新産業創造に不可欠なチャレンジをされている方々、限定の招待性のプラットフォーム、
もうすぐ900社、補助・協助のバック、これを皆さんの共有資産にしていく。
人と出会うことの不っていうのはなくなりますから、
事業とかビジネスのパートナーシップを前に進めていくことにだけ集中できる、それを作りたい。
STORIUMが、私が聞けば信じようと、
日本の産業創造の基幹システムとして動き続けている状態、これはやりきります。
声で届ける企業化の物語、スタートアップNOW、MCの小稲荷です。
本日のゲストは株式会社グランストーリー代表取締役CEOの越智 敬之さんです。
グランストーリーさんは、イノベーションプラットフォームSTORIUMを提供されているスタートアップです。
普段、スタートアップNOWでは資金上達直後の企業家さんたちをインタビューしておりますけれども、
そのスタートアップをプラットフォームという形で後押ししているというユニークな存在、
しかもそれをスタートアップとしてチャレンジしているというのが、とても面白いなと思いまして、
越智さんは実はスタートアップNOWを結構聞いていただいたりだとか、いろんな形で応援はいただいているんですけれども、
改めてSTORIUMさん、越智さんが何を考えているのかというのが気になりまして、
本日はお招きをさせていただいた次第です。
越智さん、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ここで番組を応援いただいているスポンサーのご紹介です。
1社目は、決まる商談が増えるイメディオ。
問い合わせ直後や資料を読んでいるホットナブタクと画面上で商談を自動で設定。
電話もしなくてもアポが取れる有効商談オートメーションです。
2社目は、忙しいビジネスパーソンのための超伴奏型英語スクール、9P English。
高天的に英語を習得した日本人バイリンガルコーチが言語学をベースに徹底サポート。
僕も受講しておりまして、最近バーさんとのスピーキングスコアが少しずつ上がってきました。
いつもサポートいただき、本当にありがとうございます。
気になるサービスがあられた方は、僕宛てにご連絡をいただくか、
概要欄に記載の各種サイトより直接お問い合わせください。
それでは本編に戻ります。
ぜひ1、2分ぐらいで事業の概要とかを教えていただけますでしょうか。
皆さんよろしくお願いいたします。株式会社グランストーリーのオチです。
当社のやっているプラットフォームですね、ストリームというんですけれども、
スタートアップ、投資家、大企業、特にCVCとかオープンイノベーションをやっている方ですね。
あとは地銀さんとかアカデミア界隈の、大きく言うと新産業創造に不可欠なチャレンジをされている方々限定の
招待制のプラットフォームとしてストリームを応援しています。
やっている仕組みとしては、企業版のSNSのような仕組みにやっているんですけれども、
必ず企業の情報が、どんなことと誰と何をしたいかとかですね。
資金調達のスタートアップとかピッチデックとかも中に入れてもらったりとか、
あと投資家目線で言うと経営チームどんな人がいるのとか気になると思うので、
必ずCXOの方に入ってもらっていて、
一方で大企業とか投資家の方にもパートナーとかGPの方とか投資責任者の方、
事業会社とポイントイノベーション責任者の方ということで、
キーマンが必ず入っているということも大きな特徴になっています。
その中で普通にお互いの情報を見て、興味があればチャットでゆっくりができるということで、
何かありそうでなかったことですね。
何かよく言われますけど、それをやり切っているというプラットフォームで、
今全体サービス開始して5年経ったところでして、
もうすぐ900社ぐらいの規模感にやっとなってきたという、
本当にまだまだフェーズ1の状態のプラットフォームであります。
ありがとうございます。
僕も新卒サンサンという会社にいて、
サンサンって出会いからイノベーションを生み出すというミッションを掲げてやっているような会社さんで、
そこに惹かれて入社したので、
ストリームさんの思想をめちゃめちゃ好きだなと思い、
そして社名のグランストーリーも、
僕社名実はあまり普段言っていないですけど、
ジョブテイルズという会社をやっておりまして、
これはもうジョブ、仕事と物語で、
仕事、物語、仕事の物語をいろんな形でアーカイブをしていきたいみたいな思いで、
実は会社を立ち上げてというのがあったので、
グランストーリーさんも近しい思想があるんじゃないかなと思って、
この辺り社名とかってどんな感じなんですか?
当社のビジョンがですね、
次世代に活力と希望にあふれる豊かな未来をつなぐというビジョンなんですよ。
これが大きくいう意味でストーリー、グランストーリーというですね、
素晴らしい物語という意味になってまして、
あとはストーリーというのは人の人生ということもすごく意味として持たせている考え方で、
やっぱり一人一人の一期一会が新しい物語を読んでいくっていう、
そこの縁結びをしっかりとやっていきたいと思っていて、
それをグランストーリーという社名にしています。
ストリウムというサービスはそのストーリーを生むっていうですね、
そこめっちゃダジャレなんですよ。
そこから消えたんですね。
そうなんです。
それと、あと物の流れとか縁っていうのが、川の流れとかいうストリームってよく言いますし、
あと場所とか環境とかのこと、スタジアムとかアクアリウムっていう、
生むっていうのはそういう語彙として使われている言葉で、
その辺の言葉のニュアンスを全部ミックスして、
ストリウムっていうふうにプラットフォームの名前に名付けていますね。
そういうことだったんですね。
ありがとうございます。
さっきオチさんがおっしゃっていただいた通り、
多分ありそうでなかったプラットフォームって、
多分誰しもあったらいいのになって思いながら、
実装が半端なく難しくて、
誰も手が出せない、何しかやりきれていないみたいな状態なのかなと思っていて、
それをなぜオチさんが手がけられているのかってところが、
これちょっと後でたくさん深掘りさせていただきたいと思うので、
オチさんがなぜそれを仕掛けることができるのかってところを、
老いたちの部分から過去を遡ってですね、
たどっていきたいなと思っております。
幼少期オチさんどんな子だったのかとか、
どんな環境で育ってきたのかみたいなところを教えてもらえますか。
育った場所は兵庫県神戸市ですね。
神戸市でも割と東の田舎区っていう場所で、
割とエリートなお子さんが多い場所で、
学校も弁護士の息子とか医者の息子とか、
偏差値高めなエリアなんですよね。
そういうところで、無意識にいましたが育ってきました。
なので受験勉強とかは結構皆さん激しめで、
当時は割と鉢巻き巻いて受験戦争みたいな、
年来的にもそんな時代だったので、
自分もその中に巻き込まれたような、
小学校高学年ぐらいから中学受験とか、
皆さん有名市立に行くみたいな環境にはいたっていうのはあります。
一方で子どもの自分としては、
結構創作的なことが好きで、
本とかで言うと電気とかすごい読んでました。
多分人の物語とか当時からすごい好きだったと思って。
もうその変臨があったんですね。
この話聞いて思い出してました。
エディソンとか野口秀夫とか聖徳太一とか、
漫画で読む異人とかあったじゃないですか。
ああいうのをめちゃくちゃ読んでましたね。
あとはロビンソン・クルーソー漂流記とかですね。
無人島とかで住むみたいな、
そういうのを読んでワクワクしたりとか、
そういう妄想しながら、
それを自分も描きたいとか表現したいみたいなのがあって、
めちゃくちゃ漫画を描いてましたね。
漫画を描いてたんですね。
めちゃめちゃ描いてましたね。
勉強してる定位で漫画を描いてましたね。
それは描いてどうするんですか?
自己満足で終わるのか、
お母さんに見せるとかなのかとか。
親にはダマで描いてるんですよ。
勉強してる定位でやってるんですよ。
めっちゃツケに向かってんねって感じなんですけど、
実は漫画描いてるみたいな。
学校とか行って、
同級生とか学校の先生とかに、
先生はバレたのかな?授業中に描いてて、
何やってるんだ?って撮られたら、
なんかおもろいことやってるねってなって、
学校の先生とか職員室とかに、
それを募集みたいな感じだったんだけど、
結構みんな先生からも人気の漫画になって。
先生から?
同級生からも、
次物語進んだらまた読ましてくれとか。
なかなか帰ってこなくてってこともあったりとか、
それぐらい結構小学校の時に描いてる漫画は人気でしたね。
そうやって人に自分が作ったものが喜ばれるみたいなことが、
たぶんきっと楽しかったのかなと思いますね。
ロジカルでとか理系能でというよりかは、
自分の世界観を持ってて表現するのが好きでみたいな、
そっちに長けてたんですか?
でも一方で受験勉強はちゃんとやってたんですよ。
数学とか算数とかはすごい好きだった。
好きだったんですね。
中学校の時とかは数学オリンピックの問題とか、
ずっと因数分解してましたね。
めっちゃむずい因数分解とかがあるじゃないですか。
長いやつ。
絶対やりたくないですけど。
最適化されていくんですよね。
要素をいろんなものをひも解いていって、
最後めっちゃシンプルな答えになったりとか、
めっちゃ複雑な答えなんだけど答え合わせしたら正解とか。
結構数学って答えが一個にたどり着く。
証明問題とかもすごい好きで、
謎解きしてる感覚で、
数学は結構ずっと得意でいたのが、
思考的には重要だったのかなって今思いますけどね。
バランス感がすごいですね。
両方できるって。
できる話だけ今してますよ。
全然できないこといっぱいあったんですけど、
落ち着けなかったですし、先生の言うこと聞かないし。
受験とか勉強とかはやれば結果が出るっていうものは、
最初はすごい嫌だったし、
さっきの漫画描いて本当に現実逃避してましたけど、
すごい抑圧された環境だったなと思うんですけどね。
それの中でも喜びを見出して、
ゲーム性を見出してみたいな感じかと思うんですけど、
コミットするってことは、その時に含まれた感覚ではありました。
じゃあ受験をして、いわゆる新学校とかに行って、
バリバリ勉強していったみたいな学生時代ですか?
ってなるんですけど、そうなったらいいんですけど、
高校から、神戸から東京の附属地域の高校に入って、
大学地域の高校から入って、
勉強しなくてもまあいいやみたいな。
どうせいけるしみたいな。
そうそう。このまま大学ストレートだしみたいな。
超ぬかりと緩みが出て。
あと今までめちゃめちゃ、ある種環境によって、
自分のやらなきゃいけない状況があったんで、
その鎖がパーンと解き放たれたんで。
10代の若者のエネルギーが正常な方向に向くってなかなかないじゃないですか。
そうですね。
反動でめちゃくちゃ勉強から帰りしていって、
元は離れたって言われましたから、
基本的には勉強しなくなっちゃって、
毎年留年しそうになって。
高校でですか?
高校毎年留年しそうだって。
最低値でしないかったんで、余裕でごまかしたんですけど、
高校3年間は本当に風天な、
義勇気まますぎて、音でホイザラ書くっていう3年間でしたね。
そのエネルギーは逆にどこに向けてたんですか?
音楽ですかね。
当時はバンドとかギターをバイトして買ってきて、
あとバイトですね。
めちゃくちゃバイトしました。
それは稼いだお金でこれがしたいがあったからやったって感じですか?
マジでお金がなかったっていうところと、
働いてるとそこにアイデンティティー出てくるじゃないですか。
バイト先なんだけど必要とされて、
社会との接続があって、
先輩とか上のお兄さんお姉さんがいて、
会話があってもらって、
そのコミュニティとしての職場がすごい余ってましたね。
だからお金をもらうってことはどうでもよくて、
お金があったら良くないことに使わないんですけど、
ギターの機材とか、
新しい楽譜買ったりとか、
ライブ行ったりとか、
そういうのでお金は溶けていくんですけど、
お金以上にやりがいでめちゃくちゃバイトしましたね。
大学は結局そのままいつから行ったら上がってたんですか?
ギリでしたけど。
ヨネサン大学に普通に来ましたね。
文学部なんですよね?
そうですね。
それは一番いろいろあるんですけど、
全く行きたくなかったんです。
文学少年でもないですし、
みんなの通り。
哲学部も今でこそ好きかもしれない。
当時はなかったし。
特にそういう文学的なバックグラウンドは全くいまだにないですね。
逆に理系に行きたかった。
それを行けなかったってことなんですか?
そうですね。成績がおぼついてなかったのと、
その時は本当に何か目的を持って動くようなものではなくて、
目の前のことに流されているような人間で、
よく大学になんで入ったのって聞いて、
こういうことを学びたくてという人と出会うと本当にすごいなと思います。
そのなかなか意思だったり自我が薄めな大学生で、
そこから大きく人生が変わるようなイベントはあったんですか?
自我がなかった状態の理由は今思うとあって、
うちのじいちゃんと親父がエンジニアなんですよ。
ものづくり系の機械工学とか溶接技術とか、
そういうマッチ工場みたいな会社を経営していたんですけど、
高校生の終わりぐらいの頃に、
その会社がちょうどワブルがはじけて、
大企業の設備投資がストップし、
突然お仕事がなくなり、会社の経営がダメになって、
ある種、僕はそこを継ぐんじゃないかなと思ったんですよ。
高校の時は理系を専攻していて、
さっき文系の話になりましたけど、
その手前で機械工学とか、
もう少しそっち系だったんですよね。
数学もさっき得意だったんですけど、
それが道筋が立たれたというか、予定調和がなくなり、
変な話ですけど、
糸の切れたタコみたいな感じになっちゃったんですね。
経済的にも困窮して、バイトはずっとしなきゃみたいな。
もやもや学業に意識とか、
なかなか向かない状況っていうのは、
もらったりというような感じでしたよね。
その後に、結構僕の中で人生が大きい、
多分心理的に必ず思い出す大きなトピックスとしても、
今も現体験として大きいのが、
20歳の時に神戸出身なので、
阪神淡路大震災で直下型がガーンと来て、
自分の実家も全壊したりとか、
中学・小学校の建物も全部舐めなくちゃったとか、
めちゃくちゃ頑張ればなんとかなるっていう、
謎の時間だったんですよ。
古いかもしれません。
ドラゴンボールの精神と時の部屋の1年間。
やった感じですよね。
そしたら今度、
引き続き仕事をやっていくじゃないですか。
案件もおかけさまであって、
不動産とか旅行会社の仕事を受注してたんですね。
理由はシンプルで、
情報の更新性が求められるけど、
すごくみんな紙とかで印刷してたんです、当時は。
それをデジタルにしていって、
プランを変えたら、
ウェブページで差し替えていくっていう、
結構更新とか運用で稼げる仕事でもあった。
立ち上げを安くとって、
運用で稼ぐみたいなモデルを当時からやったんですよ。
それを5社とか6社とかやってたんで、
割と上がっていく売上形状になってたんで、
それに忙しくしたんですけど、
死のうと仕事してるけど、
学校&仕事みたいな状態をやった後なんで、
仕事だけもっと忙しくできるな、
それだけやってればいいじゃんってなったんで、
その方が楽じゃないですか。
いろんなことを考えなくても。
集中して。
その時に、
自宅でやってる限りは仕事の量を
自分でコントロールするのは結構難しいなと思って、
やっぱり労働集約型なんで、
取ってきたものを受注して納品してやっていくと、
忙しさのアップサイド限界があるんですよ。
じゃあ日本で一番インターネット関連で
忙しい会社入ったら、
もっといけんじゃねえかって、
謎の発想になったんだよね。
周りに聞くと、
サイバーエジェントが一番忙しい。
あの会社はフィア城だ。
みんなが言ってて、
じゃあそこ行きますって感じで、
行きたいってなって、
それでサイバーエジェントに中途で、
ステインのお客さんを引き継いで、
これ半年ぐらいかかったんですけど、
ちゃんと他の会社に渡して渡して渡して、
ゴミはかけずに引き継いで、
2002年の1月に入社をしました。
猛烈に働く気満々でサイバーに入ったってことですね。
なんでかってその手前に、
何もしてない時間というか、
バイトしかしてない、
風転な数年間があって、
この反動ですね。
みんなが忙しくして働いている間、
忙しそうで暇な人間だった。
これをちゃんと取り返さなきゃという、
さすがに人生早回していこうというのもあって、
それで働く欲求というのは、
今も多分その感覚は変わらないですよね。
一回やっぱり人間ってそう言って、
極に振って、
こっちに来ると反動をつくんだなというのは、
僕の20代を抽象的に捉えるとしたものかなと思います。
サイバーに入社されてからは何を、
どれくらいされていたんですか?
サイバー、入社した瞬間はデザイナーとして入ったんです。
デザイナーなんですか?
ウェブ製作をやったんで。
モチ君は営業できるんですか?
営業はできますけど、一応クリエイターですみたいな感じだったので。
ウェブクリエイティブの仕事があるから、
ホームページ中とかする仕事も結構あるから、
プロデューサーとして入ったんですけど、
初日に営業をお願いしますって。
どういうことですか?なんで?
やっぱり営業をするつもりで入っているんです。
入り方はウェブの仕事をやってましたで入ったんですけど、
中に入っていたらこっちのものなので、
営業をしたいですっていう形で、
ずっと広告代理店事業部ですね。
今もあるのかな?分かんないけど、
今は主力事業ですよね。
そこの一営業マンとして、
初日からアポデンみたいな感じでした。
自らその道を選んでやり切ったんですね。
そうですね。
それは理由は、
やっぱり仕事を持ってくるということを、
自分の親父とかじいちゃんが、
バブルがダメになって、
クラフトマン、職人だから、
自分で仕事を取りに行くってできなかったんですよね。
僕は高校生のスネかじりの存在であったから、
自分が何かできなかったの、
できれば助かったのかなとか、
できもしないけど思ってた。
そういうものづくりする人たちの、
生きる、躍動する状況は、
僕がやりたいというふうに当時から思ったんです。
仕事を持ってくるものを作る人たちに、
最高の仕事の機会を渡していくということを、
やりたかったんですよね。
あともう一個は、自分がデザイナーをやって、
ウェブ制作を全部やった結果、
すげえ奴いるんだなと。
自分の力の無さもよく分かったから、
そういう人たちともっとかっこいい仕事をした方が、
いいなって思ってたので、
とにかく仕事を持ってくるってことが、
一番クリエイティブなんじゃねって思ってました。
最初から営業に集中したいって思ってました。
サイバー時代は最後までずっと営業ですか?
11年半くらいいたんですよ。
そんなにいたんですね。
2002年の1月から2012年の9月なので、
11年半ですね。
途中で、
ダリテンの営業マンとして、
ちゃんとやってたんですけど、
サイバーで色んなキャリアパスがあるんですよね。
社内起業をする人もいるし、
僕はマーケティングとか、
コミュニケーションデザインとか、
人の心が動く企業と成果社をつなぐ、
っていうのにコミュニケーションがあったり、
メディアがあったり、
マーケティングがあったりするんですけど、
ここに対してすごい興味を持ったというか、
アカデミックなアプローチで、
ちゃんとやりたいなと思ったりだったので、
多分そこは職人技術だと思うんですけど、
サイバー行くとみんな社内ベンチャー立ち上げて、
子会社社長をやって、確かにかっこいいキャリアなんですけど、
僕はずっと現場で営業をやらせてくれるとか、
お客さんと仕事したいっていうタイプだったから、
サイバーのときはずっとそういう立ち位置は変わらずいました。
あと不思議なご縁でシンプルに言うと、
白宝堂にサイバーの当時合弁会社があって、
CAHっていう、今はないんですけど、
当時そういう戦略的なパートナー会社みたいなのがあって、
そこを介して白宝堂に2年間、ほとんど片道切符みたいな感じだったんですけど、
2年間白宝堂でお世話になりました。
変な感じですよね。
今考えてもおかしいなと思うんですけど。
白宝堂の中で、一番太いお客様であるKAOさんを担当している営業局の中で、
デジタルコミュニケーションプランニングの担当部署みたいなのを持たさせてもらって、
白宝堂の当時、マス広告とかすごい方いっぱいいてるんですけど、
その人たちにデジタル広告の考え方、作り方、伝え方みたいなことを一緒にやっていくっていうのを、
わりとミッションとしてやってて、
すごく2年間、広告マーケティング全体の世界とか、
ストラテジックな世界ですよね、すごく。
広告主もすごい成果に厳しい企業で、
そこの中でネット広告っていう、まだ森全体でいうと小さな林みたいなところを丁寧に見守るような仕事をやってて、
すごく楽しかったです。
その仕事をした後に、裁判に記任した後に、
外の世界をいろいろ見ちゃってるので、
インターネットだけでやるのはつまんないなっていうか、
インターネット広告自体とかデジタルマーケティングの世界が、
もっと社会に染み出して広がっていって、
マーケティングもでかくなってるっていうのも当然体感したし、
そこがだんだん最適化されて、
当時だと運用型の広告が増えたりとか、
だんだん仕事してる時間の大多数がスプレッドシートの見てる時間になっていった感覚があって、
リスティング広告とか、アドネットワーク系の広告とかもそうですね。
人が介在して広告の成果を上げていくとか、
人の心を動かすところからだんだん広く告げるじゃなくて、
狭く届けていく、差していくみたいな、
反則型の施策が増えていったので、
僕の中ではちょっとワクワクしなくなってきたっていうのがありましたね。
でも、その中で超重要だなと思ったのはクリエイティブだなと思ってて、
人の心を動かす接点であり、そこがすごくいいクリエイティブができれば、
広告成果も最大化されていくっていうのは、
すごくリバレッジが効いているような感じがしてて、
そこをもっと探求したいなと思って。
もともとクリエイティブとかデザインをやっていたので、
そういうものが僕の中ではまだまだ探求したいという、
後期はサイバーをすごく考えていました。
気がついたらサイバーでの経験フィールドが、
年齢も30の半ばくらいになっていたので、
若い人がガンガンやっている会社だったから、
そろそろ卒業かなみたいな感じなのと、
あとやっぱり福島の震災の影響が大きかったですね。
社会全体が広告自粛みたいになって、
あの時ずっと、
嬉しい。
嬉しいばっかりだったでしょ。
八甲田にいた時だったんですけど、
全広告ストップ。
半年くらい準備したキャンペーンも一回止めて、
仕事は何をしたらいいですか?
特に何もしなくていいからって言われて、
じゃあサイバーに戻りますって戻ったんですけど、
こういう時に社会全体が本当に何かしなきゃいけない時に、
広告の仕事って何もできないなって、
すごい切なくて、
その時が自分の中で意識と行動が大きく動いたし、
神戸の震災の時のフラッシュバックもあったし、
自分の生き方を再定義するっていうのが2011年。
2012年にサイバー辞めてるんですけど、
もっと対社会に対してソーシャルな考え方とか、
もっと次世代とか、
射程距離としては自分の人生、
自分のためにとかじゃなく、
誰かのために世の中に、
社会にってことを矢印を変えようとしてた時期で、
サイバーにいると、
それを別に果たしてないわけじゃないんだけど、
僕の中ではちょっと実感が弱くて、
ここにいたら自分はそこそこやっていけるし、
成長もし続けられるだろうし、
すごい会社だな、大好きな会社だなって思ったけど、
なんかちょっと環境変えたくなった。
それで別の会社に。
クリエイティブのエージェンシーで、
青井さんってところに入られて、
そこの会社で経営企画だとかやられつつ、
あと事業買収があったので、
PMI、事業の統合の部分もされたってところを拝見したんですけれども、
そこだったり、その後のキャリアって、
どんな感じで進んでったのかってことを教えてもらえますか。
サイバーエージェントって皆さんね、
どんな印象あるかわかりませんが、
めちゃくちゃみんな働くんですよ。
なんなら仕事奪い合ってまでやるくらい、
本当にね、今もすごいなって思うんですけど、
自分の可能性を信じて、
周りも会社もそれを信じて、
私サイバーでよく思うと、
倫儀を挙げて上司の承認を取って、
何かやったことって一回もなくて、
全部自分で決めて考えて、
やらせてくれたのか、
迷わされたのかわからないけど、
とにかく自己決定の上で動く、
目標を達成する。
目標は会社から与えられてるんだけど、
結構自分で決めてるんですよね。
誰も達成したことない数字を自分で決めて、
勝手にそれを達成して、
おめでとうって言われて、
すごい自律的な組織だったなって思うんですよ。
これ藤田さんが最近出された本とかにも、
すごいそういうのが意識されてたって書かれてて、
なるほどって思いましたけど、
これがね、外に出ると全然違うんですよね。
例えば打ち合わせやって、
プロジェクト立ち上げて、
じゃあキックオフだって人集めるじゃないですか。
最初はみんな興味関心があって、
十何人集めて、
適切な人を集まってもらうんですけど、
だんだん人減っていくし、
じゃあミッション掲げて、
こういう方向でやるぞってキックオフやった後、
もうガンガンサイバーだったんで動いたし、
気が付いたら一瞬でそれが形になっていくって、
ワクワクしてやってましたけど、
全然形にならないと。
結果、私が一生懸命やってるみたいな感じで、
チームワークでもっとしたいんだけど、
誰かが貧乏くじ引いてやらされてる状態になってるような、
しくずを何回か経験して、
あれなんだ、高い熱量で様々な制約条件を乗り越えて働くってことが、
世の中だとそんな当たり前じゃないんだってことに、
衝撃を受けたんですよね。
サイバー12年いたんで当たり前だと思ったんですけど、
世の中意外と違うと。
これがサイバー出てすごい感じたし、
自分のプロジェクトの中でも、
もちろん自分のリーダーシップとか力不足もあって、
その再現性に苦しんだんですよ。
そうならないことの状態が続いたから。
だんだんそこで新技場とかサイバー辞めた後に、
ガリバーで事業責任者やったりとか、
起案したりとか、
あとはアクセライベントやったりとか、
スタートアップとのオープンイノベーションの走りをやって、
企業方と皆さんそういうチャンスを形にしたい。
ガリバーのアセットとレバレッジ化して、
新しい顧客体験作ろうとか、
新しい新企業やろうって提案してくれるんだけど、
社内だとなかなかそこまでエンパワーメントされてなくて、
僕ばっかりがやりましょうって言ってて、
会社はできない理由を言う人がいっぱいいて、
そういう悪い会社じゃないんですよ。
みんな一生懸命やってるんですけど、
そういう感じを僕は感じたんですよね。
やってみて失敗したら次いけるじゃないですかっていうのを、
それがなかなか形にならない。
全ては僕の力不足もある前提であるので、
誰かを批判するつもりはないんですけど、
そういう躍動感っていうんですかね、
モメンタムっていうんですかね。
日本全体見ても平息感を感じてた。
やっと社会全体をちょっと認知していったっていう感じだったんです。
ガリバーンの時に実はある新規事業の、
今も考えたら200何ページぐらいの企画書を書いてて、
この事業をこうやってやれば大丈夫ですって、
設計図も全部書いて、
社長に当時それをプレゼンして、
社長に言われたんですよね。
おっさん、これすごいやればいいと思うんだけど、
そこを意思決定したいと思うんだけど、
これやる人いますかって。
事業責任者のおっさんがやるとして、
これ結構チームが必要ですよねと。
今の社内で見渡してこれを任せられる人材って、
名前挙げてもらえますかって言われた時に、
何人かいたんだけど、
重要な仕事を任されてる人なんで動かせません。
ってことは他にいないですってなって、
社長これすいません、チームないですってなって、
今更なんですけど、プランはプランでしかないですと。
実行持っていけませんって自分でも気づいちゃったんですよ。
採用からやらないとこれダメですって。
そういう人材はうちの会社には残念ながらいません。
だから組織から全部作り直しですって提案になったんですよ。
採用戦略はこうしましょう、そうしましょうって。
途中から人事の評価制度から、
この会社があるんだったらこういうチームで、
こういう評価でないとダメですと。
既存のガリバーのビジネスとは違います。
これ同じ会社の中で難しくねってなったんですよ。
で、社長に言われたんですよ。
これ人事からやってくれと。
僕は最後、新卒採用の責任者やってまして、ガリバーで。
新規事業を作っていく人だと思いきや、
それができる人がいないねってなって、
じゃあ育てなきゃいけない、取らなきゃいけないとなり、新卒採用。
経営戦略と人事戦略って当たり前に一緒なんで、
新規事業のアイディアとかも。
サイバーがすごくそういうのを意識したじゃないですか。
ビジネス自体のインターネット産業ってライフタイムが短いから、
次々と新規事業を作れるカルチャーを作っていくぞっていって、
いろんな制度を作ったり、チャレンジするってことを
みんな当たり前とするカルチャーを
富士山がずっと作ってきたわけですけど、
世の中の会社はそんなこと考えられてないってことがよく分かりましたし、
そういう制度設計をしていくっていうことで、
僕が改造度一番高いんで、おじさんやってってなったんですよ。
結果僕、新卒採用の責任者で、
全国のメガベンチャーに行くとか、外資系のコンサルティング会社に入っていきそうな
優秀な学生はどうやったらガリバーに入るかみたいなことを
引き入る役割をやらせていただきまして、
めちゃくちゃ最初嫌だったんですけど、
めっちゃですって、もうやめますって感じだったんだけど、
途中から楽しくなってきたって。
気がついたら、本当に転職だなって思うことになりましたね。
そこから人や組織とか、
いわゆる心理学で言うと成人発達理論とか言うんですけど、
どうやってその人間が覚醒していくのかとか、
やれやれを生み出して働いて成果につながっていくのか、
それを組織心理と個人のリーダーシップみたいなことを
学問的にも勉強するようになっていって、
これをもっと世の中に届けていかなきゃって
すごい思うようになっていったっていうのが不思議なもので、
それがガリバーで一番ありがたかった経験ですね。
これをやっていく中でいろんな取り組みをやっていて、
インターンシップとかかなり変わったことをやっているんですけど、
学生を3泊4日泊まりにかけて、悪く言うと監禁するプログラムで、
そんな悪いことはやっていないんですけど、
リーダーシップとかチームワークを育むような
そういったプログラムを開発していろいろやったんですよ。
この辺はディテールは伏せますけど、
最後はチームワーク、リーダー、みんなが覚醒するような、
全員が涙するような、一生忘れないような時間を届けるっていうことをコンセプトにやって、
みんな大企業とか、親とか環境が選んでいるようなキャリアを選ぶっていうところを、
自分で納得して選ぶとか、人生を作っていくってことを、
OSから捉え直すようなプログラムをやったんです。
旗から見ると、だいぶヤバいことやっているような感じなんですけど、
参加してくれた学生さんたち数十人いましたけど、
本当に未だに付き合いがある人もいますし、
それくらい僕も命をかけてやったっていうプロジェクトを何回かやりました。
それを動画にして、ロキュメンタリー映像みたいにしてたんですよね。
これは何をやったか、成果物を証明するのがむずいんで、
会社に何をやったんだ、何の金を使ったんだって説明しなきゃいけないんで、
ブランディング動画にしようってこともセットで映像編集したんですよね。
それをSNSか何かに上げてたら、
たまたま今一緒にやっているジェネシアの田島総一がそれを見て、
これは何だ、何をやっているんだということで、話を聞かせてくれということで連絡が来て、
どうも田島に聞くと、それを見て何回も何回も号泣した。
これは社会にもっと届けていくべき取り組みであると。
彼が金銭に触れたらしくて、
毎回見るたびに泣くっていうですね。だいぶ類戦に弱いんですけど。
そういうこともあって、彼と僕が対話をする機会が増えたんですよね。
なぜ生きるか、人生一回しかない。
そのために命を燃やして、自分の思いとかエネルギーを社会にどう届けていく。
どうなったら幸せか。
どうなったら命として価値ある人生だと言えるか。
極めてエフゲットな感じなんですけど、
普段は投資家として彼も活動していますし、
ベンチャー・キャピタル協会の代表理事みたいなのをやってますけど、
本当にそれぐらい投資家としてできることはやりきっているながらで、
どう生きるかってことをすごく大事にしている、めちゃくちゃエモい人間なんですよね。
その後、彼と僕が半年ぐらい色々対話を深めていく中で、
私も今50代になりましたけど、
こうやって挑戦する人たちにとって、
そういう人が増えていく豊かな社会を作りたいねと。
さっき僕がサイバー辞めて気づいたことに近いんですけど、
僕らの言い方で生き人って言い方をするんですけど、
活動の活にね。
木ってひらがな書いて人。
生き人って言うんですけど、
生き人は定義を決めていまして、ちょっと説明すると、
自分のありたい姿から考え、高い熱量で周囲を巻き込みながら行動し続けるリーダー。
人と言ってもいいんですけど、
人生一回を本当に意味と価値に変えていこうっていう、
そういう人たちをね、
昔で言うとバックマットの獅子とかね、サムライの人たちとか、
こういう人たちだと思っていて、
これが今、現代大きな変革の中で、
私たちのようなビジネスを関わっている人たちは、
やっぱりこう、社会にとって何か必要なことをもっとやるべきなんじゃないかと思っていて、
そういう人たちを一人でも増やしていくこと。
生き人を増やしていくこと。
そして生き人をつなげて、
社会全体にインパクトを出していくっていうことを事業としようと。
なんならそれだけ決めてですね。
ビジネスモデルも何もなく、
グランストーリーっていうのを立ち上げたというのが、
2019年の今に至る朝鮮の入り口でしたね。
田島さんと壁打ちする中で、壁打ち相手だったって話ですか?
そうですね。でも彼と一緒にやろうという感じでした。
一緒にやるってなったんですか?
彼は投資家としてグランストーリーに関わっているわけじゃなく、
経営人として入ってます。
そうなんですね。
2人で話し合って、
今に至っているっていうのは間違いなく。
フィードバックと関わるビジネスとかじゃないですよ。
自分でもやろうとしてますから。
そこでやっていくことの、
あれは決まったものの具体が決まっていなかったってことはおっしゃってましたけど、
そこからどうやって事業を立ち上げていったんですか?
最初は生き人を作る、増やす。
とりあえず人材育成をやろうということで、
リーダー育成プログラムみたいなことをこの方で企画をして、
いろんなリーダーの方に手伝ってもらいながら、
割とオルタナティブな学びっていうかね、
問いを深めたり内省をしたりとか、
仲間との繋がりをすごく体感的に認識するような、
ワークショップみたいなところを組み合わせたプログラムを、
一期だいたい3ヶ月くらいのタームでやるっていうのを、
一期と二期やりましたね。
人数はそんなに多くないんですけど、
最初はPOCみたいな感じでもあったんで、
大体合計で20人くらいですかね、
いろいろ関わる形でいろんな人に入ってもらって、
イメージとしては新規事業の責任者クラスの方を覚醒するとか、
あとはスタートアップの経営幹部、
執行役員クラスを取締役にキャリアアップしていく中に、
もう1個しとかを向けてほしいみたいなのがあると思うんですね。
こういう人たちが自分の全体性を捉えて成長していくっていう、
そういうサードプレイスとして、
本当に学びの場所として作るってやってたんで、
これをやったんですけど、
もっとこれを頑張ってやろうと思ったんですけど、
コロナが来ましたですね、ちょうど。
2期目に入った時にコロナが来て、
2期目はもう人も集まったし、企画も立ち上がったから、
コロナ中でもリモートとかも使いながらやろうとしたんですけど、
めちゃくちゃフィジカルな空間の中で
感受していくような設計なので、
オフラインとオンライン組み合わせるんだけど、
やり方が誰もやったことないことをやってますし、
デジタルだけだとなかなかつながりを実感するって、
みんな全人類感じた時間だったと思うんですけど、
僕もそれを感じて、
これちょっとどうしようってなった時に、
当初起業した時に、
生き人をつなげる、支援するっていうことに
プラットフォームを作ろうって話もあったので、
そっちに舵を切ろうと。
今で言うとピポットみたいな感じですが、
社会企業家とか社会を与力する人たちにとっての
最高の場を作ろうとしていたので、
それを企画として始めてて、
その構想からスタートアップ向けの最適な
プラットフォームとしてストリームというのが
2021年に立ち上がりましたね。
それで今になってるという、ちょうど5年前ですね。
そういうプラットフォームがあったら理想だなと思いつつ、
冒頭少し触れた通り、
作るのめちゃめちゃ難しい気がしていて、
それは多分、
数多のステークホルダーとのコネクションも必要ですし、
多分、ただ単に情報をくださいだけじゃなくて、
より生の情報をもらうためのコミュニケーションとか、
しかもそれを新鮮なものにし続けてもらうっていうのは
アップデートされ続けていると思っていて、
なぜこれをなせるのかみたいなところもお伺いしてもいいですか?
最初はとにかく有力有望なスタートアップを
集まる状態っていうのはすごい難しくて、
最初に声をかけたのは、
大企業のオープンイノベーションで結構有名な企業の方々に
こういうことをやろうと思ってるんですけどっていう、
最初はちょっと事業の概念に対して
フィードバックしてもらうみたいな形から
少しずつ関わってもらうようになって、
あとは田島のネットワークもあったので、
ベンチャーキャピタルの方々とかに
スタートアップを一緒に支援したいんで、
本社も入ってもらって、
スタートアップの方も紹介してくださいっていうことで
入ってもらおうという動きだったんですけど、
わかると思うんですけど、
誰も使ってないFacebook、誰も使わないでしょうねみたいな、
この卵煮彩りのリボンズどう作っていくみたいな話ですよね、
リクルート的に言うとね。
これが投資家、大企業、スタートアップ、
あと大学とか、
そういったステークホルダーを集めていく、
最初は本当にね、
登録とかも自分たちは代わりにやりますとか、
そういう形で、
本当に数十社前半の頃とかは、
おじさんこれ全員知り合いなんだけど、みたいな感じで、
ですよね。
だから別にマッチングとか求めてないんですけど、
ですよねって感じだったんだけど、
必ずこういう世界を作るんで、
それを言い続けて信じていただきたいということで、
最初は大変でしたけど、
信じてくださった方々が、
もうちょっと様子見ようかみたいなことを皆さん言ってくださったのかなと思うんですけど、
それがあったからという感謝の方が今大きい気持ちですかね。
とにかく大変でしたね。
2年ぐらいは、
100社200社ぐらいの頃とかは、
何も生まれないし、
特にトランザクションもないし、
Facebookみたいな投稿する場所もあるんですけど、
特に誰も投稿してないんだな。
投稿しても誰もいいね押さないんだな。
これ結構やばいなって思うことは何回かありましたね。
そこからどうやって仕様名を変えていったんですか。
でもこれも諦めずにコツコツやるしかないって分かったし、
それをお金に変えるってのもしばらく難しいってのも当然分かったから、
とにかく信じてくださいということと、
あと言い続けたのは、
私今も変わらず思ってるんですけど、
スタートアップってのは社会の課題を解決を自分ごと化している社会にとってのリーダーであると。
このリーダーをみんなで寄ってたかってっていうか、
応援し合って支え合って、
そういうご助教助の場っていうのが、
そういうのを作りたいんですよねっていうのを今も思っててますし、
当時も言ってました。
この繋がりを社会関係資本とかね、
ソーシャルネットワークとかいろいろ言いますけど、
ソーシャルキャピタルかなとも言いますけど、
これをみなさんの共有資産にしていくことができれば、
人と出会うことの不っていうのはなくなりますから、
事業とかビジネスとかパートナーシップを前に進めていくことにだけ集中できる、
そんなバー作りたくないですかっていうのを、
社会実験的な感じなんですけど、
それを作りたいっていうことを言い続けてるんですよ。
スタートアップの方が結構最近スタートアップを紹介してくれます。
あと投資家の方もね、
うちの新先ちょっとつないでほしいってことで紹介していただいたりとか、
だんだんそういうリファラルな繋がりが、
本当にじわじわじわじわ増えていって、
それがようやく最近はだんだん当たり前になってきて、
弾み車みたいなのが回り始めたなっていうのがまたそんなとこですね。
まだ全然油断であらないと思ってるけど。
一番最初は知り合いばっかりでつないでもらうのもみたいな話でしたけど、
今は結構マッチングみたいなのが生まれるものなんですか?
そうですね。構造上生まれますよね。
もうこれはそうなる仕組みにしてるっていうか、
スタートアップでいうと投資家と出会いたいとか、
大企業のキーマンと事業競争を一緒に進めたいとか、
スタートアップはそういう意向で入ってきますから、
そういう情報をしっかり載せてくれてます。
ピッチデックとかも載ってます。
大企業とか投資家サイドも有望なスタートアップと出会いたいと思ってるから、
自分たちが選ばれるために会社の紹介資料とか載せたり、
ちゃんと担当者の人が名前とプロフィール入れて、
私に連絡してくださいっていうのがちゃんと表現してくださって、
気が付いたら普通に会話が生まれるような仕組みになっているので、
おかげさまでめちゃくちゃやりとりが多いっていうわけじゃないんですけど、
連絡したらちゃんと返ってくるし、
投資家の方もスタートアップの方に対してちゃんと丁寧にお話ししてくださっているようなところは、
データで見ても生の声で聞いてもすごく出てきているので、
こういう景色を作りたかったねっていうのがだんだん形になってきて、
圧倒的な質の高いバイトになっているというふうに思います。
プラットフォームがあって、優秀な人たちがたくさんいて、新鮮な情報があって、
勝手にマッチングが生まれていくのか、もっと別のエッセンスがあるのか、
どんな感じで運営しているんですか?
勝手にワーダーで生まれていないですね。
急いで資金を出したいという方は頑張って連絡するということで、
オーガニックに連絡は動くんですけど、
僕らは大事にしているのは、あくまで出会いの方法が仕組みになっているだけなので、
それをブーストするというか、機会としてオフラインのイベントですよね。
こういったものとデジタルな情報環境を組み合わせるというのが、
特に一昨年ぐらいから少しずつ始めまして、
それが交互してきているというふうに今は思っていますね。
最後に人と会って、目を見て話をして、
次に具体的に話を進めていきましょうというのは、
データベースとか情報を見ているだけじゃなくて、
会話をしてから生まれてくるというのもありますし、
あと情報化できない、しづらいところも結構あるんだなというのを見ていて思いますね。
要は話してみて見えてくるとか、
ディスカッションしている中でみんなヒントが湧いてきて、
ブレクスルーがあって、
それちょうど同じことをやろうと思っていましたとかですね。
そういうセレンディピティは、
まだストリームの中には情報として入れるのは難しいですよね。
これが会ってみて話してみてというのは当然あるので、
それかリアルな場にそこを互換するのは、
デジタルでは難しいんじゃないかなと思っています。
あとはオチさんご本人にないしは、
カタリストという職種があるというのを拝見したんですけど、
そういった方々があえて人が開催しておつなぎを人力でするみたいなことも、
結構こだわってやられてらっしゃるみたいなことも拝見したんですけど、
ここはどういう動きなのかとか、
実際どこを大切にしているのかみたいなところはどうですか。
例えばお見合いのおばあちゃんみたいなもので、
間に入ってちょっとおせっか焼くっていうことが結構大事なんですよね。
これ例えば営業っぽいシチュエーションを想像していただくといいんですけど、
例えばお稲荷さんがめちゃくちゃ素敵なソリューションを持ったスタートアップで、
相手が大企業で、こっちから会いたいと思って、
数字作りたいと思うし、このソリューションを届けたいと思って連絡したときって、
向こうからしたら営業されたと思いますよね。
こっちのマインドとしてもそういうモードでいっちゃいそう。
話聞いてあげてもいいよみたいな。
そんな存在じゃないんだけど、ポジション的にフラットじゃないですよね。
ここに僕らが入ったりすると、
お稲荷さんっていうこういうソリューションを持っている、スタートアップなうってめちゃくちゃ素敵な番組を作っているナイスガイがいるんだけど、
この番組に出てみたいと思わない?って僕らが提案するとですね、出てみたいですってなります。
ちょっとPRしたかったですって。
じゃあ紹介するねって繋ぐと、
お互いに相思相愛っていうか、会いたくて出たくてこの番組ができるって形になりますよね。
これが間に媒介があると、カタリストって職媒って意味ですけど、
この間がいることによって中立的なオーガナイザーがあることで割とフラットなイコールパートナーの話ができるっていうのが、
結構これは重要なファンクションだなと思ってまして。
僕らはキュレーターみたいな感じですね。
この会社めっちゃ良くないですかとか、こういうことに困ってるんで話聞いてやってくださいとかってやると、
すごくお互いにベストマッチになるんですよ。
これがN対Nでいっちゃうと、ちょっと余計な営業フォースも入るし、守り入っちゃうのらしい。
これ投資家の方とかよくあるんですよね。
投資家の方はGPの方と話してても、めっちゃいいスタートアップだなって言っても、
こっちから行っちゃうと、投資最後判断できない可能性があるんですよ。
投資委員会通らない可能性があると。
だから話させてくれって言った時って、ちょっとこっちから行くのを控えるんですよね。
最終的な意思決定に至ってないから。
だからスタートアップから来てもらうのを待ってるとか、選ばれてるのを待つっていう状況になっちゃうんですよね。
別にお互いに話したいんだから話せばいいんじゃないかって思いません?
だから僕らみたいなのが、お互いナラティブな状況で会えるように、
ジャッジを手放して話ができるような、そういうオーガナイズっていうのはすごく大事だなって思っていて、
だからこういう中立性っていうのは価値なんだなっていうのは今すごくやってると思います。
まさに人が解体する価値をおっしゃっていただいて、
たぶんこれは残り続けるし大切にし続けるんだろうなと思いつつ、
たださっきは逆にすごくここでしかない情報とかもたくさん格納されてるって話があって、
そのあたりっていうのは逆に昨今で言えばAIとの掛け合わせが実はいいんじゃないかとかある気がするんですけど、
そのバランス感覚とか、何したらAIどう活用されていこうとしていくかみたいなところはどうですか?
この前リリース出したので、たぶんそれ触れてくださったと思うんですけど、
まさしくAIがこれから人を代替しているっていうのは言わずにもはならないと思うんですけど、
僕らもこれちょうどいいタイミングだと思ってまして、
僕らでいうと説明性をもって紹介してくれるAIを今ちょうど準備しているところです。
要は、御本社にとってこの会社がお勧めです。なぜかと言いますと、
僕らが今尽力でやっていることを、もっとボリューミーなことをやっていけるようになっていくので、
結果的に相手のことをしおく知らなくても紹介されてくるというか、
それがセレンディピティだと思うんですよね。
これをAIで今後、僕らもAIネイティブな仕組みにストリーミングをちょうど作り変えているところで、
予定でいうと4月か5月ぐらいには実装完了し、ユーザーの皆さんにその体験を届けられる状態になっていきますと。
ここでカタリストどうするのかという話になるんですけど、
この情報を選別してキュレーションしてくれるというのは、
AIの方が当然質も高く量もできると。
でも最後はマッチングした後のプロセスですよね。
例えば、事業競争だったら、事業を作っていく過程の中で、
あるいは出資だったら、流出りがあったりとか、いろんな意思決定をまた開催しますよね、企業と企業など。
こういうところにもう少し僕らがサポートしていくような仕事をしたりとか、
できればその後、絵マンデーとか、ロールアップのところとか、
最近も皆さん言ってますけど、セカンダリの領域ですね。
それがやっぱりスタートアップにとってのオポチュニティが、今結構運になっているところがあるので、
これをテックとして必然に変えていくということを、より一層ストリームとしては実現できるようにしていきたいと思っています。
プラットフォームで人がいるだけじゃなくて、いろんな機能とか提供価値が増えていくということだと思うんですけど、
このタイミングだからこそ、よりどういう課題を持った方々に入ってきてほしいとか、
どういう属性の方々にもっと使ってほしいとか、そういったところはありますか?
僕らは出会いをサポートしているプラットフォームなので、
特に出会いに対して負があるとか、環境とか状況によってなかなか出会えない人たちにとって、
より使ってほしいという考え方があります。
具体的に言うと、地方にいて起業している、
最近特にディープテックとかアカデミアのスタートアップとか、
日本の産業にとってすごい重要なキープレイヤーと思っているんですけど、
ほとんど地方ですよね。
こういう方々が東京の投資家と会話をするってなかなか難しくて、
これが物理的にも、エコシステムとしての意識的な距離というか、セクターとしての違いもあるじゃないですか。
何なら会話のプロトコルも違いますと。
でもこれをストリームがあれば、どこにいたってそれがつながる環境を提供できていますので、
特にこういった方々により使ってほしいと今思っています。
もちろん東京にいるスタートアップが使わなくていいというわけじゃないんだけど、
結構普通にあえっちゃったりするじゃないですか。
僕はあくまでマッチングの質を上げていきたいと思っているので、
これはもっと言うと、元研究者の方が起業家になっているとか、
バウンダーマーケットにヒットした起業家の方って、
決してピッチが得意とか資金調達が上手いとか、
ホルダーを巻き込むのが上手ということの方が少なくて、
それが十分条件としてあった方がいいんでしょうけど、
そうじゃない方というか、そうじゃないところに対してギフテッドな方が結構いて、
これが日本の機関産業として新しくこれからもっと立ち上げていこうというのが、
まさにそれがディープテックとか、こういった領域に光が当たっている本質的な理由だと思うので、
こいつたちに対してのオポチュニティを僕らはもっと再現性を上げていきたいと思っていますし、
これは別に国内だけじゃなくて海外もそうですよね。
これが僕らインターネットでやっていく構造なので、
場所、環境、業界関係なくつながれるという価値だと思っているので、
それはもっともっと僕らの役割を果たしていくという意味においては広げていかなきゃいけないと思っています。
ウォッチさんのスタートアップエコシステムへの情熱とか、
人をつなぐことへの情熱、これはどこから来ているのかとか、
もう一段どんなふうに思っていらっしゃるのかみたいなところも最後いただいてもいいですか?
そうですね。ちょっと変な言い方しますけど、
人生一回しかないですよ。
ここを何かにオールインして、
人類の何かを解決したいとか、この問題を自分ごと化してやっていこうって、
そこにある人生のお金も財産もすべてを投じている方々って、
この人たちが自分の自己利益とか儲けのためにやっているわけではないって当たり前じゃないですかと。
こうした人たちが社会にとって必要なリーダーであるというのを僕は考えている。
一番大事にしている哲学で、
この人たちがちゃんと社会に届けていって、
社会実装を増やしていく、広げていくということができれば社会は良くなるわけですね。
これをみんなが寄ってたかって応援しようって、さっきも言ったかもしれませんが、
これをどうやって環境として、仕組みとしてできるかが、
僕が一番やり切って、それで死にきりたいと思っていることなので、
このミッションとかテーマに出会えたことすら幸せな人生だなってすでに感じていますし、
この役割立場は、すべての言い訳を廃してやり切りたいですね。
というのが僕の個人的なエネルギーの厳選になっています。
残された時間の中で、ここまでいったらこれは気持ちよく死ねるというか、
やり切ったなみたいなところって何か思い描いているものがあったら教えてもらえますか。
経営者としては、ストリームが私が生きていようと死んでいようと、
ちゃんと持続的なシステムとして、日本の産業創造の機関システムとして動き続けている状態、
これはやり切ります。
これができたら、結局自分がこの会社の経営者なくても、
もっともっと動いていっていいんじゃないかなと思っていますので、
これが達成しなきゃいけないと思うこと。
個人としては、こういった仕事を通じて、
出会いたい時に出会いたい人に出会えるということが何より最高のご褒美ですし、
そういう一人一人との出会いが、やっぱり人生を彩ってくれているので、
死ぬ時のエンドロールというか、
どういう死に方をするかわからないけど、
そんな余裕なく、あ、死んだって、死ぬかもしれないけど、
僕は最後、死ぬ時にお世話になった人と、
この仕事だけじゃなく、いろんな自分の人生を彩ってくださった出会いを与えてくれた人たちの名前を、
あるいは顔を思い浮かべながら、
それの超長いエンドロールをですね、
泣きながら笑いながら見て死にたいというのをいつも考えていて、
本当にスペシャルサンクス、スタートアップNOWみたいな感じですね。
ぜひ見ていただいて。
そんなことですよね。
これが一人一人と、僕は全ての出会いに意味と価値があると思っています。
それを意味と価値に変えていくために、僕も関わりを大事にしていきたいと思う、
そういう厚苦しい人間なので、
そういう人生を全うできれば最高じゃないですかね。
おそらくここまで聞いてくださった方は、
ストリームという事業に興味あるか、
スタートアップエコシステムがめちゃめちゃ好きかとか、
そういった方が多い気がしているんですけど、
ここまで聞いてくださった方々への最後のメッセージ、
届けたいものとかがあったらいただけますか。
自分語りでいろいろ話しさせてもらいましたが、
やはり今スタートアップ、あるいはオープンイノベーション、
本当この国の成長戦略のど真ん中で、
スタートアップ政策5カ年計画も、
もうそろそろ後半に差し掛かっていて、
これ本当に全人類、全日本人がやりきらないとですね、
この国を豊かに未来に残していけないと思います。
なので私たちと一緒にしていただける方は、
仲間になっていただける方は、
ぜひそれを一緒に精一杯やらせていただきますし、
本当にいろんなプレイヤーの方と切磋琢磨しながら、
この挑戦をやっていかなきゃいけないと思っていますので、
ぜひいろんな方と引き続きつながらせていただいて、
この国を豊かな状態にしていきたいなと思いますので、
よろしくお願いいたします。
成し遂げたい未来と、
ストリームで描いている構想なんかもいろいろお伺いしましたけど、
逆に今ここが足りてないなとか、