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  2. S095 人は結局「無」に帰する
2025-06-13 11:28

S095 人は結局「無」に帰する

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イントロ

人は体験したあと、最終的に「無」に帰る

仏教での「空」 「無」とは?

 「無」に帰るから、今を大事に生きる

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サマリー

このエピソードでは、人間が最終的に無に帰するテーマについて考察しています。実体のない無の概念や、その道のり、さらにはスピリチュアルな成長と経験の重要性について掘り下げています。

00:00
みなさんこんにちは、MARSです。今日も始まりますMARSのスダラジ。
みなさんこんにちは、MARSです。今日も聞いていただきありがとうございます。
無に帰することの意義
今回はですね、人は結局無に帰するというタイトルでお話したいんですけれども、人はですね、最終的に無ですね、何もない無というところに帰っていくんだという思いがね、最近ずっとしてるんですね。
この話を聞いて、みなさんはどう思われるでしょうか。寂しいなとか、孤独だなとか、虚しいなというふうに思うかもしれません。
でもですね、結局私はですね、思ったのは、人の精神が極限まで来ると無に帰っていくんだなということをですね、最近感じております。
その理由は分かりません。でもですね、私は最近そういった思いを感じておりますので、そのことについてちょっといろいろとお話したいなというふうに思いますので、最後まで聞いていただければというふうに思います。
このマースの須田ラジは一つのテーマに沿って台本なしのフリートークをするというコーナーです。気になったこと、考えていること、人生のこと、ちょっと重いテーマなど、その時その時にピンときた話ができたらいいなというコーナーです。
須田は観光校でおしゃべり、ラジはラジオ。おしゃべりラジオという感じで聞いていただければというふうに思っています。よろしかったらフォロー、いいね、コメントいただけると励みになります。
ということで、今回は無というですね、何もない無についてお話したいと思いますので、最後までゆっくりと聞いてくださいね。
はい、ということで今回は人間は最終的に無に帰するという話をしたいと思います。 このね、言葉を聞いた時に皆さんはどう思われるでしょうかね。
無に帰るなんて寂しいとか虚しいとか、あとは孤独だというふうに思うかもしれませんけれども、最近ですね、私はこの無に帰りたいという思いがすごく強いんですよね。
それがなぜかわからないんですけれども、いろいろ考えたね、そういったお話をしてみたいなというふうに思います。
結局ですね、人間はこの地球上に生まれた理由っていうのはですね、いろんな体験をしたいからということなんですね。
人間が生まれる前っていうのは魂っていう存在でして、魂のいる存在が霊界というところなんですね。
そのスピリチュアルな世界では何でも実現できるんですよね。思ったことがすぐ目の前で実現できるんですね。
なので不自由がないんですけれども、でもですね、そういった世界にいるとだんだんそういった世界が飽きてくるんですよね。
ですので実現しない世界に行きたいなというふうに思ってしまうわけなんですよ。
それで肉体を持った人間として生まれて、この地球上で重い肉体を持って、そして時間と労力をかけてしないと実現しない、そういった世界に生まれてくるんですね。
で、そういった世界に生まれながらいろんな体験をしていろんなね、気づきがあったりして魂を磨いていくわけなんですよ。
そこで体験したことというのはすごく貴重で、それがね魂の磨きにすごく重要な役割を果たして、
そしてそういった体験を持って再びですね肉体が滅んだ後にスピリチュアルな世界に行くというね繰り返しをしているわけなんですが、
そういうね何もうまくいかない、何も手に入らない、何も良くならないという状況を人間世界で体験したいがために来たんですが、
それがねあまりにも理想とかけ離れたり、あまりにも自分のキャパを超えてしまったりですね、
辛いと大変だというふうに思うことが多いと思うんですよ。そうなるともうねこの人生終わりにしたいと言って自分のね肉体を自ら滅ぼしてしまう人もいますし、
それができないとですね何とかね寿命まで生きようというふうに思う人もいると思うんですよ。
で結局ですね私はそういう辛い体験とか大変なことがたくさんあると結局ねスピリチュアルなことを知ると
自らね死を迎えることはできないんですよ。なのでそういった執着から離れたいという思いからですね
無ですね何もない世界に行きたいなというふうに思うんですね。そして他の誰かではなく自分自身の内面と向き合いたいなというふうに思ってるんですよね。
そしてもっとね自分の内面に感じている考えとか思いとかそういったものを感じながら成長、もっと魂をね成長させていきたいなというふうに思うわけなんですね。
もうね人間世界で体験したことはもう十分にねいろいろ体験しました。本当にね嫌なこととか辛いこともたくさん体験したし
もうねそういったことは十分だということでそういった体験はいらないとしたくないというふうに思う最終的境地が無に変えるということではないかなというふうに最近考えています。
無の境地と心の満たし方
でですねあの歴史的な宗教とかを見るとですね仏教でですね空とか無という概念があるんですね。
これはですね全て実体を持たないものなんですが執着から解放された先にある穏やかな境地が無であるというふうに教えてるんですね。
それは虚しいとか悲しい無ではなく満たされたね静けさなのかもしれないということなんですね。
なので何もないところで一人でいてね虚しいとか悲しいとか寂しいとかそういう境地ではなく心が満たされた状態でいる静けさな場所ということなんですよね。
でそれがですね多分私が求めている世界なのかなというふうに思います。特に私が仏教を勉強しているわけでもないんですけれども結局ね
人間の精神が究極の状態になるとそういった世界を求めるようになるのかなというふうに思いました。
素晴らしい。
でですねこの無の境地に帰るという意味なんですがどうせ人間は最終的に無になるから今をねいい加減に生きてどうでもいいやっていうふうに思うのではなく
今ねこの瞬間をどう生きるかが大事になるんじゃないかなということなんですよね。
無の境地になるということは結局満たされた状態で無の境地にいるわけですから今ですね生きているこの自分が満たされた状態ではないと
無の境地に行っても満たされた状態ではないということなので今ですねこの瞬間どう生きてどういう行動してどういう選択をするかというのが大事だということを最近ですね考えています。
私たちは頭ではねいつか死ぬことは理解をしているわけなんですよね。
でもやっぱりね愛する人とか身近な人が死に至るとやっぱり悲しいものですよね。
で結局肉体を滅んで目の前から消えてしまうわけなんですけどもそれは結局本当に無なのかということなんですね。
つまり私たちの心の中ではそういった人もね確かに生き続けてるしそういった人の言葉とか姿も心の中では残ってるわけなんですよね。
でそういうなんていうかですね自分の実態とか自分の言葉とかそういった行動とかですねいろんな人の心残るように生きるのが大事じゃないかなっていうふうに思ったわけなんですね。
で結局人はね無に生きするということはこの言葉はね私たちを絶望させるためのものではなくむしろね今生きている人生を肯定するための言葉じゃないかなっていうふうに思ったんですよ。
限りあるこの人生ですねこの時間の中で何を大事にして誰を愛してどんなね波紋をですねこの世界に投げかけていくかというのが大事じゃないかなというふうに思うんですよね。
それはですね私たちが一人一人が考えるものであってそれぞれのね考え方が違うんですけれどもでもそれは誰かが教えてくれるものではないと。
結局自分自身が生きるこの人生をどういうふうに生きるかというのが大事であってそういった満足した人生の先に満足した無の境地があるのではないかというふうに思った次第です。
きっとねちょっとわからない人も多いと思いますけれども共感してくれる人もいると思います。
無の境地に行くというのは決して寂しいことではなく自分の心が満たされた状態で無の境地に行ってそして自分が満足する。
いろんな悲しみや苦しみの執着から解放される場所それが無の境地ではないかというふうに思った次第です。
わからない方はスルーして頂ければというふうに思います。
はいということで今回は結局人は無に期するというお話をしましたがいかがでしたでしょうか。
多分ほとんどの人は理解できていないというふうに思いますけれども結局何もない世界が一番心地いいのかもしれません。
いろんな人とね交流していろんな人と楽しいことをするというのがやっぱりこれ人間の使命というかね生きている目的なのでそういうことをするのがやっぱり人間としては楽しいと思うわけなんですが
結局なんていうかねスピリチュアルな世界では魂っていうのは一つなんですよそれが分かれて人間としてねこの地上に生まれてきたわけなので結局は一つなんですよねなのでいろんな人との交流を十分楽しんで満足していろんな悟りを開いていろんな築きを得てそして魂が磨かれてその先には無があるということだと思うんですよね私もどういうことがよくわかりませんけれども
結局ですねやっぱり無が何もないものが最終的な執着地点なのかなというふうに思います何でもあるところではなく何もないところが執着地点だなというふうに最近思っております
もうちょっとねいろんなことを蓄えることができたらですねまたいろんな解説をしてみたいなというふうに思っています
共感できる方いることを願っております ということで今回はこの辺で終わりにしたいと思います今日も聞いていただきありがとうございました
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11:28

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