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どうもこんにちは、田中嘉人のスタマースタジオです。 この番組は、スタマー、つまり吃音の人である私が、大好きな音楽や人文学を元に考えたことについて、一人で語っていくポッドキャストです。よろしくお願いします。
はい、では早速、音楽のコーナーです。 めくるめくライナーノーツー
はい、このコーナーは、私が音楽について語りたい、大好きな音楽について語りたいんだけれども、どうしても薄くなっちゃうんですね。
そこで、このCDアルバムについているライナーノーツを元に語っていこうじゃないかという、そういうコーナーです。
今回はホワイトストライプスです。 ホワイトストライプスの結果的に最後となったアルバムですね。
一喜三不、このアルバムのライナーノーツとこのアルバムを紹介していきます。
はい、まずライナーノーツを書いたのは、またロッキングオンの方で古川拓哉さんですね。
それで、これ多分ね、ブックオフかどっかで中古で買ったんですけど、中古で買ったけど、ちゃんと日本版でライナーノーツが入ってたっていうのがね、すごい良かったですね。
じゃあ、今週の一説、誰しもがよそ者であることを自覚すること、そして、そこからしか始まらないものがあるということ。
はい、ちょっとなんか哲学的というか、政治的というか、そういう感じなんですけど、まずね、ホワイトストライプス、ルーツというかにしている音楽がもうブルースなんですよね、ブルース。
で、ブルースはアメリカの音楽ですよね。でね、まずこのブルースの解説から、このライナーノーツが、この古川さんのライナーノーツが始まるんですよ。
でね、これちょっとああと思ってかっこいいなと思ったのは、ブルースは過去じゃなくて、未来に対しての約束しかないみたいな。
ブルースは移民の音楽で、そこの土地に入ってきて開拓する、これから開拓していこうという人たちの音楽なので、悲しみとかもすごく歌っているものですけれども、
だから母国とか伝統とか歴史とかをもともと持ってなかったと。だから未来に対して約束するしかない。
なんだけど、目の前の悲しい現実、辛い現実を歌うしかなかった。そういう音楽だって言ってるんですよね、そのマインドというか、精神性は。
それを白人が真似して、ロックって言われるようになったとかって書いてありますけど。
で、ブルースってこういう音楽なんだよっていうのが、今週の一節に関係してくるんですね。
でね、ちょうどこれなんかすごくね、政治に対して攻撃的だというか、すごく思想ある音楽なんですよね。
で、それをまたブルースで表現しているということもさらに思想が込められているのかなと思うんですけど。
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これ2006年の発売で、今もこの問題はありますけど、アメリカとメキシコ移民の問題ですよね。
要するにアメリカがメキシコ移民を防ぎたいっていう。それに対してこのジャック・ホワイトはめっちゃ怒ってるわけですね。
そこを攻撃的かつ具体的に曲の中でも取り上げてるんですよね。で、これ一騎三歩っていうのは、
ジャックが作った造語っぽいというか、もともとあった言葉をちょっと変えてるんですが、イギリスでちょっとスペルが違う一騎三歩っていう。
最初のスペルがiじゃなくてeなんですよね。これは、おやおやなんてこったっていう意味の驚きの表現を、
これをもうちょっとね、ネガティブな驚きにジャック・ホワイトが変えたみたいですね。
で、この最初の一騎のeをiに変えると、不気味な嫌なっていう一騎になると。
ちょっとそのマイナスのとかネガティブな簡単譜って感じなんですかね。
ワオが明るい簡単譜ですよね。そうじゃなくてネガティブな簡単譜みたいな。
えー嘘だマジで?みたいな。やだなぁ。何それ。そんなことする?みたいな。うわぁーっていう感じですかね。
ちょっと薄いですけど。薄っぺらい軽い感じの今のは言い方ですけど、ちょっとそういうネガティブな驚きの簡単譜なんですかね。
だからその今週の一説ね、誰しもがよそ者であると自覚するっていう。
もともとアメリカに入ってきた人、アメリカ人っていうのは移民なんだから全員よそ者でしょって。
そんな人たちがメキシコを移民を追い出そうとしてるっていう、信じられないぜみたいなね。
そういう感じみたいですね。そこでブルースっていうものが出てきて、ブルースっていうのは移民の音楽だと。
過去を持たない未来の約束をしかしていない音楽だと。それをそういうみんなよそ者でしょ、今何やってんのっていう、そういうのを移民の音楽であるブルースに乗せて歌っているっていう。
すごく激しく攻撃的にね。そういうふうにアプローチしてるって書いてありますね。なるほどと思って。
だからすごく今に通じる考え方を示しているというか、思想を持ったアルバムなのかなと思いますね。
また音もかっこいいしね。このアルバムの中ではあれらしいですね。ホワイトストライプスはそれまでに自分たちにルールを課していたと。
なんか3の法則って書いてありますけど、それをちょっと外したって書いてありますね。
だからアレンジ名に対して自分たちでこういうルールでやっていこうっていうのを決めていたらしいんですが、楽器とかね。
それをちょっと崩してるっていうんですけど、バグパイプやメキシコのマリアッチ風音セクションって書いてありますね。
そういうルールを崩しても、この移民っていうことについてきっと表現したかったってことなんでしょうね。
よく知らなかったですけど、ホワイトストライプスってすごいローファイなところで費用とか期間をかけずに録音するっていうのが、レコーディングするっていうのをずっとやってきてたみたいですね。
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かっこいいですね。だからこの最後のアルバムも3週間かかったって言ってますけど、
それまでのアルバムは1週間や10日だったらしいですから、めちゃくちゃ早いっていう。
でこのアルバムを最後にホワイトストライプスは、メグホワイトがちょっとね、体調というか精神というか具合が悪くなり解散という形になって、
ジャックはその後ね、ソロで活動していきますよね。そのソロアルバムもいいですよね。
はい、ということで今日はホワイトストライプス2006年のアルバム一気に散布を紹介しました。
めくるめくライナーノーツのコーナーでした。改めまして田中良人です。
はい、でね、もうどうでもいいなーっていう、どっちでもいいし、いやもうなんでもいいよっていうのはね、よくね、仕事をしてる時に思っちゃうんですよね。
だからもうとりあえず決めようって、もうなんでもいいからっていうので、だから自分はなんでもいいのに、人と人が対立してるじゃないけど、話し合ってる。
もう早くしてよって思っちゃうんだよね。でなんか前の職務の時同じような感じの、いやこれどうでもよくないですか、いやもう本当どっちでもいいよねっていう、
違う同僚の人いましたけど、でもねこれ別にそのグダグダ中身のない話を相手の人がしてるっていうわけじゃないんです。そういう話じゃないんですよね。
私小学校の先生なんですけど、やっぱり先生なので学校っていう場所ってこういう場所だよね。この場合はこういうふうにした方が子供の成長になるよね。
だから親の言うことここでね、ちょっと全部受け入れちゃってもこの子のためになんないけど、でもねみたいな、この親の言うこともちょっとわかるしみたいな。
で学校としてもね、最近ちょっと昔とも変わってきてるからね、こういう世の中だからとかって言っても、なんか要求とかがあった場合落とし所を探るわけですよね。
で、それはまあでもしょうがないんですよね。そういう学校ってこういう場だよ、先生ってこういう人だよっていう。
で子供はこうあるべきなんだよ、子供の成長にはこうした方がいいんだよっていうのがあるので、そういうふうにね、なかなか決まらなくなる、判断ができなくなるっていうのは仕方ないというか。
そういうの一個ずつクリアしていくっていうのは仕事ですからね。で今ね、昔より複雑な問題が多いのでね、そういうのはしょうがないんですけど、
でもね、もうどっちの立場でもないんですよね。いやもうどっちでもいいよ。本当にどっちでもいい。ビシッと行く方向でもいいし、緩く行く方向でもいいと。
でもし緩く行った場合今後またね、これが前例になっちゃうからやりにくくなるよみたいなのも昔は考えたんですけど、もう今はもういいそれでもっていう。
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もうとにかくその瞬間っていう。ああもう早くっていう。仕事多いんだから早く終わらせたいっていうね。もうそうなっちゃってるというね。
もはや信念がなくなっちゃったというか。っていうのが最近。1年2年前とかはまた違ったんですけどね。
でね、これって何かなと思ったんですよ。だからよく何者かになりたいとかって言うと思うんですけど、もう何者にもなりたくなくなっちゃったんじゃないかなっていう。
何者かでいることに疲れたっていうか、何者かでいなくても良くなっちゃったのかなっていうのはちょっと自分に対して思ったんですよね。
やっぱり何者かでいようとするのっていうのは大変で、学校の先生とか子供にとってこういう存在とか、そっちばっかりガッと行き過ぎていてもやっぱり潰れちゃうんだろうなっていうのはちょっと過去を振り返って思います。
私適応障害になったので、結構やっぱり周り気にして気を使っちゃうので、やっぱり先生って仕事に憧れていたから、こうなりたいな、こういう先生でありたいな、子供に対してこうなりたいなっていうのをすごく強く思っていたので。
前はもうどっちでもいいとかどうでもいいではなかったんですよね。ポリシーがあって信念があってって感じだったんですけど、それでねずっとやってたらもう疲れちゃったんですよね。
それで、宇野恒博さんの庭の話っていうのをまたちょっと読み終わらず読んでるんですけど、その中でサウナブームの話が出てくるんですよね。
すごくいい銭湯を見つけたみたいなところから入っていくのかな、確か。なんですけど、このサウナブームについて言ってる人の言葉を引いてるんですよね、宇野さんがね。
このサウナブームっていうのは、今のプラットフォーム社会と結びついて、整うか整わないかの勝負になっちゃってると。
この整うっていうのは何かというと、要は体に高負荷をかけてコンディションを整えるっていう、何か別のことをするためにコンディションを整えるのに、整うこと自体が目的になっちゃっている、ゲーム化しているっていうのがどうなのっていう意見を聞いたっていうふうに書いてあったんですけどね。
ここにはやっぱり、SNSとかで承認されたいとか、そういう自分を見せたい、要はそういう自分になりたい、何者かになりたいと。そういう風になっちゃってるっていう構造が書いてありましたね。
だから、ただでさえ昔から共同体があるので、その共同体の中で認められて、その中で役割を担って、ポジションを築いて、やっていくっていうのが昔からありますけど、職場でも家族でも地域でも学校でもね、その中でポジションを築くっていう。
その職場に、職場っていうか、共同体における何者かにならなきゃっていうのはあるわけですよね。で、そういうのから解放されないと、しんどいねっていう。そういうのから解放される場所があれば、それが新しい世の中の像になるんじゃないの?みたいな。そういう本の話の流れの中の一部かな?とは思うんですけど。
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で、やっぱりね、今の世の中はそういう風に共同体とか何者かにならなきゃいけないっていう、重圧から解放される場面がないって言いますね。もちろん仕事をしている時はその職場の共同体の中でやっていかなきゃいけないから、さっきの学校だったら、学校の先生だったらこういう先生でなきゃいけない。こういう風に指導しなきゃいけない。子供もこういう風にしなきゃいけないっていうのから、逃げられないわけですよね。
それで、もうどうでもいいななんて言えないわけです。
家に帰れば、今度は家族の中で、家庭の中でっていうのがあるから、だからこれね、あれですかね、もうスイッチ切る場所がないなっていうことなのかなと個人的には思いました。
ありのままの自分一人の状態でいられるみたいな場所が、そんなもう贅沢だっていうのもあるけど、そんな自分の好きなことをするなんてそれは贅沢なことだよというのもありますけど、でもやっぱり解放されたいですし、ちょっとゆるーくありたい時ってありますよね。
で、それをうのさんは仕事とかをしている共同体の中にいる時間を朝って言って、家族の中に戻って今度はそっちの共同体にいる場面を夜って言って、そのちょうど真ん中の夕方の時間が必要だってこと言ってましたね。
なんか素敵だな夕方の時間でって思ったんですけど、それがなんか銭湯にはちょっとあるんじゃないかみたいな話だったんですけどね。そこで銭湯と対比でというか比較でサウナブームが持ち出されたのかな、そういうことだと思うんですよ。
何もしたくないし、整いたくもないっていう、そういうのって魅力的だよねっていうのが書いてあって、確かにと思って、何者にもなりたくないっていう、それがなかなかさらに今プラットフォーム経済でSNSがあるから、本来何者でなくてもいい時間も人に見せるものになっちゃって、
プライベートとかね、そういうのも見せるものになってるから、そこでも何者かになろうとしてる、こういう自分、こういう充実してる自分、仕事ができる自分、家庭の中で役割を果たしている自分、プライベートが充実している自分、もう全部スイッチオンの状態?
もう全部何者か、いろんな何者かに県大臣になろうとしちゃってるんだなって。だからもう何者でもなくていいよ。何もしたくないし、整いたくない。すごいいいなって思ったんですよね。
僕は職場で、どっちでもよくない?それって。もういいよ、この先どうなる?っていう。もう知らないよっていう。それはちょっと違うのかもしれないですけど、何者にもなりたくなくなっちゃってるんですよね、きっとね。
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でもまあそれじゃやっていけないんですけど、だからまあ、何者にもなりたくないっていうのは別に悪いことじゃないし、むしろ必要なことなのかなっていうのが、ちょっと本読んで覚えたのが嬉しかったっていう話なんですけど、
このポッドキャストをやってるのも、何者にもならなくていいっていうのがあるからなのかなとふと思ったんですよ。趣味でやっているものだし、何者でもない自分になりたいっていうのもまた何者からになりたいになっちゃうのかな?
まあいいや、それはもうそういうのはいいですけど、何者にもなりたくなくてやってるのかもわかんないです。でも喫煙を持ってる人っていう属性でやってるんで、一応何者かは設定はしなきゃですけどね、これもね。
だから仕事とか会社ではなく、趣味でポッドキャストをやる場合というのは、もちろんお金も発生しない状態で、趣味で好きなことを話すっていうポッドキャストは何者にもならないってことが認められる場なのかなとちょっと思いますね。
そう思うと、だからこれだけ続けられてるのかもしれません。ということで、何もしたくないし、何者にもなりたくない。整いたくない。だからこれ多分言葉にしてもらった感じですよね。ずっと多分そういう願望が僕の中であって、俺は整いたくなかったんだっていうね。そういうのがわかったのがすごく嬉しかったですね。
もう人間としても職業人としても社会人としても、あと家族の一員としても全てにおいて整いたくない。その方がでも楽しいような気はします。その整わない自分を表現して自分で認められる場がこのポッドキャストっていう。まとめると今日はそんな話だったのかもしれません。
ということで、今日ももし聞いてくださった人いたら本当にどうもありがとうございます。じゃあ今日もこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。田中陽人のスタマースタジオでした。