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#2-9 三島由紀夫「金閣寺」に描かれる吃音
2026-10-07 31:42

#2-9 三島由紀夫「金閣寺」に描かれる吃音

前から読もうと思って読んでいなかった、三島由紀夫「金閣寺」を読み始めたら、主人公の吃音の描写に心を奪われてしまいました。吃音というもの、吃音であるということについて、「金閣寺」の描写をもとに、自分なりに見つめ直した話です。

音楽のコーナー「めくるめくライナーノーツ」では、フーファイターズのファーストアルバムを紹介します。

<大体のチャプター>

本が読めない!/ 「奪われた集中力」/ 三島由紀夫「金閣寺」の主人公は吃音/ 「吃音は内界と外界の扉の鍵」/ 「嘲笑が眩しい」/ 「私という存在から吃りを漉し取る」」と・・/ 吃音が歪んだアイデンティティになってしまう

フーファイターズのファーストアルバムの紹介/ グランジと切り離して作品を捉え直す/ フーファイターズの来歴

文学による吃音の再発見/ まずはとにかく本読もう

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サマリー

田中嘉人は、仕事やスマートフォン、YouTubeなどで集中力を奪われ、ここ1か月ほど本を読めなかった状況を振り返る。三島由紀夫の『金閣寺』を読み始め、主人公・溝口の吃音が内界と外界をつなぐ扉の鍵として描かれていることに強く惹かれ、自身の経験と重ねながら、発話のタイミングがずれる感覚や、現実から取り残される虚しさを語る。作中の嘲笑や、吃音を精神の弱さとして扱う時代背景にも触れ、吃音を自分そのものだと思い込むことや、からかわれることで存在を認められるという歪んだアイデンティティを、鶴川の優しさとの対比から考える。音楽コーナーでは、フー・ファイターズのファーストアルバムを紹介し、ニルヴァーナ後の悲しみという文脈だけでなく、デイヴ・グロールのソングライティングと陽性のエネルギーから捉え直す視点を取り上げる。最後に、文学によって吃音を再発見した経験と、まずは『金閣寺』を最後まで読みたいという思いを話す。

本を読めない日々と奪われた集中力
こんにちは、田中嘉人のスタマースタジオです。この番組は、吃音の人である私、田中嘉人が、吃音のことや話すことについて、一人であれこれ語っていく番組です。よろしくお願いします。
それでですね、本が読めない。
本がね、読めないです。もう、
ここ1ヶ月ぐらい、全然ちゃんと読めてないんですよね。
最初は、量、ページ数というか、それが読めなくなってきて、ついには読む気もなくなってくる。
ベッドの枕元にも置かなくなってくるって、どんどんどんどん遠のいていく。
本をね、読みたいんですよ。
でもね、読みたくないんですよね。
これ、あれですよね。
やっぱ、働いているとっていうことなんですかね。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか。
やっぱ、仕事とかにね、リソースをね、持っていかれるんですよね。きっとね。
疲れちゃって、考えちゃってね。
悔しいですね、これは。悔しい。
でもね、ちょっと最近あることに気づきまして、
やっぱ、よく言うのは、そういう時でもスマホとかは見れちゃうじゃないですか。
でもね、YouTubeをね、見ちゃうんですよね。
これがね、良くないっていうことが分かりました。
それであるポッドキャスト、文学ラジオ空飛び猫たちっていう好きなポッドキャストがあるんですけど、
そこで小説じゃないけど、奪われた集中力っていう本の話をしてたんですね。
で、ああもう、社会構造的に集中力が奪われちゃうんだっていう、そういうのを感じました。
でね、その本も読んでみたくて注文はしたんですけどね。
それでね、ちょっと変わったんですよ。
何が変わったかというと、そうだと、そういう世の中に負けちゃいけないと。
読まなきゃってなんか思ったんですよね。
それで、ちょっとだけね、またこの昨日今日で読み出せてます。
もう本当にね、途中まで読んで止まってる本が何冊かあり、読みたいと思って買った本も何冊かありっていう感じ。
またね、ちょっとこの1ヶ月ぐらいブランクが来ましたから、本を読むモードに入っていきたいなと思ってます。
この話はね、ちょっと今日の内容とも関係があります。
はい、じゃあ今日もやっていきたいと思います。よろしくお願いします。
『金閣寺』の主人公と吃音の描写
はい、それでですね、数ヶ月前からですね、ちゃんと三島由紀を読みたいなと思って、金閣寺をブックオフで買って読み出したんですよ。
その前か、その前はね、ちゃんと大江健三郎も読みたいなと思って、まん延元年のフットボールは読み終わったんですけど、その後ね、三島由紀を寄せば世界の三島文学、読んでなかったと思って、最初はそういう動機を読み出したんですけど、
で、これ知らなかったんですけど、あれなんですね、主人公の溝口が喫音なんですね。
そう、それでこの喫音の描写が、うわぁと思って、自分もこうだったのかなっていう知らなかった自分を知ったじゃないけど、そうそうそうみたいな、すごい簡単に言えばそういう話ですけど、
これをね、言語化、世界の三島由紀を言語化するとこうなるっていう、ちょっとね、この喫音の描写をね、最初の方に何個かあるやつを考えていきたいなと、ちょっと今日は思います。
これもね、冒頭にお話した通り全然ね、全然進んでないんですよ、まだ。まだ5分の1ぐらいしか読んでないから。でも最初の方にね、もう付箋とか張りまくっちゃうんですよね。
例えばね、一つ発生しますね、本当にちょう最初の方です。
土守は言うまでもなく私と外界との間に一つの障害を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまく開いたためしがない。
これ土守、喫音、最初の音が出ないっていう内界と外界の扉の鍵、最初の音が。だから一般の人がこれが自由に言葉を操ることによってこの扉を開けっぱなしにしておくと風通しがいいと。
でも私には水口の主人公ね、それができないと。最初の音がまずね、内界と外界と繋ぐが鍵っていう。はぁ、というね。
でね、こっから続くんですけど、土守が最初の音を発するために焦りに焦っている間、彼は内界の濃密な餅から身を引き離そうとジタバタしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離した時にはもう遅い。
なるほど、外界の現実は私がジタバタしている間、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみてもいつもそこには瞬間に変色しずれてしまった。
吃音が生む外界とのずれ
そうしてそれだけが私にふさわしく思われる鮮度の落ちた現実、中場不習を放つ現実が横たわっているばかりであった。最初の音を発するために焦っている間、どんどんどんどん現実がいっちゃうんだと。
だから待っていてくれるっていうこともあるんだけど、でもそれはもう新鮮な現実じゃないと。だからズレが生じているんですよね。やっと外界に達して言葉が外れた時はもう現実は変わっていると、もう鮮度落ちていると。
これね、僕なりに考えると、すごく浅いかもしれないんですけど、これ今言いたいことあるんですよね。友達と本当にくだらない話をしていて、本当に思ったことがあって。
例えば友達が言ったことに対して突っ込みたいと。でもね、やっぱりね、ズレるんですよ。自分がその突っ込みをこれ言いたいなみたいなね。言うタイミングからかなりズレるので、遅くなるので。
言ってもあーみたいな流されるんですよね。だから内容が面白くなかったっていう根本的な問題もあると思うんですけど、やっぱ間なんですよね。タイミングなんですよね。
もう言った時には現実はもっと先に行っちゃってて、話とか喋ってる人の思考とか、もう先に進んでるから、もうそれは鮮度の落ちた現実、中は不朽を放つ現実なんですよ。悲しいんですよね。悲しい。
それなんか虚しさをね、ちょっと思い出しました。ここの箇所を読んで。という感じでね、あと2箇所ちょっと紹介したいと思うんですよ。それが今日の話です。
嘲笑と吃音への古いまなざし
そのすぐ次のシーンなんですけどね、これは時代を感じるシーンですね。これは戦前の話、太平洋戦争が始まった頃の時代設定ですけど、この水口のね、主人公の中学校にOBが、海軍機関学校に行ってるOBが休暇で遊びに来るんですよね。
で、みんなね、そのOBの話を聞きに集まるんですよ。で、やっぱり軍隊ですからね、体育会計よりさらに上の軍隊。で、そこでこの先輩がね、おい水口と呼びかけるんですけど、これはね、返事ができないんですね。
で、何とか返事をせんのか。おしか貴様は。ま、だから喋れないのかみたいな、そういうことですよね。もう今のこの21世紀から考えたらこの言い方もすごいですよね。
で、その周りにいた仲間たちがドモリの真似をして水口の代わりに言うんですよね。ド、ド、ド、ドモリなんですって言ってみんなが笑うみたいな。これね、ひどいなぁと今だったら思うんですよ。
で、でもこうやって、こういう文章が続きます。長生というのは何と眩しいものだろう。私には同級の少年たちの少年気特有の残酷な笑いが光の弾けるハムランのように散然として見えるのである。
えーと、ここの文章の意味がね、後の方になるとはなるほどなとわかるんですけど。でね、この先輩、先輩もまあいい人なんでしょうね。貴様も回帰入らんか。ドモリなんか一日で叩き直してやるぞ。叩き直すものっていうことですよね。
でもなんかわかります。もうそういうそのイメージなんです。まず気持ちの問題だと。だから精神を叩き直せば必要なくなるぞと。そういうものだと思われてたわけですよね。時代ですよね。
でもこれ多分戦後も結構そういうこの財布会計的な考え方が続いてたと思いますね。僕も、前も多分話しましたけど、退職校長とかね、20年くらい前ですかね、退職校長とかが再任をできてて、ドモリなんかって言われたことはありますし。
で、なんか社会人になったばっかの時に、その地域のPTAの人とかも来る。みんなで飲む先生とPTA役員か保護者の人とかが一緒に飲むような飲み会があったんですけど、そこで緊張してドモリながら、PTA会長じゃなかったかな。
なんか地域の有力な人にビールついに行ったら、そういう目で見られて、この仕事はな、みたいな。その人は先生じゃないんですけど、この仕事は精神的に弱くてやっていけないからな、みたいなことを言われたんですよ。
これもね、僕がドモリながら、なんかいう挨拶したんでしょうね。それに対して精神的に弱いと、これじゃやっていけんぞと言ってきたわけですね、その人は。まだ覚えてますけど、そういう風なイメージのね、ものなんですよね、喫音っていうのはね。
今どうなんですかね。もうさすがにそういうのはなくなってるかな。ドモリって言葉も言っちゃいけないと思うんですよ、今ね。アウティングとかの問題もあるしね。
吃音とアイデンティティ
でもね、この話を金閣寺に戻すと、溝口はですね、そうやってみんなから笑われること、それがね、ちょっとなんか自分のアイデンティティっぽくなってたっていうね、そういう複雑なことがね、ちょっとよく読み取れるんですよね。
で、次のシーンなんですけどね。次はですよ、金閣寺の都邸になった。まあ主人公は金閣寺を掃除したり、住職の身の回りをする、身の回りの世話をするってことをしてたんですけどね。
ここで鶴川という同じ身分というか立場の仲間と出会う。この鶴川は差別しないんですよね。鶴川はこの溝口の喫音を全然からかおうとしないんですよね。
それで、なんでだと聞くんですね、主人公が鶴川に。鶴川はだって僕、そんなことはちっとも気にならない立ちなんだよって言うんですよ。で、その後のね、この主人公の心情の描写がね、最初はこの種の優しさを知らなかったっていうのから始まるんですけど、その後がすごいんですよね。
あと読みます。
無視されることは、それがそのまま私という存在を抹殺されることだと奇妙に信じ込んでいたのだから。だからね、やっぱりみんなから嘲笑されて、笑われて真似されて、バカにされて、そういう環境にずっといたので、
それ、どもりイコール自分、喫音イコール自分というふうに溝口は思い込んでいたんですね。もう外界との間にすごく隔たりがあると。それが自分なんだけど、喫音を取っちゃってもまだ自分なんだっていう。
喫音を、私からどもりだけを越し取ってっていう表現を作ってますけど、表現を使ってますけど、どもってるっていう喫音のことを越し取るっていう表現ですから、綺麗にそれだけ取っちゃうって感じですかね。
喫音の部分だけを綺麗に差し引く。それでもまだなお私なんだ、私でいいんだ、僕でいいんだみたいな。だから、最初は戸惑った感じなんですかね。え、じゃあ僕って何みたいな。喫音取っちゃったら僕何みたいな。
そういうの最初は戸惑ったけど、まあ心地良いみたいなね。すっぱりと裸にされた心良さをくまなく味わったっていう。書いてありますね。だからね、どもりであるということを無視されること、つまりからかわれないこととかバカにされないこととか。
それは存在を抹殺されることだとそれまで信じ込んでいたと奇妙にね。だからバカにされてからかわれた方が存在を認められてるっていう、そういうちょっと歪んだ感じだったものが綺麗に洗い流されたっていうことなんですかね、この鶴川の優しさで。
はい、そういうね、描かれ方をしてるんですよね。喫音がね、喫音の人の内面というか。だから僕も喫音がもう僕なんだなっていう。最近そう思うのか、このポッドキャストを始めた時、第1話が喫音が私みたいな、そういうタイトルをつけたんですよ。
それはね、やっぱ喫音と自分は切っても切り離せないなっていうのを思ったんですよね。今でこそ気にならなくなって喫音があまり出なくなってるし焦らなくなってるんですけど、やっぱりね、喫音に苦しめられてきた自分の過去というのは変わらないわけですね。
だからそういう人生なわけだから、喫音はもう自分だと。でもまあ、現代に生きる僕とかは、いやいやいや、これなくなったらな、なくなったら本当の自分だなとかっていう気持ちもあったんですよね。
でも差別が激しいというか、昔はね、もっと昔はそういうふうにも思えないと。なくなったらそれが本当の自分なんだとすら思えない。むしろいろいろバカにされてからかわれている喫音があるっていうのが、それがちょっと一種歪んだアイデンティティになるっていうね。
はあ、なるほどなと。だから辛いとか思わなかったってことなんですかね。そういう状態が普通だったら。
時代のこととかも考えさせられましたし、あとは喫音が外との扉の鍵になると。ちゃんと開いたためしがないと。外界と自分の間には何か隔絶されたものがある。
ラグがあったり、隔たりがある。スムーズに接続できない。だから外と繋がれないっていうね。はあ、なるほどなーって。そういうちょっと、何て言うんですかね。
僕の内面の奥底にもすごい気にしてた時代は、そういう外と繋がれねえなーみたいな。みんなどんどん先行っちゃうわみたいな。そういう感覚があったなっていうことを思い出し、
それはね、こういう外と外界との間を隔てる鍵なんだよ喫音はっていう、原稿化してくれた三島由紀夫。もう本当にすっと腑に落ちるものがありました。ちょっとそういうことを言いたかったんですね。
はい、そういうちょっと話をしてみました。この番組ではお便りも募集しております。番組の感想やツッコミなど何でもいいですので、ぜひお便りフォームから送ってください。お便りいただいた方は紹介したいと思います。ぜひよろしくお願いします。
フー・ファイターズのファーストアルバム
はい、では音楽のコーナーです。めくるめくるライナーノーツ。このコーナーはロックのCDアルバムを中心に、そのCDアルバムの中に入っているライナーノーツを読んで、その作品を紹介するコーナーです。
今日はですね、フーファイターズですね。もうすごいスーパーバンドです。ロックの電動入りもしてますし、グラミ賞も15回通ってるとかって調べたら書いてありましたね。もうすごすぎ。
フーファイターズのファーストアルバムを紹介したいと思います。なぜフーファイターズのファーストアルバムかというとですね、30周年版がまた出たからですね。
僕はフーファイターズあんまり聞いてなかったんですけれども、これをCDショップで見かけました。この神ジャケを。神ジャケ好きなんですよね。今もちょっと話ずれますけど、CDショップ行ってずらっと洋楽が並んでるとか、いろんなジャンルのCD置いてあるとか、もうほんと滅多にないですよね。
東京とか行かないと、ほんと。だからそれがハッキー屋さんかな?ハッキー屋さんのCDコーナーに行ってあったんですよ。このフーファイターズのファーストアルバムが。で、もうついつい買っちゃいましたね。やっぱ神ジャケとこの時代のこのアルバム、もうついつい惹かれちゃいます。
というわけでちょっとね、超有名アルバムですけど、簡単に紹介したいと思います。この30周年版ということで、ライナーノーツを書いた鈴木義之さんは、ちょっと違う視点でこのフーファイターズのファーストを捉え直そうとしています。
だからフーファイターズのファーストアルバムは、他のバンドのファーストとは違うと。悲しみの中ね、元ニルバーナのドラマデイブグロールが悲しみの中制作したアルバムだからっていうね。
そういう見方がやっぱりずっと強かったし、そういう文脈で捉えるとすごく感動的に感じてパワーももらえる感じがしますよね。でもね、そろそろもっとフラットに本作へ向き合おう。向き合ってもいい時期なのかもしれないという風に鈴木さんは書いてます。
はい、そこで今週の一説。
結果的に本作は重苦しいイメージばかりが先行したグランチから脱却し、そのエネルギーを陽性なものへと転換してみせたと言ってもいいかもしれない。
はい、やっぱまさにですよね。まさにそうだな。だってすごくこのパワーに満ち溢れてますよね。
これ、だから一見ストレートでラフなパンクハードロック、東風ファイターズ思われがちですけど、やっぱね、これ鈴木さんも書いてるようにフックのあるメロディーやリフに満ちているっていう。
これもう当たり前の事実ですけど、やっぱデイブ・グロールのソングライティングすごいですよね。魅力的な曲いっぱい。もう最高っていう。ライブで盛り上がれる曲がいっぱいですよね。
そのライブバンドとしても、スーパーライブバンドとしても、東風ファイターズ有名ですけども、やっぱその元はちょっとラフでパンクな感じじゃなくてやっぱりソングライティングなんだろうなというのを改めて感じさせてくれるアルバムですよね。
で、東風ファイターズの来歴についてちょっと触れていくと、やっぱりね、このファーストアルバムはデイブ・グロールが、ニルバーナーが終わったと、カートコ・バーンが亡くなってしまうというその悲しみの中でスタジオに入り一人でね、全部の楽器演奏して完成させて、
その後、東風ファイターズとしてバンド活動を始めるにあたりメンバーを招いたっていう、そういう始まりですよね。
だからまあ、この鈴木さんは、ライナーノーツを書いた鈴木和之さんは、この東風ファイターズのライブを目の当たりにして、生き残った者は自らの人生を歩み続けるのだっていう、書いてみれば当たり前のことだけれども、生命力あふれるエネルギーを直に与えてもらったって、ライナーノーツに書いてますよね。
そういう人は世界中にいるんじゃないかと。だからそういう文脈じゃないところからそろそろ捉え直そうとも言ってますけど、やっぱりね、その文脈からそういう物語、やっぱりついてまいりますよね、この東風ファイターズのファーストアルバムには。
だからこそ、デイブの書くすごくいい曲、すごい曲たちに、さらにですよ、さらにまたパワーを与えているという、人に与えるパワーをまとっているわけですよね。
その後の東風ファイターズですけど、ちょっとメンバーの入れ替えがあったりとかちょっとしたりするんですが、やっぱり一番最近で大きなニュースは、2022年のテイラー・ホーキンスが亡くなってしまうと。
でもそれでもデイブと仲間たちは、2023年にアルバムを完成させます。公認のドラマジョッシュフリーズを迎えて、2023年フジロックとか、あと2025年にも来日してます。
デイブは新日誌化としても有名で、日本との絆も深いんですよね。日本のファンとの絆も深いと。だからまだまだどんな曲を聴かせてくれるのか、どんなパフォーマンスを見せてくれるのかっていうのがすごく楽しみなバンドです。
だからもうこんなみんなが元気のない時代に、よりこのフーファイターズの曲は鳴り響くんでしょうね。ちょっと僕も今まであんまり聴いてなかったので、このフーファイターズもっといっぱい聴いて、この元気をもらっていってパワーをもらっていきたいなと思います。
はい、ということで、今日のめくるめくライナーノーツではフーファイターズのファーストアルバム、フーファイターズを紹介しました。
文学による吃音の再発見と読書の再開
そう、そんな感じでね、キツオンの再発見ということなんですかね。いやー、超超一流文学はすごいですよね。やっぱりね。だからもう物語の本筋よりもそっちに感動しちゃうっていうね。
あとちょっと調べたんですけど、他にもキツオンの登場人物が出てくるやつは結構ありますからね。茂松清さんのやつとかね、もうそうですよね。昔映画化された青い鳥っていうのを街の小さな映画館で見ましたね。
安倍博史さんが主演のやつですね。そういう他のキツオンの登場人物が出てくる作品の話もまた追々ね、していこうかなと思います。
だからもうとにかくまずは、そんなね、ほんのちょっとしか読んでなくて、語るなと、全部読めと、自分に対して思うわけです。だからまずは全部読まないとちゃんと読みたいと思います。
でもね、一文一文が全部名文でね、先進まないんですよね。ああと思っちゃったりして一個一個読む。何でもない一文がなくて、もう進まない全然。
でもはね、だんだん本をまた読むモードになってきたので、いけるかな。いけるかなと思います。はい、ということで、読書頑張りたいなと思います。ここまで聞いてくださった方、もしいましたら本当にありがとうございます。
三島由紀夫のことは全然知らないのでね、本当にこうなんだよとか、こういう解釈もあるらしいよみたいな、そういうごよく知っている方いっぱいいると思うので、そういうこともお便りフォームとかで教えていただけるととっても嬉しいです。
あとね、単純に喫音の話とか喋ることについての話とかね、なんでもいいので、番組の感想でもお便りもお待ちしております。はい、ではこの辺で終わりたいと思います。田中由紀夫のスタマースタジオでした。ありがとうございました。
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