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どうもポトフです。
ちょっと前に、数分、数分じゃないな。
十数分、あるいは二十数分前にポッドキャスト配信しましたが、
考えなしに録音を始めて、考えなしの内容だったんですけども、
ちゃうちゃう、喋りたいことあったんやって、と思って配信したばかりですが、
また配信です。なんだかすいません。
あのですね、今さらなんですが、1945広島タイムラインだったかなっていう企画を見つけましてですね、
これ何かっていうと、1945ちょうどあのですね、戦時中です。
当時、SNSがあったらという企画でですね、
広島の原爆の体験者のツイートという感じですね。
当時の日記とか手記とかをもとに3名の方のですね、アカウントを作って、
今の方がそれを読み解いて、あるいは再解釈してちょっと付け加えたりとかしてですね、
リアルタイムで投稿していくっていう企画を7月からやってたみたいで、
今まだ続いてるみたいなんです。
で、そのですね、例えば8月6日広島に原爆が落ちた時の様子などをタイムラインで見ることができるという感じなんですが、
正直なんかリアルタイムじゃなかったんで、遡ってみようかと思ったんですけども、
まとめて見ることが難しくって、結局1人1人3名のやつをね、
1人1人遡って、その8月入ったぐらいからとか、
今日ぐらいまでのを見ていって、結構メンタル的には厳しいですね。
いやー厳しいね。
いや、自分はね、誕生日がさ、8月9日なんですよ。
長崎に原爆が落ちた日なんですね。
これ前にも喋ったことあるんですけども、
物心というかね、ついた時に、長崎の原爆記念日だということで、
自分の生まれた日に多くの方が原爆というもので亡くなっている日なんですよ。
だからなんか、昔からですね、死について考えることって結構自分は多くてですね、
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もちろん自分も死にたいって思ったことも何度も普通にありますし、乗り越えておりますが、
父親も結構早くに亡くしてたりとか、死について考えることは普通にあってですね、
この間ヨワソビさんの曲、なんだっけ、夜にかける。
あれもちょっと死を扱ったところがあって、それもだってすんなり入ってきたところもあるんですけども、
原作の小説、タナトスの誘惑ですけれども、タナトスっていうのが死に対する欲動なんですね。
その反対は正義に対する欲動はエロスと言うんですけども、タナトス、自分はタナトスの方かなというふうに思ったり、
昔から思ってますが、タントスながら知ってたんですけどね、言葉自体ね。
死について考えることもあってですね。
そういう中、広島タイムラインは結構刺さりましたね。
ザワザワと、なんだろうな、これはという感じですね。
なんだろうな、愚かさ、原爆、戦争自体の愚かさっていうのはもちろんあるんですけども、
これは誰に対する怒りってことでもないんですけども、人間ってさ、動物と違ってさ、
例えば地球の裏側にいる人のことを想像できる力ってあれじゃない?
動物はさすがにね、そこまでないと思うんですよ。実証できないんであれですけども。
人間は遠く離れた人のことを考えることができる能力はあるんですけども、
けど普段思ったより考えれてないんだよね。思ったよりイマジネーションを働かせれてないんだよね。
だからこういう企画を見て分かったつもりな感じでいたものを改めてはそうだよね。
それをね、8月6日前までは普通に悩んで普通に生活してみたいな感じでね。
で、その6日、やっぱり何が何だか分からんかっただろうね。
いや、これでもまだ想像しきれてないと思う。その時のね、文字だけで追ってるけど、
その時の匂いであったり音であったりとかさ、やっぱりね、ちょっとその体験はしてきてないので、
もう想像以上のものだろうなぁと思いながら、何なんだろうなぁと。
自分の力で防げるっていうものでもないし、その場にいたらどういう気持ちだったんだろうとか、なんかいろいろ考えてしまっておりましたね。
でまぁ、6日で、でまた9日に長崎に落ちたわけですが、
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それもね、後から知ったりとか、その参議名の方ですね。
で、日本はどうなるんだみたいな。
いやーだってね、とりあえずその広島長崎ですが、そこから終戦に向かっていくわけですけども、
この時期あるのかね、原爆を落としたのが正義かどうかとか、そういうのもアメリカ国内でもあったりするじゃないですか。
そんなことよりもですよね。
いやーなんだかね、人間の愚かさというか、そういうのも含めていろいろ考えさせられていたこの数日でございました。
もともとこの時期はちょっといろいろ考えてしまうところはあるんですが、結構とどめになりましたね。
ただ、知っておいた方がいいという気持ちもありますと。
そう、で、Facebookの方なんかでさ、よくお友達から誕生日おめでとうございますメッセージとかいただいて、今年もいくつかいただいてますが、
返事は個々ではなくまとめてさせていただいた感じですね。
ありがとうございました。
だいぶ減りましたね。
私基本、人の誕生日には送らないようにしているので、
ね、あんまりFacebookやってないっていうのもあるんですけども、メッセンジャーよく使ってるんだけどね。
直接会ったり、なんかで打ち合わせ中に誕生日だっていうことがわかったら、もちろんおめでとうっていうことは言うんですが、
わざわざそのために送るということはしないようにしてまして。
なので、なんかだいぶ減りました。
結構多かったんですけど、だいぶ減ったような気がします。
あれはね、いいんだよ、嬉しいことです。
お祝いのメッセージは嬉しいことです。
ただですよ、これ難しいんだけどさ、年賀状と同じ理論なんだけど、
ほんと普段何もやりとりしてない人から真っ先にくるよね。
あれは何なんだろうね。
自分だったら送りにくいんだけどね。
こういうことでもないと送ることがないという意味では、
そのきっかけを作ってくれているというふうに前向きに捉えることもできるんですけども、
もういいじゃんって。
自分年賀状自体もちょっともういいじゃんっていう派なんですけど。
年賀状でしかやりとりしてない人っているじゃないですか。
皆さんあんまり送らないですかね、どうなんでしょうね。
昔勤めてた会社の違う社の人から毎年毎年きっちり送られてくるんですよ。
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来てから返したり、返してないときもあるんじゃないかなっていう気はしてるんだけど、毎年毎年来るんですよ。
申し訳ない気持ちでしかなく、なんで送ってくるのっていう感じもあるんですけども。
誕生日のメッセージもね。
本当に普段やりとりしてたり仲いいというか身近な人はメッセンジャーとかでくれるんですよ。
あまりやりとりない人に限ってタイムラインにあるじゃないですか。
どうしようかなと思うんですよね。
高校生の娘に聞いてみたところですが、娘もタイムラインに書くことはもうしないらしいです。
送るとしたらメッセンジャーあるいはツイッターのDMで送ると。
みんなが見えるとこには書かないと言っていて、だよねーと思って。
俺もその方がいいと思うと思うんだけど。
Facebookとしては滞在時間を長くしたいだろうから送るようにしてるんでしょうが、
ツイッターも誕生日の日に自分のページ見ると風船がフワンと上がってるんじゃない?
なんだかなーと思いながら。いいんだけどね。
いいんだけども、いらんなー。なんだろ誕生日って。
いやいや、まあまあありがとうございます。
ありがたいっていう気持ちもあるんですけど、それ以上になんだろうなっていう気持ちの方が多かったりする今日はこの頃でございます。
いいんだよね。
なので、私はあまり人に送りませんがご了承ください。
会った時に行ったりします。
あんまり会う人いないと思うけど。
年齢また上がりまして、健康も気遣わなきゃいけないような年になっております。
なのに無理しようとしているしね。
話ずれましたが、私の誕生日は長崎で多くの方が亡くなった日なんですよね。
いろいろ考えさせられるものはあります。
まあまあけど、それこそ昔はダウナーに落ち込むこともありましたが、最近はそんなことはないかな。
どちらかというと、自分が前向きにならないとね。
子供たちには、大人がバカみたいに楽しく生きている方を見せられた方がいいじゃん。
なんかいろいろ思ってやっております。
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いろいろ仕事のことも。
この間さ、もかわさんとウェブディレクターについて話を長々としましたが、それについて考えさせることもあったんでね。
そういう話もしたいんですが、どこかで話します。
特に営業力とかについて。営業力講習とかについて。
多分自分の得意分野はそこなんですよね。本当はっていう感じですね。
ということで、2回連続で配信してしまいましたが、
いろいろ考えさせられる。
詩について考えさせられる1週間でございました。
ということで、どうでした?