恋する法中軍旗のディレクターって紹介されるの多分嫌だよね。
嫌だねっていうことじゃないんだけど、
未だに出来上がってから自分でもあれをどう解釈していくかよくわからないっていうものであるし、
そういう時代だったとも思いますけど、そういうの面白いですよね。
僕、振り返ってみると、あの作品で光沢君がすごいこだわったのは、
ピンで踊る人たちを超プロ呼んでこようって言って都内で撮り直したじゃない。
あれが入ってたか入ってないかで随分仕上がり違うなって思うんだけど、
なんか唯一、唯一じゃないけど、一番こだわったのはそこだったなってすごい記憶に残っていて。
そうですね、なんか経緯が経緯の、また後で話すのあるかもしれないんですけど、
ちょっと不思議な入り口から入った作品だったんで、
僕が申し訳ないながら、AKB48の皆さんのこととかあまり詳しく知らないし、
アイドル業界のこととかもはっきり全然詳しくなかったんですよね。
なんでああいうことになった時に、いろんな人たちがアイドルで、しかも当時ものすごい人気だった皆さんと一緒に普通に踊ってるみたいな、
友情光景を作りたいなあみたいなのがあったっていうのはデカかったんですけどね。
そんな中でタモンと出会いみたいな。
出会いはそこなんですか?
もともとの出会いはカンヌかなんかで会って一緒に飲んだとか、なんかそんなんだったと思う。
で、面識はあったんだけど、仕事をしたことはなくて。
そこで。
最初、僕別のディレクターを提案してて。
すっごい嫌がる江藤さんとか。
嫌だって言ってんのに無理やり提案したりとか。
もう提案するよって言ってたりしたりとか。
あと他にもね、お二人ぐらい提案してたんだけど。
今回甲斐さんに決まりました。
甲斐さんなんですね。
じゃあ頑張ってくださいって電話切った30分後ぐらいに電話がかかってきて、
全部のプロダクション断られちゃったんですけど、やってもらえませんか?みたいな。
すごいですね。
それはエム君ですか?電話してきたのは。
エム君はプロデューサーさん。
なるほど。
そういうことがあるんですね。
そのきっかけになった方がいるんですけど、
ちょっと非常にやらかしたことがあって、
しかもそのまま会社から消えてしまったっていうのを噂で聞いて、
どこにいるか知りませんか?みたいな捜索願いが出てて。
ずいぶん経ってから、
あそこの会社に入ったらしいと聞いて、
風の噂が聞こえてきて、まだ生きてるんだなと思ったんですけど、
ある日急に電話がかかってきて、直伝で電話がかかってきて、
甲斐さん覚えてますか?エムですって言われて、
覚えてるでしょ、お前よく生きてたなみたいな話。
今何してるの?って言ったら、
実はこういう会社で働かせていただいててみたいな話聞いて、
甲斐さん全く興味ないかもしれないですけど、
AKB48っていうグループがあって、
毎年総選挙ってなってて、
ミュージックビデオ作ってるんです。
今年は秋元康さんっていう本体に、
いろんな監督さんを提案して毎年してるんですけど、
残ったのが甲斐さんだけだったんで、
もうよろしくお願いしますって言われて、
ちょっと待って、お前一体何年ぶりに電話してきて、
いきなりそれはお前本当にどうかしてるぞみたいな。
それ知らなかった。
知らなかった。
前もって提案しますねってなかったんですか?
ゼロ。
それ知らなかった。
それでいきなりそんな話になって、
何を言ってるんだってなって、
とにかく会ってくださいみたいな感じになって、
うわーってなってるから、
会いに行ったら、
M君がストレスで片耳が聞こえないぐらい、
ずっと手が振れてるし、携帯持ってる。
どんどん話していいのかみたいな話に突っ込んでますけど、
大丈夫みたいな話になって、
ちょっとやってもらえないと、
僕はもうどうにかなってしまいそうですみたいな感じになって、
やるしかない状況に追い込まれたんです、正直言うと。
そうだった。
それは知らなかった。
知らなかった。
撮影はいつですかって言ったら、
話を聞いた時点からすでに2週間後ぐらい。
それも何を言ってるかよくわからない。
俺にはよくわからない。
感じで、
なんとなくお祭り作業をしたいということだけが
ホワッと決まってますみたいな感じだけ聞いて、
2週間後ってどうするのみたいな話になって、
したら薬師ダモンさんという、
講座さんもよく知ってると思うんですけど、
人が受けてくれるかもしれないですみたいな話になって、
今この状況からこんな恐ろしいことをやってもいいよって
言ってくれる人がいるんだったら、
もうすがるしかないんじゃないって言って、
そこが。
話が言ったらすぐ来てくれたんだからその時。
記憶がちょっとどこかに。
すぐというかニューヨークで撮影してて、
帰りそのまま成田から、
総選挙の場所に直行して。
すごいですよね。
それで来てくれて、
いいんですかね、この話。
いいですよ。
2週間後ぐらいだったじゃないですか。
だから企画を持ってったんですよ。
フワッと聞いた概要だけで。
現実的にできそうだなっていう企画。
その時ダモンいたっけ。
いた。
あきもとさんのところに。
直接。
プレゼンするつもりが。
監督が直接話す。
毎回それはそういう決まりになってる。
海外みたいな直接話をするみたいなのがあって。
1時間でそれで終わりみたいな。
企画を見せようかなと思ったら、
あきもとさんが急に関根つくなり、
関根さん今日は見ていただきたいものがありましてって言われて、
はあって言ったら、
フェリスはある朝突然日程があるんですよ。
それをVHSですよ。
ビデオで書き始めて流れたら、
ニューヨークの5番街で、
ほとんど地平線を見渡す限り、
人がパレードをしてるみたいな。
カメラをパンしていって。
ディズニーパレードみたいなね。
ずっと人がいるみたいな。
私はこれをやりたいんですって言われて、
以上みたいな感じだったんですよ。
じゃあよろしくみたいな。
俺も聞いて置いといてと思って企画を出そうかなと思うんですけど、
そしたら周りのxx、皆さんの周りの方々が、
お前、その企画出さないみたいな。
目で静止してるんですね。無言で。
え?って思って
いや、え?みたいな。
え?みたいな。
この変な大釈迦のままずっとホニョホニョしてて、
いいけどどうすんの?みたいな感じで、
秋本さんをお帰りに乗られて、
その後に、いや、でもどうすんですか?みたいな。
よろしくお願いします。
いやいやいやなんだこの恐ろしい なんかと思ってそれで終わって
すぐに多摩の友人これどうすんだ みたいな話になって
作戦会議
やるしかないんだろうねみたいな なって
おかしいですよね大変
やるしかないんだろうって多摩 がやるしかないんだろうでいい
んだったらいいんだけどと思い ながらだったらもう突っ込むと
なってどうしたらいいかなと思 ってたそのときまだ総選挙の前
だったんですよ
実際に聞いた
本当にガチでやってるんですね あれねだから決まってなくて
しかもその順序がなんか僕は曖昧 になってるけどその
じゃあその光彩くんが呼ばれた 場には僕はいなかったかもしれない
僕はそのなんか映像見されたのは 覚えてるんだけど
そうだよねだからもしかしたら 最初m君と会ったその次の人が
ヨグエクジスとかに会ってるのか もしれない
で話して企画書いてでそのとき でもその総選挙の前で
二人でこれどうすると日本でそんな ことをパレードをするってなったら
現実的にどうやってやるんだって なったらまず最初に考えてその
話し合ったのはファンをお呼び すると
ファンを呼ぶってやっぱそれまで 禁じてて使ってなかったんですけど
ファンを呼ぼうと
でその日本最大級ぐらいの人が エキストラとして踊ってるみたいな
ぐらいのものを取れないかな みたいなのがまず最初のファースト
インプレッションというかそれを 見たらそういう考えしかないんだけど
それを可能にするような場所って どこだって話しててタモン君と
ほぼ直感で二人とも福岡ぐらいしか ないだろうとこんなバカなこと
言ってくださるのは
あれはさしあらが1位になったから これは福岡って思ったんだった
と思うんじゃない
違った違ったあのときはまだ 決まってなくて
地方だろうなぐらいですよねなん となくですけど
そう地方でどこでやろうかって なって極端に言うとその県警と
話して許してくれその場所みたいな 感じの直感で話してたんで福岡
ぐらいしかないんじゃないかって なって福岡と交渉し始めた後に
総選挙があってさしあらさんになったん ですよ
なんかちょっと噛みがかったんですよ
すごい
いくつか聞いたのに
違う違う俺じゃなくていっぺい ちゃんだった
いっぺいちゃんだっけ
先に先行して動いてもらったニューヨーク から連絡して
そうかそういっぺいさんがいるん ですよね
そうそういっぺいちゃんっていう 僕の青い時代の同期のプロデューサー
がいて彼だったかもしれないね いくつかの大きい都市のフィルム
コミッションに連絡を入れて聴 いてもらった感触を聴いてもら
ってたんだけど
いや2週間は無理っすねそれそう ですよねみたいな
返答しかこなくて
いや無理ですよ
って言われたわっていう連絡を もらってたんだよねみたいに言
ってて
そうか
そのテンションで決めたのはい っぺいちゃんと俺で決めたのか
もしれない
うん
そしたら福岡は行けるみたいな
そう福岡はまだフィルムコミッション の課長レベルはうーんって言って
ていや無理っすねって言ってて
そこのアイデアを何か
でさしあらになりました総選挙 のその場でビデオ撮ったんですよ
あそうだそう
そう
ステージビデオ
高嶋市長こんにちはみたいなビデオ を撮ってそれをフィルムコミッション
の課長に渡したら市長が一肌脱ぎ ましょうってなってトップダウン
で使えることになったっていう そういう経緯
そうそうそう懐かしいだからその 福岡に内々でもうしようって決め
たタイミングが総選挙の前だったら すごい覚えてるんですよね
うん
神がかってるなって思った
完全にそこでさしあらさん以外 が来ても究極やるかもしれない
けど
やれるところは主要都市じゃない とやっぱり絵として成立しない
からっていうのが多分あった大きい 都市で本当だったら銀山のね中央
通りで止めてやりたいぐらいの 気分ではあるから
ちょっとゼコしちゃうんですけど 高嶋さんのプロフィール説明して
ないかな
確かにちょっと編集で差し込み ます
高嶋さんです自己紹介お願いします
簡単にプロフィールご紹介します ってなってるよ
じゃあ田村さん
僕関根光彩さんですねもともと その広告映像とかミュージック
ビデオとかあと作品映画ドキュメンタリー まで今幅広く手掛けてらっしゃ
いますがもともとは広告映像が 出自ですよねしかも制作からディレクター
に転身したの
そうですね最初スプーンという 会社で制作部入っていわゆるプロダクション
マネージャーを1年半くらいやって 監督がやりたいなと思って辞めて
しまったという大変失礼なこと
いやでも制作からディレクター になる人っていうのはやっぱり
いってすぎて経験積んでるってこと ですよねわかんない業界っちゃ
業界でしょ
なんか今ではインターネットが あっていろんなもの調べられて
だったんですけど僕が会社にこの 業界入ったの2000年ちょうどだったん
ですけどそのときやっぱ本とか しかないじゃないですか頼れる
資料で別に本も別に本当にわか ってる人が書いてるわけじゃない
から
確かに
一体なんだこの横文字の仕事は みたいなプロダクションマネージャー
そもそもプロデューサーとかディレクター っていうことの中身をよくわからない
なと思ってやってみないとわかん ねえよみたいな感じで始めたん
ですけどね
CM作ってる会社入るかその前は 普通に行った大学とか
そうですねその前は普通に大学 行ってて哲学を勉強したんですよ
なんですけど哲学やったらちょっと 話してる議論がさまつすぎるな
って話になってきてもうちょっと 生きてること自体とかを考えたい
のになみたいな感じだったんですよ で留学でもしようってなって交換
留学とかするときにコミュニケーション とかデザインみたいな感じとメディア
とか映画とかの授業もあるみたいな とこに行かしてもらってそこで
映画の授業とか写真の授業とか を取っててこれはすごい面白い
なと思ってっていうのが映像をやり たいなと思ったっていう
決めて頼むそうだって言っていた とうですね
そうですね
スプーン以外は受けたんですか
スプーン以外は受けたんですね 多分ねちゃんと覚えてないですけど
でも当時ね就職評価機能超僕その 頃以外
その頃以外まじ入れないみたいな
一番真下だったんですよ後から 考えるとだったんでちゃんと覚えて
ないですけどそもそも募集みたいな のほとんどなかったかもしれない
ないですよ入れろっつって行かない わけに
感じででもスプーンっていう会社 に入らせていただいてその後監督
入れたいなと思って
やめ
そうスプーンに演出部がなかった ので演出部がある会社を探して
みようってなってちょっとバックパッカー とかした後にハットっていう会社
に入らせてもらって
ハットですね
そうなんですよそこで演出やらせて いただけるようなadみたいなの
やってからって感じでしたね
僕だからちょっと差し込みます けどライトプレイスはもうめっちゃ
覚えてます
あれですよ
すごかったですよねなんだこれ っていう
僕も短編映画を最初に作ったんですけど それがだから本当に監督をやれた
きっかけだったんですけどやっぱり 下積みするとすごい時間がかかっちゃう
し自分の場合は留学もしてるし スプーンっていう会社を経営して
て普通に就職する人よりも3,4年 年次が多いから普通にやったん
じゃ間に合わないなと思ってみたいな ことを考えてたんですけどその時
当時今の何だっけ映画祭映画祭 じゃない広告祭アドフェスト
アドフェストはいアドフェスト でしたよね確か
アドフェストっていう広告映像祭 で映画広告祭で初めて新人監督
のための登竜門みたいな感じで
あれ新設されたんですか
うんあったあったアピラスみたいな
そうで脚本募集みたいなのがあって それに応募したのがその部門の
1年目だったんでそれでありがた く作らせていただきましたという
それでもう合格しちゃってるかどう って
あれそっちが金を出してくれたん ですか
あれはすごく微妙なあれで日本の それも言っていい話しか聞かない
JACってコマーシャル協会がお金を 出してくれたんですけどちょっと
金額がそれはお弁当くらいにでも 持ってもらってあとはあなたの
会社の社長が何とかしてくれる でしょうかみたいなびっくりした
でもkodakとかが協力してくれたり とかフィルムとかハットの当時の
社長さんがしょうがないって言って くださってタンペーンを作らせて
もらったっていう経緯がありました
ハットの社長さんって僕もちょっと 名前失礼しちゃったんですけど
ディレクター出身の人でしたっけ
いや当時はアトベさんっていう 人でその人は制作部というか
そっからちょっと駆け足で行く とあれですか
割とでもそっからすぐもうコスコボ サイさん有名になった人いない
でしょうね
いやいや全然
でもアディダスの
別れさせ屋
ムービーがその別れさせ屋がシルバー かなんかね撮って館で
そうですねあれ面白かったですけど ね
面白かった
あれどういう経緯だったのでも 海外から直接急に連絡もらって
アディダスのプロジェクトで日本で 短編映画みたいなのを撮りたい
みたいになってそのテーマを探している うちに別れさせ屋みたいな仕事
が日本にあるかのようなフェイク モキメンタリーみたいな感じ
いい感じで作ろうみたいな感じ になって話し始めたで作ったんです
けどで作って館内で賞をいただ いてワーってやったんですけど
そしたらその後なんか調べてたら 日本で本当にそういう仕事があって
事件があったんですよなんか別れ させ屋をやってた人が刺されちゃ
ったみたいな事件があって急に 別れさせ屋っていうのが有名になって
だからその別れさせ屋のホーム ページに勝手に使われてたんです
ありがとうございますこういう職業 ありますよね
やめていただけません連絡したい とか
プロモーションムービーとして 違います全然違いますアリアス
アリアス
懐かしい
その後もナイキのミュージック シューだったりとか
そうですね
なんかその時代のテック系の先端 行ってる仕事を結構やってるイメージ
が当時はあって
そうですたまたまですけど本当に ありがたいことにナイキをやった
ときに靴を楽器にしようって入 ってたんですよ靴がフレキシブル
で柔らかい靴だからその柔らかさ を使ってそれを楽器にしようっていう
ときにライズマティックスまだ 始まって少しだなっていうとき
にお仕事させてもらうことがあって 学部大人君とかと知り合って同い
話したりとかしていく中であの 作品が生まれて多分あれもきっかけ
で結構ライズマさんが映像をやる ことで認知が上がるみたいな感覚
があったらしくてその後すごい 映像をやっていくってことがあった
んで僕にとってもみんなにとって も本当にきっかけになったプロジェクト
だったんですけどね
そっからはあれですか広告をやり つつ映画に行った印象があるんです
けど
そうですねそれこそ大人君とかと ホンダのアルトンセナ1989っていう
やつを作ったりして鈴鹿にスピーカー を置いてアルトンセナの最速ラップ
を再現するみたいな
頭おかしいですよね
それは頭おかしかったですよ本当に 大変だったんですよ
あれを泣かれちゃったんですけど ダイジ君っていうもう一人サウンダー
アーティストの方とダイト君とか と作る側の人間はそっちで動いた
りとかして作っていてそれがカンヌ でグランプリいただいたんですけど
そのぐらいからちょっとこれは 広告は結構この先は面白くない
かもしれないっていう感じがぶ っちゃけあったんですよ
えー
なんていうんですかねこういう ような実験的なことをやれるのは
もしかしたらもうそんなにないん じゃないかなっていう感じ始めて
いてもともとその映画をやりたかった のもあったのでちゃんと映画に向き合いたい
なっていうのがあって少しずつ 映画にスライドしていってたっていう
かもうちょっと前からずつ始ま ってたんですけどっていう感じ
でしたね
今はどう名乗るんですか映画監督
いやその呼ばれる場所によって 正直変わっちゃうかもしれない
っていうかでも映像作家で映画監督 ですっていうふうに言われることが
多いんですしでも映画の現場 いったら普通に映画の監督として
扱われているのでそうなるっていう だけでぶっちゃけどうでもいい
かなと思ってるんですけど
自分の辞任としては映像作家っていう のがしっかり
そうですねでも結局何でもやってる というか何でもやりすぎちゃってる
かなって思ってるんでもう少し わかりやすくしたほうがいいかな
だから新しく会う人たちには映画 監督ですって言ったほうがわかり
やすかったりとかするので私が 言うときもありますね
そんな甲斐さんの自己紹介はどうでしたか
ありがとうございます
ありがとうございます
ただ自己紹介というか半分半分 それでちょっとさっきのポーチョンクッキー
に戻ると
そうですね一回ポーチョンクッキー も
福岡でやっていいよとなって一緒に ロケハン行って一週間前にロケハン
行って
あれ一週間前でしたっけ
ロケハンはね撮影の一週間前に 行って
で警察署長に会ってよろしくお願いします って言ったらファン呼んじゃダメ
って言われてえみたいになって
あったっすね
そうで
さっき挙げてたポイントですよね ファン呼んで
ファン呼ぼうよと言ったらダメ よと封じられで敬語講演だったら
警備しやすいからいいよって言 われてたから敬語講演見に行ったら
前回のあらすじですね
そう甲斐くんがここ抜け悪いから ないかもって言って
めっちゃボロクソ言ってましたよ ここでこだわるみたい
このタイミングでないかもって 言うんだと思って
だからもうほぼ悪ノリですけど ダメですもう来ちゃいますって言った
ことにしようって話になって
人が来ちゃうからもう収まりません みたいな
まあとりあえず答え出ないから ちょっと劇場使っていいって言って
くれてるから劇場見に行こうよ って言って見に行ったらあの通り
がバーッとヤフオクドームの止め りが広がってあれここできんじゃない
みたいな
すごいですね
ここの可能性はあるのって言ったら 警察がここだったら止めてもいい
かもみたいになってあそこで やろうと思ったっていう
警察の方々もプライドもあるんで やってもいいけどこれ全部目隠し
ろって言われて 目隠しってこれ1キロ以上あります
けど
全部ね
壮大だね万里の頂上のような黒い 目隠しがずっとあったって
そうイントロ組んで目隠しを
建築現場とかで
ある足場を組んで
その辺は本当いっぺいちゃんと タモが本当に大変だったと思って
た
え今からですかみたいな目隠し で
あってね壮大な工事現場みたいな ことを本当にあと1週間もうない
ですっていう時に
でもあれは撮影のスキルがない 人でもやれることだったから正直
体が空いていてお金さえかければ 建設現場作る人たちは結構世の中
いっぱいいるので対応してもら えたんだけどもうその時点でお金
なんかも
関係なくなった
関係ないというか後回しっていう
まずは実現することが大事それは 向こうのプロデューサーもそれで
腹くりますって言ってくれたから それはmさんじゃなくてもう1個
上のプロデューサーが腹くくるん でとにかく実現がファーストプライオリティ
です
こんな生々しい話ばっかりしてて シングメディアさんに人が
本当にありたいって思ってくれるん ですか
これぐらいのことに興味を持って ほしい時代があるし薄い感じで
なんかやってますこれも
でもあの仕事は本当に関わった 全員がもう二度と映像業界の仕事
はできないんじゃないかっていう 本当にその綱当たりをしてる感覚
全員あったと思うあれは
どこで事故が起きてもおかしくない っていう緊張感があれやっぱり
ある程度経験を積んでる人たちの 集合体じゃなかったらできなかった
なって
いや本当に危なかったですよ
灰になってる感じなんですかそういう 時って感じ
灰になってる僕は正直あんまな ってなかったんですけど灰になってる
人たちの何千人もの灰になってる 人たちと戦うみたいな感じがあった
からそれがすごかったですよね
江口さんはそういう時ってどういう 心境なんですかめちゃくちゃな
状況というか
その時は撮影する状況としてどう しても僕がカメラカーみたいな
中にいてカメラ何台も何台もあって その中でずっと後進を引っ張り
ながらみんなに支持するみたいな ことをやってるだけだったんで
あれに猛烈に冷静というか
一番これを思い通りの絵を撮る っていうか
そうですね絵というかあの状況 をとにかくドキュメントするっていう
プロジェクトだったんで一体どれ ぐらいのスケール感でドキュメント
できるかだけど同時にとてつもなく 危険じゃないですかやっぱり
事故が起きる可能性もすごくあった からそれを本当にみんなで話し合い
ながらというか結構裏方では本当に それこそこの場にいないけど一平
ちゃんとかと相当いろいろ激論 を交わしながらやって
あそこちょっとあの人危ないから 連れてけって言ったら僕はここで
この子たちを守ってるんでちゅ って言ってますとか
あと上官のキムとね
キムと言ってる
だから上官のキムニーが木村くん って子がうちらが先導せたカメラ
カーかなんかの上に登ってメガ ハンを持ってわーってあれして
たから多分みなさんあの人が監督 だと思ってます
まあまあ一心一意はそうですよね 現場で指示を
それでいいと思いますっていう 感覚があった
すごいな
楽しかったですけどね
楽しかった
結果っていうか
結果思い出として一番残っている なあという終わった後の開放感と
撮れたっていう
あれだからアドレナリンは確かに もう本当にみんなすごかった
瞬間最大風速数のアドレナリン 量がやばいんだよ
それで東京戻ってきてもう3日 撮るぞってやってピンでタクシー
の運転手さん役の人とかダンサー を呼んで衣装着せて撮ったんだけど
それの制作が今転職してきた松田 優太2年目っていうね
無茶ですよ2年目の人があれをやる ともう無茶すぎる
無茶にもほどがありすぎる
何回かはちょっともう松田くんだけ じゃ無理だろって小崎君に言われたん
だけどいや松田しかいないんだ っつって
いや松田ねって
もうね申し訳なかったけどなかなか 俺も切れまくっちゃったねあの
時に切れまくって
いまだに小崎さんはトランマですって
いやだからその後和解したもう 申し訳なかったなっつってお仕事
させていただきされたんであの 時の松田君じゃないですかとあの
時はすいませんでした
でもそれはまあプロとしてっていう か
いやいや
下げちゃダメじゃないですか
だって自分が逆に2年目であれを 仕切れってやると無理ですっていう
そんなめちゃくちゃなの無理です みたいな
何リンバーあるんですかみたいなね
やりきるというかまあ何とかや れて
それが結果が出たじゃないですか
まああのM3自体が国民ごとになった というか
その時のなんか心境というかどう だったんですかなんかこう
CMとは全然違う感じだと思う
僕はなんて言うんですかね監督として 映像表現じゃないじゃないですか
イベントごとみたいな社会的な 現象みたいな感じだったんで
あの感覚多分プロデューサーの方が 正直面白かったんじゃないかな
っていうかプロデューサーとして あれ眺めた方が
これを自分がやったんだみたいな 実感としてはすごく面白いんじゃない
かなって感じたんじゃないかな って思うことがあって
それは例えばその今でも例えば テレビと映画とかだと言うと
テレビってどっちかっていうと テレビドラマとかで言うと
プロデューサーの方がやっぱり ハンドリングしてるじゃないですか
それはやっぱり社会現象として世の中 このあのドラマをこういうふうに出て
こういうことがバズってるみたいな ことを見るのがやっぱ楽しいんだろうな
っていうふうに話してて思うから あの時はタモンとか一平ちゃんとか
すごく面白かったんじゃないかな と思うんですけどどうですか
そうね あのゲームとしてというか
こんな無茶なゲームはないっていう そのゲーマーの人と同じ感覚か
わからない ゲームに例えちゃって良くないかもしれないけど
でもそのものすごい難しいゲームを クリアしたっていう達成感みたいな
ものがあって だから正直あの中の映像がどう
なってるかとかもう考えてる余裕なし
そりゃそうでしょ こっちはどっちかだからもうみんなが
気にしてない絵の中身をこっちが 気にしてるみたいな
だから後で見てここをやっぱり 気にしてたんだなっていうのは
分かったって感じ 答え合わせ
そんなこと言ってる場合がぐらい なことだったってことですもんね
キーベントっていうか 僕もみんなにそれを気にして欲しい
とも思ってないっていうか バックステージで大変なことあり
すぎて あれを成立させるだけでも全員が
大変だってのが分かったんで 全員視力を尽くしてるっていうこと
だけはもうみんな分かってた っていう感じが
大勢を撮ってるシーンはもうだから そういうイベントというふうに
捉えたってことですよね
そうそうそうそう
でもそうか感覚としては映画で 参考のやつ見させてもらったときに
これは映像というよりはこの行進 というかパレードをそのものを
作るっていうか撮るみたいな
だから社会実験ですよねほとんど 僕にとっては社会実験だったし
あの職場を受けた方もたまたま 染めちゃったんですけどこういうことを
するとこんなに人は動くんだ とかいうこともちょっとびっくり
したしだからそれがすごく新鮮 でしたね
あのとき秋元さんはテレビCMの ディレクターを指名したい今回は
指名したいって言ったお題に掲げ たらしいんだよね
なんでそれをあれをテレビCMの ディレクターにって言ったのかは
シーンを聞いたことがいまだに ないんで知りたいけどねなんで
かなって映画監督を呼んできたり とかいろいろするんだけどあの
ときはCM監督がいいっていうふう に
なんでなんですかねでも後を考 えてみるとCMって強制的に流れる
メディアじゃないですかテレビ をつけられたら無条件に流れて
きちゃうときに見えない大多数 の視聴者のことを意識してCM監督
で作ってるから
しかも短いというか限られた尺 の中でもみんな届けっていうこと
をやらなきゃいけないから
そうですよねだからもしかしたら CMの技術というよりも細かく映像
を作り込むとか短い映像っていうこと よりも多分プロジェクターああいう
資料を見せたくらいだから秋元 さん的にも最大公約数の人に見て
もらう届けるための何かステージ が欲しいってことだとしたら
最大公約数の相手と普段意識しながら 映像を作ってる人とやってみたい
ってことかなと今から思うと
すごい
その整理
それは確かにそうかも日本全国 老若男女つつ裏裏みんなが踊ってる
って言ってたから
確かにそうかもしれない
してやったりですね木本先生
踊らされてたときに
まあフォーチュンは一旦こんぐらい ですか
そうですね
これ切るかどうかわりつつ原点 ちょっと聞きたいですねせっかく
原点
はい
高齢層の原点
原点なんだろう
でもさっきちょっと触れてました けど哲学からの
そうですねちょうどさっきも映画 のプロデューサーの人と話をして
原点みたいな話を聞かれてたんですけど
かぼった
かぼった
いやでもあんまり日本で映像を作る 作り方みたいなことにとらわれ
ずに何か作りたいなと思ってやって きたんですけど話しててもずっと
そういう感覚があったらしいのに 何でですかって言われたんですけど
小さい頃から自分の家がホームステージ 先みたいな感じだったんですよ
いろんな国の人が結構入れ替わり 立ち回りに誰かしらいるみたいな
ことだったんですよね
幼いながら言葉わからないながら にもコミュニケーション少しできる
じゃないですかその手振り足振り とかでわかんないけどっていう
ときにいろんな人たちの価値観 の違いとかがすごい面白いんだ
価値観が違う人にも何か面白い と思ってもらえるようなものとかが
すごく面白いなという感覚があって
自分の親父とか芸術芸能人だった ので芸術表現として面白い面白くない
みたいなことも小さい頃ながら に何でこっちは面白くてこっちは
面白くない何なんだろうなみたいな ことを探っていくと自分はあん
というかビジュアル的な表現とか オシャレとかかっこいいとかあん
まり興味なくてその裏に何かコンセプト があるかどうかみたいなことがすごい
好きなんだなと思ったんですよね なのでコンセプトが好きみたいな
こととかを考えてると考えてる こととかが結構大事なんだなって
思うようになって哲学とか勉強 してみたいなとか映像を作った
後も人に考えてもらえるような きっかけになるような映像作り
の方がこれがオシャレでしょみたいな 感じよりも正直自分には合ってる
なっていうふうに思うようになって ってどんどんドキュメンタリー
とか商品映画とかにシフトして ったっていうのはあると思います
から選挙に行こうみたいなもので 取り組みもやって今も継続して
やっているんですね
ボイスプロジェクトという企画 を作って昔から政治の話とかを
させてもらっているような人たち と一緒に何かできないかなみたいな
話で投票率が低いみたいなのが すごい気になってたんですけど
日本って政治の話と宗教の話は 済んだみたいな感じで教えられる
じゃないですかそれが特に海外 とか行くといかにバカバカして
正しいことかというか分かるという か日本ってどういう宗教がある
のみたいな何でこの人たちはみんな それ信じてるのみたいなとか説明
できないとはっきり言ってバカ だと思われるっていうか普段何
にもそういうこと考えてないんで 生きてるんですねって思われちゃう
じゃないですか僕らみたいな文化 的なことに一応携わっている人間
としてそれぐらいのことはちゃんと 意識して生きていきたいなっていう
ふうに思うようになるともちろん そういう生きていく上で大切な
こととか誰かが生きていく上で 基盤となっているようなこととか
はそれは知っておかないとなみたいな 感じで普段話せるようにしておき
たいなみたいなこともあってだから 投票率低いよりもみんなが考え
た上で投票率低いんだったらいいん だけど考えないしにとりあえず
投票行くのだからみたいなことは ちょっともったいないなと思って
何かそういう活動をしませんか っていうことをいろんな人と話
したらやったほうがいいってみんな が言ってくれて本当あれは何の
お知らせでもなく始めたんです けどやっぱり立ち上がったんですけどね
やっぱり作らずにやられない人 ですね
無理矢理に言おうとしたから
そういう人を呼ぼうっていうのが ちょっと正解だったなって
なんででも作ってる人を呼びたい と思ったんですか
僕ですか まず採用みたいなのがぼんやり
あったんですけどどういう人が 来てほしいというか自分もこの
会社を立てる上でのとかこれまで やってきたことを振り返ってきた
ときに割と僕は制作からプロデューサー みたいな方やらしてもらって作った
っていうのもあるんですけど作って きたなっていう自負があったんで
自分はでも映像をより近くで作って くるよりは先ほど言ったプロデュース
とか特に経営というものという か会社を作るっていうのを一個
自分の作品みたいな感覚でやってる 節はあるんですけどそれを考えた
ときに自分も作ることをいっぱい 考えてきたからあとはこの先に
行くために特にタモンさんとか 入ってきてしまったのでより会社
としてレベルアップというか自分が 同じようなスタンスニュアンス
でやるっていうよりはもっと会社 としても強くならなきゃいけない
なと思って私としたらSwingの一番 軸となる作るっていう部分ここ
にちゃんと向き合うとか考える ことをやりたかったのでちょっと
バーッと言ってますけど作るって 言ってる人の話を聞いて作るヒント
僕が得たいなっていうすごいそんな 趣旨というかやってます
すごいピュアですね
ピュアです
この人ピュアですよ
ピュアな思想のもとにこの会社 は作られてるんです
はいもうピュアです
なので横島なタイプが入ってこない バランスが取れない
確かに横浜じゃない横島なおじ さんが入ったほうが少しバランス
は整うんじゃないかということで
そうですしやっぱピュアながら 結構自分がやってきたことって
ずっと大体同仕事するっていう ところでこの中間というかこの
プロダクションの部分を束ねたり になる立場をやるとしたらそれ
は違う人たちにも試せるという かいいと言ってもらえるんじゃない
かってことで始めたきっかけは あるんですよ
シングメディア最初も国内伝の 方との仕事は一切やらないって
思えて立ち上げたところもあった のでそれで結構喰らわしたらすごく
喜んでもらえたっていう結構現 体験としてはそれで追いやめる
確信を持ってたっていうのもあって 本当ピュアでいないんですけど
ピュアでよくですかって
いやいやピュアじゃないとね本当に 逆にこれから先生きできないん
じゃないかなって気もすごいします しなんだろうそれこそ今ってこの
会社って広告もやってるんですか
はい広告の会社です
広告の会社です
広告以外もやるけどやっぱりメイン は広告の映像を作ってるのが一番
多い
だからやっぱAIとかと向き合わざる ようなイメージなんですけど結構
どんどん広告はAIに侵食される だろうなっていう中で人間が作って
手を動かすっていうことがどれ ぐらいどういうふうに価値がある
かってことを残してくって相当 難しい
超難しいですけどそれもピュア にいい脳内で考えたことがビジュアル
とか特に映像とかって結構人やっぱ 束ねたり動かしたりするって大変
な出来事だったことが比較的ここで ちゃんと集中してやればできる
っていうペンというかそれに 考えてるんでやっぱそれ作るって
人たちにとってはすごく翼のような ものなのかなっていうのは今僕は
僕ですごい思っててずっと触ってる んですけどいろんな人たちと今
やろうぜみたいな
なるほど
さっき甲斐君も言ってたんだけど 実験的なことをするとか何かを
試すとかっていうことってさっき 言ってたじゃないその映像って
出来上がったものは結果であって たまたまその過程の中で出来上がった
結果に過ぎなくて一番楽しいのは そこの過程が楽しいんだと思うん
ですよ作っていく過程がだから みんなやってるっていうのがある
からAIでできようが何で作ろう が作るっていう行為自体とかあと
は思考体験みたいなのを作って くる過程を一つのジャーニーとして
考えたときにそれが楽しいから やってるしそれはやっぱり人間
がやるべき仕事でまだまだ残ってる からそんなにAIだなんだってのは
関係ないんじゃないかなっていう 気もするんだけど
そうねだからそれこそAIとかに 安易に渡しちゃうとやってもらえる
べきことをやってもらったほうが いいかなと思いますけどポン
って渡しちゃって自分たちが願 ってた映画でもそうだと思います
けどこういうストーリーでこういう ふうに作りたいなって映画がポン
ってできちゃったら多分なんかすごい 興味がなくなっちゃうと思うん
ですよね自分たちが作ったかもしれない のにも変わらずそのプロセスがある
からそんなにというか全く違う 思い入れとか自分の人生の生き方
としての映像作りみたいなのが あると思うのでそれが欠けちゃ
ったらねなんか多分この仕事選ばない だろうなって思います
そうですねなんでそれを割と2月 3月ぐらいに悶々として検証したり
とか今後来るんだろうなみたいな 周りのプロデューサーの人たち
と話とかして自分で試さないと わかんないんでディレクターと
一緒に2日ちょっと合宿しようと 言って今作れるかっていう作って
どうだったかっていうのをやって みたんですよ短編ちょっと作ろう
つって本当にライブでというか 何作るぐらいから僕は童謡がいい
ねとか童謡かおとぎ話とかみたい なので桃太郎文字って作ったんです
けど何にも楽なことはなくストーリー と世界観とかキャラクターとか
だから自分がずっとやってきた ことを比較的やるそれを向き合う
ことが変わらなかったっていう のが僕の感想でそれディレクター
ともずっと話してて本当変わらない 作ること生み出すことこのプロセス
は何も変わらないことが分かって 上がりを見て心動くかみたいな
とこをリロードするまでパッケージ でゴールデンウィークの終わり
にやったんですけど結構僕は満足 いけるというかすごい自信がつ
いたとこですね逆に変わらなかった ので制作してくるプロセスが
多分結局どんどん分業されちゃ ってバジェットがあるからどんどん
細かい細かく人にパイを切り分け てやればやるとどんどんつまん
なくなっちゃうんですよねはっきり 言ってだからできるだけ自分で
やることは自分でやったほうが 結局後にも残るしあれやって
よかったなとか面白かったなとか その生き甲斐にちゃんと直結し
やすいっていうか
そこに一緒にやれる感じって僕 最近漫画家さんとか芸人さんと
漫才とか芸人さんってすごいな と思っててそこはやっぱり自分
で考えて自分で描いてっていう この行為自体を誰を会社だとまず
やるみたいなのが前提になってる ですから芸人さんも自分でネタ
描いて自分が演じてそれを届けて いつも作品というか作るっていう
感じかなとそういうふうにディレクター ないしは脚本家その人たちと一緒
に今やりたいなって思っててドラマー を事業後2,3年やってるんですけど
脚本家の方としゃべる機会が今まで 広告やってなかったのでコンテンツ
というかそれをやり始めたこと によって比較的そういう人たち
と今話せるようになったのがちょっと でかくて大体その方にお話聞く
と考えてるけど面白い脚本で何 とか面白い作品で何って聞くと
大体いろいろな言い方があるんですけど プロデューサーがいいと思った
ものとかそういう感じで答えるん ですよそういうことじゃなくて
あなたがやりたいことって何みたいな 話をガンガンしてると本当はもっと
広告きたかったとか横からどんどん 出てくる感覚があったんでじゃあ
一緒にそれをやろうよっていう 感じになると僕はさっきピュア
って話ありましたけど本当実は フェジビリティが一番現代とか
世界において作品性とか表現を コンセプトから純粋な表現に慣れてないんじゃないかっていう
仮説を持って
そうねやっぱりいろんな事情が 集まれば集まることをどんどん
フェジビリティとか横森使って どうにかするっていう文化が接続
あってないんですかどうでもいいな と思って
どうでもいい
アルゴリズムみたいなのでどうしても 作っちゃうからみたいなアルゴリズム
外側にいかに出るかとか外側で いかにものを作るかほうがすごく
大事なことかなって思ってますね
ちょっと厚く喋っちゃったんですけど
急に消耗された
作るってことがテーマになって この話になってるからちょっと
聞いてみたいなって思ったことが あってさっきAIの話もあったけ
れど撮影をする僕ら業界入った ときなんでまだフィルムで回して
たしだんだんだんだん分業して ったのもマスで流すからバジェット
が集まる大きいバジェットで1個 作るから予算集中して作るでも
どんどんカメラ機材も安くなって 個人で扱えるようになって個人
で買えるようになって編集も個人 でできるようになってビデオグラファー
みたいな人たち出てきて作り方 もいろいろ変わってきてると思
うんですよまだまだもちろん映画 とかなるとワッと集まってやる
曲名多いと思うんだけれどもどういう ふうに変わってく様を見て自分
としては作り手としてどういう ふうにこの世界を捉えてるという
か今のこの
バックリしてんな
制作業界を自分はどういうふう にやっていきたいなって
今何考えてますぐらい
そうどういう作り方いろんな作り方 あると思うんだけど
こっからの世界作る手法っていう か
手法とかに対してどういうのに 興味持ってる
そうですねやっぱり何て言うん かな映像を何にしても何か人間
が何かを作るとしたらできるだけ 対応年数が長くてできるだけ強い
メッセージがあってなんなら問わ れてない問いを立てるとかいうこと
ができたほうがやっぱり面白い と思うんですよねじゃないと
瞬間的に消費されてつけちゃう ものになりやすいからそうじゃない
方法を取ったほうがいいかなって 思うとやっぱりそこに大事な物語
が一番大事かなと思う
みんなでこれは共感できるとか 共感できなくてもこういう質問
考えさせられるものを作った作って 見て考えたでもこのことについて
考えたこと今でなかったなみたいな ことがあるから映像とかを見て
もショック覚えたりとかびっくり してそれが心に残ったりとか人生
変えられたりとかするっていうこと が起きると思うのでやっぱり物語
を作るっていうことが実は映像 といかに近いかっていうか映像
の中心にあるかってことは常々大事 にしてるしそこがやっぱりひとまず
は人間でしかまだできないんじゃない かなって思ってるところかなと思う
けどね
後輩さんでも悩むときあるんですか
ほとんど毎週毎日悩みますけど
どっちっていう言い方が大事か 考え込むといわゆる楽観的ポジティブ
ネガティブって言ったら自分で どっちなんですか
なんかでもやっぱポジティブなんですよ ね大変なことあったらすぐ忘れ
ちゃうタイプだしそれもどうか と思うんですけどまた安受けし
ちゃって火傷するとかすごくあるん ですけどでもなんというか結局
それこそさっき言った実験じゃない ですけどいろんな実験の積み重ね
だと思うんですよね表現とかものづくり っていう場所ってだからその実験
をいかに面白く残していけるか みたいなことかなと思ってるんで
ある意味作ったものに対してそこ まで変な執着もないし例えば映画
とかって作ってると途中特に公開 したら全く自分のものではない
っていう感覚なんですよいろんな 人が見ていろんな人のふうに解釈
してくれるじゃないですか自分 が全く思ってもなかったような
感じで子供を産んだらその子供 が独立して育っていって勝手に
話すようになるみたいな感覚に すごく近いんですよねそれがすごく
面白くてやってるんでだからできる だけ頑張ってみんなで作って魂
込めて出産をするまで頑張れれば あとは映画が勝手に話し始める
みたいな誰かと会話していくみたいな 感覚がすごくあって
その感覚面白いですね
面白いですねそれがアートピース になればなるほど多分そうなって
いくんだろうなと思うんですよ ね
映画作るときってもちろん今4本 5本長編作ったの
長編はそうですナラティブが3本 今4本目作ってる
今4本目は作ってる
はいドキュメンタリーなんで6本 ぐらいかな
ドキュメンタリー2本あるもんね
映画をやるときにもちろんやる やらないっていうのは判断の基準
というか原作あるものもあるし オリジナルの脚本のものもある
と思うんですけどそれってどういう 基準で決めたの
そうですねやっぱりなんか人間 について語られる機会があるか
どうかとかは大事かなというか しかもできるだけ踏み込みが浅
くない踏み込み方で人間とか 人間性について語れるんだったら
そういうチャンスはできるだけ 頑張ってやっていきたいなという
基準かなと思いますね
確かにそういう点ではみんな筋 通ってますよね
すごいぶっちゃけ話し続きかもしれない ですけど映画監督になるって言って
しまえば自分で自主作っちゃえば 映画監督じゃないですか
もちろん
商業というかいわゆる映画館で 上映されるようなものというか
映画監督としてのオファーが来る とか自分で申し込むとかそうな
れたなれるためにはどうしたら いいんですか
映画業界でどうですか
業界なわけじゃないですか映画業界 の講座さんになれた時ってどんな
感じでしたか
最初に生きてるだけの愛という 映画を作れてそれをちゃんと劇場
で公開できていろんな人に見て もらえたということが当たり前
だけど一番大きくて映画を作った ことがある人なんですねということ
が一番でかいですよねそれでも 二本目三本目作ると全然まだハードル
があるんですけどどうしても映画 産業的には映画を作ったことがある
人じゃないと少しなかなか信用 してくれないという人が正直ある
ということですよだから僕も最初 やるときはCMとかミュージックビデオ
とかいっぱい作ってましたみたいな ことが全部脱いでできるだけ裸の
状態でちゃんと向き合いたいな と思ったんですけどそういうふう
にしてチャレンジをしたことが 結果的に考えたらよかったのかな
という感じかなという
それあれですか最初のやつって 自分なんですかそれともどっか
から来た機械が
最初は実はこの原作面白いと思わない ですかっていうふうに言ってくだ
さった人がいてその方が会うん じゃないかって言ったプロデューサー
と引き合わせをくださってこの 本屋幸子さんの書いた生きてる
大抵の小説を普通に読むとそう じゃない感じで作るだろうなっていう
ものをスタルジャムのカイさん っていうプロデューサーなんですけど
見方がすごく近いというかだったら 作れるかもなって本当に初めて
思ったのでそれで脚本書かせて くださいっつって書かれたのが
なかったんでお話しして本当に脚本 もいろいろ教えてもらったから
壁打ちしてくださいながら書いて っていう中で本当にいろいろ映画
作りを勉強したって感じでした ね
僕原作読んだことないんで全然 違う
その原作は安子っていう女性の 処理さんがやってくださった人の
一人称でずっと語られてるんですよ だから本当に一人称のパースペクティブ
ですが話が進んでいかないので 映画としてどういうふうに解釈
していいかが結構難しくなりそうだ なと思ったのでつなきという人を
立ててちょっと触れられてるボーイ フレンドのことを拡張して描く
ことによって主人公のこともちゃんと わかるように描くみたいなことから
始まってたって感じでしたね
そこから続けていくべきである っていう確信はいたというか
小沢さん的に思ったわけですか
そうですねみなさんそうかなって 気持ちちょっとするんですけど
山に登ってたじゃないですか広告 産業とかネイジクルーとかの産業
の山登ってて全然違う山あるんだ みたいなあとは登りたくなりません
かみたいな
そこに山がある
それちょっと近いかもしれない あっちすげえまた違ういろいろ
あるんだなみたいなしかも波高 みたいなだからちょっと行きたく
なるなみたいな感じでちょっと 近いのかもしれないですね
言ってしまえばですけど小沢さん ってミュージックビデオCMで
登りましたよね登りきったか
わかんないです登りきったたうち 誰も
実績だけというかそこをちゃんと 切り取るって話せば登った人って
良い印象なので
なんかそのやれるとこまである 程度やったなっていう自分の中で
のなんかそのやりきった感がある かどうかの方が大事かなと思って
いるんでその中でその広告とか ミュージックビデオでやってる
ことの可能性としてはかなりある 程度やれたかなっていう感覚が
あったのもすごく他の仕事に全力 投球してみようみたいな
踏ん切りのつきやすさがあった のかもしれないですね
今何対何対何ぐらい何を持って 何対とかですけど体感的に
体感的にいやそうですね仕事として はやってるプロジェクトでしたから
映画がほんと8割8.5割みたいな 感じですかね広告がほんと1割1.5割
になっちゃうかもしれない
空いてる時間で広告の案件がうまく できたらやるけど
そこまでなんというか構えてないん ですけど単純にそのスケジュール
がはまればみたいな
長編入っちゃうと物理的にできない
だからつきやせなきゃいけない 時間が圧倒的に長いんで映画とか
僕もあんま諦めない方がいいん じゃないかなって思って
もったいないですよねみんなに 強制的に見てもらえるじゃないですか
そこでただ物を買ってください とか言うことのメッセージされ
流すよりは何か面白い何あれみたいな 感じがあるからやっぱりブランド
だったりとかに共感が湧くので そのチャンスをただ単純に言われた
ことを映像化するよりは何か前の 目でやった方が面白いし作ってる
人たちも気持ちとかスキルも上がるん じゃないかなみたいな感じがすごく
あるんで
一回こうわかんないですけど映画 やってみたら広告もすごく良い
意味で解像度が増すというかもっと 深く考えるようになったみたいな
それはもちろんありますね若干 自分の癖としてはいろんな物事
を俯瞰で見る癖があるんですけど よりそれがくっきり立体的に見えて
きたなみたいなことはすごくあります よねみんながこれをやらねばならん
って思ってることの外側に
実はそんなことなくてみたいな
そうなんです外側にいっぱい可能性 ありますけどねみたいなこととかが
もったいないなって思うこととか 結構ありますけどね
いや面白いですね
マスで最大公約数的にやろうとすると どうしてもシンプルなメッセージ
になってっちゃうけど
分かりやすくですよね
ほんと多面的にいろんな面を切り 取っていくつか見ると全体が分かる
みたいなもののほうが面白いな っていうのは思うんで
そうねなんかフォーミュラみたいな のが方程式みたいなのがあらゆる
ことをいっぱい出来上がって社会 でバズれるとか社会で話題になる
ようなコードを書けるかみたいな ゲームがあってたぶんそれがすごく
みんなの人生をつまらなくしちゃ っているので作る方も受け取る
方もだからそのコードは別にその コードで書かなくてもいいんだよ
みたいなそのフォーミュラにのん とらなくていいでそもそもということ
とかのゲームをした方がたぶん 面白いんじゃないですかねとは
ちょっと思いますけどね
さっき言ってたアルゴリズムの 研究みたいなことじゃなくてね
そうそう外側でいいんですけど ねっていうのは面白いんじゃない
かなと思いますけど面白いです 押すじゃ良かったです