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This is 令和スタートアップ ソロ編。 この番組は、うまづきベンチャー投資家
Yusuke Asakuraが、スタートアップに関するよもやま談義を一人でつぶやきながらお届けいたします。
ゆるりとお聞きながしください。 今回は、スタートアップには直接関係しない話ですね。
何かというと、人生を確実に変える方法、というタイトルです。
これは、お気づきの通り、完全に釣りタイトルですね。 別に、そんな釣れるかどうかわかんないし、
オーディエンスを集めることを目指している、 ホッドキャストボイシーでもないんですが、人生を確実に変える方法。
ただね、これあるんですよ、実際に。 確信を持っています。
なおかつ、全員では正直ないと思うんだけども、 結構な頻度の割合の人には当てはまる内容じゃないかなと思います。
よく、人生を変える方法として有名な手順があって、
3つあるんですけれども、 住む場所を変えること、時間の使い方を変えること、
人付き合い、付き合う人を変えること。 これが人生を変える方法である。
最も意味がないのは、気持ちを入れ直すとか、 気持ちを改める、考えを改めるみたいな。
そういう自分のものの考え方、 あるいは精神、気持ちに働きかけることだ、 それを変えようとすることだっていう。
そういうことですね。そうではなく、 自分を取り巻く環境を変えなさいという教えがあります。
これは大前健一さんが昔から言っていることで、 おそらく聞いたことある人も多いんじゃないかなと思います。
これは本当にそうだと思いますね。 住む場所を変える、時間の使い方を変える、付き合う人を変える。
ここらへん変わると、やっぱりものの考え方とかって変わるし。
僕なんかも10年ほど前、アメリカに2年ほど過ごすようになりましたけど、
そうなるとね、今までの当たり前が当たり前ではなくなる、 新しい当たり前であったりだとかして。
ものの考え方ってすごい変わりますよね。
そこから日本に再び戻ってきて、またアメリカにいた当時からとも 変わってしまったと思いますけれども。
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3つ、どういう順番があったのか覚えてませんけれども、
大前さんが言うには、一番効果的なのは 住む場所を変えることだと言うことだそうです。
場所が変わると必然的に時間の使い方が変わったりすることもあるし、 付き合う人も変わったりするし。
そういう意味で言うと一番効果があるのかなと思います。
これは今でもすごく意味のある考え方だと思います。
実践的な方法論で。やりやすいかどうかは分からないけれども、 確かに人生変わるなぁと思うんです。
ただまぁ結構ハードル高いじゃないですか。
そんな住む場所を変えろって言われても いきなり引っ越してるもんって話もあるだろうし。
付き合う人を変えろって言われても誰とどう付き合うのって。
時間を変えるっていうのもね、これもまた結構気持ちに依存するというか、 こういうふうな時間配分にしようって決めたところで、
なんだか日々過ごしていると元の時間の使い方に戻ってきてしまうみたいな。
そういうことを思うと、正しいんだけれども結構実践が難しい。
なかなかできることではないんじゃないかなというふうに思います。
この点で言うとですね、僕の考える最新の人生の確実な方法を変える方法については、
結構ハードル低いんじゃないかなと思うんですけど、
何かというと、SNSをやめることですね。
SNSをやめること。もしくは、多少その時間を減らすこと。
さっきのね、時間の使い方みたいな話に近いことかもしれませんけど。
これは確実に変わるんじゃないかなと思います。
何かというと、僕は昔かつてSNSの事業者をやっておりましたが、
SNSを運営する会社の代表を務めていましたけど、
ただ当時のSNS、主に自分の知り合い中心の世界観から、
いわゆるSNSと指される内容というのもだいぶ変わってきたんじゃないかなというふうに思います。
やっぱり分かりやすいのがXですね。不特定多数のものは見聞きするというもので。
やっぱね、本当思いますけど、そういうFacebookみたいなリアルな人たちとコミュニケーションする場もそうですけれども、
そうじゃないもの、Xみたいなもの、インスタもそうなのかもしれませんが、
含めてね、ものすごく精神面に悪影響を取れているようなと。
時間の使い方もそうなんですけど。
っていうのをつくづく感じたりするわけです。
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これね、それ自体は皆さん薄々感じているというか、よくいろんな人も言うし、
それはそうだよなというふうに思うんですけど。
これね、いろいろ理由はあるんです。
無駄にだらだら時間を過ごしてしまうっていうのも一つありますよね。
インスタとか見てて面白いショート動画見ちゃったらそれをずっと続けてみちゃう。
これはXの動画もそうかもしれませんけど、そういうことだってあると思いますし。
気づいたらすごい時間過ぎてて、一体何やってたんだっけっていう。
その瞬間その瞬間は確かに面白いし、見入ってしまうのかもしれないけど何にも残らないみたいな経験って、
おそらく現代人の多くが体験したことあることなんじゃないかなというふうに思ったりするわけです。
この点ね、やっぱりXが一番わかりやすいと思うんですけど、ツイッターですね、旧ツイッターですね。
今完全にタイムラインが、おすすめっていうのがメインになって、
推しきせられるようになっているじゃないですか。
要は運営者側がね、絶対これお前見たいだろうっていうものを推薦し続けてしまう。
その結果ね、一度何か目にしたものがあったら、それにひも付くものをずっと見せられてしまう。
例えばね、僕はやっぱり動物が好きなので、
抗議とかね、犬の動画とか見てると、
猫が面白い動作をしてる動画とか見ると、それに近いものがずっと流されてきたりとか、
そういうのがあって、それにとらわれてしまうわけですけれども、
なんとなくダラダラ過ごしてしまう、無意味に時間を過ごす。
これ一つありますよね。
これ以上にひどいなーって思うのが、やっぱりね、人と比較してしまう。
これもよく言われることだし、改めて僕が言うまでもないと思うんですけど、
何か楽しそうな場面、キラキラした場面にいる。
これは全く見ず知らずの他人のこともあれば、自分の友人のこともあるでしょうけど、
そういうのを見ると、なんで自分はここにいないんだとか、
なんで呼ばれてないんだとか、それに控え自分はなんでこんなみじめな思いをしてるんだろうとか、
そんなことを思って、なおさらみんながみじめな思いになってしまう。
これね、誰しも経験したことがあるんじゃないかなというふうに思います。
例えば仏教ってね、僕も仏教をちゃんと説明できるほど体系的に理解してるわけでは、もちろん到底ないですけど、
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僕の理解の範囲内、初心者の理解の範囲内で言うと、なるべくそういった煩悩から解き放たれましょうよと、
いうことを言っていて。
じゃあ煩悩って何かっていうと、何かに対する執着心だとか心のとらわれですよ。
欲だとか、そうだと思うんですけど、何々が欲しいとか。
まあ、SNSっていうね、こういうとらわれ、煩悩を拡大再生産するマシンそのものですよね。
よく海外の実験でSNSを立ってみたら、豪幅度が上がったみたいな話を見聞きすることがあると思いますけど、
これ本当にそうだろうなというふうに思います。
つまり、仏教的に言うと何でしょうね。
やっぱりSNSっていうのが煩悩の元であるということですね。
これは明らかに健康精神、精神健康上よろしくない。
これをどう遮断していくか。
おそらく、私のボイシーとかポッドキャストを聞いてらっしゃる方って、
それなりにスマホだとか、今あるいろんなサービスに慣れ親しんだ人たちが大半のはずで、
おそらくSNSやってないっていう人いないんじゃないかと思うんですけど、
それは積極的に発信してるか、あるいは見てるだけか分かりませんが、
全く利用してない方ってなかなかいないんじゃないかなというふうに思うわけですが、
やっぱりそういった人たちは、
おそらくSNSから距離を置くということを考えられた方が、
自分の幸福により近づくんじゃないかなというふうに思うわけです。
煩悩っていう意味で言うと、何が心のとらわれの厳選になるかというと、
結局、比較だと思うんですね。
比較っていうのは、これもまた二つあって、
誰かとの比較、自分以外の誰かとの比較だとか、
あるいは、自分の実現しなかった、ある種の並行世界、
最近だと何たらの世界線っていうふうに言ったりしますけど、
あの時ああしてたら今頃きっとこうなっていたんじゃないかっていう、
こういう比較ですね。
これが何らかとらわれを生み出す厳選なんだろうなと思うわけです。
やっぱりこれはずっと昔から体感として気づいていたので、
なるべくもう考えない。
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考えないって言ってもどうしても考えちゃうんだけど、
人と自分を比較しないっていうことを自分にディスるように、
できてるかどうかは別にしてディスるように意識はしてきたつもりでいます。
できているかどうかはまた別の話ですよ。
例えば、僕の周りは当然経営者だとか、
投資家だとかいろんな人が多いわけですけど、
そういった人たちが事業を通じてこんなすごいことをしてる。
それはすごいなって思って、
いや、称賛する気持ちももちろんあるんだけれども、
何かどこかそこに嫉妬、妬みみたいなものを生じたいだとか、
こんなの自分でもできるとか、
自分もこうしていれば思いが芽生えたいとかですね。
あるいは、ものすごくわかりやすい例をとってみると、
もう本当に資産の規模みたいなものね。
お金の規模みたいなもの。
考えても仕方ないんだけれども、
あの人はあれだけ持っていて自分はこれぐらいだ。
こんなんでね、上見たら霧がないんですよね。
とか、会う時ああしてたらもっとこうなってたんじゃないかみたいな。
考えても霧がないんじゃないかなと思うわけです。
特に全社の他人との比較っていう点において、
SNSってものすごいそういった他人との比較を
無理やり強いてくる。
そういう装置だなというふうに思いますよね。
これはおそらく皆さんも気づきなんじゃないかなと思います。
これがね、結局煩悩の厳選なんだから、
いかにしてこれを立てるかと。
どんだけ僕も他人と比較しない、他人と比較しないってことを
呪文のように自分に唱え続けたとしても、
どうしてもね、見てしまうと
無意識に比較してしまう自分がいるわけですよね。
そんな自分って別に好きじゃないんだけど、
これはね、仕方ない。
かなりこれは自覚的に意識していたつもりでいますし、
もともと僕が昔仲間たちとやってたスタートアップっていうのは、
ツイッター向けのアプリケーション。
ツイッターを利用するためのアプリケーションを
柄系向けに開発していた会社ですから、
結構ツイッターはどっぷり使ってましたし、
SNSに関してもね、
もともとミクシーとかフリーだとかが
大学生の頃に出て第一世代として通信でいた、
そういう世代の人間ではあって、
結構どっぷり使ったんですけど、
そうであるがえにそういうSNSの解約みたいなものっていうのは
末内に理解をしていたし、であるがえに
実際ツイッターも10年弱やってなかったんですよね。
これはもう無限時刻の入り口だなっていうふうに感じて。
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さわさりながら、特に今VCっていうような仕事をしている中において
一定のプレゼンスを持つことっていうのは、
それはもう本当に必要悪だなと思ってやってるわけです。
本来仕事のためだと思ってやってるんだけど、
ただやっぱり見ちゃうじゃないですか、いろんなもの。
そうなるとね、やっぱりネガティブな思考だとかスパイラルに
陥りかかってしまう自分っていうものがいるなって気づくことがあるし、
これとどう向き合うべきなのかってことが
強く思いますね。
この点ね、じゃあ
SNSとの関係を立つことって言ってもいいんだけれども、
じゃあできるのと、そんなどっくり使っている人がっていう点で言うと、
まあこれね、スマホ持つなっていうのと同じで、
さすがに全部立てっていうのは
まあこれさすがにこれもまた
極端にラディカルな話なんじゃないかなと思います。
まあ無理難題なんじゃないかなと思います。
そうなのであれば、せめて
距離感の取り方というか接し方っていうものを
リスする、制限する。
例えばどういうことかというと、
例えば僕みたいに
仕事から一定程度の情報発信っていうものをしていくことによって
プレゼンスを保つことが大事だっていう風に思うんだったら、
発信専業にする。
発信して後見ない。
まあこれ一番わかりやすいですね。
もう言いっぱなし。
言って後はしたらいいんじゃないっていう。
まあそこによって
機械損失あると思いますよ。
本来そこでちゃんとどういうリアクションを得られてたのかだとかを
つぶさに見ることによって
より何か自分の発信する内容の精度だとか
考えにフィードバックをかけるとか
そういった学びもあるかもしれないけれども
トレードオフが大きすぎるからやらないとか。
あとまあより具体的な
方法で言うと、Xを例にとると
おすすめっていうアルゴリズム中心のタイムラインは
もう見ない。
本当に自分が興味関心あるものだけフォローして
情報収集のために使うっていう
発信はしてないけど自動的に使うって方いらっしゃるでしょうから
だけどそれが勝手におすすめっていうところで
どんどんどんどん見たくもないものを見せられてるわけですね。
なので
あくまで自分が知りたい情報を発信する
人たちのものだけに
タイムラインだけを見るようにする。
フォローのタイムラインとか
リスト機能のタイムラインだけ見るようにする。
こういう具体的な何か工夫を
された方が
より精神的に
苦痛を味わうことが
少ないんじゃないかなと
思うわけです。
それでもね、完璧ではないですよ。
実際そういったフォローしてる中でも
人の劣情を
くすぐるようなものっていうのは
出てくることあるし
何かにとらわれて
よくわかんない怒りを抱えたいなとか
気持ちを左右されることってあるわけです。
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だけど、自分以外の何かにね
気持ちを左右されるって
これほど嫌なことないじゃないですか。
常にですね、僕は自分の
価値の軸を
持っていたいという風に
思って生きてますけれども
何だろう、みんながいいって
思うものを
良いと思わされるような
状態って
よろしくないと思うんですね。
ただSNSってそういう装置だな
と思うわけです。これみんな
欲しがってるよ、これいいものでしょうみたいな。
かつてね
あれ政府百貨店でしたっけ
欲しいものが欲しいわっていう
ものすごい
コピーを
伊藤佳里さんが書いたことが
あったそうですけれども
欲しいものが欲しいわっていうか
欲しいものがないんだったらなくていいんですよ。
樽を知るで良いと思って
いて
それを乱すような
情報からはなるべく
距離を置く。
先人になるわけにはいけませんから
完全に
SNS立つとかスマホ立つっていうのは
これはある種現代社会においてデジタルな
先人ですから、それは無理でしょっていうのが
よくわかるんだけど、なるべく
完全に支配されないようにはしたいな
と思うわけですよね。
もうちょっと具体的に
SNSの利用時間を制限するアプリ
みたいなものもあるんでしょうし
もっと言うとね
アプリ自体消してしまうっていうやつですよね。
本当にどうしてもアクセスしなかったら
ブラウザーで見ざるを得ないみたいな
わざわざひと手もかける。
全然違うジャンルの話ですけど
例えば
金融マーケットがめちゃめちゃ
乱れてる時にですね
インデックスでずーっと運用し続けてる
人たち
当然マーケットがすごい崩れたりとかしたら
ハラハラするわけじゃないですか
だけど本来ね
インデックスでコツコツコツコツ
ドルコスト分散法で投資してる人にとって
別に下がっていようが何だろうが
短期で下がっていようが関係ないわけだから
何も変更する必要ないんだけど
マーケット見ちゃうから
気持ちがざわつく
だったら
証券会社のアプリ消せよ
って思うわけですよね
それと同じことで
スマホのアプリ自体消すっていう
こういったひと手間工夫
めんどくさく
ならざるを得ないような環境を
作ることっていうのが大事なんじゃないかな
と思います
言うなれば大前健一さんの言葉に
当てはめるのであれば
デジタルにおける住む場所を変える
っていうことですね
言うわけですしね、なかなか難しいんだけど
なるべくそういう努力をしていく
ということかなと思います
あともうひとつね、さっき
煩悩の中心って
比較だって
言ったじゃないですか
厳正に比較だって言ったじゃないですか
自分じゃない他者との
自分を
比較してしまって
別に勝手に劣等感を覚える
勝手に被害者意識を
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植え付けられたりとか
こういうのってあるよね
って言いましたけど
もうひとつあるのが自分との比較ですよね
あの時
ああしてたら今頃自分はこうなっていたり
しないっていう
そういう幻想上の
自分と現実の
自分、想像上の自分と
現実の自分を比較してしまう
と、これもありがちだなと
これね、僕今年43歳
になるんですけど
そろそろ中年の危機とか呼ばれるような
年代に入りつつある
発生
なんかあの
40代、45歳以降からの
何年間が精神面で言うと
一番幸福度低いらしい
特にこれ男性だと思うんですけど
負いそうで
まあいわゆる中年の危機ですが
自分はこのままで本当にいいのかとか
自分の人生これでよかったのか
まあね、シニアになりきる
手前初老ですけど
えー
その段階で
まあ
仕事だとかそういったものも一定
一定っていうかもうだいぶ
なんていうかね
落ち着きが見える
まあ場合によってはね、人によっては
自分のこれから先っていうものが
結構見渡せてしまう
ライフプランが見渡せてしまうってなったときに
えー
自分がやってたことはどうなんだっていう
まあそういったアイデンティティクライシス
を陥るみたいなんですけど
まあこれの
避け方
まあ避けることはできないんだけど
ペインを軽減する方法として
なんか今の幸せの指差し確認
ですよね
なんで
あのー
要は想像上の自分っていうのと
現実の自分を比較するとき
だいたい想像上の、比較する想像上の
自分って
何かああしてたら大成功してた
ものすごくもっとよかったに違いないっていう
そういう自分じゃないですか
悪くなったときの自分のことなんて
想像しませんよね
そんなことあんまり考えない
まあそういうパラレルワードの中においては
きっと確かに今の自分よりも
何か
まあ自分の人生における
成功という言い方が正しいのか
幸福という言い方が正しいのか
まあより良き自分がいて
それと同様に
まああんまりよりよろしくない自分も
並行世界にはいるはずなんだけれども
なんだけど
悪いものなんて見ないからみんな良いもの
より良いものを見てしまうわけですよね
自分ベストじゃなかったんじゃないか
これもなんかね想像上の話だから考えても仕方ないんだけれども
まあそういったときにね
うーん
って悩んでしまうよりは
この発想の中もすごく
根本的な欠陥として
つまり
より良い今よりも良かったはずの
自分を想像するという行為の
ある種
見落としてる点として
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じゃあ今得られてる
良いことっていうのを
想像の自分は
得られてないんじゃないのっていう
こういう点があるんじゃないかな
という点ですね
で
それは改めて再確認すると
つまり今の自分の満足度だとか
幸福感っていうのを
まあ一つ一つ
指差し確認して充足すること
ですよね
まあとはいえ
こういうことがあって
良かったなこういうことを得られて
嬉しいな楽しかったなっていう
まあそれが
例えば大きな単語として
家族みたいなものだったりだとか
キャリアだったりだとか
まあ資産ってことも
あるかもしれませんね
友人ってこともあるのかもしれませんけど
まあそういったものを一つ一つ
指差し確認するでそんな大きなものじゃなくても
デイリーで
日々
小さなことであっても
今日これがあってよかったみたいなことを
3つぐらい
指差し確認する
なんかこういうことに積み重ね
なんじゃないかなと思います
幸いにしても僕あんまり自分の
なんだろう
あああの時ああしておけばみたいなことは
そもそも
考えないようにっていうのはかなり意識してますし
あんまりそれにとらわれずに
住んでるかなとは思いますけど
それでもなんか沈み込む
ときのなんとなくね
気持ちが沈み込むときってこれ誰しもあるじゃないですか
そういうときは
無理くり
その日にあった小さな幸せを
3つカウントする
でそれを
もう仲間ね迷惑なのかもしれないけど
身の回りの人に話すですよね
今日さあこういうことあって
これよかったわっていう
話す相手いないんだったら
もう無理くり
ラインで送るっていう送られてる方は
迷惑かもしれないけど
まあだけど場合によってはね
今自分はそういう
精神状態だからそういうことするねって
ここまでね明けすきに
語れる関係性の人がいたらいいですよね
まあ今日そこまで言って
できる関係性があるのであれば
やれば
いいんじゃないかなと
思ったり
するわけです
まあ何せよね
うん
これあの冒頭の
大前健さんの
気持ちを入れ替える
っていうのが全く
ナンセンスが意味ないって言ってるのと
同じかもしれませんけど
気持ちってなかなかね
自分でコントロールしようと思ってもできないわけで
誰にしもなんか範囲な時も
あれば
まあやっぱりちょっと沈み込んじゃう時とか
落ちてしまう時ってねこれはもう
人間なんだから絶対あるという
前提のこと
まあそれでもそんな自分と
残念ながら付き合っていかなきゃいけない
そうなった時に
じゃあ自分を取り巻く環境
どう工夫するかっていうこと
考えて
小さなことをコツコツコツコツ
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実践するしかないんじゃないかな
まあこれよりいい方法あったら
もし私知りたいんですけど
うん
そういうことを心がけるのがいいんじゃないかな
という風に思います
まとめると
SNSから距離を置く
スパッと辞めるんだったら
それが一番いいんだけど
まあとはいえ
デジタル宣言にはなれないよね
っていう点で考えると
発信する必要が
ある人は発信して後は
見ない
何か有用な情報を得たいと思って見てる人が
有用な情報を得る
道具だという風に割り切って
具体的に言うとXだったら
自分の
フォローしてる人だけの
タイムラインだけを見る
アルゴリズムに囚われない
アルゴリズムに
支配されない
機械って人間が使うものであって
機械に使われたら
人間おしまいでしょ
こんなもんに支配されちゃいけない
よくねAIに人間が支配されるんじゃないか
みたいなディストピア
SFディストピアありますけど
ある種もうすでに支配されてると思うんですよね
いちいち
SNSで気分が
浮かれたり落ち込んだりしてる
人っていうのはこれ僕も含めてそうですけど
現代人も
いやもう全員これ起こってることだと思うんですよ
だからそういったものから
なるべく
距離を置く
なんだっけマトリックスでありますよね
赤い薬と青い薬
飲んでどっち飲むかみたいな
どっちの色か忘れちゃったけど
どっちかの薬飲んだらより現実な
人間の世界を
見ることになるっていう
何ですよ
アナロジーとしてね
機械に支配されないという強い気持ちをつくと
これが一つと
もう一つは
過去の自分と比較しないために
今の良かったことっていうのを
指差し確認しましょうという
話ですね
これが
まあ
あんまり僕が仏教って語っても仕方ないんだけど
僕の解釈でいうと
今の鷹において
仏教的な
精神の平穏を
保つために
実践できる
ある種のライフハックなんじゃないかなと
思います
ということで今日はこんなところで
おしまい