松浦シゲキの、それでもメディアは面白い。
この番組、それでもメディアは面白いは、メディアコンサルタントで、
コミュニケーションプランナーの松浦シゲキが、
ありとあらゆるメディアの器をこねくり回しながら語り尽くします。
さて、今回のテーマは。
はい、皆様こんにちは。松浦シゲキでございます。
今日はですね、WBC 2026の話をしようかなというふうに思います。
ご存知の通りですね、今回のWBCは全47社がNetflixの特製配信でした。
市場は話し、日本はですね、結局準々決勝でベネズラに負けました。
そしてNetflixが公式の成果レポートを出しましたという感じでございます。
今日はですね、この結果を読み解きたいと思います。
ただし、Netflixは成功だったのか、失敗だったのかという丸抜の話はしません。
それよりもですね、私のいつものフレームワーク、
作り手、伝えて、受けて、後、伝えてが変わると、
何が変わるのか、その変化の中にですね、
メディアの作り手が考えるべきことが詰まっているんじゃないかなと、
そういう話をしたいと思います。
私はですね、重ね重ね、自分はメディアのプレイヤーをですね、
大きく二つに分けて考えております。
コンテンツを生み出す作り手、それを受け手に届ける伝えて、
今回のWBCは伝えてが地上波からNetflixに変わりました。
その時何が起きたのかというお話でございます。
まずはですね、数字の話しましょうかね、という感じなんですが、
Netflixの公式発表、全47試合の累計視聴者数は3,140万人、
日本対オーストラリア戦が1,090万人で、
Netflix日本全タイトル史上最短、
映画もドラマもアニメも全部超えましたと。
で、2023年のWBC地上波っていうところで見るんですが、
そうするとですね、ざっくり日本戦だけで累計ですよ。
累計約9,446万人と言われております。
最高は日本対韓国の約6,234万人みたいな表現がありますかね。
単純に比較すると3分の1ぐらいかな。
やっぱり地上波の方がすごいみたいな言い方したくなりますが、
この3,140万人ってそもそもどういう風に測った数字なのか、
中期あるんですよ。こう書いてあります。
ビデオリサーチの累計データをもとに、
1人の人が1つ以上のデバイスで視聴した場合を含む延べ、撤職人数、
試合終了後24時間以内に視聴されたアーカイブ配信を含むという風になっています。
つまりですね、ユニーク視聴者数でもないですし延べです。
しかもマルチデバイスも含みますし、アーカイブ24時間分も入っているという形になります。
ノートプロデューサーの特力さんもこの数字をかなり丁寧に分析されているんですが、
同じタイミングで、ネットフリックスが世界同時配信したBTSの復帰ライブ。
こちらも1,840万人が視聴と発表されておりますが、
ところがネットフリックスが毎週出している週間のビュー数では1310万ビュー。
これは7日間の集計なんですけど、ライブが行われたのは週の後半の1日だけ。
つまり実質的には、ライブ当日とアーカイブ視聴数が半々を占めるような数字になっています。
24時間で1,840万人なのに、週間で1310万ビュー。
人数とビュー数にギャップがありますからね。
このギャップは何かというと、ネットフリックスは1Kあたり平均2,3人が視聴しているというデータを持っていて、
ビュー数と視聴人数が別の数字みたいな感じですね。
実際にネットフリックスは今年1月に関数3億2,500万人に対して、
実際の視聴者数は世界で10億人近くと株主に報告しております。
つまり1K役が大体3人関数みたいな感じですね。
そう考えるとWBCの日本対オーストラリアで1,190万人も実際のビュー数。
つまりネットフリックスのアカウントベースでは600から900万人ぐらいかなみたいな感じですね。
自分がこの話で一番言いたいのはそこなんですが、
実際のところ、判定基準が違うものを並べて多い少ないに論じること自体が無意味かなと。
ページビューの時代に散々繰り返してきた過ちがスポーツ中継でまた起きているかなと。
単純なビュー数の定義みたいなところがちゃんと決まってないのに、それで比べないみたいな話があるんですよ。
ビデオリサーチの推計延べ人数と視聴率操作の母数段というところも
計り方が根本的に違うところもありますし、定義も違えばカウントの流度も違うと。
例えばアベマが2022年のワールドカップで日本対クローチア戦で約2,300万の視聴を記録していて、
あの数字と比較するんだったらまだオンラインだからわかるんですけど、
でも地上波の視聴率とは比較可能な数字かどうかというとだいぶ怪しいかなと思います。
ざっくり数字あったらいいと思うんですけどね。
にもかかわらずですね、メディアも企業の負けたりSNSの議論も、
単純に3,140万対9,446万みたいな感じで語っちゃってたら怖いかな。
伝えてのあれこれが変わっているのに、計り方が追いついていないというところがありまして、
これは計測のインフラの問題であると同時にですね、
自分たちの頭の中がまだまだページビュー時代から抜け出してないかな、視聴率時代から抜け出してないかなと定義が違うんで、
安易な比較はしてはいけませんというところがありますね。
とはいえですね、面白いデータもあります。
ネットフリックスの公式レポートによると、WBCA視聴者の85%がテレビ画面で視聴していると。
スマートフォンやタブレットでも見た人が38%いますけど、メインはテレビというかでっかいディスプレイですね。
これはですね、やっぱね、ネットフリックス、スマホで見たりとかね、通勤帳で見たりとか、寝る前にベッドで見るものっていうような感じだけではなく、
スポーツだとね、ちゃんと86%テレビ、リビングでない画面でリアルタイムで見てますと。
これが意味していることは何かというと、やっぱり伝えてが変わっても視聴体験の形はコンテンツの設置が決めるかなということかなと。
器が変わっても中身が求める体験の形は変わらない。
スポーツのライブはね、やっぱり大画面で見たいかなみたいな感じですからね。
自分がいつもこの番組で言っているような器の話と中身の話を分けましょうというのはですね、まさにここかなと。
Netflixという器に買ったこととスポーツの視聴体験が変わるかどうかは別問題じゃないかなというふうに思います。
もちろんね、スマホで見る人も多いと思うんですが。
もう一つ気になった数字がありまして、19歳以下が14.2%、35歳未満が30%超、20歳以上の女性が約48%占めてますと。
多分ですけど、地上波時代のスポーツ中継の視聴者構成とは違うかなとね。
地上波のスポーツ中継、もともと今テレビを見ている人の層ということを考えると50代以上の男性というところが多かったと思うんですけど、やっぱりここは違ってきますよね。
伝え手が変わったら届く層が変わるというポイントがあると思います。
ここね、やっぱり自分は考えたいかなと思いまして。
なんでネットフリックスだと若い層や女性に届いたのかっていう話で言うと、そもそもネットフリックスは元々若い層の契約者多いと。
だから募集団が違うというところもあるかなと。
地上波の視聴率調査の募集団は全世帯ですけど、ネットフリックスの数字はネットフリックス加入者の中の割合なので、そもそもネットフリックスに加入している人は当たり前ですけど、若年層の方に上と偏るわけですよ。
だから、若い層に届いたという表現は快適ではないかなと。若い層がたくさんいる場所に置かれたみたいな感じかなと。
かつ、とはいえそれだけでもないかなと。
ネットフリックスにタッチのコラボレーションをやりました。
リズムインナーバッコーシスさんがアニメタッチの主題歌をカバーしてですね。
大田翔平や一郎のWBC名シーン映像と組み合わせたスペシャルムービーを作りましたと。
これがYouTubeでね、700万再生以上を超えてますし。
これは伝えてネットフリックスだからできたことかなと。
地上波の放送局のプロモーション費と合わせてで言うんだったら、
合わせてじゃない、地上波の放送局のプロモーションがもしどんなプロモーションしたかなとか考えるとですね、
ここまである意味、あれこれにマーケティングを投資することっていう話で言うんであるんだったら、
やっぱりグローバルプラットフォームならではのプロモーションだったかなというふうに思います。
伝えてが変わるとですね、プロモーションの届き方のデザインも変わって、
結果として届く層も変わるんじゃないかなというふうには思います。
でね、ちょっと引いて考えるとですよ。
今回のWBCで起きたことなんですけど、別に問題とかそういうわけじゃないんですけどね。
ネットフリックスが悪いとかそんな話じゃないんですよ。
日本のスポーツ界で作り手、つまりリーグや競技団体が法援権を集約できなくなっていて、
伝えてというのは交渉力がなかった。
だからネットフリックスというグローバルプラットフォームにまとめて持っていかれた、
独占が問題じゃなくて、独占に対抗できる交渉手段がなかったことは、これは問題だと思います。
でもね、それはちょっと前に話したので、
今日で考えたのはその先の話。
伝えてが変わること自体に、良い面も悪い面もあるかなというところもあります。
良い面で言うと、さっき言った通り、届く層が変わりました。
19歳以下の14.2%でね、テレビバナレみたいな言い方されてますけど、
スポーツのライブコンテンツって別にZ世代に届かないって、そんなことはないみたいなね。
これが将来の野球ファンの入り口にならないみたいな議論もありましたけど、
私個人的に本当に好きだったら加入するんじゃないのっていう気はします。
悪い面、スポーツバーの問題もあるかなっていうのはちょっとありますかね。
ネットフリックスの利用規約には公の場での上映を明確に禁止しています。
業務用のライセンスプランっていうのは国内にないのかな。
ダンソンとかスカパンには飲食店向けの商用契約があるみたいなんですけど、
ただ単なる規約の話でもないかなというところで、
法律の構造も絡んでいるところもあるんでしょうかね。
著作権法38条3項には放送番組を家庭用受信装置で流す場合、
営利目的でも許諾不要なんですよね。
知情派はこの条項で飲食店放映はOKなんですよ。
でもネットフリックスは放送じゃありません。
自動講習送信に分離されるからこの条項が適用されないんですよね。
知情派だったら合法だったことがネットフリックスでは、
契約以前に法的にはどうだったっけねみたいな話があります。
実際には英国風のパブチェーンのハブだと、
ネットフリックスの公式パートナーということで特例で放映が認められていたと。
新宿3丁目の店舗では立ち見が出るほど盛況だったみたいですけど、
一方で契約違反を承知の上でギリギリ的に店内で流していたという飲食店もあったでしょう。
でもネットフリックスは摘発するかというとしないと思います。
つまり建前は禁止なんですけど、
一部は公式パートナーの許可、残りは牧民みたいな状態だったと思うんですよ。
みんなが見るという体験が設計上排除されたというよりかは、
みんなで見る体験を公式にサポートする仕組みがなかったという方が正しいでしょうね。
実際60年ぶりの店内事件だったのに、地上話というのがありましたからね。
ネットフリックスが主催したパブリックビューイン企画時代は、
調べると29団体77回、1万1636人規模で開催されたそうですが、
あくまで自治体学校主催の非営利イベントに限定されたと。
やっぱりそうすると地上波で全世界に届けられた時代とは規模が違うかなと。
なので伝えてが変わると届く範囲のデザインというのはそもそも変わりますよと。
波は広く浅く全員届けるというところがあるんですけど、
やっぱり通信という風になると深く行って、
次に届けるものに変わっていくという話だと思っていて、
これは良い悪いの話ではなくて設計の話なんじゃないかなというか、
そういう伝え方と届け方が変わったという話かなという風に思います。
もう一つの現象についても言及しようかなと思うんですが、
日本がベニズラに負けた直後にネットフリー解約がXでトレンド入りしました。
WBC目的で加入した人が日本が負けた瞬間に解約を検討し始めたというのがありますが、
産経リサーチかな、WBCをネットフリックスでリアルタイム視聴した人のうち、
43.6%がWBCに合わせて契約したと回答してまして、
逆に言えばその人たちはWBC以外にネットフリックスを見る理由が、
その時点ではないとも言えるかなと。
ここはサブスクリプションビジネスの本格的なジレンマが見えていて、
加入の動機があまりにも明確すぎると、離脱の動機も明確になっちゃう。
WBCのために入りました、WBCが終わった、じゃあ解約。
この因果関係は綺麗すぎますよね。これ別にWBCだけじゃないと思うんですよ。
このドラマがあるから入りました、このアイドルが出るから入りました、この推しがあるから入りましたというのはあるんですけど、
地上波の場合はこういう問題は起きません。テレビは付けるものであって、
加入するものではないので、WBCが終わってもテレビを解約する人はいないかなというふうに思います。
つまりサブスク型の伝えてがスポーツのライブを扱うときは、
見終わった瞬間に解約されるというリストックはそもそも構造的に組み込まれてし、
ネットフリックスの人もそんなことは100も承知ですよみたいな感じだと思います。
キャンペーン期間は2月19日から3月18日とぴったりと大会期間とほぼ同じ設定で月額498円からの割引という感じになっております。
つまりもうそもそも入りやすく出やすいでいいんじゃないのみたいな感じでしたね。
そのうちでリテンションしてリテンション残ってくれればいいんじゃないのぐらいの設計だったんでしょうね。
本当伝えたし考えると割り切りだと思っていて、ネットフリックスにとって大事なのは1回でも1回楽しんでくださいなと思うんですまずは。
映像会になることを主目的にはもちろんそうなんですけど、まずネットフリックスで見たという体験を1回させることは大事なんじゃないかなと。
次のライブイベントの時にもう一度入ってもらえばそれに越したことないでしょうし、
それで1回でも登録すればメールアドレスが獲得できる、何かしらその接触のポイントを取れたという形でプロモーションできるわけで。
なのでここに伝えたビジネスモデルがですね、成立するというところがあるんですよ。
テレビ局の広告モデルを預けてさえいれば成立するんですけど、ネットフリックスのこの手のサブスクモデルというのは意思決定ごとに課金取られることがあるので、
それはもう大前提なんです。
あと、作り手にとって何が変わったのかというところの話もあると思います。
伝えての変化をですね、視聴者の側からだけ見ていると話が半分で終わるかなと。
やっぱりメディアの話という形であるんだったら、作り手側の側からですね、見るのも大事かなというふうに思います。
ニッテルさんがですね、プロモーションパートナーとして映像制作を受け負ったという話がありまして、
私もですね、テレビ局が制作会社になっちゃいましたかね、みたいな言い方をちょっと前にもしたったりとかしたんですけど、
でももう少し丁寧に見た方がいいかなというふうに思います。
ニッテル自体がですね、伝えてとしてのポジションを今回失いましたけど、公平権を持っていませんけど、
でも作り手としては一応、根っこの作り手ではないですけど、ネットフリックスと一緒に連動してやりましたという感じです。
これはハリウッドの構造と同じかなと。映画スタジオはネットフリックスのためにオリジナル作品を作る。
スタジオは作り手であり、かつてはですね、シアターチェーンを通じて伝えてでもあったんですけど、
ストリーミング時代になって、伝えての部分をネットフリックスに譲ったような状況が出ておりますと。
テレビ局がですね、これと同じ道を歩み始めている。これWBCに限らないです。
ニッテルさんもTBSさんもですね、中継にはですね、ちゃんとそこらへんの話書いてあります。
ご覧いただければというふうになりますか、と思いますが、作り手としてみたいな感じをもう既に意識し始めているというところはありますかね。
なんでかというと、状況変化、構造変化の中で伝えてとしてのポジションというところが通信に移りつつある中でも、
映像制作の能力というのは残っています。スポーツ中継のノウハウ、カメラワーク、リプレイの編集、実況の技術というのはですね、
これはですね、すぐに育つものかというと育たないものだと思います。問題はね、こういう能力をどう価値に変えるかだというふうに思いますし、
伝えてのポジションじゃなくなったんだったら、作り手としての技術力で勝負するんだったら勝負するというのは大事だと思うんですよね。
その時に重要なのは、自分たちの技術を誰に売るかを自分で選べるかということだと思うんですよね。
一つ対象的な例を出しますと、日本女子プログラム協会、JLPGAがですね、ここは協会が法援権を一括管理し、自分たちで伝えてを選べる状況を使いましたと。
結果、ユーネックスと複数年の独占パートナーシップを結んで、過去最高の黒字を出しましたという事実もあります。
NBPはですね、バラバラだったから、WBCIが選んだネットフリックスに従うしかなかったと。
日テレも個別の局としてはネットフリックスの政策教育の立場になりましたと。
つまり、作り手がですね、自分の届き方を自分で決められるかどうかっていうところはですね、
これスポーツに限らずメディアビジネスの根っこにあるところにあるんじゃないかなという風に思います。
あとちょっと、ユニバーサルアクセスの話もしたいなと思うんですけど、
ちなみにですね、韓国にはそういうユニバーサルアクセス系みたいな制度がありますと、
国民的スポーツイベントは地上波にもサブレースしなきゃいけないと。
イギリスにもですね、フランスにも似たような仕組みがありますと。
日本には今ないです。
日本においてはどうだったっけみたいな話なんですけど、
私自身はユニバーサルアクセス系の議論をここでは深掘りは特にはしないかなみたいな話で、
法規制の話は国会行政の仕事だって、
メディアの作り手、メディアのコンサルティングの身としてもですね、
語るべきことは別にあるかなという風に思います。
当時あたるメディアの中で言うんだったら、
法規制に立て終わらなくてもですよ。
届く設計を自分たちで考えていった方がいいと思うんですよね。
面白い事例で言うんだったらね、
JRAです。日本中央競馬会がですね、
つい最近有料だったグリーンチャンネルの全レース中継を無料でネット配信し始めました。
月6100円のサービスをあえて無料にしました。
JRAによっては配信は入り口であってマネタリザーは馬券でございますから、
レースを見てもらう事自体がビジネスのゴールではございません。
この設計できるのはJRAの作り手として権利を完全にコントロールしているところですね。
伝え手に任せきりにしたら届く先は伝え手の都合で決まっちゃいます。
自分で届ける力を持っていたら届く先を自分で設計できる。
スポーツに限らずメディアの作り手全般に言えることかなという風に思うんですよね。
ここまで数字の定義とかその他諸々話してきて、
結局どうするのという話があるかなと思うんですけど、
こういう分からないことをどうするのという事態がちゃんと考えるという話だと思うんです。
改めて伝え手が地上波がNetflixに変わって数字の比較ができなくなったと。
これは先ほども申しました通り計測のインフラが追いついていないということであって、
それ自体が構造変化の証拠です。
その上で読み取るところはどこから読み取りますか?みたいな話かなと思うんです。
平均視聴時間。私ね、やっぱり時間大事だと思います。
どんなメディアでも結局時間の倍合いですからね。
平均視聴時間147分。1試合あたり2時間半。画面に張り付いているわけですよ。
もちろんこの数字もNetflixの計測基準によるものですけど、
地上波の視聴率を横に並べたらいけないですけど、
でも意思決定してお金を払ってアプリを立ち上げるNetflixを見る人が2時間半見続けたという事実はですね、
やっぱ体験の質を示しているかなというふうに思うんですよ。それで言うと。
地上波のスポーツの中継の視聴者プロファイルとは明らかに違う層がスポーツのライブコンテンツに触れたっていうんじゃなくて、
本当に数字の代償ではなくて構造変化の話なんです。
そこがやっぱり大事なポイントなんじゃないかなというふうに思います。
広く浅くの実態がわからないまま広いといい、深く濃くの実態がわからないまま少ないと言っちゃうのは良くない。
自分たちはですね、そこのところをちゃんと見定めながら想定しながら動いた方がいいんじゃないかなというふうに思います。
話が長くなったな。
本日の話をまとめますと、伝え手が地上波からネットクリックスに変わって何が起きましたか。
まず思って数字の比較できなくなりましたというところは把握すべき。
届く層が変わりました。
そもそもテレビに比べたら全然若年層が加入しているネットクリックスという世界観に対して、届き方その他も変わりました。
作り手の側ではですね、テレビ局が制作受け置きとなるような構造変化が起きました。
伝え手のポジションを失ったテレビ局は作り手としての技術力で新しい立ち位置を見つかなければなりません。
そんなような話してたらテレビとネットクリックスの問題じゃないかみたいな話じゃないんですよ。
この問題の根っこにあるのは作り手が自分のコンテンツの届き方を自分で決められるかどうかというところのポイントなんです。
これねテレビの話じゃなくて、私がずっとやってきたテキストメディアだってそうです。
テキストメディアが自分の作っているコンテンツの届き方って今自分で決められますかっていう話もあると思うんですよ。
権利やら何やらかんやら集約できたら伝えて選べます。伝えてにもなれます。
できなかったところは伝えての都合に従うしかないんです。
あと自分たちの測り方も自分たちで持つべきなんじゃないかなというふうに思うんですよ。
届き方を他人に委ねたら測り方も他者の基準になっちゃうんです。
自分のコンテンツが誰にどう届いたかっていうのを自分の言葉自分の尺度で話せますかどうかっていう話だと思うんですよね。
小さい話で言うんだったらこれ個人にもなると思うんですよ。
自分自身のビジネスが誰にどうかな、おメガネに買うような形でお金になってますかって話せますかっていう話だと思うんです。
数字が良かったか悪かったかで語るのは評論家に任せておくべきかなと。
作り手が考えるべき、私も含めてですよ。
4代目の作り手が考えるべきは届けたい人に届いたかどうか、届けて欲しかった人に届いてるのかどうか、
自分でどう確かめられるかどうかっていうところがポイントなんじゃないかなっていうふうに思います。
WBC2026とNetflixの関係性からそこを読み解くべきなんじゃないかなというふうに私は思った次第です。
何かしらの参考になれば幸いです。
それではまた、また来週でございます。
松田信之でした。