沖縄の戦争報道の特性
こんにちは、たけのむです。またまた黒塩で放送しています。
テーマは、沖縄の戦争報道とメディアの温度差についてです。
今日は、沖縄の戦争報道と沖縄のメディアがリベラルに酔っていると言われることについて、少しじっくりお話ししたいと思います。
皆さん、沖縄のテレビや新聞が6月や8月になると、戦争のトークシューを毎年のようにやっているのをご存知でしょうか。
ひめゆり学徒の証言、ガマの中での集団自殺の話、そして現在の米軍基地問題、
時に重たく、時に怒りを込めて、沖縄のメディアは、戦争と言い間を結びつける報道を続けています。
これに対して本当の人たちの中には、感情的すぎる、いつまで引きずっているのかと違和感を持つ人もいます。
逆に沖縄がうからは、本当の戦争報道派ぬるい、感心なことに触れていないと批判の声が上がります。
この温度差は決して偶然ではありません。
今日はその背景を少し丁寧に掘り下げてみたいと思います。
沖縄は1945年に日本で唯一地上戦が行われた場所です。
軍人だけでなく、高度もやお年寄りまで約20万人が命を落としました。
しかも戦後27年間、沖縄はアメリカに立ち去れ続け、本と復帰後も米軍基地が集中しています。
だから沖縄の人々にとって、戦争は過去の歴史ではなく、今も続いている現実です。
その延長にあるのが辺野古の基地移転問題であり、日常的に起きる米軍関連の事故や事件です。
この戦争の続きがまだ終わっていないという感覚こそが、沖縄のメディアの報道姿勢に深く関わっています。
沖縄には2大新聞、沖縄タイムスと琉球報報があります。
この2誌は米軍基地への批判や政府への反対をはっきりと打ち出す、いわゆるリベラル寄りの論調を取っています。
例えば辺野古新基地建設には一貫して反対、米軍絡みの事件には厳しい追及、
そして戦争体験者の声や平和教育に関する話題も根気強く取り上げます。
これが本当の保守的な視点からは反日だ、左翼的だと見られることもあります。
でもこうした姿勢は単なる思想的な偏りというより、声を上げられない人たちの代弁者になるという地域メディアとしての役割を果たそうとした結果なんです。
温度差を埋めるために
とはいえ、沖縄のメディアにも課題はあります。
感情に寄りすぎてしまったり、あらゆる政策に反対というスタンスがコティカしてしまっていたり、
若い世代や保守的な立場の県民から現実的じゃないと距離を置かれる場面もあります。
報道が偏ることで、建設的な議論が難しくなることもある。
これは沖縄に限らず、どの地域でも起こり得ることですよね。
一方、本当のメディアではどうかというと、戦争に関する報道は年々少なくなり、過去の悲劇を振り返るトンが主流です。
そこでは沖縄戦も扱われますが、全体の中の1エピソードに留まりがちです。
加えて、基地問題と戦争との繋がりにまで踏み込む報道は少なく、沖縄から見ると鏡面的、他人ごとのように打ってしまいます。
このギャップが、報道の温度差、引いては認識の断絶に繋がっているんですね。
ではどうしたらこの温度差を埋められるのか。
まずは、本当にいる私たちが沖縄の声にもっと触れること。
報道だけでなく、ドキュメンタリーやSNS、現地の人の発信も含めて。
そして、リベラルだから、偏ってるからと決めつける前に、なぜその論著になっているのか、背景にある歴史書記事を理解しようとすることが大切です。
逆に沖縄ガウも、自分たちの声がどう受け取られているかを考えながら、より伝わる言葉や枠組みでメッセージを届けていくことが必要かもしれません。
沖縄の戦争報道は、確かに本当から見ると強すぎたり重すぎたりするかもしれません。
でもそれは、過去にだけ目を向けているのではなく、今も続く戦後を見つめているからこそなんです。
その視点を共有できるかどうかが、戦争を風化させない社会づくりの第一歩になるんじゃないか、そんなふうに思います。
今日は少し重たい内容でしたが、ここまで聞いてくださってありがとうございました。