。
それでまあ1988年、22歳の時にビア年生というクラブで選手契約して、でなんかもうこの時点で同時にあの副業でビジネスを始めて。
ピケみたいですね。
ね。
えー、すごいな。
その時のビジネスはなんかこじんまりしてて、えー例えばなんか最初はレンタルビデオ店とかをやってたみたいなんですよ。
ほほほ、なるほど。
えー、街中のレンタルビデオ店と競争して勝ったみたいなエピソードもなんか紹介されてたりしてね。
まあなんかその頃から詳細があったみたいなんですけど。
なるほど。
12:00
あのファーストフード店とか、あとゲーム機のレンタル業とかなんかいろいろやってね、そこでそのそれぞれの場所で結果を出してその市場分析力みたいなのを磨いてたと。
あーもうじゃあもともとなんかビジネスの何て言うんだろう、素養というかなんかポテンシャルがあったんですね。
そうですね、なんかどっかで働いて給料もらうみたいなそんな生き方は向いてなかったのかもしれないですね。
なるほど。
はい、でまあ代理人業もその一環として始めたと。
まあなんか近くに顧客おるから。
はいはい。
僕遺跡ありますよみたいなそういう感じだと思うんですけど。
なんかそれ選手としてやってて大丈夫なんですかね。
なんかちょっと煙たがられますけどね、そんな同僚がなんか代理人やってちょっとマージンクレイとか言い出したら。
うん、確かにな。
なんか一緒に働いてる人が転職エージャント俺始めたからさとか言い出すようなもんでしょ。
あー確かにそうですね。
めちゃくちゃ嫌ですけど。
なんか引き抜きみたいなこともできちゃいそうですしね。
うん、そうなんですよね。
まあそんな証拠のたくましい面ですなんですけど。
はい。
最初の代理人としての顧客がヌーノエスピリトサントっていう人なんですよ。
おーなるほど。
わかります?
これは監督ですよね。
そう、去年はスパーズの監督を半年だけやったのかな。
はい、そうです。ウルブスもやってましたよね。
ね、その前ずっとウルブスで監督してましたけどずっとかな。
まあ何年かやってましたよね。
はい。
5年ぐらい。
そうですね。
そのウルブスっていうのも後で出てきますけどやっぱりメンデスの人脈でヌーノが就任してたようなんですよ。
はいはい、あーなるほど。
で、それを遡っていくとメンデスの最初の顧客が当時ギマラエスっていうポルトガルのクラブでリーグ最年少ゴールキーパーとしてプレーしていたヌーノエスピリトサントだったの。
あー選手時代ってことですね、ヌーノは。
そうですね、ゴールキーパーだったらしいですね。
はいはい、なるほど。
でね、このヌーノの遺跡の交渉をなんかやることになったらしいんですけど。
はい。
まずなんか最初FCポルトに遺跡させようとして、なんか失敗しちゃうんですよね。
おー。
なんで失敗だったかちょっと忘れたんですけど。
はいはい。
この時から、昔からずっとポルトは会長がピント・ダ・コスタっていう人で、この人がもう今に至るまでずっと長年会長をやってるんですけどね。
この人にメンデスっていう人がいるよってことが知られたのがまず最初のヌーノの遺跡交渉だったということなんですよね。
しかし最初は失敗だったんですね。
そうですね。
これも意外ですね。
今でこそポルトとバンバン取引してるでしょうけど。
売り捌く方でしょうけどね。
まあここの最初だったということなんですよ。
そうですね。ポルトに遺跡させ、遺跡させ、選手を入団させるのはちょっとできなかったってことですね、ここで。
15:01
そうですね。
もう出す方はバンバンやってますけどね、今。
ええ。なんでまあ最初その所属選手は当然スター選手もいないし、あの一歩目、何から始めようかなって感じだったと思うんですけど。
はい。
まあちょっと細かい、まあ小物からになるんですけどね。
その一人だったということですね、ヌーノも。
うん。
ヌーノ結局デポルに遺跡するんですよ。
デポルってわかります?
デポルティボーラコルーニャっていうラリーガの、今2部にいるのかな。
ああ、まあなんか聞いたことあるぐらいの感じですね。
ええ、まあ何年か前までずっと1部にいたんですけど、
はい。
ヌーノが遺跡した1997年とかっていうのは、ちょうどそのちょっと数年後にデポルティボーラコルーニャがすごい強くなった時期があるんですよ。
はい。
で、まあそのスーペルデポルって呼ばれてたラリーガで3位とか4位とかに入ってた時代のちょっと前にヌーノが遺跡することができました。
おお、なるほど。
で、まあその時にレンドイロ会長っていう人がデポルの会長で当時やってたんですけど、
まあ最近いつだったかな、2014年に辞めたのかな、なんですけどね。
まあそこからデポルとの密月が始まって、結構もう癒着してんじゃねえかって言われるぐらい仲良くなったらしいんですよ。
ええ、じゃあヌーノ以外にも結構いった選手がいるんですね。
そうなんですよね、まあ7人ぐらいそこからメンディスがその選手を送り込んでるみたいなんですけど、
はいはい。
まあなんかその中でもピッツィとかネルソン・オリベイラとかいう選手がポルトガル代表になるぐらいまで成長したという、
そういうふうな逸話もあります。ただまあそんな僕よく知らないんですけどね、この辺の選手。
まだ聞いたことないですね、懐かしいとは思わないですね。
まあね、その癒着を疑われるっていうふうに言ってますけど、
メンディスはやっぱどのクラブともそのめっちゃ仲良くなるんで、
全クラブと癒着を疑われてますんで、一応言っとくと。
例えば多分チェルシーとかもね。
ああ、そっか。
あとレアル・マドリーンも言われたし、ウルブスもそうだし、あとバレンシアもね、ピーター・リムさん。
だから全部で癒着してるって言われてる。まあ実際してんだろうけど。
それはちょっと酔っちゃいますよね。
まあそうやって仕事を動かしてるわけだから当然だと思うんですけどね。
まあデポルとの関係はここから始まったということなんですよね。
なるほど。
で、それぐらいの時期にメンディスは会社を作ってます。
おお、もうついに本格的にやり始めるってことですね。
そうですね。もうこの会社の体制で今までずっとやってるんですけど、
それが1996年、ヌーの遺跡の前年ですけど、スポーツマネジメントの会社を立てました。
18:01
これがジェスティフテという会社です。
おお、ジェスティフテ。言いにくいですね。
聞いたことあります?ジェスティフテ。
いやー聞いたことなかったですね、これは。
たぶんその記事、例えばサッカーキングの記事とかには出てきてるけど、たぶん読み飛ばしてますね。
僕もなんか意識して初めて目にした文字ですので。
そうですね。ジョルジーメンディスってもう見ちゃうから、分かんなかったですね、こういう会社とかは。
そうですね。本社がポルトにあって、リスボンにもう一個支社があるぐらいなんですけど、
まあなんか所在書が意味ないぐらいメンディスはウロウロしてますんでね。
携帯3台持ってウロウロしてるんですね。
有名な話ありますけど、ジェスティフテのホームページ行くとメンディスの顔写真と共に
メンディスは偉大だみたいなことが書いてますんで、ぜひ見てください、皆さん。
あ、なんかね、ドバイで開催されているグローブサッカーアワーズっていうショーがあるらしいですよ。
表彰するイベント。あれが2010年ぐらいからずっと開催されてて、毎年ね。
なんかちょっとなんか、よくわかんないイベントなんですけど、毎年全然違う内容のショーがいくつかあって、
例えばベストクラブオブザイヤーとかね、ベストプレイヤーオブザイヤーとか、
ワロンドールンと似たようなことをやってるわけですよ。
勝手にですか?
勝手にというかなんかね、欧州選手エージェント協会っていう代理人の協会と、
欧州クラブ協会っていうクラブ協会があるらしいんですけど、そこが共同主催してて。
なんかドバイドールって呼ばれてるらしいんですけど。
ワロンドールみたいな。
正直聞いたことないんですよ。
まあ確かに聞いたことなかったですね。
でね、例えばその2010年からやってて、2010年には3つショーがあってね。
スペシャルキャリアーアワード、アドリアノ・ガリアーニさん、ミラン。
ベストディレクターオブザイヤー、ミゲル・アンフル・ヒルマリン、アトリティコマドリーのCEOとね。
あとベストエージェントオブザイヤー、これがジョージ・メンデスなんですけど。
例えばそのベストプレイヤーオブイヤーとかはクリスティアノだったりとか、
その辺からそのベストクラブオブザイヤー、バルセロナとかね、その活躍した人を表彰していってるんですよ。
例えば2022年だとめちゃくちゃショーが増えてるんですけど、
ベンズ・プレイヤーオブザイヤー、カリム・ベンゼマンとかね。
あとベストディフェンダーオブオールタイムっていう、1年だけじゃなくてオールタイムのショーができてて、
それがセルフィオ・ラモスとか、なんかなんか基準よくわかんない表彰がいっぱいされてるんですよ。
そこのショーでジョージ・メンデスが過去13年のうち、
21:06
11回ベストエージェントオブザイヤーに輝いてます。
えー、すごいですね。
ちなみに2016年はジョージ・メンデスじゃなくてライオラさんでした。
2016年といえばポグバの年ですね。
あと2021年、2年前はフェデリコ・パストレロさんという人でですね。
これがまあ僕知らないんですけど、ルカクの代理人になった方なんですかね。
ちょっとよく知らないですけど。
まあそんな風に10回か、10回ジョージ・メンデスが抽象してるんですよ。
でね、これおもろいのが、このショー自体の開催をメンデスが仕掛けてるわけですよ。
偉い人にあっせんして、こういうショーやりませんかって言ってるらしいんですよ。
自作自演なんだ。
それをホームページですごいショーに輝きましたとか書かれても、
いやーでもなんか自分で開いたようなもんだからなーって思っちゃうんですね。
確かに。
あまり俺すごいんだぞみたいなことを遠回しに言ってるようにしか聞こえないですよね。
でも実際に転がした遺跡の数は桁違いなんでしょうから、
まあそうですね。
間違ってはないと思うんですけどね、ベストっていうのは。
ただその設立経緯があるせいで、ちょっとなんかおかしくなっちゃってるっていう。
まあそんなショーがありますという話ですね。
なるほど、おもしろいですねそれは。
はい、ちょっとメンデスに話を戻しますと、
ジェスティフテっていうのは顧客一覧をトランスファーマーケットで閲覧できますので、
ちょっと皆さんぜひ見てください。
はい。
もうねすごい顔ぶれですよ。
そうですね。
まあもうプレミアリーグとか確かさっき数えたんですけど、
20人ぐらいいた気がします。
ありました。
まあ半分ぐらいウルブスなんであれなんですけど、
まあシティの3人組とか有名ですし、
そうですね。
もう今をときめく選手たちばっかりだなっていうのは見て取れましたね。
ねえ、ざっと有名なところだけ言うと、
ベルナルドシューバー、ルベンディアス、ジョアン・カンセロ、
ダルウィン・ヌネス、バビーチョン、
最近だとそうですね。
ディエゴ・ジョタカ、ジョアン・フェリックス、
マティウス・ヌネス、ミティーニャン、
もうちょっとキリがないんであれですけど、めちゃくちゃ有名です。
こんな感じで一応メガクラブで活躍する選手が山ほどいるし、
まあ若い選手もたくさん最近は増えているという感じですね。
なるほど、はい。
で、メンディスのキャリアの中で、
まあ一番デカかったんじゃないかなっていう人が何人か思い渡るんですけど、
一番デカいなって思う選手のうち、
一番古いのがクリスティア・アーノ・ロナウトです。
ここ有名ですよね。
24:01
そうですね。今サウジアラビアに行ってますけど、
最初にクリスティア・アーノと接触したのは2002年。
スポーティングにいた頃ですね。
はいはい。
ここでその第二任契約を結んで、
まあ翌年に移籍しちゃうわけですけど、
ファーガソン当時のファーガソン選手は
交渉するにあたってコネクションがないという状態で、
頼ったのがアシスタントコーチを当時やってたポルトガル人のカルロス・ケイロスさん。
おお。
エナイテッドのってことですね。
そう、ファーガソンのアシスタントをしてたのかな。
はい。
で、カルロス・ケイロスさんってあの、
ワールドカップだとイギリスのファーガソン選手を
カルロス・ケイロスさんってあの、
ワールドカップだとイラン代表監督やってましたね。
ああ、なんか聞いたことあるなっていう。
で、そうなんですよ。
ペアル・マドリーヌ監督も一回やったことあって、
一年だけですけど。
で、なんか名古屋グランパスの監督もやったことあるのかな。
ああ、それで聞いたのかな、分かんないですけど。
らしいですね。
代表監督いっぱいやってますね。
ポルトガル代表とかコロンビア代表、
エジプト代表、すごいですね。
で、今はカタール代表の監督らしいですけど、
そんなカルロス・ケイロスさんを通じて接触して、
2003年に1800万ユーロで
クリエスティアナの遺跡が成立しました。
おお。
はい。
ここから伝説が始まったわけですから。
そうですね。
まあ、なんかちょっと遺跡にしょぼく見られるかもしれないですけど、
これ当時の霊塔だからって感じですよね。
そうですよね。
しかもやっぱね、さすがにクリスティアナとはいえ、
スポルティングにいた頃の20歳ぐらい?ちょっと分かんないですけど、年齢。
はい。
に、当時1800万ユーロはまあまあ高いと思うんですよ、普通に。
うーん、そうですね。
でもね、スポルティングは当事者たちが振り返った話によると、
おそらくスポルティングにいたままだと、
上が使えてるから出場機会は限定的だろうと。
はい。
ということで、まあユナイテッドが使ってくれるなら絶対出たほうがいいってことだったんで、
そこのところを結構握ってたみたいですね、メンディスが。
ちゃんと出場機会をくれよと。
はいはい。
でまあね、そこから羽ばたいていったわけですから。
これすごいですよね。
これなんかベンゲルがよく誰々が取ろうとしてたみたいな発言してるじゃないですか。
うん。
でクリスティアーノも確かその名前にあがってたんですけど。
あ、そうなんですか。
その時の遺跡金が1000万ユーロ、ポンドだったかな?
1000万ポンドで獲得しようかしてたところをユナイテッドがその倍ぐらいの値段で買ったみたいな。
でかっさらっていったみたいなんですよね。
あ、そうなんだ。
27:01
若干高くなったっていうのもあるかもしれないですけど、
まあこの値段は高いですよね。
やっぱり釣り上がっていったんですね、そんな時でも。
そうですね。
あー。
だからアーセナルが1000万ポンドだったので、
当時はアーセナルなんてインビジブルやったぐらいの年なので、
まあそのぐらいの値段っていう風に見てたんでしょうね。
やっぱこの辺のユナイテッドって若い選手に結構投資ちゃんとしてましたね、ほんと。
そうですね。
翌年だったかな、ルーニーに2000万とかエバートンから、
まあそれはちょっとイギリス人のあれがあるので、
その分ちょっと高くなっちゃうので、2000万とか出してた気がしますね。
うーん、そうですね。
うん。
はい、まあメンデスは初めての多分交渉だったと思うんですけど、
はいはい。
まあそっから2003年にクリスティアノが移籍したこと、きっかけにではないかもしれないですけど、
2007年にアンデルソンとナニも移籍してきました。
まあこれもメンデスの顧客です。
ほほほ、懐かしいですね、この二人は。
ええ、懐かしいですね。
ナニはこの前ELを見に来てましたね、カンプノーに。
あ、そうなんだ。今何してた?
あ、いや分かんないですね、今。分かんないですけど。
ファーガソンとなんかタッチしてましたね。
そうか、なんか時間止まってる感覚ですね、そこだけ。
そうですね、懐かしい。
はい、まあそんなクリスティアノとの開講がありながら、
まあ裏では、裏ではというか別のところで並行して動いているのが、
まあちょっとイングランド方面のメンデス・ジェスティフテシャの活動というのがちょっと活発になってきました。
はい。
はい、まあそこで話題に上がるのが、まあなんといってもさっきちょっと出たんですけど、チェルシーね。
うん。
チェルシー。
はい。
2003年の、まあ2004年か、2004年ぐらいのチェルシーと遺跡交渉を成立させていたんですけど、
はいはい。
あの、あの時のチェルシーって、アブラモビッチが2003年7月にチェルシーを買収した直後ですね。
ああ、そうなりますね。
うん。もうこれからどんどん資金が投入されていくと。
で、もうベガクラブになっていくんだというプロジェクトがあって、で、そこにジョゼ・モーリーに追っ込んだというのがメンデスのまあ一個功績ですよね。
うーん、チャンピオンズリーグ制覇してそこから強奪しましたね。
そうですね、2004年の…
強奪か、送り込んだっていう言い方にした方がいいかな。
強奪、まあまあ強奪か。
チェルシーからすると強奪したみたいな感じになりますけど。
そうですね。
メンデスから見ると送り込んだみたいな感じなんですかね。
どうなんですかね、ポルトとチェルシー、当時の感覚だとどっちの方があれなんですかね、格上というか。
いやー、でもチャンピオンズリーグ、いやポルトの方が上だったんじゃないですかね。
30:04
そうなんですかね、やっぱ。
うん。
だとしたらなんか、なんでチェルシー行っちゃうんだよっていう感覚なんですかね、あの世界的に見たら。
どうなんですかね。
なりきんクラブにいようみたいな。
うーん、いや当時見てなかったからわかんないですね、その辺の感覚は。
まあまあ、そうですよね、僕も当時リアルタイムでは知らないですけど。
2004年にチャンピオンズリーグ優勝しまして、その直後にチェルシーに席と。
おおー。
ということですよ。
まあこれ、要はアブラモフィッチさんがチェルシーに金を突っ込んだと同時にやっぱりメンデスがいなかったら、今のようになりきんが成功してたかどうかっていうのはちょっと危ういわけですよね。
うん、なるほど。
同じ年にモーリーノと一緒にポルトガル人が複数人やってきたわけです。
はい。
それがモーリーノと一緒にポルトでやってたリガルド・カルバーリとかパウロ・ペレイラね、この辺のディフェンダーとか、その人が入ってきました。
なるほど。
あとベンフィカでブレイクしてたティアゴ・メンデスっていう選手。
まあこの人は後にアトレティコとかでCL準優勝するんですけど、シビオネの下でね、ユベントスにも行ったから。
まあそういう選手が入ってきて、そのチェルシーの伝説を作っていく礎がここでできたわけです。
なるほど。
こんな感じでイングランド方面にもどんどん勢力を伸ばしてきて、スティフ・テシャが世界進出していくわけなんですけど、
モーリーノ、チェルシーの一時政権のモーリーノとかって見てないですよね、さすがに。
まあ見てないですね。
あんまり話に聞くくらいしかないんですけど、今のチェルシーみたいな感じで、
オーナー変わったばっかりだったから相当選手が入ってきてたみたいなのを聞いてるんですけど、
当時のトランスパーマーケットのやつを見ると本当に加入選手の方が多いみたいな状態だったので、
今と本当に変わらないみたいな感じだったのを見たので、
それのほとんどがメンデスだったり、モーリーノが欲しがった選手ってことでメンデスに頼んだとか、
そういう流れだったのかなっていう風にちょっとこれを見て思いました。
そうですね、確かに。
欲しがりそうな選手たちではありますよね、ファイターだし、モーリーノのやるサッカーっぽい人たちですよね。
まあ確かに。
ポルトから抜いてきたみたいなのもあるのかな。
たぶんあるでしょうね。
偶然の人もいるかもしれないですけど、リカルド・カルバーレとかはもっとメガクラブ行くはずだったけど、
レアルマドリーに行くはずがちょっと移籍金出ししぶったからっていう話もあるらしいんですよ。
リカルド・カルバーレに関してはこの時ね。
ああ、確かに。
33:00
たぶんチェルシーに行くよりもっと上に行けたっていう言い方を当時だったらできると思うんですけど、
でもやっぱり最終的にはメンデスが集めたということですね。
この年のチェルシーっていきなり優勝してるんですよね、確か。
勝ち点95、得心点差57。
ああ、そうでしたっけ。
まあ確かに、モーリーノが来て2連覇してますしね。
すごいですね。
まあ金だけ積めばみたいな感じなのはここから始まったと言っても、
アブラモビッチさんから始まったと言っても過言ではないですしね。
そうですね、アブラモビッチとメンデスがインフルエンザを巻き起こしたと言えるでしょう、これは。
なるほど。
はい、という感じですね。
ここからモーリーノとの深い関係性もどんどん始まっていくし、
チェルシーもメガクラブの仲間入り。
今ではもう成り勤とは言われないですね。
もう一流クラブですよね。
最近の瞑想ぶりは面白いですけど、まだまだ楽しませてくれてますね。
はい、そうですね。
はい、ここまでですね、イングランド方面に勢力をどんどん伸ばしていったジェスティフ・テシャーの話を見てきたんですが、
今回はちょっとここまでにしたいと思います。
おお、なるほど。
オイタチからメンデスが代理人形を始めて、
ポルトガル国内、それからイングランドで活動するようになった話をしたんですけどね。
はい。
どうでしたか?
そうですね、なんか最初の顧客が、まずはヌーの監督、監督で言っちゃいけないけど、選手だったのが結構びっくりでしたね。
そんな、こんな昔から繋がりがあるんだ、みたいな。
意外ですよね。仲良いんだねっていう。
ポルトガル人監督って珍しいから、確かに言われてみれば、モーリーノ、アンドレ・ヴィラス・ボアス以外ってあんまり知らない。
カルロス・ケイロスさんとかぐらいだったんだね。
そうですね。
でも監督とやっぱり同国籍で仲良いと、やっぱりさっき言った通り、
モーリーノとかのように、ジョルジュ・メンデス経由でいろいろ選手とかを引っ張ってこれて、なんか便利なんでしょうね。
便利でしょうね。
そんな感じで、まさにね、次回ちょっとお話ししたいのがレアルマドリーの話なんですけど。
はい。
モーリーノがまさに同じことをするので、その時ちょっと詳しくお話ししたいと思います。
お願いします。
とりあえず今日はこの辺で終わりますね。
それでは皆さんまた次回お会いしましょう。
さようなら。
さようなら。