意見の食い違いと理解
今日は、分かり合えることについて、私なりの意見を言いたいと思います。
人と意見が食い違ったときに、正解ってないと思うんだよね。
私の中ではこういう考えだけど、あなたの中ではそういう考えなのねっていうことで、
お互いの正義、価値観があるわけだから、お互いに分かり合うというのは、すごく難しいことだと思っています。
この間、実際に私と意見が食い違う人の話を聞いて、
私が折れたんだよね、分かった私がそういう考えが至らなかったんだねって折れたら、
向こうが分かり合えると思ってるって言ってたの。
その人にとっては、自分の意見が絶対的に正しくて、私の勘違いを間違えると思ってるから、
分かり合えるっていうのは、私の意見が正しいって気づいてくれるっていう裏の意味があると思うんだよね。
私の意見の方が正しい、あなたの意見は間違ってるから、いつかその正解に気づいてくれるから分かり合えると思ってるっていう意味だと思った。
だからその人にとっては、私の意見はもう鼻から受け入れる気がないから、
その人の分かり合えるっていうのは、本当の意味で分かり合えてるわけじゃないんだよね。
ただ自分の意見を押し通してるだけ。
世の中にさ、やっぱりさ、結構さ、分かり合えないことの方が多いと思ってるんだ、私はね。
家族との価値観の違い
私の父とかは、もう普通に借金とか平気でする人間だったけど、借金をするのってさ、
世間一般的に考えたら、良いってことは言えないと思うんだよ。
でも父の中では、それが自分の中の正解、正しさ、正義だったんだよね。
そんな気持ちさ、父の借金してもやりたい、生活のための借金じゃなくてね。
ただ毎晩飲みに行って代行で帰ってくるから、お金足りなくて借金して子供に払わせるって人だったんだけど、
父の中の正義をさ、借金を返す私としてはさ、受け入れたのかな、最終的にはね。
ただやっぱり、分かり合うことはできなかったよね。
そういう風にさ、やっぱり分かり合うって難しいんだよね。
意見が異なった場合はね。
何でも、分かり合えるっていう人は、最終的に相手が自分の意見を受け入れてくれる、合わせてくれるって思ってるからそう言ってるんだろうなって。
分かり合うことはね、やっぱり人間難しいなって最近思った出来事です。
だから私はね、誰でも分かり合えると思ってなくて、分かり合えない人の方が圧倒的に多いなって思って日々過ごしてます。
以上です。