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  2. #332 7年ぶりに上京した時に..
2023-02-23 19:17

#332 7年ぶりに上京した時に初めて住んだ街「福生」を訪れてみた。

お仕事で久々に東京の立川市に行く機会があったので、ちょっと足を伸ばして福生市へ行ってきました。

沖縄からプロの役者になるために上京した11年前。

初めて住んだ街が福生市でした。


当時と比べて変わっているところもあれば、変わっていないところもあり、11年前がまるで昨日のことのようによみがえってきました。


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ついこの間までお仕事で東京に行っていたんですけど、僕は東京に大学卒業してから4年間ぐらいかな、住んでたことがあるんですよ。
東京と言っても、23区では決してなくても、本当に橋の橋の福生市という、知っている人は知っている、どいなかの東京の端っこの方の西の方の八王子よりちょっと上の方のところに住んでいたんですけど、
上京して役者になるぞって目指してですね、上京した時に親戚のおじさんにお世話になるということで、いそおろさせてもらっていた時期があって、そこで4年ぐらい過ごして、そこからまた4年ぐらい、今度は埼玉の大宮の方に住んでいた時期がありまして、
今回お仕事で東京に行く時に立川市の方に行く機会があったんですよ。そこでちょっと時間があったのでですね、本当に何年ぶりだろう、10年ぶりぐらいかな、上京した時ぐらい、その時以来の、
何て言うんだろう、昔住んでいた福生市、僕が住んでいた地域の最寄りの駅は牛浜っていうところなんですけど、ちょっとね、昔を懐かしむではないけどちょっと行ってみようかなと思って、歩いて、スマホを動画撮影してね、こんなこともあったな、ここ懐かしいなーっていうちょっと街歩きをしてきました。
今回はこのビデオポッドキャストで撮ってきた動画を見ながら、ちょっと当時を振り返ってみたいな、なんてことを思ったりしています。というわけで、いつにもましてですね、本当に個人的な懐かしむ音声にはなってしまうんですけれども、もし興味がある方お付き合いいただけたら幸いです。
はい、というわけで今回はですね、昔住んでいた東京都福生市のですね、牛浜駅周辺をちょっとお散歩してきました。あのね、八王子とかもそうなんですけど、本当に東京23区外れるとね、僕地元は沖縄なんですけど、その僕の地元よりも田舎な風景が広がるぐらいですね、結構あの西の方っていうのは、もうね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違うんですけどね、ここは全然違
東京なのかって思うぐらいのところではあるんですよ。で、僕がこう住んでいた牛浜駅、最寄りの牛浜駅っていうのはですね、僕が本当に上京したての頃はこんな綺麗じゃなくて、もっと昔ながらの駅の建物だったんですけど、僕が住んでいてちょっとしてから、もうちょっとしばらくしてからかな、駅舎がちょっと新しくなってですね、今は綺麗な駅になっているんですね。
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僕が上京したての頃とはちょっと違うんですけれども、でもなんかね、周りの風景っていうか、その駅の建て替えとかリニューアルに応じて変わるかなと思う駅はちょっと整えられたぐらいで、そんなに変わってないんですよね。
で、まあこの駅から僕が前住んでいた家っていうのが徒歩10分から15分ぐらい、まあ約1.3キロとか1キロちょっと超えるかなぐらいのところにあってですね、本当にまあ養成所時代、あの稽古場がですね、東京の隅田区、錦糸町にあったんですよ。
で、これ分かる人は分かると思うんですけど、もうね、死ぬほど遠いんですよ。まあ電車で行ったら乗り換え1回だけなんですけど、本当にこの僕が乗っているこの牛浜駅、大目線っていうのがあって、この大目線から直通で中央線に立ち変わる乗り入れって、そっからお茶の水までぐーっと走って、そこで乗り換えて錦糸町に行くんですけど、この当時はもうその錦糸町、深いツリーできて、駅の周りも栄えていて、まあ繁華街だったりとかするので、
そっからこの帰ってきたら、もう本当に寒性な住宅街。もう夜とかになるとほぼコンビニとか、あと走っている車の明かりぐらいで、あのスーパーとかも開いてないし、本当にこう、え、なんかこう電車に乗って、数時間前まではもうザ都会みたいなとこにいたのに、
帰ってくると、なんか本当にどいなかの、そういった住宅街っていうところに家があったので、すごく当時はこのギャップっていうのになんかね、面食らいましたね、なんか。
うん。ただこう、なんていうの、住み慣れてくると、この逆に、まあ自分の心を取り戻すじゃないですけど、やっぱこうずっとガチャガチャしているところもまあいいんですけど、僕住んでたところ、もともと地元の沖縄も、そんなにこう、なんていうんだろう、都会ではなくて、どちらかっていうとちょっとまあ、ちょっと田舎みたいな、本当にまあ住宅街、ここと似たような感じだったので、まあそういった意味では、
えー、まあ、えー、都市部のですね、稽古場とか劇場とかで揉まれて、で帰ってきて、ここでなんか一心落ち着くみたいな、そういう、あのー、なんていうんだろう、まあ上手いオンオフの切り分けじゃない、切り替えじゃないけど、そういう意味ではすごくいい土地ではありましたね。
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まあ住めば宮古とはよく言ったもので、えー、後半はですね、結構この、なんていうんだろう、まあ、都会と田舎のこの、なんていうんだろう、このまあ、二重生活は違うけれども、なんかそういったあの違いっていうのを楽しめていた気がします。
でね、まあこの、駅から家までぐーっとなんだろう、こう、まっすぐかと思いきや、まあ急な上り坂とかね、あったりしてですね、まあ当時は、
あのー、スクーターとかで駅までがーっと走っていってから、あのー、その、まあ駅前に電車、あ、じゃバイク止めて、でそっから駅に行ってたんですけど、後半はですね、そのバイク壊れちゃってもう、あのー、なくなってからですね、この長ーい道のりっていうのをね、毎日こう歩きながら通ってたんですけれども、あのねー、
もう本当に始発終電みたいな生活をずっとしてたんで、もう、寝過ごしたりすると、特に僕、養成所、研究生とかあったらもう、先輩とか、あとは劇団員さんにどやされるわけですよ。だから本当にこの長ーい道のりを、あのー、寝坊した日とかはですね、もう本当に猛ダッシュで、えー、走って、1キロぐらいあるところ本当に、なんだろう、6、7分、あのー、歩くのの倍ぐらいのスピードでこう走った日っていうのはもう本当に数えきれないぐらいありました。
そういうところをこう、なんかね、ゆっくり振り返りながら、あ、ここ走ったなーとか、えー、寒くてこう、なんていうんだろう、帰り道、いつも終電ぐらいに帰ってきたんで、こうもう、閉まってる、たまーにこう早く帰ったときは、この道中にある、あのー、薬局とか、あとはこうスーパーっていうのが空いてたりして、そこでこうなんとかこう、食べ物買ったりとかそういうのしてたんですけど、
うん、本当に静かでね、夜はもう、で、東京よりとかも、あのー、ね、都市部よりも冬は冷えるんですよ。だからうわー、寒くなったなーなんてことを思いながら、ここの、こう、道を歩いてた記憶がありますねー、うーん、なんか、まあ、本当にこう、特別何かがあるっていう道ではなくて、本当になんかもうちょっと学校があって、
静かな住宅街で、ちょこちょことまあ、あの、コンビニがあったり、薬局があったり、あとは、まあ、スーパーがあったり、っていうだけなんですけど、なんだろう、なんでもない道にもその当時の思い出っていうのが染み付いてるというか、あのねー、すごくこう、懐かしい思い出がありますねー、で、僕が乗ってたのが大目線っていう、まあ、あの、奥多摩に向かう路線なんですけど、
その、牛浜、最寄りの駅の牛浜の一個手前の灰島っていうところで、武蔵五日市線っていう、あの、また路線があるんですよ、これもローカル線で、ほぼほぼ無人駅のものなんですけど、そこのね、あの、高架下とか、まあ、その路線が、あの、走っているのが、こう、電車、ね、見えたりとかしてですね、なんか、そういうのもちょっと懐かしくなりましたねー、なんかこう、高架橋の下を走ってると、こう、上でこう、電車が走るんですよ、で、なんかこう、
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まあ、ローカル線で、自分がいつもこう、乗ってる、まあ、移動手段、電車、まあ、沖縄にはなかなかないものなので、そういうのをこう、見ながら、あ、違うところにも行けるんだ、っていう、なんかこう、電車に興味持ってこう、ちょっとこの先どうなってるんだろう、いつも決まった駅でしか降りないけど、ちょっと一個隣の駅に行ってみて、で、その先にまた違う路線があって、っていう、なんか電車に興味を持ったりとか、あとお金ない日は大回り乗車っていう、隣の駅に行くのを、こう、
ぐるーっと大回りして、電車だけで楽しんで、っていう日もありましたね。まあ、本当にこう、役所を目指してお金がない時代を過ごしたのが、本当にこの、
福生の牛浜駅周辺だったんですよ。
まあ、住所で言うと南田園っていうところになるんですかね。うん、本当に、なんか、
多分、家族とかいて、こう、暮らす環境っていうのはすごく最適なんだけど、こう、車とか持ってない僕からすると結構、こう、休みの日とかね、こう、
お金ないと電車も乗れないから歩き回ったりしてですね、なんとかこの、
あまり何もない静かな土地を楽しみ尽くそう、みたいなことを思ったりしてですね、歩き回った記憶があります。
この最寄りのスーパーとかもですね、もう本当によくここでこう、買い物してお金ない時に、
なんか特売品見つけたりとか、あと今、あのなんか、久々に行ったら、あのセリアとかを百均ショップになってたんですけど、
ゲオだったりとかして、そこのゲオでこう、DVD書いて、こう、楽しんでたりとかですね。
そういう当時の懐かしい思い出とかっていうのも、
ねえ、あのお店はちょこちょこ変わってるんですけど、ほとんど風景変わってなくて、なんか、
一気にこの、
お金がなかった、
10年前、もう大学卒業したての24とかの時代に、歩いてると戻りましたね。
まさか、10年後に、
舞台のスタッフとして、地元の沖縄から、こんな東京にこう、遊びに来てる、
遊びに来てるとか、仕事しに来てるっていうのは、当時の僕は、思いもしませんでしたね。
いやー、本当に懐かしい。
風景があまり変わらないっていうのは、またすごいですよね。
で、一本道を入って、僕の住んでたアパートの、
一本向かい、中に、中というか、一本外れにですね、もう玉川がこう、
流れてるんですよ。玉川沿いの、いわゆる、まあ河川敷って言うんですか。
そういった風景っていうのも、なんかこう、新鮮でですね。僕、沖縄に住んでて、
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沖縄で変わっていったら、なんかこう、あんまりそういう、なんかこう、せせらぎで、
こう、まあ、僕らの世代で言うと、金鉢先生とかドラマやってましたから、そういうドラマのこう、
あの河川敷みたいな、ああいう光景って、ちょっと、東京の、
またちょっと一種、ある種違った、こう、憧れみたいなのもあったりしたんで、そんなのがね、こう、そういった景色が、
すぐそばにあるっていうのは、ちょっとテンション上がったりしてですね、すごくこう、この、
玉川沿い、
あの、ランニングしてる人結構多いんですけど、そこに混じって僕も走ったりとか、
よくしてましたね。
で、
僕が行ったのが、ちょ、ちょうど、まあ、大学卒業してオーディションも受かって、
春からこの養成所に通いますっていう、3月末ぐらいだったんですけど、4月になるとね、この、
川沿いもですね、桜がこう満開になってですね、それは、それは本当に気持ちのいい、
なかなかこう、沖縄で桜、花見っていうのはあんましなくてですね、あの沖縄の桜、
またちょっと、
東京とかの、この染め椎のと違うので、色が濃いピンクな、
で、花自体はこうちょっと、ポツッポツッポツッとあるような、あんなこう花びらが満開にフワーッとなる、
感じではないので、なんかそういった風景とかも見れて、うわー、
なんか田舎だけど、
なんか、俺でも沖縄出たんだーっていう実感をね、すごく感じた場所ではありましたね、本当にね、
すっごいこう、
素敵な
景色なんですよ、この緑と、あとこう、
淡いピンクにこう、
なんていうんだろう、こう、フワーッと満ち満ちた、あのー、
風景っていうのは、沖縄にはまたない、
景色だったりしたのでね、すごくなんか懐かしい思い出がありますね。
で、またこの川沿いとかでね、こう草むらとかにちょっとベニヤ板を置いて、僕当時タップダンスやってましたから、
タップダンスの練習とかをずーっとしてた記憶がありましたね。
こう、まあ、東京だとステージとかスタジオ借りるのってお金かかるけど、ここだったらただで、
まあ、ベニヤ板敷けばすぐ、あのー、タップダンスできるじゃんっていうことで、そこで結構あの、
まあ、ブルージャイアントの大じゃないけど、こう、
ね、河川敷でタップの練習をひたすらした時期がありましたね。
その会あって、えー、
卒業公演とかではタップダンスちょっとソロもらったりとか、
見せ場もらったりしたっていうのはちょっといい思いだったりしますね。
なんかこう、下積み時代じゃないけど、なんかそういうちょっと、えー、なんていうんだろうな、
なんかこう、頑張ったそういう思い出があります。
で、まあ、こう、東京と違うかと言われれば、なんか、まあ、共通点、あ、東京と沖縄、まあ、地元沖縄と違うかと言われればちょっと共通点とかもあったりして、
ちょっと行くとこの牛浜、まあ、フッサーはですね、横田基地だったかな、
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アメリカ軍の基地があるわけなんですよ。だからこう、
沖縄では見慣れた、あの米軍の飛行機が飛んでる風景っていうのも実はこの
遠く離れた東京の地でもまあ見られたりしてですね、なんかそういった、
本来あんま、なんかね、こう、上をジェット機がこうずっと飛んでるっていうのはあんま好ましくないんでしょうけど、でもなんかこう、
どこか自分の地元に通ずる、なんかそういった光景っていうのも見られて、
なんかね、ちょっと、
なんていうんだろう、遠くに来た不安もあり、でもちょっとこう、
自分の地元と似ているような光景もあったりして、ちょっと
安心感もあったりっていうのがそういう、なんか本当に、なんか、
なんていうんだろう、
初めて出てきた東京、まあここで良かったなっていう思いもなんかありましたね。
でまたこう、遠く、
橋を渡る電車とかって見るのもね、すごく気持ちが良くてね、すごくこう、
これを見ながらまた、
思いに吹けるみたいな、そういう感じもありました。
いやぁ、懐かしいものばかりだなぁ、本当に。
11年前か、もう24になった年だったので、
もう僕、今年35になるので、
11年前なんですけど、夢を、夢だけ持って、本当にもうスーツケースあと1個ぐらいで、
上京してきてですね、なんかこう、
こっから、演劇で食っていくプロの役者になるんだっていう、まあ思いを持って出てきた、まあ、
青年が一番最初に訪れた町っていうことで、なんかこう、
いろいろと、なんかね、思うこととか、いろいろあったりしましたね。
なんかあの時の、
がむしゃらな、恥かいてもとりあえずやったるぜみたいな、そういう思いって、今どこに行ったのかななんてこと、ちょっと寂しいこと、
思ったりもするんですけど、なんかまた当時の自分をちょっと思い返して、また沖縄帰ってきて、
頑張ってみようかなっていう、そういうまた当時の自分にちょっとあったような、そういう思いもありました。
オードリーの若林さんが、なんか思い出って道に宿るよね、みたいなこと言ってたけど、本当になんかね、
当時の自分がちょっと、
2、3歩先歩いて、その後を追っているような、そういう不思議な感覚がありましたね。
まあ、
その当時、思い描いていた、
自分にはなれなかったけれども、
なんかね、
なんかこういうセンチメンタルなことを言うのは、あまりよろしくないんですけど、でも、
ね、なれなかったけど、その、
当時の自分が今の自分を見て、
ああ、でも、こういう道もありかもねって言えるような、
そういう自分になりたいものですね。
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今はなかなかこう、仕事だったりとか、あとはまあね、体型とかも、当時からしたら、俺、
やばいね、25キロぐらい太っているから、当時一番痩せたんですよ。
だからね、そこら辺はちょっと、
なんか、
かつて、夢を持って頑張っていた、
11年前の自分に恥じないような、自分になりたいななんてことを思ったりしております。
ちょっと、昔は懐かしいんで、なんかね、
センチメンタルになってしまいましたが、
頑張っていきたいと思います。というわけで、なんかグダグダになってしまいましたけど、
当時の、昔住んでいた町をちょっと、お散歩してきたので、今日はちょっと、その映像とともにですね、
かつての自分というのをちょっと振り返ってみました。
こういうのも結構やってみると面白いですね。
また、あの、いつもこう音声で喋っているもののサポートじゃなくて、
動画ありきでそこになんかこう、ちょっと中継というか、
当てれっこしていくみたいなのも、なんか面白いかなと思って、
今度、なんかまたそういうのを思いついたらやってみたいな、なんてことを思ったりします。
というわけで、最後までお付き合いいただいた方、
ありがとうございました。ヨザチでした。
それでは、また。
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