で、ここに私がですね、重心移動と呼びたい変化の本質があるかなと。
テレビからネットにお金が移ったんじゃなくて、そもそも広告費の定義が変わってきてると。
まあ、反則費ってあるんですけど、それがデジタルに売るようにしても、広告費と反則費の強化線が溶けてきてるかなという感じです。
まあ、そもそももうかなり溶けてるんですけどね、それで言うとね。
で、自分はいつもですね、メディアのプレイヤーを作りて、伝えて、受けての3つで考えてるんですけど、
広告の世界ではですね、もう一つ大事なプレイヤーがいます。それが払い手、つまり広告主のことですね。
で、この払い手の行動権利が根本的にね、ずっと変わってきてます。
昔の広告は、たくさんの人に見てもらうことにお金を払ってました。
テレビCMがね、まさにそれで視聴率が通過でした。
1000万人届くから、これだけのお金を払うという感じですね。
で、今の払い手はですね、違うことを考えてて、この人は買うのかとか、この行動は売り上げにつながるのか、
つまりインプレッション、見てもらうことだけではなくて、アクション、動いてもらうことにお金を払うようになってきてます。
で、今回のデータで言うと、運用型広告がですね、2兆9352億円で全体の、なんと88.7%を占めているんですよ。
で、改めて運用型というのは、リアルタイムにですね、
オーディエンス、読者を見ながら出し方とかね、単価とか調整していく広告。
つまり払い手が誰に届くかをかなり緻密にコントロールできるようになってるんですよね。
だから多くの人に大雑把に見られるっていうインプレッションだけじゃなくて、
誰に届くかを精密にコントロールできる広告に、もう9割ですよ。9割占めてるような状況です。
で、これメディアの側から見ると何に意味するかというと、
たくさんの人が見ていますだけでは、もう払い手なんか説得できませんと。
そこに大きな価値があるのかというと、ないです。
それで言うと、パブリッシャー単位でね、たくさんのユニークユーザーを抱えてなければいけないんですけど、
それにしたって、みたいな話なんですよ。
だってプラットフォーマーの方はもっともっと多く持ってますもん。
だからプラットフォーマーの方に運用型広報が流れちゃうっていうところなので、
メディアでやるのはね、単一メディアでやるのはだいぶしんどい状況っていうのはもうね、
10年ぐらいそんな感じなんですよ。
で、以前もこの番組で話したことがあるんですけど、
ウェブメディアにはネガティブループがありますと、
分かんないんですよ。実際会ってみて、
どうして変わったんですかというリアルな声を聞くことは大事です。
だからリアルな場に投資する。
広告費8万円の中にこのデジタル×フィジカルの設計思想が
通じとしても現れ始めているんじゃないかなと思います。
もしリアルな場というところが、
そうでもないね、デジタルだけやってればいいねという話になるんだったら
イベント展示とか交通広告とかの広告費って下がると思うんですけど、下がりません。
むしろ伸びております。結構伸びています。
10%ぐらい伸びています。
ここでですね、従来マスコミ4倍台の話もしておきたいかなと。
新聞は全年期91.8%、雑誌は96.3%と厳しいですね。
フリーペーパーに至っては80.9%で、紙の広告全体的に縮んでおります。
一方でね、テレビメディア広告費はですね、全年期99.7%ということでほぼ横ばい。
それでもメディアは面白い、メディアは器として考えているというのは
一番最初からやってますけど、
そのメディアとは器でありまして、その上にコンテキスト、文脈、切り口があって
その構成要素としてコンテストがありますと。
料理に例えると、お店たる器があり、日本料理かフランス料理かみたいなコンテキストがあって
その上に実際の料理、コンテンツが乗っかりますという話です。
この視点で見ると、テレビの放映装置とある器としては確かに縮んでおりますというのはあるんですけど
テレビが生み出すコンテンツの力が残っています。料理人のパワーが残っております。
だからこそテレビメディア由来のデジタル広告機器が全年期108.6%伸びております。
テレビのコンテンツがデジタルの器に乗り換わって、そこで広告が回っていることもまた事実だったりします。
器が変わってきているだけだと思います。
テレビという放送班が死んだんじゃなくて、テレビというコンテンツ製作装置自体が
デジタルという新しい器の中で生き直しているという感じに考えた方がいいかなと。
問題なのは、器が変わっていることに気づかずに、その古い器にこだわっているケースかなと思います。
車のレーサーの話をするんですけど、よくするんですけど自分は、
どんな優秀なレーサーでも三輪車を乗っていたら速く走れないんですよね。
器の設計を変えなきゃいけないし、器の環境も変わっているのに、
レーサーとあるコンテンツ製作者の話ばかりしているメディアがまだ多いかなというふうには思ったりします。
ここまで話してきてですよ。
自分が感じているのは、コーヒーのデータってメディア産業の健康診断書みたいなものだなというふうに思います。
なんて言ったって8兆円あります。8兆623億円という数字は、
日本の企業が私的に言えばコミュニケーションを使ったお金の総額です。
このお金がどこに流れているかを見ると、メディア産業のある意味、血の流れが見えるかなと思います。
血の流れが集まっているところ、デジタル、ビデオ、ソーシャル、リテールメディアが
払い手がここにお金を出す価値があると判断した場所です。
血の流れが細っているところ、新聞、雑誌、フリーペーパーは払い手の判断基準に合わなくなってきた場所なのかなという感じです。
でも血の流れが細っているからといって、それイコール死亡じゃないんですよ。
新聞社や出版社が持っているコンテンツ制作能力というのは、デジタルの器に乗せ直せば新しい価値に全然なり得ますし、実際そうなっています。
問題は器の設計と血の流れ、血流の動線ですね。この2つを変えられるかどうかという話だと思うんですよ。
最後に番組名に立ち返って、それでもメディアは面白いという話でございますが、
私、振り返ってみると、2007年にネット広告機がまだ全体の8.6%だった頃からこの業界におります。
デジタル側におります。ライブドアでアグリゲーターの側にいて、トップジャックの広告とかディレクションをしていました。
ハーフポスト、パブリッシャーでした。直接編集長としてコミュニケーションしましたし、スマートニュースでもアグリゲーターの側にもいましたし、
伝えて側みたいな形で広告出向の立ち位置もやりました。この50%を超えるまでの18年間ぐらいで何が起きたかというと、
お金の流れが変わっただけじゃないんですよね。メディアの器が変わって払い手の論理が変わり、受け手の行動が変わってきたんです。
でもこの流れにおいてで言うと、一つだけ変わってないものがあるとすれば、それは何がどうなっても、作り手のストーリーに人は動きます。
AIが簡単にスペック的な情報を返せる時代でもありますから、人がわざわざ時間を使ってコンテンツに接するのは、そこにストーリーがあるからでございます。
ビデオ広告1兆円の裏側にあるのは30秒のCMを流して終わるじゃないんです。この人のストーリーの中に自分を重ねたいという受け手の欲求があるんですよね。
ソーシャル広告1兆3000億円の裏側にあるのは、誰かの紹介で知りたいという信頼の回路だと思います。
広告機のデータは数字の羅列に見えますが、この向こう側にはメディアと人との関係性がどう変わってきたかのストーリーがつけて見えております。
構造が変わること自体は厳しいことでもありますし、面白いことでもあります。
どっちに見えるかは、自分がどこに立っているかで変わるんじゃないかなと思います。
今日は、点数2025年日本の広告機のデータを読みながら、インターネット広告機が5割を超えた意味を自分なりに考えてみました。
それではまた。まとめた刺激でございました。また来週です。