オールド回の導入
はい、みなさんこんにちは。私が出てるということはオールド回ですね。
お久しぶりです。三越場です。よろしくお願いします。
今日はオールド回ということで、また昔の話をやっていきたいと思います。
まず、ちょっとメンバーから紹介していきたいと思います。
今日のメンバーは12歳くんです、まず。
はい、よろしくお願いします。おはようございます。
おはようございます。
すっかりオールド回のメンバーに入れていただきまして、ありがとうございます。
ありがとうございます。
12歳で厳禁以待です。よろしくお願いします。
12歳で厳禁以待だけど、56歳でしたっけ今。
えっと、43歳ですね。
43歳ですか。
はい。
43歳に思えないオールド回ですからね。
今日もよろしくお願いします。
はい、お願いします。
続きまして、ちゃんまつスカイウォーカーさんです。
はい、どうもちゃんまつスカイウォーカーです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今日は一応、ちゃんまつさんのリクエストで。
そうなんですよ、球場で。
そうですね、ジム球場でね。
モーコマンに会いまして。
モーコマンに会いましたか。
モーコマンにどう?っていうふうに相談したら、モーコマンが夢を叶えてくれました。ありがとうございます。
僕もモーコマンから聞きましてね、ちゃんまつさんが。
そうですか、ちょうど。
モーコマン経由で聞きまして、ちょっとやることになりました。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
よろしくお願いします。
続きましてですね、ねおたろうさんです。
おはようございます。ねおたろうです。よろしくお願いします。
おはようございます。
今日ね、土曜日の朝なんです。朝8時なんですけど。
大丈夫です。
調整していただいてありがとうございます。
ごめんなさい、ちょっとだけドラフトあったばっかりなんですけれども。
阪神の育成に、山崎君は長崎出身なので非常に楽しみです。
長崎城。長崎どこでしたっけ。
長崎の九州文化ですかね。サセボの方じゃないですか。
ごめんなさい、どっからのチームでしたっけ。
兵庫の独立兵衛ですね。
そっちか、その人か。
足早子ですね。
足早子です。
はいはいはい。
わかりました。ちょっと頭の中に出ておきます。長崎情報ありがとうございます。
続きまして最後がジャルダンさんです。
よろしくお願いします。
ジャルダンさん、独立リーグも今年は終わりましたかね。
終わりましたね。もう切り替えてまた来年って感じですよね。
来年はさすがにね、ユニフォームに見れたりしないですよね。
うーん、どうかな。いろいろあって。
いろいろあって。
大人の世界があって。
大人の世界があって。また楽しみにしてます。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
はい。
ということで今日は先ほど言ったちゃんまつスカイウォーカーさんのリクエストということで
オールド回何回かやってるんですけど、確かにオールドファンの中でちょっと忘れられない
暗黒期ずっとあったんですけど
ドラフトと選手の状況
ちょっと一つ光が射した1992年ですね。
それは割と大好物の方多いと思うんですけど、その92年に特化してちょっとやっていきたいと思います。
はい。
お願いします。
一応92年はその前の年とか前の前の年っていうのがどんな順位だったかっていうのがですね
今の阪神じゃちょっと考えられないんですけど、6位、6位です。
2年連続。
そうですね、割とダントツの6位、6位から始まりまして。
前々年から中村勝博監督が就任しまして、中村監督が3年目ということでスタートが始まるんですけど。
すごいですね、2年連続再開なのにまず監督を続けられてる。
何年計画やったのかわからないですけど。
人がいなかったのかなんかわからないですけど。
人がいなかったでしょうね。
中村さん結構なんかいろいろ二軍監督からずっとやってましたからね。
はい。
その2年連続、まず最初にですね、その前の年のドラフトをざっと紹介していきますと、
ドラフト1位が萩原誠選手ですね。
2位が藤井選手ですね。
3位が弓長投手ですね。
ザ・暗黒っていう感じですね。
4位が檜山選手ですね。
檜山がここに来るんですね。
昔よくあった5位が甲子園のアイドルを取る中川慎也選手ですね。
6位が駆動投手かな。
投手ですね。
7位が岩手ですね。木立晃成選手ですね。
8位が中村清信投手ですね。
この人が前のオール都会で言ったタムジーで、タムラさんってお祭りの人いたじゃないですか。
その人とそっくりな投げ方をするピッチャーで、所属先がタムラコピーっていう会社なんですよ。
タムラ投手にそっくりな人がタムラコピーっていう会社から入団したっていうね。
お笑い枠もあったかもしれないですけど。
このときはドラフト外でもなかったときでしたっけ?
このときはなかったかなと思います。まだないですね。
ただこの年なんですけど、よく見てくると、よそのチームなんですけど、
オリックスの4位に鈴木一郎っていう選手が。
なんか平凡な名前の。実は指名されてました。
一郎、取れたじゃないですか、ドライチで。
このときは萩原選手がスターでしたからね。甲子圏で優勝してましたからね。
一郎取っても歴史が変わってましたよね。
変わってましたね。どうでしょう。育てられましたかね。
高校生なかなか育ってなかったですよね。
一郎取ってたら本当に偉いことになってたかもしれないですね。
っていうのからスタートしています。
1年のキャッチフレーズはフレッシュファイトフォーザチームですね。
3Fですね。
3Fから始まってまして。
そういうコンビニありましてんでした?
3Fありましたよ。
それもオールだよな。
青いやつだよね。
そうそうそうそう。
これもでもあれですよね。今じゃ考えられないですよね。
これ多分吉田監督のときからずっと変わってないですもんね。
そのやる気のなさもちょっとあれですね。
暗黒ですよね。
なんか覚えあるなと思ったら、前からなんや。
一応ウィキペディアで92年がどうかっていうのをちょっと読んでいきますと、
過去2年がいずれも最下位の中村阪神は、この年も最下位の予想が大多数を占め、下馬法はよろしくなかった。
かつて猛打を誇った打戦は長年主力を務めてきた岡田晃信と真由美晃信に衰えが見え始め、来日2年目のトーマス・オマリーと
大王を解雇されたジェームス・パチュレック以外は目立った高材料がいなかったという感じですね。
そんな感じからスタートしてますね。
あんまり読んでたら面白くないんで、大体をかいつまんでいくと、
一応前年は中込真、ユフネシさん、野田浩二さん、美濃又さん、笠井さんのドラフト1位の5人投手が、
一応5人で5連続関東勝利っていうのを前年にやってるんで、
ドラフト1位のピッチャーがちょっとずつ使えるかなっていう感じにはなってた地盤がありまして、
あと一番ちょっと変わったのが、甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されたということで、
中村監督もその先の投手の中心の守りの野球に転換に手応えを感じてたっていう感じらしいんですよね。
すみません、自分のラッキーゾーンがあるときに甲子園行ったことないからあれなんですけど、
新庄選手のデビュー
どなたか行ったことある方います?
バリバリ行ってますよ、私。
バリバリ行ってますね。
全然違いました?その広さは。
違いますね。
で、あれ、しかもブルペンって中にありますけど、球場の。
そのラッキーゾーンのとこやったんですよ。
そこでブルペンの投球練習してたって感じですね。
だから結構、多球団の選手も阪神の選手も、ヤジとかモノが飛んでくるのが怖かったっていうのはよく聞きましたけどね。
ヤイヤでしょ、しかも可哀想に。
その中で江本さんはいつも喧嘩してたみたいですよ、ファンと。
パッと見の印象が全然違います?やっぱりラッキーゾーンあるないだと。
違いますね。
だから子供ながらにも急にホームランが遠くなったなっていうイメージが。
やっぱりそうなんだ、全然変わったんですね。
これが入るんやってホームランが結構ありましたよ。
ああ、そうなんだ。
だからやっぱり今年の佐藤選手とかすごいと思いますけどね、左バッターで。
ラッキーゾーンなしでね。
12歳さんはどんな印象でした?ラッキーゾーン。
私もまだ子供だったんで、この年からラッキーゾーンがなくなって完全に野球が変わるとかっていうふうな認識はなかったんですけども、
今思えば高専のひどいのって、
ポール、レフトライトのポールからグーッとセンターの方に切り込んでいくというか、グワッて入っていく、あそこの部分がひどいと思ってて、
ちゃんまつさんにわかりやすいイメージとしては、東京ドームのガイアのラインみたいな、ずっとまっすぐにセンターまで行くじゃないですか、
あんな感じでラッキーゾーンのフェンスがあったようなイメージですね。
イメージはそうやな。
全然深くなってないというか。
確かに曲線ですね、東京ドームは。
そんな感じで思ってました。だから今でもこれだったら準宮とかドームだったら入ってるなっていうのが、
全部インフィールドでいろいろになったり、あるいはヤシュが取っちゃったりっていう感じだったんで。
ちょうどこのときのハンスの野球とラッキーゾーンがなくなったのが、うまくあった、そういうトスだったんじゃないかなっていう。ピックアップしてやる。
あとはお客さんが別に乗り越えてくるわけじゃないんで、フェンスがそんなに高くなかったんですよ。
どうなんだ、ガイアのフェンス。
結構ガイア州がギリギリのとこやったら四字登ってとかっていうのが結構ありましたね。
ちょっと高いイメージありますね、ガイアのフェンスはね。
そうそう。今はめっちゃ高いんですけど。
金森選手が入ったやつ。
金森英二選手って西部から来た人、覚えてます?
あの人が同じようにバーって追いかけて、ホームラン入っちゃったんですけど、
実況が、ホームラン入ったー、金森も入ったーって、金森さんが間違って入っちゃったんですよ。落ちて。
危なっじゃないですか。
そういうチームプレイもありましたね。
さっき言ったオマリー選手とかが結構活躍してたんですけど、
オマリーさんがこの年ケガしてたんですよね、確かね。
途中でケガをして、オマリーの大学で新庄さんが昇格してくるんですよ、3年目の。
そうですそうです。
この新庄さんが最初の座席で、プロ初ホームランを打つっていう感じで。
限列なデビューを果たしたって感じなんですよね。
その日なんですけど、私は奈良・京都に修学旅行でいました。
その年か。
いまして、夕方から普通に阪神戦をやってることにびっくりしました。
関東だと見れないんだよ、巨人阪神以外は。
え、これ見れんの?って見てたら、なんかキャラいのが出てきて急にホームラン打ったから、すげえって。
それを覚えてますね。
この辺の時ってやっぱりバースさんがいなくなって、さっきも言ったようにちょっと主力が劣れていって、
いわゆるホームランバッター的な人がいなかったんですけど、
新庄さんってリストも強くて結構細いんやけど、結構ホームランを打つっていうので、
すごい大砲的なやつが入ってきたっていうのが、結構キャンプ情報とかでも流れてきてて。
そういうの覚えてますかね、ジャルダンさん。
そうですね。この頃からもうちょっと新庄っていう有望な若手がいるっていうのが出始めて。
そういうふうな、やっぱり阪神ファン的にはなんとなく知ってはいたんですね、皆さん。
そうそう。だからよくバッティング練習だから当たり前なんですけど、
柵越え難発とかって今でもあるじゃないですか。シートバッティングとかで。
それで結構ボンボンホームランを打つっていうのが結構新聞に載ってたんですよね、新庄さん。
多少注目はされてたんだ、やっぱり。
結構注目されてました。
注目株だったんだ、はい。
亀山選手の登場
まあ結構、柵じゃないけどそんな感じの選手がいない、昔の岡田さんとか、
佐野さんとか平田さんとか、そんな感じの河戸さんみたいなルックスの方が多かったんですけど。
急にアイドル的な方が入ってきたみたいになっちゃったよね。
女性の人気もやっぱり高かったですね。
そうでしょうね。
同じように亀山選手もここから出てくるんですよね。
亀山さんとかって誰の代役ぐらいだったんだろう。前目とかそんなのかな。
出たときはライトのほう。
ライトでしたよね。
ただ亀山の場合は前年前々年とかでファームで首位出したとか。
亀山ももうだいぶいい感じだったんですよね。
メガネかけてましたね。
やったらヘッドスライディングをする感じですね。
そうです。
すぐヘッドスライディングしてましたね。
でもフレッシュというか、見ていて気持ちいい選手ではありましたけどね。
亀心フィーバーですよね。
亀山さんが、今ベースボールマガジン社の亀心フィーバーと半身タイガースっていう本を、
前に三越さんが紹介してくれてたやつを買って読んだんですけど、
この本自体が面白いんですけど、
私個人的に亀山さんが東京ドームで公主宴でサヨナラヒットを打った瞬間が半身初体験なんですよ。
それはどこで見てたんですか?テレビで見てたんですか?
家でテレビで見てたんですよ。
東京ドームだから見れるんか。
家でテレビで見てたんですよ。
もともとドラマを見ようと思って塾から帰ってきたら、
なんかこの人たちが、
僕やって見てたら、今年半身調子いいらしいなみたいなことだけは聞いてたんで、
その後は半身初体験をしたんですけど、
その半身初体験をしたときに、
その半身初体験が大好きだったんですよ。
その半身初体験が大好きだったんです。
その半身初体験が大好きだったんですよ。
僕がやってみてたら、
今年半身調子いいらしいなみたいなことだけは聞いてたんで、
カメナンとかって眼鏡かけて、
あーだいだら出てきた、だいだら出てきたって言って、
柳田からサヨナラタイムリーを打ったんですよ。
サヨナラだったかな?
アレはサヨナラですね。柳田から。
アレはサヨナラですね。柳田から。
それでむちゃくちゃ盛り上がってて、
とんでもないものを見たなっていうのを意識して、
次の日は反進が勝ったのかなと思って気にしだしちゃったら、もうそこから40年ですよ。
それが5月6日なんですよね、この雑誌を読んだら。
92年の5月6日からファンです、私。
それがわかりましたんで、それが一番よかったです。日付までわかったのか。
日付までこの本のおかげでわかったのか。
昨年度のドラフトからもクジ選手も出てきたんですよね、ショートで。
ヤクルトとの戦い
そうですね、クジがショートで入って。
割と即戦力でしたね。
守備がめちゃくちゃで、バッティングはそこそこって感じでしたからね。
結局新人を取りましたもんね。
そうですね。
あとは毎年苦しんでた市の労働は大体退廃してたんですけど、
一応この年は10勝6敗で、10年ぶりに勝ち越したらしいことがあるんだ。
10年ぶりかい、みたいな感じですけど。
10年も対策を立てたまえって感じですけどね。
10年間負け続けてるとルール上なんかおかしいんじゃないかってなるじゃないですかね。
一応飛ぶんですけど、ヤクルトはこのとき強かったんで。
ヤクルトは10年ぶりに勝ち越したとはいえ、ヤクルトは貯金をどんどん伸ばしてたみたいで。
一応阪神2位だったんで、最大で4.5ゲーム差つけられてたみたいなんですよね、この時点で。
でも9月にヤクルトが急失速して、ゲーム差を1まで詰めてヤクルトとの3連戦を迎えるって感じで。
こっからが9月の11日の戦いがあれですよね、9回にヤギさんがレフトにギリギリにホームランを打って、
一度はさよならホームランって告げられたけど取り消されて、6時間26分の一応の引き分けに終わるっていう試合ね。
ラジオで聞いてましたね、これ。
私も一緒です。僕も一番最後までは聞けなかったけども、テレビ中継終わっちゃったんでラジオ聞いて、
次の日の朝母親に引き分けたでって教えてもらった。山脇三春氏で終わったでって言われた。
この時ジャレナンさんも言ってたと思うんですけど、ニュースステーションでね。
ニュースステーションのスポーツって多分11時15分かそれぐらいから始まるんだけど、
だいたい普通は終わってるから結果なんですけど、まだやってますみたいなのを覚えてますね。
なんかやってたような気がする。
なんかねおたろうさんとかはこの辺記憶ないですか?
そうですね。私の記憶はヤクルトのライバルだった西村と岡林が憎たらしいぐらい良かった。
岡林投手いましたね。
いましたね。なんか背が高くて。
これ3連戦だったんだけど、その後の2戦は連勝して一周位になったんですよね。
その後に7連勝して、2位に3ゲーム差つけて。
優勝じゃないですか、もう優勝。
めちゃくちゃ盛り上がりました。最後の長期労働に出発したって感じですね。
でも結局は、あんまり細かく言ってたらアレなんですけど、結局はダメだったんですよね。
でも最後0.5ゲーム差とかそんなのちゃうかったっけな。
最終戦で勝って0.5ゲームに詰めた。
そうですよね。
その前に甲子園で確か優勝決まったんじゃなかった?
そうです。ヤクルトの優勝決まっちゃったんです。
球場が騒然となってて、どうわけっていう雰囲気じゃなかったっていうのを覚えてますね。
先発が確かその日の野田だったんですよ。
投手陣の概念
で、なんか打たれちゃって、これ都市伝説ですけど、それを阪神のオーナーが見に来てて、
野田に激起こしてトレード出したって言って。
絶対やっちゃいけなかったですよ。
オリックスで大活躍みたいな。
で、うちは松永をもらうみたいな。
いらなかったなあ。
1年で出てっちゃいましたね。
甲子園は幼稚園の砂場でしたっけ。
なかなか阪神ファンに嫌われてる人は何人かいるんですけど、オールドに。
松永さんはそのうちの一人ではありますね。
合格ですね。
このWikipediaを見てたら、10月7日のヤクルト戦の関西地区の平均視聴率が36.7%だったんですよ。
36%って言ったら強烈ですよね。
今ってたぶん3%とか4%とかそんなこと言ってもすごいんじゃないかな。
それで優勝してないんですからね。
しかも勝ち負けを見ると、貯金4つしかないんですよね、2位だったんですけど。
結局すごい団子状態だったんですよね、たぶんね。
ヤクルト、広島、巨人と。
2年連続再開でずっと優勝から遠ざかってて、優勝なんか無理やわと思ってた中で、
5月5日のゴールデンウィークまでにシーズンが終わるってずっと言われてたチームやったから、
この年は楽しかったですよね、正直。
この雑誌読んだら、ちょっとにわかに信じがたいんですけど、古風草が甲子園の横にあったんですかね。
今も一応跡はありますね。
亀山新城がそこに住んでたんですけど、人気が出すぎちゃってて、古風草から甲子園まで行けないらしいんですよ、人がひろまっかりいっぱいいて。
マジでそんな感じでしたよ。
でも途中から、あの二人もホテル住まいになったって言ってましたね。
なんでわざわざ遠いところに住まなきゃいけないんだって。
その前に、僕もやったことあるんですけど、出待ちがすごいことになってたんで。
昔の古風草まで道路を渡ってすぐだから、ほんまに1分もかからないぐらい。
そこが行けない。
最初の頃、それに1時間ぐらいかけて帰ってたって言ってましたよ。動けなくて。
すごいですよね。
もうファンが集まりすぎちゃってるから、午後1時ぐらいでガイア開けてたって言ってましたね。
すごいなと思って。4時半とかじゃねえんだと思って。
僕そのイメージがあるから、今って1時間半、2時間前ぐらいでしたっけ、開門。
4時とか4時半とかじゃないですか。
だから練習見れないじゃないですか、自分のチームの。
はいはいはい。
入った時はだいたいビジターのチームが練習してるから、
昔半身の練習が見れたんやけども、今は見れなくなってるなーっていうのがありますね。
すごいですよ、でも。
あと僕思い出したことで、この年に亀山と新条のアニメみたいなキャラクターのグッズを結構売ってたんですけどね。
それが畑山ハッチさん。
畑山ハッチさんのやつだっていうのだけ覚えてたんですけど、これ畑山ハッチって薬光鶴のことなんですね。
あ、そうなんだ。薬さんが書いてたんだ、じゃあ。
そうそう。最初の頃の名前が畑山ハッチって言ってた。薬さんが書いてたみたいですね。
薬光鶴もまだちょっとぺいぺいの頃ってことなんですかね、じゃあ。
そうそうやね、たぶんね。
安いギャラでやらされてたんでしょうね、たぶんね。
安いギャラでキャラクター物を手に出されてたんでしょうね、たぶんね。
あと何か思い出に残ってることとかありますか?
確かね、覚えてるのは投資王国って言われてたんですよ。
年間の防御率がチーム全体が2.90%かなんかで、今年の阪神のほうが100倍すげえじゃねえかと思うんですけど。
中田康二、中込裕船。この3本柱に井上とかが入ってたりして。
中込さん9勝やったっけ?
中込さん9勝ですね。
中田康二さんが14勝で、井上さんが11勝だか12勝だか。井上さんはノーヒットノーランしてますね。
そうです。やってる。
自分も今日の収録においてウィキペディアをちょっと見たんですけど、
投資のところを見ると結構衝撃的なのが、確かにそうなんですけど、中継ぎの概念があんまないんですよ。
中込さん平気で200イニング以上投げてるんですよね。中込、中田が。
もう普通に先発ピッチャーが関東するっていう世界観で。
関東する、もしくは最後に田村さんが出てくる。
田村さんが投げるっていうぐらいで。
一軍で投げた選手一覧みたいなのがバーってあるんですよ。
それはそれでいいんですけど、「ああ、いたなこの人!」みたいな感じでちょっと思ってたんですけど、
今年のウィキペディアを見たときに、2025年の阪神の一軍で投げた投手と比べると半分以下なんですよ、総数が投げた。
試合数も多少違うにしても、中継ぎでも20何試合が最多とかそんな感じでしたもん。
20何試合ってどれだけ先発に負担かけてたんだよと思って。
すごい時代だなと思いましたね、やっぱり。
確かに昔は中継ぎとか評価も低かったしね、そういう役目の。
前発が打ち込まれたら毎試合弓長さん投げてましたね。
その昔は福間さんとかでしたからね。
どんだけ投げんねんみたいなね。
すごいな、中継ぎの概念がないわこれと思って。
確かにね、その辺は野球は変わってますね。
それが面白いなと思いました。
その辺まだちょっと根性論あったんじゃないですか。
たぶん根性論しかなかったと思います。
とりあえず投げ込んで体を作っていくみたいな感じのフォローやったような気がしますね。
100球200球は当たり前の世界でしょうね、たぶんね。
この雑誌を読んで、すごくなるほどなと思ったのは、
93年の1月18日号の週刊ベースボールにあった亀山慎二郎の、
去年活躍した二人のインタビューみたいなのがもう一回載ってるんですよ。
すげえフレッシュな二人が載ってて。
表紙になってますよね。
そうですよ、表紙になってます。
慎二郎がね、思ってるよりちゃんと答えてるんですよね。
ちゃんと亀山を立てつつ、普通に高校野球上がりの野球少年だなっていうリアクションなんですよ。
自分は別にプリンスでもなんでもないですみたいな、プリンスって呼ばれてたらしいんですけど。
亀山は亀山で、やっぱり慎二郎のことを立てつつ。
よくGパンは足が太くなるから、足が太くなるからGパンが履けなくなるから筋トレしちゃうと。
練習と選手の成長
そういうのも話してるんですけど、亀山とかは慎二郎が一番練習してると。筋トレも。
体を大きくしないで体幹をちゃんと大きくする。今で言うなら体幹をしっかりさせる筋トレとかは慎二郎が一番やってるみたいなことを書いてあって。
やっぱ当時からこの人ちゃんとやってたんだなと。
それは僕ら不安見抜けなかったですね。
全く見抜けなかった。
この年、オールスターに慎二郎は呼ばれてないんですよ。
野村さんが監督だったんで、たぶん野村さんのちょっとした嫌がらせなんでしょうけどね。
これで調子を崩してくれればいいんじゃないのっていうふうに、野村さんがスポーツ記者に言ってたら、
慎二郎、それで気落ちしてくれればいいかなと思ったら、実は慎二郎はその間、彼女と沖縄に旅行に行ってたって言ってた。
それを聞いて野村さんが、「ああ、そう。オールスター見てもいないんだ。」みたいになって。
慎二郎らしい。
あいつのほうが一番上手だなって言ってた。
まあそうだよな、それ言っちゃうよなと思って。
でもそれの話を言うと、今の慎二郎・亀山の当時のインタビューが載ってるじゃないですか。
そこで慎二郎はその時点で、「あと3年は女性はいらない。」って言ってはいたんですけども、よくわかんないな。
よくわかんないですね。
わかんないですね。
夜のお店でちょっと仲良くなったりする、そういうお姉ちゃんはいらないってことなんじゃないですか。
彼女はいってもいいだろうってこと。
女性遊びはしないよってことなんじゃないですか。
うーん、まあそういうことにしておきましょうか。
結局はOKなんですね。
めちゃくちゃ遊んでる気がするけど。
そうですね。
なんでこれ強かったんですかね。意味がわかんないですよね。
たしかにな。
でも種類が多くなってますよね。
ショーとくじさんになってるし、センターも堅強い真女さんになってるし。
亀山さんも結構ダイビングで撮ったりとかしてるし。
この年オマリーがサードを守ってるんですよね。
心配したけど、まあそこそこちゃんとやったかなって感じだったんでね。
そうですね。
セカンドが和田さんですもん、まだ。
和田さんです。
和田さんはね。
2番亀山で、やっぱバンとしてないんですよね、全然。
あー、亀山さんはしてないですね。
これちょっとゴーさんとかも参考にしてもらいたいですよね。
ゴーさんが悪いわけじゃないか。
いや、むしろしてないからいいんじゃん、それ。
してないからいいんですよね。
でもやっぱ雑誌読んだら、いかにボールの上っ面を叩くかだけを考えてたみたいなことを亀山は。
まあ足早かったからな。
転がして、ゲッツンなんないようにして、
最悪ランナー入れ替わりで、和田さんと入れ替わりで一塁に行けば投塁ができるみたいな。
できるみたいな感じだと思う。
あと僕この雑誌読んでないんですけど、
スペシャルインタビューっていうのが4つぐらいあって、
もしちょっと覚えちゃったら教えてほしいんですけど、
まず柏原純一さんの経営打ちの舞台裏とかはわかります?
はいはい、ありましたありました。
練習のときから、なんか打てそうなんですけどって言ってたらしいんですよ。
心情が。
試合中じゃなくて、前の日も経営されてるかなんかで。
それはいいんだけど、試合終わった後柏原さんに、あれ打てそうなんですけどいいですか?みたいなことを。
いやいやいや、ちょっと待てよ、みたいな。
その次の日の練習中に、ちょっと外した球を打つ練習を本当に勝手に心情がやりだしたらしくて。
本当にやるの?って言ったら、でも打てそうですよみたいなことをもう一回言ってくるから、
まあじゃあそれは任せるよって言ってて、ただ勝手にやるなと。
本当にやるんだったら、一回ベンチのほうをちゃんと見ろって言って。
そしたら、経営されそうになっているときに、
すげえ心情がベンチでこっちを見てくるから、柏原さんにこそこそと、
なんか打てるって言ってますっていうふうに。
言ったら野村さんが沈黙を。
何言ってんだあいつはみたいな感じで沈黙が10秒ぐらいあったあと、もう任せるって一言言ったらしいですね。
だから勝手に独断でやったわけじゃないっていうのが。
位置をお伺いとか立てながら、その辺をやってる。
しかもちゃんと練習もしてたっていう。
思いつきでバーンってそんなやったわけじゃないってことですね。
ないってことですね。
私このスライド行ってたんですけど、
いたんですけど、もう遅くなるから、途中だけど帰ろうって言って、
結果はラズロで反戦拘束の上で聞いてました。
なるほど。
あ、そうか。野村さんはあれですね。
あの目立ちたがり屋がそんなことを言ってるのかと言ったきり、黙り込んでしまったと。
この沈黙が本当に長く長く感じられて。
心情がバッターボックスの前で早く答えようというふうに、血をパクパクしてて。
そしたら野村さんがボソッと、もう打っていいよと言ってくれたので、帽子を取って慎重にサインを送りました。
呆れてるじゃないか、野村さんも。
俺のニットにないぞっていう誠心あったんでしょうね、たぶん。
監督と選手の関係
もう勝手にしろですよね。
軽くルール違反ですもんね、経営の玉振って。
まあまあ、お前はね。
そうですね、打ちましたね。
でも菓子屋柄さんも昔の時点で打ってなかったっけな。
それは言ってました。自分もやったことあるみたいな。
あのホームラン売ってましたよ、確か。
俺もその記憶があるわ。
ホームラン打ちたかったんですよね、やっぱり心情がね。
あとは、和田豊さんがもう帽子を変えた男たちっていうのはどんな感じですか。
そうですね、もう帽子を変えた男たちっていう。
でも自分もガムシャラにやってただけで、結局亀山慎二郎くじが頑張ってくれたからみたいな。
それはやっぱり巡回コーチは周りを立てますよね。
なるほどね、和田さんだしな。
唯一優勝争いができた忘れられないシーズンですと、レギュラーを貼ってるときに。
でもここで優勝ができなかったことが、逆に後々の暗黒時代になってしまったので、そこに責任は感じております。
確かにな。
あれで来年は?とか思ったもんな、確か。
そうですよね。93年はいけるんじゃないかみたいな。
結果全然やったもんね、そっか。
元に戻ったってことですね。
萩子の果てに慎二郎は辞めるとか言い出すしね。
そうですよね。引退するとか言い出す。
くじさんが、慎二郎と遊撃戦争、ライバルじゃないってやつはどんな感じですか。
慎二郎がそもそも確かにショートなんですよ。
そうですね。
先にライバル争いみたいな感じで言われたけど、もうそういうレベルじゃなかったって言ってましたね。
だから慎二郎のほうが全然打つし、鼻があるし。
自分のほうが年上だから、しっかりしなきゃっていう意味で守備だけはちゃんとやってたら、
たまたま一軍で抜擢、開幕スタメンで入れられたって言うだけで。
あんまりライバルとも思ってないですね。
結局慎二郎とはライバル争いをほとんどしてなくて、
慎二郎は一軍にオマーリーが怪我でいなくなって出てきたときも、最初はサードで守ってますから。
サードほぼやったことないって言ってましたね。
これをぶっつけ本までやらせてるあたりがすごいですね。
その頃峠杉太選手を取ってきて、その選手をいきなりスタメンとかで使ってましたからね。
日浜の古谷さんとか、足動いてない高橋優次子さんとかショートで使ったりとかしてたもんね。
反応上エラーしてたけどね。
中込慎さんはどんな感じですか?中に浮いた背番号1。
中込さんは、2桁勝てなかったのをすごい悔やんでるみたいな感じでしたね。
チャリアハイですもんね、9勝。
そうなんですよね。
結局まあ選手の勢いがあったから、あの年はなんとかなったけど、
中村さんは特に何もやってなかったみたいな感じのことを書いてありますね。
背番号はもともと99番から1番へ変わったという形ですね。
そこまであれかな。
開幕スタメンは岡田さん、まゆみさん、木戸さんもいたのに、
その3人が抜けちゃってるから、シーズン終わりには。
結局ベテランの力がもうあっとかみ合わないと優勝ってのは無理なんだなってのはわかったっていうことは言ってたような気がしますね。
これあれですね、キャッチャー山田さん出てきてる頃ですよね。
この年に山田さんも出てきたんですよね。
雨山さんと同期なんですよ。
あとね、面白かったのがあれですね。
新庄さんが、いま日山の監督をやられてるじゃないですか。
さっきの野村監督の権縁を打っちゃう話もしましたけど、
野村さんがやってることと新庄がやってることがあんまり大きく変わってないっていう。
結局、野村の教えを一番わかってたのは新庄だったんじゃないかっていう話がありましたね。
野村さんはブーブー文句言って選手を鼓舞してましたけど、新庄は褒めると。
で、バンバンコンバートするのと、あとトレードでいろんな選手を入れてきて、
3年でやっぱり日山を強いチームにさせたっていうのをやってることは、
一番近いのは野村さんがやってることだと思う。
そうですね。たまに奇襲をかけるところも。
スタメもバンバン変えるし。
野村伊豆も実は一番継承してたのは新庄なんじゃないかっていう。
ああ、なるほどと思って。それは面白かったですね、読んでて。
野村さんのミーティングは長いですとか言って文句言ったとか聞きましたけどね。
選手たちの特徴
そうですね、たぶん。
そんなこと言うやつ初めてやって、野村さんがびっくりしてた。
ミーティングを短くしてくれてたんですよね。45分にまとめてくるみたいな。
ずっと毎日毎日ブツブツ何時間待てたんでしょうね。
間違えてはないよね、別に。
遊びに行きたかったんでしょう、たぶん。
それはやってないんじゃないですか、新庄、今。毎日毎日ミーティングは。
でもその当時のテレビで新庄さんが出始めてアイドルみたいな感じになってるときに、
古風草の寮長が、そのとき梅本さんやったかな、が新庄くんの話をしてたら、
彼は一日中鏡を見てます。髪型を一日中整えてますとか言ってたような記憶がありますね。
そういうこともしてたんでしょうけどね。練習も一番してたと。
見た目はやっぱり大事だったでしょうね。
確かに僕もその頃、もちろん西宮住んでて甲子園も近かったんで、
よく甲子園も行ってたし出待ちもしてましたけど、
本当前も言ったかもしれないけど、めちゃくちゃいい匂いがするんですよね、いつも。
当時は多分ベルサージの香水つけてたらしいんですけど。
それを新庄がつけたその匂いが残ってるってことなんですね、じゃあ。
もうプンプンするんですよ、あれが通ったら。
相当香水つけてたと思うんですよ。
なるほど。
そんな選手も初めてだからね。
まあね。それはOB連中も顔しかめますよ。
やっぱり当時は、ベンチとかそんなんやけど、彼だけすっごいスポーツカーみたいなの乗ってきてましたもんね。
エア航海とかに。
最初にハマー乗ってきてましたよね。
そうそう。ハマーとか、日本で初めて輸入された戦車みたいな車とか乗ってましたね。
新庄が戦車乗ってきたってみんなが。
そうかと思ったら、さっき言ったタムラ・ツトムさんは自転車に乗ってきてましたよね。
自転車に乗ってきてましたね。
おーい!みたいな。
みんなでカメラ構えてたら、みんなすごい高級車で乗りつけてくるんだけど、タムラさんだけ車輪行で来るかみたいな。
庶民派丸出しみたいな感じでしたね。
でも古風舟にいたんでしょうね。それはチャリに行ったほうが早いだろうっていう。
この年、オールドカーの皆さん、覚えてる方いるかどうかあれなんですけど、
その次の年もちょっとやってましたけど、ピッチャーで島尾さんっていう方いたの覚えてます?
はい、覚えてます。東映大姫路ね。
1992年シーズンの回顧
あの方、阪神に引退された後、ちょっと俳優業やってたんですよ。
その頃、2010年ぐらいかな、ちょっと接点がありまして。
何度かお会いしてて、当時の話を聞いたら、
さっきの野田さんの話は、社長が怒ったのと、
あと島尾が目処が立ったから、野田なんかいなくても大丈夫だみたいなことを話になって、「え、俺!?」みたいな感じになって、
こんな時は上がってねえよと思って、次の年に投げたらやっぱり打たれるじゃんみたいな感じになって、
で、俺が悪いみたいな雰囲気になっちゃってさ。
しかも怪我してたんですよね、確かに。
野田さんがいてくれればどれだけ防波堤になってくれたかみたいなことを。
島尾投手も期待しましたからね、確かに。
で、みこに覚えてるかもしれないですけど、2010年ぐらいだと思うんですけど、
甲子園の試合をホームゲームでやるときに、全然知らないアイドルが歌ってたりしませんでした?
はい、しました。昔。
誰だこいつっていう。
あれね、島尾さんプロデュースなんですよ。
あ、そうだよ。ありましたありました。
今このアイドル育ててるんですけど、一番宣伝になるのは甲子園で歌わせちゃうことかなと思って。
え、そんなことできるんですか?って。
いや、だってやることないんですもん、試合前に。
別にギャラなんかいらないから毎試合歌わせてくれって言ったら、ぐつぐつぐつぐつ言ってましたけど、
それで毎回歌わせてるんですよ。
いましたよ。確かにストロベリーズとかね。
そうそうそう、そんな名前。
いましたいました。あるやんこれみたいな。
それプロデュースしてない。
すげえなと思って。そんなことができるんだ、OBはと思って。
一試合どこじゃなかったら年間通してって言ってましたからね。
とんでもないお金が動いてそうな気配じゃないですかね、事務所から。
しまおさんがちょっとごねたって言うだけらしいです。
ごねてもねえのお願いしたですね。
真摯にお願いしたら願いを聞いてくれる、いい球場でいい球団だってことですね。
しまおさんは、やっぱり…。
あれの東枝秀次で、安倍川茂利さんの控えでしたよね、確か。
はいはいはい。
今は何されてるんですか?
全然あってないですよね。
俳優とかされてるんですかね。
どっちかというと育成のほうやってるんだろうな、そういう俳優とかは。
俳優なんや。野球じゃない。
野球はもういいって言ってました。
試合の緊張感
自分なんかが野球のこと言ったってさーって言ってましたもん、なんか。
ろくに活躍もしてないんだからプロで。
びっくりしました。
92年の戦士が目の前にいると思ったらすげえ緊張しました。
割と背高くなかったっけな、確か。
背高いですよね。やっぱり体大きいですね。
グイグイくる感じの人でしたね。いい意味でね。
ああ、すごいね。90年代って感じがするなっていう感じがしました。
とにかく、どうなんすかね。
だからやっぱり優勝できましたよね、これたぶん。
できましたね。
ポイントは何点かよくありましたよ、この試合があっていうのが。
さっきのヤギさんの本、まぼろさんの本もそうだし。
あとユフネさんもありましたよね。
失敗と、中継ぎやったっけ?
中継ぎか。
中継ぎ失敗っていうので、
せっかく序盤でノーヒットノーランで注目を浴びたんですけど、
中学末の天皇山の試合で、どういうわけか途中で。
出てきても完全にガチガチでしたもんね。
ガチガチでファーボール連発っていうので、
もうみんなそっちの印象が強くなっちゃった。
もうびっくりするぐらいガチガチで、これは無理だろうって感じでしたもん。
まあみんなガチガチだった。
ファーも応援しててガチガチなってましたもん。緊張してましたよ。
ファーも慣れてないですからね。
優勝争い慣れてないからね。
僕も覚えてるのが、この92年って僕は大学生だったんですよね。
はいはいはい。
ちょうど僕、愛知県の大学行ってたんで、
その当時どうもなかったので名古屋球場だったんですよね。
たぶん今年でなくなるんかな、確か名古屋球場って。
あーはい。
名古屋も熱い球場で、今中、昔の岡林じゃないけど、今中選手打てなかったじゃないですか。
ああ、打てなかった。
今中と中田浩二が先発の試合だったんですよ。
これもたぶん勝ったら割と優勝に近くなるっていう試合で、
で最後第2打、矢野って言われて、前に話したと思うんですけど、
矢野って誰やねんとかって、みんなでレフトスタンドで言ってたら、元監督の矢野さんなんですよ。キャッチャーのね。
あの例の矢野さんが。
で、さよならホームランかヒットかなんか打たれて、
はい、矢野さんに。
誰やこいつとか言って、白い奴が打ち寄ったぞみたいなこと言ってたら、後々応援するみたいな。
へー、巡り合わせですね。
確か井上さんが打たれたような記憶がある。
ああ、井上さん。もうキャラですね、そういう打たれるキャラですね。
で、なんか結構近差で負けたんですよね。それもね、めっちゃ悔しかった記憶あるな。
ことごとくここで勝ってればって試合の後半負けてたような気がする。
そうやね。だからやっぱりちょっと肩に力が入るというかね。
あと、そうですね、中込投手も最後急勝で終わったんですけど、
途中で巨人戦かな、一度いいピッチングして、
一点リード高でタムGに最後抑えて、これはもう勝ったろって思ったら、
サード頃を変わった古矢が冒頭して、その分逆転されて負けちゃったっていう。
ああ、もうガチガチなんですよ、みんな。
サード頃ちゃんと泣いてたら、中込は10勝だったんですよね、今考えると。
だから岡田さん、まゆみさんがいたからね、その辺うまくやれればよかったけど、
たぶんフテクサしちゃったんでしょうね。
岡田さんは途中で台立たされて、もうずっとフテクサされたっていう。
中村さんと仲が悪かったよね。
そうですよね。
大学の先輩後輩なのにね。
そうですよ、大輪瀬だもんね。
ほんとですよ。
だからね、最後のほうは岡田さんが出てきて、またちょっと打つとかしてくれれば。
そうそうそう。もう台打で出されてもやる気なくなっちゃった。
その辺のチームの持っていく方とかもちょっと下手くそやったかもしれないですね。
ベテランと若手が融合してっていうのはあんまりしてなかったような気がするな。
そうですよね、それはありますね。
いない感はちょっとなかったかもしれない。勢いはあったけど。
確かにね、中村監督って多分有能やったんでしょうけど、
あんまりこれをやったって印象がないですもんね。
ないですね。
ここで動いたとか。
はいはいはい。
まあないですね。
それはありますね。
結構日本監督でも優勝させたり、GMやったりとか、いろいろ養殖にはついてましたよね。
幹部候補生だったって書いてありますね。
ずっと将来の監督候補って現役時代から言われてましたね、中村さんはもう。
ワセダーでね。
スカウトが迎えに行ったら、すごい黒塗りの車で迎えに来たかなって思った。
お金持ちなんですよね、中村さんって確か。
チームの課題と選手育成
お金持ちの家に生まれて。
スカウトがびっくりしたみたいなこと言ってましたね。
まあ中村さんも2軍時代、結構成績良かったんですよ、ファームで監督として。
良かった良かった。
でもよく今思うと、1軍から降りてきたベテランの選手とかを、もう中心でバンバン勝ちにしてたみたいなんですよね。
ファームの試合を。
今から考えたら?
今から考えたら。
そりゃ優勝するだろうって。
中村監督自身は、自分自身が力不足だった。
選手は一生懸命力を出してくれた。
優勝を逃して本当に申し訳ないっていうふうに言ってますね。
そうですね、2年連続再開ですからね。
どうやって勝っていいかわかんないですもんね。
急に勝ち出したから、ちょっとびっくりしたよ。
ファームをどうしていいのか戸惑ってましたよね。急に勝っちゃったんで。
だって最後の方、これ書いてありますけど、新大阪駅のコンコースにロープが張られたって書いてありますよ、移動するときに。
駅員25人、管轄の淀川署から警察官15人が出動して警備に当たったって、もう新幹線に乗るだけで大騒ぎじゃないですか。
そうやったなあ。フィーバーやったからね。特に亀心フィーバーやった。
状況先の東京駅のホームにも500人以上のファンが待ち受けていたってすごい。
いやその中でやったら無理ですよ。そんな毎日プレッシャープレッシャーで潰されちゃいますよ。
まだ今はある程度その辺のところが、ファンの熱量は変わらないにしても、チーム側がしっかりしてるから。
それが大きいですよね。
そういう混乱みたいなことはないじゃないですか。
なるほどなあ。チームが選手守ったりみたいなことを今してると思いますけど、このときはできないですもんね。
しかもこのときってまだ自由席とかあったから、並ぶパターンだったんですよ。入場券。
だから本当に夜中から並ぶとかっていうのをみんなよくやってたから、余計に球場周りも混乱してた気がするな。
夜中から並ぶ。いいですね。
前の日からみんな並ぶとかしてましたよ。自分もやりましたよ。
すごいですね。そうしないと入れないですもんね。
指定席もあるけど自由席も割とあったんで、昔。
じゃあもう井上一番で開門したら全力ダッシュみたいな。
全力ダッシュみたいな感じでしたね。
神宮球場もつい数年前までそんな感じだったんですけどね、ガイアは。
ああ、そうなんや。
もうコロナもあって全部全席指定になっちゃったから面白くないですよね、やっぱり。
早く行く必要がないですよね。並ぶとかいうことをしないといけないからね。
早く行ったほうが偉いみたいな、そういうわけでもわからない。
でもあれよくわからないけど、指定席なのに開門に並んでる人いるじゃないですか。
いるいるいる。
あれよくわからないよね。
反審理なんでしょうね、もう1秒でも早く。
いやー、だからすごかったですよ、本当に。
本当に。この措置のおかげで。
あれ、もしもし。
はい、聞こえてますよ。
12歳の雑誌の感想はありましたか。
この本もざっと見ただけなんですけど、話戻るんですけど、
ウェブスポルティーバの記事になります。
ちょうど1992年の猛虎伝、反審対ガス史上最強の2位っていう、
最強の今日は驚くっていうテストになってるんですけど。
それで、10月の過去のところで岡田さん目線の記事が1個面白いのがあって、
岡田昭信はコーチの一言に優勝したい気持ちは気を失せた。
もうあんたパトレックスやったらええやんっていう記事があるんですけども、
この記事は面白いなと思って当時も見てて。
パトレックスがちょっと怪我が強いんだから、10月は4番打ってくれと、岡田さんも。
それで開幕戦以来のホームランとか10月の3日とかに打ってるらしいんですけども、
その中でパトレックスちょっと良くなっていたから、1回戦発外れてくれって言われて納得したんだけど、
そのときコーチに直ったって言われたのに、その後行ってあかんかったらまた変わってくれって言われて、
そんなちょいと半端なことできるか?みたいな感じで、パトレックスどうやってくれって言ったらしい。
で、岡田さんはもうそんなんじゃ絶対優勝できひんわって言ったらしいですね。
ベテランとはうまくかみ合ってなかったっていうのがこういうところだなと思って。
この年から自分は野球を乱しましたけど、岡田真由美はお荷物でしたもんね、自分の中のイメージは。
この頃はそうかもしれないね。
負けてる試合1球回で代打で出てきて、絶対に三振で終わるみたいな。
真由美さんも腰が悪かったような気がするね。
代打してもしょうがないんですけど、今考えると。
1992年のヤクルト戦力
昔は最強の一番バッターで、ショートとか守ってましたもんね、最初。
ああー。ショートできましたからね。
ああーすごい。
結構いいショートでしたよ、昔。
うまかったですよ。ショートも全部揃ってました。三拍子揃ってました。
カーもよかったしね。
かっこいいですね。
かっこよかったし。
友根も好きだって言ってましたもんね、イケメンだから。
千年さんは嫌いみたいだけどね。
無視されたとか言ってたんだけどね。
ああー、キャンプで言ってましたね。
急にいたからでしょ、千年さんが。
お疲れ様ですって言っても、誰やみたいな。
ネオさんどうですか。
そうですね。今調べてみたんですけど、
優勝したヤクルトとの差は何だろうかなと思っていたらですね、
当時のヤクルトのメンバーでホームラン数だけで言うと、
広沢が25本、イケメンさん30本、池山30本、ファウメル38本とかですね。
やっぱり圧倒的な打撃の差があるのかな。
こっちはパトリックが22本とか、ヤギが20本くらいかな。
ちょっと日本人の打撃の差が大きかったのかなーと思ってました。
そうですね、確かに。
最後、荒木大介が帰ってきたんですよね。
その辺がうまいんだよな、野村さん。
そこをちょっと仕込みを変えられたとか。
雰囲気を変えるの、そういうのうまいんですよね、野村さんは。
荒木も愛されてる選手でしたからね。
あと、当時のヤクルト、92年はちょうど長島和重がメンバーにいなくて野球留学してたっていうのもありますけど、
足を引っ張る人いなかったっていう。
ドラフトの動向
野村さんが出しちゃったんでしょ、もうあれ。
あと茂はいてもさーって、やりづらいよって言う。
なんか、外国人からジャジンの選手からホームラン売ってましたよね。
へー。ガリクソンから初ヒットが初ホームラン。
こいつやっぱすごいなと思った記憶があったけどね。
そのときすごかったですよね。そのときだけ。
カズシエさんすごいなと思ったのはそのときと、
ジアニャンスに行ってからめちゃくちゃ猛練習して、一回守備がうまくなってたときないですか?
その時期ありましたね。
急にこの人守備うまなったぞっていうのがあったような記憶がある。
そうですよね。牧原の完全治安に行ってスタートかなんかでいましたもんね。
ドキドキして見てましたけど。
もう今や野球選手やって覚えてる人の方が少ないかもしれない。
覚えてる。
タレントってイメージなんでしょうね、たぶん。もちろん野球選手やけど。
面白いおじさんですよ、ただの。
その池山さんも監督ですもんね。
楽しみっちゃ楽しみだったな。
あとこの年、最後の最後、シーズン終わってからのドラフトで、松井秀樹を外すっていう。
最後の最後でやらかすのと。
当たり口あったのに、最後の2枚に。
ここも撮ってればあれでしたね。全然違いましたね。
いちろうに松井?
逃してますよ。
いちろう、松井を撮れたんですよね。
いちろうとか松井とか撮って、清原とかも撮ってたらえらいことになってたよね。
いちろう、松井がいたら清原来ましたよ、たぶん。
そうですね。91年の時、いちろうもいましたけども、金鉄の用意に中村則がいるんですよ。しかも大阪。
大阪のスカウト何してたんやって話だもんね。
当時そんな感じでしたよね。
全部やっぱり関東のところに行きましたよね。
それに野望とかまで撮ってたらすごかっただろうな。
そうですね。野望も行ってましたよね。
野望行きました。外れて火災。
まあ今のスカウトですけどね。
でもわりといけないですよ。
佐々木和弘大魔人もいたんですけど。
外しての火災。
いい選手なんですけどね。
いいんですけどね。今もスカウトで頑張ってもらってるんで。
頑張ってましたけど。
たていし君が引いたときのスカウトの部屋みたいなの見てない。
まだ見てるんだ。
まだ見てください。火災さんだけおだやかにみんなバーンって立ち上がってガッツポーズしてるんだけど、
火災さんだけ座ってるんですよ。
ほんまに温厚な人やなって思って。
ここ数年そういう構図ですよ。火災さんがいつもおだやかに。
他の人たちはもう喜んで立ち上がって、よく後で握手したりとかで。
一人だけ座ってんぞって思った。顔の白い。これ火災さんやみたいな。
その火災さんが92年開幕投手ですからね。
そうですよね。
まあね、150キロ投げるピッチャーでしたもんね。
いやいや、どこがやや話ですよ。
南東でしたよね、確かに。
コントロールで打ってたような気がしますけど。
その頃法制多かったですよね。
法制多かったですね。井の又もそうですよ。
面白いですね、でもどうなるのか。
92年のドラフトでは6位で塩谷和彦っていう選手を取ってます。
後にちゃんと副益してます。
めちゃくちゃ悪かったですからね。
めちゃくちゃ悪かったです。ルパンと呼ばれてて。
ロッカーからちゃんとお金がなくなるとか必ず言われてた選手ですね。
いろんなチームでお金がなくなるっていう。
選手にはちゃんと塩谷には気をつけろってちゃんと言われてたです。
選手内では言われてたらしくて。
後々不動産詐欺か何かで捕まったんですか?
そうですそうです。詐欺で。
噂に聞くと、副益中で一緒に知り合った人もまた再度詐欺で捕まったという噂もあるし。
どうしてもないじゃないですか。
なかなか本番に悪かった気がしましたね。
92年のドラフトで取った人で活躍した人いるんですかね、ある程度。
いや、4位の片山大輝さんは活躍しなかったけど、今コーチで活躍してる。
そういう意味ではないですか。
唯一です。
だから本当にこの年から野球を見たから、ドラフトっていうのはあんまり期待しちゃいけないんだなっていう固定概念が植え付けられましたね、そのときから。
今のドラフトとか見てたら、何してたんやろって話ですよね。
本当ですね。5位に山本幸政って堀越高校から入ったピッチャーなんですけど、
このピッチャーは結局2軍でも1試合も投げずに。
1回も野球の試合を出ず、辞めてます。
それだったら自分でもできますよ、だったら。
しかも当時の堀越とか言ったら、どうなんですかね。話題性で取っただけみたいな感じもしなくて。
甲子園の選抜高で松井秀樹と対戦した。
ここで結構、このピッチャーって見られたみたいですよね。
どういう編成だったんですかね。
選手の活躍と苦悩
まあでも結構負の連射かもしれないですね。
弱かったし、即戦力を育てるみたいな感じも取れないから、
大学社会人ぐらいの人を取っていってみたいな。
そういう循環でしたね。
大学社会人のまあまあのやつを取りに行くっていう。
もうピッチャーも即戦力欲しいで、目先に飛びつくっていう。
で、結局イマイチでみたいな繰り返しか。
その辺伸びしろがないからね。ずっと活躍しないんですよね、結局。
応急処置みたいな感じで終わるから。
で、トレードで遠のすぎた選手を取ってきてすぐスタメンで使うんですよ。
全然ダメじゃないですか。
それ話ずれるけど寝ちゃいましたよね、さっきの古屋さんも。
でも笠原純一さんとかもそれに近くないですか。
近いです。
よく神山慎二郎が出てきましたね、そういう環境の中で。
あーそれはあるな。
しかも慎二郎さんは高卒やからね。
二人ともそもそも期待されて取られてないんですよね。
西日本短大附属と鹿野屋体育大学の中央高校。
二軍で一生懸命やってたんでしょうね、この二人もそうですけど。
そうやね。
そこが良かったんだろうな。
そういう悪循環のコツコツをやっていくタイプだったんでしょうね、この二人も含めて。
亀山さんも高卒やったっけ。
高卒ですね。
そう考えたらその二人すごいな。
慎二郎なんか3年目ぐらいで出てきてるしね。
なかなか阪神の野手で高卒で活躍っていうパターンはないですからね。
今もちょっと苦しんでるぐらい。
まあね。
今も岡田くん、はいはいどうぞ。
すいません。当時私もライバルの巨人のほうには、高卒の岡崎とか駒田とか吉村とか、野手が出てきてものすごく羨ましかった。
レジェンド級ですね。
そういうパターンになるかな、嬉しかったなという記憶がありますね。
ああ、なるほど。
また育ったほうだった。
まあでも亀山さんはあんまり長くなかったもんね。
で、慎二郎さんは出ていったしね。
挙句の果てにメジャー行くとか言ってびっくりしたからね、ほんまに。
ジャイアンツだったかな。
ジャイアンツでしたね、確か最初。
でもヨーバンとか売ってなかったっけな。
ヨーバンも売ってなかった。
企画外の選手でしたね。
慎二郎は阪神が結構えらい金額でメジャー流出を阻止しようとしたけど、
ニューヨークメッツだ、最初に行ったのが。
メッツに行って、1年契約でメジャー契約する最低の2,000万円で行っちゃったと。
金より夢ということで。
まあでもそんな感じの人ですよね、今から考えたとき。
すごいですよね。
プライベートでも何億か取られてなかったっけな。
知りません?
海外に行ったときに。
プライベートでバリッドとか行ってたじゃないですか。
バリッドなんか遊んでましたね。
そのときにマネージャーみたいなのがついてて。
ああ、取られてた、取られてた。
ほんまに10億ぐらい取られてたんちゃうかな。
そういうことじゃないんでしょうね、もうね。
おかせっきりにしてたら全部取られてたみたいな。
通訳がね。
いっぺいちゃんパターンですね。
いっぺいちゃんパターンですね。
結局行動力だけなんですよね、この人はね。
いい意味で。
大高知志穂さんやったっけな。
ああ、いたいたいた。
彼と結婚してましたよね。
フラリオンガールやったかな。
そうですそうです。
離婚して、「もう結婚はいいです。」って言ってますもんね。
今も顔が整形してあるもんね。
だから今回このベースボールマガジンに表紙が新庄亀山で、
妻とか全然詳しくないから、これ通販で買ってこんなのを買ったのみたいな。
これ新庄さん?みたいな。顔全然違うじゃんって言ったんですよ。
まあ確かに違う。
そうですね。全然違いますね。
そうなんですよね。
でもちょっと夢を見させてくれた都市ですね、これね。
そうですね。
本当にこの都市のおかげで今も反進派をやらせてもらってるんですよ。
キャンバスさんのおかげでね。
この都市があったからこそ、この後の本当の暗黒時代も乗り越えられたんですね。
ちょっと一服だけさせてもらったからね。
そうですよね。
これなかったら本当にずっともっとしんどかったもんね。
しんどかったですね。ほんと落としますよ、本当に。
だからいまだに語り継がれるんでしょうね。
そうなんですよね。
だからあれですよね、少々のことじゃめげないですもんね。
逆に変な免疫つけてつくすいちゃって、今年みたいにあんなに強い反進を見るのが、なんかほんと言うとちょっと違和感あるんですよ。
違和感が強すぎて、なんかちょっと…
これを望んではいたんですけどね、こういう。
いざ本当に強かったら、本当に強くなっちゃったって感じですよね。
安心みたいな感じですね。
はい、そんなとこですかね。
はい。
またちょっと違うテーマでもね、今度もやってみましょうか。
はい、ありがとうございます。
今日はありがとうございます。
はい、ありがとうございました。