#12 なんだかんだ喋り続けた半生を振り返って
2026-03-29 23:49

#12 なんだかんだ喋り続けた半生を振り返って

吃音なのに教師という仕事を選んだおかげで、喋る日々だった半生。苦手なことを毎日やる中で、身についたことや、結局できるようにならなかったことがありました。時には、喋れたら喋れたで反省することも。でも結局、人生この道しかなかったのかなあ。そんな思いを持っているのはきっと僕だけではないはず。そんなことを考えた回です。

<大体のチャプター>

教師の他の仕事は違う「喋り」/ 「授業」という特殊な喋り/ 喋る「準備」をする習慣の欠如/ スピーチの成功体験「離任式」/ 自分なりのスピーチ準備の仕方/ 離任式スピーチで調子に乗って・・/ 「新担任」がやりずらいパターン/ 質より量で喋ってきてよかったのかな?

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サマリー

このポッドキャストでは、吃音を持つ田中嘉人さんが、教師という「喋る」ことを職業に選んだ半生を振り返ります。言葉が出にくい吃音の特性を持ちながらも、小学校教師として集団に向けて話す日々を送る中で、様々な経験を積んできました。他の仕事と異なり、常に子供たちという集団を前にして話す教師の仕事の特殊性や、授業における「喋り」のあり方について考察します。準備不足で臨むこともあった一方で、離任式でのスピーチ成功体験などを通して、自分なりの話し方の訓練を積んできた過程を語ります。しかし、その成功体験が自己満足に終わってしまった反省や、新しい担任を引き継ぐ際の難しさにも触れ、教師という仕事における「喋り」の奥深さと、自身の半生を振り返る思いが語られています。

吃音と教師という道
田中嘉人の Stammer Studio
どうもこんにちは。私、Stammerの田中嘉人です。
Stammerとは、喫音の人という意味です。
私は喫音の人なんですが、そんな私が一人で喋っていくポッドキャストです。
今日もどうぞよろしくお願いします。
私、喫音なんですけれども、言葉がなかなか出ないタイプの喫音ですね。
最初の言葉がなかなか出なかったり、話している途中で一回止まっちゃって、
そこからまた言葉が出なくなるみたいな、変な風に噛んでいる感じになるんですけれども、
それをずっとそういうのを持っていました。
大人になっても治らなくて、結構喫音って小さい時に、
ふと治っちゃうと言われているんですけれども、僕の場合はずっと治らなかったんですね。
青春期とそれから20代と、ずっと付き合って生きてきているんですけど、
どんな状況からか私、小学校の先生になったんですよね。
それで余計向き合うことになるんですけど、
今思えばなんでそんなわざわざ喋ることを仕事にして、
喫音で喋れないのに、そういう道を歩んできたのかななんて思うんですけれども、
喫音の僕が喋ることを仕事にしたというのは、
それはそれですごく自分にとって良かったなということを最近思ったんです。
今日はそういう話ですね。よろしくお願いします。
教師の仕事における「喋り」の特殊性
仕事だったら、何でも喋ると思うんですよ。
喋らなくていい仕事はないと思うんですよね。
職場の人と会話をしたり会議したり、お客さんと話したり、
取引先の人と話したり、プレゼンしたりとか、あと電話とかね。
話すことって絶対仕事の中にあると思うんですよね。
教師の仕事で、そういう普通の仕事というか、他の仕事と違うなと思うことは、
常に集団に向けて喋ってるんですよね。
聴衆ではないんですけど、子供は聴衆ではないので、それとは違うんですけど、
これもよく突き詰めて考えていくと不思議だなと思います。
常に30何人の集団に向けて何かを教えたり、話をしたりするんですよね。
それが日常なんですね。
そういう立場にいる人もいっぱいいると思うんですけど、
そういう立場に大学卒業してからすぐなってるという。
よく言われるのは、我々教員はその他の仕事でいうと、いきなり店長とかになってるようなもんなんだと。
部下じゃないんですけど、自分がまとめなきゃいけない人たちが、子供ですけどいるという。
そういうところが特殊なんだなんて言われますよね。
そういう時に、例えば授業が1時間、1日5時間あるとしたら、
45分かける5回分のスピーチをしなきゃいけないという風に見方によってはなるわけです。
実際教員の仕事は子供が活発に話し合ったり意見を言ったり、
子供が自分で勉強していくという授業を作るのがいいとされているので、
ずっと教師が喋ってなくていいんですけど、
むしろずっと教師が喋っていると怒られちゃうんですけど、
ちょっとお前喋りすぎだと。
だからずっとその授業中、教師は喋ってなくてもいいんですけど、
喋ることは多いんですよね、集団に向けて。
授業じゃなくても、何か朝の会とかで指示するときとか、
この行事ではこういう風に分かれて、こうやって動いて、こうやってとか、
っていうのを話すことがとっても多いので、
部活とかを指導している先生もそうですよね、中学校とかで。
じゃあいちいちその全部の原稿を考えるとか準備するのかって言ったら、
大体の教える内容は考えるんですけど、一言一句考えないわけですよね。
最初の頃は結構一言一句考えてたのかな、
でもそれだともう寝る暇ないですから。
だからそういう風に一言一句考えないで、
そこまで綿密に準備をしないでも、
一晩にたって話すっていうことが日常だったのが、
良かったところと良くなかったところがあるんですね。
教師の仕事で得られた訓練と反省点
まず良かったところとしては単純に訓練になるというか、
つっかえつっかえになっちゃうときもあれば、
うまくしゃべれるときもたまにあったり、
それを自信にしたりしてやっていったわけですけど、
とにかくやっぱり数やるっていうのは大事なんですね。
授業とかも楽しくやってたから、そんなに苦じゃなかったしね。
その中で声の出し方みたいなものも常に考えていたり、
それが練習する場になったりしていたのが良かったのかなと思います。
あと、つっかえないようにする方法とかね、
こういうメンタルで行った方がいいとか、
こういう考え方で戻った方がいいとかっていうのと、
常に向き合えたので、
そこは日々そういうことをしていたので、
それは本当に既存の自分にとって良い毎日の繰り返しだったのかなと思いますね。
前にも話した通り、それによってすごい疲れちゃうときもいっぱいあったんですけど、
もう無理ってなっちゃうときもあったんですけど、
でもやってきたことは身になったんだなと思いますね。
もう一個の良くない方っていうのは、
一個一個をちゃんと準備する時間がないので、
準備を完璧にして臨むっていう経験が多分少ないんですよ。
研究授業とかは本当に一期一期考えるのがいいかどうかっていう話は別としてね。
それは別として、研究授業とかは結構綿密に考えるんですよね。
だから、そこまで考えてうまくいったっていう喜びをそんなにたくさん味わってないんですよね。
あと、性格的にも面倒くさがりなんで、いいやと思って、そんなにちゃんと細部まで考えなかったり、
あと個人的には授業より子どもとの関係性とか、日々のコミュニケーションとか、
学級運営とか、信頼関係を子どもと作るとか、そういう方が大事だと思ってるから、
そんなに授業に力を入れてこなかったんですよね。
なので、自分なりにいい話し方をしたりするための準備の仕方みたいなものは全然身につかなかったなっていう反省がありますね。
これが普通の会社で、1時間でいいから資料を作ってプレゼンするみたいな経験があったら、
磨かれていたんですかね。ちゃんと考えて喋るっていうことが。
やっぱ授業っていうのが不思議な形態なんですよね。
塾の講師とかだったらひたすら自分が喋ってるって言うんだと思うんですけど、
学校はやっぱ子どもたちが喋って、子どもたちが喋ってっていうのは、
勉強に関して意見を言ったり考えを言ったってことですよ。死後じゃなくて。
子どもたちが自分たちで話し合って学ぶっていう形態が理想とされるので、
いかに子どもに喋らせるかなんですよね。
だから授業っていうのが不思議な仕事なんだと思いますね。
喋るのがうまい先生がいい授業をするわけでもないので、
なんでそれに甘えちゃって、
自分がうまく喋れるようになるための努力をちょっと怠ってるんだなっていう、
そういうノリでやってたところが良くなかったのかなと思いますね。
離任式でのスピーチ成功体験と自己満足
で、こういうふうに準備をすれば人前でうまく喋れるんだっていうのを、
全く経験しなかったわけじゃないんですよ。
その例が理認式ってあるんですけど、そこでスピーチをするんですね。
理認式っていうのは、先生が移動した後に、
4月の終わりぐらいに前の学校に一回戻って、
そこで前見てた子どもたちと再会するみたいな。
一人ずつ体育館とかでスピーチをするんですけど、
そのスピーチだけはすごい考えたんですよね。
初めての理認式の時に、うわ、やばいと。
全校の前で喋るんだっていう。
何喋ったか覚えてないんですけど、何かうまくいったなっていう覚えはあるんですよ。
その時、僕を面倒見てくれた大ベテランの、僕が尊敬してた先生も一緒に移動だったんですね。
その先生は退職だったのかな、ちょうど。
その先生が最初に喋って、次が僕でみたいな。
もっといっぱい喋る人がいたんですけど、
そういう中で、その先生が言ったことに最後乗っかってね、行った気がしますね。
その先生がさよならじゃなく、またねってみんな言ってくれますかとかって言って。
それで全校、たくさんの子どもなんですけど、子どもたちとやりとりをしたんですよね。
ステージの上から全校の子どもと。
僕もそれ見て、いいなと思って、アドリブでその後自分の話の時にそれをやったんですよ。
今思えばよくあんな急にできたなと思うんですけど。
そしたら、子どもたちがそれやってくれて、またねまたねみたいな。
すごく良かったなって思ったんですよね。
それが多分良い成功例になって、次の理認式になっていくんですけど、
その当時僕はまだ正式採用じゃなくて一応臨時採用という枠で、
教員採用試験には合格してないけど、一応現場では他の先生と同じように担任とかで働けて、
その代わり1年契約で毎年毎年違う学校に行って、
欠員の先生の穴を埋めるみたいな、そういう仕事を5年ぐらいやってて。
だから毎年のように理認式のスピーチがあるわけなんですね。
で、ある年は結構笑いを取れたなっていう時もあったり、
あとすごい感動するようなことが言えちゃった時もあったり、
様々な理認式の成功体験を積んでいくんですね、スピーチの。
その時にやってたのが、やっぱりブロックで考えて、
喋ることをブロックで考えて、レジュメじゃないけどね。
なんか、衝立てして最初にこのことを喋る、次にこのことを喋る、
最後にこうやってまとめて締めるみたいな。
項目だけ決めといて、原稿一言一句書いたりしないっていう、
そういうスタイルでやってたんですよ。
そんなキツ音でとっさに言葉が出ないのに、
そんな急にアデルブみたいな方法で思いついたことを喋るみたいなのは、
できっこないっていうのは分かってたので、
その項目を決めたら、その項目に沿って、
ひたすら喋る練習を前の日に自分家でしたり、
やっと移動中に車の中でブツブツ言ってたり、
そういう準備方法をしてました。
だから、なるべく本番の空間を思い描いて、
一回喋り出したら失敗しても、ちょっとおかしいなと思っても、
最後まで話し続けてみるとか、この収録もそうなんですけど、
時間測って長すぎるわとか、あそことあそこを切ろうとか、
はいじゃあもう一回最初から行ってみましょうとか、
そういうのを自分一人でひたすらやってましたね。
今思うと、一応ちょっとした構成に沿って話すっていう訓練だったんですかね。
今度は一応喋ることとか自体はうまくいったりはして、
自信になったりしてたんですけど、
今度は喫煙とは関係ないんですけど、
その良くない例というか、
その時は自己満足でうまくいったと思ってたけど、
後々なんか良くなかったなって思う反省の話なんですよ。
だからこれは先生の理認式スピーチのダメな例とかね、
そういう話になってくるんですけど、
離任式スピーチの反省と教師としての在り方
それなりに話せるようにはなりましたと。
自分自身もプレッシャーを感じて緊張するんだけど、
その最後のスピーチの場を楽しめるようになりましたと。
そこまでは良いんですよ。
でも一回ね、後からダメだったなと思ったのは、
なんかね、めちゃくちゃ感動させちゃったんですよ。
たった1年のやつがですよ。
たった1年しか、しかも採用、正式採用もされてないようなやつが、
1年単に持っただけでめちゃくちゃ感動させられるみたいな、
何こいつっていうことですよね。
だからね、その時は全校の前で話してるんですけど、
自分が前の年に持った子供たち、その30人くらいの名前を、
一人一人全員呼んだことがあったんですよ、スピーチの中で。
何やってんだって思うんですけど、
なんかボロボロ泣いちゃう子とかもいて、
でも会場がね、感動の雰囲気に進まれちゃったんですよ。
僕もそれに酔ってるわけです。
それって全然いいことじゃないんですよね。
本当に先生が自分で満足してるだけ、
僕が自分で満足してるだけの自己満足の極みみたいな、
ひどいものだったなと思うんですよね。
だってその年に、なんかその学校が、
自分の出身校である校長先生も最後の年で、
その校長先生はずっとその学校に思い入れがあってやって、
最後自分が卒業した学校に校長として赴任して、
それで退職する最後の年。
僕なんかよりも全然思い入れもあるし、歴史もあるしっていう人よりも、
僕がたった1年そこに勤めただけの僕が感動症じゃないけど、
わーってやっちゃったっていうね。
その人いい人だからすごいよかったよって言ってくれたけど、
後々思うと俺は最悪だったなっていうのを感じますよね。
でも子供が感動して喜んでるんだからいいじゃんと思うかもしれないんですけど、
それも違うということを知るんですよ、後々。
離任式っていうのはその式自体の意味が未だによくわかんないですけど、
やっぱりこの最後のお別れの日なんですよね。
学校を去る先生と子供たちの最後のお別れの日なんですけど、
そこでまた新しく前を向く日だと思うんですよね。
で、そこで前いた先生がすっごいお別れを惜しむような感動的な雰囲気にしちゃったら、
それって子供たちまた前向けるのかなみたいな。
だから先生としてあんまりそういう感動させすぎるのは良くないことなんだなっていうのは、
その時に学んだんですけどね。
でもね、自分が4月に新しいクラスを持って、
嫌なパターンが2つあって、
まず1つは前の年に全然子供がちゃんとしたことを教わってなくて、
勉強の基本とかもできてなくて、
あとは生活の基本?
なんか全然、まあちょっと強い言葉を使うとしつけができてないじゃないけど、
そういう状態のまま引き渡された時、
うわもうこの状態からかっていうパターンと、
あとは前のクラス前の先生良すぎたみたいな。
ああ終わっちゃったよ、またあの先生がいいなみたいな。
で、新しい先生がなんか言って、
そんなこと前の先生言ってなかったですみたいな。
文句言ってくるみたいなね。
それもやりづらいんですよね。
ああ前の先生だったらこんなやり方しないのにみたいな。
で、保護者とかも前の先生の時はこうやってやってくれたんですよとか言ってきて、
ああやりにくいっていうね、そういうのもあるんですよ。
その、ただ自分が新しい先生に子供たちを受け渡す時に、
その両方やっちゃいけないと思うんですよね。
これはね難しいと思うんですけど、
そこでなんかもう感動させまくっちゃってるっていうのは、
新しい先生のためにも良くない。
で、ベテランとか先輩の先生がね、僕の次に持ってるならいいですけど、
ましてや後輩の先生に受け渡す時に、
そんなことをした日には、
何やってくれてんのあいつみたいな、
風に思う先生いないですけどね、
先生っていい人が多いから。
でもねそれは良くないと思うんですよ。
そういうことを、
まあやっちゃってたなっていう、
まあこれは喫音とは関係ないんですけど、
うまく喋れるような、
何か自分なりの方法を身に付けたら調子に乗って、
そういうことをやっちゃったみたいなね、
そういう話ですかね。
教師の仕事における「喋り」と自身の半生
はい、ということで、
先生っていう仕事における喋るっていうことは、
どういうことなのかなっていうのはよく考えますね。
だからね、結構悪口じゃないんですけど、
自分のために仕事をしている先生多いと思うんですよね。
僕もきっとそういうところがたくさんあったんですよ。
子供のためじゃなくて自分がしたいからみたいなね。
そういうところはあったと思うんですよ。
その感動賞みたいなやつも、
そういう熱血先生に憧れて、
で自分も自分がしたいだけみたいなね。
そういうところもありますよね。
でもそう、
毎日喋らなきゃいけなくて、
子供たちに向けて人前に立って、
喋らなきゃいけない状況が毎日続いてくるっていうのは、
疲れるときもたくさんありましたけど、
全然上手くならないなってやってるときは思ってたり、
今日もまたドモリまくったみたいな、
言葉が出なかったとか、
そういう反省の連続でしたけど、
泣かずやったことはいい面もあったんでしょうかね。
だから国語の教科書を読み聞かせるときには、
全然練習してなかったから、
使いまくって全然子供に内容が入ってないわみたいな。
やっぱり毎日練習しなきゃダメだなって。
でも練習もできないしな、
こっちもクタクタだし、
リフレッシュだってしたいし、気分の切り替えだってしたいし、
ずっと仕事の準備じゃもう持たないよみたいな、
そういう葛藤と戦ってきたなっていうのは思いますね。
だからもうそんなストイックでもないので、
完璧に次の日の準備をして望むっていうことが、
ほぼほぼないんですよね、僕は。
そういう先生もいるけど。
でもどっちのタイプであってもいい面悪い面あるなっていう。
僕の場合は、
自分なりの準備の仕方っていうのを身につけるまでに
すごい時間かかったんですけど、
でも脳準備というか、
ノリでというか、
喫煙のくせに喋れない奴のくせに
脳準備で授業に臨むとか、
そういうのは何かやってましたね。
そういうのが許されたんですよね。
質が低いことを許してもらえたから良かったっていう。
それもっと厳しい世界だった。
そんなこと許してもらえなかったら、
もっと大変だったかもしれないですしね。
本当に喫煙なのに、
喋る仕事っていうのを選んだ時点で、
今の自分になることは決まっていたのかなみたいな。
でもこれ以来の生き方は考えられないですね。
一般企業入っても絶対できなかっただろうし、
大人に向けて話すより子供に向けて話す方が
自分はできる気がしたし、
プレゼントか会社でやってる自分は、
できてる自分は全く想像つかないですね。
でもそっちの人生だったらそっちの人生で
磨かれるものはあったんだと思うんですけど、
頑張ってきたなっていう。
誰でもそういう道があるんじゃないかなっていうね。
そういう話ですね。
ということで、今回も聞いてくださった方がいたら
本当にありがとうございます。
今回もこれで終わりです。
どうもありがとうございました。
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