みなさん、改めまして。こんにちは。というか、ほとんど初めましてですね。 豊田と申します。
これからの対談の中では、豊ちゃんというふうに呼んでいただくということになりますけれども、
今日ですね、終わりと始まりを考える日というトークイベント。
新しく館長になる荒代さんと、それから今の館長の滋賀有香さんとですね、このお二人のトークということになっています。
私は、売釈人じゃなくて、モデレーターとしてですね、この場に来ておりますけれども。
チラシがですね、すごく素晴らしい。どなたが書いてくださったんですか、この文章は。
私でございます。 書いてくださったんですけれども、ちょっとこれ始まりにふさわしい言葉かなと思うんで、ちょっとこれ読み上げてから本番に入っていきたいなというふうに思います。
終わりと始まりを考える日。 全てのことには始まりがあり、終わりがあり、続きがある。
尾瀬調律図書館、通称テラソのしかり、2026年3月は、現館長滋賀有香と新館長荒代雄喜が共に働く最初で最後の1ヶ月。
我々はどこから来て、どこに行って、これからどこに向かうのか。
一つの時代が終わり、次の時代に移るとはどういうことなのか。
人が、時間が、物語が交差する図書館で、現新館長の2人と、かつて図書館長だったモデレーターが、公開ラジオ収録の形で終わりと始まりを考えます。
そんな意義のあるトークということになるんですけれども。
最初の方は大体こんな感じなんですけれども。
それではですね、始まるにあたって、それぞれ簡単に自己紹介と、どんなふうにお呼びしたらいいのかね。
私もちょっと戸惑いながらやってるので、どんなふうに呼ばれたいのかというところですね。
お願いをしたいと思うんですけれども、お二人どちらから行きましょうか。
じゃあ私から。改めまして、きっとこの音源を聞いている方、初めましての人もいるかもしれませんが、今館長をしているしがわりかと言います。
もうあと4名は、16日となっておりますが。
今日はこういった場を新館長の荒代さんと、それから豊ちゃんと一緒に迎えられることをすごく嬉しく思っています。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
では荒代さんお願いします。
はい、大半の方が初めましてなんじゃないかなというふうに思います。
今ご紹介いただきました荒代悠希と申します。
この今度の4月からですね、こちらのテラソの館長になりていただきまして、今今週からアルバイトを開始してまして、アルバイトをするの大学生ぶりだなあみたいなことを思いながら働いております。
はい、っていう感じかな。呼んでほしいので、そうですね。
じゃあ今日は悠希くんでいきましょうか。
悠希くん、呼び慣れない。
はい、じゃあそんな感じでぜひよろしくお願いします。
じゃあ豊ちゃん。
私なんて呼ぶか言ってなかった。
アリちゃんで。
アリちゃんで。
アリちゃんで。
それも呼び慣れてないですね。
ごめんなさい。
で、悠希くんで。
これは聞いておられる方のためにもできるだけ正しく呼ぼうと言いながら私が間違いそうですけれども、私は豊ちゃんです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
私の自己紹介も簡単にしておきます。
フリーライブラリアンというふうに名乗ることが多いんですけれども、特定の図書館に雇われていないけれども、気持ちは図書館の人という感じですね。
野良犬とか野良猫みたいな意味で野良司書っていうふうに呼んでもいいんですけど、なんかちょっと言われると気分が悪くなるので、フリーライブラリアンがいいかなと思っています。
普段は図書館あちこち、全国あちこちに作るのを支援する、サポートするということで、自治体さんで仕事したり、設計する方と一緒に仕事したりっていうようなことが割と多いです。
あと、大学なんかで図書館のことを教えたりっていうのはあるんですけれども、そんなふうな感じですね。
アリちゃんとは1年ぐらい前に初めてお会いしたんですかね。
そうですね。
ちょっと同じく、NVCっていうコミュニケーションについての学びをしている仲間ということで、共通の師匠というんですかね。
大先輩からこういう人が図書館長をやってるんだっていうふうに教えられて、いそいそと会いに来て、息統合したというかお友達になったという感じですね。
ユウキ君とはついこの間、オンラインでお話をして、今日は初めてお会いするという感じですね。そんな3人です。よろしくお願いいたします。
今日はちょっと我々もどこに着地するかが全然わからないまま、フリートークで行きたいと思っております。
最初にですね、この終わりと始まりを考える日っていうこのイベントを何でやることになったのかということをやはりまず最初にお聞きした方がいいのかなというふうに思うんですけれども、
なんかちょっと聞いた話だと、ユウキ君がアリちゃんにこういうのをやったらどうだっていうふうに話をされたんですか。
最初はイベントをやろうみたいな話をしたわけではなくてですね、先々月ぐらいかなぐらいに、すでにそのタイミングでは僕自身もテラスの次の課長になると決まっていて、それも発表されている段階で、
何回か引き継ぎというかオンライン上で、夜にこういうふうな予算だよみたいな話を聞いたりとかをしている時間があって、それが終わった後にその話を聞いていたときになんとなく覚えているのは、
なんか適切にというかいい形で継承していく、この課長という役割だったりとかをっていうのができたらいいよねっていうことの気持ちはすごくアリちゃんから受け取っていたんですけれども、なんかこれまで5年間、2020年から、21年か。
アリちゃんがこのテラスの課長、それこそ本当にコロナ始まってすぐぐらいでめちゃめちゃ難しい大変な時期だったと思うんですよね。
そういった時から5年間やってきている中で、なんかどういうふうにアリちゃんが課長という役割を負われたら一番アリちゃんとしてなんかハッピーなんだっけみたいなことを、なんかすごく気になったというか聞いてみたくなったし、なんかそれもし何か僕としても一緒にできることがあるんだったらやりたいなーみたいなことを思って、多分深夜1時とか2時ぐらいにメッセージでピョンピョンピョンって
長文のメッセージが送られてきて、朝見たんですけど、あのめっちゃ長いなーって思って見ました。
はい、そうですよね。
そんな感じだったっけ。
それが最初でしたね。そうそうそうそう。
それを読んでどんなふうに終わったんですか?
いやなんかその時は本当になんか最初何を言われてるのか全然よくわからなくて、なんかアリちゃんの引き継ぎたい気持ちはすごいわかったみたいな。
でもアリちゃんはどう終わりたいの?みたいに言われた時に、いや私は今終わりに向かうためにあなたを次の後継として来てもらうことが決まって、今終わりに向かうためにちゃんと引き継ぎ作業をしているんだが、はてみたいな感じで最初はなったんですよ。
でちょっと頭が真っ白になる感じがあって、でもよくよく考えてみると、確かにテラソのことをどう残したいかとか、テラソをどういうふうに引き継いでほしいかっていう願いとかはずっと考えてきたし、それをずっと伝えてきたけど、
しがわりか個人としても確かにこの役割が終わるんだっていう、そのしがわりか個人としてはどうしたいんだっていう問いをもらったんだなって、なるほどそれは考えてなかった。
だからちょっと最初に衝撃、ポカンとした空白、そして困惑みたいなのが順番に来た感じだったんですけど、確かに私がちゃんと終わるということができないと彼は始まるということができないんだなっていうのもなんとなくそれをもらった時に思って、
単純にこう、はいじゃあ次官庁ですって渡せばいいわけじゃないっていうか。これで、なんかここがちゃんと互いに終わるということはきっとどういうことで、自分の時代が始まるっていうのはどういうことで、何が本当に残っていったらいいねってお互い今大切に思えてるのかみたいなことを、そこ分かち合いたいんだなみたいなのが、
だからその後私の中で出てきて、なのであれなんですよ、成果発表会をしたいとか、みんなで花道を作ってほしいとか、1ミクロも持ってないんですけど、全然作りたくない、作ってほしくない、そういうの引いちゃうタイプ、フラッシュモブとか引いちゃうタイプなんで、作ってほしくないんですけど、
そういうのよりは、やっぱりお互いに何が終わりで何が始まりなのかっていう問いに対する対話を一緒にしてみたいなが、私としての回だったみたいな。それでこの場になったっていう感じかな。
何が終わりで何が始まりなのかをお互いに確認したい。
なんか何日経過後かわかんないですけど、アリちゃんから突然メッセージがピョンって返ってきて、なんか言ってくれたあれずっと考えたんだけどさみたいな、始まり方で、多分それもある程度の文章量あったような気がするけど。
そこでこういうのやりたいんだよね、トヨちゃん呼んでみたいな話をされて、めっちゃええやんみたいな、最高じゃんと思って、やろうやろうみたいなところからここが始まってきたみたいな感じでしたね。
でした。
はい、ありがとうございます。じゃあここで今から話をすることっていうのは、まずは何でしょうね、終わり方の話ですか。
うん、なんか終わり方とか始まり方もだけど、なんかそう、だからその時に、それこそ結城くんが言ってくれた、結城くんのメッセージの中にもあったセリフがすごい残っていて、なんか本質的に終わるってすごい難しいと思うんだよねって書いてあったんですよ。
結城するって何なんだろうね、みたいなことが書いてあって、なんかこう、そういう問いをくれる、なんか結城くんはどっからその問いが湧いてきたんだろうとかも結構気になっているし、なんか私としてもその結城というものをどう考えているかもちょっと語ってみたいしとかもあるけど、なんかこういう問いをくれるのは結構珍しいなっていうか、
珍しいんだ、なるほどね。
なんかこう、今まで仕事をいろいろやってきて、やっぱちゃんと卒業政策残してきましたみたいな感じはありますと、だけどなんかこう、死代理家としてどう終わりたいのみたいな問いってもらったことなかったなとか、あなたは結城をどう考えるのみたいな問いをもらって、それについて考えたことあんまりなかったなと思って。
でもそれがポーンって、この何回かのラリーの中で出てくるんだ、この人からはっていうのが結構私としては、なんか嬉しい驚きでもあって、なんかなんか彼にとっての継承って何なんだろうとか、彼は何を私からもらえれば渡されたなって感じてもらえるんだろうみたいな、こっちが渡したなって思ってても、こっちが渡されたなって思ってなかったら
はいはいはいはい
確かにプレゼントを送った側だけどもらってないみたいな
何があったら、なんかあなたを始められるんだろうみたいなのをすごいその日から結構考えてるけど、なんかどうなんだろうみたいな、めっちゃいっぱい質問あったね
すごいたくさんあったから、どこから聞くんだろうみたいな
継承をそもそもなんでこう身近なものとして捉えてるのか
短そうですね、継承ってもの自体と自分の関係性みたいなものを考えてみると、2人はこの前ちょっとだけ話したけれども、僕もともと生まれとしては秋田県の野代市っていう秋田の一番北の方、ほぼ青森ぐらいのところで生まれていて
生まれた家が材木屋をやってたんですよ、やってるんですよ、主に木を育てたり切ったり打っているような仕事のお家で、家に工場合体してたりするので本当に仕事と生活が一体化してるような家
そこで僕が生まれた時に祖父がその会社をやってたんですね、結構物心ついたぐらいからいろんな山に連れてかれて、その木についていろんなことをずっと祖父から聞くみたいなことを繰り返していたんです
当時はよくわからなかったんですよ、じいちゃんうるさいなぐらいな気持ちで聞いた気がするけれども、今思い返してみると、それこそはこの木はお前の何代前が植えたんだ、それこそ俺の代でこれを切るんだとか、俺の代でこの木はこういう風な場所のこういう風に使われる木なんだっていうことを結構いろんなタイミングでずっと言われ続けてたんですよね
それを通して結構自分なりの解釈としてはやっぱ木って一世代だけじゃ作れないし生産されない、育たないじゃないですか、数世代かけないと何もそれがそこに存在しえないっていうのはおそらく多分自分が生活するためだけに何かその木を全部切れば確かにお金になるかもしれないけど、次の世代以降食えなくなっていくっていうものだと思うんです
それを感じた時に、どうやって前の世代のものをよりよく受け継いでいきながら次の世代に渡していくんだろうっていうのは小さい頃から、小さい頃そんな言語はしないですけど、今となってみるとすごくそういったことを祖父は教えようとしてくれてたんだなみたいなことを感じていて、それをおそらく僕自身としては大学生ぐらい、大学生終わったぐらいとかに何かそういうことを言ってたのかもしれないっていうのがふと思った時があって
それ以降結構継承とか受け継ぐって何なんだろうなーみたいなことを考え始めたような気がしますね
なんか家業があるという点では実はうちも一緒なんですけど、私は結構真逆で、材木屋さんやってておじいちゃん連れてってもらうとかあるけど、うちも実は実家内装業なんですよ
でも100年ぐらい続く企業になってるんですけど、私は逆にあなたはここを継ぐのよみたいなことを一切言われずに育ってきたというか、むしろ外に羽ばたいてじゃないけど、今母がついてるんですけど、母は本当はやりたいことが他にいっぱいあったんですよね
だけどやっぱりいろいろな不景気だったりとか、家族の大病だったりとか、いろんなことが重なって自分のやりたいを断念して日本に戻ってきて仕事を継ぐということを選択せざるを得なかったっていう多分彼女の痛みもあって
私に一切告げっていうことを言ったことがない、むしろあなたは自由に自分のやりたいことをやりなさいみたいなふうで育ったから、同じ影を持ってても、なんか継ぐんだとかこれが未来に残っていくんだみたいなのをほぼ感じずに生きてきたんですよ
でも館長になって初めてそれを感じたっていうか、5年っていう任期があって、5年後にいかなる事情があろうとも辞めるってなったときに、なんか5年間で自分が何をおなすかではなくて、5年後の人が何を渡してあげたいかみたいな
なんかそういうバックキャストが初めて起きたキャリア転換は実はこの図書館が私初めてだった
それはすごいキャリア館にも影響していて、なんかキャリアの中にすごい継承というよりかは、次の世代のために何を残すかっていう意思みたいなものが入るようになったのはこの5年間が初めてだったなと
さっきゆうひくんが言ってくれた、木を育てる、山の木を育てるっていうのは一代では終わらない、何代もっていう何十年何百年っていうスパンで考えないとできない、そういう話をしてくれましたよね
それってすごく図書館では、僕も自分のうちはサラリーマンで全然継承なんて意識したことないんだけど、図書館で働くようになって、僕言うの忘れましたけど、図書館で働いて20何年間かかればいいですね
図書館で働くようになって館長をやるようになって、初めて気がついたのは、図書館って5年とか10年で終わるものではなく、何十年か前に始まった図書館であれば、その何十年間、場合によっては何百年も前の資料というんですかね
例えば古文書なんかも引き継いでやってるんで、この先それを何百年と継承していくっていうような役割は確かに持ってるんですよね
だから新しい本を入れたりするのも、木を植えていくような感覚って実は結構あるんですよ、棚を耕すみたいな言い方をすることもあるんですけども
棚を耕すね
なんかそんな言い方をすることがあるんですよね
だからそういうところで働いていたので、自分の何代前の館長がどうしたみたいな話って結構あるんですよね
それを自分はどういうふうに引き継ぐところは引き継いで、変えたいところは変えていくのかみたいな話っていうのはあって
そういうふうに長いスパンで考えると、実は5年でも20年でも40年でもあんまり実は変わらないのかなっていうことも思ったりするんですよ
ただやっぱ20年とか40年とかやると、私20何年かやりましたけど、逆に継承の意識は薄れてくる緊張感がなくなってくるっていうのかな
なんか終わりのほうダセになってたりするので、私の場合はなんかちょっとそういう感じだったんですけれども
早く次の仕事へ行きたいなみたいなね、なんかそういうふうになりがちなんですけれども
なんかだからその継承の意識、5年だからなんかすごく鋭く感じているというかね、意識しているのかななんていうことはちょっと思ったりしました
確かに5年は結構ね、わかりやすい
わかりやすいですね、かなり
ただすごい短いなっていう感覚もあります、やっぱり5年って
短かったんだ
5年って、だから例えば1年目土壌耕す、2年目風呂敷広げる、3年目取捨選択する、4年目言語化する、5年目継承するって私あの5年間のロードマンボウ実は作ってたんですけど
なんかそのサイクル1サイクルが限界だなみたいな感じはあって
だけど1サイクルやりきれるといえばそうとも言えるから、ちょうどいいとも言えるかもしれないしみたいな
なんかそう、その問いをもらった時に私がざわざわしたのは、終わるって何みたいなざわざわしたのは
なんかこう、終わってないって感じられたら嫌だなまた
私というものが終わってないと感じられてしまうこととかが場にその残りがあるみたいな状態ってすごい嫌だなと思って
すごい、たとえちゃんとか聞きたかった
でもそれは受け継ぐ側は思わないあんまり
なんかなんだろうな
実際そのシーンになったらめっちゃいるみたいなことを思ったりすることも想像するのかわかんないけど
でも聞いてみて感じるのは
3月31日が終わり、4月1日になった0時0分に
アリちゃんが艦長であるということを全部終えられるかっていうと
それはそれで難易度高いというかそもそも無理なんじゃないみたいな気持ちもあるんですよ
もちろん役割、肩書きとしては終わるけど
気持ちとしていろんなものが良くも悪くも残ったりするのって
なんか人として普通なことのような気がするんです
別に仕事を辞めたからその仕事での全てを生産して次の会社に行けるかっていうと
意外と前の仕事やってたあれがすごい楽しかったなっていう気持ちが
ずっと残り続けながら生きることって普通にあるし
逆に言ったら後悔したことがずっと後悔し続けて生きてる
多分数十年経ってもそういうのって普通にあったりすると思ってて
普通な気がしてるんです
だからなんか全部を終えなきゃいけないって風に思う必要性はないんじゃないみたいなことは個人的に思っている
ただとはいえ終わるってことが僕はすごく難しいとすごく昔から思っていて
なんかいい終わり方をしていいまだその4月以降終わってないかもしれないけど
それがなんか私として嬉しいなみたいな風にアリちゃんが思ったら僕は嬉しいなと思ってた
なるほどね
いい終わり方って何?なんかいい終わり方の体験ある?
これいい終わり方だったなみたいな
自分のね
なんでしょうね
どうなんだろう今の会社はちょっとあるかもしれない
正確に言うと僕前職東京のとあるベンチャー企業にいて
今月末まで社員でして
今育休中なんですけども
なので育休始まったのがちなみにそこにいるのが妻と娘なんですが
娘が生まれたのは半年前ぐらいとかでそれぐらいからずっと育休とっていて取らせてもらっていて
今今月末まで育休なんですなので会社にないんですよ
ただこの期間を経て結構いろんな会社のいろんな人たちと話しながら
どうやってどういう気持ちで次に行くのみたいなものをすごい聞いてくれたりとか
会社の人が聞いてくれたり
めっちゃいいじゃんみたいなことをみんなめちゃめちゃ言ってくれたりとかもしていたりする中で
なんか自分としてすごく心地よくなんか今も終わりかけている
なるほどね
意外と自分でも意識してないけど会社のあそこでやり残したことがあるなとかっていうのもまだあるかもしれないし
あれできなかったなとかあれ苦手だったなちょっと嫌だったなみたいな気持ちがきっとなんかどっかにあるかもしれないけど
そうしてなんかすごくいい感じで終わってきている気は個人的にはする
なるほど
となんとなくは思った
それがあるんですかゆうくんにとってのいい終わり方でもあるっていう感じなんですか
一パターンかもしれない
なるほど今それ言っていただいてすごく思ったのは
僕はこういった図書館長に次ならせていただく身ではありますけど
とはいえ行政経験も図書館経験も一切ない人間なんです
だから仕事的には本当わかんないなってこの3日間めちゃめちゃ思ってるんですけど
とはいえ前の会社は全然違う業態ではありますが
前の会社までの気持ちとか思いみたいなものを全部なくしてこっちに来てる気持ちは一切なくて
あんまりやること変わんないなって思ってるんですよ
前までの会社でずっとやりたかったこと会社としてやりたかったこと僕としてやりたかったことを
これからも引き続きここでやってますみたいな感覚なんです
前の会社でどういうふうなことが大切だったんだっけ
みんなの思いとして何が大切なんだっけってことを
みんなから話してもらったり聞いてもらってる中で自分としてなんか認識できてきてる
それが図書館と自分のつながりにすごくなってきてるから
すごく心地よく感じれてるなっていう感じがします
今日のテーマと少しだけ外れるかもしれないけれども
前に悠君が話してくれたことで
ここの図書館で官庁に応募するときに聞く図書館っていうことをテーマに出されたっていうことを話されていて
今お話を聞いててそのことなのかなって思ったんですけどそうなんですか
そうですね前の会社は本当に聞いてもらう時間が
誰にとっても当たり前のようにあったらいいなっていうふうなことをビジョンに掲げながらやった会社だったし
それも自分としてもすごく信じていたのでそれをいろんな会社さん向けにやっていたけれども
それをとあるこのなんていうんですかこのオブセという地の中で自分はやっていくんだみたいな気持ちになったから
自分として納得感があって先行に出すことができたっていうのはありました
すごく聞く図書館っていう言葉を聞いたときになんかこうゾクゾクするものがあったんで
なんかすごいこれ面白いことになるんじゃないのかなみたいな
働いてくださいぜひ
フリーライブラリアンとして
年に4回くらいアプリを拾いながら
年に4回も拾いながら結構ありがとうございます
嬉しい嬉しい
泊まる場所もありそうなんで
確かに確かにそうです
今話を聞いていて私の中で今浮かんできているのは
なんか今のユキくんの話ってやっぱ物語は続いていくみたいな話だったなと思って
私さっきその自分の認知と外の認知が乖離してたら気持ち悪いって言ったけど
なんかそこに繋がってるなって感じたのは物語が続いてほしいと思っているけど
私という人間が続いてほしいってわけじゃない
手がその場に残ってる物語が続いてほしいってすごい思っているんだなみたいな
なんか語り目が変わるみたいな
なんかそんな感じなんだなみたいな気がした
さっき継承についてのイメージが違うっていう話をされてたと思うんですけれども
多分ユキくんが言っていた継承っていうのは
山という一つの言ってみれば物語があって
それがこう続いていくっていうことはどういうことなんだろうみたいなことが継承の話だったような気がするんだけど
アリちゃんが言ってたのは
人が私がその次をやらなきゃいけないんだろうかそうじゃないんだろうかみたいな
なんかそんな話だったような気がしていて
そのことが今回の引き継ぎというかね
終わりと始まりの話にも続いているような
なんかそんなイメージを受けたんだけどどうですか
なんかすごいそうだなって思いながら感じていて
やっぱテラソってちょっと特殊で
やっぱ初代館長2代目3代目4代目って続いてきて今5代目っていう風になるじゃないですか
その時に必ずなんか館長の名前みたいなのがやっぱ表に出るんですよね
あの時代はこうだったとかあの時代はこうだったとか
でもあの時代この時代っていうよりかこのテラソという場に物語が蓄積されていってるから
なんか館長は結構語り目でしかないというか語り目の一人でしかない感じがあるみたいな
でもなんかそれがあの人はこうだったよねとかあの人はこうだよねっていう話になると
でもそれって館長だけの話じゃなくて場自体をみんなで作っているから
なんかすごく違和感がある
だからここに残っているさまざまな人とか文化とか空気とか
そういうものを紡いでいくワンオブゼムの一人に館長が入るのであって
代表的な語り目が館長であるみたいな
なんかなんか語り目を交代しますみたいなニュアンスなんだな
私にとってテラソを引き継ぐというのがみたいなのが
なんか今話しながら思い始めてきたというか
そういう意味ではここにいらっしゃる皆さん全部
マチトショテラソという物語のその一部分っていうような感じですかね
なるほどねなんか今の話聞いてちょっと久々に思い出した本があったんですけど
岡本太郎さんの日本の伝統っていう本がありまして何年なのかな
1900年代終わりの方な気がしますけど
その本の中で正確な言葉は全く記憶しないんですけどニュアンスだけシェアすると
彼は太陽の塔とかが一番有名だったり作品としてはしますが
縄文時代の研究とかずっとされてた方なんですよね
彼が日本伝統の本の中で縄文土器の話とか色々してたりするわけですけど
その中で伝統って何なんだっけっていうことの話そういった章がありまして
そこの定義が僕めちゃめちゃ昔から好きだったなって思い出したんですよ
聞きたい
あんまり正確じゃないんだけど伝統って何なのかって思うと
別に今ある文化なり伝統みたいに言われているものを
その形をそのまま同じように同じ形で引き継ごうとすることは
伝統ではなくもはや破壊であるみたいなことを書いてるんです
例えば僕が昔やってた茶道とかで言うとお手前の形とかがありますよね
あれを同じものをひたすら100年間400年間続ければそれは伝統を守ってるというか
伝統なのかっていうと別にそうじゃないよねっていう話をしてるのがそれですと
じゃあ一体伝統って何なんだっけっていうと何か変わらないことじゃなく
ほぼ全てが変わっていくことだっていう話をしてるんですね彼は
ただそれはもうちょっと言うとその伝統と言われているものの中の一番コアなエッセンスだけは
常に大切にし続けそれ以外の見た目のインターフェイスはひたすら変わり続ける
その時代に合わせて変化していくんだっていうのをそれが伝統であるっていう方をして
そこでも伝統の文字の語源とかの話もしてるんですよ
伝統って伝えるにすべるって書くじゃないですか
あれってすべるってあて字なんですよね
なんだと思いますもともとは
すべるが伊藤編にね
伊藤編に重則の重で
重則の重ですべる
とはもともと違う言葉だったのが置き換えられてるんです
えー何だろう
何だろう
何でしょうね答えで言うと明かりなんですね
秘変に昇る灯すで明かりを伝えるっていうのが伝統っていう言葉のもともとの言葉だと
彼は言ってますそれは多分諸説あるのかもしれないけど彼はそういうふうにまず定義していますと
それは昔1800年代後半の廃物希釈
仏教系のものをいろいろ排斥しましょうみたいな1870年とかそれぐらいあったと思いますけど明治時代入ってから
そのタイミングで仏教用語を全部なくしていくっていう過程の中で
明かりが仏教的な単語だからそれを切り替えるっていうので
それですべるになったの
だからそもそも明かりを伝えていくっていう言葉なんだよってことを彼は言っていて
明かりって何かってさっき言ってたその実証何かの中で一番大切なエッセンスであると
それを伝えていくのが伝統だよっていうようなことをそれを
僕いつぐらいでしょうね学生の時高校生か大学生の時だった気がしますけど
読んでめっちゃ感動した記憶がありまして
僕としての継承って何かと問われると何かそれだなっていう感覚
インターフェースは変えて全然良くて
ただコアの部分だけは変わらずずっと持ち続けているよねっていうところが
僕なりの継承だなっていうのは彼の思い出しながら思いました
コアの部分って必ずしも形があるものではないってことですね
図書館の場合には本とかあるいは建物とかそういう形があるので
逆にそういうものをその次に手渡していけばいいんだよねっていうことになってしまいがちなところが
僕はすごく怖いよなっていうふうに思ってるところがあるんですよ
だからここからちょっと継承って何なんだろう
このマチトショテラーソンにとっての継承って何なんだろうっていうのをちょっと考えてみるといいのかななんていうことを今ふと思ったんですけど
どう思われます?
でも今の悠木くんの伝統の話すごいしっくりきて私もちょっと鳥肌立ってるんですけど
なんかすごいそうだなと思っててやっぱりやることは全部変えて
でもその話結構してたなと思って
Doing 全部変えていいんだよな
Being だけ継いでほしいみたいなことだけど
ひたすらすごい抽象的に悠木くんに
言い続けてた感じがあるんですけど
なんかすごいそれとも近いなっていうふうに思っていて
なんかこととかものとかはもう何だっていいですと
ただやっぱテラソがずっと紡いできた人間を大事にするみたいなところだったりとか
人の可能性を信じてるみたいなところとか
やっぱそういうのはすごく大切にし続けてほしいなというか
本質をもう一回問い直すみたいな
やっぱテラソ自身も図書館がさまざまある中で
図書館って本当に本を読む場所借りる場所勉強する場所でよかったんだっけの問いに対するアンチテーゼとして
最初結構立ち上がったんですよね10年前に
でやっぱそこのやっぱり本質を問い続けるみたいなところとかは
すごくテラソらしい部分だなとか思ったりもしていて
前もいろんな部活動が生まれたりしてるけど
それもやっぱり交流と創造を楽しむ文化の拠点ってコンセプト言ってるけど
交流って何だっけみたいな図書館で交流起きてますみたいな本当に
なんかイベントやります人集まります
でもそこでじゃあ交流って起きてるんでしたっけみたいな
やっぱその互いにコミュニケーションが起きて
お互い受け取るものがあって何かの分かち合いがあって
繋がりが生じて初めて交流だよねみたいな
ってなったらそういう部を作らなきゃねで始まってるのが部活動だったりするんですよね
立ち上がったの
なんかそういうやっぱり本当にこれってどういう意味だったんだろうとか
これって何が大事だったんだろうを問う姿勢みたいなのは
結構テラスの真ん中にあったものかなと思うし
なるほど
それにあのやっぱ人を大切にするみたいなところとか
すぐノーと言わないとか
いろんな時代はあったけれどもやっぱり今すごく大切にしているのは
そういうところともに育み続けるという意識みたいなのがあって
だから聞く図書館は正直先行側としてはめちゃめちゃ嬉しかった
でもそうねやっぱ
なんかやっとその位置に立てたかなっていう感じが正直
あのライブラリーに関してはあるけど
やっぱり5年間過ごしてみて改めて
本当に図書館はそういう場所だなと思っているじゃないか
そのライフが工作していく
そのラリーしていく場所だなっていうのもある
なんかそれは本当に色々な側面があって
単純に文献画とか共同詩画とかっていう話もあるんだけど
やっぱりここに集って
一緒に何かことを成していく人たちの物語が
ちゃんと交差しているなっていう感じがあって
例えば今語り結ぶっていう部活があって
街の人の人生史を聞きに行ったりしてるんだけど
なんかそういう表に出ていない
普通に日常に生きている人たち
景色の人とも言えるかもしれない
いわゆる何かお店をやってたりとか
何か目立つプロジェクトをやってたりではない
普通にただ生きている隣人たちの人生に対して
関心を持つみたいな動きが
今実は図書館の中で生まれていて
そういうのはすごくとても図書館っぽいなって思う
芽生えだったりするんだよね
それは自分がやりたいと思ってやり始めたことじゃなくて
やっぱそれが中から生まれてきているっていう
そこの芽吹くための耕しみたいなことは
5年間でできたのかなみたいな感じがあって
それがどう芽吹いていくだろうなーはこれからだなーみたいな
森のような図書館ですね
本当にいろいろなものが死んで
いろいろなものがちゃんと生きていくっていう
ちゃんと循環があるとか死んでいいものもあるみたいな
それがあってしかるべきだなーみたいなことを感じる5年間でもあったし
ランチ食べながら
図書館って流通の場じゃなくて循環の場でやりたいよねみたいな話があったけど
まさにそういうことなんですよね
そうですねだからなんかそんなようなことを感じるかな
ライブラリーが今実際どうなってるかは
今明確にパンと答えが言えないけど
なんかでもそれが芽吹いている感じは
働いてて感じるしきっと働いてて感じていくんだろうな
ゆきくんもって思ってる感じかな
なるほどね
そうかじゃあずっと何て言うんですか
土を耕すためにクワとかを持ってずっと耕してくれてた
幸運球動かしてくれてたよな5年間後のね
でもそれは私がっていうよりかはほんと周りの人たちと
急になんかそうなったという
なったんだ
意図的にしたじゃなくてなったんだ
なったと思う
意図的にするほど賢くは立ち回れる5年間ではなかった
いろいろなやっぱりさっき1年目何5年目何みたいな感じで
ロードマップあったとか言ったけど
それぐらいの区切りはあっても結局日々起こることは煩雑で
やっぱ図書館の仕事ってすごく奥深くて
毎日いろんな方が来るし
毎日人間関係のトラブルだって起きるし
やっぱりこうなんかこう
ある種会社とは違って公共の場でもあるから
その何か成せば成すだけお金が儲けられるとか
場がより良くなるとかっていうわけでもないと
必ずしもインセンティブが明確なわけでもないと
すごい制約があったりする中でその中でできる最大値って何なんだろうとか
やっぱ公平性って何なんだろうとか
平等って何だったんだろうとか
私たちは限られた資源の中で何をすればいいんだろう
それはどこまでが喜びからできるんだろうやるべきことじゃなくて
なるほどね
そういうことをすごく問われる時間だったなと思って
自ら立ち上がってくることを喜びを持ってやる方が
図書館に限らないんでしょうけれども
公の場でを使ってやるときは何かうまくいくっていう感じは
実感としてかなりある
それに多分関わってるスタッフもその方が楽しいっていうところもあると思うし
みんなが自分の気持ちで始めるものであれば
そんなにお金必要っていうことも
お金かけた方が何かいろいろうまくいくんであれば
もちろん予算とってかけた方がいいんだけれども
でもそうまでしなくても自分たちで何とかするからさ
持ってくるよって持ち寄りでやるみたいなね
そんな感じの方が結構うまくいくよなっていうのは実感としてありますね
どうしてもありがちなのはこういう計画あって年度の予算決まってるんで
今年はこれ以外のことをやらないでください
お願いしますみたいな感じのところって結構あると思うので
そうするとやっぱり物事うまくいかないっていうか
いつまでたってもただ予算を投入して
あんまりうまくいかないことがずっと続いていくみたいなことになりがちだと思うんですね
余白のある経営かもそういう意味でテレソース
スタッフはすごい大変だと思う本当に感謝している
本当に感謝してるけどやっぱりいろいろな
すべてが決まりきった計画の中で進む方が段取りも組めるし
やっぱり動かす路地側としてはありがたい
そうじゃなくて起きてきた
なんかこうちょっとぽっとでのいろんなプロジェクトとか
急に来たなんか素敵な提案とか
そういうものを受け取れる余白みたいなのはすごいアルト職なんですよね
その余白というかその余裕のなんかあり方みたいなこともあるし
観察力みたいなものも求められ
すみません聞く力も求められるっていうことだと思うんだけど
でもそういうものがちゃんとアルトよりも育っていけばすごく面白いし
多分スタッフの皆さんも結構楽しんでやっておられるのではないかなって感じはしますけど
ちょっと後で確認しちゃおうかな
私が今言うとちょっとパワハラになっちゃうから
実際どうだったのみたいな
ぶっちゃけどうだったのみたいないっぱい悪口言っていいよって
きつかったっす
ぜひそれは何か言ってほしい
だけど自分の都市間で働いていた時にやっぱりスタッフからは
無茶振り多くて大変だったけど
まあでも面白かったから許してあげるよって言われました
なるほどね
そういう余白かもね
だからラリーしていくにはやっぱり余白がすごく大事
余白がないとね
こっちが受け取れるという
余白が必要っていうか
今スタッフの話をしましたけども
スタッフ自身も自分が成長する喜びって必ずあるはずだと思うんで
それは成長したでしょとか言うのは違うけれども
でも逆にそういう場でもあってほしいというか
そういう場を作っていく必要があるのかなっていうのは思います
なんか今結構びっくりした
気づいたことがあったんですけど
ほらさっき今今日この場の始まり方として
引き継ぎミーティングの後に僕がメッセージしてってこの話をさっきしたじゃないですか
なんであのメッセージを僕は送ったんだろうみたいなことを
そういえばと思ってさっきからなんとなく頭の片隅にあったんですけど
さっきトヨちゃんが予算の話したじゃないですか
それかと思ったんですよ
引き継ぎミーティングという形を銘打って
初めてアリちゃんと話した1時間半ぐらいの中で
最初にアリちゃんがした話は予算だったんですよ
でそれの時に僕なりに別に最初予算知らなくてもいいなみたいな
大平 なるほどねこうだったの
とかそりゃ大事だと思うんだけど
極論さゴリゴリベンチャー出身の身としてはやればやるからなみたいな感じが若干あって
大事なのってそこなんだっけみたいな
そういったある意味どう仕事するんだっけって話している
ハウの話とゆりかはもうちょっと奥底にあるものの方がもっと大事じゃないみたいなことを
でもまあたぶん別に今後言ってくれるような
今後話せるようなと思いつつ初日として何か言っておこうと思って
言ったみたいな
大平 なるほどね
そうだったんだなって今話して思った
大平 確かに予算の話最初にしたね
大事です予算
大事です予算
大平 そうなんかそれを最初にした意図としては
その前から結構話してるからSSの話はちょいちょいしてる気がしていて
来てくれてからSSの話ちゃんともう一回すればいいかなってのがあって
予算の話最初にしたのは結構どう遊びたいみたいなのを一緒に話したくないみたいなのがあったの
たぶんあれだね今年度予算の話だね
まだ余ってるけどそれどうしたいみたいな
あなたの好きに助走で使っていいよみたいな話をしたかった
そうですねそれこそあれですね今我々使ってるこのマイクとかは
2025年度の最終予算で入れさせていただいた
大平 だから私は本当は11月に館長を交代したかったんですよ
なぜかというと11月が予算編成の時期だから
私が来たとき4月から一否着任でした
予算書を見てみたら11月に予算決まっとるんかみたいな
知らん知らんみたいな聞いとらん聞いとらんみたいな感じで始まったので
11月に変わりたかったのはそうしたら次の館長は残りの期間は引き継ぎだとしても
1年間は自分のやりたいことやれるなっていう気持ちだったんです
大平 私のその痛みが結構そのまま出ちゃったかもしれない
でもそこは多分優しさも感じつつただとはいえここのタイミングでシェアしておこうみたいな感覚だったかもしれない
大平 なるほどなるほどすごいがてんがきました
そんな感じであっという間に
あっという間に1時間経ってるんですよ50分ぐらい経ちましたけれども
じゃあここで最後の問いですか
大平 じゃあ最後の問いが
そう一応ね最後の問いこれにしようっていうのがあるんですよ
あなたにとって終わるってどういうことですかっていう問いなんですけれども
これに一人ずつ答えて一旦押し締めるというそんな感じでよろしいでしょうか
大平 はい大丈夫です
じゃあ用意できた方からどうぞ
大平 あなたにとって終わると
難しいですね
大平 このプロフェッショナルみたいな質問の出し方さ
確かに仕事の流儀感がありますね
大平 うーんそうね
じゃあ僕からいこうかないいですか
大平 どうぞ
そうだなあとから言うとより迷いそうだなと思ったんで言おうと思ったんですけど
僕の中だと今日この場に来るまでもはや考えてなかったんですけどこの場になったら出てくるかなと思って
パッと出てきた言葉は生きるための処方箋みたいな感覚だな僕にとって終わるって思いました
何なのかっていうと本当に何て言うんですかいい形で終わるって言葉を使っていいか分からないけど
終われば終わるほどいい始まり方ができたりとか次の素敵なスタートが切れるなっていう感覚がすごくあって
逆にあんまりうまくいかない終わるをしていくとなんかあんまりいい始まりにいかないというか感覚があって
それってでも結構難しいことだと思うんですよそこのちゃんと次に進んでいくって
でもそれを本当にうまくできるのってめちゃめちゃ難しいことだしきっとなんか僕は全然できないなみたいなことはすごく思うんです
例えばさっきそこに妻と娘いますけど例えば娘が生まれる時も妻との2人での生活が終わる
3人での生活が始まるわけだけど本当に適切にうまいこと2人での生活を終えられたかっていうと
うまくできたなってもう面もあるけどもっとこれしたかったなっていうのがないわけじゃないかもしれないなとか思ったりするんですよ
日常的なことから仕事まで多分そこってすごく難しいような気がしていて
僕はやっぱり終わるを考えると生きるためにすごく大事な処方箋なのかな
そこをうまく自分と試行錯誤し続けることはすごく生きていくために大事なんだろうなって思っていると思いました
以上です
私も今のも聞きながらいろいろインスパイアされてたんですけど
終わるという言葉を前にアリカちゃんはどう終わりたいのにもう一回引きつけて考えると
もう言い訳をしないっていうことだなと私は思っていて
いろいろな終わりがあると思うけど
それこそトヨちゃんとよくその話をするんですけど早々のフリーレンっていう漫画がありまして
私はアニメが大好きなので今歓喜しながらアニメ2期を見ているんですけれども
シーズンを見ているんですけれども
フリーレンって珍しく主人公たちの死後から物語が始まっていくんですよね
何が起きているかってもう死んだ人
私がある時ふとフリーレン見ながら思ったのって
ああそうかみたいな
フリーレンは語り部として今後も残っていけるけど
ヒンメルとか死んじゃった仲間たちはもう思い出として生きていくしかないんだ
だからもう二度と彼らはどうだったよとかあの時どうだったのとか
なんであんな顔したのって思ったとしても
それを答える術はもう持ってないんだ
でも誰かの記憶には残っていて何かの文献には残っていて
どっかの句伝には残っているみたいな
ただその今あるものでしかもうそれは語れずに
本人がもうそれについて何か語るということはできない
それが死ぬということだみたいなことをフリーレンを見てて思って
終わるっていうのはそういうことも近いかもしれないなみたいな
1個の役割が終わってその場を離れるっていうことは
もうその場で何があったかとかどうだったかとかを後からグチグチ言わないというか
もう言い訳をしない
でもなんかどんどん解釈は変わっていて
時代の流れとともにこっちだって言いたいこといろいろ出てくると思うんですよね
それは事実だったから言うともはや事実ではない
もう解釈の世界であるっていう
物語が1個終わるっていうのはその物語が終わったタイミングに
自分にあったものを語り尽くして
そしてもうその後は言い訳をしないっていうことなのかなと
今日は思っています
いいですね今日はね
ありがとうございます
ありがとうございます
私はそうですね
今頭の中に浮かんでいる言葉が
グレートエンディングなんですよね
大いなる終演
壮大だな
私は皆さんの倍ぐらいの年齢なので
そろそろ周りの人たちがもうちょっともう無理だわって
言ってこの世を去っていくっていうね
何も言わないで去っていく人の方が多いんですけれども
そういうような感じなんですけれども
自分もすぐには死なないとしても
だんだん置いて網絡していくというね
いろいろ忘れちゃったり
いろいろできないことが増えていくっていう
そういうようなステップに今入っているなっていうのは感じているんですよ
でそうするとじゃあ最後どういうような
終わり方がいいんだろうなっていうふうに考えるまでもなく
言わば終わるというのは自然のプロセスみたいな感じがすごくしてるんですよね
その自然のプロセスが進んでいくんだけども
必ず並行して何か生まれてくるものもあるというね
なんかその生まれてくるものの可能性を感じつつ
ほぼ言い訳せず終わっていけたらいいなみたいなね
なんか終わりという言葉からそんなことを今イメージしていますね
そして図書館っていうのはそういう終わっていく人たちにとっても
場所であってほしいというか
エンパワーしてくれれば
大丈夫前進んで大丈夫よ
そこから先終わりかもしれないけど大丈夫よというふうに力づけてくれる
そんな場であってほしいななんていうことを思います
ちょっと最近早々のフリーで続き見れてないんで
今度はアマプラで見ますありがとうございます