#11 ポッドキャストが放つ「時代の声」に希望
2026-03-22 26:28

#11 ポッドキャストが放つ「時代の声」に希望

アテンション、刺激、怒り、再生回数、承認欲求・・SNS、ショート動画文化が社会の隅々まで行き渡り、そして行き詰った時代。小学校の教師として日々子どもと接する中で、そんな文化の闇を「SNS化する子ども」の姿から感じています。でも、ポッドキャストはそれとは逆の「人間的な」方向に行こうとしている!?ポッドキャストが世の中に与える影響を想像して、勝手に希望を感じたお話です。

<大体のチャプター>

フォロワーの方に感謝/ ポッドキャストフェス「時代の声が聴こえる方へ」/ ショート動画文化のよくないところ/ ポッドキャストのいいところ/ 話を「聴く」という能動性、能動的であるからこその「楽しさ」/ SNS&ショート動画文化の悪影響を子どもから感じる/ 刺激が無いものに集中できない子ども/ 最後までやりきれない子ども/ 積み重ねができない子ども/ 人の怒りや欠点に敏感な「SNS人間」/ 完璧を求め、自信が無い「SNS人間」/ 昔より「楽しい授業」が求められる理由/ ポッドキャストが理性的な文化の土台をつくる?/ 刺激やアテンションじゃない本当の「楽しさ」が広がると、「人を育てられる社会」になるかも

感想

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サマリー

このエピソードでは、小学校教師である田中嘉人さんが、現代社会に蔓延するSNSやショート動画文化の行き詰まりと、それとは対照的なポッドキャスト文化が持つ希望について語っています。ショート動画文化は、再生回数や承認欲求、刺激や怒りを煽ることでアテンションを奪い合う傾向にあり、文化の多様性を失わせ、悪い方向へと収束させていると指摘します。一方で、ポッドキャストは「時代の声が聴こえる方へ」というテーマを掲げ、視聴者が能動的に「聴く」という行為を通じて、人間性や深い価値観、難しい内容まで理解できる可能性を秘めていると述べます。特に、現代の子どもたちが刺激やアテンションがないと集中できず、最後までやりきれない、人の怒りに敏感になるなどの悪影響を受けている現状を目の当たりにし、ポッドキャストのような人間的な繋がりや、じっくりと物事に向き合う文化が広がることで、「人を育てられる社会」が実現するかもしれないという希望を語っています。田中さんは、ポッドキャストがAI時代や人間関係が希薄になる現代において、理性的な文化の土台となり、真の楽しさや奥深さを伝える媒体となる可能性に期待を寄せています。

ポッドキャストフェスと現代文化への疑問
田中嘉人のStammer Studio どうもこんにちは、私Stammerの田中嘉人です。
Stammerとは、喫音の人という意味です。 そんな喫音の人である私が、一人で喋っていくポッドキャストです。
今回もよろしくお願いします。
フォロワーの方がいらっしゃって、本当に嬉しいです。びっくりしました。
本当にありがとうございます。
なので、そういう嬉しさもあって、もっとポッドキャストを頑張っていこうかなと、 楽しんでいこうかなと思ってるんですけど。
それでね、ポッドキャストフェスティバルに行ってきました。
それのサブタイトルみたいなやつがかっこよくて、 「時代の声が聞こえる方に」って言うんですよね。
かっこいいなぁと思って、 今どんどんどんどん新しいものができてきている時代で、
すごい変化のスピードで世の中が変わっていくと、 やっぱりそこの最先端を追いかけるのは大変だし、
僕はそういう流行りというか、それが好きじゃない人なので、 そこに乗っかっていくのが本当に苦手な人だったんですけど、
どうやら今回のこのポッドキャスト文化に見られる流れというか、 最先端なのかな?
最先端の流れは良さそうだぞっていう希望を持ったっていう話なんですよね。
ほぼほぼポッドキャストの良いところとか、 今の世の中を追っているSNSとかショート動画の文化と、
どう違うかどう良いかっていう話になっていくので、 これはもうほとんど二次情報、三次情報です。
もうみんな受け売りです。 聞いてわかったんだっていう話をするだけなんですけど、
その後後半で、やっぱりそういう今までの社会の悪影響をやっぱり子供が受けるんですね。
私は小学校の先生なので、それを直に触れるわけです。
子供は社会の鏡だなぁと思うんですけど、
そういう今の世の中を追っているものから、 ちょっと子供が悪い影響を受けちゃってて、
今度じゃあポッドキャストの文化とか、 ポッドキャストが大事にしていることが世の中にもし広がったら、
こういうふうに良くなるんじゃないかみたいなね。 ここは独自視点なんですけど、
そういう話をしていきたいと思っています。 今日もよろしくお願いします。
SNS・ショート動画文化の功罪とポッドキャストの対比
ポッドキャストの良いところっていうことなんですけど、 もう本当にこれは受け売りですね。
まず今までのYouTubeとかショート動画とかSNSの文化とは、
違う良いところがいっぱいあると。 すごい簡単に言うと、アテンションの奪い合いじゃなくなる。
今もうYouTube文化、ショート動画文化、SNS文化がもう世の中に蔓延しちゃって、浸透しちゃって、
石鹸されちゃって、もうそういう方向、行き着くところまで行ってるんじゃないか、 みたいなことってよく言われますよね。
要は、人からいいねをされたいとか、フォローをされたいとか、 再生回数を稼ぎたいとか、
サムライルタップしてほしいとか、もうそっちに目標が行っちゃってると。
ちょっと前は承認欲求がとかって言われてましたけど、 もはやそういう承認欲求を超えて、
もう数をみんな欲しがってるんじゃないかなっていう。 そういう風になっちゃってますよね。
僕やってないんで全然、本当に受け売りなんですけど。
だから認めてほしいとか、分かってほしいとか、 自分の側に賛同してほしいとか、共感してほしいとか、
それだったら僕もすごい分かるんですけど、 僕も承認欲求あると思うんで。
なんかもはやそのフェーズというか、 それを超えちゃってるような感じがしますよね。
もう数みたいな。みんなが見てバズってほしいみたいな。 そういう風になっちゃってる感じがしますよね。
だから動画だったらショート動画になってきちゃってるし、 最初の数秒に刺激とか過激な言葉とか、
人の注意を引きつけるものを詰め込んでるし、 中身がどうとかじゃなくてね。
さらに中身がないものがもてはやされる、 注意がただただ詰まっているものがもてはやされるどころか、
怒りとか過激なことを言ってるとか、 良くないことを言ってるっていう、
そういうものがかなり出回っちゃってますよね。 って言われてますよね。
だからその文化の多様性が失われるっていうのもそうだと思いますし、 これも言われてますけど、
みんなそういう悪い中身でいっぱい注意を稼ぐようなやつに、 みんな同じことをやりだしちゃってるから、
文化の多様性がなくなっちゃってる。 どころか悪い方向に収束してますよね、文化が。
より狭い方、レベルの低い方というか、 良くない方に向かっていっちゃってると。
で、ポッドキャストはそういう方向に 逆らうものっていうのをよく聞きます。
嬉しいなと思います。 僕もそういう今までの状態は嫌いだったので、
ポッドキャストも同じSNSだから、 また同じような新しい流行りかなと思ったら、
そうじゃなかったっていうね。 でも人の箇所分時間。
もうみんな忙しいから、 みんな自分が自由に使える時間なんかないから、
動画とかだと見なきゃいけないから、 それを見ることに集中しなきゃいけないから、
そうじゃなくて、ポッドキャストだと 流れで聞けるので、
箇所分時間の奪い合いが終わっちゃってるから、 今度は流れ時間の奪い合いになるんじゃないかみたいな。
そこは別にいいなと思わないんですけど。
でも流れ時間だったらたくさん、 ずっと長い時間聞いてくれるので、
文脈が伝わったり、人間性が伝わったりするんですね、きっと。
そうすると、そういう長い情報を ちゃんと点じゃなくて、瞬間じゃなくて、
線で知る、流れで知ることによって、 新しい深い価値観を知れたり、
知らなかったことがこういうことかって深く分かったり、
あと難しいことがちゃんと話聞いてれば意外と分かったり、
あとSNSとは違って文字じゃないので、
耳から聞いた情報の方が処理しやすいみたいなことがあるらしいですね。
だから余計難しいこととかが伝わりやすいとか。
やっぱり僕が一番嬉しかったのは、
人間らしいもの、人間性が伝わるんじゃないか みたいなことを言われているのがすごく嬉しくて、
これ後半で話しますけど、今の子って本当にね、
人間を求めてるんですよ、子供が。
動画とか、刺激があるものとか、 アテンションがすごい詰まっているものばっかりに、
本能的に惹かれちゃうんですけど、
人間を求めてるんだから、人との関わりとか、
人間と人間の触れ合いみたいなものが少ないんでしょうね。
だからそういう状況は日々感じてはいたので、
ポッドキャストは人間を伝えるものなんだっていう、
このAI時代にね。
だからいいなと思ったんですよね。
だからAI時代だからこそなんですかね。
もうAI時代になっちゃって、
あとはいろんな大人たちが忙しくなりすぎちゃって、
人と人が人間的な関わりをするっていう場面が
日常から失われていって、
だからこそ子供はやっぱり人としての関わりとか、
人としての親子関係みたいなものを かなり求めてるんですよね。
だからそういう世の中になったからこそ、
そういうなんて言うんですかね。
世の中が人間と人間の繋がりを薄れる方向に
どんどんどんどんいってるからこそ、
やっぱり人間って結局人間を求めてたんだなっていうのが、
逆の方にいくことによってわかったんですかね。
あとポッドキャストの意義っていうのは、
上面のアテンションを集めてるものとか、
刺激があるものとか、
意図的に怒りを組み込まれたものとか、
意図的に負の感情、
人間がついつい反応しちゃう負の感情を
意図的に組み込んだ、
そういう良くないコンテンツじゃなくて、
ちゃんと良いものを作ろうとしてるとか、
ちゃんと中身があるものを届けようとしてるとか、
そういうものがちゃんと評価されるようになるんじゃないかなと思って、
それは嬉しいですよね。
あとなんか自分の好きなものを本当に純粋に熱量を持って、
もう話が止まらなくなっちゃったりね。
そういうものが面白いって思われるのは、
すごい素敵だなというふうに思います。
今まで世の中を覆っていた文化と、
一応SNSっていうメディアか、
インターネットラジオなので今までのラジオとも違うんですけど、
生めの人間が声を発していて、それが届いて、
携帯はインターネット、ネットを使ってるから、
今の時代っぽいんだけど、
中身は結構アナログであったかみがあるっていう、
世の中の時短とかコスパとかタイパとかって言われるところから、
ちょっと逆っぽい方向にいってるところがすごくいいなと思います。
でもタイパはタイパなんですかね。
結局長ら時間で聞いてるんだから。
子どもたちに感じるSNS文化の悪影響
あとやっぱり聞く、ここは個人的な意見ですけど、
一応受け売りではないと思うんですけど、
聞くっていうのは結構能動的な行為だなっていうふうに思います。
刺激とかは勝手に目や耳から入ってくると思うんですよ。
なんだけど、ちゃんと話を聞こうとするっていうのは、
能動的だと思うんですよね。
音楽とかでも、やっぱりちゃんと音楽を聞くぞっていう、
音楽は能動的に聞くもんだみたいなことを、
僕の大好きなクルリの岸田茂さんが言ってましたよね。
ちゃんと聞きに行くんだっていう。
確かに本とかもそうですよね。難解な小説とかも、
よし読むぞ、吸収してやるぞって思って気合入れてやらないと楽しくないですよね。
ちゃんと受け取りに行って、作家の人が命をかけて作ったものを、
ちゃんと吸収しに行くというか、受け止めに行くからこそ、
エンタメとか楽しいですよね。
そういう深い楽しさというか、受け身じゃない楽しさみたいなものも、
体験できる、体感できるっていう。
それがポッドキャストなのかなとは個人的には思います。
ほとんど受け売りだったんですけど、
そんな風にポッドキャスト、今までの流行ってたものとは一味違うぞと。
時代の声が、今までとはちょっと違う時代の声がしてるなっていう。
そういう時代の声の聞こえる方に行ってみたいなーなんて思ったっていう話です。
それまでのショート動画とか、
アテンションを取り合うとか、刺激に溢れてるとか、
承認欲求がとか、人の良くないところを叩いて攻撃して批判して、
自分は安全なところからね。
自分がピンチになったら被害者ぶってみたいな、
そういう世の中がすごく嫌だったんですよ。
それを私はどこから感じていたかというと、
私小学校の先生なので、子供を見ててすごく感じてたんですよ。
やっぱり子供って小さな大人なので、
しかも大人よりも純粋でスポンジのように吸収するので、
時代のというか周りの大人のというかわからないですけど、
そこは良くないことをめちゃくちゃ吸収しちゃってるんですよね。
実際にここ数年で感じてたことは、
刺激とかアテンションがないものに集中できないんですよ。
だから長いものとかつまらないもの、最初はつまらないものね。
そういうものに長時間取り組めないんですよね。
それができる精神的な体力がないというか脳の体力もないんですよね。
ずっと刺激を与えられてないとそこに集中できないっていうのはすごく感じてました。
だから人の話がまず聞けないですよね。
ベテランの先生がめちゃくちゃギュッとまとめてうまくしゃべったとしても、
5分以上聞いてらんないじゃないかな。
授業45分で45分間ずっと集中してろよとは言わないんですよ。
でもね、ちょっと短すぎでしょ、集中があって。
例えばで言うと、多分読書とか読書離れも進んでるっていうのはそういう話でしょうね。
読み聞かせん時だって集中できない子いますからね。
読んでもらってんのにね。
自分で聞きに行こうとしないんですよね。
外から与えられる刺激とかがないと注目できないっていう状態になっちゃってますよね。
あと例で言うと、
例えば図工とかで絵を描きますと、でっかい紙に描きますと、
最初は意気揚々と下書きをしてるんですけど、
もう全部塗り切らないんですよ。
途中で飽きちゃって。
今のがいろんなエンタメに触れてるから、
昔の子よりも引き出しみたいなものはあって、
こんなこと思いつくの?って。
あ、これ多分あれの影響を受けてるなとか、
でも面白いな、オリジナリティーが入ってるな、この子の絵のって。
下書きすごいじゃん、アイディアすごいじゃん、みんな!みたいになるんですけど、
それを完成させられないんですよね。
途中で嫌になって雑になっちゃうとか、
もうすぐね、これで終わりでいいですか、これで終わりでいいですかって持ってくるんですよ。
いや自分の作品でしょって。
こっちはまた時間あげてんだよみたいな。
本当になんかね、そういう最後までやりきれないっていうのが、
図工の絵を描くとかに限らずあるんですけど、
だから反復練習とかもやっぱりできなくなってますよね。
毎日これをするとか、計算ができるまでやるとか、
掛け算区を覚えるまでやるとか、
そういうつまんないもの、継続しなきゃいけないことがすごくできなくなっちゃってて、
それで多分能力落ちちゃってますね。
っていうのを感じたりね、あとやっぱりね、
怒りに敏感なんですよ。
怒りとか、人が負の感情を発していることに自分は関係ないのに、
すごい首突っ込んでいくんですよね。
先生なんとかちゃんがこんなこと言ってましたって、
それは先生なんとかしてくださいって言いにくる子もいるんですけど、
それをね、全然自分は被害者でもなんでもないのに、
嬉しそうに聞きとして生き生きと言いにくるんですよ。
いやいやいや、まあ教えてくれたのはいいんだけど、
なんかあんた嬉しそうだねみたいな。
でね、もうちょっとした言い合いとか本当に、
ちょっとしたことが起こるとみんながそっちにわーって行っちゃって騒いだり、
そこに輪ができちゃったりして、
もうその瞬間に集団という空間が崩壊するんですよね。
そのくらいすぐ周りが気になっちゃう子がいっぱいいますね。
で、人の悪いところをすごい見て、
で、事実を知りもしないのに、
そこにどんな事情があったかとか、
その二人の関係性がどうなのかなとか、
そういうことはもちろん考えずに、
悪い噂を広め出すんですよ。
SNSじゃんこれっていう。
で、しかも自分に自信がない子が多い。
で、完璧を求める。
だからSNSとかそういうのに上がってるキラキラしたものと自分を比べるんでしょうね。
で、こうでなきゃいけないって思い込んじゃって、
全然いいのに、
そうなれないと落ち込んじゃって傷ついちゃって不安になっちゃって、
もうやりたくありませんみたいな、
SNS人間がいっぱいいるんですよ。
SNSがないところでも普通のリアル空間でもそうなっちゃってて、
そこに最初にいったアテンションがないものに集中できないとか、
最初は面白くないものが長時間できないってあるから、
また力も伸びないからまた自信もついていかないっていう、
そういう悪循環なんですよね。
今ね、そういう現状だなっていうのを個人的にすごい感じていたんですね。
「楽しい授業」の必要性とポッドキャストへの期待
一回こんなことをちょっとだけかいつまんで、
学級懇談会っていうお家の保護者の方が集まる場面があるんですけど、
そこでしたらうんうんって言ってくれてる人が、
うなずいてくれてる人が結構いたから、
みんな感じてんのかなーなんてちょっと思ったりしました。
それと関連して、
今は昔よりもさらに楽しい授業をしろって言われるんですよ。
授業は楽しいに越したことないですよね。
そこはもちろん賛成なんですけど、
文科省とかの同校に詳しくて、
子どもの実態もよく知っている心理師の先生が、
これはこういうことなんですよって解説をしてくれたことがあったんですけど、
研修とかでね、学校に来て講演とかしてくれるんですけどね。
その人がやっぱり、今コンテンツとかがあふれ返ってて、
学ぶものも学校以外のものとかがすごいたくさんあって、
楽しいものがたくさんある。
そういうものに子どもは慣れすぎちゃってるから、
よっぽど授業を楽しくしないと、
もう勉強しませんよって。
それこそね、つまんないものを我慢強く聞いたりやったりはできないから、
本当に授業を楽しくしないと子どもが勉強しないから、
もう学力がつきませんと言ってるんですね。
だから今、楽しい授業をしろって言ってるのはそういう意味だと言ってたんですよね。
それを聞いて、じゃあ先生はYouTube方式、ショート動画方式で、
子どもの注意を引くワードとか、
何かすごい凝った映像とか見せたりっていう、
刺激を煽る方向で行くのか、
子どもたちのアテンションを集める方向で授業するのかって、
勘違いしちゃいそうな気がするんですよ。
僕も若い時はそれやっちゃってたんですけど、
そうすると最初の数分間しか盛り上がらないで、
その後みんなもう全然興味なくなっちゃうんですよね。
今の子は多分さらにそうだと思うんですよ。
だからそういう時に、そういう楽しさじゃなくて、
刺激がある、だから外から与えられる刺激のような勝手に反応しちゃうみたいな、
自分で能動的にあれ面白そうだぞ、ちょっとやってみようかと思って、
ポッドキャストの番組を選ぶようにして、
ちょっと何分も聞いてみようみたいにする能動性はそこにはないと思うんですよね。
なんかあっちの方から面白そうな騒ぎが聞こえるぞと、
なんかすごい強い言葉があって、
何言ってんだろう、何の話してんだろうっていう、
あとなんか負の感情が渦巻いてて、
何あれ、なんかあそこで強くないこと起こってんの?見たいわ、面白そうだわ、みたいな。
前もちょっと言ったけど、デスゲームが面白いとかっていうのと似てるんですかね。
っていうふうに外から与えられた良くないものにどんどんどんどん、
甘いものに群がるアリのように寄っていくみたいな、
人間に群がるゾンビみたいにわらわら行くみたいな、
そういうのじゃなくしたいですよね。
ポッドキャストを聞くっていうのは、話戻ってきますけど、
ポッドキャストを聞くっていうのは結構能動的なんだなって思うんですよね。
もう勝手に流れてきたものじゃないからね。
なんかアルゴリズムで勝手にあんたこれが好きでしょうとか、
これ今みんな見てますよとか、これ刺激的ですよとか、
ほら見てごらん最初面白いでしょみたいな、はい聞いて聞いてみたいな、
勝手に流れてきてそれは面白いって言ってるような、
そういうのとは真逆なところがすごく希望が持てるんですよね。
それが流行ってくれば、
ポッドキャストを聞くのが当たり前みたいになってくれば、
そういう長時間、最初は面白くないけど、
聞いていったらこれ面白さがあるんだって新しい価値に気づいたり、
辛抱強く人の話を聞いたりするっていう、
その人の立場とか、どういう目線でこの人言ってるんだろうなとかっていうのを想像したり、
する文化の土台が社会にできたら、
ちょうどこれはいいんじゃないかなって思うんですよね。
それこそ、今動物的な子どもが多いなと思うので、
理性的で言語がちゃんと理解できる人、文脈が理解できる人、
そういうのを理解するためにちゃんと最後まで話聞いてみようとか、
自分の言いたいことは自分の持っていることを置いておいて、
まず聞いてみようっていう、
そういう姿勢や態度を持つ人が増えていくんじゃないですかね。
一応教育に携わるものとして、
ちょっと無理やりかもしれないですけど、
ポッドキャストがもしすごい流行ったとして、
みんなが聞くようになったとして、
社会にそういう変化をもしかしたらもたらすんじゃないかみたいな、
ちょっと思っちゃったんですよ。
なので今日はそういう話です。
ということで、
僕先生やってて昔から思ってるのは、
子どもたちに本当の楽しさみたいなものを知ってほしいなって昔から思ってて、
それを伝えられる人間になりたいなって思ってたんですよね。
上っ面の楽しさとか凄さとか面白さじゃなくて、
よく言われるのは、
いろんな嫌なこととか、
しんどいこととかを乗り越えて何かを達成する、
作り上げるみたいだね。
そういう場でもあると思うし、
あと、いろんな人間に触れることによって、
新しい価値観を知るとか、
新しい物の見方を知るとか、
新しい教養に出会うとか、
そういうのが結局、
勉強の楽しさみたいな。
僕も勉強楽しいと思ってなかったですけど、
勉強の楽しさみたいなものを、
本当の面白さとか奥深さとか、
もっと知りたいとか、
そういう風にいい循環にしていかなきゃいけないのかなとは思いますよね。
ポッドキャストが広がると、
そういう風潮になっていきますかね。
まずはちょっと聞いてみようよみたいな。
だからそういう、
人を育てられる社会の土台に、
もしかしたらなるかもしれない、
のを何か思いました。
で、頭単純にね、
自分が嫌いだったこと、
もう良くないよ、もうやめようよ、
これなんだよって思っていることの、
逆にあるものだったから、
逆の特徴とかを持ってたから、
いいぞいいぞ頑張れと。
そういうのをちょっと思いましたね。
ポッドキャストへの希望と今後の抱負
はい、ということで、
僕もまだまだ、
全然拙いですけど、
ポッドキャストの希望をまだ始めて1ヶ月ですけど、
すごい持ったので、
ちょっと頑張っていこうかなと思っています。
そしてね、フォローしてくださっている人もいて、
めちゃくちゃ嬉しいですね。
やっぱり数に縛られないで、
自分が楽しいからやっていこうと思ってたんですけど、
やっぱりそういうのを見ると嬉しいです。
本当にありがとうございます。
ということで、
そういうちょっと希望を持ったなっていう、
自分で喋ってて嬉しくなりましたね。
ということで、今回もありがとうございました。
終わりです。
26:28

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