働く、何者かになる、他者からの承認、自己実現、幸せ・・そう結び付けられてしまった資本主義社会。適応障害になり、労働が苦しみに変わって、「何者でもない自分でいられたらなあ」としみじみ思いました。そんな折、宇野常寛さんの「庭の話」を読んで、楽しく心地よい人生のヒントを得ました。労働と承認欲求を、「制作」によって相対化することを、新たな人生の目標にします!
<大体のチャプター>
マンドゥ・ディアオ「ブリング エム イン」で、2000年代のロックンロール・リバイバルの最高さを思い出す
ザ・ロックバンドとは・・①田舎町から飛び出したい ②ソングライティングチーム ③退屈や不満を唄う
「マンドゥ・ディアオ最高やな」
ストレスによる歯の食いしばり、そして・・/ 抗鬱剤を飲んでまで労働するのが「それでいい」ワケがない/ 「働く」=「何者かになる」=「自己実現」=「幸せ」の価値観が支配する社会/ 「仕事ができる人」か「共同体から承認される人」しか生き残れない世の中/ 宇野常寛さん「庭の話」から学んだこと・・「何者でもない自分」でいるための生き方/ 「制作」が、何者でもない自分として生きている瞬間!?/ 労働や承認欲求から切り離される、自分にとっての「制作」を探そう
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どうもこんにちは、田中嘉人のスタマースタジオです。 この番組は、スタマー、つまり吃音の人である私が大好きな音楽や人文学を中心に一人で語っていくポッドキャストです。よろしくお願いします。
はい、ということで、早速音楽のコーナーに行ってみたいと思います。
ネクネク、ライナーノーツ。
はい、このコーナーは、音楽が大好きな私が
ライナーノーツの力を借りて、そのCDアルバムを紹介しようというコーナーです。
自分で音楽について、自分の言葉で語りたいですが、もう薄っぺらくなっちゃうんですよね。
なので、ライナーノーツを書いているプロの人の言葉を借りて紹介していきます。
今日のアルバムは、バンド・ディアオ2003年のファーストアルバム
Bring M In です。 これもハマったアルバムです。
このアルバムのライナーノーツを書いているのが、またまたスヌーザー時代の田中聡一郎さんです。
今日はこの田中聡さんの言葉ではなく、田中聡さんが弾いているバンド・ディアオのフロントマン
グスタフ・ノリアンの言葉を今週の一節にしたいと思います。
これはね、このアルバムの説明というかね、この時代を表している。
この時代のロックの勢いとバンド・ディアオの勢いを表している言葉だなと思ったんですよ。
時は2003年ですけど、2000年代ロックンロール・リバイバルという時代がありました。
その前がブリッドポップがあってね、これ田中聡さんがね、もしかすると10年後このディスクに出会うかもしれないユースに向けて、あえてラバイを上げておこうといって、このロックンロール・リバイバルの時代のバンド名を何個か挙げてます。
その中にね、ストロークス、ホワイトストライプス、ザ・リバティンズ、他にもいっぱい。
ザ・ミュージックもか、バインズとかハイブスも。
ねー、ほぼほぼ聴いてますもんね。
多分バインズとかリバティンズとか、ライナーノーツ絶対取り上げます。この混合。このくらい大好き。
だからブリッドポップはリアルタイムでは体現してないんですが、この時代のロックンロール・リバイバルの興奮は20代でリアルタイムで感じられたから良かったなっていう。
03:02
人生の中の良かったなと思えることの一つですね。
もう20年以上経っちゃいましたけど、楽しかったかな。
はい、でね、このマンドゥ・ディアオというバンドはザ・ロックンロールのバンドですね。
ちょっとね、それがタナソーさんのライナーノーツを読むとわかるので、そのことについてちょっとお話ししていきます。
まず1個目はね、やっぱね、ロックバンドといえば田舎から飛び出したい。退屈な日常から飛び出したいんですよ。
きっかけはね、これサンボマスターの山口さんとかも言ってましたけど、マンドゥ・ディアオもスウェーデンのストックホルムの北西250キロほどの場所にある町。
ボーレンゲ出身らしいので、やっぱ若者からすれば退屈極まりない典型的な田舎町のようだって田中総一郎さん書いてます。
で、バンドのもう一人のフロントマンビョルン・ディクスク・ウォットも、あのほとんどの人がみんなヘッドヘッドになりながら働いていると。
平日は週末に何をするか考えながら働いているんだ。週末のために暮らしているようなもんなんだ。
僕もひたすらそこから逃げ出したいと思ってたとかって言ってて、ロックンロール、ロックバンドをやる動機としてはこれだねっていう。
でね、このスウェーデンっていうのは当時、1990年代後半、イギリスとかアメリカとか日本みたいな音楽の環境がガチと固まってなかったから、こういう新しい波が生まれてきたそうですね。
で、このマンドゥディアオがやっぱロックンロールバンドだなっていうのを感じるの要素2つ目は、このレノン&マーカートニーのようなビョルン・ディクスク・ウォットとグスタフ・ノリアンという2人のソングライティング、このソングライティングチームがあると。
でね、この2人がやっぱり伝説的なソングライティングのコンビよろしく、お互いのことを喋るのがかっこいいんですよね。
でね、ビョルンがこういう風に言ってるのが引用されてます。
きっと僕の方がソングライティングにおいてはもっとエモーショルなんだ。彼の方はもっと謎めいてる。
でね、こういう風にお互いのことを言い合うんですよね。お互い違ったタイプの曲を書くんだぜと。お互い刺激し合ってるんだぜと。
それでそういうのを聴いて、アルバムを聴くんですよね。クレジットを見ながら。
そうすると、ああ、この曲はこっちが書いたのかななんてね、そういう楽しみもあるという。
で、あとは単純にギター・ボーカル2人っていうね、それがかっこいい。
それがね、ザ・ロックン・ロール・バンドだなっていう。
あとは3つ目はやっぱ歌詞の内容ですよね。
06:00
なんか車でぶっ飛ばすことを表現したかったとかね。
あとは自分の過去に対する復讐心を扱ってるとか。
あとは街が退屈で逃げ出したいっていうのを歌にしたとかね。もう本当にザ・ロックいいですよね。
で、そういう才能ある若者たちが、時代の波が来て、そこに乗っていくと。
その勢いとパワーとその才能が見事に凝縮されて、凝縮されてないかな。もう溢れんばかりの感じですよね。
そういうファーストアルバム。マンドゥ・ディアオはその後のアルバムも大好きですけど、やっぱ一番印象的なのはこのファースト。
個人的にはあんまり映像とかも見てこなかったので、マンドゥ・ディアオは。
だからメンバー名とかもちゃんとわかってなかったので、本当に音楽かっこよくて、
音楽ばっかり、CDばっかり聴いてた。CDばっかり何回もかけて聴いてたっていう、純粋に音楽に惚れたバンドです。
とにかくかっこいい。もう薄っぺらいけどこれしか言えません。かっこいいです。
ロックンロールですね。僕の大好きなクルーリーの岸田さんも、何かの雑誌に、マンドゥ・ディアオ最高やなって書いてたのをまだ覚えてます。
はい、今週のめくるめくライナーノーツ、マンドゥ・ディアオ2003年のファーストアルバム、ブリング・エム・インを紹介しました。
改めまして、田中佳人です。
でねー、つもーっていうねことがあるんですよねー。
もーって本当に、これは、
こう、
歯医者に行ったら、
なんか、あの歯の食い縛りで、歯茎の内側に骨が隆起した小分ができてますよと。
ねー、でこれねー、食い縛りはわかっていたんですよ。これは、
私、適応障害とかにもなったので、メンタルクリニックで不眠の相談とかしたら、歯ぎしりとかね、食い縛りとか、
あと首とかのあたりもね、ストレートネックっぽくなっていたので、整体に行ったら、
食い縛りがありますと、なんか頭痛がするでしょうみたいな。
だからねー、わかっていたんですけど、
あの食い縛りの癖があるのは、
でもねー、
口の中にね、歯の下にね、歯茎のところに、
骨が隆起するぐらい、こうなってたっていうのはね、
もうそのことが、ザモーっていうのじゃなくて、もうその、
そういうふうにさせられたストレス、
09:02
もうねー、ふざけんなよじゃないけどねー、
ねー、思いましたよ。
でねー、これはストレスですね。
ここ4,5年間の積み重なったものが、
そこの、なんか、隆起した小部に凝縮されてますよね。
もう肖聴されちゃってる。
それが悔しいですよね。
でね、やっぱり、こう、適応障害になって復帰して、
薬を飲みながらね、こう、鬱剤ですね。
それを飲んで治療しながら、また仕事に復帰してるわけです。
それでね、その前の職場の管理職とかにも、
そういう話もしながらですけどね。
そしたら、今思い出したのは、
その薬飲みながら何とかやってますって言ったら、
それでいいのよっていうのを言われたんですよ。
これね、むざん、もう、え、もう、っていう。
いや、良くないだろうっていうね。
ちょっと思い出して腹が立ってくるっていう。
でもまあ、そうですよね。
仕事、その、組織の長からしたらそうですよね。
何とかして働こうと頑張ってることが偉いみたいな。
褒めたつもりなんでしょうけど。
いやいや、そんな、
交付剤飲んでまですることか、仕事って言って。
昔も今も思ってます。
でもまあ、するもんなんでしょうね。
この、労働が第一位の資本主義の世の中では。
実際に薬飲みながら、
仕事をするために体調を整えるために、
薬を飲んでるって人いっぱいいると思いますしね。
それでね、こっちが納得すると思ってんのかっていう、
納得するわけないだろうって。
それで、仕事するために薬飲むって、
それいいわけないだろ、それって。
でもね、受け入れざるを得ないんですよ。
これ考えだすとおかしなことになりますけど、
生きていくために仕事をしてますと、
その仕事で体を壊しますと、
脳神経をちょっと悪くしちゃいますと、
だったらもう働かないければいいわけで、
でもそうはできないから、
また働くために今度は治療しますと、
何をやってるのかなと。
何やってんのっていうのは、
冷静に考えると思いますよね。
だから健康になるのは、
自分の幸せのためにではなく、
人生の幸福のためにではなく、
働くためっていう。
それだから働きがいがあった方がいいとか、
12:00
やりがいがあった方がいいとか、
働くことが楽しくなればいい、
みたいな考えですけどね。
いや、そうじゃないよっていうのは、
ここ数年常に思ってることなんでね。
だから本当に、
この資本主義だからしょうがないですけど、
労働の優先順位がちょっと第一位すぎますよね。
これ、あれですもん。
だってデンマークとか北欧だったら、
労働が一位じゃないですからね。
自由時間が第一位らしいですからね、向こうは。
ちょっとだから労働が優先されすぎてて、
そのために、
労働のためにその周りの人生がある、
みたいな感じになっちゃってますからね。
薬飲んでまで、
ストレスに耐えて、
口の中になんか変なコブができてまで、
それでも働くのが大事だと。
自分のためにもそうかもしれないし、
働いている対象のためとか、
一緒に働いている共同体のためとかね、
社会のためとかね、
いやー、きついでしょっていう。
また資本主義きついっていう話になっちゃうんですけど、
今日はそういう話じゃないんですよね。
でもそういうふうに、
働くことによって、
自己実現するんだみたいな、
何者かになるんだみたいなね、
っていうのは言われますよね。
それが幸せみたいな。
まあそれに騙されてましたけど、
この歳まで。
でも何者かにならないと、
生きていけないっていう世の中ですよね。
私、小学校の先生をやってますけど、
先生の時の自分っていうのは、
何者でもない自分の時とは全然違うわけですよ。
精一杯頑張ってコミュニケーションするし、
ちゃんとするしね。
そうしないと、
共同体から認められず、
あとは社会から評価もされませんから、
評価されないってことは給料もらえませんからね。
働くために自分を変えるというか、
それが必要なんだよってことを、
また私先生なんで、
子供たちに教えちゃってますしね。
だから何者でもない自分で、
生きていけたら最高なんですけど、
それを社会は許してくれません。
ねえ、もう。
今さらっと言いましたけど、
労働一位の社会でやっていくためには、
まず、最近よく言うね、
仕事ができる。
仕事的ですよ。
嫌ですよね、これね。
そういうふうにして社会、
市場からですよね。
自由経済の市場から評価されるか、
あともう一個日本的ですけど、
いますよね。
15:00
仕事そんなできないけど、
キャラクターとかで、
その共同体から認められてる人。
そうそうそう。
だからよく、我々教員でも、
その勉強はできなくてもいいから、
なんか挨拶ができて、
コミュニケーションができて素直で、
周りから愛される人に、
子供を育てなきゃいけないんだ、
みたいなのは言われますよね。
かたや今、
シス能力とかって言って、
この自由主義社会の中で、
変化の激しい社会の中で、
生きていけるだけの能力をつける。
この両輪なんですよ、
学校の教育は。
結局何者かにならせるための教育っていうね、
その共同体の中でやっていけるか、
仕事ができる人にするか、
その両方かとかね。
そりゃね、苦しいに決まってますよね。
子供も苦しいだろうな。
何者でもない自分でいたいはずですから。
でもこれは昔からだからね。
これは昔からしょうがないんですけど、
今ね、これ、
さっき言ったこの共同体から認められると、
承認されると。
かつ、社会からも評価されると。
それがね、SNSも同じになっちゃってるから、
学校や仕事してない時間も、
自由時間になってないわけですよね。
同じことやってるわけですよね。
っていうのが、
やっと読み終わったんですけど、
宇野恒博さんの庭の話っていう本でよくわかりました。
この本は面白くて、
すごい今の世の中の仕組みが、
何層にも渡って見えてくるというか、
これすごい勉強になりましたね。
そうそう。
だからその共同体からの承認、
それから社会からの評価が、
自己実現しなきゃいけない、
何者かにならなきゃいけない、
それが幸せみたいな。
そういう世の中になってて、
そこからね、やっぱ開放されることが必要だって言ってましたね。
その開放、つまり何者でもない自分、
になるための方法が、
1980年代ぐらいからは、
消費だったらしいですね、消費。
物を買って、ブランド物の意味を包んで、
包んでじゃないけどね、
自分の好きな物に囲まれてじゃないけど、
それが自己表現になり、
そうやって物を消費していくことが、
評価からも開放されるっていうことになって、
それで何者でもない、
自分は自分でいられたっていうね、
でもね、それを超える今、欲望というか、
その欲望を超えるものが出てきちゃったと。
あるいは消費するっていうのは当たり前になりすぎて、
人々が飽きちゃったとも言ってましたけど、
18:02
それがSNS。
結局ね、仕事でやってることと同じ、
共同体から認められるかつ、
社会から評価されるっていうのを、
ゲーム化してるものがSNSなのかな。
同じことをやってて、同じことに取り憑かれてるっていう。
イエーイっていうね、ゲーって感じですよね。
本当に何やってんのっていうか、
何のために生きてんだみたいな。
本来ね、もともとはね、
その一人一人が、
自由になるための自由に表現したり、
自分自身のままであるためだったはずのツールだったらしいですけどね、
ネットは。
そこで消費が、
SNSにとって変わられてしまって、
そこでね、やっぱりね、
政策っていうのがいいんだって、
UNOさんは言ってますね。
だからまあ、
まずは自分の好きなものをいっぱい集めると、
いろいろどっぷり使うと、
そういうふうに没頭してる時は、
承認や評価から切断されてると。
さらに、
突き詰めていくと、
欲しいものを自分で作ろうってなってくるわけで、
なってくるらしいですね。
でもそれはよくわかります。
こういうのがあったらなーって、
じゃあ自分で作ればいいんじゃんって。
これが楽しい。
これが楽しくて、
これが何者でもなく、
生きている瞬間。
ここにね、人生があるんじゃないかと。
デンマークの自由時間も、
ここのことを言ってるんじゃないのかっていう。
最近よく言われる、
脳の休息が必要みたいな。
それは寝るだけじゃないみたいなね。
ここのことなんじゃないのみたいな。
もう全部繋がってくるわけですよ。
でもやっぱり制作はね、
昔よりそれこそネットがあって、
デジタルツールがあって、
アプリがあるから、
制作を個人がしやすい状況にはなってる。
なってるんだけど、
まだハードルが高いと。
やっぱりそこには格差があるらしいですね。
物を揃えられるかどうかの経済的格差とか、
あと何、能力的なものなんですかね。
で、あとね、この制作をしていくとね、
誘惑があるってことは分かるんですよ。
僕のポッドキャスト制作もそうですけど、
この制作したものを、
見せて認められたいとか、
いやこれ、
マネタイズとかって言うじゃないですか。
マネタイズして、
お金になったらな、とか。
で、そのためには、
社会に認められることが必要で、
社会の承認と、
市場からの評価が必要になるので、
結局、労働と同じ方に行っちゃうと。
一歩間違えると、
もうせっかく制作してるのが楽しいのに、
21:01
そっちの苦しんでる、
その渦の方に逆戻り、
また引き寄せられちゃうので、
これ褒められたいとか、
再生数増やしたいとか、
バズりたいとかは、
思ったらもうね、
ダメだなって思いましたね。
ここね。
で、その本の中に書いてあって、
感動したのが、
やっぱ制作をして、
それが喜びになるのは、
ほんの少し、
世界を変えられたっていう実感らしいです。
ああ、と思って。
で、さらに現在は、
さっき言った承認されるとか、
評価されるっていう方向に行かないと、
ああ、世界変えられたな、
みたいな、
自分のが、
世界変えられたな、
みたいな実感は得られにくいので、
難しいですよね。
で、そこで職人化をするんだって言ってますね。
仕事。
これは仕事で、
自分がその職人になっちゃって、
それこそ自分の作品を制作するかのように
仕事をするってことが、
大事なんですかね。
だから、自分で言ったら、
何だろうなとか、
中学校とか高校の先生だと、
授業の職人みたいな人いますけどね。
そっちもいいのかな、
みたいな。
で、あとはやっぱり暇が必要らしいですね。
だからね、
こう、さもーって思うことね。
労働によって、
いろいろね、
賃金とか生活は、
ね、なんとかなってますけど、
そうじゃない、
納得いかないもの、
ちょっと人生変えられちゃってるよ、
っていう、
口の中に小物作られたわ、
みたいな。
くっそーっていうね、
小物材飲む人生になったか、
っていう、
悔しいですよね、これね。
皆さんも、
同じ状況の人、
他にも、
職業病とかってありますけど、
昔からあるけどね、
こうね、
悔しいですよね。
でもそれは、
職場がとか、
その職場の管理職がとか、
じゃなくて、
やっぱり、
社会の構造なんでしょうね。
社会の構造により、
そういう、
職場を作るリーダーが出てきて、
そういう人が出世して、
そういう職場を作るリーダーになり、
社会で、
社会の当たり前を、
押し付けると、
もう何者かになりたくないからね。
先生ですけどね、
先生でいたくないよっていう
瞬間いっぱいありますからね。
それは先生が嫌なんじゃなくて、
スイッチ切り替えきついですからね。
適応障害になってるのは特に思うけど、
先生になるスイッチ入れるとき、
24:00
ねえ、
なんとか騙し騙しですよ、毎日。
仕事、
その職業の人になる、
スイッチ、
もう騙し騙し苦しみながら入れてる人、
いっぱいいると思いますけど、
本当にね、
お疲れ様です、本当に。
これ以上ないぐらい
頑張ってますからね、それ。
はい。
はい。
ちょっとね、もーっと思いますけど、
でもそういう、
なんか作るっていうのはね、
楽しんだな、嬉しんだな、
その本来の喜びを見失わず、
趣味とかなのかな、
わかんないですけど、
そこが、実際どうすればいいのかわかんない。
とりあえずは、
ポッドキャスト作りを、
そういう気持ちで、
楽しんでいきたいなと思ったわけです。
はい、という話ですね。
私としてはとりあえずね、
ポッドキャスト制作が、
はまれるもの、
制作に没頭できるもの、
で、承認とか評価とかね、
労働とかから、
切り離されるもの、
何者でもなくなれるものっていうね、
そういうもので、
これに出会えたことはありがたい。
本当に嬉しいですね。
昔はだから、
音楽とかも、
自分なりに作曲とかしてましたけどね、
好きだから。
やっぱりどうせプロになれないしな、
とかって思ってたけど、
そういうことじゃないんですよね。
プロになってお金が稼げるかとか、
そういう話じゃないんですね。
やっぱり、
労働っていう価値に、
飲み込まれないことが大事です。
これ市場からの評価、
それから後は、
好意に飲み込まれない、
巻き込まれない。
好意に巻き込まれない。
だから、
共同体から承認されるために
何かすることに没頭しないと。
その欲望に飲み込まれないと。
そういうのが大事だけど、
でも、
制作だけで暮らしていけるかっていうとね、
それは難しいから、
やっぱり、
制作、
作ることとかを中心に、
そういう、
労働とか、
好意。
これあれらしいですね。
ハンナ・アーレンとの
労働・好意・制作が、
生きていくために必要らしいですけど、
この3つが昔は、
シンプルに繋がってたって書いてありましたね。
本にね。
窓拭きの仕事で、
窓拭くのめっちゃ上手くなって、
綺麗になった窓を見て、
満足して、
それで、
社会や共同体に評価されて、
賃金得てみたいな、
シンプルなね、
そういう世の中がいいですけどね。
でも今は、
この3つが離れてるからこそ、
27:02
制作、
なんか、
制作を中心に、
キーワードに、
繋げていったらいいみたいなことを、
宇野さんおっしゃられてましたけど、
具体的には、
僕はまだ全然理解できてないんですが、
とりあえずね、
なんか作る。
この楽しみを、
感じていきたいと思います。
はい、というわけで、
今日も終わりたいと思います。
田中よしとのスタマースタジオでした。
どうもありがとうございました。
27:45
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