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東京ミュージック・ラブミュージック・トリビア、明日から使用できます。
ケイ、エイロー・スミッド知っていますか?
もちろん、知っています。
ヴォーカリストの名前は知っていますか?
うーん…
音楽的な理由を知っていますか?
知っています!
日本のたやきが好きで、コンサートの前に食べていることは知っていますか?
何?
毎週金曜日と火曜日の通常放送と、
毎週日曜日のチャットセッション東京バックステージです。
東京ミュージック・ラブのポッドキャストアプリを探してください。
忘れないでください。
たくじと歩く、25分。
えー、春田の緑洞公園を進みまして、
ゆりがおか入口の交差点、勝田橋を越えて、
今、あの、県道の68号、福岡、田崎線と井の川の右側にあります遊歩道を歩いております。
春田のバス停です。
もう、バス停3つ分歩きました。
勝田のバス停が先ほどあって、今通り過ぎたのが春田のバス停ですからね。
わかりやす。緑洞の案内わかりやす。
井の川の船石橋を今通りまして、緑洞の風岩に来ました。風岩です。
今日ね、なんかね、私言葉が少ないね。
行き先も目的も決めず、
坂口拓司さんの気の向くままに歩く25分間。
拓司と歩く25分。
何を見つけ、何を話し、誰と出会うんでしょう。
さあ、今朝も拓司さんのお散歩について行ってみましょう。
おはようございます。坂口拓司です。
おはようございます。香月香菜です。
今日の拓司と歩く25分は、今存在したならば、
貴重な泥箱路線だったろうというふうに言われている
旧国鉄勝田線の跡を歩きます。
旧国鉄勝田線は石炭の運搬と海八幡への参拝客を運ぶために
筑前産運鉄道として、大正7年1918年、
海筑前勝田間が開業しました。
翌年、延伸開業しまして、昭和17年、1942年、
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後の西日本鉄道となります博多湾鉄道基線を併合して、
さらに五車合併、九州電気軌道博多湾鉄道基線を含む
五車による合併で西日本鉄道となります。
昭和19年、1944年に国有化されまして国鉄になって、
国鉄の再建法に基づいて昭和60年、1985年に廃止された路線です。
ここね、もう周辺の福岡市が人口が爆発的に増えているじゃないですか。
どうなっているか、周辺がどんどん人口が増えているんですね。
海町現在人口がおよそ3万7000人いらっしゃいます。
福岡市のベッドタウンになっておりまして、
町の南側、塩寺山、ハイキングコースとして人気がありますし、
東側の三軍山、福岡県の登山マニアには有名な山ですよね。
この周辺には団地が開発されましてね、
だからこの団地にお住まいの勤め人を福岡市に向けて運ぶという
将来が見えていたら廃線なんてことにもならなかったでしょうし、
自由運転もできたっていう。
ここがね、勝田駅の跡地っていうのはUホームになっておりまして、
ずいぶんやっぱり大きな駅ですね。
この跡が駅だと考えると。
ホームは間違いなく2つ以上あったと思います。
すごいですね。
U歩道がありまして、
そちらのU歩道沿いを歩いていくわけですけれども、
ここはU歩道はこっちになるのかな?
こっちか、こっちか。
なかなかね、上に上がるの登り嫌だね。
先週、白糸の滝で登りで嫌っていうふうになりまして。
ちょいと疲れましたね、あれはね。
雨が降ってたじゃないですか。
雨に打たれたらね、相当体力は消耗するもんで。
降ってるうちは全然大丈夫だったんですね。
そうなんですね。
この宿前勝田駅、勝田郡の海町にありますけれども、
春田緑道公園という公園に今なっています。
福岡方向に今歩いています。
地名では海町の春田五丁目、
はらださんと書いて春田っていう、
半島の発音の影響が強く出ている発音の仕方なんですけれども、
市民の憩いの場の公園であります。
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やはり熱中症警戒アラートが出るような日は、
誰一人おりません。
猫一匹出ておりません。
猫も涼しいところを選んでいると思います。
県道68号、福岡太宰府線と、
隣にあるのは井の川っていう川なんですけれども、
この間にある公園ですね。
風が吹いてきて、いい感じにはあるんですけど。
勝田駅という名前は、今では橋の名前と、
バス停の名前に残るだけでありまして、
交差点の名前はゆりが丘入口ですね。
筑前勝田駅は貨物の駅として、
大正7年、1918年に開設をされました。
大変大きな駅だったんでしょう。
鉄道というのは、石炭を運ぶために、
福岡県の鉄道というのは、実に細かいところまで路線が走っていました。
福岡では18世紀頃から、本格的に石炭が採掘されるようになりまして、
明治の初頭には筑豊地区で採出しました石炭。
全国に運ばれるようになりました。
農型伊豆川地方の石炭は、川平田というふうに呼ばれる、
船底が平らな木造船で女川を下って、
主に足や一部は若松に運びました。
この川平田、鉄道の開通前は筑豊では5000石以上、
ピーク時には7000石いたという記録がありますね。
女川とか、これ、遊歩道は一応ここでしょうね。
こちらが遊歩道ですか?
あっち?あっちですか?
今日はね、迷うね。迷いがありますね。
あ、そうか。迷いがあった。浴堂はこちらだ。
浴堂は整備されてますね。
砂利を固定化したような舗装のところが遊歩道になっているわけですね。
これで区別ができます。
川平田7000石ピーク時にはいたんですけれども、
女川とか堀川は船でびっしりだったということなんですけれども、
鉄道を作る時にこの皆さんが反対しましてね、
だから鉄道は結局コースが変更されて、
若松に石炭の列車が往来するようになりまして、
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昭和28年、1953年、若松は日本一の貨物取扱数の駅になったんですね。
そんな歴史があるんです。
で、こちらは女川ぐらいの川がありませんから、
井の川が今ありますけれども、小っちゃいですね。
だから規模があまりない、川平田も通れない感じだから、
主には鉄道へという形になったわけです。
鉄道というのは志が高い方が巨額を投じて作るものですけれども、
網の目のように線路が張り巡らされたこの福岡のエリアというのは、
正確な時間で運行してくれる鉄道は、
炭鉱の経営者が日本の近代化という使命を目的に建設したものというのはわかりますよね。
ありがたいことであります。
遊歩道をゆっくりと歩いておりますが、
今日、あ、つくつく帽子か。
つくつく帽子は、もうこれは夏の終わりだね。
情緒としては夏の終わりですね。
日暮らしとかね、音を聞くとなんか、
おかちな話がありますね。
井の川の向こうは大型の大規模な団地なわけですけれども、
この団地も高齢化問題があるわけですよ。
ちょうどもう開発されて、
住宅のローンが支払い終わった60代の皆さんとか、
これから増えていきますから、
だから公共交通機関の問題というのはありまして、
病院行くのに、さあ何を乗っていくのっていう、
日鉄バスがあるからね、まだ。
割と頻繁に。
だから、けがの巧妙って言ったら失礼な言い方かもしれませんけれども、
鉄道がなくなったんで、西日本鉄道のバス路線が充実してるから、
そのあたりは大丈夫なんじゃないかなと思いますね。
遊歩道もこれは立派だね。
立派ですね。
これ、いわゆる四線路の幅、
おそらくはこれ複線だったんじゃないかなと思いますね。
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筑四線の時に街中歩いたじゃないですか、
ベフとか六本松とか、
バイ公園のところを通りましたけれども、
遊歩道ができてましたが、これほど広くなかったでしょ。
これは狭かったですもんね。
相当、だから都市部においては、
だから、用地買収もなかなか進まなくて、
ギリギリで線路は設計されていたっていうのがよくわかりますね。
でも、すれすれで電車が通ってたの?
客車に乗ってたら、洗濯物が見えたとかね、
洗濯物に触れる感じだったっていう話は聞いたことありますからね。
遊歩道は、ここはセメントかな?コンクリートかな?
石畳風に敷き詰められておりまして、いい感じですね。
これもひょっとしたら、もともとの色は焦げ茶?
焦げ茶でちょっと色が剥げて、
ライトグレーになっているって感じです。
一般住宅の中を、
黒鉄の線路があったっていうのがよくわかります。
ちょっと舗装の具合が、コンクリートに変わりましたね。
石畳風ではなくなりました。
ふさかりしてますね。
そうですね。
ちょっとサボるとね、わしわしになりますから、
わしわしになったところに虫が元気にやってきたりして、
大変なものでございます。
増援業の方は、今、
大変なものでございます。
まあ外での仕事っていうのは、
この熱中症警戒アラートのときも大変でしょうからね。
2リットルぐらい水分とるんじゃないでしょうかね。
2リットルって言わないですからね。
そうですね。
2リットルぐらい水分とるんじゃないでしょうかね。
2リットルって言わないですからね。
そうですね。
もう少し来ましたら、今度は、
この遊歩道が川の裏側になるのかな。
そういう風になるんじゃないかなと思います。
先ほどの案内図ではそうなっておりました。
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春田のバス停です。
もうバス停3つ分歩きました。
短い間隔でバス停ありますね。
だからね、高齢の方とか考えてるじゃないですか。
かつたのバス停が先ほどあって、
今通り過ぎたのが春田のバス停ですからね。
ありがたいですよ。
わたし田舎で育ちましたから、
育った後半はフリーバスでしたね。
上げたら止まるんですよ。
こういうフリー区間っていうのがあって。
これはね、ありがたかったですよ。今思えば。
もう今はそうじゃないかもしれませんけど。
よくわかりませんけどもね。
ホームと線路のように遊歩道に降りる階段には、
枕木、コールタオルが使われるものも使われてたりします。
さあ、ここでおそらく変わるのかな。
これ車道しかないところになりますからね。
車道がなくなると少しは静かになるのかもしれません。
だからなんで勝田線が廃線になったかっていう。
これはタイミングで仕方がなかったことなんですけれども。
例えば、私鉄の場合は大規模な住宅の開発をして、
鉄道を敷いて、そこで回収していくっていうパターンが昔からあるんですね。
東急の例えば東急とかね。
そういう住宅開発とセットで。
あ、わかりやす。緑道の案内わかりやす。
一瞬途切れたと思ったんですけど。
井の川の船石橋を今通りまして、緑道のウガンに来ました。
ウガンです。
今日ね、なんかね、私言葉が少ないね。
言葉が出ないね。
いやいや、っていうかね、熱中症でしょ。
ひょっとしたら警戒アラートに負けたのかもしれませんね。
よくわかりません。
今日はね、やっぱり強烈ですね。
今日すごいですね。
なんでしょうね。湿度が伴っているから。
そんな感じしますね。
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カラッとしてない。
どうしたのかっていう。
原田の緑道公園を進みまして、大手スーパーなどを通り過ぎましてですね。
原田4丁目の百合ヶ丘入口の交差点、勝田橋を越えて、
今、県道の68号福岡田沢線と井の川の右側にあります遊歩道を歩いております。
これでね、どういう感じになるのか。
今日はさっぱり。
いや、ずっとじゃないっていう話もあるんですよ。
なんでしょうかね。
4キロぐらいはあるよっていう話を聞いたんですけど。
さらっと聞いたんですけど。
だから散歩コースでいいんだよっていう話はね。
ちょっと今日は事前に聞きました。
モニターしております。
モニターしている割にはね、なんか下調べがいい加減っていう感じ。
しょうがないですね。
夏場ってね、あれだよね。
労働意欲がそがれるよね。
だから夏休みがあるんでしょうけどね。
もうこれぐらいにしとこうっていうのが、
大体これぐらいにしとこうっていうのがあるんですけど、
これぐらいにしとこうのその浅さがね、
もう冗談じゃないっていうくらいの浅さになりますね。
まあいいかって。
でも私はそれをいいと思ってるんです。
そうですか。
人としては。
そうね。
2本目とか大体そうなるよね。
3本目とかなるし、4本目とかもう投げやりな感じでしたよね。
唐津海道4本撮った時とかの4本目。
ディレクターとしても4本撮らない方がいいなと思ってます。
なるほどね。
2本か3本であれで気力があるし。
質のいいものを。
オンエアで反省会してるって。
そうそう。
ここもだから、この場所もレールの幅でしょ?
広くなりましたね、レールの幅が。
結構あったんでしょうね。
ここ終点なんで。
だから控えている列車もあるでしょうし、
貨車も当然あったはずだから。
スタンバイするね、線路もレールもあったはずだから。
ここはこっちでしょ?
こっちですか?
こっちだと思いますよ。
分かりませんね。
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二股に分かれてますね。
二股に?
こっちはでもトラックとか。
ぽくない。これは道路っぽい?
そうですね。
緑道っぽくはない。
つまり緑道っていうのは歩行者しか通らないようなところですからね。
なるほどね。
この窓でもありますよ。
すごいな。
井の川の右岸にある遊歩道を歩いております。
名前が変わりましたよ。
塩地坂緑道公園という公園に変わりました。
小出川浦橋を上がったところから、
この緑道公園が始まっております。
巨大な塩地坂の一個建てのエリアの下にある
新興住宅地が右側の丘の上に広がっております。
見えます。見えます。
左側は春谷町名。
遊歩道を境にして右側は塩地坂ですね。
なんかちょっとやっぱ性質が違いますね。
お家の。
家としたりは。
早い。
今日の歩数発表しますね。
それでも歩いてますよ。
今日1861歩。
1861歩。
距離が1.27。
1.27。
カロリーが74.8キロカロリーでした。
ということで国鉄の勝田線の跡地を歩いております。
なんか自由な感じがいいなっていう。
何か歌ってらっしゃるんでしょうね。
聞こえてまいりました。
今週はこの辺で。
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たくじと歩く25分。
今日はここまで。
来週はどこを歩くんでしょうね。
今日も皆さんにとって気持ちのいい一日になりますように。
ではまた来週。
日本のたやきが好きでコンサートの前に食べてるの?
何?
毎週金曜日と火曜日の通常放送。
週末に東京バックステージのチャットセッション。
東京ミュージックラブやポッドキャストアプリを探してね。
間違えないでね。
ではどうぞ。