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子供たちと接しているとね、学ぶことってたくさんあるんですけど、
この間ね、なんか、こんなこと言うと嫌われるかもしれないからって言ってるのを聞いたんです、ある人が言っててね。
でも、例えばその子のことを真剣に考えると、嫌われようが何しようが言わなければいけない立場にあるのが指導者だと思うんですよね。
それを、例えば、避けてしまうと当たり障りのないことを言って、あまり本人たちは成長しないと。
当たり障りのことしか言わないということは、その子が成長しなくてもいいと思っているんですよね、指導者としては。
それだと、じゃあ逆に僕はね、指導者はしちゃダメなんじゃないかなってちょっと思ってる。
これはね、2年ぐらい前かな、めちゃくちゃ仕事ができる先生、学校の先生と話をしてたときに言ってたのが、
最近塾に行く子が多いんだけど、塾のスタンスが質のいい塾と悪い塾があって、
質の悪い塾の勧誘文句は、先生は君たちのことをわかってくれないよねっていうのをすごく言って、
本当に言葉巧みに甘い言葉を言いながら理解してるよっていうふうな話をして、塾の先生といろんな話をすると。
つまり生徒たちの中では大人だけど話を聞いてくれる、僕を理解してくれる人っていう、そういうポジションを確立していると。
それに対して、教師も同じような似たような人はいるけども、ごく一部と言ったら非常に悲しくなるけども、
やはり厳しいことを言わなきゃいけない立場として、ちゃんとそれを言える先生がいるんだと。
そういう人の下には卒業しても子どもたちは帰ってくるという話をしてました。
子どもたちもわかるんですよ。
僕は私はこの人に成長させてもらったっていうのは、今気づくことができたらもちろんすごく成長できると思うけど、
例えば振り返ってみたときに、あんなに全力でやってくれた、向き合ってくれた人はいなかったなって思ってくれるような接し方をするのが、教育者であり指導者であるんじゃないのかなと僕は思っています。
だから僕も基本的に子どもに嫌われようが何しようが、そんなことは気にせずに、ただその子がやるべきことっていうのをちゃんと伝えていくって。
これはできなくなったら引退だなって僕は思っていることの一つに、今みたいな接し方っていうのが入ってくるなというふうに考えています。
これは僕の考えていることなので、全員に当てはまるかどうかわかんないけど、人は成長した瞬間にものすごく喜びを感じるのではないのかなと思います。
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自分ができなかったことができるようになったら、それはちっちゃい子から大人になっても嬉しいし、僕の仕事でいけばできなかった子ができるようになったっていうのがすごく嬉しいんですね。
これに勝る喜びはないんじゃないのかなって思うぐらい、僕はその瞬間を楽しみに日々やってます。
ただうまく毎日がそういう感覚を得ることができるっていうのはなかなか難しい。
ちっちゃい子だと多いんですよ。お顔つけできない子がお顔つけできるようになったとか、初めて浮いたとか。
昔はやっぱりちっちゃい頃って何をしても褒められてたじゃないですか。できないことができるようになることが多かったしね。
チャレンジのハードルが低く、チャレンジの本数が多かったんですよ。
ただ今、年齢が高くなってきたら、なかなか成長することって難しくなってくるんですよね。
その中で、さらに成長を目指していくようなカテゴリーにいる人たちにとっては、厳しいことを言ってくれる人の下で働いたりとかね、
トレーニングを積み重ねたりした方がいいんじゃないのかなと思ってます。
嫌われるって言っても、上辺だけの付き合いで嫌なことだけ言うっていう人は、そりゃ嫌われますよね。
だからそこに深い愛情を感じてもらえるぐらい、熱量を込めて語らないといけないっていうね、そこはすごく僕は大事なんじゃないのかなと思ってます。
今ね、うちの高校3年生で一人男の子がいるんですけども、この子は本当に一生懸命今ね、ラストイヤーに向けて頑張ってるんですけども、
僕ね、去年の11月、まさについ最近ですよ。お前やめろよこのままだったら、もう絶対に早くならないから、もうやめて勉強にでもなんでも専念しちゃおうがいいよ。
うちのチームでこんだけやる気がないんだったらもうできないよっていう話をね、かなり厳しくしました。
まあまあ彼はその時高2でしたけども、プールサイドでね、そういう話をちょっとしてね。
で、その時は僕も本気だったし、この子はやめてしまうのかもしれないと。
でもその話を経て、今またね、強くなっているので、やっぱり向き合いたくはないんですよ。
だってちっちゃい時から見てる子に、お前もうこのままじゃダメだよなんて言いたくはないけども、今ここで言わなければこいつは本当にダメになると思ったら、やっぱりそれなりにね、熱量を込めて言わなきゃいけないところ、タイミングっていうのはあるんですよね。
そこを避けるか避けないかによって、その後の彼と僕の関係性っていうのは大きく変わるんですよ。
僕はその熱量ってすごく大事で、あとやっぱりその言うタイミングとか性格に合わせて、例えば語りかけるようにも必要だし、叱咤激励するようにも、もしくはなだめるように言うことも必要なので、それは個人によって違う。
個人によって違うけども、言うべきタイミングで言うべきことを言わないと、子供はどこかで、まあ強いわけじゃないので、どこかで折れていっちゃうんですよ。
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こんなはずじゃなかったよって思うと思うんですね。
で、ちょっと話は戻りますが、先生が言ってたね、全力で向き合った子供は卒業しても顔出してくれるんだって。
だから先生の中でも明確に分かれるんですよ。
卒業生がいっぱい訪ねてきてくれる先生と、全く訪ねてこない先生。
どちらもそれが当たり前になってるから、お互いのことにあんまり気づいてないらしいんですね。
なるほどなって思いましたけどね。
だから、いっぱい訪ねてくる先生はそうだし、訪ねてこない先生はそれが当たり前だから寂しいとか思わないんです。
でも僕はね、訪ねてこないイコール印象に残っていない。
だから、それだと、その子にとってその先生っていうのは、さほど意味がない人っていう形になるんですね。
それは、その先生がかわいそうとかじゃなくて、子供たちに意味のない時間を過ごさせてしまったっていうことに対して、
自分がどれだけ感じるかぐらいは考えておかないといけないんじゃないのかなと思ってます。
その先生と話してて、残念ながら先生で熱量は均等ではないと。
これは僕はコーチでも一緒だと思う。
適当にやってる人もいれば、ビジネス感覚でやってる人もいるし、熱量込めてやってる人もいる。
そのすべてにおいて、熱量が高いほうが結果が出てるかっていうと、そうではない場合もあるんですよ。
だから一番いいのは、熱量が高くて結果も出てるって、それを目指すべきだと僕は思うんですけども、
ビジネスで結果を出してれば、ある種それがスタンダードになるし、そんなにやる気なくても結果が出てるんだったら、
それももしかしたら選ぶ選択肢ともなるかもしれないんで、一概にどれがどうってことはないけど、
僕の判断基準としては、その子が人生を振り返ったときに、
あの人に出会えてよかったなって思えるような人に慣れてるかっていうところは、結構大事かなと思ってます。
コーチとしてもそこの感覚ぐらいを持ってないと、大事なお子さんを預かることはできないと思うので、
だから僕の中では、これ言っちゃうと嫌われるかなっていう迷いさえもあまりないですね。
やらなきゃいけない、言わなきゃいけない、そのタイミングが来たら、その子に合った方法でいく。
これが昔と今の違いではあると思うんですね。
昔はまとめてドカーンガツン上からって感じだったけど、今はやっぱりその個々の内容とか性格とか、
そういうのを判断して言葉をチョイスしていって、その子にヒットさせないといけないんですね。
ヒットさせたらどうなるかっていうと、心に響いたら行動に変化が現れるので、
基本的に何か僕が伝えたことに対して、行動に変化があれば、その伝えたことが伝わったというふうに捉えてみてもいいんじゃないのかなと考えるので、
結局言った後、2,3日行動をちゃんと確認して、そこから1ヶ月、2ヶ月した時に、
振り返ってみた時に、あの時ここで言ってるから、今彼はここの位置まで来たなとか、
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そういうふうに思えるような、どっかでタイミングの勝負はかけないといけない。
優秀な子、例えば手のかからない子でも絶対に、それは小学校2,3年生から見てて高3までだと、どっかでその競技がもう嫌になる瞬間ってあるんですよ。
そういった時に、あなたは隣にいれましたかっていうところがすごく大事。
その大事にしてた子が伸び悩んで苦しい現状の中で、同じく苦しいなと思いながら、何を言われてもいいから隣にいる覚悟みたいなのは、
僕はね、持っておかないと、やっぱり子供と接する上ではいけないんじゃないのかなというふうに感じています。
全力で伝えたことっていうのは、理解されるかどうかは別として、将来で結果が出ることだと思うので、
今、例えばね、こんなこと言って、こいつこんなになっちゃったって思ったかもしれないけど、
あの時はって言ってくれる子になってくれるかもしれないからね。
だから、やっぱり自分の発言っていうものをちゃんとね、立場も踏まえて言うときは言うっていうのが、僕はいいんじゃないのかなというふうに感じております。
ということで今日はこれで終わります。それではまた。