#13 面白さを体験すること/仕事でできるようにならなかったこと
2026-04-04 29:00

#13 面白さを体験すること/仕事でできるようにならなかったこと

「面白い」を「発見」することについて考えました。結局、エンタメのプロの力を借りて、プロの目線を拝借すると、奥深い面白さを体験できますね。その繰り返しで感性が磨かれると嬉しいです。あと、実は、教師って本質は「喋る仕事」じゃないんです。人に考えさせること、人を喋らせることが大切なんですが、何年やっても得意にならなかったなあ。趣味も仕事も、自分が楽しく生きるための糧にしていきたいものです。

<大体のチャプター>

面白さを「発見する」方法?/ 専門家が教えてくれる音楽の面白さ/ 専門家の「発見」を追体験する面白さ/ リバティーンズ、ボーカル交代の瞬間の感動/ 面白さを自分がゼロイチで発見しているわけではない/ 先生=喋る仕事、ではない?/ バカリズムさんの「副担任ネタ」より/ 「喋っちゃう教師」は求められないけど・・/ 「人に喋らせる」って難しい!/ やっぱり自分に向いてないことはできないから・・

感想

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サマリー

このエピソードでは、まず「面白い」を発見することについて掘り下げています。筆者は、音楽を例に挙げ、自分がゼロから何かを発見するのではなく、専門家や雑誌、友人などの紹介を通じて音楽の面白さに触れ、その感動を追体験することに喜びを感じると語ります。特に、音楽雑誌の年間アルバムランキングや評論家の解説を通して、作品の背景や専門家の視点を理解した上で音楽を聴くことで、より深い面白さを体験できると述べています。また、バンド「リバティーンズ」のツインボーカルの交代の瞬間にバンドの全てが見えるという評論家の視点に触れ、専門家の発見を追体験することの面白さを実感したエピソードを紹介しています。 後半では、小学校教師としての自身の在り方について考察します。教師は「喋る仕事」ではなく、生徒に考えさせ、喋らせることが本質であるとしながらも、自身が「喋る」ことに楽しさを見出し始めている現状に触れます。現代の教育現場では、教師が管理やファシリテーションに徹し、生徒の主体性を引き出すことが求められる一方で、筆者は自身が喋って授業を引っ張っていくスタイルに魅力を感じ、その方向性を模索しています。保護者とのコミュニケーションにおいても、保護者に喋ってもらう場作りが難しいと感じる経験から、自身が喋るスキルを磨くことの有効性を感じていると語ります。最終的に、自分が本当に力を注ぎたい方向性を見極め、それに集中することの重要性を説いています。

「面白い」を発見するプロセスと専門家の視点
田中嘉人の Stammer Studio
どうもこんにちは、私Stammerの田中嘉人です。
Stammerとは、吃音の人という意味です。
そんな吃音の人である私が、一人で喋っていくポッドキャットです。
よろしくお願いします。
私、音楽とか本とか、好きなことがたくさんあるんですけど、
本当に好きでいろいろ知っている人、深く掘っている人って、
本当にすごいなあって言う。
自分はそうはなれないんですよ、なかなか。
それがなんでかなあっていうのを感じたっていう話なんですけど、
そういう話をね、まずしていきたいと思います。
後半は、ちょっと今私の中で、喋るっていうことが楽しいってなって、
いろいろ、このポッドキャスト始めたのもそうですし、
人のおしゃべりをそういう視点で聞くようになったりしてて、
私、小学校の先生なので、一応喋る仕事ではあるので、
ちょっとね、こういう先生になっちゃうのはどうかなっていうのを考えたって話なんですね。
今までね、自分が目指してきた、真面目な話ですけど教師像にね、
ちょっと限界を感じちゃって、
その喋るっていうことをキーワードに新しくね、
こういう先生を目指してみようかなっていうね、そういう話です。
もしよかったらお付き合いください。
私が昔から好きな、まず音楽の話なんですけど、
音楽を好きな人って、本当に好きっていうのはどういうことなんだろうっていう話なんですけど、
まず音楽の面白さを、僕が自分で発掘したかというと、
必ずしも100%自分ではない、何かを発見するとか出会うっていうのは、
何であってもそうだと思うんですけど、
自分から01で発見するっていうことは、なかなかね、難しいと思うんですよね。
別にそれでいいと思うんですけど、
簡単に言えばどこかで紹介されていてとか、人語に聞いてとか、
友達がすごい熱量で語ってきてとか、
そういうので何かを関して発見して、
自分も聞いてみたり触れてみたりして、
その世界に入っていくっていうのはと思うんですよ。
僕の場合は、最初なんだろう、
最初オアシスの音楽かな、をCMで聴いたのか。
そこから入ったんですかね。
ちょうどリアルタイムのブリッドポップの時期じゃなかったんですけど、
すごいブリッドポップが盛り上がっている時期のアルバムを聴いたりして、みたいな。
そういう流れだったんですよね。
僕のきっかけはそこだったんですけど、
そこからさらに広げたものとして、
当時はサブスクとかなかったんで、
こんな曲があなたの好きな曲の傾向に似てますよ、
こんなアーティストがきっとあなた好きでしょ、みたいなのが
勝手に流れてくる時代じゃなかったですから、
調べたのかな。
その調べるときに大きいものだったものは、
友達とか知り合いの話。
でも友達もあんまりいなかったんで、僕はそっちは少なかったんですよね。
あともう一個は、
TSUTAYAかな。
TSUTAYAで当時、音楽呪術なぎみたいなコーナーがあって、
そのコーナーから、
これに近いバンドはこれとか、
これが好きならこれも聴いてみたらどう?みたいな。
のでいっぱい借りていったっていうのと、
あと大学生とかになってからはあれですね、雑誌。
ロッキングオン。
それでいろいろ知っていったんですよね。
で、そのロッキングオンの話、雑誌の話になると、
アルバムオブザイヤーっていうのが毎年一回あって、
これがすごく楽しかったんですよ。
その後は絶対買うみたいな。
お祭りですよね。
今でこそランキングとか何戦とかってあるけど、
今ほど昔はなかったからね。
今簡単に10戦とか何戦とかって言うけど、
神ハンキーとかのとか、
それは一年に1回のランキングで、
しかも批評家、評論家、音楽の専門家、聴くプロっていうか、
その人が選んでるやつだから、
めちゃくちゃ面白かったんですよね。
で、あとその後にかっこいいカレンダーとかいつも付いてたんで、
そういうのも楽しかったんですけど、
やっぱりそこで見て、
アルバムオブザイヤーが100個ぐらい、
あれ100だったんじゃないですかね。
100個ぐらい選ばれてて、
100全部聞いたことはないですけどね。
いつも10とか20話でも聞いたかな。
サブスクがない時代にね。
で、あとそれと一緒に、
一人一人の編集者の人がのベスト10とかもまたあったり、
リイシューされたもの、
リバイバルされたもののベスト10とか、
ヨーロッパのベスト10とか、
アメリカのベスト10とか、
イギリスのベスト10とか、
いろんな本当にさまざまな角度から、
その年のアルバムを選んでるやつ。
もうね、隅々まで見ましたね。
で、これがね、
なんで楽しいのかって思ったんですよ。
友達と話が盛り上がってっていうのが一番理想っていうか、
僕に足りなかったこと。
それも大学卒業してからそんなこともなくなっちゃったんで、
友達と盛り上がって、
借りたり自分で探したりっていうのもすごくテンションが上がると。
それよりね、
友達が少なかった僕にとって、
雑誌でっていうのはね、
盛り上がりましたね、個人的に。
で、なんでそれがね、楽しかったのかなっていうのを
振り返って見るようということなんですよ。
で、その専門家の人が解説してくれるわけじゃないですか。
この作品はこういうところがすごいみたいな。
解説してくれて、
それを知った状態で聞くっていうパターンですよね。
何も知らない状態でいいよ、聞いてみって言われて聞いて、
自分の感想を持つっていうパターンもありますけど、
そうじゃないパターンね。
ある程度知識を入れられていて、
人の視点が入った状態で、
その作品に触れるっていうパターンですね。
これの面白さは何だろうと思ったんですけど、
これはね、僕が最近好きな
ブックスコーリングっていうポッドキャストのお二人が喋ってて、
そのね、ブックスコーリングってかっこいいですよね。
なんかロンドンコーリングみたいだよね、ザ・クラッシュの。
まぁいいや。
そこで喋ってたことですごい納得したんですけど、
その専門家の見方や感じ方を聞く人が、
紹介されている側が追体験してるっていう。
こういう経緯でこれを発見して、
こういうところに感動して、
こういうところに衝撃を受けて、
すごい面白かったっていうのと、
その過程をトレースするじゃないけど、
多分その楽しさだったんだなと思うんですよ。
でね、いろいろ自分が雑誌を読んでから聞いて、
おーってなった自分の感覚とか体験を振り返ると、
いろいろそれがあるんですよね。
あと一つね、その中の例として、
2000年代初頭にリバティーンズっていうバンドが、
今再結成してまたいると思うんですけど、
いたんですよ。
アンディー・モリの小山田壮平さんがすごい好きだとかね。
そのリバティーンズなんですけど、
ガレージ系と言われた2分半ぐらいで、
30分ぐらいのアルバムをバーってすごい勢いで、
こう作って音を鳴らしていくみたいなね。
そういう、でもかっこいいんですよね。
で、そのリバティーンズの音楽のかっこよさって、
いろいろあるんですけど、
僕が最初、何で知ったんだ?
でもそれも雑誌で知ったのかもな。
雑誌で知って、それこそロッキングオンで知って、
聞いてみて、かっこいいってなって。
でね、それをしばらく聞いてかっこよさに触れた後ですよね。
もう普通に聞いてますよと。
全部アルバム聞いてるし、
なんならB面集とかも買ってたり、
借りてたり、スタイルで借りて知ってたりしたから、
もうほぼほぼ全部発表されてる曲は知ってるよと。
なんかモノバージョンとか、
違うバージョンまで聞いてるし、
シークレットはトラックまで聞いてるよみたいな。
そういう状態で、結構知った状態で、
ある記事に出会うんですね。
その記事がこのリバティーンズのライブレポートかなんかかな、
だったと思うんですけど、
ボーカルがツインボーカルで、
ピートとカールっていう2人なんですけど、
その2人がレノアンドマッカートニーみたいな感じで、
バンドの中心、ソングライティングの中心なんですよね。
2人ともギターボーカルでっていう、
それ自体もかっこいいんですけど、
最後の方ね、
ピートの方が結構いなくなっちゃったりしてたんですよね。
ライブでカールしかいないみたいな。
1人でカールがギターボーカルで歌ってるみたいな。
っていうライブと、
2人いるライブっていうのを多分評論家の方が、
ライターの方が多分比べたんですよね。
やっぱりリバティーンズは、
2人ツインボーカルがいいと。
で、それを一番感じる瞬間が、
その1つの曲の中でボーカル交代の瞬間だって言うんですよね。
1番と2番とかでピートとカールが、
バトンタッチするシーンがあるんですよ。
曲によっては全部これはピートが歌うとか、
全部これはカールが歌うとかっていう曲も多いんですけど、
1番と2番で交代で2人で歌うみたいなやつもあって、
その曲の1番と2番の間の間奏がね、
全然なくて、1番が終わった後すぐに2番が始まるんですよ。
1番のサビが終わった後すぐに2番のAメロみたいな。
で、その一瞬でピートとカールがボーカルを交代するっていうね。
そこでその一瞬の間、
交代のバトンタッチの間の一瞬の間が、
すごい2人の関係性とか、
バンドの歴史とか、
曲の良さとか、
その一瞬にこのリバティーンズっていうバンドの全てが見えるんだみたいなのを
雑誌で書いてるのを見て、
えーっと思って。
で、そうなんだと思って、その視点で見たらやっぱり感動するんですよ。
あ、これか、みたいな。
この曲のこと多分言ってんだな、この人はとか。
で、そういうリバティーンズの中でも、
2人が1番と2番交代でボーカルやってて、
そのボーカルの交代の一瞬が聴ける、
ライブ映像とかじゃなくて、
音源だけで聴くっていうのでもそれは感じられて、
その曲がすごい好きになっちゃったりね。
そういう例があるんですよね、僕自身にも。
で、それってすごくなんか2になった感じがする。
そのバンドのことを本当に知ったなっていう感じがするんですよ。
で、あー俺すごい音楽好きじゃんみたいな、
そういう自分にも酔えたりするんですけどね。
でもそれって自分が発見したわけじゃなくて、
ライターの人がすごいプロとして音楽を聴いてて、
ロックを聴いてて、たくさんの曲に出会っていて、
たくさんのバンドの人とかに出会って、
アーティストに出会ってて、
だからこそ発見して感じた知見なんですよね。
それはね、僕をおすすわけしてもらってるだけなんですよね。
プロの人が感じた深い面白さを、
僕を真似させてもらってるっていう、
ツイッター検査してもらってるっていう、
そういうことなんだろうなーって、
ブックスコーリングっていうポッドキャストを聞いて思ったんですよ。
あー確かに!と思って。
自分が01で発見してるわけじゃないっていうね。
そういうのを感じましたね。
何の話だったんです?でしたっけ。
そういうのを、そういう人がくれた面白さをツイ体験する、
人が面白いと感じた過程をツイ体験するっていうのを繰り返していくと、
多分自分なりの01で面白さを発見できる視点ができていくんですかね。
そういう人がきっとみんなポッドキャストとかで話してたりして、
すげーな面白いな深いなって聞いてる方は思うんだろうなーっていう。
多分感性を磨くとかはそういうことだと思うんですよね。
すごい感性を持っている人の見方を借りて、
それがこういうことかって理解していって、
自分でもじゃあ今度、前情報なしで聞いてみようとかって言ってみて、
これいいわ、きっとこうでこうでこうだからいいんだろうなって考えることを繰り返すことによって、
自分の01の面白さを発見できるんですかね。
そういう人間になっていきたいなっていうね。
そういうお話です。
教師としての在り方と「喋る」ことへの葛藤
もう一個こういう人間になりたいっていうのがあるんですけど、
それは一番最初の回とかでもお話しさせてもらったんですけど、
喋れる人間になりたいんですよ。
すごい憧れるわけですよね。
それを小学校の教員やってるんですけど、
仕事でもやっぱり喋れる人になりたいんですよ。
当たり前じゃんって感じなんですけど、
小学校の学校の先生なんだったら話が面白いようにこうしたことはないから、
話が上手なのにこうしたことはないから、
そんなの当たり前でしょと思うかもしれないんですけど、
これがね、そうじゃないんですよ。
なぜなら、学校の先生、塾の先生とかとは違って、
これちょっと前話したかな、
学校の先生って必ずしも喋るのが上手い人がいい授業をするとかじゃないんですよね。
むしろ授業で先生が全部喋ってると怒られるんですよ。
先生が喋りすぎだよね、みたいな。
もっと子供に発表させないと、話し合わせないと、みたいな。
子供の思考が活発化するような授業を設計できる人がいい先生と言われてるので、
自分が喋っちゃったらいけないんですよ。
名物呼び子教師の人とかみたいなことはしないんですけど、
でもね、個人的には名物呼び子教師みたいな人に憧れるんですよね。
高校生の時とか、やっぱり話が面白い先生ってすごい好きでしたよね。
あとなんか脱線しちゃうとか、脱線したところが面白いっていうのはあるあるですよね。
そういう経験みんな持ってると思うんですけど、
そういう人間性を出せる人になりたいなって思うんですよね。
小学校の先生でいいとされてるものは、やっぱり子供とか、
あとは保護者の方とかも接するわけですけど、
教育相談とかね、家庭訪問とかでは保護者の方に気持ちよく喋ってもらうし、
授業では子供が活発にやりとりをするように仕向けるし、
だからあれなんですよね、きっと裏回しじゃないけど、
MCとか、自分がMCっぽくなることもあれば、
あと子供が学級会の話し合いとかでね、子供自身が司会をやる時は、
その司会の子を含めて裏でみんな回すみたいな、
そういう役割が求められるんでしょうね。
なんかバカリズムさんのネタでありますよね。
副担任の人が担任気取りなことすんだみたいな。
なんかあなた、副担任なのに生徒たちと課外授業に行って、
土手で夕日見るとかすんだとか、あれ面白いですよね。
その中の1個の話で、副担任なのに裏回しとかすんだみたいな、
そういうネタがあるんですけど、
そういう裏回しとかがきっと先生の仕事なんでしょうね。
今、さらにそういう先生の仕事が求められるようになってて、
子供たちが自走する授業は、自走っていうのは自分で走るって書くんですけど、
自分たちでどんどん意見交換して深めていく授業とか、
自分たちで探求するとか、
だから、ますます教師は喋らないでマネジメントに徹するんだみたいな、
伴奏するんだとか、ファシリテーションだとかね。
あとは子供のことをちゃんと評価して、それは賛成ですけど、
評価して、手声で押してあげたり、できる子をもっと伸ばしてあげたりするんだみたいなことを言うんですけど、
だからますますこの時代、喋りが上手い先生はもう求められてないんですよ。
そういう風になれって言われないんですよね。
僕もね、ずっとそれに従ってきたんですよ。
従ってきたっていうか、僕も質問だったから、
あ、喋れる先生じゃなくていいんだっていう。
喋りが上手いっていうことは求められないんだ。
ああ良かったっていう風に、そんな風潮に安心してたんですよね。
でもね、自分で喋っちゃった方が楽だなと思うこともあって、
今言ったみたいな子供たちが自分で活発に話し合っていく授業とかめちゃくちゃ作るの難しくて、
それに疲れちゃったなっていうのもあるんですけど、
自分が喋って引っ張っていくみたいな、そういう授業でも時代と逆なんですけど、
いいんじゃないかなって、ちょっと最近そっちをやってみたいなっていうのを思い出してるっていう、
そういう話なんです。
今、喋るっていうことは言葉を発するってことですけど、
やっぱりそれを子供にさせなきゃいけないって言われるんですよね。
でもやっぱりちょっと自分が喋っちゃいたいなって。
自分が面白いと子供たちから思われたいなみたいな。
保護者会とかでも楽しく保護者の人とかに話を聞いてもらえたらいいなみたいな。
そういうの思うんですよね。
前保護者の人とかと言ってたのは、保護者会で自己紹介とかさせられたり、
保護者の人が喋らされたり、ワークショップじゃないけどグループ競技か。
保護者の方が何人で集まってこのテーマについて話しくださいとか、
そういうのは私しんどいですって言ってる人もいましたよね。
わかると思って、僕もそのタイプですみたいな。
いやいや先生喋ってくれよみたいなね。
その気持ちわかるなって思ったんですよね。
それからは学校では保護者の人たちが話し合う意見交換をする場を、
それが本当は一番いい保護者会なんですよ。
そういうのをやってくださいと。
絶対テーマを設けて、そのテーマについて保護者の方たちに話し合ってもらってくださいみたいな。
言ってくるんですよ、上が。
でもね、僕は本当に少数のその人の意見を聞いて、
いやそれをしたくない人だっているんだよってなんか思って。
やっぱり自分で喋った方が、きつそうな僕にしても、
自分で喋っちゃった方がやっぱり楽なんですよね。
やっぱりその難しい。
子どもとか大人は特に難しいし、
保護者の人が盛り上がっていろいろ活発に意見交換してくれる場を作るのって難しい。
それができるのが指導者なんだと思うんですけど、
いやどうもね、できないんですよそれが。
なんか、自分が喋るのが向いてないのかなと思ったら、
ずっと思ってたらキツ音だから、
いやいや人に喋らせることの方が全然できないなっていうのはね、
最近特に思うんですよね。
だから後輩の人とかに言われますよ。
学級懇談会に保護者の方何人残ったんですか?
そんなにいたんですか?
そんなにいないんですよ。
本当に十二、三人なんですよ。
三十何人のクラスで。
うちのクラスなんかたった何人で全然盛り上がらないんですよとかって言ってたけど、
いやいやいやほぼ同じだよねって。
その気持ちわかるよねみたいな。
あれ結構盛り上がらないの辛いんですよね。
だから本当は自分が喋らないで盛り上がっていくのが一番楽なんですけど、
でもやっぱり自分が喋んないでうまく回したり、
何かいいテーマとかやり方を設定したりして、
授業にしてもね、保護者会にしても、
それで盛り上げさせるのって難しいので、
だったら自分がうまく喋れるように練習とかしちゃった方が早いんじゃないかなっていう、
そういう話、ちょっと話が最初と変わってきたな。
最初はおしゃべりで子どもたちとか保護者の方に興味を持ってもらったりする存在になりたい、
面白いと思ってもらいたいみたいなことを言ってましたけど、
結局喋っちゃった方が早いんじゃないかか。
喋るのがうまくなるように練習をして訓練をして、
なった方が早いんじゃないかなっていうことかな。
これからの学校の教育の流れとか授業の流れとか、
先生はこうならなきゃいけないっていう流れからは逆ですね。
良くない方へ進もうとしてるんですかね。
良くなくはないと思うけど。
でも、もしそういう先生になられたとして、それでもいいよねっていう。
時代の流れとか関係ないだろうっていう。
自分が喋れる人に頑張ってなれるように努力するのはアレだなって、
ちょっと最近思ってきました。
という話ですね。
最初は単純に自分が音楽面白いと思った体験とか、
今の時代と時代の流れとは違うけど、
こういう先生になりたいなっていう話をしようと思ってたら、
意外となりたい自分の話になりましたね。
だからオタクとかマニアの人みたく、
すごい好きなもの深掘りできる、そこに力を注げる人になりたいっていうのと、
あともう面倒くさいこと考えないで、
どういう風に喋ったら面白いのかとか授業が楽しいのかっていう、
もう自分が喋っちゃえみたいな、
そういう先生になっちゃえみたいな、そういう話でしたね。
こういうことってあんまり言語化したことがなかったので、
そういう人になりたいのかっていう自分は、
そういうのを再確認できましたけど、
やっぱりどうしても模範がありますからね。
こういうものが良いとされてるという風潮もあるし、
時代の流れもあるし、そういう研修も受けるからね。
仕事とかで言うとそっちに引っ張られちゃいますよね。
多分自分がやりたいと思える方向に熱量を注げる方向にいかないと、
多分そうじゃない方にパワーを注ぐと疲れちゃうんですよ。
それは適応障害にもなったんでわかるんですよね。
あれかな、お笑い芸人の人とかがお客さんに寄せていくと、
フォーム崩すみたいな、それと同じなのかな。
先生とかもそうなのかもしれないですよね。
だから自分がこうなりたい、自分がやりたいことはこれだってなってて、
パワーを注ぐ方向性をそこと合わせておかないと、
自分が納得しなかったりやりたくないことにめちゃくちゃ頑張ると、
昭和の根性とか公務員機質で言われたことをやらなきゃいけないんだみたいな風に頑張っていくと、
また疲れちゃうからね。
だからそういう自分が目指す方向性を、時代と合ってるかどうかもちゃんと見て、
合ってないなら合ってないって悪気って言った方が気持ち的にはすっきりいけますよね。
逆に言ってるんだみたいなのを、それを疑問に本当にこれでいいのかなみたいな、
求められてることと合ってるのかなみたいな感じでいくと疲れちゃうし見失っちゃうから、
ああ、求められてる方じゃないけど、それこそね、時代の声がする方じゃないけど、
それ分かってるんだけど自分はこっちの方が合ってるからみたいな。
そういうマインドが必要ですかね。
なんかお笑い芸人の人のバラエティとか見て、そういうトーク番組見てるって、
その方たちが自分の反省とかを振り返っている話とかを聞くと、
何歳になっても全然できるようにならなくて、何歳になってもどんだけ経験を積んでも向いてなかったものってあるよねみたいなことを言ってて、
食レポが全然できなかったとか、結局何回もやったけどできるようにならなかったなとか、
そういうことを言ってるのを聞いて、そういうものってあるよなっていう。
あとなんか、もう40代ですけど、40代はこういう生き方をした方がいいみたいなのを読むと、
やっぱりパワーを費やすものを集中させるっていうか、もうあれもこれもできないと。
最近で言うとコストか、コストをかけるものをちゃんと見極めて集中してそこに費やしていくんだみたいなのを言われるけど、
そうなんだなっていうのを思いますね。
なので、そういうふうにした方がたぶん楽しいのも楽しいでしょうし、やりがいとか達成感とかもあるのかな。
そんなふうに頑張っていこうと思ったっていう、そういう話にまとまりますね。
本当に今回もありがとうございました。ではこれで終わりです。本当にありがとうございました。
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