近代建築導入期の模索と国会議事堂建設を巡る議論
この番組は哲学を知りたい3人が知らないながらも、素人あがく番組なんですが、今日はMisoさん、トモーさんがおらず、トモキと、なんと、師匠セブンさんの2人でお送りしようということで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。師匠セブンです。
よろしくお願いします。ということで、前回に引き続きというか、ちょっと建築の話が面白すぎて、
日本建築の話とかを師匠セブンさんにも、またやっていただいたわけですけど、西洋建築に続いて。
ちょっとその、明治の最初の頃の話とかね、入ってきた頃ぐらいの話はできた気がしますが、その後もなんかいろいろ面白そうだなっていうところもあって、
改めてお話を伺いたいなっていうのと、あとはMisoさんから、哲学とつなげるみたいなやつとかを、お前できるのかみたいな感じで言われて、
とりあえず1人でやってみろということでね。師匠セブンさんと2人で収録するという運びになってるわけですけども。
改めて、タイトルで言った近代の彫刻って言いましたけど、あれは哲学界の中で日本的なものって何なんだろうみたいな、
あがきの中から戦前の、本当に直前というか、戦艦期に考案されていったり議論されていったっていうような話だったわけですけど。
建築においてもそういった葛藤みたいなのもあったんじゃないかなっていうところで、その辺の話を伺えたら面白そうだなということで、お願いしてもよろしいでしょうか。
はい。前回の話だと、明治維新後にバッと西洋の建築が入ってきて、いろんな様式みたいなやつも、西洋だと本当に2000年ぐらいの長い間を踏まえて培われてきたものなんだけれども、
日本ではそれがもう本当にギリシャから近代までいっぺんに入ってきましたね、みたいな。
めっちゃ面白かった。
状態だったんですよね。特に明治維新後、西洋に追いつかなきゃいけないってときは、とにかく入ってきた様式を模倣したりとか、西洋的なものだけで作ったりとか、
一方で、全く理論がないというか、どちらかというと実学的な大工の登領なんかは、入ってきたものを日本の技術で何とか仕上げてみて、偽洋風建築みたいなものだったりとか、
といった、もうとにかく初期の迷走というか、とにかく作んなきゃいけないみたいな状態から、だんだんと親と異外国人から教えてもらった建築家たちが自ら活動し始めて、
いろんな建築を作っていく中で、西洋の動きもあり、じゃあ日本的なものは何なのかみたいなところを模索し始めた時期っていうのが、だいたい明治の終わりぐらいになってくるんですよね。
明治終わりぐらいか。
はい。この時にちょうど国会議事堂の建築について、すごく日本の中で課題になっていて。
なるね。それはなるね。
渓谷、渓谷議事堂。
もともと親と異外国人のエンデっていう人とベッグマンっていう人が、官庁集中計画っていうのを立てて、それを実際に霞ヶ関とか日比谷とか、あのあたりに中央官庁を全部集めちゃおうみたいな計画を立ててたんですね。
実際、その名残として、あそこの霞ヶ関に官庁街があるんですけども、
本来的にはさらに、もっと最高裁判所であったりとか、国会議事堂であったりとか、全部あそこに集めてしまおうみたいな壮大なものだったんですけど、
結果として対象ぐらいに、予算がなくなってというか、それを進めていた人が失脚したりとか、予算がなくなったりして縮小された結果が霞ヶ関になってるみたいなんですけど。
とはいえ、だいぶ集まってるよねっていう。
その計画の中で国会議事堂の建築っていうのが、当時大倉省の永然が中心になって、日本で育った建築家たちの就職先の一つとして中央官庁があったんですよね。
その中央官庁の建築家たちが、どちらかというと自分たちで建ててしまおうぜみたいな動きをしていたんですが、その中に一方で中央官庁に就職した組と民間で建築家をやっている組がいて、民間で建築家をやってる組はどうしてもそこに食い込みたいと。
そういったところもあって、我が国将来の建築様式をいかにすべきやっていった形で、討論会みたいなやつを起こすんですね。
おー、なるほど。まさに近代の彫刻みたいな座談会みたいなやつが行われ、ここで官民揃って話し合うという感じ?
そうですね。表向きはタイトル通りの議論をするんですけれども。
国の顔となる国会議事堂はどういう様式で建てるべきかみたいなふうにつなげていって、
最終的にはそれはコンペで選ばれるべきだみたいなふうにつなげたかったような論戦の張り方というか、話の組み立てになっていたようなんですけれども。
結局、結論としてはもう本当にいろんな人がいろんなことを言って、
じゃあその建築様式はどうすべきかみたいなところは結論出なかったっていうのが状況なんですけれども。
一方で、いくつか成果があったと言われていて、一つはこれまでそもそも日本に建築論ってなかったよねみたいな。
建築論か、確かにね。
どちらかというと追いつけ、追い越せで一生懸命がむしゃらに西洋的なものを作り続けていたから。
当時の西洋なんかはもう本当に2000年の歴史みたいなところから、
この様式を選んだのはこういう下敷きがあるんだみたいなところも、
建築における哲学的なものの下敷きとともに建築様式を選ぶとか、そういう感覚とかがあったんですけれども。
一方で日本ってどちらかというともう本当にいっぺんに入ってきちゃったから、
この建築の表面にはこの様式を貼り付けるみたいな感覚にならざるを得なかった。
なるほど。
だから結局のところ、建築論もなしに立て続けていたと言われてしまえばそうだったのが、
この将来の建築様式をいかにすべきかっていう議論をすることによって、
建築における哲学みたいなものも、いわゆる人文学の哲学っていうよりは建築のあり方みたいなっていうものを考えなきゃいけないんだみたいな意識が芽生え始めたみたいな。
なるほど。
もう一つ成果としてあったのが、日本にコンペみたいな、いろんな建築案を競わせてより良いものを選ぶべきだみたいな、
そういった手法が落とし込まれるようになってきたみたいな。そういった成果もあったのかなみたいな。
なるほど。その会議の中でそういうのが行われて。
で、そういった成果があった一方で、やっぱり建築様式に議論が終止してしまったっていうのは、
やっぱり日本の中でいかに建築様式と建築論が結びついてなかった当時の建築界の風景みたいなのがそのまま現出してるんじゃないかみたいな。
おー、なるほどね。
建築様式としては、いろいろ新古典主義的なのとか、モダニズムみたいなのとか、どれがいいどれがいいみたいな、
そういう意見ばかり出てきて、それがなんでそれにするのかみたいなことがなかったっていうような感じなのかな。
そうですね。当時はもう本当に様式をどう選ぶかみたいな話だったのが、この建築様式をいかにすべきやの議論の中で、
いろいろこの様式はどうあるべきだを話す中で、その様式の後ろには理論があるよねみたいなところが、
みんなの意識に昇ってくるようになったみたいな。
あー、その座談会というか、会議帯の中で様式だけ最初話してたけど、
あれ、そういえば俺らに思想的なバックボーンないよねみたいなのの気づきのケーキになったみたいな感じですかね。
気づいてた人はいたんでしょうけれど、まとまってそうやっていろんな人が意見をぶつけ合うというか、
っていったところが、そういった場があまりなかった。
まあまあ、そうなんでしょうね。
それが表出してくるようになったケーキみたいな。
実際この座談会の中でも、多分近代の彫刻でもあったみたいに、
和洋折中的なものが将来的に我が国の建築様式たるべきだみたいな話とか、
もっとその建築ってローカルなものなんだけれども、
今やもう数ヶ月あれば世界一周、地球一周できるような時代になってるから、
どんどん世界的にも建築は普遍的。
だからどこの国にあっても同じような様式に修練していくだろうみたいなことを言う人たちがいたりとか。
おー、めっちゃ近代の彫刻じゃないですか、それ。へー面白い。
で、その他、日本的なものっていうものをどんどん追求していくべきだみたいな。
はいはいはい、そういう人もいるでしょうね。
で、あったりとか、あとはこれは多分工学的なあれなんですけれども、
鉄、ガラス、コンクリート的な新しい技術っていうのがどんどん出てきてるから、
もともとレンガとか石像で培われた西洋建築の様式みたいなやつって、
その新しい材料と結びついてないよねと。
だから新しい材料に適した様式になっていくんじゃないかみたいな話をしだす人がいたりとか。
おー、面白いな。確かにそう言われてみるとそうだよね。
そういった論争が繰り広げられたおかげで、何か一つ結論が出るわけでもなく。
ほうほうほうほう。
ただ、そういったいろんな観点があるっていうことが自覚的になるというか。
自覚的になって、やっぱ考えるの大事っすねみたいな風になって終わるみたいな。
で、その後、やっぱり日本の中で新しい建築運動みたいなやつも出てきて。
あー、やっぱそこが出てくるんだね。
分離派建築会っていう有名な建築家たちが集まって、
当時の重鎮みたいな、英国大学の一期生みたいな人たちよりはもっと若い人たちが集まって、
分離派建築会みたいな建築運動を始めたりとか。
分離っていうのは分系と離系って感じ?
分かれる。
離れる。
そうだった。
当時というか、ヨーロッパのほうで分離派みたいな建築運動が起こってて、
それに影響された若手建築家たちが集まって、新しい設計をしたりとか。
それも西洋の影響なんだ。
そうですね。
この西洋での分離派建築会って、まさに鉄、ガラス、コンクリートみたいな新しい材料が建築に使われるようになったから、
新しい建築と昔ながらの様式っていうのは分離していくべきだみたいな。
そういう分離ね。
そういう建築哲学的なものに目指していたんですけれども、
日本ではむしろ最初から分離してたから。
本当だ。分離してる。
だからどちらかというと、
表現的なところに全く様式的なものを作るんではなく、
本当にシンプルなモダニズム的なやつを設計してみたりとか、
もっと美術的な彫刻みたいなやつを、
様式的にではなく、本当に美術的な塊として設計してみたりとか、
いろんな実験をやりまくってるんですよね。
そっか。ある意味自由なんだね、その辺は日本のほうが。
そうですね。だから本当に、
日本っていう下地があるので、
当時というか、お雇い外国人としてやってきた、
コンドル、ジョサイアコンドルっていう、
当初、帝国、東京帝大の建築学科の一番最初の先生なんですけれども、
そこにやってきたジョサイアコンドルも、日本で設計するときは、
わりかしカッチカチの西洋スタイルっていうよりは、
いろんな当時の英国の植民地の建築スタイルを混ぜ込んだような、
節中洋って言われるような建築を、わりかし日本で残してたりとか。
ああ、植民地ね。
あそこの三田のほうにある三井クラブってあるんですけれども、
あれがコンドルの設計なんですが、
純粋な洋式建築っていうよりは、
ベランダみたいなものを取り入れたりとかする、いわゆるコロニアルスタイルって言われる。
コロニアルね。なんか聞いたことありますね。
を取り入れてたりとか、そういう日本でやるときは、
本国ではやれない建築を。
なんでここにあるのってなるんですもんね、本国でやっちゃったらね。
いやいや俺植民地でやれやみたいな感じだけど、
日本人としては別にその辺の文脈知らないから、
なんかオシャレなベランダですねみたいな、そんな感じになるっていう。
はあ、なるほどな。
だから日本で働いてたお雇い外国人の建築家にとっても、
西洋の文脈のないフィールドで設計できるっていうのは、
意外と洋式が分離してるっていうことが起こってたんじゃないかなっていう。
分離派を自で言ってるみたいな。
へえ、なるほどね。
ただそうやって、いろんな建築論であったりとか、
建築論を自覚したりとか、
コンペの手法を日本の中にいっぱい取り入れようみたいなことをやりだしたんで、
日本の建築文化っていうか建築が、
もっと当時とにかく追いつけ追い越せで、
表面なぞってた段階から大きく進んだんじゃないかなと。
そうですね。なんかすごく深みを増した感じはしますよね。
なるほどね。
結局その話し合いの中で、洋式論とかに終始したりとかして、
まあ話し合ったほうがいいよね、今後みたいな感じになりつつ。
コンペをしましょうねって言って、
コンペをやった感じなんですよね、きっとね。
国会自動の。
国会自動のコンペは、これやったと言っていいんですかね。
そんな感じ?
やったにもかかわらず結局、
コンペ案を下敷きにして、
官庁営然の部隊が手を加えて完成させたっていうのが、
実際なんですよね。
コンペ案はもしかしたら民間からの対応だった可能性もあって、
それを官僚たちが手を加えちゃったみたいな感じなのかな。
確かそんな感じだった。
まあなりそうだな。
実際それに先立って、
大阪の航海堂、中野島にある航海堂ってあるじゃないですか。
聞いたことある。
あれもコンペでやってるんですよね。
あれコンペでやってるんですが、
最終的に審査員であった辰野金吾が、
コンペの最優秀案に自分の趣味を加えて設計し直して、
それが今の航海堂になっちゃってる、
中野島の航海堂になっちゃってるっていうところもあって、
100%コンペみたいなことができるようになるというか。
まだね、やり始めたばっかりだから。
ちょっと手加えちゃうぐらいはね。
まあまあかわいいもんすよね。
ダメだろって感じ。
ダメなんですけど。
なんなんだよみたいなね。
本当ですよね。
著作権というか、設計がどうとか、
そういう観念もあんまりないんでしょうからね。
設計者が誰でとかっていうのは。
国会議事堂の、あれも独特なフォルムじゃないですか。
あれはなんなんですか。
洋風といえば洋風だし、柱とかあったようなイメージもあるし、
なんかギリシャ・ローマ風といえばそうなんだろうな。
ホワイトハウス真似てるといえばそうなのかなって気もするし。
そうなんですよね。
あれもいろんな様式の説中の上、何様式とも言い難い。
そうなんだ、やっぱ。
確かに何様式とも言い難いですよね。
形になってしまって、オリジナルといえばオリジナルだし。
そうなんだ。
奇妙といえば奇妙だ。
よくよく見ると奇妙に見えてきましたね。
なんかジーンとかにも見えるし。
なんなんだろうみたいな。
なんとなくお細かな感じはするねみたいな。
なるほどね。
ここに詰まってるわけですね、葛藤というかいろんな。
そうですね。
どうしたらいいんだろう、俺たちみたいな感じとかも含めて。
これがまたいわゆる柱はギリシャ・ローマ風だったりとか。
そうですよね。
とはいえ、全体的に直線基調のデザインであったりとか。
それは近代建築ムーブメントを意識してたりとか。
なるほど。
じゃあ実際真ん中の塔のてっぺんはドームなのか、寄せ棟屋根なのかよくわからない。
確かによくわからない。
別に機能性とかもなさそうだし、何に使ってるかもわかんないし。
になってるし、本当になんとも言い難い。
本当だ、こんなによくよく見たことなかったけど。
でも逆に。
面白いな。
逆にそうやっていろんなものが混ざったキメラみたいな形で。
だからこそ印象的に。
そうですね。
我が国の議会の象徴としても、今や認識されちゃったりとか。
はいはいはい。なるほどね。
実際、国会議事堂が作られたのっていつなんでしたっけ。
国会を開きましょうねみたいな招職とかは、割と早めに出たりするじゃないですか。
そうですね。ずっと木造の仮議会譲を使ってたんですよ。
そっか、ないからね。
集まればいいから、とりあえずね。
これまたあれなんですけど、第1次の仮議事堂、めっちゃあっという間に燃えちゃってるんですよ。
ああ、そうなんだ。なんかね、よくないっすね。
もともとのデザインは、これエンディ・アンド・ベッグマンが書いてた案をもとに、
またドイツの建築家が設計し直したやつが建てられたみたいなんですけど、
これがどうも3ヶ月ぐらいで漏電により。
ああ、漏電。
当時電気を使った設備を持ってるっていう時点で、結構先進的な建物だったんでしょうね。
そりゃあなんかね、ブレーカーをいくつ付けなきゃいけないとか、
その辺もよくわかんないから人に合ってたみたいなところもあるんでしょうね。
適当にはやってないですよね。
まあまあまあ、今の基準からしたらずいぶん危ないことしてるなってことをしてたんじゃないかなって気がしますけどね。
ああ、そうなんだ。燃えちゃったんだ。
燃えちゃってるんですよ。
2代目の議事堂は、これも火災だったかな。
とりあえず木造なんだね。
木造ですね。
でもそれは別に仮設のつもりはなかったんですかね、もともとは。
それはそれで、今回議事堂として使っていこうみたいな感じだったのかな。
やっぱり本格的な議事堂はずっと作りたかったみたいなんですよ。
そうなんですね。
なんですが、やっぱり予算がつかないとか、関東大震災が起きたりとか。
その辺挟んでんのか。
じゃあもう明治終わって。
明治は過ぎていったっすね。
話し合いは明治の末ぐらいに行われていて、
なんかコンペとかやんなきゃねとかっていうのが出てきて、
やったりもしつつ、でも結局まだできずにみたいな。
まだ仮設できていて、大震災とか来て潰れてみたいな。
最終的な竣工は今のやつ。昭和11年。
昭和11年。
じゃあ本当戦前というか、だいぶ迫ってますよね。
そうですね。
226事件が1936年昭和11年なので、
竣工式が1936年の同じ年の11月なのか。
226事件。
なかなか象徴的な。
眺めていたと。
眺めていたと。
建築中に。
そうだ。あの辺で起きてたんですもんね。
そうか。
じゃあなかなか象徴的な年にできたっていうことは、
まさに足掻いてた時期っていうのも分かりますね。
なるほどな。
そうなんだね。
分離派建築会と折衷主義、そしてモダニズムの到来
そうすると、そういう話し合いが明治末期にあって、
その時期にきっと日清日露とかもあって、
だんだん西洋に追いついてきたっていう実感も伴い始め、
そんな中で建築界においても、
俺たちの独自性とかって何なんだっけみたいな話し合いとかも、
ずっと唱われたんだろうなって感じはするし。
これだけ移動とかも飛行機とかでできるようになってきて、
どこにでも行けるし、
世界中同じような建築になるっていうのが、
そういう未来が待ってるんだよみたいなね。
そういう普遍的な考え方みたいなやつとかも。
まさに哲学のほうは近代の彫刻でも、
結局日本の独自性ってなんだっけみたいなことを言いながら、
ヘーゲルの話とかを持ち出して、
西洋はヘーゲル的な進歩みたいなやつで、
ある意味第一大戦とかで失敗をして、
金融挙抗とかも起こって失敗をしていったのに対して、
その普遍性の担い手になれるのは、
俺たち日本なんだみたいな、
こじつけというか、
みたいなのが起こったりとかして、
それが戦争の論理とかに利用されたみたいな側面とかもあった。
っていうところがあったわけですけど。
普遍性みたいなところに引っ張られていって、
それの担い手に自分たちがなるんだ、みたいな。
そういうところとかも若干通ずる部分もあるなって感じはしたし。
そうですね。
そこから建築の場合はいろいろ広がっていく景気になったっていうところもあると思うんですけど。
それから戦中になっていくわけじゃないですか。
戦争になって、
それこそ空襲とかでいろいろ焼けちゃったとかもあると思うし、
そこからの復興とかっていう事情によって、
いろいろ建築とかが制限されるとかっていうのは、
制約が出ちゃうとかっていうのはある気がするんですけど。
そうですね。
戦争に行く前にちょっと大事な建築運動みたいなのがあって、
それが本当にインターナショナルスタイルみたいな、
本当に世界共通の普遍様式的なものがまさに西洋でも起きてるんですね。
それに日本も巻き取られてて、
有名なやつがバウハウスっていうドイツの建築学校なんですけど。
バウハウスって何か言ったことありますね。
なんでだっけ、なんであるんだろう。
学校なのか。
学校ですね。
このバウハウスの建築学校での建築運動だったりとか、
あとは近代建築の三大巨匠って呼ばれているルー・コルビジェとか、
フランク・ロイドライト、ミース・パンデル・ローエっていう、
その建築家たちの活動が日本にすごい影響を与えるとか。
フランク・ロイドライトは帝国ホテル。
今、愛知県の明治村に移築されてる玄関部分だけですけど、
の設計をした人だったりとか。
ルー・コルビジェは上野の西洋国立博物館の設計をしたりとか。
彼らの弟子が、日本人にも弟子がいたりするんですね。
その人たちが日本にモダニズム建築をいっぱい建ててたりとかしているんですね。
それがまた、全体的に様式とかがついてないんで、
簡素で質素に見えるっていうところが日本の感覚にあったんですかね。
特に環状建築なんかはどんどん四角い豆腐みたいな建物がいっぱい建っていくっていう動きになっていくんですけれども。
そういった建築運動が入って、
そういう簡素でシンプルな建物っていうものが日本の中に広がっていってたときに戦争になって、
戦争終わって復興していこうっていうときに、これがまた木造と割かし相性が良かったんです。
復興が。
復興というか、モダニズムのシンプルな柱と梁であったりとか。
特に装飾をつけないじゃないですか。
だから企画化された形に木材を切って建てていけば、プレハブみたいな形で建てていけば、
結構な速さで建物を復旧できるみたいなところがあって、
一時期木造モダニズムって言って、
特に邸室省、今の郵政省。
郵政省もないかも。
民営化してなっちゃったんですけど、
当時郵便局いっぱい建てなきゃいけないっていうんで、
郵政省の中に永前っていう組織があったんですよね。
その永前組織の中の建築家たちが木造モダニズムで郵便局の復興をやりまくってるんですね。
さすがに木造なので、今残ってるのってほとんどというか全くないんじゃないかなと思うんですけど。
ただそれによって、
画一的で東風に穴を開けたような、言われちゃうようなシンプルな構成で、
でも結構ね、邸室省の建築家たちはデザインこだわってて、
シンプルなんですけれども、よくよく見るとすごくプロモーションが良かったりとか、
そういった木造モダニズムでの復興をめっちゃしまくったみたいな歴史があるんですよね。
その後、それがコンクリートの長者になった時にも、
その感覚、そのプロモーションが引き継がれて、日差しの郵便局みたいなやつがいっぱい建つようになると。
なるほどね。そうなんだ。確かにそう言われてみると、
郵便局とかをあれだけ作ったのとかもめちゃくちゃすごいし、
それは邸室省に永前部隊がいたからっていうのもあるんですね。
そうですね。
だからその邸室省の永前部隊の結脈というか、
地筋はNTTファシリティーズだったりとか。
そうなんですか。
あとは郵政建築って最近、郵政グループの中でも建築部っていうのがあったんですけど、
施設部って言ってたかな。施設部っていうところがあったんですけれども、
そこが設計事務所として独立したのが日本郵政建築っていう会社であったりとか。
あるんだ。
だから永前部隊の結脈を今に伝えるっていう歴史的な組織ですよね。
確かに。そうか。なるほどな。
確かにな。そっか。だから木造、戦前からモダニズムが流行っていてというか、
そういう西洋から取り入れたり、留学してて帰ってきた人たちもいた。
そういうのを立てていた。
その流れがありつつ、国土が荒廃した後に、
復興と木造とモダニズムっていう組み合わせが意外と良くて、
バンバン立てていくことができたから、住宅需要に応えられることができたっていう側面があった。
住宅にモダニズムってあんまり入っていかなかったんですけどね。
そっか。
どちらかというと長社建築であったりとか。
なるほどな。そうか、確かにな。あんまりモダニズムじゃないのか。
そっかそっか。住宅のほうは本当に自分たちでなんとかバラック立てて、なんとかしてたんでしょうね。
でも都会のアパートとか団地とかはモダニズムの影響はありますよね。
昔の木造アパートとかもそうなんですか。
木造アパートとかも、いわゆる四角い木造アパートはモダニズムの影響は受けてるでしょうし、
2本屋根かぶった木造アパートもいっぱいありましたし、
入ったり入らなかったり。
こだてのほうにはあんまり入り込まなかったですよね。
どういうことか。なるほどな。
コンクリートのアパートだと道順階アパートっていうのがモダニズムのアパートだったりするんですけど、
道順階って表参道ヒルズに一部レプリカが残ってるんですけれども。
そうなんだ。なんか聞いたことあるな。
一番古いとかそういう感じでしたっけ?
一番古いわけではなかったけど、目立つ場所にもあったし、結構シンプルでかっこよかったから。
なるほどね。鉄筋コンクリートでもそういうのができては来ていったのか。
そうですね。戦前からそういうムーブメントはありつつ、鉄学だとだいぶあの戦争の影響っていうのは大きくて、
ある意味そこで日本鉄学って断絶してしまったみたいなところがあったと思うんですけど、
あんまり断絶はない感じですか?建築界だと。
いや、一時期ちょっと話をした定観様式ってあったじゃないですか。
定観様式だった。あれよくなさそう。
日本的なものを追求して日本屋根を西洋建築の上に乗っけちゃうみたいな。
あれが一時期、本当に昭和初期ぐらい流行るんですよね。
それも結局、おそらくは建築様式をいかにすべきや論を受けて、
日本的なものは何なのかを追求した建築家たちが辿り着いた答えの一つだったんでしょうか。
そういった定観様式みたいな流行りは全く戦後には引き継がれなかったって感じですね。
そうか。確かにこれは引き継がれなそうですね。
これこそ普遍制度にないては俺たち日本人なんだ感が出てる感じがかなりするし。
こう見ると国会議事堂とかも若干定観様式的な。
的な空気は感じます。
空気は感じますね。その足掻き感は感じますね。
なるほどな。
定観様式はそうだったし、当時戦争に賛同していたというか、
割かし好意的だった建築家たちの反応が一気に反省モードになったりとか。
公職追放までされた建築家ってあんまりいなかったんじゃないかなとは思うんですけども。
まあそうでしょうね。そこまで影響しなそうだし。
建築が思想のバックボーンってなるっていうのはなかなかないので。
定観様式が全く立てられなくなったぐらいが一番大きなところだったりするんじゃないですかね。
なるほどね。
戦後の復興と現代建築の課題
これゲームだか映画だかちょっと忘れましたけど、
日本が太平洋戦争で勝っている世界戦みたいなやつで、
アメリカにそれこそ定観様式みたいなビルが大量に建つみたいな。
アメリカがもう日本の植民地になっていって。
そういう世界戦のゲームだったかな。なんか見た気がするんですけど。
まあでもありそうだなって。
あそこで地震を失わなかったら、
わりかし今の僕らの目で見ると奇妙なキメラに見えるかもしれないけど。
そうですね。別にかっこいいっちゃかっこいいし。
こういうのもあるんだろうなって。
人間の美として一つあり得る形だよなと思うし。
意外と生き残ってるかもしれないですね。
そうですね。
地震を失わなければ。
失わなければ。
なんかわかんないけど、最近のこの国の空気感とかを感じると、
ある意味日本すごい論とかが流行りだしてるわけじゃないですか。
そういうのの中で第二次帝漢様式みたいな、
そういうムーブメントが起きてこないとも限らないなって感じ。
しなくもないですけど。
どうなんですかね。
当時の特に戦前の日本人の地震って、
どちらかというと、まさに自分たちの力で日清日露を勝ったし、
平等条約も改正させたし、
その中での日本すごい論というか。
確かに。事実を伴っていた。
一方で最近の日本すごい論みたいなのって、
日本の歴史、昔からこうだったんだぜみたいな話だったりとか、
実はこの日本の技術ってこうなんだぜみたいな話はありつつ、
じゃあ実際のGDP規模においても、
4位転落、5位転落みたいな話になったりとか、
国民の一人当たり所得がどんどん下がっていってるみたいな、
そういう地震がなくなる中で、過去の栄光を見て、
俺たち無限だぜみたいな空気。
だから地震がなくなりそうだから、
自らを鼓舞するためにみたいなところがあるんで、
それが新しい建築様式を生み出すんだみたいな、
そういうエネルギーにつながっていくかというと、
どうもそういうふうには見えない。
確かにな。そうだよな。
でも日本的なものじゃないにしろ、
日本の建築家って割りかし世界で活躍してて、
ちょっと前だと伊藤豊夫さんだったりとか、
最近だと瀬島和夫さんみたいな人とか、
あれはサーナっていうような建築事務所だったような気がするんですけど、
であったりとか、そういった人たちが、
景観様式ではないんだけれども、
日本で培った建築技術みたいなものであったりとか、
建築デザインであったりっていうのを、
世界のコンペで遺憾なく発揮して、
賞を取ってくるとか、そういった活躍はされているので、
それもある意味、建築様式を一生懸命頑張って話し合った論争があったから、
今につながってるのかもしれないですね。
なるほどね。
だからそこで建築論っていうものを意識するようになって、
ちゃんと建築論を考えて設計するっていう文化ができた。
そういう文化を教育するようになったみたいな。
なるほどな。
そうか。
だから定観様式的なスピリッツはなくなってしまったけど、
もはや戦後は、
西洋のモダニズムとか合理主義とかそういったものも含めて、
日本人はだいぶ内面化してきて、
ある意味も西洋の一員として振る舞うようになって、
それこそ西洋にも本当に被験するレベルの建築っていうのを
ちゃんと作れるようになっていって、
海外でも活躍をしているっていうところなんでしょうね。
そうですね。
でも一番直近で建築のリングって作ってたじゃないですか。
バンパークル。
はいはい。
あれは日本建築的なるものを何とか消化しようとして作ったとも言えなくはないですね。
なるほど。
現代の定観様式だ。
うん。
無理くりね。
無理くり。
そんなもん日本になかったけどみたいなところだけどもみたいな。
かけづくりってあるじゃないですか。
かけづくり。
かけづくりっていうんですか。
清水の舞台。
うんうんうん。
あれもあんな形ですよね。
はいはいはいはい。ありますね。
僕はあれノートにかけづくりの概念って書いたんですけど。
ほうほうほうほう。
かけづくり的な組み方はしてるけれども、
あのかけづくりも舞台がセットになってるんですけど、
舞台もあったじゃないですか。
はいはい。
上ったら上からこの上に広い空間があって、
ただ最終的にあの舞台って仏様に捧げるために作られてるものなので、
捧げるための仏様がいないんで。
あ、本来はそうなんだ。
うん。
そこに本尊があるみたいな。
そうですね。仏堂を建てて本尊があって、そこにお参りするための舞台。
その舞台の上で法納の行事をやったりとかするので、
だから舞台が出来られてるんですけれども、
でも万博の会場には仏様なかったんで。
なるほど。
だから概念と。
いやまあそこでね。
なるほどね。そういうことか。
でもまあなんか、やっぱりそういう万博とか、
なんかナショナルイベントになると、
何かしらこう、やっぱりそこでもいろいろ話し合いとかあったんでしょうしね。
国会議事堂どうするみたいな話し合いと同じように、
え、なんかやっぱ日本的なものやりたくないみたいな話の中で、
かけづくりでリング作っちゃうみたいな話が出てきたっていうことなんでしょうから、
あがきは見えますよね。
そうですね。日本的なるものを何か表現しようとしたっていうことではありますよね。
まあでもなんか、なんだろうな。わかんないけど。
やっぱこうモダニズムとかインターナショナリズムでしたっけ。
インターナショナルスタイル。
ルスタイル。
みたいな柱張りだけの無機質な、ある意味普遍的なんだろうけど、
すごく合理的なんだろうけど、
なんかやっぱそれだけじゃ寂しいよねみたいな気持ちにやっぱり人間はなり、
いやまあ普遍的とか言うけどさ、
なんか俺たちの伝統とか美意識とか、
そういうのをいい度反映させなくてみたいな、
なんかそういう気持ちとかすごくわかるし、
そこでやっぱなんだろうな、
なんかちょっと屋根乗せとくみたいな、
ああいう発想なのもちょっとわかるというか、
いらないんだけど、いらないんだけどいるんだよねっていう。
これがないとちょっとなみたいな。
あとあれですね、
なんか思想7さんのノートでちょっと見させてもらったので、
まあなんかまた話飛ぶけど、
建築家とか言われる人たちってあんまり経済合理性とか、
そういうのはあんまり意識しなすぎじゃないみたいな話とか、
なんかその辺の話あった気がするんですけど。
あれは建築保存の現場というか、
ところで特に保存要望みたいなものを出す団体もあるし、
保存要望ですごく過激なことを言う人が、
特にXは過激なものを言ったもん勝ちな世界なんで、
あれなんですけれども、
そういうことを言う人が結構いるんですよね。
それに対してちょっとそういうことじゃないんだよっていうのを、
僕が自分の経験であったりとか見解みたいなのをまとめて、
Xに投げたんですよ。
なるほど。
それをちょっとXだと分解して消え去っていくので、
ちょっとノートに再編してまとめましょうみたいな感じでまとめたのがあれなんですけど。
建築って特にやってる人たちは本当にいっぱい勉強して、
本当に美術であったりとか工学であったりとか、
そういった勉強いっぱいしてやるから、
結構視野が狭くなっちゃう人が一定数出てきちゃうんですね。
この建築の素晴らしさが分からないのは何事だみたいな感じで、
発言しちゃう人も出てきちゃうんで。
だからそれを今占めるって言うとおこがましいんですけれども、
一般的に見たらそこまで建築ってそうは思われてないぜみたいな。
特に別に勉強しなくても建築って使うことできるじゃないですか。
だから他の人たち、いわゆる一般的に建築を利用してる人たちって、
そこに建築に価値を見出していないっていうのが、
一般論とまで言うと言い過ぎかもしれないですけど、
結構主流なんじゃないかなっていう。
そういう見方もした上で、
じゃあどうしたら建築って残せるんだろうねとか、
使っていけるんだろうねっていうのを考えないと、
世間一般には受け入れられないし、
結局もうそんなうるさいこと言うんだったら、
うるさいこと言われる前に壊してしまおうぜみたいな話になりかねないから。
だからもっといろんな視点を持って経済合理性も目を向けて、
それでこの建築は素晴らしいんだぜっていうアプローチを取らなきゃダメだろうなっていう。
なるほどね。本当はそうだなと思うし。
やっぱSHOW7さんにいろいろ教えてもらうまで、
そこまで建築そのものに興味を持っていなかったっていうところもあるし、
やっぱり博物館行っても博物館の中身を見るのがメインで、
その建造物にそれを保存するのに、
実は税金がめちゃくちゃ大量に投入されてますみたいな、
それがいくらかかってるのかとか全然知らないですけど、
それがすごい莫大な額だったりとかした場合とかに、
確かに意外とそれは大切だとは思うし、
残したいとは思う人も多いと思うけど、
その金額によってはいらなくないみたいな話とかにはなりかねないとは思うし、
そういうことは普通に起こるだろうなというか、
だからこそSHOW7さんみたいに、
ちゃんと建築の楽しさとか語って伝えないとわからんよねみたいなところだろうし、
無理やりつなげると、
本当に昨今の日本の政治状況におけるリベラルがめっちゃ嫌われるみたいなのとかも、
すごく近しいような感じも感じていて、
世間一般の人は割とリベラル的な言葉っていうのはそんなに、
建築とか文化財とかが大事だよねっていうのと同じレベルで、
そりゃSDGsとかそういうの大切なんだと思うし、
男女平等的なものとか、それはあったほうがいいと思うけど、
それよりも自分たちの生活もあって、
そこまでそんなに重要視してないっすみたいなのの中で、
いやダメだそれが一番大事なんだよみたいなことをすごく積極さく言われても、
そういうこと言われるとちょっとやめときますみたいなふうになっちゃうとか、
そういうのにも近しいなっていうふうにね。
無理やりっすけど感じましたね。
そうですね。日本でリベラルが嫌われるというか、
たぶん日本ってリベラルをちゃんと理解してる人が、
たぶん自称リベラルの人たちの中にも少ないんだろうなって感じがします。
それはそうだと思いますよ。
リベラルってめんどくさいものじゃなくて、
もともとって自由に生きるための技術じゃないですか。
リベラルアーツの語源がまさに、
自由に生きるためのパーツは技術なので、
だから人間が人間として自由に生きるために、
人文学であったりとか歴史であったりとか、
そういった基礎を身につけた上で、
自分を自由に生かしていくためにどうするかっていうものが、
リベラルであるはずなのに、
自由平等を守るためには、
全体主義的にみんな自由平等を大切にしなきゃいけないんだとか、
そういうことを平気で言っちゃう、
自称リベラルっていっぱいいるじゃないですか。
それはあなたの言ってることをリベラルじゃなくて、
全体主義じゃないですかみたいな。
だからそこの分かってなさとかうさんくささも、
相まってリベラルが嫌われているんだろうなとは思うんですけれども、
リベラルを嫌っている人も別に、
あなたは自由に生きていいのよとか、
自由に生きなさいって言ったことを否定するわけじゃないと思うんですよね。
そうそうそうそう。そうなんですよね。
だからちゃんとリベラルを勉強している人であったりとか、
リベラルが分かっている人ほど、
今の自称リベラルの人たちの言動をどんどん嫌っていくんじゃないかなっていう。
まあまあまあね。
そうですね。
まあどっちもあるですね。
だからちゃんと勉強してる人にも届かないし、
勉強してない人からしてもすげえ説教臭くてなんか嫌だし。
そこまで言われる?みたいな。
普通に生きてきただけなんですけどみたいな。
確かに普通に生きてるのが良くないんだよとも言えちゃうじゃないですか。
もっと構造で考えて、歴史的な段階を踏まえれば、
こんな過不調性なんて環境要因に過ぎず、
あなたはその構造の中に巻き込まれてしまっていて、
男性優位の社会の中に生きてしまってるんですよ。
だからそれはあなたが下駄入っていて、
それを自覚的にならなきゃいけません。
みたいなことを言われるわけじゃないですか。
まあまあそれはそうなんでしょうと。
そうなんでしょうが、
いや別にそんな俺普通に生きてきただけなんだけど、
みたいな感情になるのはわかるし。
それはなんか、語り方の問題なんでしょうけども。
だから男はダメなんだみたいな論に、
生きがちになっちゃったりとか。
もともとそれこそリベラルって、
ショーセブンさんが言う通り、
そういった自由になるため。
環境的な縛りとか、
いろんなものから解放されるために、
自分自身で磨いていって、
構造的にこうなってるから、
ここはこう振る舞ったほうがいいんだろうなっていう風になって。
社会を相対化して、
自分がそこから一歩抜け出るみたいな。
で、俯瞰できるようになるみたいな。
そういう感じなんだろうとは思うんですけど。
それが俯瞰しなきゃダメなんだよみたいな話をしてくるので。
相対的になれや、みたいなことを絶対的に言ってくるみたいな。
今まで正しいとされてたことは正しくないんだよっていうことを、
すげえ正しそうに言ってくるっていう、
めちゃくちゃねじれた感じで言ってくるわけですけど。
確かにそうかもしれんが、
その言い方は良くないと思いますみたいな。
まあまあそういう話ですよね。
建築とは全然ずれちゃいましたけど。
ずれちゃいましたね。
建築っていうもの自体にリベラルはないですけど、
どちらかというと建築業界。
不動産であったりとか、ゼネコンであったりとかは割と断経社会ですよね。
私なんかそういうところで働いてるから思うんですけど、
いろんな会社さんとの打ち合わせとか行って、
女性が全く出てこねえみたいな。
結構ありますね。
そうか。
そうなのか。
割と増えてはいますけど、
本当に20人30人ぐらい集まる会議をやってる中で女性が2人とか。
普通にありますから。
特にもっと昔だと比率はすごかったですね。
まあそうでしょうね。
もともと建築っていうと、すごく男の仕事みたいなイメージがあったり、
大工さん的な力仕事っていうようなイメージがあったりとかっていうので、
そもそも女性の目指すべき職業として、
あまりイメージされないっていうのはありそうだし。
そうですね。
設計とか営業とか、別に力仕事じゃない仕事もいくらでもあるんでしょうけど、
あまり業界全体のイメージとして上がってこなそうですよね。
業界全体としても女性が働く力として上がってほしいっていうんで、
いろいろとイメージアップ作戦みたいなやつはやってるんですけどね。
建築小町みたいな活動をしている会社さんがいたりとか。
なんすかそれ。なんかちょっとセンスがあんまり良くない気がする。
なんか大丈夫かな。そういうの炎上しそうじゃないですか。
大丈夫かな。
炎上しそうですかね。
わかんないけど。
女性が建築現場で活躍してる様とかを、
社内メディア的なもので紹介したりとか。
そういった運動をされてる会社さんもいたりとか。
なるほど。
割かし設計の現場は女性増えてますね。
まあまあそこでしょうね。
ただ、やっぱり開発の現場とかになってくると、
だいぶマチョイズムな現場なので、
女性少なかったりしますよね。
全然活躍されてる女性もいっぱいいるし、
めっちゃ優秀な方もいらっしゃるんで、
全く女性がいないというわけではないんですが、
やっぱり労働力として人間が物理的に減っていくから、
女性もいっぱい働いてもらわないといけないのに、
このままでいいのかなみたいな。
そうっすよね。
理念的にコテンさんのジェンダーインクルーシブの音源みたいなのを聞いて
含むって思うところはあるんですけれども、
どちらかというと今の日本って理念的によりも物理的に足りないから、
もっと女性もいろんな分野に進出してよっていう。
そっちの方が切実なんじゃないかなっていう。
特に不動産開発の現場にいるとひしひしと感じますよね。
なるほどね。
特に建設建築コストとかが爆上がりしてる中で、
それはやっぱり人手不足の問題とかもあるだろうし。
そうですね。
建てる人そのものが減ってるっていうのはあるのか。
本当すごいっすよ。建築の現場に行くと、
80のおじいちゃんが別に現場で職人してんですよ。
マジっすか。
元気だなって思う一方で、引退できないんだって。
できないんでしょうね。できないし、
多分それだけお金もらえるから続けるんでしょうしね。
続けるんでしょうけどね。
だから本当におじいちゃんと外国から来た若い子で回ってるみたいな現場って結構あるんですよ。
おじいちゃんいなくなったらもう終わりですね、もうね。
マジで。だからそういう職人さんを出す公務店さんなんか、
この代のおじいちゃんたちいなくなったらもう俺たち占めるよみたいなところが結構多くなっちゃってて。
だから別に赤字とか債務懲価で畳むんじゃなくて、後継者いないから畳めます。
割かし今建築の現場の給料って良くなってるから、
昔、確かに肉体労働なのできついし、危険だったりしますけど、
僕が就職した時もだいぶ現場環境は良かったし、
僕は肉体労働する側じゃないんですけど、
でも本当にすごい綺麗な建築の現場も増えたし、
さらにその時より今の現場の方がすごい綺麗だし、
だから結構いい給料もらえるので、
若い方も女性の方も入って活躍されたらいいんじゃないでしょうかみたいな。
そうですね、本当ですね。
イメージ的にやっぱ、建築現場だとすごく下積みが必要で、
職人的な感じで長いこと関わらなきゃいけないみたいなイメージが何となくあるんですけど、
でもその日雇いの人とかもいるっちゃいるのかな。
いますよね。
例えば子育てとか、途中で抜けちゃうとかっていう制約の中でどうなんだろうなっていう。
でもそんなこと言ってられないっていう状況なのかな。
言ってられない。
別に抜けるのはしょうがないよねってなるしかないもんな。
確かにすんげー重たいセメント袋をめっちゃ運びましょうねみたいな仕事を積極的にやってよとは言えないかもしれないですけど、
力を使わない作業場面なんていくらでもあるんですよね。
そうですよね。
だから実際の現場もそうですし、現場を回すための事務職とかもあるし、
だから女性もそうですし、若い子もコンビニでバイトしてすり減っていくより、
飲食でバイトしてすり減っていくよりのほどいいんじゃないかなって。
なるほどね。そうでしょうね。
あと時間はきっちりしてるんで。
確かに。
要請があって残業するときはちゃんと残業代出ますし、
基本は5時の作業終わりになったらちゃんと上がれる。
素晴らしい。
ただちょっと不安なのは僕が担当してる現場は割かし大きい現場が多いので、
他のもうちょっと小さい現場とか、
そういったところでそこまで徹底されているかについては、申し訳ないけど保証できない。
それはそうですね。
市長さんみたいな大手の感じだったらクリーンになるかもしれないけど。
意外と怪しいところとかありますもんね。
大丈夫かこれみたいな。
解体現場とか見せてたら、大丈夫ですかこれみたいなのありますもんね、たまにね。
そうか。
ちょっと話がすごいところまで飛んでいきましたけど。
飛んでいきましたね。
まあなんだろうな。
建築士的に言えば、これから日本建築士とかのままどうなっていくのかっていうのはちょっとよくわかんないですけども。
そんなこと言ってられないぐらいにない手がいなくなっていくっていう問題とか、
そもそもこれを維持できるのかっていうところのレベルなのかもしれないですよね。
この辺でもしかしたら何かしらの断絶が起こってしまうのかとかね。
そうですね。
とにかく今は建築コストが高くなってるから。
そうだよな。
発注ができてないっていうところも多いですよね。
建てられないですもんね、こんだけ高くなっちゃうと。
だから建てられないんでリノベーを選択するビルなんかも少しずつ増えてきてはありますよね。
なるほど。
そういう意味では建築保存を言ってる人たちには追い風なのかもしれないですけどね。
はいはいはいはい。なるほどな。
そっか、建築保存。
そっか、再開発はまた違うのか。
再開発はまた。
再開発はね、スクラップ&ビルドじゃないですか。
あれは再三があればやるって感じでしょうからね。
でもその辺もやりにくくなっていくんだろうから、既存の建物を活かしつつっていうような。
今までスクラップ&ビルドでやってきたのが、だんだんもしかしたら今後は西洋的な保存の方向に行っていく。
で、その古い建築とかが価値を持つようになるとかっていう風になっていくっていうこともあったらいいですよね。
そうですね。
まあ面白いですね。やっぱなんかこう、いろいろ横断して話していると、すごい人間のというかサピエンスの営みというかダイナミズムというか。
その中に建築っていうのもあって、それに翻弄されたりとかしながら。
まあでもそれでも人はやっぱり住むところとかは必要なわけで、最初の方に言ってた陽境Bでしたっけ。
陽境Bですね。
その辺の一定を満たせば、人はそれでも住んでいくっていう感じなんでしょうから。
これからどうなるかわかんないですけど、いやー面白かったっす。
ちょっと長くなってきたんで、この辺で終わろうかなとは思うんですが。
はい。
すいません、視聴セブンさんにズームまで出してもらって。
しかも録音の仕方がね、今までミソさんとかモーさんに頼りっきりで、全然やり方もわからず最初めっちゃ手間取るっていうこともあったんですけども。
すいません、私もアカウント持っておきながらよくわかってなかったんで。
まあまあ、なんとかたぶん大丈夫だと思うので、これで出したいなと思います。
なんかまたお話伺える機会があれば、別に本当なんか建築の話だけじゃなくて、歴史の話とかもいろいろさせてもらえたら面白そうだなとも思いますし。
そうですね。
またちょっと機会があればお願いしたいと思います。
お願いします。
はい、じゃあこの辺で終わりたいと思います。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。