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おはようございまーす。まーくんでーす。
どうもどうもどうも。
なんだこのテンションは。
今日は4月26日、金曜日です。
放送を始めていきたいと思いまーす。
今日は何を話そうかな。
何日か前、放送2日目?
この放送は連続2週間目に突入しました。良かった良かった。素晴らしい。
先週の木曜日から放送を始めて、たぶん2回目だと思うんですけど、
ちゃんとやることを手放したい、みたいな。
ちゃんとやらなきゃとかそういうのをやめて、なりでいいや、みたいな。
なりでいいやって言い方したから忘れたけど。
ちゃんとやらなきゃとかそういうのをやめようという話をしたと思うんですけど、
それに関連してちょっとお話しようかなと思います。
ちゃんとやらなきゃ、みたいな考え方?
ちょっと僕は今そういうのから距離を置こうと思っていて、
何ていうか他人軸な感じがするんですよね。
ちゃんとやらなきゃ。
みんなが見てるからちゃんとやらなきゃとか、
誰かがちゃんとすることを望んでるからちゃんとやらなきゃみたいな、
なんかそういう感じがしていてですね。
なので、自分軸ってやってないな、という印象を持ってます。
自分の中ではそういうような心の動きがあるように感じるので、
なるべくちゃんとしなきゃはやめようと思ってるんですけど。
とはいえ、ちゃんとやらなきゃっていうのって大事な側面もあるのかな。
ちゃんとやることで自分にOKを出せるみたいな側面もある気がするんですけど、
ちゃんとやることによって自分にOKが出せていたものが、
ちゃんとやらないってなると自分にOKが出せない。
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自分は存在していていいのかとか、なんか大げさな話になりますけど。
自分の存在価値とか、その辺がもしかしたら危ぶまれるというか、
ちゃんとしないことで。
このへんの心配への対処になるのかなと思ってるのが、
自分に常にOKを出せていれば、そのへんは思わずとクリアできるはずなんですけど、
自分にOKが出せない。あまり自分に自信がない。
自分が存在していていい存在なのかわかんないとか、
自分が人の役に立っているのかわかんないとか、その辺の迷い。
そのあたり、僕は昔からなんとなく、
漠然と自分にはそういう存在価値があるみたいな自己肯定感があって、
あんまりそこを揺るがなかったんですけど。
恵まれてますよね。親に感謝なんだろうなと思ってますけど。
自分は大丈夫とか、自分は存在してていいとか、
自己肯定感みたいなものが、あまり自分の中で確立されてない段階で、
ちゃんとしなきゃお手放すのはしんどいだろうなっていうのを、
なんとなく想像がついていて。
そこをどうやって乗り越えていくかっていうところだと思うんですよね。
お勧めしたいというか、たぶんこれは自己肯定感みたいなものが上がるのかなと思ってるのが、
いただきますをちゃんと丁寧にやるっていうものです。
僕は今これ毎食やってるんですけど、
いただきますを丁寧にやる。
いただきますってすごくよく言われますけど、
自分の食べ物になっている生き物に感謝するとか、
そういう側面がありますからね。
自分が生きているってことは、目の前の食事となっている生き物を食べるわけですから、
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誰か、人生って言うとあれですけど、自然がそういうものですからね。
自分が生きていくためには、他のものの命をいただく必要があるんですよね。
それでいただきますっていうことになってると思うんですけど、
これを丁寧にやる。
時間は、エクササイズをやるとか、新しい習慣を取り入れるとかそういうのではないので、
わりとそんなに時間がかからないはずなんですよ。
僕もいただきますを丁寧にやるとか言ってますけど、
せいぜい1分ぐらいです。
長いですね。1分でも長いですね。
僕は1分もやってないと思います。
たぶん両手合わせて目をつぶって、思いを馳せるわけですよ。
たぶん30秒ぐらいだと思うんですけど、あんまりカウントしたことないんですけどね。
目の前の食事になっている食材。
あ、そういう食材がいるなーってまず思う。
それを食材を作った人、育てた人、農家とか、商業的に作られた納豆とかだったら、
納豆を作った工場の人がいるわけですよね。
そういう食材の製造に関わった人とか、それを運んできた人とか、
それを食材を買ってきて作ってくれた。
結構僕、うちの奥さんが作ってくれるのでありがたいことに。
奥さんのことを思ったりとか、太陽とか風とか大地とか、そういうものもあるなって思いを馳せる。
感謝しろとか、あんまりそういうのは考えてなくて、
とりあえずあるなって、そういう存在があるなって認識するだけでOKかなと思ってます。
自分がこうして今食事をいただくにあたっては、いろんな存在があるなーって思いを馳せると、
僕の場合はそれで自然と感謝になるんですけど、感謝の気持ちが湧いてくるんですけど、
別にあるなって思うだけでいいと思います、最初全然。
そういういろんな存在があって、今の自分の食事があるなって。
これは別に感謝とか、何か交渉な感情みたいなものじゃなくて、事実ですからね。
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実際にいろんなものが関わっていれば、この目の前の食事があるので、
事実を、そういう存在、人たちがあるなって思う。
そうすると、いろんな人たち、食材とか生き物とかいろんなものが絡み合って、
今の自分がこの食事があるなって思うわけですよね。
そうすると、自分っていろんなもののおかげで生きてるなーっていうのが認識ができると思うんですけど、
それをしばらく毎日でもやっていると、
あれこれ、自分ももしかしたら誰かの生きる役に立ってるんじゃね?みたいな。
そういうことに思い立るのかなと思います。
食材とか食事の製造に関わっていなくても、
生きてるだけで誰かに影響を与えていると思うので、
自分が特にその辺を認識してなくてもです。
自分が今誰かの役に立ってるなとか、
まさに今この仕事をしていて、俺の仕事は誰かの役に立ってるぜとか、
そういう明らかに感じられるものがあればいいと思うんですけど、
自分の中で誰かの役に立っているとか、そういう思いがなくても、
たぶん生きてるだけで誰かに影響を与えているはずなんですよね。
いただきますをやってるとそういうことに思い立るんですよ。
僕は思い立って、たぶんこれみんなやってるとそうなんじゃない?って。
個人的な感想を、過度に一般化してるのかな。
うーん、のような気がしていて、僕は。
なので、そういう自分が誰かの役に立っているかもしれない、
生きてるだけで誰かの役に立っているかもしれないっていうふうに思い立ると、
冒頭にも話した、自分にOKが出せるとか、
自己肯定感とかいう言葉もありますけど、そういうものが生まれてくるんじゃないかなと思っていて。
そういうのが出てくると、結構自分にOKが出せて、
ちゃんとしなくてもOKっていうふうに自分に許せるっていうか、
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自分塾で生きられるっていうんですかね。
最初に言ったような、ちゃんとしなくてもいいやっていう気持ちになれるのかなと思いました。
なんかまた例によってまとまらないし、たぶんこれ僕も今話しながらいろいろ感じるところもあって、
まとまらないふうもありますが、そんなふうに感じて毎日頂けますとしています。
ぜひやってみてって。
なんかまた積極的になって嫌なんですけどね。
結構おすすめなので、騙されたと思ってちょっとやってみてください。
もし感じたこととかあったらコメントをいただけるとありがたいです。
さて、こんな感じで終わろうと思いますが。
今日終わればゴールデンウィークですね、きっと。
うちは今から出発じゃないですけど、行く予定が立っております。
お出かけですね、子供と。
プレーパークっていうね、泥遊びしたり火遊びしたりとか、
そういう子供の体験を重んじるような遊び場、プレーパークとかいうのがあるんですけど、
この辺をいろいろ回ってみようかなというふうに家族で話してます。
またね、たぶん実家にも帰るしゴールデンウィーク後半は。
たぶんこの放送も僕の実家からお届けすることになると思うんですけど。
なのでゴールデンウィークもやっていきます。
皆さんも今日ラスト1日ですね、ゴールデンウィーク前。
楽しんでいきましょう。
今日はこれで終わりにします。
さよなら。