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おはようございます。 野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も農業で心も懐も豊かにするチャンネルを始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で17年間世界を飛び回っていた企業選手香川本文が、
40歳を機に脱サラ収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
それでは本日もハタラクボクラチャンネルのMOGさんのインタビューの続きをお送りしようと思います。
今日3回目の配信ですね。 1回目2回目の配信も概要欄にリンクを貼っておこうかと思いますので、
こちらから初めて聞いた方は1回目2回目も概要欄のリンクから聞いていただければと思います。
それでは本編どうぞ。
それではですね、後半後編始めていきたいと思います。 引き続きハーティッチファーム代表もとさんのお話を聞いていきたいと思います。
もとさんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
前半ではですね、もとさんがまず2つの質問から入って、これまでどういった経験、何をしてきたかというお話。
特に働くの前半のところですね。大学からニッキという会社に入られて、そしてそこでどういう形で今のもとさんになってきたのかというところですね。
その途中のところまでお聞かせいただきましたと。
そしてその中で1つキーワードとして出てきたのが、プロジェクトマネジメント、自分で決めていくのというようなところですね。
自分に合っているんじゃないかというのを見つけられていったところかなと思うんですけれども、ここから何を聞いていきたいかというと、まさに自分に性に合った仕事を時間をかけて見つけていったというのが、おそらくキャリアの前半なんじゃないかなと思うんですけど、
そこから見つけられてから、ニッキでのお仕事は続くと思うんですけれども、その後はどんな形でそのお仕事に向かい合っていったのか、どういうふうな形になっていったんですか。
そうですね、その3、4年目くらいから一応プロジェクトマネジメント部門には配属になって、そこからプロジェクトエンジニアという形で、
各専門部のコーディネーションとかをしながら、どのようにプロジェクト自体を進めていくかというような経験を積んでいくんですけれども、
そこからはいろんなプロジェクトを数個同じ職種で点々とするような感じだったんですね。
その後、プロジェクトに入ってからその後の12年ぐらいですかね、は3、4年ずつ大きなプロジェクトを4つぐらいとか回したような感じで、
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どのプロジェクトでもある部門を任せられて、そこの細かいエンジニアたちとエンジニアの人たちとコーディネーションしながら進めていくという感じの経験をした感じですね。
なるほど、じゃあもう本当に専門職として大きなプロジェクトを3、4年とか3年で、2、3年とか3年で点々としていくという形なんですね。
それもその間は仲材も挟むんですよね、当然。
そうですね、各プロジェクト、アサインされた、配属されたプロジェクトで横浜側の設計をして、そのまま現場側に行ってっていうのを繰り返した感じですね。
なるほど、結構そのプラントって独特な立ち位置に立つじゃないですか、それはその天然資源が足りないと建てられないので、結構特殊な地域という、それこそ変異的なところとかに行くと思うんですけど、本田さんも割とそういったところに行かれてって言うんじゃないですか。
そうですね。そのプロジェクトに入って一番最初に行ったのがカタールの現場で、
それも砂漠というか、カタールはどちらかというと土漠なんですけど、土なんですけど、
ほんと周り何もないような工場地帯がプラントがドーンと、他の会社のプラントも並んでるようなところで、そこは3年ぐらい、トータル3年ぐらいいましたね。
なかなかその世界ってブレてないと想像できないんですけど、なんとなくイメージの中ではもう砂漠みたいな荒野の中に大きなアウスのプラント、鉄の塊たちがある。
やや無機質なイメージ。SFでいうとサイバーパンクみたいな、そういう世界観なのかなと思うんですけど、その中で、それこそプロジェクトマネジメント、なかなか責任の重い仕事だと思うんですけど、任されて、かつ、でも自分はよくわからない変異なところ、鉄に囲まれてるみたいな状況。
その働き方ってMOTOさんにとってはどういう捉えられ方だったのかっていうと、その当時の昔どんな形で働かれてたんですか。
私はね、全然それを楽しめるタイプだったんですよね。結構、うちの会社とかそういう会社に行きたいって言った人でも、実際にそういう環境にいるとダメになっちゃう人もいるんですよ。結構、やっぱり、耐えられない人も。それはね、結構二極化されますね。同じ社員でも。
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でも私は、自分で言っちゃダメなんですけど、純能能力めっちゃ高いんですよ。どんなとこに行っても、何かしら楽しみ見つけられるタイプで。
そういう意味では、どこの現場も、仕事上大変は大変ですけど、どこの現場でもそれなりに楽しくやれてました。
そうなんですね。ちなみに、カタールの砂漠の中で、そういうところで元さん的にはどんな楽しみを見つけてたんですか。全く想像ができないので、ちょっと興味本位なんですけど。
あのね、分かりやすい。うちの会社の人の。うちの会社ってもう辞めてる。会社の人の分かりやすいね。楽しみの見つけ方が。普通砂漠の中って何もないから、何もやることない。つまらないって思いそうじゃないですか。
そんな中でも、サソリを見つけて、サソリ捕まえごっことかして楽しむ人を一緒に見つける。
いうような楽しみを見つけて、うわすげーってそれを楽しめるような人たちが現場に会ってるタイプなんですけど、それは分かるなって気するんですけど。
実際私は何で楽しんでたかっていうと、別に私はサソリ捕まえる楽しみはできなかったんですけど。近くに海とかはあったんで、カタールって海沿いの町でもあるんで、近くの海に釣りに行ったりとか、仲間で釣りに行ったりとか。
あとは、いくら砂漠の真ん中って言っても近くに町はあるので、そこで買い物をしたりとか、そこでその現地の料理を食べてみんなで楽しむとか、みんなと仲間内で何かしら楽しみ見つけて、ソフトボールチーム作ってソフトボールやってたりとか。そういう楽しみをしてましたね、現場では。
ありがとうございます。いや、サソリ捕まえぼっこっていう、非常に聞いたことのないパワーはどうかといただいてしまったんですけど。そういう楽しみを見つけられる。
いや、でも今お話聞いてて、何となく順応できる人の像がですね、すごくイメージできました。なるほどというところですね。ありがとうございます。
では、そのいろいろな国の中では、もとさん順応していって、様々な国に順応していかれたと思うんですけれども、その中でもプロジェクトマネジメントって仕事のこう、ご自身の中の理解というか、できることの範囲みたいなのも広がっていくと思うんですけれども、そのあたりご自身とこのプロジェクトマネジメントの関わり合いがどのような形で深まっていったんですか。
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どんなふうにキャリアが積まれていったんですか。
そうですね。やっぱり最初の頃は、いくらプロジェクトマネジメント部と言っても、言われたことをやっているだけ。それで精一杯みたいな感じではありましたけれども。
やっぱり年数を積んでいって、経験を積むと、こういう状況のときにはこうしたほうがいいみたいな、要は自分としての感覚、アンテナがいろんな物事にちゃんと反応するようになるというか。
そういうプロジェクトをうまく進ませるための感覚は磨かれた気がしますね。
で、それを自分なりに解釈して周りに伝えて、その方向に持っていく。要は自分でちゃんとドライブをかけてその方向に持っていくっていうようになる経験はその頃、そういうスキルは積んだかなと思いますね。
そういう数年の間に。
感覚が立っていくってすごいわかるなと思って、話を聞いていて。僕なんかはIT系のプロダクトのプロジェクトマネジメント、そんなにまだ大人ほどの世界人経験はないので、先日なんですけれども、させていただいていく中で、やっぱり初めはわからないことってすごく多いですよね。
なんでもう言われた通りにやるとか、教科書通りにやるとか、ひせいっぱいですって感じなんですけど、何回か経験を積んでいくうちに、なんとなくこれヤバそうだとか、これって多分うちの方がいいんじゃないかなっていうのが言語化できないんですけど、匂うみたいな瞬間って結構あったり。
ありますよね。その嗅覚を身につけるのがすごい重要だと思うんですよね。経験っていう意味で。やっぱりそれは上の人も言ってて、プロジェクトはいかにそういう嗅覚を早いうちに嗅ぎつけて、きな臭さを嗅ぎつけて、それを事前に潰すか。
もうそれだけだっていう。なんであの頃経験したのは、うまくいくプロジェクトほど平和に過ぎていくんですよね。要は自分が忙しくない状態になる。何も起きてないわけじゃないんですけど、それを事前にみんなで潰せるんで、暇なんですよね。
俺こんな働かなくていいのかなっていう状況ぐらいのプロジェクトは本当うまくいってるプロジェクトで、自分が一生懸命動くプロジェクトっていうのは大変なプロジェクトなんですね。っていう感覚はありましたね。確かに。
本当にそうだなと思うんですね。何をこの話聞いてて思ったかというと、エンジニアリングって言っても元さんがやられてるのはフィジカルの、それこそプラン。
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頃のエンジニアリングで、私がやってる、僕なんかがやってるのはiTですね。まさに無形のものを扱ってるんですけど、プロジェクトマネジメントっていう軸で言うと同じなんですよ。まさに熟練のプロジェクトマネージャーの方々が言うのは、僕が暇な方がいいんだ。
そういう風にプロジェクトを回せていないとき、僕が忙しいということはうまくいってないことだからねって言うんですよ。まったく同じですよね、おそらく。
そうですね、本当そうだと思います。
ここにやっぱり共通点があるというか、すごい面白い、全然関係なさそうなんだけど、でも本質的には変わらないみたいなところがある。
一つの物事をね、みんなで動かそうとすると、それがどんな職種というか業界であろうと、やっぱり一つのプロジェクトなんで、そこでスケジュールとお金と人の時間とっていうのを管理しようと思うと、やっぱり一緒の動きになりますよね、そこはね。
同じですよね。
だんだん、それこそに匂いを嗅ぎ分けられるというか、仕事って楽しくなっていくとは思うんですね。
そうですね。
全能感が出てくるんじゃないかなと思うんですよ。
もうある程度はわかるよ。
で、どんどん回していくと楽しくなっていくと思うんですけれども、お話を聞いていると元さんってすごく楽しいところで農業に行かれたんじゃないかなと思うんですね。
これって、ここから農業の話にも少しつなげていきたいんですけれども、この辺りのお話、もう少し掘り下げてお聞かせいただけますか。
そういう意味では、本当に全職でやっていた頃も、仕事自体は本当に楽しいと思ってましたし、
任される範囲も広がっていって、決められる範囲も広がっていけば、ますますその後も楽しいような、自分のやりたいような世界になったんだろうなと思うんですけど、
やっぱり40過ぎた頃なんですかね。
どっかで、会社員としてそういうプロジェクトっていう仕事をやってるのは楽しいんですけど、
このままずっと会社員でいいのか俺は、みたいなそんな考えが浮かぶんですよね。
それは何でかっていうと、いくらポジションが上がっていって、自分の決められる採用が広がるにしても、
やっぱりそれって決まったあるルールの中でというか枠の中での決定であって、決して全部を全部自分が決めてるわけじゃないみたいな。
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どっか会社の中の一歯車として決めてないみたいな、そういう感覚がいつまでもあるんですよね。どこまで行っても。
っていうのがあって、会社員でいいのかっていうのを考えだすと、悶々として。
ただ別に仕事は嫌いなわけじゃないから、ずっと普通に仕事自体は楽しいんですけど、
そう考えてるうちに。でも決められないから、別に他のこと何やるとか決められないんで。
もし本当に自分が必要なんだったら、そういうきっかけは何かしら天から降ってくるだろうと思いながら数年過ごすわけです。
35くらいから40くらいまでの数年を。
何か必要だったら、そういう外に飛び出すようなきっかけが降ってくるんじゃないみたいなのも待っているんですけど、
そんなきっかけは外部から何も来ないわけです。ハンターと同じ生活が流れていくわけですね。
という中で、40のタイミングというと、自分でもう40かみたいなのもあるし、
そのタイミングで会社の中で、あるポジションに上の人から推薦されたことがあって、
それを受けてしまうと、もう会社が辞められないなと思ってたんですね。
ちょっと重要なことをするポジションで。
その時に、もうこれ受けたら辞められないな、どうしようかなって考えて、
そのままそれを受けるよりは別のことをやりたいと思って、
じゃあそれを断るのには何かちゃんとした理由がないといけない。
その時に、もう40だしなっていうのもあって、会社辞めること考えてますって、
上司に言っちゃったという感じです。
そうだったんですね。
そのポジションが推薦されるきっかけがなかったら、もうちょっとダラダラやってたかもしれないですね。
これ面白い話だなと思うのは、何が面白いかなと思ったっていうと、
お話をテンで聞くと、
それこそ日記という大きな会社を晒して農業を始めまして、
何か大きな決断というか、そこですごい積極的な意思を持っていかれた。
ある種アクティブにいけられたように見えるというか、外から見えると見える。
でも実際お話を聞いてみると、数年間の中での葛藤があり、
そして最後背中を押したのが、実はもう会社を辞められなくなるかもしれないという会社側からのオファーだということなんですね。
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もう流れです。
ただ辞めるとき、会社を辞めようと思いながらなかなか辞められない方が本当にいっぱいいると思うんですけど、
会社員というのは他に自分でやりたいことがあって。
そのきっかけを待ってる方って多分ほとんどだと思うんですけど、
私の経験上、そのきっかけは来ないぞっていうのは言いたい。
要は最終的には何かきっかけを待っててもずっと同じ生活が続いて、
で、結局60、65になっていくと思うんですよ。
何が必要かというと、他からきっかけが来ないから、
もう自分で踏み出すかどうかってこれしかないっていうのは分かりました。
私はそれをあの時に言えた。
そのきっかけはそう言わざるを得ない。
理由はありますけど、でも自分で言うかどうかっていうのはそれしかないですね。
会社を辞められるきっかけってきっと。
なるほどですね。
外から何かしらオファーがあってとか、
友人に誘われてとか、そういうきっかけを待ってても来ないんだと。
来ない。もちろんそういうことがある人はいると思うんですけど、
ただそれはもちろん自分が外に働きかけてるからそういうのが来るんだと思うんだよね。
いずれにしても。
だからやっぱり自分から動き出さない限り変わらないっていうのは、
35から40くらいの間で分かりました。
これ聞いてる人にとってはすごいいい話なんじゃないかなと思ってて、
それこそいっぱいいらっしゃるなと僕なんかも思うんですね。
でも会社は続けちゃう。
ずっと会社の折り口を言いながら続けるっていう方もいらっしゃるし、
でも最終的にそれを変えるっていうのはやっぱり自分の意思なんだ。
自分しかいないと。
本当やっぱ辞めるときも、
何考えたかっていうと、
60までもし会社員で続けて、それはそれでお金も稼げるし、
そこの方向では幸せなことはあると思うんですけど、
ただそれで本当自分が一生を得たときに、
後悔するかしないかって考えたら、
私ずっと会社員で60まで行っていい生活してやったとしても、
何か後悔が残ると思っちゃったんですよ。
その時に。
その後悔をなくす最後のチャンスは40だと思ってたんですね。
それ、例えば50で辞めるかって言ったら、
50以降に新しいことを自分でやって、
今のぐらいのフットワークで動ける自信がなかったんです。
そのフットワークを出せるのは40が最後だなと、
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自分の中では思ってたんですね。
それがもし30だったらそっちの方が絶対良かったと思うんですけど、
30の時にはそれを踏ん切れなかったです。
なんで30代で踏ん切れてるモグさんはすごいと私は思ったんですけど、
私はね、それが40でそれがタイムリミットだった。
もうそこしかなかったです。私の場合は。