1. サラリーマンの旅と旅行
  2. #15 なぜ「サラリーマンの旅と..
2024-11-29 37:25

#15 なぜ「サラリーマンの旅と旅行」なの?/ゲスト:松崎さん第3回

第3回目の松崎さんとのトーク内容概要

どうしてこの番組名?/サラリーマンというレッテルを貼ってみる/制約の中の旅を楽しむ/日常のしんどさ/外にひらく

サラリーマンの旅と旅行

旅と旅行が好きな会社員が、ときに一人で、ときに友人と様々な角度から旅と旅行について喋ってます。 毎週金曜日18時更新

00:01
松崎さんと撮ってます。3本目。
今回松崎さんからもテーマとしてお話をいただいたのが、
このポッドキャストの番組タイトルを
サラリーマンの旅と旅行ってしていて
サラリーマンって区切っていることで
結構旅の意味合いが違うんじゃないかみたいなところでお話いただいて
結構これ俺の中でもすごい重要なテーマで
わざわざサラリーマンの旅と旅行
サラリーマンって名付けてる
サラリーマンっていう銘打ってるところが
結構重要なんですね、自分の中で。
改めて、このポッドキャストの番組タイトルを
サラリーマンの旅と旅行としたかみたいなことを話していきたいなと思います。
僕ね、旅好きなの。旅も好きだし、旅行も好きなんだけど
自分の旅人としてのレベルってそこそこだっていう認識なのね。
例えば、今この2024年の10月段階
アフガニスタンとか旅してる人もいるわけよ。
タリバン政権下のアフガニスタンとか旅してる人もいるし
ロシアとかも旅してる人もいるし
全然生活とか関係なく
コロナ禍もずっと旅続けて3年5年旅続けてますみたいな人もさ
世の中にいるわけじゃん。
でも俺は全然そんなんじゃない。
サラリーマンしながら年に1回ぐらいの感じで
すごいいろんな成功を抱えながら旅をしたいなと思ってね。
で、俺はもうここに差があるし
仮に2週間時間があったとしても
俺アフガニスタン行ける?って言ったら行けないのね。
自分のレベルでは
言ってもじゃないけど今のアフガニスタンに行けるかって言ったら行けないみたいな
結構自己認識があって
そういう諸々を含めて
サラリーマンの旅と旅行みたいなのをしてるから
今いいテーマをもらったなと思って
俺は日常がある上で
いかに非日常を作るか
日常のリズムの中に
非日常みたいな
別のリズムを作るかみたいなのが
生活で結構重要じゃないかなって
思ってるんだけど
今は思ってるよ。
今は20代の時とかさ
もっと昔を言えば
もしかしたらアフガニスタンを旅できるような旅人になりたいと思ってたし
もう世界を何周してるような
旅人になりたいなって思ってた時期も少なからずあるの
でもやっぱ自分の求めてるものはそうじゃないなって思ったし
結局自分が面白いなと思うのって
制約の中の非日常
でもあるなと思ってるから
サラリーマンの旅と旅行っていう
テーマにしたんだよね
それはもうサラリーマンって自分に
レッドル貼るわけじゃない
会社員でとかさ
03:01
なんだろうな、あんまりいい
かっこよくはないよね
サラリーマンって言葉とかさ
会社員って言葉
あんまりかっこよくはないんだけど
でもそこに自分自身で
ある意味レッドルというかね
言葉を貼ることで
でもそこから何か違うことを
していくみたいな
旅と旅行みたいなところで
何かお話できればいいなと思うし
聞いてくれる人そんなに多くはないんだけど
同じようにね
何かの制約がある人にとって
何か旅と旅行に
繋がるようなものになればいいなと思って
話してこんなタイトルにさせていただいてます
ちょっとその辺りを質問させていただいた
松崎なんですが
やっぱり旅っていうこと自体が
自分がその抱いている
恐竜だとか立場とかで
だいぶ変わってくるっていうのは
年を取ったからこそ分かることでもある
っていうのもありますよね
僕も自分がエースに行った時とか
あるいはアメリカに行った時っていうのは
何かとにかく自分が知らないものを見たかったとか
自分がこう思ってた世界をもっと広げたいとか
そういう気持ちが第一にあったように思えるんですが
あのですね
年を取ってくるとそうもゆかないんですよ
それは逆に
世界が広いっていうことを認めないわけでは全くないんです
自分が狭い世界に閉じこもっていていい
っていうふうに思わないんですが
やっぱ体力が続かないみたいな
すごく現実的なところもありますし
日常の特にサラリーマンということで
僕も今その立場なんですけれども
それが規定するものっていうのがすごくあるんですね
単純にそんな休み取れないでしょうみたいな
ところもありますし
休み取れたとしても
自分の体力それに続くかと
行った後で
例えば帰ってこれない場所に
かもしれない場所に行けるかみたいな
ところとかもあって
僕もすごくそういった意味だと
海外にはほとんど行けてないのが今現状なんですね
国内の旅行であったとしてもですよ
例えば前だったら全然九州とかにも行きましたし
福島から遠いところにも
日程とあと予算の都合がつく範囲で行けたんですけど
今はまずそういうことが選択肢に昇らないっていう
そういう現実はあります
こういった中で結局日寄ったんじゃんみたいなこととか
06:01
サラリーマン大したことないなっていうのも確かに言えるんです
それは甘んじて受けるんですが
でもその中でサラリーマンに限らずですよ
人間ってやっぱり衰えていきますよ
行けるところも限られて
旅の仕方も変わっていくと思うんです
でも多分
どっかのところで未知なるものを求めるっていうのが
やっぱり旅だと思ってるんです
だから旅に行って
というかちょっとね
すごく前提的なところの違いとして言いたいのは
いわゆるトリップ的な旅行は
それは疲れを癒やしに行くための旅行です
旅ってのは疲れに行くための旅です
っていうのが僕の定義です
このあたり和田亜美さんどうですかね
疲れを癒やすか疲れに行くか
確かにね疲れに行くときあるよね
別にそこまで考えたことはなかったけど
確かに
なんでわざわざそこに行くのみたいに
聞かれるときもあるし
インドとか行くときとかさ
帰ってくると老けて帰ってきたで
言われることもあるし
確かにね疲れに行ってんだよ
疲れるぐらいがちょうどいい
でも今いい区分けだなと思って
例えば一泊二泊の温泉旅館に行くときって
疲れには行ってないよ
疲れることもあるけどね運転とかね
車の運転とか疲れることもあるけど
結果的にね
でも気持ち的にはねやっぱり癒やされに行ってるよね
でも確かにね今ねすごくいい定義をもらったなって
疲れに行くか疲れを取りに行くか
やっぱりね割から
なんで何しにそこに行くのみたいに言われるぐらいのところが
いいなって旅だなって思うね
これはこのポッドキャストを聞く方が
どれくらいのその年齢層かで
すごく共感を呼ぶか反感を呼ぶかみたいなところが
あるかもしれないんですけど
さらに今のね立場からしてね
いろんな働き方があるっていうのは前提としてあるとは思うんですけど
例えばですよ
平日月曜日から金曜日まで働きましてとフルタイムで
8時間以上働いたかもしれないですね
そうなって
じゃあ土日どうします?
休みたいですよね
休みたい寝てたい
寝てたいですよね
寝てスマホいじって
ちょっとおいしいもの食べてひたすら寝たいみたいな
09:01
ちょっと酒飲んでね
そういうのが僕は思うサラリーマンだし
僕はサラリーマンとしてそれを結構やってるわけではちょっとないんですが
今コトラでしてるんでね
なんですが
この感じをベースとして考えてください
月曜から金曜まで働きました
土日旅に行きますと
ちょっと遠方に行くかもしれません
めっちゃ疲れます
めっちゃ疲れるよね
土日疲れました
月曜日から金曜日までまた来週働きます
この感覚ですよ
このリアリティですよ
これがサラリーマンの旅です
どうでしょう
そうなのよ
でもその疲れの先にあること
だってさ
毎週寝てるわけにはいかないの
あるよ
俺月に一回は24時間寝てたいぐらいの時あるよ
24時間寝てないけど
でも半日は寝てたいなみたいなさ
あるじゃない月に一日は
あるんだけど
その先に
でもやっぱどっか行きたいな
そこが旅と旅行の境目なのかな
月一ぐらいでさ
一泊二日でさ
身近なところにさ
温泉旅館でまとまったりさ
そこも贅沢じゃない
その贅沢な種類もめっちゃいろいろあるなと思うし
飲み屋歩くっていうのも
いろんな旅の選択肢もあると思うんだけど
でもやっぱできれば寝てたいのもあるじゃん
寝るんだけど
そんな自分を振り立たせて
でもやっぱ動かしたいなみたいな
そういうのがいろんな制約とかさ
事前に有給も申請しなきゃいけないしさ
自分自身も何も心配なく旅できるわけでもないしさ
っていうものを考えながら
旅に行くんだろうな
僕が今申し上げたことは
体力面で言うと確かにそうだなっていうところがあるんですけど
なんせね
歳をとって
おっさんになっていくと
心が渇いていくんですよ
心渇く
その中で日常生活っていうのは
ある種の麻薬みたいなもので
仕事をして
家庭生活を送ってとか
あるいは別のところで時間を費やしてってなってきたときに
これは偏見かもしれませんが
だんだんパターン化していく日常みたいなところが
現れてくるんですね
ルーティン化みたいな
そうなってきたときに
体力的には何とか持つかもしれないんです
土日も休んでみたいなことでなっていくんですけど
でもそれって
何のために生きてるの?みたいな
とか
12:00
心はね
どうしてもね
自分のその境遇に納得しないみたいな部分が
ちょっと出てきちゃったりして
その心を持て余しちゃったりするのが
サラリーマンだったりするんじゃないでしょうか
それを誤魔化すのかな
そこをさ
誤魔化せればサラリーマンを継続できるし
誤魔化しきれなくなると
サラリーマンでいられなくなるのかなって
俺は思うんだけど
今回はサラリーマンの旅と旅行っていう
番組でやってるんだけど
でも俺はやっぱりそれいいなって思うのね
制約ないってさ
前回の一個前のところでも言ったけど
外ごもりとか沈没したりさ
バンコクに何ヶ月もいますとか
5年10年旅してますみたいな
ところの方とかいてさ
なんか別に一人一人の人生をどうとか
言うつもりはないんだけど
俺個人で言うとさ
制約がないって結構不安だなって思ったので
だからサラリーマン向きなのかもしれないんだけど
糸の切れた風船みたいな
冗談になっちゃうのって結構
逆にそれもそれで耐え難いなみたいな
ところがあって
だからサラリーマンってある意味
制約のある日常みたいな
意味もあるんだけど
なんかそこでね
やっぱ自分の日常の中から
どうやって旅を創出していくかみたいな
ところがね
やっぱ面白いなって思うし
そういう話が聞けたらいいなとも思うし
やっぱその言うところからね
自分の制約のある日常からね
自分の中に旅とか旅行の時間をどう
作っていけるかっていうことが
日常を生きていくってことでもあるかなって
思ってこういうタイトルにさせていただいております
本当にその通りだと思っていますし
やっぱ疲れに行かなきゃいけない時ってあるっていうのも思いますし
自分の生活圏に閉じこもるっていうことが
じゃあ果たしてそれがいいことなのかとか
あるいはそういう風にならざるを得ない社会があったとしたら
それっていいものなの?とかね
いろんな問いが出てくると思うんですよ
でその中でサラリーマンっていうのが
一つのね日本社会のある種の形容で
そういった立場の人を揶揄する言葉になるかもしれないんですけれども
サラリーマンだって別に旅してもいいじゃんってね
そういう風に思って
別に旅じゃなくてもいいんですよ
サラリーマンだって例えばバンドしてもいいじゃんとか
なんか絵を描いてもいいじゃんとか
そういうのがあってしかるべきだと思うんですよ
15:02
そういった中でサラリーマンだからこうしなくてはいけないという社会と
やっぱりちょっと変わってきたんじゃないかなっていうのもありますしね
サラリーマンじゃなかった時の旅と
サラリーマンになった時の旅ってやっぱ違いますよね
違うんだけど
でも旅気に込められた思いっていうのは
そんなに変わんないんじゃない?みたいなことも思ったりするんですよ
それは渡辺さんがお話しされたように
ある種の非日常を求めるっていう感覚かもしれないですし
でも非日常ってつまり自分の日常の相対化っていうことになるので
相対化した時に何を求めてるのかっていうことですよね
俺どっかでねポジティブ化するコツみたいなのをさ
人生でね
掴めるんじゃないかなって思ってて
若い時って制約がないわけじゃない?
学生であるとかさ
特に背負うものがないとかさ
独身であるとかさ
単純に20代であるとかさ
背負うものが少ないわけじゃない?
勝手に背負ってるだけかもしれないけど
そういう時の旅ってさ
来月帰ってもいいし再来月帰ってもいいしみたいなさ
責任みたいなのも薄かったりもするからさ
いい意味で雑なわけじゃない?
なんか俺はそれいいなって思うのね
どっかでサラリーマンになるっていうのはさ
どっかで制約がつくっていうところでさ
その制約の中で
自分の中のさ
旅的なものを楽しまなきゃいけないって
なっていくなと思ってて
俺はそれが旅だと思う
サラリーマン
あるいは大人であることの旅だなと思ってて
でも俺は分かりやすくサラリーマンっていう名前を使ってるんだけど
歳を取る
歳を取るってのはもちろん自己認識なんだけど
でもやっぱさ
自分がさ
昔みたいに自由ではないかもしれない
でもその自由じゃない状態っていい選択肢だと思うのね
自分が選んだ選択肢の中でさ
その代わり何かしらの制約が生まれるかもしれない
結婚するとかさ
子供が生まれるとかさ
ある程度の企業に就職するとかね
何かしらの制約が生まれるかもしれないんだけど
俺はそれはいいことだと思う
でもその代わり何かこう旅をするっていう
非日常が失われるかもしれない
でもそれはやっぱ自分でどう作っていくかみたいな
ところもサラリーマンの旅だと思ってて
そうそうそう
そういうところもあったりするから
今の松崎さんの話ともつながってくるのか
よくわかんないんだけど
でもそこにつながっていくためには
18:00
ある程度比較的に自由だった自分がさ
こういう風にこういう経験をしたからこそ
こういう風に思うみたいなところもあると思うから
そういう話をも聞きたいなと思うし
制約があるからこそ
今こういうことをするのがすごく楽しんだみたいな
ところも旅だなって思うなあとは思うね
僕は幼馴染の友達がいて
その友達が結婚されて
子供を二人持っていて
その友達はすごく海外旅行がある種の
生きがい的に好きだったんですね
アフリカとかインドとかに旅々行って
その写真を撮ったりするのが好きで
みたいな人だったんですけど
でもたまに会って飲んだりすると
なかなか家庭を持って
普通にフルタイムでサラリーマンとして働いて
子供もいてっていうことだと
やっぱなかなかそういうのは難しいという話で
そうだよねっていうことで話したんですけど
でもその友達が
子供がだんだん成長してくれば
もしかすると一緒に海外行けたりするよね
みたいな話とかもしていて
だから制約の中に新しい何かが
芽生える可能性もありますよね
だからその時に自分じゃない
誰かとの旅っていうのもあり得るのかもしれないですし
その旅っていうのはまた
可能性の意味のような旅とか
あるいは非日常としての旅っていう意味で
可能性としてゼロではないものだと思うんですよ
いろんな制約の中で生きていたとしても
だからそういうものが人生にあるっていうのは
とても素敵なことだなって思いますし
あと旅が大事だなって思うのは
日常がそこそこいろんな意味で
しんどい時って皆さんあると思うんですね
それは制約の中にいるからだ
っていうのがあって
僕人類史的にとか文化人類学的に
絶対それだけでいたら
人間って押しつぶされるんじゃないかな
っていう風に思ってるんですよ
で、そういった中で
渡辺さん冒頭で
日常を生きていくために
逆に非日常を取り入れるみたいなね
これは生活者としての
一つの必要な手段であったり
あるいは生活の知恵みたいな感じで言えることだと思うんです
もしかしたら
集落の祭りとかね
そういうものが非日常の演出だったりするのかもしれないんですけど
だからそういうのを取り入れることが
ある種の日常っていうか
21:01
非日常もまた日常になり得るってことなのかもしれないし
それが形外化する可能性もあるんですけど
でもそれを多分
意図的に設定できるかどうかっていうのは
多分サラリーマンの生活の技法
いや、それは技法なんだよね
なるほどね、技法かもしれない
旅に出る理由って
旅って具体的な動作ではあるんだけど
それ以前の問題として
思考っていうか知識としてね
例えばさ、この国に行くとさ
こういう宗教的体験があるかもしれないとかさ
こういう歴史があるとかさ
違うじゃん、今の生活とはさ
このリズムが違うのが必要だと思うの
日常のリズムからちょっと離れたリズムに行くみたいなのが
それが分かりやすく旅でもあるかもしれない
あとなんかもうちょっと
サラリーマンの旅を用意するとすると
今の話で言うと
サラリーマンの旅ってのはあくまでサラリーマンにとっての
生活を維持するための旅っていう
ニュアンスになるかもしれないんですけど
僕先日
フォーラム福島で
革命する大地っていうペルーのね
1960年代70年代の
軍事政権による民主化革命みたいな
内容の映画を見たんですよ
僕それは
とっても面白くて
僕は映画を見ることが一つの趣味なので
それは非日常の手段だったのかもしれないんですけど
でもその先において
ペルーっていう国にすごく興味を持って
しかも話を聞くと
ペルー映画ってほとんど日本に流入してないんですね
それちょっと歴史的な背景とかもあるんですけど
その中で
福島市出身の方が
ちょっとペルーの配給関係の
仕事に携わったことによって
結構2000年代以降のペルー映画が
日本国内で見られるようになった
みたいな経緯があったりして
つまり何が言いたいのかというと
どこかね逃避のためとか
あるいは自分の生活のための
非日常だったとしても
そこで得た知識って別に嘘ではないっていうかね
その先にもしかしたら
次の自分の何かに繋がる可能性っていうのも十分にあって
それは別にペルーでなかったとしても
旅先の非日常の何かでもよかったりするかもしれない
旅先の非日常の何かでもよかったりするかもしれないんですけど
でも何か動いてみることによって変わるものっていうかね
一見変わらなかったとしても
得るものっていうのは多分あると思うんですよ
24:01
だからそういう分っていうのは
必ずしも自己完結的な経験ではなくて
何かしら外に開くきっかけになるってことも
あり得るんじゃないかなって思いますね
日常の中でね
映画とかも通してたし
すごい難しいんだけどね
今この自分の生活の中からさ
外に繋がるものっていう表現でいいのかな
今この自分の生活の中からさ
外に繋がるものっていう表現でいいのかな
っていうところにアンテナを張るっていうことでもあるし
アンテナ閉じそうになる瞬間も多くあるかなと思って
アンテナ閉じたほうが楽なのかなと思って
アンテナ足したほうが楽になるんじゃないかな
みたいなさ
そういう瞬間もあるしね
いかにアンテナを開いてさ
何かを取り入れて
取り入れた隙に何があるかって言われたら特に何もないんだけど
でもなんとなく開いていたいなみたいな
ところがさ
あるのかな
これさ
偏見かもしれないんだけど
東京とかにいれば何となく開いていれば
何かに繋がっているのは気になれるんじゃないかなと思うね
俺はもう7,8年住んでないから分かんないんだけど
っていう感覚もあったような気がしていて
でもさ今ね
愛知いわゆる日本の地方で
暮らしていて何かに広く開いているつもりになってるけど
開いた隙に何もないような気分になってしまう時がある
でも開くってことが僕は旅をすることでもあるし
開き続けることがね
でもなんかこう開いていても
何かにね
分かりやすく繋がるわけじゃないから
どこにも繋がらないんじゃないかみたいな気分になる時もあるんだけど
でもやっぱ広げ続けることに意味があるのかなみたいな
時もね
ありますね
これは僕の偏見というか
感性にしか言えないことではあるんですけど
ある種外に開こうとしている人と
まあそれはいいやっていう人っていうのは
結構態度とか
あとなんていうかその
身体力肌感覚みたいなところで割と分かる
ところがあると思うんですよね
でやっぱり開こうとしないっていうのは
結構問題があるっていう風に思ってもよくて
もちろんあの自分の身体的な疲れとか
まあいろんな事情によってね
開けない時ってあると思うんですよ
それはそれで仕方なくて
そういう時には本当に休みに
ちゃんとやったほうがいいかなという気がするんですけど
まあそういう時には
開くっていうのは
27:02
いろんな意味でも開くだと思うんです
外の世界にとかっていうことでもあるし
自分以外の誰かっていうことなのかもしれないし
新しい文化とかそういうことなのかもしれないですけど
人間って
多分開くのをやめるのって
結構できちゃう
まあ
あの中のイメージはね
だって開くのつらいし
やっぱ結構根気がいるし根性もいるんですけど
でもやっぱそれは
じゃあ閉じるっていうことが逆説的に
どういう意味をもたらすのかっていうことだと思うんですよ
でもこれサラリーマンにとっては
なおさら重要な命題だと思うんですね
なんせサラリーマンって閉じやすいから
いやそういうもので
閉じたサラリーマンってめっちゃつらいっすよ多分
つらいっていうのは
自分は楽かもしれないけど周りがつらい
周りがつらい
だって閉じたサラリーマンの相手するサラリーマンの同僚ってどうよって
まあね
周りの人にとっては
閉じたサラリーマンって
周りの人がね
閉じてるか閉じてないかって判断しづらいところであるんだけど
でもやっぱ
基準があるんだろうねそれぞれ
自分の中に
いや僕結構それは肌感覚で多分わかると思う
自己意識は置いといたとしても
他人に対して人間って敏感なので
でこの人はなんか閉じてるんだとか
この人は開いてるんだって多分わかる
開くってどういうところで感じます?
開くっていうのは
なんていうんだろうな
やっぱりその自己ルールみたいなところに
こだわらないってことなんじゃないですかね
なるほど
もしかしたら同じかもわかんないですけど
傷つくことを受け入れられるかみたいな
そういうのは絶対ありますよね
その人のこだわりというか
否定されるわけじゃないですか開くって
っていうのが
結局自分も30代後半になるとね
どっかで防御してるかもしれないけどね
でもあの
やっぱり疲れるとか傷つくとか
多分同じ意味合いだと思うんですよ
どっかでね
そうなった時に
サラリーマンの旅と旅行っていうのはある種
これで全然ポジティブな意味じゃなくて
渡辺さんは
心のどっかでサラリーマンは一回地獄に
突き落ちろみたいなね
30:02
とにかく傷ついてとにかく疲れろみたいなね
なんかそういうちょっとポジティブなニュアンスがあるんじゃないかなって
思ってるんですけど
やっぱあの
傷ついて開き続けなきゃいけない
それがオタの中の
つまりポッドキャストをやってるっていうのは
多分そういう意味合いもあると思うんです
これねポッドキャストって
情報発信なんですよね
ってところでさ
自分の向いてる情報発信でもあるかなと思って
声でね音声でやるっていうのもあるし
でもこれ自体が
自分が傷つくためではないんだけど
なんか旅だよね
そうそうそう
傷つくためではないし
別に誰かを傷つけたいためではないし
5年後10年後に聞き返して
自分が当時こういうことを考えてたんだなって思えればいいかないくらいでもあるんだけど
まあそうだね
なんかねやっぱね旅の延長として
でも何か残したいなっていうのがあるのかもしれないね
ちょっとねまだここまではうまく言葉にはできないんだけど
まあ今回
渡辺さんのサラリーマンの旅と旅行っていうことで
僕はちょっと人のポッドキャストで
好き勝手なこと言ってるわけなんですけれども
たぶんサラリーマンの旅と旅行っていうタイトルをつけられるのは
サラリーマンでの
なんかある種のステータス的な意味での
旅行とかをバケーション的な意味で
宣伝することができる人か
なんかサラリーマンに遠差の念があって
すごいこのサラリーマンを相対化したいような人間が
つけるタイトルだなって個人的に思ってるんです
うん
でもね今回
このサラリーマンの旅と旅行ってタイトルをつけようと思った時に
照れくささがあったの
最初
いやちょっと自分の中で閃いたのは
このサラリーマンの旅と旅行なんだけど
でもなんか自分自身をサラリーマンと呼ぶって
ちょっと照れくささみたいな抵抗もあって
最初やめようかなと思ったりもしたんだけど
でもね奥さんとかちょっと話した時に
そんぐらい分かりやすい方がいいんだって言って
なんか自分自身の分かりやすいデッドルを張るみたいなのも
必要だなって思って
そうそうなんか俺はそれが
自分自身にとって必要だなって思って
必要とまで思って必要って言ったら大げさなんだけど
なんだろうね
でもなんかそこをあえて分かりづらくするみたいな
旅と旅行の哲学とかさ
なんかもっと抽象化するとかもできたと思うんだけど
なんか分かりやすいじゃない
33:00
サラリーマンとか会社員とかさデッドルを張るみたいな
分かりやすさみたいなところでやりたいなみたいなのが
あったりもしたから
でもひねくれてないよむしろ
なんだろうな受け入れてるのかもしれない
話してる内容的にですけど
多分全然分かりやすくない
タイトルだけキャッチで中身は超複雑みたいなところがあって
そういった意味では
奥さんの希望は半分しか叶えられてないかなって気がしますね
まあまあまあ
そうね
でもね多分いると思うんだよねこういう人
分かんないけど
いやでも何て言うんだろうな
怨念とかではないんです
ただ地方に
作らせてるサラリーマンの
旅と旅行って
すごくキャッチな意味ではなくて
もっと切実な何かがあると思うんですよ
旅とか旅行に対して
でそういうものをやっぱり
伝えるっていうのがある意味このポッドキャストの
なんかこうだんだんね
まあ今回ちょっと相手が僕だっていうのが悪いのかもしれないんですけど
旅と旅行の話をしながら
ドツボにハマっていくみたいなね
なんか僕このサラリーマンのなんか感じが
逆に好きなんですけど
あのやっぱね明るいままでやっていける
サラリーマンはそういないですよ
やっぱね
いろいろ背負って
日常っていうのは背負っていかなきゃいけないなと
思うからね
なんかちょっときつく見えたことを言うにはすごく難しい
話題になってしまうんだけど
まあある意味
この番組をねメタ的にね
見てもらうと
まあそういうところはね
少なからずというかもあるんだけど
その上でね
やっていきたいなっていうかね
普通にストレートに
いろんな制約の下でいかに楽しむかみたいなことも話したいし
でもこういう制約をね
メタ的に話したいなっていう気持ちもあるし
それはその2つで
できればいいかなみたいな
まあある程度ね
なんかさ自由に旅をできますみたいな
期間の制約
まあお金はある程度みんな持つだろうけど
時期の制約期間の制約とか持たずに
旅できるって人
ではない人が
旅行とか旅とかを考えるきっかけになればいいかな
っていうところであるから
36:00
なんかそういう直接的な話もできればいいし
ちょっとメタ的なね
話でもできればいいかなって思っております
はい
やっぱり渡辺さんが
いろんな面を持ってお話をすることで
その旅っていうものはやっぱりある種のキートピックみたいなところがあって
まあいろんな語り口がありますし
旅と○○みたいなところで
まあその旅についてとか
あるいはその人のある種の人生観みたいなところが
深められるところもあると思うので
まあそれがね
どういう風に転んでいくかっていうのはやっぱりなかなか
わかんないところがあるので
逆にそれがこうポッドキャスト的に面白いみたいな
ところもあるのかもしれないなっていうことを期待して
渡辺さんには頑張ってほしいと思います
まあそうね
そういったところでちょっとね
今後ねいろいろ話していければいいなと思っております
最終回
次回松崎さんとのもう一話撮りたいなと思ってるんで
次はねもうちょっと松崎さんの旅みたいなところ
深掘りできればなと思うんで
はいじゃあ一旦
第三回目終わりたいなと思いますありがとうございます
ありがとうございます
37:25

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