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おはようございます。今日は8月6日、火曜日ですが、配信始めてから2年と少々ではなく、あと2ヶ月か3ヶ月で3年目の周回になるのですが、
過去2回、8月6日は特に何かを喋ったわけではないというか、8月6日の配信があったのだろうかと非常に記憶も朧なんですが、
この度、8月6日の配信に8月6日を意識したので、8月6日って何の日というと、日本人としては忘れちゃならない広島市の頭上で原爆が炸裂した日ですね。
死者8万人でしたから、数字も割と適当なんですが、戦争には負けた国家なので、特に強く言われることはございませんが、これも大虐殺であります。
向こうの市民8万人が一瞬で命を奪われ、熱球の下ですから、一瞬で消えたり、あとの放射線障害に悩まされたり、
放射線障害のひどい状況で命を落としたり、大変な状況で、それでも50年は草木が生えないと言われていた広島市。
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50年を待たずして、日本中が経済に湧いた1960年代に、今でも広島市のここに残る僅かな遺構を残して復活を遂げたわけですが、
この遺構のうちの世界中で有名な原爆ドーム、旧広島産業奨励館。これも元の名前は朧ですが、原爆ドームに僕が初めて行ったのは小学校2年の時。
たまたま左手に怪我を負いまして、薬指の剣が切れて修復の手術をできる親戚が住んでおりました広島の大学病院の先生ということで、
夏休み1ヶ月ほど広島の親戚の家におった関係で、自分で行ったのかその辺記憶は定かでないのですが、何となく一人で行ったような覚えがあるのですが、
平和記念公園、原爆記念館と原爆ドーム、炎天下に見に行ったような気がします。当時の炎天下はとはいえ30度を超えるような暑さではない。
今で言えば比較的夏っぽい気温の中、汗水垂らしながら見ていた覚えがあります。小学校2年の花垂れ坊主にとっては非常に鮮烈な記憶を残しまして、
結果、自分の子どもたちにも小学生ぐらいの時に見せておきたいという思いがありまして、自分の子どもたちも遠路といっても親の家が四国にありますから、
そこを拠点に一度日帰りで平和記念公園、平和記念館、原爆ドームツアーを観光したことがございました。
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平成の子どもたちが70年以上も前の惨状をどう思いを馳せるかというのはよくわからないまま言ったのですが、
大きく育ってからの娘に聞いてみると、それなりに子どもなりに感じることはあったと言っておりますので、言ってよかったかなと思っております。
特に結論はございませんが、広島原爆10日の日にちなみまして、ちょこっと喋ってみました。
それでは、神秘恒例、自分御名、自分への感謝。
昨日は早く寝ようと思っていたのですが、昨日奥さんが娘の結婚式の準備で出かけておりまして、その辺のよもやま話を帰宅してから聞いておりましたら、
少し寝るのは遅くなったのですが、そのよもやま話をちゃんと聞けていた自分を褒めてやりたいと思います。
それでは今日はこの辺でバイバイ。