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おはようございます。
この放送は、僕の頭の中の整理整頓のためには、
あかん人のあかん懺悔、そしてたまには、
愛車JB64ジムニーのよもやま話などを話しております。
さて、今日は8月6日、水曜日です。
昨日、群馬県伊勢崎市で、
日中最高気温観測史上最高の41.8℃を叩き出しました。
その近辺で仕事しております。
私もその熱波の影響、熱波とは言わない。
もろに受けていた一人であります。
広島の原爆投下
今日の本題2日目、8月6日といえば、
最近の近代史はきっちりやってるんですかね。
広島県広島市の市民の頭上に、
一個の原爆が落とされた市です。
僕はですね、小学校2年7歳かな。
広島に親戚がおりまして、
その縁もあって、原爆ドームを呼び、
広島平和公園の原爆資料館を見に行った覚えがあります。
何だろうな。
多分記憶の中では、
親戚の家から結構離れておりまして、
バスで行ったんだか鉄道で行ったんだかも覚えてないですが、
小学校低学年の学勤長が行くにするとそれなりの距離があったと思うんですが、
一人で見に行っていたような、そんな記憶がございます。
その小学校2年の花垂れ垣がですね、
見た原爆ドーム、広島商業奨励館だったかな。
瓦礫、半分瓦礫になった建物はですね、
まだ当時他にもいろいろ戦争以降は残ってたと思うんですが、
小学校2年生の花垂れ垣に相当なインパクトを残しまして、今に至っております。
そんなこともあって、
自分に子供が生まれた時も、
比較的早い年齢で一回広島は行かなあかんなと思っておりまして、
たまたまか、上の子供がたぶん小学校2、3年になった頃に、
徳島、生まれ故郷徳島の両親の家を起点として、
なんとしがえり広島旅行、その頃はですね、
本市佳境も3ルート揃っておりますし、
一部対面通行ながらも四国四県高速道路がつながっておりまして、
車使ってなんとか日帰りで行って帰ってこれるという、
ちっちゃい子供連れの割にはかなり無謀な旅行計画を立てまして、
弟家族と行ってまいりました。
僕たちの子供たちにどういうインパクトを与えたのかは、
直接聞いたことはないので、大人になった彼らにそのうちゆっくり聞いてみたいと思いますが、
そんなことが思い出される8月6日でございます。
80年前後にもその生涯を広島で終えてしまった方並びに、
その後の被爆の後遺症に苦しみながら人生を得た方、
その他諸々の関係者に祈りを捧げつつ、
今日は終わりたいと思います。
職員研修の準備
それでは、きのう今日の良かったこと。
今日も仕事の話ですが、
本日、職員研修というのがございまして、
その準備担当になっております。
関係でいろいろ、直前ではございますが、
フォロー作業がありまして、
まあまあ順調に進んだかなと思います。
そんな感じで、
今日も頑張ります。
それでは今日はこの辺で、
良い一日を。バイバイ。