1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
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2025-12-10 20:28

われ泣き濡れて古家とたはむる【四】 #492

京町家シリーズ。
滞在しているうちに、どんどん京都に愛着が湧き‥という話。

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サマリー

京町屋のリフォームについて、工事の進捗や課題、理想と現実の折り合いやこだわりを語ります。このエピソードでは、古い建具の使用や季節ごとの住環境のメンテナンスについての思い出も共有されます。また、京都の町屋や祇園祭りについて語る中で、京都への深い愛情と居心地の良さが表現されています。特に、著者の過去の経験やその土地に対する直感的な感覚が、京都への思いを一層強めています。

京町屋リフォームの進捗
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は久しぶりに、京町屋についてのお話をしようと思います。
今のところ、1月末引渡しを目標にやっております。
通常、工事って、新築にしてもリフォームにしても一緒ですけれども、絶対に終わりは決まってるんですよね。
1月末といえば、1月末に終わるように、すべて工事の工程は決めていくんです。
よほどのことがない限り、工事が遅れるということはありません。
今回は、ただお客様サイドの方にも、いろいろ、引越し時期の見直しですとか、もろもろの事情がありまして、割と余裕はあったんですよね。
それが非常に助かったんですよね。
普通であれば、9月から工事始まってるんで、年内には終われるかなと思ってたんですけれども、
どう考えても、やることが多かったので、1月末まで余裕を持って見ていたんですよね。
やはり、思った通りそれぐらいかかったということなんでね。大変な工事ですよ、京町屋ってね。
お客様自体も、今現在住んでいる家の処分というか、売却とかそういったこともあって、
万が一、この工事が1月いっぱいで終わらなかったとしても、まだ引越しまでに猶予があるので、細かな調整とかはまだできるという状況なんですよね。
今どこまで進んでいるかというと、本当に地道な内部の大工さんの作業がずっと続いておりました。
建物自体が古い上に、ちょっとね、やや傾いてるんですよね。
弱気って言ってね、弱気上げって言うんですけど、あまりにも歪みがひどい場合は、もう土台からね、ガシャガシャガシャガシャって言ってね、
レベルをね、上げたりして傾いているところを水平にしたりするっていうね、別の工事があるんですけれど、
それをね、入れるほどは歪んでないかったんでね。このまま工事をしたんですけれども、それでもね、かなり傾いてるんですよね。
左から右にちょっと、少し建物が傾いてるっていう感じで。
なるべく水平をとりながら、この歪んでるところをね、うまく調整しながらね、壁の位置とかそういったものも全部作っていき、
かつですね、最も大事なのは予算の範囲内でしか当然工事できないんで、
これをね、やりたいように好きなだけお金と時間をかけてね、本当に本格キョウマチアを完全再生するみたいなことができればね、
それはもう夢のようなんですが、それはね、なかなか難しいんですよ。
ここのね、現実と理想の折り合う地点をね、折り合いをつけるっていうのがとても難しかったですね。
親しくさせていただいているお友達に、あのキョウマチアをね、何件もリノベして住んだり貸したり売ったりっていう人がいるんですよね。
この人と話しててもね、もうやはりね、こだわりが過ぎるとね、どんどんお金がかかるよねっていう話をされていてね、
この人もね、見に来たいって言ってくれてるんですよね、私の今回の工事をね。
ですけどね、きっとね、こんなにこだわってね、自分の自己資産を投げ打ってね、工事してるような人はさすがしね、かっこよくキョウマチアをね、再生してるだろうなと思ってね。
一方のこちらはね、夢高く野望に燃えて始めたものの、やはりね、現実と理想はかなりね、いろいろとにかく折り合いをつけていかなきゃいけないんで、いろいろね、妥協の連続なんですよ。
例えばね、私がやった妥協は、2回がね、痛みがひどいというか、もともとの幕末以前のね、本当の本来のキョウマチアだった頃の後に、昭和の頃に増築してるんですよね。
工事のこだわりと妥協
で、この辺りの劣化具合とか、えっとね、継ぎ接ぎ感がね、やはりなかなかね、よろしくない状態だったんですよね。
で、これをね、上手く、例えば今流行ってるのって、あらわし天井って言うんですけれど、あらわしっていうのはだから、もともとの古い古民家とかでよくありますよね。
わざと天井を、本来なら天井に天井材を張るんですけれど、それ張らずにね、ズコーンと吹き抜けみたいにして、丸たばりとかね、柱とかその綺麗にも見せちゃって、大きく高さのある天井にしたりとかっていうのをね、
キョウマチアとかを店舗に使ってるようなところで、よくこういった仕上げにしているとこ、ご覧になったことあると思うんですけれど、これはね、以前キョウマチアの専門家の方からも言われてるんですよね。
本来ここは住むためにやるんだから、そういう吹き抜けとかにしても、すごい埃も入ってくるし寒かったり暑かったり、いろいろあるんでね、おすすめじゃないよというふうに言われてね、あれはなんか今若い建築家とかが、
下地というか骨組みを見せるっていうね、衣装にとても今流行ってるけれども、あれは本来のキョウマチアからいけば別に、それがそういうふうに花から見せるためにそういうふうにしてるわけじゃないんで、
ここはもう素直に閉じた方が、住む人にとっても見た目をとってもね、その方がいいですよって言われてね、それ全部だから綺麗に下地張ることにはしたんですが、
ここはね、どれぐらいですかね、15坪あるかないかぐらいの狭いキョウマチアなんですけれど、ここに夫婦2人で住むんで、1階にLDKと浴室とかね、あるんですね。
キッチン浴室トイレがあって、2階はね、ほぼもうフリースペースなんです。
だからトイレと2階には2階でトイレも作って、主寝室が1部屋あって、あとはもうフリースペースで、1階のだから面積がそのまま2階まで伸びてるんで、広々と使える2階部分っていう感じになってるんですね。
ここはあえて寝室だけ閉じて、それ以外はスコーンと壁を立てずに、オープンなスペースにしてあったんですね。
この広いスペースに、それぞれね、夫婦1人ずつ大きなクローゼットを作っても十分スペースがあるっていう状態で、この大きなクローゼットというかね、物入れはちょっとこだわってですね、杉板張ってですね、通気性よくするようにして、
ここの扉は、わざと古物というか古い、昔の家屋から回収してきた建具とかっていうのを販売してるんですね。
この京都で有名な建具屋さんがあるんです。古い建具売ってるところでね。ここを京町屋の専門家の人に教えてもらってたので、ぜひとも今回使いたいなと思って、お客さんの方もぜひ絶対古い建具使ってほしいですって言われてたんで、
このクローゼットの扉はわざとね、4枚引き違い扉ね、左右にスライドで動く扉です。これをね、須戸っていうね、須戸は須垂れの須ですね。あとはね、吉戸とも言ったりするんですけれど、これね夏用の建具なんですよ。
だからね、ほんと須垂れみたいに竹とかね、吉っていうね、この木をね、細い木を縦にバーっと刺してあるようなね、もう完全にだからツーツーで風も通るし、最高っていうかね、光も多少入るみたいな、そういうね、通気性のいい扉なんですよね。
でこれ、必ず本来の京町屋は夏になると、この扉も全部夏仕様のこの風通しのいい扉に取り替えて、冬寒くなってきたら風を通さない板戸っていうね、板でも完全に覆っているか、中にガラスが入っているにしても、ちゃんとそこに障子がついていたりして、風とかが入らないようにする建具に取り替えるっていうことをやるんですよね。
だからそういえばね、私の実家なんかはそんなに大して古い家じゃなくて、戦後にね、昭和に経った家でしたけれど、今思い出すとね、あの大晦日の前というか、正月の前には必ずみんなで大掃除してね、畳もちゃんと外に出して干したり、
で、障子もね、わざとみんなでベリベリって、あの手でね、パンチで、あの障子わざと破って、で、ちゃんと張り替えたりしてましたよね。だからいろいろね、季節とともに必ずこうやってメンテナンスしながら住んでいたっけなーっていうことをね、今回改めて思い出しました。
本当に京町屋に丁寧に暮らすというのはね、昔からやっていたこういう伝統というか習慣をずっとやっていくっていうことなんですよね。だからいかに現代人がね、あの面倒くさがって何もやらなくなったかっていうね、じゃあ代わりに何やってるかってそんなに忙しくしてるのかなと思ったりしますよね。
昔はだってもうおせち料理作ったり、料理も毎日毎日かまどとかその便利な家電製品もなくて、何もかも手で作って、で、洗濯も手で洗ったりね、何もかもしてる上にね、こうやって家の中のあの住環境も季節ごとに全部取り替えたり、新しく張り替え、張り直したりとかっていうことを丁寧にやってたんだなと思うと、いやーなんか便利になったのはすごくいいことなんですけどね。
今逆にこうやって私がこうやって音声配信を収録したりとか、ぼんやりネットフリックス見たりとか、音楽聴いてボヘッと漫画読んでたりとか、こういう時間が多分昔の人はなかっただろうなと思ったりもするんでね。
だから何がいいのかわかんないんですけど、京町屋の回収を通して、日本人のかつて行っていたこういう住環境というか、住習慣みたいなものを改めて思い出したりすると、なんかね、なんか感慨深いものがありましたね。
とにかく話を戻すと、このクローゼットの扉はわざとこの吉戸という夏用の建具をわざと使って、このクローゼットの中っていうのは結構湿気たりとか匂いがこもったりする場所じゃないですか。ここはわざと通気性のいい、こだわってですね、壁は全部杉板張って、扉はこの吉戸にして、見た目もちょっとレトロでね、昔の京町屋の雰囲気を残しながら、
そういうものを使ったりして、こだわった作りにしている一方で、やはりね、壁の状態は極めて悪くて、こんなところまで全部漆喰とかね、土壁とかにすると大変なことになるんで、それは予算的にね。ここはもうなくなく、クロスで行くかということにしました。
もう2回は丸々クロス張りにしました。その代わりちょっとアクセントクロスとかを使って、いい感じにしようと思ってね、今それはやってるんですけども、こういうね、だからね、京町屋を3軒手掛けたっていうね、お友達に見たいって言ってくださってるんですけどね、やっぱり色々妥協したり、色々してるんでね、なんか恥ずかしいなっていう気持ちもあったりするんですけど、
設計塾での学び
これはお互いに、この京町屋をね、なるべく残したいという思いは一緒なのでね、お互いにこういう作品を見せ合うことで、反省とか、学習とかね、そういったことの共有になったらいいかなと思ったりはしますね。
私も彼女が手掛けた家とかをいずれ見させてもらってね、色々学ばせてもらいたいなと思うんですよ。どこが現実と理想の折り合いの地点になるのかとかね、色々その辺の考え方とかをね、色々学びたいなと思いますね。
いかんせん、私もこれ初めての経験なのでね、本当に色々手探りでしたね。でね、その後ね、京町屋の設計塾っていうのに通っていても、前回の配信から2回ほど行ってて、これだって6ヶ月で3万円なんですよね。
お金はね、ある意味どうでもいいんですけれど、たった3万円なんですけれども、すでにね、この設計塾が色々だから依頼が来るんですよ。ここは京都で一番にこの京町屋の保全再生を手掛けている団体なのでね。
ここに色んな相談が来ると、真っ先に色々現地調査行くわけですよ。その現地調査にすでに2回立ち会わせてもらってるんですよね。これはね、めちゃくちゃ貴重なことですよ。
それもね、今私が手掛けているのは、言っても15坪ぐらいの小さな、言葉は悪いですけど、それほど高級な物件ではないんですよね。ちょっと本当に言葉は悪いんですけれど。
でもね、例えば京都の中でも真ん中の中業区とかね、中の京都ですからね、ああいう高級なエリアがあるんですよ。こういったところにある京町屋はさらに大棚っていうんですかね。
もっとお金持っている、大きな空き内をやっているね、お金持ちの商人たちが作っている町屋なんで、もう私が今手掛けている町屋が10件分ぐらい並んでいる。ワンブロックが全部この1つの町屋っていうのはね、大きな大きな町屋とかがいっぱいあるんですよ。
この辺りの町屋が祇園祭りの時の大切な中継地点っていうんですかね、出発地点みたいになってるんですよね。だからこの祇園祭りとかもね、全部京町屋はすべてこの辺は繋がってるんですよね。
だからこの私もね、次は夏に、今度は祇園祭りに参加しようと思ってます。で、あとは私はお茶とか別に習いたいとは全く思ってないんですけれど、本当にね、ちゃんとした優秀正しい京町屋になるとやはり茶室とかね、そういったものを備えているところもあるんですよね。
だからね、そういうことになってくるとやっぱりお茶のこととかわかってないのにね、茶室とかの工事とかできないだろうなと思ったりもするんでね、これは奥が深いですよ。だからもう、もうあのひとたびね、足を入れたらもう一生出てこれないね、底なしの間みたいな世界ですね。
うーん、でもちょっと話が逸れるんですけど、こうやってね関われば関わるほど、あのこの工事に限らずなんですけれど、京都が大好きになっちゃって。昔から京都はね好きなんですよ。行けば楽しいんですけれど、なかなか行く機会がない近くて遠い場所だったんですが、こうやってね半分住むようになってくると、
いや私、もともと前世は京都だったんじゃないのとかってね、もうなんかねそういう思い上がったあの勘違いをし始めてるんですよね。以前はね、私は多分ねパリにいたなとかね思ってたんですよね。
多分前世はパリのね、貴族だったんじゃないのって、貴族かブルジョアだったんじゃないのかなってね、都合のいい想像して楽しんでたんですが、今はね京都でね、なんか京都にいたんじゃないかなとかって思ったりするぐらいね、居心地がいいし肌に合うんですよ、ここが。
ここの感じ悪さとか、奥行かしいと称してなんかセコかったり、傲慢だったり、自分勝手だったり、自分のことしか考えてないとことか、あとなんだろうな、このロジカルなとことかね。
で、なんかあんまり情に熱くないんですが、まあでも身内意識が強いところとかね、何もかもちょっと微妙にというかかなり大阪とは違う、こういったね彼らの文化とか、人間性とかね、居心地がいいんですよ。
めちゃくちゃ好きなんですよね。この人たちのこの感じがね。で、そこにね、なんとなくこう、よそ者としてなんか渋々、まあいいよ、あんたそんなに来たいんだったら、まあいていいよ、みたいな感じでね、渋々、ちょっと席を空けてくれてる感じで入ってる、その、なんか居させてもらってる感じもね、極めてなんかいいんですよね、なんだかね。
だからちょっとね、本気で京都には移住したいなって思ってるんですよね。で、これ夫は初耳なんで、これ夫がこの配信聞いたら、なんじゃとて!って言うと思うんですけどね。
夫はね、大阪からね、一歩も出たことない人間なんで、まあちょっとね、それ受け入れてくれないかもしれませんので、ここからはね、いろいろ、二拠点生活をするのか、どうするのかっていうね、あとはたまたこれは夢で終わるのか、全くわかんないんですけど、それぐらい京都はね、私にとって居心地がいいです。
私は全く霊感とかね、そういうスピリチュアルなものは全く持ってないんですよ。まあ信じても正直いないんですが、それだけじゃなくても、そもそも自分にそういう能力というか、持ち合わせていないんですよね。
ですけども、不思議なこの建物とか、土地に対する直感みたいなものすごく子供の頃から持ってるんですよ。もうね、瞬間的にその場所に立った途端にね、ここはなんかちょっと危ないとかね、ここはなんかあんまり好きになれないとか、ここはなんかすごく懐かしい感じがするとかね、そういう直感がね、わりと子供の頃から発達していて、
これね、でもね、もしかしたら私の特殊能力というよりは、小さい時からね、点々といろんなところにね、引っ越ししたり、海外で暮らしたことがある人にはもしかして備わっている能力なのかもしれません。やはりね、海外に行くと、もう全てが知らないところになるんでね。
特別ね、なんかこう、第六感というかね、全ての自分の五感を研ぎ澄まして、危険を察知しなければいけないんでね、なんかこう、とにかく五感が研ぎ澄まされるんだと思うんですよね。その感覚がね、私も多分子供の頃から点々といろんなところに行き来しているんで、多分ね、それがあるんですよ。
だからね、一瞬、もう足を踏み入れた瞬間とかね、駅に、電車で駅に降りた瞬間にね、なんかね、わかるっていうものがあって、それが建物とかね、にもあるんですよ。この建物の中が、ああもう嫌だとか、ここすごくいいとかっていうのがね、もうしみじみ見なくてもすぐわかるっていうのがちょっとあって。
で、これはね、だから神戸はね、あの神戸の人には申し訳ないんですけど、私はこれは完全にうちの父親のせいなんでね、神戸というのは素晴らしい素敵な場所なんですが、私の父親のね、あのまあ私のいい加減な父親がね、あのここに生きて、生きて住んでると思うだけで、ちょっとね、嫌だなと思っちゃうんですよ。
でも一方のね、京都はね、なんかとても居心地がいいんですよね。という、なんか京都の、京都を移住したいな話で、途中ちょっと終わってしまいましたんで、また続きは、また今度とさせていただきます。はい、それではごきげんよう。
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