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2023-11-06 14:00

#2もしドラのマネジメント術を陸上部で応用したらどうなったか!

当日高校生の僕が入部した部活は廃部にまで陥る。冗談ではなく廃部寸前まで2度ほど経験があります。ほんと冗談ではなく。

 

 

 

そんな私が陸上部を廃部直前から20名ほどの部員になるまで活動できたこと。

 

そして2014年第1回朝日新聞社主催の読書甲子園で優秀賞をいただいた。「もしドラ」のマネジメントの読書ボード。

 

 

 

今この歳になって当時していた活動自体がマネジメントだったんだなっていうお話しです。

サマリー

彼はドラッガーのマネジメントを読んだことから、ネジメントに意識を向け始めました。そして、彼は野球の中でドラッガーのネジメントを実践することで、どのような変化が起こるかを想像し始めました。

図書室での出会いとマネジメント意識の始まり
おはようございます。11月6日、月曜日。
4時44分。
田んぼじゃなくて、堤防の上を歩いております。
今日はめちゃくちゃ強風で、酒の音が録音に影響しないかが心配している所存でございます。
では今日も一日、ロジックボム、よろしくお願いいたします。
今日はある程度、昨日のお伺いでネタは用意しないと言っていたんですが、
この話はちょっとしておきたいという人がいまして、今日はその話をしようと思うと。
そうするとですね、自分が今まで体験してきたネジメントの話が少し言えばなと思っております。
私がネジメントに意識しだしたのは、生が悪いことでしたね。
当時、私、本を読んでいたり図書室にこもっていた時期があって、
そこでドラッガーのマネジメント、それを読みやすくしてほしいという気になっていました。
皆さんご存知でしょうか。
もしここの野球部のマネージャーがドラッガーを野球内でネジメントしたら、
このように変化が起こるというストーリーって、
ネジメントはパブルじゃないですけど、触れる。
私が高校生の最後に図書室でまた集まって、
そしたら本を読書会をしていて、山内博美先生という方です。
朝日新聞公社の高校生というものが今年から始まるから出てみないかと言われました。
そこに頼って応募しました。
そしたらまさかの、第1回目の高校生というのは優秀に出てきて、
山内博美先生が所属していた技術学校にテキスタイルデザイン科というものがありました。
ほぼ9割9の女性になるクラスになるんですけど、そこに男性が、友人が1人いました。
その4人のグループの中にいました。
森下くんですね。
その方に絵を描いてもらい、周りに読書会で、
僕は校門とかその話し合いを経て、気づいた気づきを紙の周りに書いていきました。
読書ボードを作ったんです。
それで東京まで行きまして、朝日新聞社の本社で受賞式をしたんですけど、
早々たるメンバーの方が登壇されていました。
池上明さん、びっくりしましたね。
まさか間近で見られるとは思っていませんでしたし、
貴重な経験でした。
それから、高校生から10年ですけど、
いわゆる画伯時代、結構マネジメント、
マネジメントの人たちが多くて、
小、中、高と。
リーダー。
リーダーは一生懸命な絵を描いていました。
大学を通った時に
手に浮かばれることがありました。
これは知ってるわけでもなくてめちゃくちゃ嫌でした。
僕以外の誰でもいいんじゃないかって、
引き継いでから思っていたりしていました。
私、中学校時代バトミントンをしていたんですけど、
めちゃくちゃ怒られて、帰れと言われて、
泣きながら帰る直前、
帰ってましたね。
そのまま放り出して、客席にもかかわらず、
荷物まとめて玄関から飛び出していった過去もあります。
僕の時代が一番マネジメントっていうのを
マネジメントの実践と陸上部の変革
無意識に実行できてたんじゃないかなって思ってた時期があります。
当時、小中高等、何年でしょうか、
小学6年、中学3年、高校3年、
12年間共に過ごした親友が地元にいるんですけど、
小中と過ごして、同じ部活動に入って、
1年生の頃は活動していました。
ハンドボール部でした。
当時、ハンドボールの活用を当時ジャンプで掲載されていて、
ハンドボールの間に管轄されて同時に入部しました。
そこで3年生が5人、2年生が1人、そして1年生が5人いました。
結論から言いますと、配分になりました。
3年生が卒業した後、その頃には1年生は4人に減っており、
2年生の先輩が腰のヘルニアでハンドボールができなくなり、
気づいたら1年生だけしかおらず、
僕とその親友しか残っていませんでした。
活動自体が終わらなくなって、
配分になって、ただ授業を受けに高校に行っていた時期もあったんですけど、
この1年生の秋頃にマラソン大会があって、そこで陸上部の先生に行って、
そこでも比率として3年生が抜けた後であり、
2年生が5人、1年生が私を含めた4人、計9人で活動していました。
陸上って面白かったですね。
ただ単に自分が頑張れば成果が目に見える。
やったらやった分だけその場で成果を得られる。
このストイックになれる環境っていうのが自分にめちゃくちゃマッチしていたなって思います。
そこで陸上部として2年生も活動していたんですけど、
やっぱり先輩が先に卒業されていくので、
また先輩が卒業される前に、
1年生がまた俺と小学校から友達の2名だけになる時期がありました。
なんか呪われてんのじゃないかなと思いましたね。
やっぱり自然と人が離れてくる自分を嫌になった時期でしたね。
そこからこのままじゃいけないと思って、
観葉活動であり、いろんな校内の自分と気が合うじゃないですけども、
一緒にいて楽しいなと思っている人たちに声をかけてなんとか陸上部に入ってもらいました。
なかなか介入は難しかったです。
気づいたら、僕が卒業する頃には20名以上のクラブになってました。
まもとですね、陸上部の顧問の宮崎先生にはめちゃくちゃ申し訳ないことをしたなと思いました。
変革の時間が早すぎてですね、宮崎先生の手に負えなかったのではないかと思っております。
その陸上部の分野を増やす過程が僕の中でマネジメントしてたんだなっていう気づきを今思い返すと、
ちゃんと理解してなかったにもかかわらず、言語化していなかったにもかかわらず、
自分がやりたいことをできてたなっていう実感を得られました。
今思い返すとです、これは。
その賞、読書更新の賞をいただいたのと、高校時代の部活生の経験とマネジメントに陥って、今年になって繋がりました。
このマネジメントっていう部分、自分たちはまだ言語化しきれてないと思うんで、
自分でも気になる方がいらっしゃったら、一緒に掘り起こしていけたらなと思っています。
話題のマネジメントにしましては、今日はこの辺で終わろうと思っています。
おはようございます。風強いですね。
気温がいろいろ暑かったり寒かったりすると思いますが、
お体をいたわっていただけると嬉しいです。
お互い気遣っていきましょう。
それでは今日はこの辺で。
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