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天才性の木
この内容なんですけれども、結構トランスパーサル心理学の分野では、よく知られている内容なんですね。
僕は、大学生時代の時に、ケン・ウィリバーの書籍と出会って、アートマンプロジェクトとかね、意識のスペクトラムとかそういう書籍を読んで、面白いなと思って。
タイトルだけ言っても、何それ?っていう感じになると思うので、ざっくり言うと、
人間の人生というのは、アートマンプロジェクト、つまり、宇宙全体というのがブラフマンという全体だとすると、我々はアートマンといってね、
一人間として、知らないうちにこのプロジェクトに人生を捧げていて、じゃあ何のプロジェクトなの?っていうと、一つの全体に戻ろう戻ろうとする旅路の途中なんだよと、自分が自分に本当に戻ってくる旅の途中なんだよというところが、ざっくり言うとアートマンプロジェクト。
そして、意識にはいろんなスペクトラムがあって、虹のようにスペクトラムがあって、その意識の進化の旅をしてるんだよっていうね。
学生の時にそういう思想になって、何これ面白いって思ったのと、いや確かに無意識のレベルではやってるよねって思ったり、そこから何十年経った今。
改めてね、確かにずっとそれやってきてるなーっていう気持ちがあって、いつしかそれが仕事になってね、今セッションを通して皆さんにこうした情報とか、実際のZoomセッションの現場ではその方の意識が発達して地上に天才性に目覚めていくっていうのをお手伝いしているといった形になるんですよね。
ちょっと我ながらその長い歴史でもびっくりなんですけども、ここまでやってきてますよということで。
今日は急遽、私も突発的にお、届けたいっていう思いがふつっと湧いてくるときもあるので、そのきっかけでやっぱりふと思ったことがそのときだ、最善のタイミングなんだということで、急遽こんな感じでお届けしているということです。
またこの内容も、実際今こうして聞いておられる方もいれば、後で例えばポートキャストであるとか、あるいは録画放送であるとかでご覧になる方もいらっしゃると思うので、いろんなタイミングでベストなときにこうして聞いていただけるといいなと思っています。
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ではでは早速天才その木の話を続けていきたいなと思います。
ぜひよろしくお願いします。
さてですね、最初にちょっとお伝えしておくとね、私の方がこう喋っている内容って、まあポートキャストをお聞きになっている方はさほど気にはならないと思うんですが、生放送に足を運んでいただいた方からすると、実は私が喋ってからですね、どのくらいだろう、何分かどうも何分か遅れで届いているといった実態みたいなので、
私の方からすると、ちゃんとお届けできているのかなという気にはなっております。
というのは、私が今こう話している最中でもですね、いつこの放送が始まるのかなっていうあたりのことなんですが、11時50分始まり、もう11時50分過ぎているんですが、まだスタートしていない画面になっているので、ちょっとこう、えーとね、放送が開始されているんだけども放送が始まっていないというね、奇妙な感じが今、味わっています。
まあ、そういうこともありながら、ちょっとね、慣れ慣れながらも続けていきたいなと思います。で、今、えーと放送ぐらいになっている方からちょっと画面をね、切り替えて、まあ、あのポートキャストを聞いている方からすると話題が変わったんだなと思っていただければいいんですが、さて、我々はよくこういうふうな思い込みをするときがあるんですね。
どういう思い込みかというと、もうこの世界について新しいものを見つけることもない。もうこの世界について新しいものを見つけることもない。これは一体どういうことでしょうか。ということなんですけども、実はですね、これ何かというと、あのー、なんていうのかな、自分はもう知っている、わかっているという状態になる。
ということなんですよ。自分はもう知っているし、えー、わかっているという状態ですね。で、何かというと、いろいろこう、あのー、私たちを奪われてから自分だけで育ってきたわけじゃなくて、いろんな人の力を借りながら育ってきているということは、まあ、いきなり社会の中に誕生してしまうんですよ。
自分だけの無邪気純粋な状態で生きていくというよりは、お父さんお母さんなり家族なり友達なり先生なりでいろんな状態に関わりながら暮らしているわけですね。当たり前ですけども、当然なんですけれども。
はい。で、そうすると何が起きてくるかというと、あの、この世界で大体こういうことだよねっていう世界の見取り図みたいなものが自分の中にこう芽生えてしまう。内側に地図を持ち始めるんですね。当たり前ですけども。
その自分の内側の地図を軸に物事を理解していくということは、だんだん大人になるにつれてこうなっていくんです。あのもうこの世界について新しいものを見つけることもないなって大体ものがわかってきたぞという感じになっていくわけですね。これどういうことかというと、
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結局の話、子供の時って何見ても楽しくて、面白くて、なんていうのかな、もうワクワクするというのか、世界は驚きに満ちていたわけですよね。そう。でも今どうなっているかというと、大体もう物事をわかってきたよと。物事は知っているよと。
ということで、今更新しい発見というのは滅多にない。もし新しいものを発見したとしても、自分が内側で抱えている地図と食い違っているわけですから、なんか変だよ、それ。なんかおかしいよというふうに自分の地図をわー面白いというかを書き換えるのではなくて、なんかそれ変じゃないとかあれおかしいよねというふうに地図と照らし合わせて合っているか違っているかという判断になっちゃう。
子供の頃だったらひょっとしたらなんか変なのでも面白いというふうにもっとオープンハード、オープンマインドでいけたかもしれないけど大人になってくると、もう大体私はこの世界になって、この年になってこの世界については新しいものを見つけることももうないというような感じになりがちなんですよね。
それは一体何が起きているかというと、自分が作った意味の世界、意味の宇宙の中に閉じ込められている状態なんですよと。もう一度言うと、自分が作ってしまった意味の海の中に閉じている状態ですよと。
まるでそれは魚がずっと水の中で暮らしていたら、その自分がまさか水の中でいるなんていうことを自覚することもない。水から上がって初めて、お、水以外の世界があった。で、さっきまで水の中にいたんだみたいなことがひょっとしたらわかるかも。
我々も同じで、自分の作った地図の世界、意味の世界に暮らしている限り、それ以外に世界があるとも思っていないし、もう大体この辺のことはわかったというふうになっていく。そういうことを言いたいんですよ。
で、このことを心理学とか認知心理学の世界ではスキームと呼びますね。物事って大体こうなっているんだよなという理解の枠組みのことをスキームと呼びますね。
で、そして、じゃあそういうふうに物事を理解して段取り組んでやっていけばいいじゃん、普通こう来たらこうすればいいじゃない、ああ来ればああすればいいじゃないっていうふうにやり方までわかっているのをね、スキーマって呼んだりして、こういうふうな言葉といえばややこしいじゃないですか。
だから僕はここは簡単に地図、自分の持っている地図とか、もっとシンプルに地図ってほら、面じゃないですか。だから面って呼んだりしますね。だから僕たちは地図の世界、面の世界に自分を閉じているとも言えるよねってこと。
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でもそうなってくるとね、年を経てくると、まあ年を経てくるとっていうのは実感としてね、どうなんでしょう。40代、後半、50代ぐらいに、あれ本当にこの生き方でよかったんだろうかなって思い始めることがきっとある。
もっと早い段階で気づく人もいる。言いながら思ったけど僕たちはこの問いを人生の中で何度か、幾度となく繰り返してきたのかもしれない。本当にこの生き方でよかったんだろうか。本当にこれでいいんだろうかっていうね、なんかもどかしさが出てくる。
僕はこれをもどかしさブースターと呼んだりしてみているんだけど、世界が揺れるとき、そこに天性が芽吹く余地が生まれる。この自分の世界ですね、自分が作った地図、意味の世界、意味の世界という意味で、自分が作った世界が揺れるとき、そこにこそ天性が芽吹く余地が生まれる。
これが、なんかこれでよかったのかなっていうもどかしさがブーストする。人生をブーストする。波立てる。泡立てる。これすごく大事だと思うんですよ。
僕たちが大人になった以降、本来の自分を生きる、生き方を変化させる、変容させる、全く新しい脱皮を遂げるときに、必ずといっても最初のきっかけは、なんか変だな、本当にこれでいいのかっていうある種のもどかしさ。
このもどかしさって結構大事なんですね。自分が作った世界が揺れるときにそこにこそ天性が芽吹く余地が生まれるっていうふうにやっぱり強調したいのはそういう意味なんですよね。
で、実際その、私はこの今のお仕事っていうのが天性を発掘するとか天才性を芽生えさせるということを専門にやってきてるんですけども、大体多くの方がこれまでいろんなことを学んだ。
心の世界のことも学んだ。心理学とかもちょっと学んでみたり、コーチングなんかもちょっとやってもらったりしている。が、なんだかそれでもなんだかなって、なんかもどかしいなあと一歩なんだけどな。
あるいは同じことを何度もやってる気がするんだけどなっていう。まさにその意味の海の中で自らを閉じて、本当の意味で変化をしたいのに何か変わらない自分がいるぞっていう、このもどかしさ。これこそがもどかしさブースターの始まりだと思うし。
そういった始まりで本当の変化を遂げていくっていうスタートポイント、スタート地点に来る方って非常に多いです。
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この時大事なのが、なんとなく変だぞ、もやもやするな、もやもやするなっていうことを解決しようとするとうまくいかないんですよ。
解決って何かというと、元の海でより快適に何の疑問もなく暮らせるように戻っていくということなのね。
終えていくのではなくて引き返していくということなんで、まあもったいないですよね。
だからここに存在するのは、まだ何かになる計画とかでもなく、確信とかでもなく、ただ存在するのは、なんだかな、何か新しいことが始まろうとしているという芽吹き、動き、振動なんですね。
だからこの時の何かもどかしいなっていう感覚ってすごく宝物だったりするし、ひょっとしてこうなのかなっていう手探りの感覚もすごく次の冒険の扉だったりするんで。
このなんとなくの感覚に従って、なんとなくの感覚につながって、自分の中にスペースを作ってあげると、だんだんそこに言葉が宿ってくる。
これがいろんな表現ができますけれども、スピリット、自分の精神性の目覚めとも言えると、天才性の、まあ天性の訪れとも言えるということなんですね。
ここまで聞いてみてどうですかね。なんとなく僕が言わんとしていることがちょっとずつ伝わればいいなと思っているんですが、いかがでしょうか。
ご自分自身に当てはめていただいて、確かに人生で何度か、あるいはまさに今、なんだかこのままでいくだけだと足りない気がする。
何かもどかしい気がする。何か新しい気づきが芽生えようとしているのだが、しっかりと捕まえることがまだできていない、十分できていないもどかしさがある。
実はそこにこそ芽吹き、動き、振動があるんじゃないかっていうのが僕の見立てなんですね。
だからそれを解決しようとするのではなくて、そのまんまにしてあげる、そのまんまで置いておける、この柔らかな芽吹きをそのまんまで置いておいてあげるスペースを作ってあげると、ふつふつとだんだんと言葉が宿ってくる。
これは今まで僕たちが使っていた賢さ、知性とは違った形の知性が求められているんですよ。今までは理解する、把握する、組み立てるといった知性の使い方をずっとしてきたと思うんですね。
物事の様子をつかみ、自分ごとで理解し、次から使えるようにするという実用的な合理的な知性の使い方。
でもここにおいてはそうではなくて、そのままにする賢さ。変化、変容に耐える、不確定な、あやふやな状態をキープできる、保持される、保持できる賢さ。
そこから出てくるものに臨機応変に対応して何かしらクリエイティブに作っていく、クリエイトしていく、そういう知性が必要で、計画されていない知性が必要なんですよね。
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これを経営の世界では効果的なという意味で、エフェクチエーションという言葉で説明されています。
それに対して、もはやあまり通用しないのではないだろうか、この時代はと言われているのが因果律。こうするとこうなるよねというふうな考え方でいく、やり方。
これをコーゼーションというですね、becauseのcauseでしょうね、cause、causationという、なぜならばこうする、これをするためにはこれが必要だ、なぜならばこうだから。
一見これも素晴らしい知性なんだけども、実はその手前にもっと別の違った知性がある、あやふやな感覚、なんとなくの感覚から芽吹かせる類の知性が必要なんですよ。
特にこれって、実は子供の頃にものすごく発揮していた能力かもというふうに思ってはいます。
ただし大人から見ると、子供が何かしていてもなぜそうしているのかな、こうした方がいいんじゃない、こうしなさいというふうにcausation、つまり因果律でどんどんそれを上書きしていくので、
子供の方も柔らかな感性を持っていますから、逆に柔らかすぎて、お父さんがお母さんがそういうならそういうものなのかというふうにちゃんと受け入れちゃうので、
柔らかなところに堅い知性で上書きされて、常識がそこにフィックス、そこで固められちゃって、
ああ、世の中ってこういうものか、世界ってこういうものだよね、というふうに世界の見え方がそこで歪んでしまう。
悪く言うと歪んでしまう、良く言うと常識が身についてくる。
だから僕たちは共通の歪み、つまり常識というのは共通認識された歪みのことなんだと僕は思うんだが、
全員同じように世の中を歪んで見ているから、逆に一致する、お互いに同じような見え方をしているので、
だけどそこで正気に返った見え方、つまり純粋な芽吹きとか、自分の内側の転生で語り直すと、
なんか変だよなとか、本当はこうじゃないのかななんて言ったら、いやいやそんな子供っぽいことを言ったってどうしてもないじゃないとかね、
そんなの善人ぶってるだけじゃないのとかね、そういうことを今更言ってもねとか、やっぱりコーゼーション、因果律の安定性の中で封じ込められてしまうと。
それは人に言われるだけじゃなくて、まず真っ先に自分が自分にやってしまう。
芽吹き、動き、振動があっても、なんとなくの柔らかな芽吹きがあっても、いやそんなこと今更考えてもできないし、もう何歳だしとかね、
なんかそういうことで上書きされてまた押し込められちゃう。でも新しい知性の使い方ってやっぱりいるんですよね。
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これはトレーニングをすると絶対にできるようになるはずなので、やっぱり僕はそれをどうしても伝えたくなっちゃうというあたりですね。
次がここですね、常識とか意味とか答えが先にどうしても僕たちは出てきてしまうんですよね。
だからまず問いかけの深さが必要ということで、解決しようとすると静かになれない、どんどんガーッと動こうとしちゃうからね。
だから必要なのはきっと静かな時間なんですよ。
その言葉になる手前の何もない状態にずっと漂っていられる、歩いたっていられる、ずっと滞在している必要があるんですね。
この言葉がない静寂なところにしばらく留まっていると意味の世界でガーッと抑圧されていたものがだんだんたじろいでいく、
後退していくのでそこに初めてやだから何かがフツフツと芽吹くように出てくると。
この時間がすっごい大事なんですよね。
僕たち大人がどれだけの人がこういう時間を持てているか。
たまにほら休暇を取った時なんかに自然の中に芽を置いてゆったり過ごしてみるといつも思わなかったような苦とした柔らかな思いとか気持ちとか、
あるいはいつもと思いかんでこないようなひらめき発想が出てくると思うんです、まさにそれ。
一旦その常識的な巻き込みを緩めてあげて、緩ましてあげるとフツフツと内側から出番を持っている本当の自分の知性が出てくる。
これすごい大事なんですよ。
特に先ほど言いましたまあ年齢がね30、40、50、そして60なんてなってくるとだんだんと社会的にあのこう説明がつく意味だけではなくて、
自分てそもそも何者なのだ、何がしたくているのだ、ここに存在しているなっていうね、こういうテーマが浮上してくるんですよ。
命として私は何をしにここに来て、どこに行こうとしてるんだってまるで長い夢から覚めるような、その時に僕たちはもどかしくなる。
だって答えなんて社会のどこ探してもないので。
そうすると内側に向き合わざるを得なくなってくるが、よほどこの静かな時間を持たないとそれはフツフツと内側からやってきてはくれない。
なぜかというと意味の世界で塗り込められたものを少しずつ交代させていかないと芽吹く隙間もないからですね。
芽吹く隙間も糸間もないからです。
だから静かな時間をとって言葉になる手前の何もない状態にずっとこう滞在している必要がある。
一見無意味に見えるような時間を過ごす必要がある。
でその時に何か芽生えてきますよね。
何か芽生えてくる。
そうするとおかしなことが起きてくる。
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僕はこのおかしなことというのかな。
四苦八苦なことが起きてくるのを何度も見ています。
まあ自分の中にも当然見てはいるんだけれども、セッション提供というお仕事を通して何遍も見ている。
まずここで伝えたいのは自分の本来的な魂とかスピリットっていうのは嘘をつかない。
で結局内側の本来の自分の真心というのかな。
本当の気持ちっていうのは身体性体に現れる。
すなわち体は嘘をつかない。
本当にスピリット自分の魂を語っている時にこう声は小さいんだけども一際輝く小さな声が実は大きな響きを持つ。
静寂なパワーがそこに宿っている。
先日オラクルワークの話のウェブセミナーをしてポッドキャストも話したんですがまさにそれなんですよ。
言葉になる手前のでも隠しに見せた何かが上がってくる。
それはまず体に宿る。だから体は嘘をつかない。
だからスピリットは嘘をつかない。
なのでしかしそれはこれまで僕たちが使っていた因果律こうすればこうなるよねのような因果律の時勢ではない時勢なんだかわかんないけどこうなんだ。
という唐突な真実が上がってくる。
だからここにはハウツーがないなんだかこうなんだこうなんだっていう本質しかない。本質しかない。
だから本質から始まってそれを実現するためにはまずこうはあるべきであってのようなそこで初めて原因と結果のような因果律が役に立つ。
僕たち大人はともするとスピリットではなくてとりあえず教えられてきた因果律。
普通こうするときはこうするもんだ。
じゃあもし自分が新しいことにチャレンジしたくなったら普通そういう場合はどうするとどうなるのかを学ばなきゃ。
で学んだらああするときはこうすればいいんだ。
じゃあそれを繰り返そうのように借り物の知識だけでやってしまう。
借り物の知識だとどうなるか。
うまくいくときはもちろんうまくいく。
だがスピリットはどうだろうか。
全く自分が同意していない外の意味の世界で外の世界に意味の建築物がビルディングのように立っていくだけだから。
それは自分ではない。
だからそれは自分とは関係ない。
なのでどうなる。
結局何を成功してももどかしい。
なんだか自分がやったと思えない。
なんだかこれでいいのかなとずっと思ってしまう。
経営者の方でもそのように聞いたことがある。
すごく売上が上がり社員とかにも信頼されているし取引先も耐えることがないのだがなんだか本当にこれでいいのかいつも悩ましい。
夜も眠れない。
自分は本当にこれで認められるのだろうかと。
これ何が起きているか。
スピリットと話をしていない。
じゃあ誰と話をしているのか。
常に他者の目社会の目周囲の目と話をしている。
そうするとそこに合わせ続けるしかない。
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そうなると周囲のお気に召すような現実を作っていくしかない。
そこの期待に応え続ければならぬと。
だがしかし自分の内側のスピリットはそのことを同意していない。
それは自分のことではないと言っている。
だから体も反応する。
なんだか力が出ない。
逆にこの状態を続ければと思って逆に肩が来るほど力んでしまう。
つまりスピリットは嘘をつかないし、
本当のスピリットを語っている時は力説するような計画があるわけではない。
話をセッションの現場、
僕が普段お届けしているセッションの現場に戻していくと、
僕は何度もそれを見てきたというのはここでおかしなことが起きてくる。
ちぐはぐなことが起きてくるという話でした。
じゃあどんなちぐはぐが起きてくるかというと、
自分の中から不思議な声が出始める。
本当はこのように生きていくのだ。
自分にとって大切なことを大切にしていく。
人が本来の喜びに目覚められるような手助けがしたい。
普通にただただ生きていることだけが満足できて、
この五感、見える、聞こえる、感じるをもっともっと丁寧に大切にしていきたい。
そしてそれができていない人たちがいれば、それとなくそれを教えてあげに行ってみたい。
自分も十分に幸せなのだが、不足からではなくなぜかそうしたくなってしまうからそうしてみたい。
これがスピリットの脂性弱なパワーですね。
多くの人からこのようなつぶやきがセッションの中に出てくる。
そうするとご本人の中にちぐはぐなことが起きてくる。
それは何かというと、これまでのコーゼーション、因果律の中で生きてきたから、
それをして何になる。
誰がそんなことを求めている。
そしてあなたにその資格があるのか。
綺麗ことを言っているのではないのか。
何かいい人ぶっているのではないのか。
いい人ぶっていたり、理想的なことを何かワッツラで言っているんじゃないのかとか。
そういう心の中である種、自分で自分を試すような、挑みかかるようなことが起きてくる。
そういう分離が起きちゃうんですよ。
これは無理がない。
なぜかというと、これまでとは真っ向対立するかのような知性が今立ち上がってきているから、
スピリットの知性はこれまでの因果律の知性とは違って、
なぜか分からないけどこうなんだ。
いきなり本質がポンと上がってくる。
今までの知性は、みんながそう言っているから、社会がそうだから、一般的にこうだからという根拠が自分の外にあったから安心していられたが、
スピリットは問答無用でこうなのだ。だってここを感じるのだ。
というふうに語りかけてくる。そしてそこには嘘がなく、体もそう反応する。
どんなことが起きてくるかというと、心のど真ん中のその静かな叫びに関しては奇妙な確信が宿る。
馬鹿けているし、そんなことをやったこともない。何なら今まで思ったこともない。
だが、なぜだか分からないがこれは本当のことなんだ。
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というふうに自分で分かってしまう。体が分かってしまう。
そこに対してそうなんだとただ思ってしまう。
その一方で、これまで身に付けてきた知性たちも叫ぶ。
本当にそうなのか、やったことがあるのかできるのか、みたいな根拠を求めてくる。
ただしそこは体のこわばりや声の緊張になるが、しかしそれがいくらあっても、でも真ん中のでもそうなのだという静寂なこの確信は揺らがない。
これがチグハグ、素晴らしいチグハグ。つまり、その外の声に圧倒されて、やっぱり違うかものようには全然思わない。
外の声に圧倒されながら、だがそうなのだ、の炎は全く揺るがない。これがスピリット。
この炎の面白いのは、いくつとなく自分で素直にどんどんチャレンジをしたときに、外側の自分が何度も何度も打ち倒される。
つまり、そう予想通り、そんなに都合よく世の中は動かない。
予想した通り、こう正直にやっても報われない。
だから外側の自分はうろたえてしまう。ほら、言った通りじゃないか。やっぱりダメじゃないか。
自分がもともと信じている因果律通りに戻そうぜって言ってくる。
でもどうだろう、スピリットの方は揺るがない。確かにそうだ。
今は不安になっている。打ちのめされている。だがしかし、だってそうなんだもん。
という真ん中の炎は全く揺るがない。これはすごくちぐはぐで、すごく素敵なことですね。
つまり、みんなが欲しがっている本当の自分、みんなが欲しがっている本当の自身、どこにある?
ここにある。ずっとここにあった。根拠はなくてもそこにある。いくら失敗しても揺るがない。
なぜかというと、うまくいったら燃え上がり、うまくいかないとしぼんでしまう。
そんなものではない。一定の輝きがずっとそこにある。
これがスピリットは嘘をつかない、すなわち体は嘘をつかないということですね。だんだん見えてきたのではないでしょうか。
こういう本当の自分にタッチするのは、いつものチャンネルだとアプローチができないんですよ。
なぜかというと、だいたいいつも自分が使っているチャンネル。
チャンネルって何かというと、何で世界を認識するのかという認識チャンネルのこと。
テレビのチャンネルとかラジオのチャンネルが例えとしては近いですかね。
だからいつも自分が見ている放送局があるとしたら、そこからの情報からしかいつも得ていないし、それがまた分かりやすかったりするし。
だから現実を生きていく上では、さっき僕が言った言葉でいうと、面、あるいは地図、あるいは意味の海の中にいる。
そこにいる限り、いつもの情報しか入ってこない。
なので、自分の内側のそうなのだ、の声に巡り合おうとしたらどうするかというと、先ほど静寂な時間が必要。
とまず最初の条件言いましたが、それだけでも足りない。
なぜというと、いつも使っているチャンネルで声が聞こえてくるならば、いつも見ている放送局でそれに出会えていたならば、もうとっくに出会えているよ。
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出会えるわけがない。
チャンネルを変えない限りは無理だ。
じゃあどうすればいいの。
もう全然心配はいらないですね。
人間にはいろんなチャンネルがある。
これまで慣れたチャンネルしか使ってこなかっただけ。
例えば、もう少し具体的に言うと、僕が学んできた中の言葉に変換して言うと、NLPというものがあります。
神経、言語、プログラミング、ニュード、リングスティック、プログラミング、心と体の使い方の心理学かな。
それで言うと、人間にはいろんなチャンネルがあるんですよ。
見えるチャンネル、心と体の感覚で感じるチャンネル、あとは聞こえるチャンネルとかね。
簡単に言うと、そういう3つのチャンネルがある。
それを切り替えるだけでも随分入ってくる情報が変わる。
で、やっぱりやる、このチャンネル切り替えってどういうシチュエーションで役立つかって言うと、
その静寂な時間ありきっていうのは大前提で色がないんだけれども、
その中でただただ自分の心が何を言っているのかなって待っていても、やはり来ない。
来るとすればその前段階で現れる、自分のトゲトゲした気持ち、ドロドロした気持ち、
いわゆる隠していた感情とか情動が上がってくる。
これもこれで健全です。
なぜならば、大体いつもそういう領域細部を蓋をして、いい感じの自分になりたいから蓋をして、
表舞台の自分はにこやかだが、裏側ではちょっとゆらゆらしている、動揺しているとかね。
そんな感じの仕切りが表舞台とバックエアと裏舞台というふうに人間の心っていうのはできているので仕切りがありますね。
だから裏舞台にあった自分がまず上がってきてしまうっていう現象がどうしても起きちゃう。
そうすると完全に自分の自覚が表舞台にしか向いていないステージだと、裏舞台からいろんな自分が訪れてきたら、
こんな自分がいたなんて、そこでまた打ちのめされてしまう。
でもご安心をということで、それは普通のことなので、今言っているスピリットという本当の自分は裏舞台にもいない。
どこにいるかというともっと奥にいる。もっと奥ってどこというとわからない。
もう本当に意識領域の外にいるので、僕たちは普段はアプローチできない。
これは一体どういう領域かというと、例えば仏と書いて仏性ってありますよね。
お坊さんとか偉い人たちは修行の末に仏性を身につけるとかの仏性を表現する。
つまり目覚めるわけですね。神様的な神聖に目覚めていくと。
古代のいろんな伝説的なマスターと呼ばれる人たちもそういう仏性とか、いわゆる内側の宇宙に目覚めてくると。
そういう領域なんですよ。そういう領域って普段のチャンネルで行けるわけがない。
じゃあどうすればいいかというと、見える聞こえるチャンネルをガチャガチャと切り替えたら思いのほか簡単にアプローチができる。
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具体的なテクニックとしては、ここに書いてあるような音楽を通してやる人もいるでしょうし、
体の感覚を使うことや、ジェスチャー、しぐさ、呼吸を通してとかね、あるいは曖昧なイメージを使うとか。
なんせ普段使ったらチャンネルに切り替えてあげると響く。
例えば、美しい音楽だけじゃなく、ハートに響く音楽を聴いたときになんだかわかんないが泣けてくるとかね、あると思うんですけども。
愛の同じかな、もっと奥にある何かに響いて、そことチャンネル会ってるよって響きとして涙がツーッと出てくるとかね、悲しいから泣いてるんじゃない。
なんだかわかんないけど涙が流れるんだという、透明な涙が流れてくる、感情の色付きがない涙が流れてくるということもある。
普段使っていない橋を渡って、それはこの世界に訪れるんですよということ、これ知っておくと結構面白いんじゃないかと思います。
僕はずっとそれをお伝えしている。
具体的なやり方をいくつか紹介しますと、大前提、静寂な時間を持ち、そこに自分が存在するということをちゃんとする。
その上で、例えば今まで自分が出会ったことはないのだけれども、どうも自分の奥に宇宙の目覚め、先進の目覚めという領域が、そういうエリアがあるとしたら一体どこにあるのかなと。
そこをまず場所チャンネルで当てずっぽうに当ててみる。
ここは普段の時勢を使っちゃいけない。
普段の時勢は、だいたいそういうものというのは遠くにあるものだから遠くの方を探すようにしたらいいのかなとか、そういうものはまるで役に立たない。
そうではなくて根拠なく曖昧に、なんだかわからないがそうなんじゃないかというところをただ向き入れてはいい。
今まで自分が達成したこともないような、自分の大元につながるような、そんな深い領域があるとしたらどこなんだろうか。
胸の奥なんだろうか、目の奥なんだろうか、あるいは外なんだろうか、上なんだろうか、後ろなんだろうかとかね。
なんとなく意識を向けてみて、妙にそこなのかな、根拠はないけどそこなのかなという領域がある。
例えば僕だったら首の後ろあたりに何かしら、そうなのかなという何かがある。
これだって今日はそうということで、いつもここにあるわけではない。
これだけでもいつもと使わない、いつも使わないような、どこかに何かがあるというふうな座標チャンネルが使えている。
みんながよく言う、自分の本音はどこにあるんだろうとかね、本心はどこなんだろうとか、無意識レベルでどこっていう、
whereという言葉を使っている、これも不思議なもので、実は自分で本当に分かっている、どこという所在が心にはあるのだと。
だから本当の自分の場所はどこなのだろう。
それは勘違いしたらダメなのは、何か上がってくる濃い、軌道あいでこのことを言っているんじゃない、もっと奥の奥にある大元ですよね、どこなんだろう。
そうすると何かこう上がってくるはずなんです、根拠なく曖昧に。
で、座標チャンネルがある。
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その次に座標チャンネルだけに目を向けても、そこからいきなり、ああそうかこういうことだったのかという意味など分かるわけがない。
なぜって、そこは本当にこの肉体、もっと奥にある気配の領域、本当に繊細な領域、エネルギーそのものの領域なので分かるわけもない。
じゃあどうするかというと、言葉に頼らない。
じゃあ次はオススメなのが色彩、色を使えばいい。
じゃあこの奥にある感覚に何となく色があるとしたら何色なんだろうかと。
これこそがこのバリエーションとして使ったのがオラクルワークだったんだけども、興味がある人はぜひオラクルワークのポッドキャストや放送も聞いて欲しいんですが、
それはともかく色を使えばいい。
私だったら薄い水色のグラデーションのようなものを何となく感じた。
これもなぜその色なんだろうかというのを疑問にしちゃダメなんです。
きっかけは何でもいいので。
その色が合っているか間違っているかとかは、この場合は全く無意味な問いなんですね。
もしあなたがこれを試したならば、この見ている画面、お部屋の中の何かの状態の影響を受けているに決まっているんだから、
それに影響を受けて色を言うこともあるかもしれない。
全然それでもかまわない。
重ね合わせが起きてくるから。
何かの影響で見ているという原因も一つあるのだが、
繊細な領域を見ているのだという意味や意味も込められているから、
2つの重ね合わせが出てくるので、その色はいろんな意味を帯びているから、
何でその色になったのかとかは考える必要はない。
ここで必要なのは、さっき僕だったら奥の奥にある色が何となく薄い水色のグラデーションに思えてきたと。
ひょっとしたらそれは僕自身もこの画面を見ているから影響を受けたのかもしれない。
でもそれは重ね合わせだから気にする必要もない。
次のステップは、今あなたが見ているその色、あるいは今私が感じているこの色に第一印象をまず述べてみる。
色というのは印象とセットなんですよ。
逆に言うと印象を自分に伝えるためにこそ色が出現したとも言えるので。
じゃあここの薄いグラデーションの青の色は僕にとっては深いところにあるとか、
あるいはまだ言葉になっていないとか、まさに話してきたような内容の印象なんですよ。
印象でバクッとその領域を捉えたら次はもう少し自分に分かるいつもの姿勢へとだんだん下ろしてくる。
じゃあその印象の意味を今度考えればいい、意味ですね。
意味は一般的な意味なんか使うんじゃなくて、自分にとってこういうことかなという意味を言えばいいんですよね。
例えば僕だったら言葉が宿る手前の薄っすらとしたグラデーションのような目覚めみたいな、そんな意味があります。
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その意味を捉えたら次はその意味が自分に一体どういう影響をもたらすのかなということを考えてみる。
つまり何かの影響をもたらすためにその存在があるのだから。
どんな影響を自分にもたらしているのかなとここでも考えてみてもいい。
僕だったらその薄っすらとした目覚めを自分が得ることってどんな意味があるのかなと、どんな影響があるのかなと言うと、
だんだんと普段の自分の意識がスライドするようにあるいはフェードインするようにスーッと新しい状態に入っていける。
つまりそれこそが本当の自分を生きる第一章って感じでスーッと心と体がスーッと本来の自分のモードになっていく。
だからこそこの水色のグラデーションは必要なのだっていう感じ。
わかりますかね。
こんな風に思考で考えたのではなくて何となくの色合いの印象、そしてそこから受ける意味っていう風に順番にやっていくと、
だんだんプロセスを打ち切っていくとだんだんいつもの自分のチャンネルへと帰ってくるから意味がわかるようになってくる。
だから入り口はいつものチャンネルだとタッチはできないのだけれども、
まずいつも使ってないチャンネル、どこにあるっていう座標チャンネル、色は何っていう色合いチャンネル、
そこから意味は何だろうっていうやっとここら辺で言語チャンネルで切り替えていって、
チャンネルを横断していくことができる。
これがチャネルリングですね。
私が思っている内側とつながるチャネルリング。
これはインサイトチャネルリングと私は呼んでいます。
普段使ってない橋を渡ってそれはこの世界に訪れる。
あなたにも繋がってきる。
さっき言った40,50,60歳と年を減ることに、
人間というのは本来の自分で何なんだろうという問いと立ち会わざるを得ない。
無視ができない。
そこでまた外の世界に意味を求めてしまうと、やれ自分の子供たちや今まで自分がやってきたキャリアなど、
外の世界を担保として、よすがとして、手がかりとして自分を定義しなきゃいけない。
私はこういうことをやってのけた、こういうことをやってのけた人なんだって、
外の力をかけないと自分は定義できない。
でもそうではなく、それだけではなくて、
自分ってそもそも何なんだろうかというすごくな問い、子供のような問いに答えられるのはスピリットしかいないので、
チャンネルを変えて本来の自分にタッチできる時間を持つことは非常に大事。
静寂な時間を持った上でチャンネルを合わせる。
そうすると本来の自分が目覚めるという、そういう領域でようやく巡り合える。
だから今までコーチング、コンサル、あるいはカウンセリングなり提供してきた方もいらっしゃるし、
受けてきた方もいらっしゃると思うし、それは間違いではないし、
まあ多分きっと全部あってはいるが、
もうひとひねり、ひとひねりではないな。
もうひとつ角度を変えて僕の話聞いてほしい。
ここのチャンネルで合わせると、
途方もない財産があなたの内側からあなたに向けて流れ込んでくる。
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これ使わないというのはどうかしているので、絶対使ったほうがいいよと。
使い方を言っている人はほぼほぼいない。
なぜいない?すごい地味な話だから。
わかりづらいから。
だから僕は何だかわかんないけど、
でもこれは僕は言い続けたいんだよということで言い続けている。
これが僕のスピリットの、だってそうなんだもんという流れなんですね。
そのためにどうすればいいかわからないので、
まあいろいろ試行錯誤をしているということですね。
本日はだってそうなんだもんを知っている存在であり、
やり方を知っている存在ではない。
やり方は僕たちが人間の頭と知恵と根気で表現していく。
それでいいわけです。
ということで、ここね、ここも面白いんですよね。
あれでもない、これでもないみたいなのを書いてますけども。
さっきみたいに、特にセッションの現場でやったことなんで、
尊いなと思うから、分かち合いたかったから話すんですけども、
さっきみたいなやり方を僕はセッションで誘導するんですよ。
それは色合いでいうと何色ですか?
言葉にするとしたら何でしょうか?
そしてほどなく、こうかな?いやここじゃないな。
これかな?これじゃないな。
最初じゃない、じゃない、じゃないっていう、
ノット、ノット、ノットっていうのが続くんですよ。
なぜっていうと、目覚めているからなんですよ。
なぜ目覚めていると否定が増えるかというと、
もうそれが何かわかっているからこそ、
その言葉が少しでもずれていると、そうじゃない、そうじゃないって分かる。
だから何も分からなかったら、こうですよねって言ったら、
ああそうかもしれません、こうでは、ああそうかもっていう風に
どんどん外からの真実に、真実じゃない、
外からの転移に乗っかっていってしまうんだけど、
ここが目覚めると何か来ても、いやあそうじゃないなとか、
何か自分が言っても、うーんちょっと違うなっていう風にもどかしくなる。
だからもどかしさってすごいいろんなことの始まりなんですよ。
それはなぜもどかしくなるかというと、真実に目覚めているからなんですよ。
目覚めているのでピタッとはまることが起きたときに、
ああこれだって分かるんですよね。
ああこれだ、私はこうこうこうだって述べた、
そのシンプルな言葉こそがその人にとっての心音、マントラなんですよ。
命をその言葉に込めた言葉なんですよね。
その言葉にはパワーが宿っている。
普通の言葉じゃない、自分の知性と身体感覚とスピリットとと、
三味一体で全部つながっている。これがマントラなんですね。
ああこれだ、このこれだっていう言葉で自分のことに目覚めれば目覚めるほどに、
もう迷いはなくなっていく。いくら物事がうまくいってもいかなくっても、
これだと秘めていける、ここを帯びながら生きる人生ってすごい強いんですよ。
ということですね。
それが浮き上がってくる人生ってフェーズ、段階があって、
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第一段階、第二段階がある。
先に第二段階から説明すると、外向きに芽生えていく。
ああ私はこう生きるんだ、自己実現だ、これが私だっていうね。
みんなこれが欲しいでしょ。生き方として力を帯びて天性や天才性をはっきり生きてるぜっていう、
これが欲しいはず。
これを可能にするコンテンツと呼ばれているものがたくさんあるし、
それを習いに行って受けた時に何が起きる?
多分二種類に分かれる。
やった、思った通りにできた、すごい良いの学んだというのが一つと、
そしてもう一方では、みんなうまくいってるけど、
なんかなんだろう、言ってること分かるんだがハマらないんだよな。
やってみてるんだがなんか気持ちは乗ってくるが、
すごいちょっと実は本音を言うと疲れちゃうんだよなとか、
なんか乗り切れないなってことが起きてくる。
なぜ?第一段階すっ飛ばしてるからだよ。
第一段階めっちゃ大事なんですよ。
最初潜るの、内向きに深く潜る。
さっき言ったまだ言葉が与えられていない、意味が与えられていない領域まで、
何かが湧き上がるのを待つという静寂な時間が絶対に必要。
それなしにして自己実現だ、目標設定して行動してってやっても、
ここがトリックなんだけど上手くいくんですよ、多分。
上手くいくんだけどスピリットにはないので、
続かないし疲れちゃうし、行った気がわーってなるが、
なんかどこかで疲弊してくる。
なんかどこかで一言、みんなすごいなーってずっと一言になっちゃう。
こっち、こっち戻れっていうことなんですよ。
内向きに深く潜れ。
みんなの意味をとりあえず知りづけろ。
お前の意味を発掘せよということなんですよ、まさに。
意味が与えられていない哲学の無垢な領域まで戻って。
本当に雪山で誰もまだ足を踏み入れていないあの真っ白な雪のような、
何の意味もまだ意味で穢されていないとこまで潜れ。
そこで何かが芽生えてくるのまで。
それがさっきの自分の信念、マントラに出会う場所なんですよ。
そこと出会ってからこっち行くとボワッと咲く。
ほっといても咲く。
素晴らしいことになっていく。
無ナチュラルに天性天才性が発覚していく、発芽していく人生になっていく。
努力表揚。だってそうしたいからそうしてるんだもんって話になる。
いくら色々あってもそれはそれとしてそうなんだもんっていうふうに軸はぶれない。
ぶれないという言葉さえも違う。
軸は変わらないですね。
それが今日僕はとても言いたい。
順番間違えるなと。
順番に騙されるなと。
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第1段階みんなこっそりひっそりやってしまっている人もいる。
人生で打ちのめされたり考えて分からないってなってブレイクダウンして。
でハッと気づいて蘇ってくる。
そうだって言う言葉がほとんど第2段階からいきなり伝える。
だからこうすればいいわったんですよって言って。
サナギの時期の経験も忘れちゃっているので長々になった自分のことを語るから
サナギの人が聞いてもなんかすごいなと思うけどいいなと思うけど
自分ごととしてちょっと分からないし変わらない。
こっちが先。第1段階が先。潜れ。
で逆もしかり第2段階にきてわーって羽ばたいているが
おっとなんか突き抜ける気がするんだがなんだろうなんだろうって。
もっかい潜れ。
これは何度も繰り返す循環構造。
第1段階で内向きに深く潜る。
これをもっかいやるんだ。
そしたら以前気づけなかったことがわーってわーってわかったりもする。
わーってなるときにまたここに戻ってきてわーってまた発芽していく。
これを繰り返す。
これ繰り返さないと多分その人の発達は終わる。
新たな光っていうのはより大きな謎を運んでくるからまた潜る必要がある。
潜ってまた目覚めたら新たな光がもたらせるからそれを表現していく。
そうここでまた第2の罠がある。
第1段階にとどまってしまう。
あーわかったあーこれだ。
あーまた深いなー深いなー気づいた。
今日も気づいた。
出ろ。
第2段階に出ろ。
もうずっとそこにいるんじゃないよ。
出ろと。
外に向かって芽吹け。
羽ばたけ。
勇気出して柔らかい羽で飛んでけと。
こっちにも必要なんですよね。
僕自身も自分の人生でこれをやってきてるんだなと思ったし皆さんもやっておられる。
だからそのことをこうやって概念で聞くと
おー確かにやってきたなとかあるいはあーやってなかったなとかね。
いずれにせよ気づくはずなんで。
これを今日届けたかったということなんです。
でねこれってやっぱり孤独な作業なんですよ。
一人でやるとかなり孤独になっちゃう。
なぜって人から入ってくる意味を一旦知り解けて
ちょっと今自分の時間なんで。
自分でやってなっちゃうと。
ちょっとこの話誰と分かち合ったらいいって分かち合う相手さんいなくなってしまって
世界一人でしょんぼりになってしまう。
これ多くの人が多分経験してるはず。
こんな話どこで分かち合ったらいいんだろうって。
だから誰かと共に何かが現れるまで
じっと待って温めていれるこの静寂な時間も絶対に必要で。
とはいえ僕思うんですよ。
一人でやる必要もないんですよね。
なぜってほらさっき僕のつぶやきとして言ったように
こんな話どこでするの誰と分かっちゃうの。
ここで分かち合えるからっていう。
だからカモンっていうことなんですけども一緒にやろうぜってことなんですけども
分かち合いますってば。
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でね僕は今こうやって概念で話してるじゃないですか。
こう新しい概念で。
まず根っこが必要なんだよと体験過程と言いますこれを。
心理学の言葉ですけど体験過程と言います。
これまず自分の自分事として振動しスピリット振動し
芽吹いて目覚めていくという経験がいるんだと。
それだけではダメでそこからグーッとああそういうことかこうだったのように
言葉で幹を作っていくことも必要なんですよ。
これを分節化と言います。
ああ私はこういう自分だったんだっていう一つの節ができる。
こういう世界を作りたいのか一つの節ができる。
ああだからこんな風にやってるんだ一つの節ができる。
何者としてどういうやり方でどこに向かっていくんだ全部分かった。
そうかって自分の見聞きができる。
なるほどという風になっていく。
そうなっていくためにこそメタスキル
普段の自分の使っているチャンネルをちゃんと分かって
チャンネルを切り替えるチャンネルも必要なんだと。
普段使っているスキルを超えたスキルのことをメタスキルと言いますが
それを学ぶ必要もあるし実践する必要もある。
だから一番最後の枝葉がスキルとか表現なので
スキル表現を学んでたら絶対永遠に分からないのが
その奥に一体どういう道理があるのかというスキルを超えたスキルメタスキル
いろんな心理的なやり方があるけど何でそうするのという道理が分かる状態がメタスキル
それを自分ごととしてああそうかそうかという風に言葉にしていて
節を作っていくことも必要だし
そのそうかそうかの手前で自分の感覚
曖昧な感覚そのものをちゃんとしっかり味わい切ることも大事だし
この根っこから始まって表現していく
表していくという道中が必ず必要なわけですよね
これが最初タイトルで言ったことにつながるんですよ
天才性の木なんですよね
このスピリットの目覚めとそしてああそうか
ああそうかって自分が自分になっていく旅路
これすごい大事だから届けたい
というのが今日の緊急でお届けしているこの内容だったんですよね
聞いてみてどうでしたか面白かったですか
何か少しでも届くと嬉しいなと思って話をさせていただきました
いかがだったでしょうか
ご興味あればということで最後は宣伝でもあるし
やっぱり心からの願いでもあるのでお話しさせてほしいんですが
あなたの木に出会う旅ということで天性ブースを7期始まります
できれば今回私の願いとして30名ぐらいの規模になれば嬉しいなと思っているんですけど
なかなかこれが伝わらない
今このコースってめちゃくちゃ再参加の方リピートの方が多くておかげさまで
だからもう2年ほど前から続けてきて今7期が始まります
もう20名ほどの方が参加完了しているのであと残り10席ほどあって
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ここを何か今日の話届いた人がやってみたいなと思っていただけたらすごく嬉しいなと思っています
だからPodcastにしろ何かの放送ですよ必ず天性ブースのリンクも貼っていると思うので
ぜひそこを覗いてみてほしいです
なるほどこうやるのかってやり方全部書いています
参加を今回するかどうかというのは分かりませんけども
読むとなるほどこういう順番なんだっていうことが何か見えてくるんじゃないかと思うので
ぜひ見てほしいなと思います
ということでお届けしました国崎でした
また新しい放送でお会いできたら嬉しいなと思っています
最後まで聞いていただいてありがとうございます
ではでは失礼しますありがとうございます