はい。新年度も疲れましたよもう。
また来週か。来週土曜もあるんですけどね。
小学校の先生なんですが、土曜もちょっとあるんですけど。
もう来週のこと考えると入っちゃう。
もうそういう状況も、大学から社会人になった時のこと思い出しますね。
でもあの時より世の中はさらに窮屈になってる気がして。
本当ね、仕事でミスできない。
今もう一応十何年やってますからね、先生を。
余計ね、そんなやつがミスなんかできない。
締め役かけられないっていうね。
それがね、自分の問題なのかな?割り切ったりして開き直っちゃえばいいんですけど。
それが苦しいですよね。
この年だからこそなのかな?
やっぱりね、結構全力を投じないとミスっちゃいますね。
抜けちゃうし、迷惑かけちゃうし。
全力投球しなきゃいけないってなっちゃってるんですよね、本当に。
いっぱいそういうのありますけど。
例えば、勤務時間内でミスなく滞りなくすべてを完璧にさせることができればいいですよね、本当はね。
でもできないからどうしても残業とかになっちゃうしね。
あとは、そういう風にすごいパワー注ぎ込んじゃうから、疲れちゃって帰ってきて何もできないし。
適応障害のあれが残ってるのかな?と思うんですけど。
すごい疲れやすいし、食欲が気張ってるときは、みんなそうかでもこれは。
すごい気張ってるときは食欲ない。
職場で、小学校なんて給食ですけど、給食も食ってる気しないですしね。
で、家帰ってきても心が休まることをする時間がない。
文化的なこととかしたいんですよ。
読書も読みたい本もいっぱいあったりするんですけど、
つんどくとかって言いますけど、かっこいいつんどくじゃないですよね。
全然減っていかないですから。
これがずっと続くのかって、考えない方がいいんですけどね。
そう思うと疲れちゃう。もっと疲れちゃうっていうね。
で、あれですよね。
仕事に全力投球しなきゃいけない社会っていうのは、
三宅加穂さんの、なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていうのにちょっとありましたよね。
それ読んだわけじゃないんですけど、
YouTubeで本の内容をまとめた動画を見て、ああと思ったんですけど、
そういう社会構造になってるから、本が読めないとかね。
そういう文化的なこと、教養的なことを
自分の心とか頭を豊かにすることに、時間とパワーを避けないっていう。
そういうことですよね、あれ。
本当そうだなと思いましたね。
で、あれですよね。魚アクションの山口一郎さんもフロントマンの鬱病になって、
そんな人も、今みんなが80点とか目指さなきゃいけない社会。
で、80点取るには合格点がある社会ってことですよね。
80点、90点をそんな苦もなく取れちゃう人もいれば、
めちゃくちゃコストをかけてパワー使って、
そんな仕事以外のことを犠牲にしてやっと80点いく、
それでも70点しかいかないとか、そういう人もいると。
だからそういう人は心が大変だよと言ってましたけど、
だからみんなが80点目指さなくても、
40点50点ぐらいでなんとなく生きていける社会がいいんだよっていうのを、
こんなプロ中のプロである山口一郎さん、一空さんが言ってるっていうね。
ああと思いましたけど、こんな曲作りとか音とか、
仕事にめちゃくちゃこだわってる人が、
そんな仕事に全力投球しなくてもいい社会がいいって言ってるんですよね。
これはすごい説得力ですよね。
だからそうだなっていうのを、僕もね、昔は仕事が好きだったので、
仕事で90点取ったり100点は取ってないか、
高得点取るのが生き甲斐だったから、
それで取れた喜びでアトメラリーに出て、
ドーパミン出て、よっしゃ楽しい仕事みたいな、
なってましたけど、それでなんかバカになってたのかな。
騙されてたっていうか、バカになってたかな脳が。
でも実はそれすごいパワーを使ってたんですよね。
喫煙だったし、と思うんですよ。
結構繊細だったりするので、周りの人の空気とかすごい感じちゃうので、
人の気持ちもあんま良くないけどね、細かく推測できちゃうから、
それですごいパワーを使って90点とか取れたこともあったんだろうなって。
でもそれ気づいてなかった。
それ適応障害になって気づく。気づいたんですよ。
これ相当無理して今まで結果を出した時は出してたんだなと。
80点は正直自分でも取れていたと思いますが、
とんでもない、それ以外のことを全部犠牲にしてるっていう感じですね。
それで僕なんかは適応障害になったんだと思うんですよ。
頑張ってる人がなるんだみたいなことを一君さんも言ってましたけど、
新年度の最初とかね、仕事で疲れてる人はみんな頑張ってると思うので、
これね、なんとかならないですかね、この世の中。
でね、学校っていう職場なんですけど、学校っていう職場は公務員ですよ。
公務員、年功序列の公務員。
で、一応地方公務員ですね。
地方公務員の中でも末端の組織なのかな、一応現場ですからね。
あとね、今回移動したのは、ちょっと町の中心から外れてる学校なので、
いなかっちゃいなかかな。
なんですけど、そういうところでやっぱり田舎って、
良くも悪くも閉鎖的じゃないですか。
身内に優しく、他人に厳しいみたいなね。
全然よそ者に厳しいみたいな感じじゃなくて、いい人ばっかだったんですけど、
やっぱりね、常に見られてる感じがして、評価されてるんですよね。
見られてるってことは評価されてるので、
僕もそういう目で人を見ちゃってたから反省すっごいしたんですけど、
この人仕事できるのかなとかね。
この人どんな人なのかなならいいけど、
この人仕事できるのかなっていうのって、
当然の見方ではあると思うんですけど、
必ずしもいいとは言えないと思うんですよ。
仕事できるできないがその人の全てじゃないからね。
でも職場っていう協同体とか組織の中だと、
それが大事なんですよね、仕事できるできないが。
できないと迷惑かかってくるし、
他の人が損しちゃうし、一生懸命やってる人がね、
全うにやってる人が損しちゃうし、
仕事ができる人にばっかり仕事がいっぱい行っちゃうから、
で、公務員なんか給料、成果によって変わるわけじゃないからそんなに。
だからそれはそれでね、仕事できるのかな、できないのかな、
この人迷惑かけてくるのかなとか、
勝手なことしないかなとか、
自分で考えて動けるかなとか、
そういうのってすごいね、見られてしょうがないと思うんですよね。
でね、それを僕もしてたんでしょうね、前の職場で。
激しく反省しました。
自分がそう見られる側になるとね、きつい。
特に何に言われたわけでもないんですけど、
僕は結構敏感に感じるので、あと気にしちゃうのでね。
これがね、苦しいですよね。
でもこれを裏返すとね、悪いことばっかりじゃなくて、
それはよく見てもらえてるってことだから、
教えてもらえるしね、聞けば。
助けてもらえるし、みんなすごい動いてくれるんですよね。
だから本当にいい職場だと思います。
で、僕のことも気にかけてくれる人もいるし、声かけてくれる人もいるし、
気にしてもらえてるんですよね。
だからそういう意味ではね、裏表ですよね。
日本の公務員っていう特有の職場もありますからね。
すごい人を見てる癖して、人が困ったときは全然助けてくれないみたいな、
そういうね、嫌な雰囲気の、糧通しの悪い雰囲気の職場もありますからね。
あとは、結構大きい学校とかだと、
みんな自分のことでいっぱいいっぱいで、人もいっぱいいるから、
人に関心がなくなっちゃって、自分の仕事しか見えなくて、助けてもらえないし、
細かくうるさく管理されないっていうことは、それだけね、
それによって場とか集団が乱れちゃって、組織が乱れちゃって、
これはこれで、真っ当にやってる人が損するみたいな感じになっちゃって、
結果的に心地が悪くなるので、これも辛いんですよ。
僕は前の職場がちょっとこういう感じだったので、
これで、もうやってらんねーよってなって、
こんな真面目にやっても、全くもう損するだけじゃねーかみたいな、
給料上がんねーのによ、みたいな感じで、僕は適応障害になったっていうか、
それはただの文句か、不満が、そういう不満が、
ちょっと心不適されて、もうやだっていう方向に行く位置になったっていうかね。
だからまあね、難しいですよね。
本当になんか、仕事のことが頭の中のかなりを占めちゃいますよね。
でも本当に、10年20年前は、仕事できなくても一生懸命やってるだけで、
その組織の中でやっていけるとか、育ててもらえるっていう社会でしたよね。
そういう、どんどんどんどん社会は苦しくなっているんでしょうね。
社会が高度化しているとかとも言いますけどね。
あと僕ももうね、何年もやってるんで、戦力として期待されてやってるから、
できないことが申し訳なかったりね、迷惑かけちゃって。
それなりの年になってきたから給料もまあまあ出るのに、
迷惑かけてやってもらってんじゃどうしようもないからね。
あんまり自分でそうやって思わない方がいいですよね。
自分なのかな?自分でそういうふうに勝手に思っちゃってるという、
ここを直さなきゃいけないんでしょうね。
まあ、そういうので、疲れたなっていう。
風雲寺っていうギョスダ・ブが
49歳の時に
遠征をしているんですけど、
遠征している時にモンスターに襲われて
何者かの陰謀じゃないかみたいな雰囲気なんですよね、これはね。
そこで行方不明になって、一応このギョスダ・ブの人生は
そこで終わるという形なんです。
これが1990何年、最初のサガフロー2が出た時の
そこまでしか絵が変われなかったんですよね。
で、その後の話をこの2025年のリマスター版で一回クリアすると
描かれているイベントが見られるっていうのを最近知って
YouTubeで見て、見ちゃったんですよね、YouTubeでね。
それでね、もちろん感動はするんですよ、そもそも。
人間の魂とか生徒子とかが描かれているストーリーだからね。
このね、ちょっと話ずれるとギョスダ・ブがね、
なんか織田信長っぽいんですよね、僕的には。
なんか最後の亡くなると言われている年も49歳で一緒だし、
あとなんか遠征先の砦とか本能寺じゃないけどね。
本能寺はお寺か。
あと宿泊先で何か無法にあったり陰謀に巻き込まれちゃったりするみたいな感じで、
その後死んだかどうかも分からないみたいな、
そういう謎を残すみたいなのとかがすごく似てるので、
これ信長っぽいのかなとかって、
もうその当時ね、高校生とかだったかな、からちょっと思ってたんですけど。
で、その後なんとこのギョスダ・ブが生きていたっていうシナリオが描かれてたんですよね。
びっくりしました。みんな知りたかった。みんな知りたかったやつ。
でもYouTubeではみんながこの結末を望んでいたって、
なんかサムネとかになっちゃったけど、ほんとその通りと思って。
で、その取り手から生き延びるんですよね。
生き延びた後、お三のなじみ、だから術が使えなくていじめられていたりした、
いじめられていたから、すごい暴力的になってたね。
ギョスダ・ブがグレてた時期があって、
その時からの理解者であるレスリー。
これは最後、奥様って呼ばれてたから他の人に。
だから多分二人で最後過ごしたんだなと思って。
そこでまず感動なんですけど。
で、あともう一人術がギョスダ・ブと同じように使えなかった、
アニマがないと言われたフリン。
多分この三人で余生を過ごしたんじゃないかなと推測できるんですよ。
で、このギョスダ・ブが家のテラスとかみたいなところで海が見える、
なんか丘の上の家みたいなね、
そこのテラスで連れ添っていたレスリーが出したお茶を飲みながら亡くなっちゃうんですよね。
で、その亡くなった瞬間にこの世界は、
このサカフラトゥーの世界は人が亡くなるとアニマが旅立っていくとかっていうので、
なんか他の人から気づけるんですよ。
アニマを持っている人同士だったら。
だからギョスダ・ブの母親とかが亡くなるシーンとか、
もう一人の主人公のウィルナイツの大切な母親代わりのおばさんが亡くなるシーンとか、
コーデリアっていう仲間が亡くなるシーンとかで、
画面がバーって赤くなって、
みんなが気づくっていう演出があるんですよね。
で、その演出がギョスダ・ブがそっと息を引き取るときにはないんですよね。
で、レスリーが私は気づけなかったって、
あなたが亡くなることに気づけなかったっていうんですよね。
だからやっぱりアニマがなかったの?みたいな。
そこですごい長生きしてて、すごい術の達人であるギョスダ・ブの先生っていうシルマールっていう人が、
いやギョスダ・ブはアニマがなかったんじゃないと。
彼が生まれたときに私は確かに感じたと。
ただ、違う形をしていたんじゃないか。
だから彼のアニマは誰にも感じられなかったんじゃないかみたいなことを言うんですよね。
このセリフはやっぱり2025年の追加シナリオの中のセリフなので、
1990何年?最初のときはこういうセリフはもちろんないんですけど、
これが20年?25年くらい経って、より刺さるというか、
あとはこの2025年だからこそ追加されたセリフなのかもなとかって思っちゃったんですよ。
だから、この社会とか世界とか世の中にあった魂の形じゃないと、
なかなか感じてもらえない、感じられないような風にますますなってるんじゃないかな、現実世界もね。
一例として、仕事に全力投球してる人の魂を輝いてるように見えますよね。
成功して好きなことやってみたいな、できる人みたいなね。
そうじゃない魂の形をしてる人だって、ギュスタブみたいに何かを築き上げるかもしれないし、
築き上げても、その魂は他の人にはこのギュスタブのように感じられないかもしれないんですよね。
それぞれ目に見える見えない、感じられる感じられないっていうのは関係ないんじゃないかっていう人の魂みたいなもの、アニマー。
みんな、見られようと見られなかろうと感じられようと感じてもらえなくても、心や魂の形がある。
それをすごい刺さっちゃいました、そういうのが。
だから、社会とか世界とかに会ってなくても、自分を大事にするじゃないけどね。
安い言葉になっちゃうとそうなりますけど、
みんな何か持ってるってことか。みんな何か持ってるんだろうなっていうのを考えましたね、この追加シナリオを。
自分でクリアしてもいないから。自分でゲームしてみたわけじゃなくて、YouTubeで見ただけですけど。
ありがたいね、YouTubeは。
っていうのを感じたんですよね。そういう今日は話です。
ということで、どんな魂の形、アニマーの形であっても、人に見えても見えなくても、輝いていても輝いていなくても、
みんながなんとなく生きていけるというか、山口一郎さん、一君さんの言葉じゃないけど、
どんな心の形、魂の形でも、なんとなく生きていけると楽しい人生をみんなが送れていいんじゃないかなと思いました。
だから、仕事をするっていうことに対してギアを何段階か上げてスイッチをふって入れないと、
ミスっちゃったりまともな仕事ができなかったり、民間企業だったらクビになっちゃいますからね。
そういうふうに、魂をそこに入れて、仕事だけに入れて頑張っていくっていう生き方には、
不器用障害になってから、ちょっと疑問を持っちゃってるので、どうしてもそれがしんどいんですよね、そういう毎日が。
その魂に合ってる人はいいけど、その魂の形してる人はいいけどね。
つらいなぁと。でも、今そういう魂の形してない人がとっても多いんじゃないですかね。
だからこれだけメンタル疾患とかの人が多いんだと思うから、
いやぁ、頑張りすぎの人が多いんでしょうね、きっと。
だから無理しないでやっていこうとか、自分のペース見つけようとかってさ、
でも80点はいかなきゃいけないわけだからさ、それは言ってること無茶だよなって思いますよね。
20点とか30点で周りに迷惑かけちゃうっていう人もいて、その人が白い目で見られちゃうからね、僕も見ちゃってたしね、そういう人。
おい、こっちの仕事が増えるじゃねえかよ、みたいなね。
その仕事って何?みたいな。仕事できるできないの価値観とか。
仕事できるできないでいがみ合ったり、自己中になったり、優しくなくなったり、その人を見られなくなったり、認められなくなったりね。
そういう世の中、もうやだよ。やだよ。やですよね。
しょうがないけど今もそうなの。
なんか違う生き方、違う社会の在り方、あったらいいなあっていう。
はい、と思います。
でもまあ、何かお守りを見つけてやっていくしかないですよね、このしんどい世の中を。
はい、ということで、もし聞いてくれた人いたらありがとうございます。
こういうポッドキャストとかでも辛さとかをね、少しでもどうにもできないからね。
絶対80点取ろうとみんなしないと生きていけないから。
だから辛さは多分減らないから分かち合うしかないのかな。分かち合えたらいいなっていうふうに思います。
はい、では今日も終わりです。ありがとうございました。