そういう状況だったら仕方ないと思うんですよ。仕方ないわ、あなた。それはこっちから頼んで入ってんだから、それダメって言われたら仕方ない。
ただ、これ意味わかんないのが、公立の中学校で、別に自分行きたいって言って入ってるわけでもないのに、
なんで勝手にそんな、押し付けてくんの?個人の自由を制約してくるの?と。
これ今でも普通に思いますけどね。これが全然意味がわかんないというか。
だって来なきゃいけないから来てるだけなのであって、なんでそんな命じられなきゃいけないんですか?みたいな。
勝手でしょっていうふうに思うわけです。
制服とかからしても嫌なわけですよ。指定されているっていうことが。
それは一定社会のルールに従うってことを学ぶ体験なんです。それがって言われたら、そうなのかなという気がしないでもないわけですし、
自分みたいな子供がいたら、しんそこめんどくさいなっていう相手したくないなって思うわけですけれども、
ただ悲しいから、僕はそういう子供で、そういうふうに思って、そういうふうに言っていました。
世の中でですね、おそらく最も真偽不明だけど、こんな名言を残したであろうと呼ばれる人たちって何人かいて、
お決まりなのがマーク・トウェインですけれども、もう一人、チャーチルというイギリスの最初ですね、
チャーチルはこう言いましたという、真偽不明の名言というものをたくさん残してます。本当に言ったかどうかわかんない。
その中で、チャーチルがこんな趣旨のことを昔言っていたと、僕が聞いたことあることは、本当かどうかわかんないんだけど、
もはや本当でも嘘でもどっちでもいいんですけど、それによると若い時、10代とかの時にリベラルとか左翼的な思想っていうものに
はまり込んでいない人間っていうのは、正義感がなさすぎる。大人になっていまだにそんなこと言ってるやつとか、
保守的な考えというものを全く軽視している人間というものは、社会を知らなすぎるみたいな。
そういった未熟すぎるみたいな。正確な言い回し忘れましたし、知っている方は教えてほしいんですけど、
そういったその手の言葉をチャーチルは言ったとされていると、私聞いた覚えがあります。
それすらひょっとしたら間違いなのかもしれないんだけど、別にそれはどっちでもいいんですよ。
で、僕はこのチャーチルが言ったかもしれない言葉には大変賛同するところで、やっぱり10代の時とかって正義感ないといけないと思うんですよね。
世の中見渡してみた時に、ものすごく理不尽なことって多々あるわけじゃないですか。
そういったものに対して、やっぱり若い時って理想を追求しなきゃいけないし、こんな不正義は許されないっていう、僕は言うべきだと思うし、
めんどくさいかもしれないけど、それは僕は真っ当なことなんじゃないかなというふうに思います。
僕が日本にいない時でしたけど、いろいろ2015、16年とかちょっとしたネオ学生運動みたいなのあったじゃないですか。
あれっていいと思うんですよね、そういう10代の子たちとかがそういうのを信じるにあたっては。
それは一つの通過切れだなというふうに思います。
実は僕は専門学校の先生がめちゃめちゃ土砂浴な先生で、本当に学生運動とかに身を投じてたような人で、
よくいるでしょ、そういう予備高校士とかで土砂浴な先生。
その人がいかに大企業が腐敗してるかとか、アメリカの帝国主義的な横暴みたいなことをすごく語る人で、
それは本当にひどいなっていうふうに思いましたよね。
やっぱり僕はアメリカって嫌いだったし、
例えばミナマタ病とかの話聞いて、企業による公害の話ってやっぱりこれは本当に許せないなっていうふうに思いましたし、
人権ってすごく大事だなというふうに思いました。
別に今もね、アメリカのロジックって随分と自分勝手だなと思うところはありますし、
また大企業の横暴とか公害だとかね、そういったものを見ると、
それはやっぱり許せないなって思う気持ちがありますし、別に人権だってとても大事なものだというふうに思うんですけれども、
一方で大人になってくると、多少それがね、体制側になったひよったってことなのかもしれないけど、
呼ぶ人もいるのかもしれないけれども、一定現実っていうことを知るところがあり、社会を知ることがあり、
若い時には見えていなかった世界っていうのが見えて、こうなってしまうことにはとてもひどいことだと思えるけど、
こうなってしまわざるを得ない一定の理由、事情ってものがあるんだなっていうところを
汲み取れるようになるわけです。そうなると、あまりにもワンサイドで、
そういった何らかの矛盾ってのをいちいちつっかかって批判するのは、
なんかそれはそれで違うなという分別つく。そういった分別もついた上でなお、
反、アンチ、体制的な態度を取るっていうのは、別にそれはそれでいいと思うんですけど、
それはもう生き方の問題なので。何はともあれ、やっぱり10代の時から比べて、
20代とかになってくると一定の分別はつかないといけないと思うんです。
話はどちらかりましたけれども、僕も10代の頃は、
そうですね、偉い左翼がかった人だったと思いますし、
じゃあ今それはだいぶ昔と比べて態度は変わったと思うんだけれども、
根っこの部分で何かパワー権力を持っている人たちに対する反体制的な感覚とか、
反骨心だとか、大きい組織、企業とかに対するアンチ精神っていうのは、
実は変わらず持っています。これはスタートアップやったからなおさらなのかもしれませんね。
吹けば飛ぶようなスタートアップで必死にやっていて、
なんで大組織の連中はあんなに安穏と楽そうに生きて、
それでいて、そうやって頑張っているスタートアップの人たちに対して
冷静的な態度を取るのかみたいな、極端な一部の例を取って端的に言ってますけれども、
そういった行き通りっていうのは未だに感じることはありますし、
それはそれでいいと思います。
話が長くなりましたけど、
今日言いたい趣旨というのは、そこの話ではなくてですね、
今まで話したのは、自分が単にそういう反骨精神だとか、
反体制的な気持ち、反体制って別に政治がどうこうとか、そんな大げさな話じゃなくて、
大人に対する反発みたいな、尾崎豊の世界観かもしれませんね。
そういったものを原動力に生きていたということを申し上げているのですけれども、
これがですね、困ったことに私も大人になりまして、
下っ端のうちは楽だからいいんですよ、そうやって。
なんかおかしなことあったら立てついてたらいい。
別に自分さえね、どうなってもいいというような割り切りさえあれば、
どこまで反発してもいいんですけれども、
だけれども、これがですね、私の場合、
どんどんどんどん自分自身が組織を引き切る立場になってくるわけですよね。
こうなってくると、本来反発する対象だった側に、
いつの間にか自分がなっているということが多発するわけです。
今でもね、めちゃめちゃ小さい会社チームですけれども、
別にそんな感情的な相互はないと思っているけれども、
とはいえ立場上、何か組織の方針というものを決める立場であるし、
それに対してね、下からあいつあんなこと言ってるけどひでえよなみたいなことを言って、
楽は楽なんですよね。
今のチームはさすがに小さすぎるけれども、
例えばね、ミクシーなんかだと、やっぱり結構な人数いましたし、
自分はね、その組織のトップとして、
何らかそこにいる人たちの意味そぐわない意思決定というものをしていかなければいけない。
これがね、結構なストレスでもないんだけれども、
アイデンティティの不一致みたいなものを感じることってありましたよね。
なんか規範論ってものが嫌いなわけですよ。
こうしなければいけないみたいな、こうでなければいけないみたいな。
一方で、何かチームを率いる立場になると、組織を率いる立場になると、
こうしなければならない、こうであることを求めるっていう、
そういう態度を取らなければいけないわけです。
これがね、自己矛盾を感じる部分でもあるんですよね。
で、一応僕の中では、それは論理的な成功性って取れているんです。
それは先ほど言ったみたいに、なんか私立の学校だったら仕方ないよね、みたいな話。
会社だってね、別に自分がそこに入るって決めたんだから、
その中ではこういったことを求めます、みたいな。
就業規則だってしっかり言うんですよ。
就業規則がうぜえ、嫌だみたいに言っても、だってそういう会社じゃ、みたいな。
もちろんね、何らか正当なプロセス手続きを持って、
その就業規則を変えるっていうこともあるのかもしれないけど、
あるいはその会社に対する、何だろうな、何か求める行動規範みたいなものを
自分が塗り替えていくっていうこともあるのかもしれないけど、
ただ原理原則として、だってそれ最初から言ってるでしょっていう、
うちはこうだって言ってるじゃないですか、みたいなのに対して、
反発するのって、それは違うなというふうに思うわけです。
そういう理由で、事情で、自分なりに整合性は取ってるんですけれども、
やっぱりとはいえね、自分が決めて全員にそれを求めるってことになると、
論理的整合性は取れてるんだが、どこか違和感を感じるわけですよ。
どっちかっていうと、自分はそれおかしいとか変だとか悪いとかさ、
ひどいとかいう立場だった人間だから。
まあ、こういったことをね、繰り返しながら、
人はだんだん大人になるないし、リーダーになっていくのかもしれませんよね。
だけど、その相互違和感っていうのは、いまだにあるなと。
なお、自分がそういった反発心、反骨心みたいなものを大事にしており、
それが自分の行動力の厳選であったりすると、
なおさらこれは居心地悪く感じるなと思ったりすることもあるわけです。
まあ、それでもやっていかなければいけないんですけどね。
前、僕のボイシーで話したことがあると思うんですが、
僕はなんだろうな、組織人ってやっぱり与党であるべきだと思っているんです。
それ何かっていうと、野党でなく与党であれっていうふうに言っていて、
まあ、野党ってやっぱり楽なんですよね。
だって全員が100%同意できる、そんな何か意思決定なんてないですよ。
あったとしたら、すごくそれは何かものすごく良い時ですよね。
あまり何かもうみんながそもそもその意思決定を気にしていない状態。
だけど、一時いろんな歯車が狂って、会社でいうと経営が不審に陥ると、
それは何らかのシビアな意思決定をしなければいけない局面、機会っていうのがどんどん増えてくるし、
その時において満格回答なんてできないんです。
そもそも全員同じ見解なんて共有していないから、
ある人はいいと思うし、ある人は最悪だと。
ということなんですよね。
そんな中でね、いちいちなんだろうな、
ぐつぐつな文句言うこともあるのかもしれないんだけれども、
だけどそれはもうトップが示している以上、それに従ってやっていくしかないんじゃないかと、
いうことなのかなと。
もちろんね、反対意見出してディスカッションする、議論するっていうのは、
これは大いにあって叱るべきだと思うんですけれども、
決まった以上それやっていくしかないよね、というやつですよね。
よく外交の世界で紛争は水際で留まるっていう言い方ありますけど、
それ何かというと、外交においてね、
ある方針AでいくかBでいくかって言ったところが、
内部が非常に揉めたとしてもですね、
外交である以上、外部の人たちを相手にしなければいけないわけで、
いくら内側で揉めていたとしても、いざ意思決定された後は、
もうAだったらA、BだったらB、反対していても、それに突き従うっていうのが、
基本的なあり方だと思ったりするわけです。
いつものごとく、なんだかとっちらかって、
何が言いたいのかよくわかんない話になってるんですけど、
うーん、けど、組織のリーダーになるとこういったことよく起こりがちだよね、
と思ったりするわけですね。
みんなどっかこういう違和感、都合感を抱えてるんじゃないでしょうか。
なんかあの、最近のスタートアップの経営者ってそうでもないのかな。
なんかすごく優等生前とした人も増えてきたし、
必ずしもそうでもない気もするんですけれども、
ただ、一般的にね、一般的にって言い方もどうかと思いますが、
企業家って、何らかはみ出し者だったりだとか、
どこか不良じみたところってあったと思うんですよね。
やるがえに、普通の組織に馴染まない、馴染めない。
これ僕も当てはまる話で、
僕は絶対大企業で主戦なんかできないんですからね。
うん。昔、とある銀行の盗取に、
あなたできないこと何なの?って聞かれて、
とっさになんかうまいことが言えなくてですね、
なんか、なんだろ、別に取り繕うつもりもないのに、
なんかいいこと言っちゃったことがあったんですよね。
それ何かっていうと、なんだろう、一見悪いこと言ってるように聞こえるんだけど、
それよくよく聞くとなんかすげえいいことじゃん、みたいな。
そういう風なことを言ってしまう。
なんかあの、よくあるでしょ?就職活動の面接の時に、
あなたの弱点を教えてくださいって言って、
弱点はこれですって言ってるけど、
弱点っていうか特徴であって、むしろいいことじゃん、みたいな。
だから本当の弱みを見せてない、みたいなタグに出すんですね。
別にそんな取り繕うことなんて一切したくなかったんだけども、
僕はアドリブが弱い人間なので、本当にとっさに出てこなかったんです。
いい回答が。
結果取り繕った回答をしてしまったことがあるんですけれども、
今思うとね、僕は銀行の中では絶対に出世できませんって、
なぜあの時言えなかったのかっていうのはね、
これは未だに悔しい思いでいますね。
それは端的に自分という人間を表現していたと思うし、
相手が尋ねたいことに対してストレートに答えていたと思うし、
なおかつ自分のことを取り繕った話でも何でもないから、
正しい回答だったと思うんですけど、
これ未だに僕の中でしこりとして残ってます。
なんで俺あの時とっさにこれ言えなかったんだろうっていうのは。
何の話でしたっけ。
企業家っていうのはそういう人が多いんじゃないかなというふうに思うんですけれども、
そういうちょっと物事を斜めから見る人が、
最近はそうでもないのかな。
昔はそうだったと思います。
なんだけれども、そういう人はね、
組織を率いたら必然的に自分が指示する立場、
率いる立場になるわけで、
こういう矛盾を僕と同じように感じる人が、
おそらく多いんじゃないかなと。
だけどやっぱりそれでも克服していかなければいけないわけですよね。
克服方法としては、やっぱり何だろうな、
単に自分の組織の中での話、ロジックっていうことではなくて、
そもそもそれ以上に大きい世の中の不満、矛盾、
こういったものに自分はつっかかっていくんだと、
チャレンジしていくんだと、挑戦していくんだと、
変えてやるんだっていう。
そういうところで均衡を保つしかないのかなというふうに
思うわけです。
組織の中では、本来反骨心を持ってる立場だったけど、
何かいつの間にかそれを率いる立場になってしまったと。
ただ、世の中を見渡してみたら、
そんな自分の組織の中みたいな、そんなちっぽけな話じゃなくって、
ものすごく徹底的に大きな矛盾だとか、
腹立つことだとか書いていかなければいけない、
おかしいと思うことっていうのがいっぱいあるわけで、
それに対して自分たちは立ち向かっていくんだっていう。
結局、反骨心とかをベースにして活動する人っていうのは、
これしかないんじゃないかな、
自分の中で長尻を合わせる方法っていうのは。
その過程でね、会社内から見たら、
なんだろうな、社会からもそうかもしれませんけど、
なんかダメな意思決定だなって思われることなんて、
たびたびあるわけですよ。
100点満点で言うと、なんか55点だよね、ひどいよね。