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「手放し」って、本当に成長なんだろうか。
2026-03-26 19:17

「手放し」って、本当に成長なんだろうか。

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「手放し」って、本当に成長なんだろうか。

「嫌な感情は手放しましょう」——よく聞くアドバイスですよね。でも、手放すことと、じっくり向き合って統合すること。結局どっちなの?なんて思う人いませんか?

でもこの2つ、本当に真逆なんでしょうか。 僕はずっと真逆だと思っていました。

ところが、ある視点で見直してみたら、「健全な手放し」と「統合」は同じ方向を向いていた。じゃあ何が違うのか。"「逃げ」になる手放し"だけが、別の方向に行ってしまう。

今回は、その境目について考えたことを報告します。「成長すれば幸せになれる」という素朴な思い込みについても、少し立ち止まって話しています。

 

目次

手放し系 vs 統合系——2つのアプローチ

以前の理解:上昇と下降の2つの矢印

成人発達論で考え直す——発達とは何か

白か黒か → グレー → グラデーション

手放しは発達の逆をやっている?

「含んだ上で超える」——Transcend and Include

健全な手放し=客体化して理解した上で手放す

気づき:手放しも統合も、どちらも上昇だった

スピリチュアル・バイパス——退行になる手放し

プリパーソナルへの退行 vs 複雑さを超えたシンプル

自分の中のパーツをホールドする

無理に手放さなくても、自然に統合へ向かう

発達と幸福は単純に比例しない

本質的な幸せとは——深くて豊かなもの

まとめ:複雑さの中にいるからこそ感じられる厚みのある幸福

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くにさき

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サマリー

このエピソードでは、「手放し」と「統合」という二つのアプローチについて、成人発達論の視点から探求します。従来の理解では対極にあると考えられていたこれら二つですが、著者は「健全な手放し」は「含んだ上で超える(Transcend and Include)」という発達的なプロセスであり、統合と同じ方向を向いていると論じます。一方で、向き合うべき課題から逃避する「スピリチュアルバイパス」は退行につながる可能性があると指摘。最終的に、発達と幸福は単純に比例しないとし、複雑さの中にいるからこそ感じられる深みのある幸福について考察します。

00:00
Good things starting now. Settling will show youhow.
Take a breath and enjoy the sound.
たゆたう探究ラジオ、今日もお付き合いください。
今日は、僕がずっと考えてきたことについて話したいと思います。
手放しですね。テーマは手放し。
手放しというワーク、自分のネガティブなものを手放すとか、
囚われを手放すとか、あのワーク、知っている方は知っているという、そんな感じだと思うんですよ。
例えば、セドナメソッドとか。
あれもネガティブな感情を解放するタイプのワークと言えますね。
「手放し」と「統合」:二つのアプローチ
ネガティブなものを手放して、本来の自分に戻りましょうというアプローチですね。
一方で、こういうワークもあります。
それは複雑なことを複雑なまま十分に体験して、味わい切って、その先に交互があると。
つまり、ただ手放すんじゃなくて、むしろ深く入っていくことで、
より成長した自分が立ち現れてくるというアプローチです。
僕はというと、この二つで真逆なので、真逆だからこそずっと興味持ってきたんですね。
以前は、この二つの違いをこんな風に理解していました。
手放しというのは、マイナスとか引き算、ある種の上昇と下降で言ったら下降なのかなと。
下降と言っても、これは原点に帰るとか、原点に立ち帰るとか、本来の純粋な無垢なゼロに戻るとか。
これも大切なことですよね。
一方で、交互する方は上昇なのかなと。
上昇というのは、いろんな経験をする、味わい切ることで、より複雑で豊かな自分へと進化していく。
この上方向と下方向で、矢印の向きは逆なんだけど、どちらも人間にも必要なことだと。
でも、最近ちょっとこれとは違う見え方もしてきたんですよね。
それが、今日話したかったことです。
何にせよ、タウタウ探求ラジオですから、探求しながら手探りで話していきます。
ここで一つ、成人発達論という考え方を考えてみることにします。
成人発達論、これは大人になってからも人は発達し続ける、成長していくんだぜという理論ですね。
子どもたちだけじゃないですね、成長するというのは。
子どもの発達だけじゃなくて、大人にも発達があるし、発達の段階もあるんだと。
で、じゃあ発達って何って言うと、ものすごくシンプルに言うと、単純な物の見方からより複雑な物の見方へと移っていく。
シンプルにしか物事が見れなかったのが、より豊かに繊細に深く複雑に理解することができるようになっていくという発達なんですね。
例えば白か黒か、いいか悪いか、というふうにしか見られなかった世界が、いやどっちもあるんだよなというグレーが見えるようになっていく。
白も黒もそれぞれ立ち位置が変わると言い方も言い分も変わる、それはそうだよなというふうにグレーが見えるようになると。
さらにはそのグレーの中にもいろんなポジションがあるのかなと、無数のグラデーションがあるということがだんだんわかってくる。
要はそうやって僕らは世界の複雑さを変にシンプルにせず、その複雑なままに受け止められるようになっていく。
これが発達とされています。
成人発達論から見た「発達」とは
そこからすると、その観点からすると、手放しというのは何なんでしょうね。
手放しというのもある意味、複雑なものから単純なものへと引き算していく、そぎごとしていく作業じゃないですか。
その時の自分にとって余計なものを取り除いて、どんどんシンプルな本質に回る。
これはこれで良さげですよね。
でもここで面白い問いが生まれちゃったんですよね。
ひょっとして手放しってやつは、発達の逆さま、発達の逆をやってるんじゃないかと思ったんですけども、ちょっと待ってくださいと。
ちょっと待ってくださいというのも、自分で突っ込みたいと。話はそう単純じゃないんですね。
ここで大事になってくるのが、含んだ上で超える。
これをトランステンドアンドインクルードって言うんですね。
これはケンウィリバーという人が言った言葉ですね。この人は思想家でもあるし、発達心理学者とも言えるのかな。
トランステンドアンドインクルード、含んで超える。
含んで超えるっていうのが結構大事なんですよ。
例えば子供から大人になる時に、子供の頃の自分を捨てて大人になるわけじゃないじゃないですか。
子供の頃の感性も無邪気さも全部内側にちゃんと含んだままでも、それだけじゃない、より広い視野とか深い視点を持った大人になっていくわけじゃないですか。
あれが含んだ上で超えるっていう健全な態度。これがウィリバーが言ったことだと思うんですよ。
ここからが僕の仮説でもあるんですが、
健全な手放しって、実はこの含んだ上で超えるっていうやつをやってるんじゃないかと思うんですよ。
どういうことかというと、手放す時にまずその手放す対象をちゃんとこれかっていう風に見るんですよ。
ちゃんと見ること、理解することを虐待化って言いますね。主体虐待の虐待だってことですね。虐待化する。
虐待化なんでするのって言うと、虐待化する前までは自分がそれに巻き込まれちゃってる状態。
煩わしい思考とか感情とか解釈に巻き込まれちゃってる状態から、それをこういうことにとらわれていたのかってね、
「手放し」は発達の逆か?「含んだ上で超える」という視点
1個引いてそれをこれかっていう風に対象化してみることができるようになること、これを虐待化って言うんですよね。
こんな風に自分はこういう観念にとらわれていたんだなとちゃんと認識すると。
認識する、そして理解する、その上でそれとは距離を置いて、そうまさに手放していく。
これってよく見るとね、かくんだ上で超える。成長そのものなんですよね。だからちゃんと理解した上で超えてるわけなんですから。
以前の僕は手放しをゼロに戻っていくっていう感じで、下向き矢印と統合を上向き矢印だと思っていたんだけども、
結局手放しっていうのも上方向に向かっていく、つまり統合に向かっていく成長なんですよね。
ゼロに戻るっていうわけではなさそうだぞと。どちらも同じ方向、つまりより複雑で豊かな自分へと発達しようとしていると。
すべてをマイナスしてゼロになって、そこからのインスピレーションだけで生きていくというよりも、
複雑なものもあるけれどもシンプルに見れるよねっていうふうに、いろんな見え方がそぎごとされずにちゃんと携えた上で成長していくと。
そんな感じかなと最近は思っています。
じゃあ何が起きちゃうと成長の反対、つまり対向。対向っていうのは先祖返りじゃないけれども落ちていくというのか、対向現象とかいう言葉がありますけどね。
何があると対向、すなわち後ろ向きになっちゃうのか。
ここで出てくるのがスピリチュアルバイパスっていう言葉があるんですよ。
スピリチュアルバイパスって何でしょうか。
バイパスっていうと回避するとか迂回するっていうことですね。
交通機関だとバイパスっていうのは便利ですよね。
周り道せずに最短距離で突っ切れちゃう道があったらそれバイパスって呼んだりしますよね。
でもスピリチュアルバイパスってそうじゃなくて心理学の言葉なんだけども。
スピリチュアルな実践をするんだがそれを使って使っちゃうことによって実は本当は向き合うべき自分の課題を回避しちゃう迂回しちゃう。
それを指してるんですよ。逃げちゃうんですよ。
例えば職場での人間関係が辛いとかあるとしたら本当はその辛い感覚と向き合って
何が自分のこの辛さを作っているのかなってちゃんと自分の中を見てあげなきゃいけないんだよね。
何が起きているのかなって理解する必要がある。それこそがさっき言った自分の中で客体化するとかね。
これまで悩んでいた感覚そのものを手に取って見つめてあげるとか。
でもそれをせずに手放します。宇宙に委ねますって言ってやっちゃうと多分それが何かが理解できないまま手放しちゃうからこそ課題そのものを遠ざけてしまうと。
よくわかんないまま遠ざけちゃうと。これやるとどうなるというかというとね。
しばらく確かにしばらくというかその瞬間楽になるんですよ。だって辛いことから離れちゃうわけですから。
でも何が起きちゃうかというと結局自分にとって手に負えないようなその課題またその課題が自分にやってきたときにバイパス癖がついている。
つまり逃げ癖がついているからその原律に向き合うとかちゃんと適応していくんじゃなくて無意識に避けるようになる。見ないようになる。
その世界から姿が消えたように見えるこれこれなんかあるじゃないですかね。
自分の何か波動が変わったらバイブレーションが変わったら嫌なことが起きなくなったとか嫌いだった人がいなくなったとか言っちゃうけど。
えーひょっとしてそういうのってあれかもね。
回避したから逃げているので自分の現実認識ができなくなっちゃって見えなくなっちゃっていくと。
周波数が合わなくなって消えていくという表現をする方もいらっしゃるしひょっとしたらそうかもしれないけどでもこの理論成人発達論的に考えたらね。
スピリチュアルバイパスという受け取り方もできるのかなと原律に適応できないからそれから逃げちゃう。
逃げちゃうので見えなくなっちゃう。
結果自分の得意なことだけあって苦手なことを避けるっていうことが出来上がっちゃう。
一見うまくいっているように見えるんだけども実はほら避けてるわけだから人生で最初いろんな選択肢があったのに苦手なことをなんとなくバイパスして避けてるもんだからだんだんできることのゾーンが狭くなっていく。
どんどんどんどん行動の選択肢が狭くなっていく。
結果として人生の選択肢も狭くなっていく。
これはなんだろうな心理学的な発達の言葉で言うとプレパーソナルって言葉があるんですよ。
パーソナルっていうのは自分を確立することなんですよ。
自分らしさとかね。
トランスパーソナルっていうのはその自分さえ超えてより拡大していくっていうこれも成長なんですがプレパーソナルっていうのはその手前。
自分が自分であることをできる以前の自分を確立する以前の赤ちゃん帰りの状態に近づいていくこれがプレパーソナル状態。
まあまあでもとはいえ赤ちゃんに赤ちゃんの純粋さとか無邪気さがあるじゃないですか。
それはそれで美しいし尊い。
でもでもそれは実はねトランスパーソナルで果たすべきことかもねっていうのはそのありこれややこしい複雑さをちゃんと含んだ上で超えていく。
そしたら物事っていろいろあるけども一つでいいんだな。
結局一つなのか。
穏やかな一つに見える見えなくなったものはない。
ちゃんと全てがそこにある。
その上ででも一つなんだよねって静かに思えるような深さ。
つまりはそれって複雑さを超えた上でのシンプル。
でも本当に赤ちゃん帰りしちゃったら複雑さが理解できないから見えなくなっちゃう。ないことになっちゃう。
そういうことなんじゃないかななんて思ったりしたんですよ。
なのでねちゃんと含んだ上で超えていくとどうなるかっていうと。
退行につながる「スピリチュアルバイパス」
自分がこれまでどんな囚われとか思い癖とかいわゆる観念に観念に囚われていたのかをちゃんと観察できて。
そう観察できて。
で理解してそこからスペースを空ける。
ちゃんと自分との間の距離を作ってあげる。
でも捨てるんじゃなくて自分にはこういう弱さもあるんだなこういう痛みもあるんだなこういう側面もあるんだなと認めた上で。
でも僕はこれだけじゃない私はこれだけじゃないよねって他の選択肢も見えるようになってくるそう見えるようになっていく。
だから他の選択肢も検討できるように選択肢が広がっていく。
だから自分の中にある様々な自分たちこれをなんていうのかな副人格って呼んだりサブパーソナリティとかパートとかパーツって呼んだりするんですが。
それをそんないろんな自分たちを理解した上ででもこれが自分だからこれもこれらも自分だからいていいよ。
これも自分だもんっていう風に言ってあげるとこうでホールドできるんですよ。
ホールドっていうのはちゃんとそこに抱きしめたままでいるというのが主に入れる自分と一緒に入れる感じこれがホールドって言いますけどね。
だからその弱さとかなくしたいものを切り捨てるんじゃなくて全部持ったままでもどれかに極端に巻き込まれるんじゃなくてこんな自分がいるんだなみたいな俯瞰してね見ていられる目を持つ。
そうすると自然に僕らって統合に向かっていくんですよね。
あるものをあるがままに置いておくと複雑さを越えてだんだんと含んで越えていくっていう流れが生まれてくるので。
だから何もこう無理やり手放さなくてもちゃんと見て理解して距離を置けば自然と新しい見え方とか新しい自分の状態になっていく落ち着いていくこれかななんて思うんですね。
最後に一つだけお話ししておくと成人発達論でもよく言われてることなんですがあれなんですよね。
発達段階が上がることとつまり成長することと幸せ幸福になることは単純比例はしないんですよ。
単純に比例しないんですよね。
だって物事の見え方が複雑になるつまり複雑なことがわかるようになっちゃうということは以前のように知らんぷりできなくなっちゃう。
以前のように物事をシンプルに見れなくなっちゃう。
以前のようにこれこそが正解なんだって単純に言い切れなくなっていく。
これってなかなか不便なところもあって安定的なことがだんだん言えなくなっていく。
身に覚えがある人もいると思うんですよ。成長とか発達って普通に起きてくるから今までだったら自分のポジション立ち位置考えてるのがシンプルだったんだが最近迷いが生まれてきたりとかないですか。
物事にいろんな見え方があること人の気持ちにもいろんな側面があることがわかってきたらこの人が正しいあの人がダメとか言えなくなっちゃって。
あれ前より迷うことが増えちゃった。言い切れなくなっちゃった。優柔不断になっちゃったとかないですか。それ実は成長してるんですよ。
物事がいろんな目で副眼的に見えるようになればなるほどでもこっちから見ると違う景色なんだよねとわかっちゃうじゃないですか。
それはある意味しんどいですよね。しんどいですよね。
でもこう思うんですよね。本質的な幸せってなんだろうなって考えた時にやっぱりより多くのことを受け止められる自分とかより多くのことをちゃんと理解できる自分になっている。
この世界に対して単純化じゃなくていろんな見え方多様な見え方ができるようになっていく。そしたらなんだろうな正義だ悪だとかあいつが悪い俺が合ってるとか減るんじゃないかなと自分の人生からもね。
その上で感じるだからこれがいいんだとかね私としてはこれが大事にしたいななんていう幸福があればそれって表面的なポジティブシンキングではない全然違うもっと深くて豊かなものだと思うんですよね。
もっと深くて豊かな幸せがあるのかななんて思っちゃうんですよ。
まあ我々はこの複雑さの中にいるからこそ感じられる厚みがある幸福というのか深さというのかしみじみというのかしみじみのある幸福というのかそれが今なんか僕自身が今成長という言葉の向こう側に見ているものかなということです。
というわけでまあ今日は手放しとその成長の違いについて僕なりの探求の実況というのか報告をしてみました。
リフタウ探求ラジオ今日聞いてみていかがだったでしょうか。
またこんな風につぶやきたいなと思います。
よろしかったらお付き合いください。
栗滝でした。
19:17

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