1. タクジと歩く25分。
  2. 若戸渡船に乗り若松へ③最終回..
2024-09-16 26:33

若戸渡船に乗り若松へ③最終回/若松南海岸通りを歩く/.wav

若戸渡船に乗り若松へ③最終回/若松南海岸通りを歩く/■出演:坂口卓司、明光院昌子(D)、末長由美(タイトルコールなど)(20240916OA)
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00:02
東京ミュージック・ラブミュージック・トリビアを明日から使用できます。
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タクジと歩く25分
行き先も目的も決めず
坂口タクジさんの気の向くままに歩く25分間
タクジと歩く25分
何を見つけ、何を話し、誰と出会うんでしょう?
さあ、今朝もタクジさんのお散歩について行ってみましょう。
おはようございます。坂口タクジです。
おはようございます。病康院まさこです。
タクジと歩く25分
この番組はリサーチなし、打ち合わせなし、台本なし、
インタビューなし、グルメリポートなし、編集なし、
反省会なし、予算なし、8つのなしでお送りしております。
今週は北九州市戸端区のJR戸端駅から散歩を始めて3週目になります。
今、北九州市若松区の南海岸通りに来ております。
筑豊丹田の石炭の積み出し工として栄えた、
時代に建てられた建物がいまだに現役で使われておりまして、
王子を忍ぶレトロな雰囲気に町全体がなっております。
同海湾沿いの歩道はきれいに整備されまして、
観光案内板などもありまして散策しやすい街並みです。
はい。
病康院まさこさんと私がおりますのは、すごいですね。
ここは同海湾を望むベンチが今6台あるですね。
これは。
素敵なスポットですね。
築き出た。
これはデートスポットですよね。
海にデッキのようになっていて。
ウッドデッキですよね。
そこにベンチ、木のベンチが。
そうですね、木製ベンチで。
平日ですから誰もおりませんけれども、ここはいいね。
これきっとね、また夜は少しライトアップなんか、赤戸橋ながら。
そうですね、もうありますし、戸端の集合住宅もあれば、
ずっとこれ、山の上の方まで北九州の街っていうのは開発されて、
住宅地が多いですから、
だから100万ドルの夜景っていうのはサラクラ山からの眺めを言いますけども、
逆も当然あるわけで、
北側から南側に向いたときの夜景みたいなものも、
03:00
おそらくは楽しめるんじゃないですかね。
このベンチがあります公園は、名前はついてるのかな。
ちょっと待ってくださいね。
ここにプレートみたいなものがありますから、
若松湖地供関連施設群の若松南海岸物揚げ場。
ここで物を揚げてたんだ。
昭和初期。
石積みですね、確かにね。
だから石炭関連の会社の事務所が立ち並んでるわけですね、北側にね。
なるほどね。
作家、日野足平の父、玉井勤吾郎が明治34年、1906年に設立した石炭の
二役浮世絵業玉井組の事務所もこの背後にあったという、
北九州市公安空港局のプレートですね。
土木遺産になってる。
土木遺産になってる。
これもまた立派な旧古川工業若松ビルです。
大正8年、1919年の建築で、近代建築の建物の中でも
当時の姿を留めて華やかな外観を持っています。
レンガ作りの2階建てですね。
1階部分の天井高も高いんで、3階建てぐらいに見えるんです。
ほら、横にちょうど集合住宅あるじゃないですか。
ここの2階の天井の高さと横の集合住宅の3階の天井あたりの高さがほとんど一緒っていうことは、
だから3階建ての高さを2階で建築してるから、だから洋風なんですよ。
レンガ作り2階建てのルネサンス様式の建物です。
前の方、前面と側面の道路の高さを強調する塔っていうのが配置されました。
塔がありますね。
大きな何か煙突のような塔ですね。
アート作品のような。
堂々とした風格です。
建物の平面は変形の四角形で、海岸通り側ともう一方の交わる道路側に向いて、それぞれ建物の中央に玄関を持ってます。
玄関が複数あるっていう。
角っこにあるし、南側にも玄関があるっていう。
なるほどね。
レンガの柱形とその間の3連の窓を覗き込む。
確かにガラスの窓は3つありますね。
石造りの部分が垂直の流れを強調して、全体の形を美しく調和させているという。
美しい。
すごいですね。これは国登録の有形文化財建造物と。
塔の部分の明かり窓もミントグリーンというか、抑えた緑色で、この緑色が茶色と合うね、レンガの。
06:03
綺麗ですよね。
平成16年、2004年の9月に保存改修工事をして生まれ変わったと。
夜はライトアップもされると。
そうなんですね。ますますこの木製ベンチに座っていたら。
しばらく時間経つのを忘れて。
土船の時間がなくなって、さあどうしようっていう。
大人の時間。
どうしますとか言って。
もう最終列車とかね。最終の土船は割と早い時間だと思いますんで。
何を言ってるんでしょうか。朝の5時から。朝の5時だよ本当に。
ここは道路を挟んで車道の向こう側に大正ロマンの建物があるわけですね。
横は唐揚げ店があるみたいですね。
これは石炭会館。
名前も当時のままなんですね。
直球ですね。
その中を。
これはコンクリートモルタルですかね。
すごいなあ。
右側には唐揚げ屋さんがあって、カフェ形式の。
中はクロワッサンと書かれているってことはパン屋さん。
石炭会館。株式会社と書いてある。
昔のものですね。
そのままを残しつつ。
明治38年、1905年建造。木造2階建て、モルタル塗りの仕上げ。
若松区内で最古の現存洋風建造物と。
若松石炭商同業組合の事務所として建造されて、石炭の中継積み出し工として栄えた若松の歴史を現代に伝えるものであると書かれてあります。
本町町名13番にある。
今風ですね。
もう一周回って、だからモルタルも今っぽいモルタルじゃなくて、古いモルタルが一周回ってきれいな感じになると。
CAバスの若松南海岸通りのバス停を今越えております。
若松港湾合同庁舎の前を今歩いております。
ここにはハローワーク若松も中には入っているということですね。
これはまた木造の建造物で、なんだこれは。
ちょうどバスが来ましたね。
バスが来たからって言って乗るわけじゃないんですけども。
なんか目に入ったものを喋るっていう癖がついてます。
09:01
すいません、申し訳ございません。
あ、停まりましたよ。気になっている建物前で。
あ、出た。先ほど申しました。
これは多枚組事務所跡。若松が生んだ芥子小作家日野足江の父、多枚金吾朗と母万が明治39年、1906年に設立した石炭二役請負業、多枚組の事務所があったところです。
花と竜とかね。昔よく先輩がカラオケで歌っておりました。
花と竜っていう。
この主題歌でしょ。
そうです。いい歌なんですよね。
その左には神社がありまして、これはどう見ても五福島神社って書いてありましょうね。
はあ、分支されてるんですかね。
驚きでございます。
で、歩道を渡って弁財店前の信号を渡ってちょっとだけ戻りましょうか。
私たちの番組で戻るっていうのは滅多にないんですけれども。
ここも二役というか、陸上げするときにいい感じの石炭ですよね。
本当だ。
大正10年。
すごい。
5月吉日って書いてありますから。
大正10年5月からここにずっとある石炭でここで積み出し、ここに船をベタ付けして重たいものをあげていたんでしょうね。
だから当時ですから船団で、平他船とかね。
だから筑豊丹田の方から運んできたものをここで石炭を陸上げしてたわけですよ。
すごいですね。なんか歴史が。
あるね。この木造の建物は国鉄時代の駅舎ぐらいのサイズですけれども、
旧ゴンゾ小屋。日本一の石炭積み出し工として栄え、近代化させた町若松。
だからゴンゾというふうに、労働してた人を言って、明治大正にかけての最盛期は若松だけでも4000人近くが活躍したという。
肉体労働をする人たちのことをそういうふうに呼んで、その人たちが集まっていたこれは。
だから事務所ですよね。船が近づいてきたぞというふうに誰かが言ったら、ゴンゾさんたちが外に出て。
ここの横の石積みのところから。
そこをくつろいでてるときはご飯食べたり、あるいは仕事終わったら酒でも飲んだかもしれません。
12:00
弁財店、小陸町とかいう。
ここがバス停になってるってことです。待合所に。今ここ違うのかな。
どうでしょうね。場所が。
お客様みたいな方がいらっしゃったから。
休憩所になってる。利用者にご案内というのがありましたね。利用時間もちゃんと決まってて。
朝の9時から夕方の5時まで。1日から8月の31日は夜の7時まで。
これ北九州市公安局の管理だから。
バスと直接的には。
休憩してもいいよみたいな。港見ながら。
いいね。
そうか。知らないことばっかりですね。
石炭会館行ったでしょ。旧ゴンゾウ小屋行きましたよね。
レトロ調の休憩所でした。
平成8年、1996年に建て替えられたっていうことですけども。
昔の雰囲気を残してるんでしょうね。わざとね。
弁在天前の信号を西に向かって歩いております。
これ延長線上というか、このまままっすぐ行くとJRの若松駅あたりに着くんだと思いますけども。
さあどうなるでしょうか。
ここの道路は道幅が広いね。
片側が2車線で、向こうも2車線、4車線ですね。
とにかくこの南海岸通りというのはバンドというふうに言われてて。
とにかく港町は海岸に近いところはベルト状に栄えるっていうんで。
ここはね、今茎の浜ニュータウンからずっとウォーターフロントの整備を進められて、
先ほど言いました旧ゴンゾー小屋の整備などでも一区域に着いたわけですけども、
散策の場所として歩行者の空間がちゃんと確保されてるから、
これ私たち今歩道を歩いてますが、
あちらから来る方とぶつかることはない幅、8mほどありますね。
広いですよね。
ゆったりしております。
横にタグボート風の船が先ほど進んでいきましたけども、
もうすぐそば港ですから、こんなとこがあったのね。
知らなくてごめん。
向かってみないとやっぱりわからないものですね。
来てわかったなっていう感じです。
15:01
西に向かって歩いております。
北九州市立若松図書館とサンディブが入っている建物が、
右斜め前方に見えてまいりました。
これも続けていきますね。
戸端川と違ってこの若松側は、
割と海の近くまで集合住宅が建て込んでますね。
そうですね。
若戸大橋のところはそうでもなかったんですけども、
この港のあたりから若松駅方向に関しては結構ね、
だからあれ多分集合住宅っていうのは駅の周りから立ちますから、
もうあのエリアだと思いますね。若松エリアはね。
この若松図書館っていうところはすごいね。
スーパーのすぐそばにあるから、
本読みながら勉強しながらもうちょっと買い物して帰られるっていう。
これCAバスの若松図書館前のバス停を歩いているところです。
これは道が右側にカーブし始めましたんで、
この道からはお別れしないと、また若松駅からは遠ざかるんじゃないかなと思います。
これずっと真っすぐ行ったら多分高戸山とかそっちの方でしょ。
この私たちのこのビルの、右手のビルの奥側にありますからね。
今日も雨の予報だったんですけども、
曇りになって晴れになりつつあるっていう。
今までこの妙高院政子の台になりまして、雨に遭ったことがありません。
仙台の勝木かなはいったい雨温度だったんでしょうか。
よくわかりませんけど。
そういうのって結構ありましたね、私たちの業界は。
あの人が来たら雨が降るなんていう。
それがね、結構な確率でそうなりますからね。
嵐を呼ぶなんとかさんとかよくいるんです。
茎の浜団地入口の信号。
これはどうかな。これ崖ですね。
ここ左に曲がったら港のいわゆる道会湾沿いなんですけども、
右に曲がっていく方がなんか大きな道に。
そうですね。すいません。
長いものには巻かれるタイプで大きな道を目指したいと思います。
またいつものように今日も地図を見ておりません。
もう勘で行くしかないんです。
これで行きましたからね。
若松市民会館の第二駐車場の前を今通っております。
どうなることでしょうか。
地図みたいなのありましたよ。
原材地?ここでいい勘してますね。
18:00
勘は合ってましたか?
この大きな道を右カーブしたら若松駅。
やっぱり大きな道。
すいません。
寄らば大地の影。
すいません。私平和主義なんです。
争い事は嫌いなタイプです。
若松駅が見えてきました。
もう目の前です。
近いですね。
平べったい駅だね。
本当ですね。
2階建ての構造じゃないんだ。
石炭の鉄道の輸送から会場輸送へ、
中間基地として重要な役割を担ってきた若松駅。
明治24年、1891年に宿泊工業鉄道によりまして開設されました。
現在随分スケールが小さくなりましたが、
当時の校内は非常に広大で石炭車が多数出入りしていました。
石炭車場は昭和29年、1954年、
茎の浜ニュータウンから藤の木駅近くまで、
面積で言うと35万平方メートル、
北九州メディアドームが10個入る敷地があった。
長い間日本一の貨物取扱いを誇っていた駅であります。
今はこういうふうに地味な感じになりますが、
石炭産業豊かな頃はものすごい広大な駅だったということですね。
昭和15年、戦前ですよ、1940年、
最盛期には年間で830万トンの石炭が積み出されたと言われています。
ほぼ常時、貨物の取扱いが最も多い駅だったと。
ですから、この若松駅の駅長さんになろうもんなら、
だから旧国鉄時代は大出世という、
肩で担ぎ切って歩いてたというような感じじゃないですか。
すごいですね。
当然、見入りも多いわけでございますから。
エネルギー革命の進展で石炭の取扱いが減少して、
昭和57年、1982年、すべての貨物の取扱いが廃止されまして、
翌年から港内の整理が始まって、今現在に至るということです。
駅に着きました。駅の正面玄関でございます。
これは、川、船、大正、昭和始め、模型までありまして、
だから石炭の歴史みたいなものがコンパクトにまとめられた、
石炭車、見たことあるこれ。石炭だけを積む専用貨車です。
これね、日本国有鉄道、これちょっとだけ見たことある。
21:00
止まってたね。走っているところは見たことないけどね。
なるほどね。モノクロですよ、全部写真が。
それから、和時ではないですけれども、毛質書のこれは、
旗艦区誌という本とかですね、若松旗艦区要覧とか、これ手書きですよ。
コピー機ない頃ですから。そうだよ、コピー機がないんだ。
手書きで写すんだよ。手書きで写すからミスもありますよね。
そうですよね。
ここでチェックする方は大変だったと思いますよ、一時区。
若松区。洗顔機とかある。そうですよね。
これ点検ハンマーって知ってます?知らないです。今初めて見てます。
金属をこれで機関士の方が点検に使うハンマーで、
ハンマーで軽く叩いて緩みで、緩みをチェックしてた。
音の違いで緩みがわかるっていう。すごいですね。
私は体叩いてほしいですよね。緩みだらけ。緩みだらけですからね。
そういうことを言いながら。
坂口散るおっていう風に言われてます。散るな生活してますんで。
歩数1364歩。1364、はい。
そして距離は0.73キロ。0.73、1キロ行きませんでしたか。
カロリー43キロカロリーでした。43キロカロリー、いつもの半分ですね。
戸端駅から歩いて、若戸都線で若松に渡って、
それから若松の港湾のエリア、南海岸通りを歩いてまいりました。
3周に渡って散歩してきましたけれども、いかがだったでしょうか。
今週はこの辺で。
各自と歩く25分。今日はここまで。
24:09
来週はどこを歩くんでしょうね。
今日も皆さんにとって気持ちのいい一日になりますように。
では、また来週。
次回もお楽しみに!
26:33

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