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指先が、覚えている 〜 触感というメディア体験
2026-06-08 16:31

指先が、覚えている 〜 触感というメディア体験

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▶話した内容

東京大学・酒井邦嘉教授ら×マンガ制作コアミックスの研究で、おなじマンガでも紙で読むとタブレットより脳活動が省エネ化することがfMRIで実証された(学生25人・PLOS One・2026年6月)/中身が同じでも紙か画面かという"うつわ"の違いだけで脳の働きが変わる=うつわが運ぶのは情報だけではない/生成AI全盛のいま紙の『ぴあ』『学研の科学』『学研の学習』が次々復活し、共通して「触れる刺激」が価値とされている/メディアの歴史は物→Web→アプリ→AIと効率化の過程で「触覚」だけを削ぎ落としてきた/スマホはツルツルのガラス一枚で、目と耳には届くが手には何も届かない/触覚は人間が最初に発達させる最も原始的で身体に近い感覚(赤ちゃんは触って世界を覚える)/紙の「厚み」は情報量を重さとして手に渡し、質感やめくる抵抗まで指が受け取っている/手を動かして失敗して覚えたことは自転車のように身体に刻まれて忘れない/触れられるものには痕跡(ヨレ・折り目・書き込み)が残って愛着を生むが、デジタルには痕跡が残らない/AIが情報処理を引き受けるほど人間に残るのは「身体を持っていること」で、判断の土台は触覚をともなう原体験から育つ


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サマリー

本エピソードでは、紙媒体で漫画を読むとタブレットよりも脳活動が省エネ化するという東京大学の研究を紹介し、情報伝達における「器」としてのメディアの重要性を探求します。AI全盛の現代において、紙媒体の雑誌が「触れる刺激」を価値として復活している背景を解説。メディアの歴史が効率化の過程で触覚を削ぎ落としてきたことを指摘し、スマホのようなデジタルデバイスでは得られない、紙の厚みや質感、手で動かすことによる体験が、人間の原始的で身体に近い感覚である触覚を刺激し、記憶や判断の土台を育むと論じています。AIが情報処理を担う時代だからこそ、身体性や原体験としての触れる体験の価値が見直されるべきだと結論付けています。

触れることの科学的根拠:紙媒体と脳活動
松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、それでもメディアは面白いは、 メディアコンサルタントで
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、 ありとあらゆるメディアの器を
こねくり混ぜながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは。
皆さん、こんにちは。松浦シゲキでございます。
ちょっとすいません、先週休んでしまいましたけど、 今日もしゃべっていきたいと思います。
今日はですね、何の話しようかなというふうに 思ったんですが、
触れるという話をしようと思いました。
何かですね、つい先日発表された、 すごく面白い研究というところを
まず紹介させてください。
東京大学のですね、坂井先生という方が いらっしゃるんですけど、その研究チームが
漫画制作のコアミックスという会社と 一緒にやった研究で、
2026年の6月に発表されたものですと。
何やったかというと、大学生と大学院生、 合わせて25人に、
同じ漫画を読ませるんですね。
ただし、片方は紙の本で、 もう片方はタブレットで読ませると。
その後、脳の働きをFMRI、つまり脳のどこが 働いているかを血色で見る装置で計測したと。
そしたらはっきり差は出たと。
紙で読んだ人の方が、脳の活動が節約されていたと。
具体的には、読んでいる時には左脳の 言語を司る部分、内容について問題に答える時には、
右脳の前頭腰、この辺りの活動が、 紙で読んだ方が省エネだったということで。
裏返すと、タブレットで読んだ人は、 同じ内容を処理するのに、
脳が余計に頑張らないといけなかった ということになると。
研究チームは、これを紙の読書の方が、 脳活動が効率的になることを、
初めて脳科学的に辞書したと言っておりますと。
論文もですね、学術誌にちゃんと載っているそうです。
これね、とっても面白い研究でして、
なんでかというと、中身は同じ漫画ということで、 ストーリーも絵もセリフも全く同じ。
違うのは、紙か画面かという器だけ。
その器の違いだけで、脳の働き方が変わってしまう、 同じ中身なのにですね。
じゃあ、紙の何が脳を楽にしているのか。
自分はですね、そのヒント、触れることに あるんじゃないかなというふうに思っておりますと。
だから今日はですね、この触れるという一点に 絞って話したいなと、
触覚ですね。 手触りと言ってもいいんじゃないかなと思います。
紙媒体の復活と「触れる刺激」の価値
でまぁ、なんで今この話をするかというとですね、 ちょうどここ最近、紙の雑誌が次々と復活していますと。
あのピアさん、復活しました。
2026年4月6日に月刊ピア、 飛ぶピアという形で復活しましたと。
B5で約100ページのフルカラー、価格1000円。
ピアはね、2011年に休館しているので、 約15年ぶりの復活。
面白いのは、ただ懐かしさで戻しているわけではなくて、 中身は思いっきりAI使っていますと。
編集にAIを最大活用して、紙面のQRコードから スマホで動画に飛べるとか、
タイトルがですね、飛ぶピアなどの、 紙からデジタルで飛ぶという意味なんですね。
つまり、デジタルですね、中身は。 なのに、わざわざ紙で雑誌しましたと。
あとですね、もう一つ、子供向けで言いますと、 学研の科学。
手回し発電機とか、組み立て機とか、 フロック付いてくるやつですね。
自分くらいの世代だと、あのフロックにワクワクした 記憶がある方もですね、多いかと思うんですけど、
これもですね、ちょっと前なんですけど、 2022年に復活してますと。
最盛期には、科学と学習を合わせて670万部。 すごいですね。
日本の小学生の3分の2ぐらいが読んでたっていうね、 とんでもないメディアだったわけですが、
しまいしの学研の学習の方も、2026年4月から、 今年の4月から16年ぶりに復活してますと。
で、これらのですね、復活を伝える言葉の中に 共通して出てくるフレーズがありますと。
触れる刺激。 手で触れられること自体に新しい価値があるという言い方されてますね。
さっきのね、東大の研究となんとなく繋がってくる感じしませんかと。
メディアの歴史と触覚の喪失
それで言うと、なぜ触れるんだろうという話ですけれど、
メディアの歴史をですね、触覚、触れるという軸で振り返ってみると、
メディアはある意味ですね、ずっと触覚をね、 杉を落としてきたんですよね。
昔は情報ってものですね、それで言うと。 手に取ってみたいな話で、新聞も雑誌も本もレコードもね、
手に取ってめくって重さがあって触れるもの。 それがウェブになると画面の中に映りましたと。
アプリになってもっと手軽になりましたと。 そして今、AIになってですね、画面に話しかけたら答えが返ってくると。
どんどんどんどん便利になって効率が上がっていった技術の進歩ですね。 それは間違いなく進歩でございます。
で、その進歩の過程ですっぽり抜け落ちたもの、これがね、触覚ですかね、それで言うと。
まあこれね、スマホ、タブレットもそうですけど、ツルツルのねガラス1枚じゃないですかね。
新聞読んでも、漫画読んでも、論文読んでも、ゲームしても、指に返ってくる触覚は全部同じ。
ツルツルとした冷たいガラスでございます。 何を読んでいても、何に触れてもいないと。
情報は目と耳には届いております。 でも手には何も届いていないと。
で、ここら辺がやっぱまあ大きい話なんでしょうね。 先ほどの研究でタブレットだと脳は余計に働いていたというのも、多分ここと
無関係じゃないかなというふうに思うんですよ。 まあそもそもやっぱこう互換っていうぐらいですからね。それで世界確かめてきましたと。
今もそうですけど、赤ちゃんとかね、何でも口に入れて握って舐めて触って世界を覚えていくと。
一番最初に発達する感覚みたいなところではあると思うんですよね。一番原始的で、一番身体性があるみたいな話だと思うんですよね。
見るよりもさらに手前には触れるがあって、触れて初めてそれが本当にあるかどうかというふうにわかるという感じですね。
まあそこらへんが原始的な感覚っていうところが、ある意味そこが重さだったりとか時間だったりとかいろいろあったんですけど、デジタルメディアはそこを捨ててきたという表現が正しいかどうかわかりませんけど、
なくしてきたわけでございます。そう考えると、今の紙にしろ何にしろ触るっていうところはですね、ただの懐かしいという話じゃないんじゃないかなと思うんですよね。
捨ててきた触覚っていうところをもう一度拾い直そうかなという話かなと思うんですよ。
触覚の重要性:赤ちゃんの学習と紙の体験
紙の冊の厚み。ピアはB5で約100ページですけど、手によった瞬間って、もちろん情報力があって、体でわかると思うんですよ。重さとか厚みとかね。
わかりますと。デジタルにはないですよね。スクロールバーで見ることはできますけど、視覚情報ありますけど、手にずっしりとくる重さ。
身体でいうと何も感じないと。紙はね情報量、重さとしてある程度渡してきますから、これ自体はそういう意味がありますと。
紙の表面の質感もそうですよね。ザラッとしたマット紙、つるっとしたコート紙。めくる時のあの感覚。
例えばフロコの部品によったプラスチックの軽さとかね。全部郵便が受け取っている情報、目で読んでいる内容とは別に、手がその紙、雑誌、人格みたいなものを受け取ってくるという話ですね。
昔々、私もワイヤード復活する時に、私はデジタルの人間でしたけど、やっぱりワイヤードの紙の表紙、
コーティングされた紙の表紙があるからこそ、ワイヤードみたいなのは非常に強く感銘を受けましたし、
遡る私20代ね、ほんのちょっとですけど、紙の仕事。紙の仕事って別に印刷の仕事じゃなくて、本当に紙そのもののお仕事もですね、昔々してたってこともあるので、ちょっとだけわかるんですけどね。
いうのもあって、紙ならではの手触りっていうのね、好きだったりとかします。
あともう一個、学研の科学の話に戻すと、あれの基本はね、結局手を動かすことだと思うんですよね。
手回し発電機、自分の手でぐるぐる回す、なかなか上手くいかない。あのガチャガチャした手応え、やっと動いた時のオッという感じね。
答えだけ知りたいんだったら、あのなんて言うんですかね、手回し発電機の仕組みだけ知りたいんだったら、今AIで聞けばですね、3秒で帰ってきて、何だったら図解すらしてもらいますと。
手回し発電機の仕組みはって言えばね。でも自分の手で回して失敗して指で覚えたことは、頭で理解したのとは別の場所に残るかなという感じですね。
学研さんも失敗を含む体験を通じた学び方が大事だというふうにも言ってるかなと思います。
これが体で覚えたってことで忘れないんですよね。自転車の乗り方、言葉で説明できる、じゃあできるんですけどね。
できるんですけど、やっぱり1回乗れるようになったら何年かぶりでも乗れるっちゃ乗れる。体が覚えている。それと同じで手を動かして触って失敗して身につけたものは、知識として手にあるんじゃなくて、
体の方に刻まれていると。私これ知恵の一部みたいな話してるんですけど、だから強いかなと思うんですよね。
あとはね、触れることの大事な側面もありましてね。触れられるものは全て何かしらも残りますと。後が残りますと。本題に並んだ背拍子、読み込んでヨレヨレになった文庫本とか、
ページの角を折ろうが、書き回ろうが、コーヒーをこもそうが、これ全部自分がその本に触れた後なんですよね。
ものとして手元にあるから自分との関係性が物理的に刻まれていくと。デジタルにはこれがなかなかないですね。何百冊読んでもKindleの中身はいつまでもずるっとしてると。
もちろんブックマーク機能あるんですけどね。触れた痕跡が残らないというところがあると、そこはやっぱり記憶のところでちょっと違ってくるかなと思うんですが、
器としてのメディア:触覚が運ぶ体験
メディアの器っていう話をいつもしてますけど、情報を運ぶためのいろいろなものだと普通は思われているかもしれませんが、
中身の情報を届けるための器でしょうと。 でも今私はですね、それはもう触覚すらも運んでないの?というふうに思うんですよね。
冒頭でご説明した研究がまさにそれかなぁと。 神の同じ漫画でも、紙で読むのと画面で読むのでは脳の働き方が変わると。
これやって器が運んでいるのは情報だけじゃなくて、という何よりの証拠かな。 手で動かしたりとか、手の触れているというのも情報だと思うんですけどね。最終的に脳に
同じ映画館の上映情報という中身でも、ツルツルの画面で受け取るのと、紙のページを指でめくりながら、その重さをテザヤルと一緒に受け取るとでは、
体の入り方、刻まれ方、情報の刻まれ方、脳への刻まれ方が違うかなという感じですね。
器の食感が変わると運ばれてくる体験がね、まるごと変わるみたいな話かなと思うんですよね。
これメディアに限らずだと思うんですけど、デジタルカッツのですね、言ってみれば触覚を削いで効率を上げてきた歴史かなと。
それはそれで正しいんですよ。大好きです私。 ただ削った結果、こぼれ落ちたものがありますと、それが触れるという体験かなとね。
今の紙回帰というところは懐かしいわけじゃなくて、こぼれ落ちた触覚というところをもう一度、
器として組み立て直しているというところはあるのかなというふうに思います。
何度も言うんですけど、デジタル自体を否定しているわけじゃないですよ。私デジタル大好きですからね、それでいうと。
AI時代における触れる体験の再評価
効率はAIに任せる、その上で効率では作れない触れる体験というところを別の体験で取り戻すって流れがですね、私は役割分担として来てるんじゃないかなというふうに思うんですよ。
私はですよ、相変わらず紙はKindleで買います。紙は買いませんというところなんですけど、それは
情報として、触覚の情報量というところも、好む好まないというと好むんですけど、これって
情報の保持、物理的な情報の保持っていった時に、スペースというところに対してのやっぱり効率化というか省力化というところを考えると、私はですね、もし
無限に本が受ける空間に住んでるんだったら、無限に本を買います、それで言うと。
これは間違いないです。今東京の家に住んでるからこそ、ある意味の効率化省力化という形で紙の本を買ってないだけで、ここはもう主者選択なんですよ。
本当に無限に本が受けになったら無限に本買ってます。Kindleで買ってません、それで言うと。みたいなところはあります。
買ってませんって言うとあれだな。持ち歩きとかそういうのと考えるとKindleでも買いますが、両方買ってるでしょうね。間違いなくね。
っていう話だと思うんですよね。そこは。なんでこんなに触れるっていうのは効いてくるかというと、やっぱりAIこれだけ賢くなるとですね、情報処理の仕事っていうところは
どんどんAIに渡っていくと。調べる、まとめる、予約する、答えを出す。この辺りはですね、もう人間やるより早いし、せっかくですと。
人間に最後に残るもの何かってね、あっちこっちで喋られてますけど、私はですね、フィジカル、身体制っていうところそのものだと思うんですよね。
触れて確かめて、体だけこれだと感じること。これはAIには絶対できないと。情報の蓄積としては触覚すら、多分情報の何かっていうのは残りますよ。
触れるっていう行為自体も最終的に電気信号になって脳に残ってるって話なんですから。
そこも一緒に覚える可能性はあるっちゃあるんですけど、人ならではないかなと。
人間がですね、何か自分はこれが良いと思うって判断するとき、この判断っていうところは、効率的に集めた情報からも得られるっていうのはあるんですけど、
ただ個人的には非効率でもいいと思うんです。実際に触れた、手を動かした、体確かめたっていう現体験の蓄積からじわじわ育っていく。
一時情報の蓄積から育っていくものかなと思います。だからですね、紙が運んでいる、触れるっていう体験はただの懐かしさじゃなくて、
人が人として判断するための一番下の土台っていう話ではないかなというふうに思うんですよね。
触れる体験の価値とメディアの未来
なんで私も未だに本屋さんに行きますし、別に紙の本自体読みますしね。かつこれ紙だけの話じゃないかなと思うんですよね。
この番組でもちょいちょい言ってますし、私は大好きな話で言うと、リアルな場所に足を運ぶことですね。
生身で誰かと会うこと。自分の手で何かを作ること。効率だけ見たらですね、全部遠回りなんですけど、でもその触れる遠回りかの何かしらがですね、体に刻まれないものがあると思うんです。
AIが効率を引けてくれるんだったらこそ、人間はですね、逆に触れられるものの方に価値を見出していくんじゃないかなというふうに思ってまして、
私最近でそれで言いますと、音楽もAIさん作れるじゃないですか。作れるんですけど、私ですね、最近そういう意味では楽器また買い直してますね。
ちっちゃなミニキーボードを買いました。それでミディに接続してですね、ちょっとしたシーケンサも買いましたので、これで打ち込みとかやってみようかなみたいな、今気持ちになってます。
いやー、研磨を引くと楽しい楽しい。それで言うと。
あのメディアの器をね、こねくります人としてはですね、ここがこれからすごく面白くなるんじゃないかなというふうに思ってます。
効率はですね、ガンガンガンガンAIに渡していきます。その分、器は触れる体験を運ぶという一番体に近い仕事、立ち返れるんじゃないかなというふうに思います。
仮眠の復活というとあれですけど、復活というかね、なんていうかね、そういう話はこの入り口の一つなんじゃないかなというふうには思う次第です。
ここを生かすべきだと思うんですよね。いろんなメディアビジネスにおいて、この新体制というところが効いてくるんじゃないかなというふうに、ここ最近思っている次第です。
まとめと今後の展望
はい、そんなところで今日はおしまいにしたいと思います。まあね、それぞれのメディアを一緒に本当に1年に1回、そんなことないな、2、3年に1回やるようなお伺いやってますけどですね。
この話をして、また皆さんとですね、聞いている皆さんと会いたくなったというような感じでございます。
はい、また来週しゃべりたいと思います。はい、本日はありがとうございます。
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