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This is 令和スタートアップ。この番組では、猫大好き森厚子と、馬大好きYusuke Asakuraが、スタートアップにまつわる話題について、ゆるふわっとお話をしているのですが、
今回は森さんがおらず、Asakura一人がスタートアップにまつわるトピックについて、ゆるふわっとお話ししております。
今日は、知の巨人と呼ばれる人たちについてお話をしたいと思います。 知の巨人というのは何かというと、知恵の地に巨人、大きい巨人ですね。
そうやって、あがめ立てまつわれる人っているじゃないですか。文化人と呼ばれたりするような人でしょうか。
他も具体的に何名かそういった人を頭の中に思い浮かべながら、脳裏に思い浮かべながら話をしていますけれども、
なんとなく皆さんも想像する人がいるんじゃないかなというふうに思います。
今日はですね、ものすごくこれ抽象化して一般化して話しているので、あれですけど、そういったいわゆる知の巨人に対するディスですね。
ということになるんですけれども、ちょっとお話をしてみたいと思います。
知の巨人って呼ばれる人たちって、何でしょうね、すごいものすごくいろんなことを物知りで、ある種、権威性があり、
特にビジネスパーソンなんかから、とても尊敬されるというか、恐れもののかられる、
そういう人が多いよなぁと、私は見ています。
ただ、よくよくこの人たちが話している内容、この人たちの言説の中身っていったものを精査してみると、
実際にはめちゃめちゃ中身ねえなって思うことって、たくさんあるんですよね。
多々あります。全くこいつ言ってること、実効性のないことしか言ってないなぁみたいな。
そういうことを言っているんだけれども、
周りの人たちはすごく、文化人、知能巨人、知識人のことをあがめたてまつっていて、みんながみんな、ははーってなってるから、
あんまり安易に、こいつ中身ないっすよって、言いづらい状況になってしまっている。
こういうシチュエーションって、すごいよくあるなぁと思うんですよね。
これね、僕昔、こういう知能巨人と呼ばれるような人の、
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塾みたいなものに参加したことがあるんですよ。プライベートの塾みたいな。
プライベートでもないんですけど。
これ何かっていうと、だいたいよくあるのが、大企業の幹部広報制研修とかによく採用されてるやつです。
だいたい40前後とかの人たちが、わーっと集まっていて、それも名立たる日本の超有料企業ですよ。
何たら商事とか、何たら生命とか、何たらソンポーンみたいな。
何かそういったところの、ある種、余裕のある日本の伝統的大企業。
何か利益率高ぇなぁみたいな。何たら不動産とかもあるかもしれませんね。
何ならちょっと既得権益ビジネス化して、すごく余裕のある人たちの幹部、広報、研修なんかに、
こういった地の巨人のお話を、シーズンもので伺おうっていう類のものがよくございまして、
何の間違いか、僕こういうのに何か紛れ込んじゃったことがあるわけですよ。
確かね、100万ぐらい払ったと思います。
まあいいかと思って、なかなか本人直接話聞くことできねぇし、せっかくだから参加してみようと思って参加しました。
なんとなくそういうね、文化人的な人ってどんなのかなぁとか、
何か新しいミューな発見ってあるのかなぁっていったところに関心を持って参加したんですけど、
結論から言うとね、本当に空虚でしたね。
中身が何もない、レトリックとアナロジーだけで遊び尽くすみたいな、
中身すかすかの、そういった回でした。
これ、たぶんみんなハテナって感じで聞いてるんだけど、
ハテナとか意味わかんないっすってことを言えないわけですよ。
何言ってんのかわけわかんないっすみたいな。
とんでもないいろんな全然違う物事、
西洋の監獄の仕組みと現代社会と、
何か下辺の在り方みたいなものを無理っくり繋ぎ合わせて、
アナロジー、メタファーで語り続けるみたいな。
何かそれっぽいこと言ってるように聞こえるんだけど、
人文的、文芸雑誌とかに掲載する文明批評としては面白いのかもしれないけど、
それ何の実態もないっすよね、みたいな。
結局どうしたいんすか、それで。だから何、みたいな。
そんなものばっかりなんですよ。
で、あるとき僕、発言したんすよね、それを聞いて。
あるときっていうか、初回ぐらいだったと思います。
中身ねえなと思って。難しいことをただひたすら難しく語り続けるみたいな回だったものですから。
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いいんですけど、実態に果たして僕たちが生きる、
リアル社会においてどれだけ意味があることなんですか、あなたの言説はみたいな。
どういう言い方をしたか忘れましたけど、平たく言うとそんなことだったと思います。
なんていったって参加してるのは僕をはじめとしたビジネスパーソンで、
その人たちのいわば幹部研修とかね、視野を広げるみたいな、
そういった名目で模様を押さえてる会なわけなんですけど、
やることはビジネスなわけですよ。
そういった人たちを集めて、とうとうと語っており、
何人かいるんだな、慈悲できてる中小企業の社長みたいなのがいて、
自営業者社長みたいな、今の僕みたいな立場の人がいたりして、
そういった人は浸水していてうっとりしてるんすよね。
うっとりしてるのはいいんだけど、ファンですよ。
だけど何言ってるかわかんなくないみたいな、そんな不思議な空間。
ひたすらそこに2時間ぐらい座り続けて、
空虚な全然違う世界の物事事物をつなぎ合わせたレトリックを
散々浴びせられて、何がしたいんだこいつはみたいな、言葉遊びですよね。
そういう苦行を経験するっていうことをしたんですけど。
それもあってね、言ったんです。
実体に対して何の意味があるんですか、あなたの言ってることみたいな。
そしたらね、またこれ面白いのが、
いろんな不思議、そういったキーワードをずらーっとなべて、
お前はこれ知ってるか、お前はこれ知ってるか、お前はこれ知ってるか、
何もわかってないだろ、お前は何もわかってないみたいな、
わかんないですけど、みたいなね。
会話が噛み合わないわけですよ。
情報量で煙巻くみたいな。
お前はこれもこれもこれも知らない、だからお前は何もわかっていないって言うんだけど、
それとね、僕が問うている、あなたらの話ということは、
実体のビジネスにおいてどういう示唆があるんですか、何の意味があるんですかって言ったことには一切回答してない。
この手のやつね。
こんな感じで煙に巻く地の巨人っていうものを、
Nイコールしてたけど、僕は実際そういうのを接したことがあり、
自分の体験として接したことがあり、
まあ、大概この手のものだなと。
他にもね、いろいろ、よりビジネス側に近い地の巨人と呼ばれる人とかもいますけど、
うーん、まあ、言説で直接会った人も何人かいますけど、
まあ、だいたいこんな感じだなというふうに思っています。
間違いなく頭はいいんだと思います。
そして、ものすごい知識量であることは間違いないです。
ただ、その中、知識をひにくり合わせて、つなげ合わせていろいろ説明するんだけど、
文明批評なんだろうな、丸めて言うと。
そういったことを繰り返すんだけれども、
ただね、これも反証の可能性が全くないわけですよ。
ある種、うまいこと学際的に飛び回って、
いろんな事物、概念をつなぎ合わせて文明批評するんだけど、
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全く関係ないもんですよね、それみたいな。
ただの例え話ですよね、みたいな。
だけど、すごく一個一個の話っていうのが高度に専門的で難しくて、
なおかつめちゃめちゃものしいであることは間違いないので、
人によってはこれうっとりしちゃうんですよね。
ああ、すごい、先生すごい、みたいな。
僕もね、この後、あなたの言ってること意味わかんないんですけど、
みたいなことを言って、地の巨人に、お前何もわかってないってボロカスに
言われたんですけれども、その後もね、うっとりしてた信者の人たちからはね、
何もわかってないね、みたいな。
そんな扱いを受けました。
なんだろうな。
けど、その何もわかってないよねっていう人たちも、
いわばこの地の巨人、ケイの言ってることを自分は理解できるっていう風に
表明減明することによって、
名誉権威人、名誉地の巨人になろうとしてる。
みんなにはわかんないかもしれないけど、俺にはわかるみたいな、
ある種の中二的な発想ですよね。
そういった信者たちだなという目で、僕にはうっとりました。
ニューアカっておそらくこういう感じだったんだろうなと思います。
80年代のニューアカデミア文化って、
どんな世界だったんだろうなという風に想像しますけれども、
実際ねえじゃんという、そういう話です。
でね、こういうのってね、なんだろうな。
結構ね、なんかすごい、僕の観察の限りですけれども、
なんかね、コンプレックスが抱えた人が結構好きなんですよね。
例えばこれ両軸に触れた話ですけど、
何らかご事情があって大学出てないとか、あんまり学歴がないと。
ただ、事業においてはものすごく成功した、みたいな。
人っていうのが妙に浸水して、こういったものを見聞きしてですね、
なんだろうな。
肌から見てるとコンプレックスの解消を果たしているように見える類だったりだとか。
あるいは、これね、具体的に言うと官僚とかですね、
国家公務員の人たちとか、結構この手の人たちのこと好きだなあと思うわけです。
それはある種、なんだろうな。
ある種、高等な知的ゲームであるってことは間違いないので、
そういう複雑何回専門化した、そういう何らかの概念を多数知っていて、
それをつなぎ合わせることで、何らかの建設っぽいものを作るっていうことが、
ある種高度な知的ゲームであることは間違いないので、
それが純粋に楽しいだってあるだとか。
あるいは、自分はある種の学歴的なエリートであるっていう資格はあるんだけれども、
その先にある教養というものを積んでいないというコンプレックスであるだとか。
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そういったものを補うにあたり、こういった人たちの話を真摯に聞いています。
こういう文化人、地の巨人の人たちの話を真摯に聞いていますっていう姿であったっていうのが、
なんだろうな、ものすごく他の人たちに対してマウンティングの道具として心地いい。
あるいはビジネスで成功した人の場合であると、
自分はあまりにもビジネスビジネスで世俗的に生きてしまったからこそ、
こういう教養というものを大事にしたいみたいな。
教養というものを学んでるんですっていう。
そういう姿勢を示すことが、何らか彼らの自尊心をくすぐる類のものなのかなと。
何か戦国武将が出家したりとか、お坊さんとかお寺とかありがたかったりしてたのと似たような話な気もするんですけどね。
やってることすごく血なまぐさい戦争やんみたいな。
だけど、そいつらが妙に仏様をあかめたて祀るみたいな。
何かそれに近い状態なんじゃないかなというふうに僕は想像するんですけれども。
だいたいこういった、何だろうな、何らか成功しているけれども欠けたものがある人たちっていうのにすごくはまりやすいということですね。
この手の言説って本当に、僕は実態がないと思います。
複雑何回専門特化したいろんな概念というものをつなぎ合わせて、何らか今の社会といったものを批評する。
だから今の社会はダメだとか、お前ら本当にダメだっていうことを言い続ける。
特に世俗的な人たち、僕含めではビジネスパーソンに対して絶望するほど攻撃するという。
この手のパターンですよね。何もわかってないっていうふうに言いながら。
なんだけど、これね、すごく思うのが、こうやってより資本主義批判とかをしがちなんだけど、うっかり。
しがちなんだけど、結局この人たちって何が飯の種になってるかっていうと、
そうやって公演ビジネスやるとか、なんかよくわかんない企業とか、観光庁のコンサルティングやるとか、
なんか結局のところ、そこが飯の種にしてるんですよね。
むちゃくちゃ資本主義を批判しながら、そういった資本主義的なザグミの中で、
なおかつ無経済で食ってるっていう、とても矛盾した存在だなというふうに思うわけです。
これね、要するに公演ぐらいだったらいいんですけど、公演とかコンサルぐらいだったらいいんですけど、
たまに間違えて、システム開発しますとか、なんかのデータベース作りますとか、そういったの受注しちゃって、
これ実際、とある知能巨人に起こった出来事ですけど、結局納品できず、
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いわば税金泥棒ですよね、という状態になって。
だけどなかなか権威性があって、自治体もその人を責められないみたいな。
なんか、こういうよくわかんないことが起こるわけですよ。
単にね、公演してコンサルしてるだけだったら、そういう物好きな経営者に話しかせるとか、
お金貼ってるだけだから罪もないし、
公演に借り出される、研修プログラムに借り出される社員はいい迷惑かもしれませんけど、
まあその程度の話だからいいんですけど、
税金に及んでしまうとまずいんじゃないかなというふうに思うんですよね。
あとね、だいたいこういう権威性を持とうとする人、知能巨人で権威性を持とうとする人って、
なんか独特な風貌入れ立ちを追求するんですよね。
服装が特徴的とか、なんか火生やすとか、
あといる場所が妙にミステリアスみたいなね。
場所がすごいみたいな。
なんか驚々しい演出をするんだよな、この手の人たちは。
だいたいこういう人たちを見ると、僕はもう直感的にやっぱ怪しい中身がいんじゃねえかなという
アラートが立つし、
なんだろうな、複雑難解な言葉を複雑難解に語り続けて煙に撒く人っていうのは
大抵ログでもねえなというふうに思っています。
結局のところ、この人たちのパワーの源泉って何なんだろうと思うと、
権威であることなんですよね。
これが現代美術的で面白いんですけど、
何々があるから権威ってわけではなくて、権威であるから権威であるっていう、
そういう不可思議な構造っていうものを作り込んでるわけですよ。
それは何か過去に一度成し遂げた、多くの場合それが何か言論だったりするわけですけれども、
言説の発信だったりするわけですけど、
そこによって気づいた何か権威性の上に立っているだとか、
あるいは取り巻く周囲の人たちに権威と言われてるか権威であるということ。
特にこれは、社会的地位の高い人に権威であるというふうに認められることが一番効果的でしょうね。
だって誰もがこの人は権威あると認めるような社会的地位のある人が、
この人が権威であるっていうオーソライズをすることによって、
関係ない人たちっていうのはなおさらその人の地の巨人のことを権威であると認めるという、
こういう不可思議な構造に成り立っているわけで、
これ極めて宗教信者ビジネスに近いなというふうに思うわけです。
なんだけど、実態だとか言ってることっていうのは極めて空虚。
僕も本当に空虚だなっていうふうに思ってたんですけど、
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ただ最近少し思うのは、空虚であるっていうことに一つ意味があったのかなという気がしていて、
何らこの空虚な人たちは何も生み出すことないんだけれども、
ただ、ある種の高度な言葉遊びであることは間違いなく、
それが本当に実態なのか世の中を正しく表してるのか、
あるいはこの人たちが取り扱う概念そのものも往々にして専門性ないから間違ってたりするんだけれども、
だけど何かそういった言論をつなげ合わせた高度な言葉遊びであることには間違いなくて、
そういう意味で言うとスノブなエンターテインメントなんだろうなというふうに思います。
なので、そういったスノブなエンターテインメントを楽しめる人にとってはとても良いことなのかもしれないし、
またそのスノブなエンターテインメントを楽しんでいると自分に思い込ませて、
自分もまた名誉権威にならんとしている人にとってはですね、
とても意味のある存在なのかもしれませんね。
僕はあんまり関わりたいとは思わないし、これから先もマジ中身ねえなというふうにいつも思うんですけど、
毎回毎回いちいち噛みついてたら大人気ないし。
あとやっぱりね、フォロワーの人たちっていうのは権威に認められることで、
自分もまたその権威に次ぐ名誉権威であるという、
そういう座を欲しいから、ある種の共犯構造なんですよね。
この権威と名誉権威と。
ただ、じゃあ実際にこの権威とされる人、地の巨人とされる人が繰り出す言葉っていうのは、
極めて空虚であるがゆえに、僕は地の巨人って言ってもジャイアントの方の巨人ではなくて、
空虚な方の巨、空虚な人と書いて巨人なのかなというふうに思ったりもしています。
ここまで個人名を一切あけずににすい続けるという、なんかとてもハイコンテクストなことをしましたが、
これはわかる人にはおそらくこういった人のこと言ってるのねっていうふうにピンとくるんじゃないかなというふうに思います。
そしておそらくボイシーってそういった文化圏の人のこと大好きな人、
名誉権威になりたい人が多そうな気がするから、多分とても気分を害している人もいるかもしれませんけど、
まあいいや、そんな感じかなというふうに僕は思っているので、
エンターテインメントとして楽しい部分には別にね、小説に中身があろうとなかろうと関係ないですから、
別に村上春樹の小説に何かメッセージ性があろうとなかろうと、それはそれでエンターテインメントとして心地よければそれでいい。
じゃあ、そういうもんだと思うし。
まあ何というか、過剰にありがたがらなければいいんじゃないかな、進化化しなければいいんじゃないかなというふうに思います。
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まあ進化化してもいいのかもしれないね。もう趣味ですからね。
僕が柴生介のことを進化化してみてると同じ程度の話かもしれませんね。
そんな感じで、僕の趣味ではないという類の話ですけれども、
地の巨人、権威人について思うことをお話ししました。
誰のことかなーっていったことはなんとなく想像しながらお過ごしいただければと思います。
ということで今日はこんなところでおしまいです。