とにかく脚本の段階で、いかに編集を読み切って、いかに削ぎ落としていけるかが、まず監督にとっては、とてつもなく大きな勝負だと思うんですけど、THINGMEDIAさんのホームページを見たら、テンションが激高なのかだって、少しちょっと僕は若干引きながら。
TU-KU-RA-JI
TU-KU-RA-JI
THING SATO 薬師寺の作らずにはいられないラジオ始まりました。THINGMEDIAの佐藤和樹と薬師寺多聞です。
この番組は映像プロダクションTHINGMEDIAがお届けするトークプログラムでございます。毎回我々が主観で厳選した究極の作らずにはいられない人、
薬師寺作り人をゲストにお呼びしてお話を伺っていきます。さて今回も前回に引き続き、ゲストは映像作家映画監督関根光彩さんでございます。
よろしくお願いします。
さっき1時間ちょい過ぎくらい話させていただきましたけど、どうでした?
雑。
正直こんな感じで話せる機会がないので僕も雑に聞いちゃったりしたんですけど。
いろんな話を聞いてもらったりはしたんですけど、
青井を辞められて、2人がまたもう一回作るということにフォーカスしているというのはちょっと印象的というか、
特に広告映像の仕事を長年やっていると、作ることよりもどうやってビジネスを回していくとか、
どうやって世の中で認知してもらえるように動いた方が効率がいいかという動き方になっているじゃないですか。
割と逆にファクシングメディアさんのホームページを見たら、
いろんなテンションが激高の中で僕は若干引きながら今日ここに来ていたんですけど、
そんな努力作、作ることみたいなことにもう一回立ち戻って、
もう一回物事を考えていきたいみたいなことをラジオだけじゃなくて実際に短編が作るとかやられたり、
実験されているんだなというのはすごく印象的でした。
ありがとうございます。ここを切り取りましょう。
切り取りましょうって言い方。
ビジネスに走ってないっていうところを褒めてもらったので。
本当に会社をやってて思ったことを言っていいですか?
どうぞどうぞ。
本当に逆だなって思ったんですよ。
さっき甲斐さんが言ったように本当に外に意識を向けるというか、
今まで頑張ってたこの仕事の何々さんの依頼だから頑張ろうとか、
そういう話以上にクライアントさんを満足させればとか、
そういう以上にもっとシンプルに一緒に作っている人たちが楽しいみたいなことを突き詰めると、
何か次第に増えていくとか会社としての規模もちょっとずつ成長していったみたいなニュアンスがあって。
やっぱり本当に逆にビジネスの方に移行するとしくるというか、
それが先にあった状態で何かものごとビジネスを始めようとしてしまうと、
本当に大体しくるっていうのが分かったんですよ。感覚的です。
いろいろあったんですね。
思っている以上に伸びないなというか、
もっと計算式を自分なりに見出しにいけるぞみたいな感じがあるけど、
自分自身はあんまり物事をすごく納めて仕事を回すタイプじゃなくて怒られてたんですけど、
そういう感じを逆に学んだところでもあったんですよ。
大きいことをするとか面白いことをやるっていうことを、
こういう人たちの背中を僕もこの作品を死ぬほど見た時もあったので、
こういう人たちになりたいっていう感じで僕は挑んでいたりもしたので。
なんかでもあれですよね、
ダサンというか、確かに先に見えちゃうとあんまり伸びないみたいなことは、
別にビジネスじゃなくてもそうあるだろうなと思ってて、
僕いつも映像とかも作るときに、
ここでこういうふうに感じてもらいたいみたいな感じの感情のピークとか作るのは結構避けてるというか、
こう受け取ってもらいたいからこういうふうな表現してますよっていうことが、
逆に何と逆の効果を生む、何なら嫌悪感につながるかもしれないなっていう。
僕自身そういうふうに誘導されてるなっていうふうな映像を見ちゃうとそういう気持ちになるので、
むしろ逆にそれをできるだけフラットに向き合うというか、
お客さんをバカにしないっていうか、
見てる人のほうが逆にとてつもなく賢いから最終的に、
見てる人たちのほうがこの作品とかをよっぽど何ていうか面白く解釈してくれるんじゃないかっていう思いでやったほうが
うまくいくだろうなと思ってるんですよね。
ビジネスとも結構それに近いのもあるかもしれないというか、
意外に何かここに狙ったらこうやって琴線に触れて響くだろうと思ったら、
そうじゃないたまにが転がっていっちゃうみたいな感じのところがあるのかなと思うんですよね。
そういう意味では逆があれだったんですけどね。
恋するフォーチュンクッキンだったんで戸惑ったんですよ。
逆に社会実験としてこうやったらこう響くだろうみたいなことを思いっきりやってみたら逆にどうなるのかなみたいな。
そういうことか。
すごい響いちゃったんで。
すごい自分が怖くなっちゃって。
一回閉じこもっていいですかみたいな。
そんなになるみたいな感じだったんで。
逆にあれは恐ろしかったですね。
確かに実験をめちゃくちゃ一生懸命やるっていうのはあるってことですね。
そうですね。実験ですよ。
なんでその実験志向なんですか。
なんでなんですかね。
これはちょっと言葉が汚くなるかもしれないですけど、
岡本太郎さんの作品とかに触れてたんで、
太陽の塔っていうドキュメンタリーを作ったんですけど、
彼の思想とかに結構僕は影響されてるなと思ってたんで、
いろいろ読み解くにつれ、結局彼が言ってる話のどこかには、
作品とか芸術作品って呼ばれてるものって結局はアーティストとかの排泄物ですよと。
そんなものだからありがたくご承大事にしてどうすんのって感じなんですよ。
彼の場合はアート作品が展示されて美術館で縄に囲まれて、
誰にも手を振れないでくださいみたいな感じで鎮座してることが
いかにバカバカしいかみたいな話をしてたんですけど、
僕もものすごくよくわかるなっていう体感があったんですよね。
自分の両親が、特に親父が芸術家だったので、
作ってるものとかを見たりとか、
たくさんいろんなものを作ってっていうことを目の当たりにしてきたことが、
それが自然だったということですね。
その感覚にすごく近いというか、
生きてること自体が表現をするっていうことにつながっちゃってるんですよね。
まさに作らざるを得ないとか作らずにはいられないっていう話かもしれないんですけど、
だから直結してるから、
普段生きててお風呂に入って体をこすったら赤が出ましたみたいな、
その赤を、わー素敵な赤ですねみたいな感じでしょうがないでしょみたいな感じと
感覚がすごくあるんですよね。
だからいろいろな試みとかも、
全部社会実験ですみたいなぐらいの気持ちのほうが、
僕的にはいろいろしっくりいくじゃないですけど、
チャレンジしなきゃいけないことと、
世の中に届けるためにいろんなことを考えた上で、
場所を作ってみたいなことのバランスが取りやすい感じがしてるんですよね。
自分がだから、それが横じゃないとか、
そういう自分じゃないとむしろバランスがおかしくなっちゃうっていうか。
こうでなければならんみたいなことが入ってくれば入ってくるほど、
それこそピュアじゃなくなっていくし、
最初にこれが面白いんじゃないかっていう思いとか、
こういうこととこういうことを組み合わせたら、
素敵なシナジーが生まれるんじゃないかって思ってたことが、
何か横軸のものとかが、縦軸のものとかが、
これはでもこういう定型分にのっとって、
こうした方がいいんですよねってなってたりとか、
されていけばされていくほどつまんなくなっていくってありません?
いや、ありますし。
それって結構僕の勝手な思いとしては、
一回行き切らないとそこの感性にならないとか、
逆にすごいそれを意識したり摂取したからがゆえの、
ちょっと2週目みたいな。
人生2週目。
どうなんですかね。どうだろう。
そういうこともあるかもしれないです。
自分でちょっとよくわからなくなっちゃってますけど、
どうですか。TAMONとかは。
だっていっぱいめちゃくちゃ作ってきてるじゃないですか。
2週目ね。2週目って言うと、
今自分がやってて面白いと思うのは、
映像を作る会社で言うの良くないと思うけど、
映像を作るということ自体が面白いというよりは、
もともと仕組みを作るのが面白いと思っているタイプの人間ではあるので、
出来上がったものはまさに今甲斐君が言ってたみたいに赤というか、
これ作ったなというのは思うし、別に赤とまでは思わないけど、
別にそこにあまり価値はないと思っていて、
作っていく過程が時代とともに変わっていったりとか、
ちょっとそういう活動してるわけじゃないんで、
なんだけど、映画業界で働く人のね、
女性の働く環境を整えようということで、
NPOみたいなの作ってやってる人がいるとか、
そういうのにもちょっと興味があったりするわけ。
別にそれがやりたいとは言うわけじゃないんだけど、
その仕組みをどういうふうに現代に合わせてカスタマイズするのかどうか、
アジャストするのかみたいなこととか、
あとさっきチラッと雑談で収録外から話したかもしれないけど、
機材とか安くなって、かなり安価にいろんなものが作れるようになった現代において、
もっと映像を作るってことって、
簡単に民主化されたというか、
すごい大きいお金をかけないとできなかったものが、
そうでもなくできるようになったっていうことを、
いろんな企業だったり、いろんな人が体現できる、体感できる、
享受できるみたいな世界がもっとあるといいなとか、
そういうことに興味があったりするんで、
そういう意味での作るっていうのは面白いなと思うんだけど、
1つの15秒のCMを突き詰めるぜっていう感覚は全然なくて、
そんな感じかなと思う。
多聞さんは前からそういう感じがちょっとあったんだよ。
ずっとこう思った。
それこそもっとさらにバードビューで見てるっていうか、いろいろなものを。
その上で何かどういうふうに構成を変えたら面白いかみたいなことを
考えてる人だなっていう覚がすごくあったんで、
ある意味ね、多聞さんらしい。
今でも変わってらっしゃらないんですねっていう感じの話であるっていうかさ。
僕ね、葵にいたときは、これ葵から別に言われてたわけじゃないんだけど、
選挙に行こうとか、政治的なこと、宗教的なことに参加するべきではないという空気がすごいあったわけ。
今シングメディアに来て別にそういうタガもないし、
そういうのにも参加してみたいなと思うしね、いろんな活動してみたいなと思うのと、
あと今子供が2人いて、その子たちがどう育っていくのかとか、
すごい興味がある。
さっき言ってた映画は勝手に生み出したけど、
育っていく過程で全然思ってたと違うことになるっていう面白さは人間にこそあるなって思うね。
それこそ同じ過程で育った2人の兄弟が全然趣味趣向も違うし。
全然違うもんね。
そう。
後作のとこも子供2人でね。
面白いな。
面白いよね。
人間がどこまで行ってもインディペンデントな存在であるってこと?それぞれ。
が面白いんですよね。
本当にそうだね。
人間が固まりとして日本人とか、固まりとして映画産業の人とかCMの人とかじゃなくて、
それぞれですっていうことをちゃんと認識し直すことの方が面白いし、いろいろうまくいくんじゃないかなって気がしてるんですよね。
だから、さっき言った話戻っちゃうけど、
目的があってこの人にこういう風に思ってもらいたいみたいなことよりも、
この人がどういう風に考えるかを楽しみたいみたいな開かれてるもの作りしてた方が、
ぶっちゃけ面白いことになりやすいっていうのはあるだろうなと思うんですけど。
なんか難しい話になりすぎたかもね。
いや、広くなりすぎるね話がね。
こういう話もできないとダメなんですよ。
我々世代は。
ちょっとあえて上の世代って言いないですけど、
格好良く見えているというか、
自分たちもこういう人たちにならないとダセーなって思ってたんで、
ずっと追いかけ続ける世代間ってずっと終わらない感覚があるんですよ。
でも、おじさんになるってことはニヤリイコールかもしれないから、
そんなになんか別に今からしなくてもいいんじゃないですか。
さっき休憩時間にチラッと話したんだけど、
僕今年51で、小崎は50で、
50の問題を突破したものとして、
僕が以前ね、シングメディアの若い子に、
あと10年とか、定年まであと10年しか働けないって意識して言ったわけじゃないんだけど、
とか最高要望で含めたって15年しかないって言ったら、
しかっていう感覚なんですねって、
えーそうなんですねって言われたんだけど、
その話小崎君に言ったら、小崎君も10年しかないとか、
15年しかないんだっていう感覚になってるっていうのがあって。
言いながらも、感覚として確認しているわけでもなく、
だよねって感じなんですよね。
すごくそう思う。
別に働きたきゃ作りたきゃ永遠に作ってればいいんだけど、
死ぬまでやってればいいんだけど、
なんか切れ目というか、
定年っていうものを一つの区切りとするならば、
あと10年しかない。
え、意外と早いなっていう感じが。
それはやっぱ思いますよね。
自分たちの先輩見てても思うし、
あと自分のピークはこんくらいかなとか想像すると、
実験をするにしても重大な実験しかやるようにしようと、
やっぱなっちゃうからね。
山田陽次監督が何回秋元先生がオファーをしても、
首を縦に振ってくれなかった。
作りたいものがありすぎて、
1分たりとも時間を無駄にできないと、
僕には時間が残されてないんですって言われて、
それはもうどうしようもないなって言って。
それはね、しかも世界最高齢監督に今もはやね、
これからチャレンジされるんじゃないかという感じの方なのね。
そうですよね。
でも作りたいものが溢れててしょうがないんだ。
僕には時間が足りないんですってすごいセリフだなと。
いやでもすごいよくわかりますけどね。
なんかCMから映画に行った監督?
スパンとか機関の話とか、時間を聞きたいですね。
先ほど話したような先輩方みたいなことで言うと、
中島哲也さんとか吉田平橋さんとか山口健二さんとかいらっしゃいますが、
そんなに数多くないんですよね、ぶっちゃけ言うと。
それは映画監督になったCMから?
CMから映画に行った人たちで、ずっとその後映画やられてる人ってなると、
すごい自分にそんなにたくさん時間があるとも思ってないし、
結構一個一個大事にしないと危ないでと思いながらやってるので、
時間が何よりも大事ですよね。
なるほど。
1映画というか3年から5年ぐらいはイメージかかる?
すごいバラバラなので本当に何とも言えないんですよね。
割と短期間でバッとやれるとかもある?
最初に作ったその生きてるだけでないとか隠し事っていう映画とかは、
やっぱり1個作るというのに6年とか7年とかかかってて、かけすぎだよって感じなんですけど、
フロントラインっていう映画とかはもう2年で作った映画だったし、
2年というのは2年かかってないかもしれないですね。
だし、モンエルドレスを積んでっていうドキュメンタリー映画もあったんですけど、
あれも本当話し始めて、しかも割と結構雑談みたいな話をデザイナーの彼と一緒に話し始めてから、
中田敦彦さんっていうファッションデザイナーの方と一緒に、
初めはチリに行こうとしてたんですけど、しかも別に映画撮るとかじゃなくて。
それがいろいろあって、ケニアに行くってことになった時に、
映画にしようかってことを話し始めたんですけど、
初めはあんまり深く考えないで話し始めてから、
それでも1年後にはもう、数ヶ月後にはもうケニアに行ってて、
1年後にはもうほぼ映画になってたんで、相当早かったですね。
バラバラなんですよ、スパッと。
ドキュメンタリーは回すんですか?
回すのもあります。
例えば、短編をドキュメンタリーをいっぱい作ってたんですよ。
ノディンっていう社会活動をそうしてて、
これは政治的な話ですけど、
2013年ぐらいに自民党が憲法の改正相談っていうのを出して、
そこに基本的人権ってのは削除されてるじゃないかってなって、
すごい怖ーってなって、
ちょっとそういう広告とかミュージックとかやってる人たちでも
集まって話し始めようっていうのが、
だんだん社会活動化してきて、
ノディンっていうアートアクティビティズムみたいな感じになってたんですけど、
それを踏まえて映像を作った時に、
短編ドキュメンタリーをいっぱい作った時には、
やっぱり自分で手持ち弁当で行くから、
自分で回してっていうのが当たり前になってたんですよね。
最初の太陽の塔っていう時は、上野仙像くんがカメラを回してくれて、
やってたんですけど、
2本目の燃えるドレスを紡いでっていう時は、
ポーランド人のアンジェっていうカメラマンが一緒にやってくれてたんですけど、
さすがに彼と一緒にずっといるわけにはいかないぐらい、
ずっと僕が向上的に中田勇さんと一緒に過ごしてたので、
その時はもう自分でカメラを回してました。
もう素材なんて膨大になっちゃいましたからね。
そういうもんですからね。
そういうドキュメンタリーはね。
ドキュメンタリーは文業で編集の人が素材渡されて、
お願いねって言われてもどうにもならない。
どうやって編集?
そうですね。
例えばでも、本当に物によるなというか、
太陽の塔の時は本田さんっていう編集の方と一緒に、
本田カットさん?
本田カットさん。
いつの頃からカットさんってことだ。
どういう名前やねん。
と一緒にめちゃくちゃ細かくやったんですよね。
ありとあらゆる人たちのインタビューを紡ぎ合わせたら、
人間の大意識みたいになったら面白いなみたいな感じでやったんですよ。
だからもう全部、残念ながらその時はAIとかなかったから、
全部書き起こしをスプーンの方がしてくださって、
さらにそれをプリントアウトしたものを僕がもうハサミでちょくちょく切りまくって、
わーって並べて、それを本田カットさんがそれをマンダラって呼んでたんですけど、
それを編集してこうなりました。
またそれを僕がハサミで裁断してってことを延々繰り返してやられたんですけど、
でもモエルドレスの時は全然違って、
こういう話でしたよっていうか、こういう体験でしたよみたいなことを、
井出麻里子さんっていう方が編集なんですけどに渡して、
ある程度彼女が自分の裁量で少し見て繋いでくれて、
フェードバックを普通にしながら、
割とこう普通に編集していくみたいなやり方に近いっていう感じでやってたし、
全然毎回違うようになるんじゃないかなと思いますね。
映画は?
映画は結構ね、これまた難しい話になっちゃいますけど、
本当撮り方によると思うんですけど、
僕は割と何て言うんですかね、あんまりショットが多くない一つのシーンに対して、
あんまりショットをいろんなアングルから撮るのは好きじゃないんですよ。
マルチとかもないっていうか。
ほとんどだからできるだけワンショットにしたいとかなっていくと、
もう決まっちゃうじゃないですか、そこで。
ある種の編集に制限をかけるような撮り方になっていったりするっていうのがすごくあって、
なんで、ある意味困らないというか、
映画の編集の場でもっと全然違うところで頭を使うというか、
一個一個のシーンをどこで繋ぐかとかいうよりも、
全体として見たときに、
このストーリーをこういうふうに繋いだら、
こういうふうに人は読み解くであろうということを利用して、
じゃあこっちにしましょうとか、
単純にもちろん長い短いとかもすごくあるし、
映画を見て2時間とかもしかしたらそれ以上の経験の中で、
どういうふうなペースを作るかとか、
そういうふうに編集していくので、
またちょっと視点がだいぶ変わりますね、いわゆる。
特にナラティブの劇映画だと。
これ最初の生きてるだけである、
CCMをやっているときと困ったこと、
編集の今話だけで言ったら何かありましたか?
困ったこと?
すごく膨大な量を俯瞰でより長い尺を向き合うみたいなことと、
割と短い中でいくつか。
そうですね。
短い尺のものを作るって極論、
要素が積み込まれている絵をパッと撮れば、
はっきり言って誰にもできないとは思っている正直さ。
だから長いウォークになればなるほど、
なんで難しいかっていうのは、
さっき言った物語と密接に結びついているからなんですよね。
脚本を自分で書いてるじゃないですか。
ウォークの場合、フロントライバーの増本さんが書いてくださってるんですけど、
その場合このシーンはこういう風になるよって設計図を自分で作ってるわけですよね。
自分で撮るじゃないですか。
でもそれを積み出たらやっぱりいろんな事情とか、
役者の場合とかを大事にしたいってなっていくと、
やっぱり長くなっていったりするじゃないですか。
そうすると2時間にしたいものが初めて積めたら3時間半だとかするじゃないですか。
それ半分近く消されなきゃいけないって言ったらどうします?みたいなことがあるじゃないですか。
それって結局、自分が極論言うと半分以上無駄な話を書いたかもしれないし、
半分以上無駄な労力とお金を使って、
みんなに自分させて役者に芝居させたかもしれないじゃないですか。
それに対する超ウルトラ後悔があるんですよ。
それの度に、とにかく脚本の段階でいかに編集を読み切っていかに削ぎ落としていけるかが、
まず監督にとってはとてつもなく大きな勝負事なんですけど、
それをできるだけ孤独に何年か自分の中でやり尽くしてからの編集みたいな感じなんですよ。
けどそれでもまだ足りなかったっていうのが映画の編集なんですよ。
まだ極めてないというか。
全然まだ極めてない。
全然違いますよね、視点が。
違いますよね。
ちょうどドラマ1年生的にいろいろやってた時も、
なるべく脚本を削ぎ落とされないと、
むしろ無駄にお金も自費ともいろんな人たちのスケジュールももらわなきゃいけないことになるんで、
実はすごくムズいというかブレがあって、
それを供養してやってたらそれはいろんな人に迷惑をかけることになって、
逆にショートすれば面白くないというか、条件を満たさないものになるみたいな立て方ショートドラマをやってたんですけど、
結構そこは脚本の時点で大きく決まってしまう。
脚本が全てなんですよ、極論言うと。
なので特に僕らみたいなコマーシャルとかミュージックビデオとか映像の表現の方から入っていった人って、
ビジュアルから入っていっちゃうとどうしても盛ることになりたいじゃないですか。
足りなかったら盛ることによって映像を豊かにするという技術でずっとやってきちゃったから、
そういう運動の仕方、そういう筋力のつけ方をしてきちゃってるんですよね。
逆にそぎ落としてずっと長く走るっていうマラソンみたいなことを映画ではしなきゃいけない時に、
筋力赤いねいいねみたいな感じの運動の仕方してないからみんな白筋だから、白い筋肉ばっかりみたいな感じなので、
特にプロデューサーの人とかは脚本を見て自分がこれに対して打ち返すみたいなこととかがすごく試されちゃいます。
いやマジむずいし、ここまでは永遠に掘りがいがあるというか極めがある。
その脚本を切り取っちゃったら、そぎ落としてしまったらすごくご都合な内容になってしまうっていう。
その登場人物の何かがあったからこの葛藤が生み出されてるみたいなその何かをそぎ落としちゃって、
いきなり葛藤みたいになるとこいつ役として葛藤の役なんだなみたいな風にしか見えないとかあるもんね。
そういうそれが2時間とかのスパンで考えなきゃいけない。
まあそりゃ大変ですよねってね。
それが面白いと思ってやるしかないっていう感じである。
一人の人間が考えて脚本作ってたら、やっぱりそのいろんな人がいるっていうのが表現できなかったりとかね。
いい作品だなと、どこどこか面白かったなって思うのって当たり前のことなんだけど、
映画の中の人がまるでそのドキュメンタリー見てるみたいに、
怒る理由あって怒ってるし、この人こうやって怒ったんだっていうことが違和感ないっていう。
別にこのシーンがあったからそりゃ怒るよねとか、いいテクニックだなとか思って見てないから、
出てきた人が一人も嘘じゃないみたいな感じで終わるっていうのが、
もしかしたら監督からしたら最低限のことだよそんなのって話かもしれないけど、
1時間半とかのストーリーの中で嘘っぽい人が一人もいないって結構大変なことだと思うわけ。
だから本当に映画を作りをすればするほどやっぱり、
誰とどのプロデューサーと一緒にこれを作るかってことはとてつもなく大事なんですよ。
監督ってどうしても孤独になるし、それが当たり前の前提の仕事だと思うんですけど、
その時に一番プロデューサーが信頼できる間であることが一番ハッピーっていうか、
これはこのシーン削った方がいいかいけないかみたいなことを、
例えばこのプロデューサーと話すときに、
費用対国家としてこの人は削れって言ってるなっていうことが見えちゃってると、
信頼関係が崩れちゃうじゃないですか。
じゃなくて作品のためにあくまでもこれがない方がいいってことがお互い握れたら、
ちゃんとそれで前に進めるじゃないですか。
その感覚があるととても健康的に前に積み上げられるなと思うから、
これがめちゃめちゃ大事かなと思うんですよね。
そうじて絆というか理解、お互いパートナーズっていうものがすごく大事になってくる。
何にゴールを置いてるかですよね。
いかに嘘ついてないか。
ゴールついてるか同じかっていうことを共有できてるかがすごく大事かなと思います。
そこはズレてたりとか隠されてたりじゃなくて、
1個みんなで期待出して、これじゃ叶えるぞみたいなことですよね。
広告でも似たようなことはあるんじゃないかなと。
意外とそういうところでやり始めてるんだけど、
そうならないのがありますよね、呪いというか。
クライアントが言ってるとこやってくださいって言われると、
いやいやお前の主体どこだよって話になったりするし、
どっちもね、監督でも自分の作品として残った時に、
このシーンないと自分のこだわりなんで、
それはご自身の作品でやってくださいみたいになるし、
姿勢は大事かなって思うけどね。
聞きたいのが、フォーチュンも含めいろんな作品映画とやった中での、
ここ自分の基準下げたらやばいみたいな、
ここをやらないとまずいでしょみたいなところってあると思うんですけど、
大沢さん的にその意識とかそこってどう考えられてたんですか。
本当日々そういうものだらけなので、
何を持ってって難しいんですけど、
やっぱりそれぞれの作品で描こうとしたことの本質ですよね。
まず見えてるか見えてないかが大事だったりとかするんで、
その本質が守られてないかが一番大きな基準になりますよね。
これを崩したらこの人のこういう人間性を追うとしましたよねみたいな話なのに、
それを削ったらその本質がダメージ食らうなと思ったらそこは譲れない。
じゃあ他のところでこういうことがあったらどうですか。
そこはでももちろん影響あるけど、
この本質は骨は守られてるから肉は切ってもいいだろうみたいな感じで、
それぞれその瞬間瞬間に合議制でやっていくしかないかなと思ってるんで。
基本は作っていく過程で削ることの方が後手に多くて、
もちろんもちろん。
増やすってことはほぼないぐらい最初に。
増やしてくださいよみたいな。
映画では増やしてくださいは結構難しいんですよね。
でも何か生まれてたりするんですよ。
意外にそれ面白いねってプロデューサーが言ってたりするから。
そしたらみんなでやることになって後で後悔するみたいな感じで大変ちゃうみたいな。
それが面白いんですけどね。
CMだとよく事情カットみたいな。
いろんな方の事情で撮らなきゃいけないんですとか。
撮って使うか使わないかわからないですけど一旦撮っておいてくださいみたいなのあったりするじゃない。
映画だとそういうものはそんなには存在しない。
それはないです。
そういう現場がある現場もあるのかもしれないんですけど、
僕はちょっと自分で経験したことないんですが、
でも何かそういう意味ではクリエイティブヘッドが少なければ少ない方がいいっていうのはすごく大事だし、
結局的には監督とプロデューサーの2人で決める。
現場のことは監督、画面外のことは全部プロデューサーみたいなこととかの方がきっちり話が早かったりはしますよね。
信頼関係ですよね。
それは物作りのどの現場でも同じことだと思うし、間に入る人が少ない方がよりシンプルだっていう。
だからそこが広告はなかなか複雑になりやすいところであるかもしれないですね。
どうしても自分たちのお金で作ってるものはないし、映画もそうなんですけど、
お金を出して自分たちの企業のブランド力とか商品の力を高めるためにこれを作ってほしいっていう、
そもそものプロジェクトのゴールがあるから、
そのためにはどうしてもその間に関わる人の意見とかの方が強くなっちゃうじゃないですか。
そこがややこしいところではある。
構造上しょうがないんですけどね。
広告は大きい予算になればなるほど関わる人数増えるし、
承認レイヤーも増えるし、
ソフトバンクとかで言ったら孫さんが現場でCMを見に来るってないわけだから、
その間にいる人たちが判断をしていくし、
最終判断の決定者はやっぱり上層の人になるから、
みんな違うこと言うしねっていう。
見てる側面も違うし、そういうもんだなというふうに。
改めて考えると大変だなと思うけど、
その世界で生きてるともそれが当たり前になってしまうので。
そういう意味ではね。
どっちもどっちなんですよね。
それが別に悪いことでもなかったりもするっていうか、
いろんな人たちの意見を取り入れて物を作るってことが
必ずしもネガティブなことではないと思ってるんで、
その面白さもあるじゃないですか。
あまりにもそれに慣れてしまうと、自分で判断する。
じゃあ今、はい、自由ですよ、自由な演技していいですよって。
はい、踊ってやってる時に、踊り方わからないみたいなことになりやすいことも
同時に真実なんで、どっちも一緒にやらなきゃいけないっていうのは
この仕事かなっていうのがあります。
割と時間もあれなんですけど、
今後撮りたいものとか、描きたいテーマ。
今ある程度発表になっちゃってるんであれですけど、
次にやるやつが、薬丸学さんっていう作家の方が書いて飾った
サイロの祈りっていう原作の小説があって、
それを怪物の祈りっていうタイトルに改題して映画を作ってるんですけど、
なかなか非常にヘビーな、
これまたスーパー社会的に話しちゃったりとかしてるんで、
教会誌ってキリスト教の教会誌とか仏教の教会誌とかいろんな誌なんですけど、
刑務所とかに行ってお話をする職業の人じゃないですか、
あの人のお話だったりするんですよね。
そういう人が自分の子供を殺した時に、
その犯人はどういうふうに対話を試みるかみたいな話だったりとかしていて、
またかなり重めの…
一行聞いただけた方がいいですね。
そういうものばっかり最近やってきてたんで、
少しちょっと違う経緯のものも作りたいなと思ってますけど、
まずは一旦そういう人間の可能性を探るみたいなことをやってるんですけど、
ですかね。
やはりちょっと永久に話せますが、
切ります。終わり。
話は尽きないですよね。
話は尽きないですけども。
というわけで、今回のゲストは、
非常作家、映画監督の関根光彩さんでした。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。