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てんてんのチャンプル🌺RADIO🌺
どうも、てんてんです。
今朝は、朝5時から、モニメソの実践会に参加したり、
あとは、このスタイフのパーソナリティもされているあやぱにさんの朝ヨガのズーム会に参加できて、
めちゃくちゃ充実した朝時間を過ごせて嬉しいなぁと思っている私です。
今日はですね、ちょっと配信時間が変更しまして、夕方になってしまいましたが、ご了承ください。
これ、でもね、聞いてくださっている方が当日なのか、翌日以降なのかわからないんですけれども、
ちょっとね、朝、時間はあったんですけど、ちょっと話したいことがまとまらずっていう感じだったので、
潔くお昼に配信するのを諦めて、夕方に変更させてもらいました。
そんな今日はですね、何をお話しするかというと、
私の祖母の話、おばあちゃんのお話をしたいなぁと思っています。
おばあちゃんがね、ご存知の方もいれば、お別れした方とか、いろいろ様々かなぁとは思うんですけど、
ちょっとね、今日はこの話をしたいなぁと思いましたので、よろしければ、ちょっと個人的なことですけどね、よろしければお付き合いください。
で、なんでね、今日このばあちゃんの、私通常ばあちゃんって言ってるんで、このね、ばあちゃんっていう言い方で、呼び方で進めていきたいと思うんですけど、
なんでね、ばあちゃんの話をしようと思ったかっていうと、
実はね、昨日の夜に、私の地元です。沖縄県石垣市、石垣島に住んでるね、ばあちゃんなんですけど、
ばあちゃんが、動脈瘤、血がね、流れているところですね。
そこが、ちょっと破裂しちゃったかもしれないみたいな。
なんで、ちょっと緊急搬送、緊急入院することになったっていうね、連絡情報がね、入ってきたんですよ。
で、え?みたいな感じになって、現状ね、
なんでしょう、その、引き続き入院はしてるんですけど、喋れる?寝ながら動けはしないですけど、意識はあって、
ふざけたりとかおしゃべりしたりということはできる、そんな状態なんです。
なんでね、大事にはいたってはないんですけど、今のところは。
いろんなことがあったのでね、直接私は会いに行ける距離じゃないので、
もうちょっと、え?っていう感じで、一時的にね、ちょっと思考が止まる感じではあったんですけど、
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面会が、島ではね、できるっていうことだったので、私の姉と、後、父が石垣に住んでるので、
面会に行った時に、テレビ電話してっていう感じで、直接、画面越しでは話をすることはできました。
ただね、まだ、いつ何時何があるかわからないっていう、そんな状況ではあります。
そんなことがね、きっかけで、私のね、頭の中でいろいろ、ちょっとなんか、ばあちゃんとの思い出とか、
後、なんかそのばあちゃんとの思い出を振り返った時に、今の私の価値観だったりとか、こういうふうに人生を送りたいなーっていうね、
今もそうだし、これまで考えてきた、その理想の姿みたいなところが、結構ばあちゃんの影響を受けてるなーっていうことにね、気づいたので、
そんな話をしてみたいなと思います。ちょっとうまくまとまってるかわかんないんですけどね。
で、そのばあちゃんが、今90歳、91だったかな、ぐらいなんですけど、めちゃくちゃおしゃべりで、もともとね、小学校の体育の先生をしてたんですよ。
なんで、そういうのもあるし、性格的にもすごく大らかで、明るくて、声がめちゃくちゃ大きい、で、歌がめちゃくちゃ上手っていうね、
そんなばあちゃんなんですよね。
で、ばあちゃんの家、じいちゃんばあちゃんの家が、私の実家の近く、隣とかではないんですけど、歩いて行ける距離にあったので、
幼少期の頃はね、よく週末とか、あと学校帰りとかに、じいちゃんばあちゃんの家に行って、お菓子食べさせてもらったりとか、ジュースもらったりとか、
そんなことをね、よくしてたんですよね。あとは、父と母が帰りが遅いとかってなったら、じいちゃんばあちゃんの家に行っておいてとか、そんなこともね、あったりしました。
で、そんな時に、やっぱばあちゃんがね、さっき言ったような性格だから、すごいいつも前向きでね、
あといくつになっても、結構好奇心旺盛っていうか、何でもね、自分がやってみたいとか、好きっていうことには取り組んでいたんですよね。
歌が元々好きだからっていうので、コーラスのグループに入っていたりとか、あとはボケ防止でとかって言って、オカリナ教室にね、通ってオカリナをやってみたりとか。
もともと体育の先生ではあったんですけど、ちょっと体をね、痛めたりとかっていうのもあって、運動系はね、私が物心をついてばあちゃんのことを知ってる限りでは運動系とかはしてなかったんですけど、
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そういう芸術的なところに興味を持って、いろいろ活動をね、積極的にしてるなあっていうふうに思ってました。
あとはなんか地域の活動とかにも積極的に参加してて、もともと学校の先生だったからっていうのもあるんですけど、
子供会とかね、そんなところのサポートとして支援に行ったりとか、そんなこともしてましたね。
ちょっと孫からすると恥ずかしいと思うぐらい、誰にでもね、結構話しかけるし、なんかあるとね、すぐ誰かの助けになろうみたいな感じで活動、行動されてるなあっていうのを見ていました。
今となっては本当にね、すごいばあちゃん、パワフルなばあちゃんだったなあって、だなあって思っていますね。
幼少期の頃とかね、初春期の頃とかは、なんかそんなばあちゃんとね、なんかちょっと誰か友達とかとさ、会った時に、
そういうばあちゃんと歩いてると、なんかちょっと恥ずかしいからもうやめてぐらいの感じの、誰にでも話しかけるとかね、明るく接するとか、
誰かの役に立つっていうのも、もう特に何も気にせずというか、思いのままに行動する、そんなばあちゃんなんですよね。
で、なんで私が三振とか踊りとか、あと一時的にね、スポーツをね、やろうとしたりとか、すぐ辞めちゃったんですけど、部活でやろうとした時とかは、
でも本当にすごく応援してくれて、なんかイベントとかがあると、毎回必ず見に来てくれたし、
で、それを見て、いつも良かったよーってね、すごい褒めてくれる、そんなばあちゃんなんですよね。
だからね、なんかその元気すぎるから、90とかになっても、いつまでも元気だなってね、勝手に思ってたんですけど、
やっぱりね、人の人生には終わりがあるんだよね。
なんかいつかお別れが来るっていうのは、頭ではわかっていても、実際ね、そういうことが起こるって、
信じたくないし、受け入れるのって、そんな簡単じゃないなっていうのをね、今回のね、急なちょっとお知らせがあった時に思ったんですよね。
だから本当はね、ちょっとゴールデンウィークには帰省するので、本当にそこまでは元気でいてーって、
もうその願いをね、その毎日唱えたいなーって思ってるんですけど、
そんなね、ばあちゃんとの思い出を、ちょっとね、昨日の夜からずっと思い出して、
頭の片隅でね、ずっと考えながら今日仕事もしてきた、そんな感じなんです。
で、そこからね、ちょっと私のありたい姿とか、今に繋がった部分で言うと、
なんか私のこれまでの配信とかね、あとリアルで会ったりとか、仲良くさせてもらったりしてる人は、なんとなくイメージつくかなーって思ったりもするんですけど、
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私自身も結構好奇心旺盛で、何でも結構やってみたい、まずはやってみるみたいな、
挑戦したいっていう、そこの身軽さは結構持ち合わせてるかなーって、今ね、思っているんですけど、
それが本当に小さい頃からそうだったかって言うと全然そうではなくて、
小さい頃はもうほんと引っ込み事案だし、結構静かな感じの文字文字系の子だったし、
人前に出るとかっていうのもなかなかできないみたいな、そんなタイプだったんですよね。
だからそこから私が今のね、私に変わってきたっていうのは、
婆ちゃんだけじゃなくて、いろんな人の影響っていうのはもちろん受けてるけど、
その中の一人として、私のロールモデルの一人だったのが婆ちゃんだったんじゃないのかなーっていうのをね、
婆ちゃんとの思い出を振り返った時に、なんか気づいたんですよね。
なんかそのね、私の自分のやりたいこととかそこだけではなくて、
今後、将来的にやってみたいなーって思ってることとかで言うと、
地域コミュニティみたいなのを作ってみたいとか、コミュニティカフェみたいな、
カフェ兼三振のイベントスペース兼、なんかね、そういうイベントレンタルスペースとかね、
兼なんか誰でも来ていいよみたいな子供食堂的なものとか、
なんかそんなこともやってみたいなーって、将来的にね、本当にゆくゆくですけど、
自分がもう本当婆ちゃんになるときぐらいかなーってイメージではあるんですけどね、
リタイアした後とか。
なんかそんなことを、なんかもう自分でやってみたいこととしてね、夢としてふんわり考えているんですよ。
で、それが、なんかどっから来てるのかなーって思うと、
やっぱその、じいちゃん婆ちゃん。婆ちゃんがメインですけど、私のいとこ11人いるんですね。
で、私の母方の婆ちゃんなんで、母の兄弟が4人いるんですけど、
その4人と、あとそのパートナーと、あと私のいとこたちね、11人とっていうので、
島にいたときは、毎月のように誕生日会をね、開いてたんですよ。
じいちゃん婆ちゃんの家で。
それも婆ちゃんからの声かけで、やってたんですよね。
で、そこがすごい楽しかったし、そのおかげで、
なんかその場でね、今年の目標とかっていうのを、なんか言わされるんですよ。
言わされるっていうのもあれですけど。
なんかその時はちょっと恥ずかしかったけど、なんかそのおかげで、
人前に出てもね、恥ずかしくないとか、
なんか自分のこうしたいって思いを、
相手にね、他人に伝えられるようになったりとか、
そういうなんか練習にもなってたなーって思うし、
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そのワイワイする雰囲気が本当に楽しかったっていうね、私的には。
なんかそう、なんで自分もそういう場作りをしたいっていう、
なんかそこに繋がってるんじゃないかなーって思ってるんですよね。
だから本当に婆ちゃんには感謝だし、
なんか、でも本当にね、昨日のその、
まあよくはないですけど、きっかけがなければ、
ここに気づけなかったなーと思うと、
なんて言うべきかわからないですけど、婆ちゃんありがとうって思いますし、
まあでもね、今もまだ、
その体の状態と戦いながら、
ちょっとね、ふざけたりとかしつつも、
おしゃべりできる状態で今、生きてくれているので、
毎日ね、電話して、
今日も元気?みたいな感じで、
できるだけね、話をする。
たわゆない話でいいかなと思うんですけど、
感謝を伝えたりとか、
あんまりしんみりするとね、よくないかなと思うので、
本当に何気ない会話を婆ちゃんとしていて、
私自身ね、感謝を感じるっていうか、
婆ちゃんとつながってたいなーっていうのを、
思ってるんですよね。
私も年を重ねていく中でも、
婆ちゃんの存在っていうのは、
私の中ですごく大事な、人生の中での大事な人の一人であるっていう風に、
心に留めておきたいし、
婆ちゃんみたいに周りの人をね、すごく笑顔にさせるとか、明るくさせる、
そんな太陽みたいな存在でいたいなーっていうことを、
頑張っています。
思いました。
なんかうまく喋れない。
なんかもうこれ本当に、
誰に向けて喋ってるの?って感じかもしれないんですけど、
なんかこの今のね、気持ちを残しておきたくて。
なので、スタッフで収録をさせてもらいました。
これを聞いてね、皆さんどう思うかわからないですけど、
ご自身と重ねてもらったりとか、
何かしら感じ取ってもらえたらなと思っております。
はい、ということで、
今日はね、
私の婆ちゃんとの思い出と、
そこから気づいた私のありたい姿とかね、
夢との共通点っていうの?
つながり?みたいな、
そんな話をさせてもらいました。
ちょっとまとまりない感じでしたけど、
最後まで聞いてくださった方、
ありがとうございます。
ちょっとね、
今帰る前の車内で話しているので、
ちょっとコメントの返事は、
明日の放送でさせてもらえればと思います。
今日はここまでにしたいと思います。
それでは、
今日が皆さんにとって、
残り数時間ですけれども、
健康で安全で素敵な時間になりますように。
また次回の放送でお会いしましょう。
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じゃあまた後からね。
ではでは。