全然カミングアウトできなかった「吃音」。アウティングっぽい体験がありつつも、なんだかんだ周りの人の理解と思いやりがありました。自分を開けても、開けなくても、その人に合ったコンプレックスとの向き合い方ができればいいですよね。あと、適応障害にもなったけど、心の病気ってなんだんだ?「昭和」がしみついていて、当事者になってもなお理解できていない・・他者の境遇を理解することの難しさを改めて感じた話です。
<大体のチャプター>
noteの「吃音」の記事とカミングアウト/ 知り合いに向けたカミングアウトは大変/ カミングアウトしなくても大丈夫なパターン/ アウティングされた体験/ 自己開示って?/ かかっても理解できない心の病気/ 適応障害になった話/ 心で思ってもできないってどういう状態?/ やりたいけどやりたくないって、心どうなってるの!?/ もちろん他人にもわかりにくい適応障害/ 精神論な人たち/ 心と体のつながりがやっぱりわからない/ 当事者になれば理解できるという幻想
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サマリー
今回のエピソードでは、話し手である田中さんが自身の吃音と適応障害の経験を通して、コンプレックスや心の病気との向き合い方、そして他者の境遇を理解することの難しさについて語っています。 吃音に関しては、SNSでのカミングアウトや、学校という集団の中でのカミングアウトの難しさ、アウティングの経験について触れています。カミングアウトは必ずしも必要ではなく、周囲の理解や配慮があれば、必ずしも公表する必要はないという考えを示唆しています。また、アウティングは傷つく行為であり、信頼関係に基づいた情報開示とは異なると述べています。 適応障害については、自身が経験してもなお心の病気の全容を理解できないという戸惑いを語っています。精神論が根強い昭和・平成初期の価値観の中で育ったため、気持ちがあっても体が動かないという状態に混乱し、自分自身でさえ理解できない心の状態に直面した経験を共有しています。他者への理解の難しさ、特に「気持ちがあればできる」という精神論で片付けてしまう人々とのギャップに苦しみ、診断書が出て初めて扱いが変わった経験から、表面的な理解の限界を痛感したと語っています。最終的に、自分自身が当事者になっても他者を完全に理解することは難しいという結論に至り、その前提で人と接することの重要性を説いています。