国営ひたち海浜公園のネモフィラが満開です。それにまつわる知られざるエピソードをお話しします。
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ネモフィラの丘は、かつて水戸射爆撃場と呼ばれていた場所で、現在は多くの人々を惹きつける観光名所です。このエピソードでは、ネモフィラの歴史やその魅力、地域の返還運動について語られています。また、ネモフィラの丘についてのエピソードでは、その歴史や公園の人気の変遷が紹介されています。さらに、地元の伝説や新しいエリアの探索が取り上げられ、訪れる価値のある場所として推奨されています。
ネモフィラの開花と観光
はい、始まりました。しゃあめ茨城いしけーラジオ、パースマイティーのノブです。
本日は5月の1日ですね。月は変わりまして5月になりました。
はい、に収録しております。
今年は前半が連休にならなかったので、中休みというか、本格的に3日から4連休だと思うんですけど、
まあ、例年よりほど連休って感じはしないんですけど、それでも実際半暴期でした。
で、ネモフィラの開花が遅れてたんですけど、先週満開になりまして、先週土曜日ですね、26日なんかはかなりたくさんの人が訪れて、
うちもね、久しぶりに満室になりまして、キャンプ場の方もすべて埋まってっていう状況で忙しく過ごしてたんですけど、
まあ本当なんか天気も良くてね、ネモフィラ見るのにも良い天気だなぁという。
結構この時期って天気荒れがちなんですけど、明日も雨予報が出てるぐらいなんで、どっかしらのタイミングでちょっと荒れたりするんですけど、今のところ順調ですかね。
まあこの時期稼ぎ時なんで、なるべくちょっと天気荒れないでほしいなぁというところですけどね。
まあなんとか4連休はね、天気良さそうなんで良かったなぁと思ってますけどね。
まあそもそもネモフィラがね、ここ20年ぐらいずっと人気ですけど、
歴史的背景
最初の頃は、ネモフィラが増え始めた頃は静かなブームみたいな感じだったんですけど、地面も保証されてなかったし、ちょっとずつ人が増えてきてって感じでしたかね。
最初の頃は知る人ぞ知るみたいなところでしたけど、世界絶景のね、しほさんの世界の絶景に取り上げられてからかな、火がついたのは。
そこから結構マスコミでも放送されるようになって、今やね定番で。
ネモフィラっていう花もね知られてなかった。今結構いろんなところでね、いろんな全国各地の公園でネモフィラ栽培されてるというか、見れるところ結構増えたんですよね。
そんなネモフィラなんですけど、そもそも立地開品公園ができたのが、僕が中学生の時なんで、1991年とかかなんですけど、もうちょっと後かな、93年とかだっけかな。
ネモフィラが多分、植え始めたのが2000年代になってからだと思うので、震災前も多分結構人気だったんで、その頃ですよね、多分。
今やね結構知る人知らない人はいないっていうぐらい人気の場所ですけど、もともとは水戸砂漠劇場っていって、そのもっと昔は水戸の飛行場があったんですよね。
海軍の飛行場があって、戦時中その飛行場があって、そこが戦後砂漠劇場って言って米軍の施設だったんですよね。
その米軍の施設が民間に払い下げられて、払い下げられてって言ったら変だな、なんて言ったんですかね。
まあその、リモートで返還運動が起きて、それで開品公園ができてっていうところですよね。
そもそも、もともとは水戸陸軍飛行学校、1938年、昭和13年に水戸陸軍飛行学校、大日本帝国陸軍水戸飛行場として建設されてますね。
軍事用の飛行場があったということですよね。
そこからアメリカン接種されて、アメリカ軍水戸砂漠劇場として使われてました。
1973年に日本国政府に返還されて、首都圏整備計画の一環として整備されたというふうにありますね。
僕が生まれる前に返還はされてるんですけど、そもそもアメリカ軍のものだったので、広大な敷地が入れなかったんですよね。
戦後の乱海発を避けられたというか、自然がそのまま残ったんですよね。
平和への歩み
本当の奥の方はひたちなか自然の森っていうふうになってますけど、広大な自然が残されたっていう、そういう事情もあったりします。
それを返還されて、この返還もすごい運動が起こったらしいんですけど、
ゴードン事件というアメリカ軍が練習をしていた飛行機が、車輪を下げたまま低空飛行したんですよね。
その時に自転車に乗っていた地元の女性子連の親子を引っ掛けちゃったんですよね。
そんな事故があって、当時飛行機を操縦していたのがゴードンさんだったのかな。それでゴードン事件と言われるんですけど、そのゴードン事件をきっかけに地元で返還運動が沸き起こって、
本当に沖縄の基地問題みたいなのがこの茨城でもあったんだなっていうのは、僕は本当に当時を知る人から聞いただけなんですけど、そんな歴史が。本当はもうちょっと学校とかでも教えてもいいかもしれないですよね。
今はどうなんだろうね。僕が子供の頃は全然教えられなかったですけどね、その辺は。そういった地元で返還運動が盛り上がって、1973年、昭和48年に返還をされて、
じゃあ土地どうしようかっていうときに、東京湾がいっぱいなので、外交を作ろうということで、首都圏の日立中学校というところと合わせて海浜公園の整備が決まったというところですね。
漁着地が1979年、僕が生まれた次の年ですよね。1980年造成工事が開始されて、1991年でしたね。僕が中学校1年生のときですね。約70ヘクタールが開業ということで、公園の総面積は350ヘクタールで、実際に公園として漁材というのは215.2ヘクタールで、全体の約61%ですね。
奥の方は徹かずの自然がまだ残されていて、そこは入れないエリアになってるんですけど、でもちょっとずつ広がってるんですよね。また今年の春かな、新設のエリアもできたので、ちょっとずつ広がってるんですけどね。
2000年からロッキンジャパンフェスが始まって、最初の頃は柿井ってあんまり人気の公園ではなかったんですよね。地元の人もそんなに行かないっていう感じが。遊園地とかもあったんですけど、そんなに面白くないというか、子供騙し的なのが多かったし。
2000年ロッキンジャパンフェスが始まって、それが人気になってから少しずつ知名度も上がっていって。
2000年代の中盤ぐらいから、20年前ぐらいですか。そこから根もひらとか茎やとか植えだして、そもそも根もひらの丘は開園、最初の頃はまだ公開されていないエリアだったんですけど、建設残土とかが使われていて、
建設庁かなんかが管轄だったんで、今は国土交通省ですけど、そのいろんなところで道路とかで使われた建設残土が埋め立てられて、積み上げられて丘になってて、確か高さ44メートルだったと思うんですけど、
ひたち中市の最高地点なんですよね。ひたち中市平なので、ひたち中で一番高いところになってるんですけど、そこの丘に当時の職員さんが根もひらっていう、まだ日本では全然知られてない南米原産だったかな、青い小さな花を植えようということで始まって、それが人気になって今に至るんですけど、
そういう地元の人が苦しんだ歴史もあったし、今あれだけたくさんの観光客を集めている場所ですけど、実は結構そういう悲しい歴史があったりとか。
中にはまだ戦争というか、砂漠劇場だったときに演習で使われた施設とかが残されてるんですよね。
僕ちょっと特別に見せてもらったことあるんですけど、当時を放出させるようなコンクリートの施設があるんですけど、そういったところが園内にあったりとか。
あと、今サザコーヒーが入っている記念の森カフェがあるんですけど、園内に。そのカフェの一角に当時の歴史を知れる資料館みたいなところになっているところがあって、
実際に不発弾の残骸が展示されてたりとか、もちろん安全な状態ですけど、そういう当時を忍ばせるような場所もあったりするので、
ネモフィラの丘の歴史
もし花瓶公演に訪れた方は、そういった歴史も踏まえてみると、またあの根も平も違った風に見れるんじゃないかなと思いますよね。
そんな歴史もある花瓶公演なんですけど、本当に最初の頃できたときは、結構個人的にはすごい期待してたんですけど、
自分的に学会だったのか、国表した作文を書いた気がします。地元の子どもたちのお試し入会みたいなのがあって、それで行ったんですけど、
予想以上に面白くなかったんですよね。なんでそれが面白くないよっていうのをそのまま作文に書いたんですよ。大人はびっくりしたと思うくらいひどく書いたんですよね。
大人の反応が結構やばかったんで、それは覚えてますけど。
当時は本当に全然人気じゃなかったんだけど、職員さんの努力といろんなことがあって、人気の公演になってますけどね。
ひたちなか市民の誇りみたいな公演になってますので、慣れたのもいろんな人の努力もあるし、
そういう悲しい歴史があってこそだと思っているので、そういうところも少し知ってもらえたらいいなと思って話しました。
今はデートでも行く人もいるし、意外には年間パスが安いんですよ。確か6000円くらいだったと思うんですけど、
月に一回くらい行けば元届いちゃうよな。すごいお得な年間パスで。それで本当に毎日のように行っている人とかいて、市民に愛される公演になってるなっていうところですよね。
個人的なおすすめはグラスハウスという場所があるんですけど、海が見渡せる場所に建っていて、ちょっとした軽食とか、軽食はあんまり美味しくないんですけど、場所が素晴らしいので。
あとちょっと園内でも派税のところにあるので、あんまり人がいないんですよね。フェスの時とかはわざわざそこ行って、冷房きいてるので涼んないとか、寝む平の時期とかも意外に人が少ないんですよね、派税なので。
でもすごい眺めがいいし海も見えるし綺麗なんで、個人的にはグラスハウスがおすすめなので、ぜひぜひ行ってみてください。
あとは何だろうなぁ。
あとはね、沢田有水地っていう、これも新しいエリアなんですけど、寝む平の丘の奥側にあたるんですけど、そこにもともと沢田有水地っていう分け水が出てるところがあって、そこの集落に住んでた人たちが今僕らの味川浦の人々の祖先らしいんですけど、
そこで千日乱風っていう、千日間風が吹きまくるっていう、そういう出来事、伝説があって、大風が吹いちゃってそこに住めなくなったんで、
じゃあ味川浦に来ようって言って、ちょっと移転してっていうのが僕らのルーツになってるんじゃないかっていう話もあって、千日乱風伝説っていうのがあって、そこの元々になった沢田有水地っていうところがあるんですけど、そこにもネイチャーセンターっていうのがあって、有水が見れたりとか、
その奥側は森になってるんで、森の中をトレッキングできるんですよね。
で、ウッドチップが敷いてあるんで、すごい歩きやすくて、ふかふかしてて歩きやすいので、行ってみると、あっちも人が少ないので、行ってみると、森に良くできますね。そんなに標高で山とか行かなくても森に良くできちゃうので、おすすめかなと思います。
夏とかいいですよね。涼しくて。一時期はトレイルラインやってたときは、練習でよくそこに走りに行ってました。本当にウッドチップなんで、足腰にもすごい負担が少なくて済むので、良い練習場所になってましたね。
あとはねむひゃカレーとかこきゃカレーはぜひ食べてほしいですね。見た目から想像を絶する普通のカレーなんですけど。味はね。あれもぜひ食べてほしいなと思いますね。
今日はそんなところですかね。練習でずっと仕事してて忙しかったなというところしかないので。正直あんまネタがなかったんでこんな話してるっていうのはないんですけど。今日はそんなところで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。帰ってどうも。
19:50
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