オールド回の開始
はい、みなさん、こんにちは。お久しぶりです。オールド回、久しぶりにやりたいと思います。
MCは、みこしばです。よろしくお願いします。
今日は、まずメンバーから紹介していきましょうか。
まず、12歳で現金退散です。
はい、よろしくお願いします。12歳で現金退散です。
はい、よろしくお願いします。久しぶりですね。
はい、お久しぶり。私も前回のオールド回以来なんで、よろしくお願いします。
今年で初めてですね。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
続きまして、ねおたろうさんです。
はい、こんばんは。ねおたろうです。よろしくお願いします。
みなさん、こんにちは。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
続きまして、ザルダンさんです。
はい、よろしくお願いします。ザルダンです。
ザルダンさん、今年もよろしくお願いします。
今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずちょっとこの機会が来ましたね。
今日は1985年ですね。
阪神大学って90年の歴史を誇るんですけど、
日本一12歳さん何回なってましたね、阪神大学。
いや90年あればね、片手でも十分たりますね。
ヒントはあれですよ。
4人で巨人号が22回か23回になるんですよね。
全てその半分ぐらいでもやっておいてくれれば。
ジャルドやっぱり正解は何回でしょうか。
残念ながら2回という。
1回は皆さん2023年直近覚えてらっしゃると思うんですけど、
初めてっていうのが1985年。
日本一大学が90年の歴史の中で初めてなった年なんですけど、
今日のメンバーはあれなんですけど、
最悪キャストのメンバーだったら、
まだ生まれてない人とかもいたりすると思うんで、
このお互いでその辺をしっかり喋っていきたいと思うんですけども、
まずあれですかね、
これ喋るきっかけの一つになったお便りちょっと先に行きましょうか。
寝太郎さんいる?
リスナーの思い出
笠広さんからいただいてまして。
じゃあこのほかで読み上げさせてもらいます。
お願いします。
はい。笠広さんからのお便りですけれど、
こんにちは、笠広です。
85年ですが、とにかく阪神が強かった印象です。
大差リードされても打ちまくって逆転した思い出があります。
三好芝さんもやけど、中継自体が、
阪神が日本シリーズに出るので、
11月めちゃめちゃ寒かった記憶があります。
あと野球全般の話だと、父親との絡みが多いです。
虎吉の父、半期オリックス好きの俺、
全く認めないなどありまして、
数少ない中継で阪神の試合がないときでも、
パリーグはつまらんと見せてもらえませんでした。
いっちがトイレに行っている間にチャンネルを変えてみたりもしました。
みなさんの野球と父親とのエピソードも聞いてみたいです。
これからも放送を楽しみにしております。
ということです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
これで何気なく1985年っていう言葉が出てたので、
ちょっとこれを特化して喋りたいなあっていうのもありまして、
このテーマにさせてもらったんですけど、
塚田兵衛さん、いつもありがとうございます。
塚田兵衛さん、でもあれですね、
オリックスファンって書いてますね。
お父さんが阪神ファンってことですね。
みなさんですか?
兵衛さんはお父さんが阪神ファンですね。
そうですね。
あ、阪神ファンですね。
昔は巨神が好きだったみたいなことは聞いたことあるんですけど。
あるでしょ。
大長島映画館とかじゃないんですけど。
そう、それと巨神の星が好きだったみたいなことは聞いたことありますね。
うん。
みようとことかは?
私たちは実はめちゃめちゃ巨神ファンなんです。
やっぱり東京に住んでいて、私の父も都市なんですけど、
豪楽園でキルオーカーを見たとかですね。
こういう話を自慢気にするぐらいの巨神ファンだったです。
ジャルダンさんのところはどうですか。
うちは実は父親は全く野球に興味がなくて。
その方もありましたよね。
家族、誰も野球を見る人がいなくて、私だけでした。
北海道ですよね。
北海道で。
周りはほとんど巨神ファンでしたね。
巨神は来ますもんね、確かに。
そうですね。
巨神しかテレビで映らないのと、たまに来る巨神船で札幌市のホテルが満員になるっていう、
満員室になるっていうのがずっと北海道の伝統、札幌の伝統でしたね。
確かにね。
北海道でいうと、今や日本ハムとかが本拠地に置いてます。
昔はちょっと野球になかったですもんね。
なかったですもん。
そうですね。
なんていうかね。
それながら、ありながら巨神ファンですね。
そうなんですよ。
すごいなと思いますよ。
どうぞどうぞ。
いいとして、ありがとうございます。
ありがとうございます。
お題もう1個言っておきます?
あ、いいかい。
次はリーダーナオさんのお題。
はい。
はい、お願いしていいでしょうか。
じゃあ私、JALさんの方から読ませますけども、
リーダーナオさんから今回も笑わせていただきました。
結局半身ファンはマゾ体質ってことですね。
野田さんのトレードがずっと謎で答え合わせができました。
ありがとうございます。
というお便りでした。
ありがとうございます。
1985年の阪神タイガース
1992年だったかな。
その後にもらった記憶があるんですよね、これ。
マゾ体質、そうですね、暗黒でしたからね。
でも野田さんの話、僕とかJALさんが聞いてたやつが
正解がわかったっていうのが嬉しいですね。
そうですね。
こんな感じでお伝えいただけたら、
反応いただいたらやっぱり嬉しいですよね。
そうですね。
また、こんなのやってほしいとか、
そんなんでもいいですね。
感想なんかもいただければありがたいです。
よろしくお願いします。
やっぱりありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
じゃあもう早速やっていきますか。
1985年なんですけど、その前から言ったほうがいいかな。
一応1985年は吉田芳代さんが監督になったんですけど、
その前が安藤武藤さんが遡って3年監督をやってるんですよね。
その前が中西ふとしさんで、
その前の年がゾンブレイザーと、
途中から長西ふとしさんという感じなんですけど、
僕たぶんね、物心ついてある程度見出したのがこのブレイザーぐらいなんですよね。
あー、はいはい。
で、安藤さんの印象っていう。
12歳さんがわかるのか。
いや、ほぼほぼあまりないというか、
私が今日話す85年も全然3歳なんで、
実際リアルタイムで体験してたわけじゃなくて。
それで喋られても困るぐらい。
後から後から入れた情報なんですけども。
安藤武藤さんが吉田監督の前で、
85年の優勝の、ひょっとしたら土台とか素地を作ってたのかなっていう風なイメージなんですけども。
でもね、小林シュシュゲルさんが引退したり、
藤田大良さんが引退したりなんで、
まあそこの世代交代とも重なってたのかなーとか思ったりしますね。
うんうん。
これから座ってて、
ヒラルダンさんは?
僕も安藤さん、
中西ふとしさんの後に3年やってるんですけども、
阪神の監督が変わるときって毎回そうなんですけど、
まず誰になるかっていうので大騒ぎしますよね。
そうですね。
で、安藤さんがなるときは、
もともとかなり将来の有望視されてたみたいで、
確か二軍のコーチかなんかやってたんですけど、
安藤さんってなったときに、
急にマスコミが手のひら返すじゃないですけど、
かなり期待が高かったんですよ。
で、これまで吉田さんとか這い抜きの人がいっぱい出てて、
急に安藤さんになったときには、
もうタイガースはスター選手は監督になっちゃダメだと。
監督が目立っちゃダメだっていうのが言われたのが安藤さんからでしたね。
安藤さんのとき。
そうですね。どっちかって言ったら地味でしたもんね。
地味でした。
それでかなり期待されてたんですけども、
さっき話してたように小林茂さんがいっぱいしたとかね、
藤田太良さんと学習があったとか、
そんなのばっかりでしたね。
なんかスマートな感じ。
安藤さんは慶応だったよね。
慶応ですよね。
やっぱりもともと将来という部分で融合されてた人でしたもんね。
なおかつ茨城がどこか地震なんで、
土浦なんで、関西とは全く元々縁がなかったってことなんですよね。
モテコテって感じじゃ全然ないですよね。
全然ないですよね。
どっちかって言ったらスマートな感じにしてましたね。
わかります。
安藤さんからぐらい、安藤さんが選手を全部くん付けで呼んでたんですよね。
そうやわ。
いまだにたまに出てくるじゃないですか、YouTubeとか。
出てきますね。
なんとかくんって言ってますもんね、まだ。
その長稲田さんとかもくんを言ってましたもんね。
そうですね。
会社とかはよく怒ってましたけど、くん付け少年みたいな感じで怒ってましたね。
当時平田さんとかが若手でいたんですけども、そこで非常に鍛えられたって感じみたいですよね。
もともと真由美さんが移籍してショートやってたんですけども、
平田さんが入ってきてショートになって、真由美がセカンドっていうふうに安藤さんのところでコンバートしたみたいですね。
岡田さんがガイア守ってるというのが基本みたいですね。
こんなに当時ってあんまり特徴はなかったんですけど、
でも、あんまりスマートなイメージがあって、
星野さんとかみたいな熱血感とかではなかったんですけど、
そういう感じではありましたね。
マスコットもうまくやってた気がするけど。
そうですね。
意外に憧れられた。高橋よし子さんとか安藤さん、関心フォアに安藤さんのフォアに行ったと思うんですけど。
そうですね。
意外にフォアも多い人でしたね。
また喋りながら思い出したら言いましょうか。
2年目、83年にランディ・バースという神様がやってきてるんですよね。
あまり活躍できてなくて、もう逮捕されるかって言われてたところを星野さんが見込んだというか。
力使えるんじゃないか、これっていう感じからスタートしてるんですけど。
もともと来日してすぐ怪我してなかなか出れなかったら一瞬したんですよね、バースが。
それでまたかっていう感じにはなったんですけどね。
これも有名な話ですけど、本当はバスなんですね、確かね。
そうですね、バス。
阪神電鉄が母体やから、バスじゃあかんのなんでやったっけ。
あれですよね、バス大ブレーキとか打てなくなったらみんな死んでるとか。
そうですそうです。めちゃくちゃ書くんで、書かれるんですよね。
だからバースみたいなね、確かに。
売ってバス爆発とか書かれてもっていうところがあったっていうのがありますよね。
運輸系やからちょっとそれを考えなきゃいけない感じだったんですよね、確かね。
1985年なんですけど、まず監督が吉田芳生さんになりまして、
このときの選挙会長は岡田清彦さんですね。
で、何が変わっていたのか。
プログラムが、UFOフレッシュファイトフォーザチーム、これ何年か続いてるやつでしたっけ。
92年もこれでしたね。
そうですね。
で、安藤さんと吉田さんちょっと変えていきます。
これクイズ会にもあったんですけど、ヘッドコーチが元太陽の監督なんですよ、太陽ホエールスの土井清志さん。
はい、キャプチャーだった人ですね。
そうですよね。
で、ピッチングコーチが350周上げた米田健太さんですね。
去年いろいろ話題に出ましたね。
レディングではあるんですけど、去年ちょっと違うビジネサー代わりに出してしまったっていうのが米田さんと。
あと打撃コーチが、これ多分ネオさん結構好きだったと思うんですけど、黄金時代のナミキテロさんですね。
ああ、ナミキさんですね。
で、守備総理が僕結構好きなんですよ、市枝秀平さん。
で、まずセンターラインを結構強化したということで、これまでキャッチャーがちょっとベテランに使ったりしてたんですけど、
1985年プロ野球ドラフトの振り返り
法政大学からドラフト1位で入ってきた鈴野さんをバッテキするっていう感じで。
真由美さんがどっちだったっけ。
真由美さんがですね、この年からライトに行きますね。
ライトに守ってた岡田さんがセカンド。
セカンドとライトが入れ替わるような感じですよ。
とにかくセンターラインを結構強化したっていうのと、あと安藤さんの時まで、よく考えたらキャンプ地が真由美校やったんですよ。
はい。行ってましたね。ありました。
飛んで、何をしとんねんということで、ここからコーチのアキに変わります。
遊んでる場合ちゃうと。
というところからスタートしてますね。
コーチ陣を一振してですね。
この時、コーチもですね、もともと吉田さんになる前に、85年西本幸男さんにお母が行ってるんですよね。
そこで断られて吉田さんってなって、結局時間もなかなかないところで、吉田さんが集めた土井さんとか米田さんとか、ほとんどプロ野球ニュースの解説者だったんで、そこから取ってきたっていうふうによく言われてたんですよね。
吉田さんも地元の解説役だからね。
吉田さんもプロ野球ニュースで解説役だったんで。
まあでも結構優秀なコーチ陣でしたね。
そうだったと思います。
一応前年のドラフトに行っておきましょうか。
はい。
これいっぱい言ってますけど、1985年度から使う予定だったんですけど、ドラフト1位は島田アキレス。
島島高校。和歌山の島島高校ですね。
第2位が佐藤秀明さん。
日立製作所のピッチャーでここにね。
第3位が和田豊さんですね。
第4位が第1位の兄貴の島田グレイトさんですね。
島田グレイトも金属出身ですね。
第5位が大野ひかひさんですね。
はい。
大野ひかひさん。
第6位が山口優恵さんですね。
はい。岩倉高校。
岩倉高校。
これ選抜だったっけな。どっちか優勝してますね。
選抜でPLに勝って優勝してますね。
PLに勝って優勝したピッチャーですよね。
ドラフト外で横谷壮一さんと海藩紳の、職員やってましたよね。
高校。
和歌山南高校ですね。
あと中谷忠美さんですね。村野工業といって。
そういうメンバーが入ってきたと思います。
選手とコーチの関係
メンバーは1985年に出てないですよね。
そうですね。
このドラフトで何かありますか。
前にやったかこれ。
まあ行ってみましょうか。
これ開学当時誰やったか覚えてます?
覚えてないですね。
実は結構吉田さんで抜擢するんですよ。
2年目の池田知佳深さんなんですよ。
首都圏がカープにさよならまで来たらしいんですよ。
そういうものなんかよくないところからスタートして、
でもこの後も巨人三連戦かなんかで負けてたんですけど、
これ有名なコーノ落球時期のご存知ですか。
はい。巨人のコーノですね、ショート。
普通のショートフライを落球したんですよね。
それでたぶん逆転勝ちしてから勢いがついて、
コーノ落球っていうのが有名になって、
そこからコーノさん、パレントになりましたもんね、ショートレギュラー。
そうですよ。
あと、吉田さんが抜擢の中で大事にしてたのは中西強さん。
はい。
使い始めたのと、あと左ピッチャーでマイク中田。
はい。中田浩二。
今まで使ってた工藤和彦さんと中田芳次郎さんが、
調子悪くても安藤さんの時は使われてたんですけど、
調子悪かったらそんなん関係ないってことで、
ボンと身分に落とすっていうのを、
こういうとこは多分奥原さんとかが引き継いでるんかなーってちょっと思ったんですけど。
はいはい。
吉田さんがめっちゃ大事にしてたのは、コーチと選手と、
これもめっちゃ奥原さんに似てるんですけど、
要は直接じゃなくて、選手が徹底的にコミュニケーションで配格を図る。
めっちゃ大事にしてたんですよね。
自分がいきなり選手に落とし込むんじゃなくて、
コーチに動いてもらうっていう感じで、めちゃくちゃ大事にしてたみたいで。
ずっと勝ち続けてたんだけど、ざっくり言うと、
1月にカープに3連敗をして、首位転落するんですよね。
はい。
で、走行してるうちに首位あったのに、
首位の広島と4ゲーム差になるっていう感じ。
はい。
もうこれであかんやろうと思ってたら、後半戦が急連勝から。
盛り返していって、死の労働。
今あんまり死の労働って言われないですけど、
夏場の甲子園に高校野球があるので、高校球児に引き渡さないといけないから、
もう約1ヶ月間ずっと高校野球に戻ってこらないというところで、
ずっと遠征になるんで、死の出てたんですけど。
ずっと負けっこしてたんですけど、この年だけは7勝7敗で、
5部やったんですよ。
で、覚えてらっしゃると思うんですけど、この期間中に、
旧団社長の中野さんが、ジャルの通学事故で亡くなるっていう不良の事故もありましたね。
この死の労働中にみんなが闘技に出て、優勝を誓うみたいなこともやってましたね。
調子は良かったんですけど、1985年に確立したのがリリーフエースが、
先発だった山本克之さんがリリーフに回ってずっと活躍してたんですけど、
9月4日の一番優勝に向けて言うときに、アキレス圏を断裂してしまうんですよね。
さえどうすんねんってなったときに、また中西さんが回ってきて。
阪神タイガースの試合のエピソード
この年、最初から山本和之と中西って後ろの方をやってたイメージ。
ダブルストッパーに近い。
ダブルストッパーでやってましたね。
だったと思うんですよね。
ダブルストッパーとか、そんなの結構走ってやったんちゃうかなと思うんですけど。
そうだと思いますよね。
まだあんまりリリーフだとか、その前のヘッドアッパーとかっていうのはあんまり確立されてない時代だったんで。
そうですね。
最終的には10月の、さっきにざっくり言うと10月の16日にヤクルト戦の人狗戦で残られたアーセンとヤクルトで延長10回、5対5の引き分けで、
21人目に3度目のリリースが決定されました。
優勝ですね。
バーストかけ方のバックスクリーンとかもありましたね。
そう、それがあれですよね。さっきのコーのラッキューした次の試合。
これ見てました?
見てました。テレビでですけど見てましたね。
見てた記憶があります。
解説は上草さんですか?違いますか?
実況そうですよね。
全部の放送がストレーカーかどうかわからないのであれなんですけど、僕がずっと見てて、今でも多分繰り返し放送されてるのは上草さん。
これも行くのか、これも行くのかってやつ。
クロマティは追わないってやつですよね。
あれも秋原さんでしたよね。
そうですね。
秋原さんあれだね、3千発も食らってるし。
金魚くんの軽円球。
軽円球に打たれるのも秋原さん。
秋原さんは未だにそのネタで食べてますからね。
秋原さん自体は変なピーチじゃなくてめちゃくちゃNA投資だったんですけどね。
そこにはまっちゃいましたけど。
この都市のバース、カケフ、オカダのバースさんの打率が3割5分。
オカダさんが3割4分。
カケフさんが3割。
バースさんはフォームランが54分。
オカダが35分で、カケフさんが40分。
一番バッタのまゆみさんが3割2分いるんですよ。
1番に34分打ってますから。
すごい。
すごいですよ、打点として。
結果、バースが3冠王にはなりますけども、
打率でオカダさんとバースは結構競ってましたよね。
競ってましたね。
一時、オカダさんも首位出しを取るんじゃないかぐらいで。
超オカダさんが首位出しを取ってたらMVPの目もあるんじゃないかっていう報道もありましたから。
結局この打線の中で打たないっていうのは、
平田さんぐらいかな。
平田起動ぐらいですよね。
そうですね。
もうそれ打たなくても十分前で決めちゃってましたから。
佐野さんぐらいまででも。
佐野さんぐらいまで。
打ってましたね。
3連発が確かに有名ですけども、
一時、広島戦で確か07ぐらいで負けた時から
一回逆転っていうのが確かあって、
本当は個人的にはその試合が一番シェビれてるんですけどね。
そうですね。
一回2点取られて5点取られて07から逆転するっていうね。
もうダメかと思ったら最後からバースが打つんですよ。
これ同じ広島戦なんですけれど、
オールスター前に岡山県営球場で平田さんが。
4技だ。
新人和田さんが4技。
それで勝ったっていう試合がネットではターニングポイントだったというのも見ました。
11対4で勝ってますね、そのとき。
まゆみさんが喋ってるのに聞いてたら、
この頃はピッチャーを抑えるっていうピッチャーがあまりいないから、
とりあえず3点か4点ぐらいまで抑えてくれたら
絶対こっちが打ち返すからみたいな気持ちで追ったみたいなことを言ってました。
2月のキャンプで加計夫さんと話してたらしいですよね、まゆみさんが。
まゆみさんが今年はいけるんじゃないのって。
それなんかあれちゃうかな。
チカチャンネルと知ってる?
池田近穂さんのチカチャンネルってのがあるんですよ。
それでまゆみさんがゲストで出てて、
まゆみさんは今年いけるかもしれへんっていう。
前回から言ってたのも僕は知ってるんですけど、
加計夫さんは後出しで優勝してから、
これもいけると思ったんやみたいなことを言ってて、
これめっちゃ後出しやんっていうのを池田さんが言ってたのが分かりましたよね。
この前がちょっと儚かった。
まゆみさんと若奈さんは同じ高校だったんですか?
はい、柳川小学校ですね。
安平、自分は本当に地元なんで、
僕ね、小学校6年か中学1年なんですよね。
でもやっぱりめちゃくちゃフィーバーになってて、
学校でもやっぱりハンシーン・タイガスの話題がいつもすごくて、
タイガスクスでも僕喋ったことあると思うんですけど、
ハンシーン・ゴッコっていうのがめちゃくちゃ学校で流行ってて、
何個かあるんですけど、1個が、わかるかもしれないけど何が面白いかわかんないんですけど、
休み時間とか何かの時に誰かがテーレーレーレーレーレーって、
全員で机とかドーンドーンって叩くんですよ。
テーレーレーレーレーレーレーダーダーって、
テーレーレーダーレーレーレーダーみたいな感じでやるんですけど、
それやりすぎて先生に怒られたっていうのがあります。
もうそれ禁止やんみたいな感じで言われてるんですけど。
前身ダンスとかもめちゃくちゃ流行りましたね。
みんなで右行って左行って、これも何が面白いかわからないけど、
やってましたね、学校でも。
関西以外はどうやったんですかね。
でもワルワンさんとかは別に周りで反転かーとか言う人もおらへんやろうから。
あの頃不安でした?
この頃はもう20歳ぐらいかな。
東京に出てきたんで、
北海道にいるよりはちらほら阪神ファンがいるかなぐらいの感じですね。
周りにこの人も阪神ファンやっていう人もおったってこと?
いましたね。
当時、ライトスタンドっていうか、
甲子園で言うとレフトスタンドの応援団でトランペット吹いてるような人たちって、
今よりもちょっとから悪かったですよね。
ちょっとじゃないですね。
近くによく、
当時まだ東京ドームができる前なんで、
高楽研究所にタイガースが来たらトランペット吹いてるような人がいて、
公演で一生懸命練習してる人がいたんで、
ちょっと近寄れなかったですね。
同じ阪神ファンとしてでも近寄りたくなかったって感じでした。
東京で。
阪神のトランペットで練習してるんですか?
練習してる人がいたんですよ。
近づけないですね。
三太郎さんはどんな感じでした?
まだ私も大学で大阪に行く前なんですけど、
ラジオ中継を聞こうとしても、
ラジオが長崎のほうではタイガース聞けないので、
福岡のチャンネルをAMにひねって、
わずかに聞こえる放送を聞いていた記憶がある。
福岡をやったら、中継ネットでやってたってこと?
福岡はAMで何曲かあるんで、やっていたみたいです。
長崎はAM1曲だけだったんで、
1985年の野球回顧
なんとか雑音入りを聞いていた記憶がある。
この年ですけれども、
打線はもう皆さん知ってますけども、
大主人って、先発ピッチャー、ローテーションとかって結構記憶あります?
ああ、ローテーションですね。
ミールとか。
ミールだけか。
ゲイルは一年通して投げてましたよね。
池田も投げてた。池田近藤さん。
で、さっきの吉田さんの、
あかんかったやつボーンと落とすけど、
またいいところで中田よしひろを上げてきたりとか、
不動産を挟んだりとか。
中田よしひろは最初、
あまり、途中からですよね。
最初落としたって言ってました。
途中から出ていい働きしてましたけどね。
してましたね。中田よしひろが結果12勝してますからね。
そうなんですよ。だからローテーションじゃないんですよね。
ないですね。
繋いで繋いでそのダブルストッパーじゃないですけど、
それどうなるかという感じでしたね。
で、間ダブルストッパーまでの繋ぎで、
福間さんがもう年中投げてる感じですよね。
福間さんっていう左ピッチャーがいて、
中継ぎでもう毎日のように出てくるという。
ローテから来ましたね。
ローテからトレード。
深沢とトレードかな。
確かに両方ともカッタイプしたんですよね。
深沢っていうアンダースローのピッチャーがパッとせず、
ローテに行ったらもう先発で。
先発で結構投げてましたね。
福間さんはあれなんですよね。
本当に普及な肩が出来上がるって言ってましたからね。
あとはあれですよね。
緊張に残ってるのは俺。
この人がローテぐらいじゃないですか。
ローテですね。
昭和49年にローテが日本一に金田監督で優勝した時に、
日本シリーズのMVPですね。
平田さんで。
渋かったですね。
2番でセンター守ってたんですよね。
センターはあと北村が出たりとか。
鉄砲型ですよね。
鉄砲型めちゃくちゃ堅く強いという守備が良くて。
センターゴールとかやってなかったですか。
やってましたね。
名古屋球場でね。
鈴木高雄がセンターゴールをやられてて。
センターゴールってないよね。
ピッツァー団であるかもしれないけど。
北村、テルフミって言ってもともとタイガースでテルと言えば北村ですからね。
そうですね。僕らで言うとそうですね。
テルと言えば。
テルと言えば北村。
この北村に関して言うとですね。
いまいちレギュラー取り切れなかったかなっていうのがあって。
なおかつ途中で西部にトレードで来たんですよ。
西部でかなり活躍するかなと思ったら。
結構ポカをやらせちゃったりとか。
総類でエラーしたりとか。
しちゃっていまいち信用がなくなっちゃって。
総類ミスしたときに東洋がボロクソ言っちゃって。
初戦半身から来た選手ぐらいみたいに言っちゃってるんですよ。
ちょっとカチンときましたけどね。東洋が。
でもちょっとよく半身がありがちなちょっと大きい選手でしたね。
そうですよね。
意味も持ってるんだけど。
あと年間通して活躍できないというか。
そうですよね。
結構走行手揃ってたんですけど。
たまにフォームランとかも打ってましたしね。
たまに打つんですよね。
あと首位打者取りましたから。オープン戦ですけど。
そうそうそうそう。
オープン戦の首位打者。
そんなに悪くないよね。
多分成績力とかがないみたいな。
あとはあれですよね。日本ステージで勝ち合わせたのが長崎さん。
石組がわりといい相手になってましたよね。
そうですよね。
ワンドリフォームラン打ちましたからね。
第7戦。
でもあのときもステージに勝てるとは思わなかったですけどね。
日本ステージってめっちゃ強かったよね。
めっちゃ強かったんですよね。
いろいろ今になってみたりすると、
ひろうかさんがこの年でもう辞めるっていうのを決まってて、
85年の日本シリーズにはちょっともうやる気がなかったっていうのが書いてありましたね。
松沼兄弟とか投げてましたよね。
松沼兄弟有名でしたね。
日本シリーズの第1戦が松沼兄が出てきましたから。
タウン出てた時代ですよね。
タウンもいました、西部に。
ヒラノとかも。
ヒラノどんな感じでしたっけ。
いましたね。ただタブチが引退したんじゃないかな。
いましたかね。
タブチさんはいなかったのかな。
いないんですよね。ちょうど前の年で辞めたような感じで。
この年の日本シリーズに、
解説者席に小林さん、えなつ、タブチと半身を覆われた人たちって言ってて。
言いましたね。
途中で今見てたら、夏、8月に一度3位に落ちてるんですよね。
広島ジャイアンツに抜かれて、そこから9月に盛り返していくっていう感じですけども。
来ましたからね、この年は。
とにかく打ちましたね、確かに。
ダイナマイト打戦とも言われてたような気がします。
本当に昔ダイナマイト打戦やったんですけど、ダイナマイト打戦に復活みたいな感じですね。
でもですね、結局この年、我々見てる方とすると、
半身は優勝してる姿を見たことないわけですよ。
21年ぶりですかね。
21年ぶりです。
だから最後の最後まで優勝するかどうかっていうのが、信じられない感じで。
どう喜んでいいのかわかんない。
もう喜んでましたよ。
トートンボーリー偉いことになってたし。
そう、トートンボーリーに。
だから喜び方がわからんからめちゃくちゃになってましたね。
優勝したことないですもん。
どう喜んでいいかがわかんないっていうね。
今ちょっと思い出しましたけど、戦争を知らない子どもたちの替え歌で優勝してないと言ったような気がします。
言ったことあります。
有名な人が歌ってなかったと思うんですけど。
誰だったの?
結局先ほどお便りにも、半身は魔女退出ってありましたけど、
この年どう喜んでいいかわからず優勝はしましたけど、
このあと長い間暗黒時代が来るわけですよ。
暗黒なんて思ってました?
思ってないわけですよ。また次の年も優勝かぐらいに思ってて。
結局その後にまた暗黒時代が来て、2003年までずっと18年間優勝できないわけですから。
いつの間にか負け減るのが普通になってくるっていうかね。
あの後もっとひどくなりましたからね。
もうどうしようもないくらいひどくなりましたからね。
あの後はひどかったもんな。2003年ほんまによく優勝したなと思ったんだ。
2003年なかったらほんまにどうなってたんだろうぐらい。
本当は今が非常に強いじゃないですか。
この姿を望んでたんですけども、正直言うとなんか落ち着かないっていうのが、我々。
僕もそうです。
田松さん来られましたでしょうか。
はい、いらっしゃいませ。
申し訳ございません。遅くなりました。
申し訳ございません。
どうぞどうぞ。進めちゃってください。
1985年について語ってます。
はい、わかりました。
おいくつでしたでしょうか。
まだ8歳とか9歳ぐらいじゃないですか。
その頃まだ反省不安じゃない?
まだ全然ですね。
中学旅行がそうなんですかね。
それは中学中2のときなんで、まだちょっと。
ヤクルトのホーナーが気になってましたね、当時。
ああ、ホーナー。
でも風の噂で優勝したのは知ってましたね。
風の噂でカーネル・サンダースが流したやつとかは知ってました。
っていうのも風の噂で知ってましたね。
あれは見つからんかったもんね、30年も。
なんで兵庫県三宅の大阪の道頓堀でみんな集まって、川から橋から飛び降りたのね。
こうした周りに集まるところがないからってのもあるんじゃないですか。
それで言うと、私がこの85年のフィーバーを目の当たりにしたのって92年なんですよ。
92年に、これもまたちょっと懐かしい話なんですけど、
昔って野球中継って東京ドームだけだったから、
雨が降ったら代わりに送る番組みたいなのあったじゃないですか。
その雨傘番組でちょうどタイガースの試合が、
昔広島って割と福島とか地方遠征してて、
なぜか福島かなんかでやる予定だったのが雨で中断か中止で、
その間にタイガースの85年の栄光について振り返ってみましょうみたいな印象を争いしてるから。
そのときの85年の特番みたいなやつを流してたのと後で見て、
え、これ阪神って優勝したらこんなことになるんだっていう。
みんなファンで歩こう、歩こう、見通するとか言って、梅田からナンバーまで歩いてるとか。
その中で、さっきの阪神タイガースの優勝を知らない子どもたちっていうのが流れてて。
さっき見たら、リリアンさんでした。
僕も物心ついて応援し始めた頃からずっと弱くて、
92年だけちょっと優勝するかもってなって、こんなになるんだって思ってからまた潜ったんで。
ファンの思い出と社会現象
2003年も道頓堀、結構すごいことになってましたけど、
それよりすごい後になるんじゃないかなっていうのは思いましたね。
あれ、愛しなくされてます?
誰かが。
関西で見てた方が、そういう鮮やかな伝わりじゃないけど、そんなんあるんですか?
雨傘じゃないですけど、優勝したときの試合をビデオで撮ってたっていうのを、
92年に貸してもらって家で見た記憶があります。
野球部の友達が家にあるって言うから、あれ貸してよ貸してよって。
ちょうど同じ感じでしょうね、たぶんね。
球場がすごいことになってたから、びっくりしましたよ。
優勝決まった試合も今日僕いろいろ見てて初めて知ったんですけど、
神宮球場って今も昼間は週末が六大学野球で、平日はトートやったじゃないですか。
阪神の優勝がかかってるからっていうことで、
その日予定されてたトートの青学徒に取材の試合が中止になってるらしいです。
周りが阪神ファンだらけだったんで。
それどころかね。
今年も優勝したじゃないですか。
4時半に入れるんですけど、たぶん5分10分前まで六大学の人たちいましたね。
いつもやってるんですよね。
すごいなと思って、一回仕切り直さないんだと思って。
だからヤクルトの選手とかビジューターの選手とかでも、
外のナノシキ野球場で遊ぶとか。
そうなんですよね。
優勝して嬉しいけど、今年、阪神を一回だけ恨んだことがあって。
岡田さんが今年そういう話をしてたんですけどね。
僕西宮生まれに行ったんですけど、
西宮は小学校と中学校の合同運動会みたいなのを甲子園競技場でやるんですよ。
西宮に生まれたら小学校は高学年、中学校は1年、2年、3年が合同で運動会を甲子園でやるんですけど。
いいですね、それ。
それがシーズン終わってすぐだから、
昔は9月の終わりとか10月の初めぐらいだったんですけど、
阪神が初めて日本一になるもんやから、
11月の半ばぐらいになってしまって、
寒いじゃないですか。
めっちゃ寒いんですよ。
それって学校が決まってて、今もやってるんですけど、今は違うと思うんですけど、
サンコトップも半端やったんですよ。
へー。
それで組体操とかやらなきゃダメ。
めっちゃ寒くて、11月の半ばぐらいに。
サポートがみんな言いながら、寒いし勘弁してや、みたいな感じのことを言ってた記憶がありますね。
面白いですね、その話ね。
今年も多分ちょっと遅くなってるから寒かったと思います。
でもあれは、ちょっと遅くなったって笑い話ですけど、
あれは2周年に生まれたら、応援の牙を組むことができる体操でやるんですよ。
あれはすごい思い出になってますね。
みんなちょっと組体操に途中で月を見て、ポケットに月を入れて帰ったりとか。
ああー。
文化的影響と記憶
月を見てね。
あれはめっちゃ気持ちいいなって思いますよ。
ちょっとそれもありましたね。
そんな話を岡田さんが、どうか大阪でやらないか、ルイポッターに。
そう考えたら結構、上昇までいかへんけど、常に優勝はするチームの場合はなってしまいましたね。
ちょっとね、そのイベント自体を一回考えないといけないですね。
だから結構、パレードとかもちょっとね。
僕も初めて、別にいかんでいいかなと思った。
去年か。
もうどうせまたやるしみたいな。
結局、たぶん仕事の都合でちょっと入れたんですよ。
わざわざ自分から並んでいったわけじゃなかったんで。
確かに。ソフトバンクファンの心境。
その時は、高専にはよく行ったけど、
どっちの童話ゲームも確か多球場でしたよね。
そうですね。
リングやったし。
当時のトコロ沢か。
トコロ沢ですね。
やっぱりジャグダンさんとか、この前クイズ会でコーチの名前とかやってましたけど、やっぱり印象はありますか?
印象はありますね。この時はすごくコーチの名前とか、
コーチの名前とか、
コーチの名前とか、
コーチの名前とか、
コーチの名前とか、
コーチはすごく、監督コーチも一丸って形で、
吉田さんも一丸って言ってましたけど、
次の年からだんだん一人、二人と、
吉田さんと仲戴がえし始めるんですよね。
吉田さんは割と喧嘩っぱいなんですかね。
喧嘩もないので、米田コーチも辞めるし、竹内さんも入ってましたけども、もうボロクソいって辞めちゃいましたからね。
まあまあ、なんかいつもの阪神だって感じになってくるわけですよ、そこから。
この中では、市枝さんは、その後に吉田さんと、吉田さんが第三次の時も、ちゃんとコーチで入ってましたからね。
ヘッドやってたんだろう。
市枝さんとか監督候補にもなってなかった。
監督候補にもなりましたね。
吉田さんの後が村山さんになるわけじゃないですか。
本当は、85年の時も村山さんは、もしかしたら自分じゃないかって感じで、ちょっとソワソワしてた感じの表情をしてましたね。
わー、ちょっと俺監督の印象が悪くないな。
めちゃくちゃレジェンドになってる。
監督としてはね、村山さんはちょっとあれですけど。
だからこの85年は、しっかりまとまってましたけど、そういう先ほどの対話とか、そういうのもありましたけど、
その前に一度、吉田さんが監督やってきた時の報道とは全然印象が変わるっていうか、
最初にやったときはもうボロクソマスコミに書かれてましたからね。
ケチだのなんだっていうのでね。
ケチ言われてましたね。
言われてましたね。
タバコ1本1本に吉田って書いてるっていう。
ホームワーカーとかしないけどね。
この年8月とかにはですね、ルーキーの島田明洋を投げてるんですよね。
一軍で。
投げましたっけ?
何試合か投げてるんですよ。
これまた吉田さん的なバッティー。
高卒ルーキーで、今で言うともうけさまるくんが投げちゃうようなものですからね。
おー、そんな勢いですよね。
ほんまやったら兄弟バッテリーになるって言われてましたからね。
そうですね。
それから胸彦さんがずっと、まだ繁殖に。
はい、まだいるって言うんですもんね。
ピッチャーで入って、結局近鉄でヤシュやってやりたんですね。
ヤシュに転校してますね。
タイガースでもヤシュ、93年ぐらいバイヤー守ったりしてましたよね。
井上前世記でしたもんね。
途中でヤシュに転校しましたから、ちょっと若干個人的には西巡にかぶっちゃうんですけどね。
西巡、がんばれって。
ドラフト1位でね。
ドラフト1位でピッチャーで。
バッテリーくん良かったかも、昔から。
凄かったですね、螺旋はね。
螺旋はすごくて。
この85年っていう年自体が、先ほどの飛行機落ちたりとか、いろんなユースがたくさんありましたから。
社会的な出来事
西部阪神の優勝でね。
そうですよね。夏甲子園ではPLが優勝してますしね。
福田清原で。
あと世間では野球全然関係ないですけどね、ロス疑惑で。
三浦さんね。
持ち切りでしたからね。三浦和義っていう人がいたんですよ、昔は。
若い人は知らないかもしれないですけど。
今はサッカーに慣れてます。
今はサッカーですけどね。
もともと三浦和義っていう人がいて、ロス疑惑っていうのがあって、すごい話題だったんですけど。
今は若い人はちょっと調べてみてくださいね。
今あんなマスコミのおかけ方したらほんまにアウトになると思うんですけど、めちゃくちゃなおかけ方してますね。
こんな感じですかね、どうですかね。
まだ近づき損ねてることありますか。
これあれですね、いざやってみると、たぶん後でもっともっと思い出してくるんだけど。
そうなんですよ。85年って。
ありすぎるよね、これ。
ありすぎて、もう一つ一つが味が濃すぎるから、ちょっと胸が痛いですよ。
初めて言ってちょっと思いました。他の回とちょっと違うなと思って。
ありすぎたら喋れんくなるんやなっていうのをちょっと思いました。
ありすぎてすぐ胸焼けしちゃう感じですよね。すぐお腹いっぱいです。
胸焼けも聞けることがあるので、今回はこれぐらいにしときます。
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。