ゼロ年代初頭、「ロックンロールリバイバル」の中、どのジャンルにも属さない音楽が生まれました。THE MUSIC。当時まだ10代だった彼らの鳴らす音は、未来への可能性と期待に溢れていました。デビューアルバムは、そんな「長い旅路」への高揚感に包まれていて、今聞いても最高です。
<大体のチャプター>
THE MUSIC EP(Japan only)の紹介/ THE MUSICへの当時の大きな期待/ ロックのどのジャンルとも違う音楽/ バンドの「長い旅路」
「仕事ができる」って何だろう?/ 仕事ができて人格的にも完璧な人がいたら周りが苦しくなる/ まっとうな意識をもっているのに、職場からはみだしてしまう人が出てきてしまう組織/ 教師も「半身」で仕事をしたっていいのに、それが難しい職場の空気/ 究極の「しごでき」とは?・・理想を追いかける難しさ
仕事とは?才能とは?幸せとは?
感想
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サマリー
本エピソードでは、2000年代初頭に登場したロックバンド「THE MUSIC」のデビューミニアルバムを、ライナーノーツを紐解きながら紹介。彼らの予測不能でカオスなサウンドは、当時のロックンロールリバイバルとは一線を画す唯一無二のものであったと語られる。バンドは10年ほどの活動で解散したが、その短い期間に凝縮された濃密な音楽の旅路は、今なおリスナーに興奮と感動を与えている。後半では、「仕事ができる」とは何か、完璧すぎる人材が組織にもたらす息苦しさ、そして教師という職業における理想と現実の葛藤について深く掘り下げ、現代社会における働き方や幸せのあり方について考察する。
THE MUSIC デビューミニアルバムと「長い旅路」
どうもこんにちは、田中嘉人のスタマースタジオです。 この番組は、スタマー、つまり、吃音の人である私、田中嘉人が大好きな音楽や人文学、それから吃音のことについて思ったことを一人で語っていくポッドキャストです。よろしくお願いします。
はい。 喉の風邪をひき、咳が止まらない風邪をひいて、
ちょっと声をやられてしまいました。 そして、
1週間ぐらい続いても治らなかったので、医者に行ったら、 吸入器を薬で処方され、人生初吸入をして、
公収録に臨んでおります。 ということで、最初は音楽のコーナーです。
めくるめくライナーノーツ!
はい、このコーナーは、 CD アルバムについている、あのライナーノーツですね。音楽評論のプロの人が書いたライナーノーツを元に、その言葉の力を借りて、アルバムを紹介していこうというコーナーです。
今日紹介するアルバムは、ザ・ミュージックですね。 そのEP、
JAPAN ONLY DEBUT MINI ALBUMです。 これね、
近所のリサイクルショップで売っていたんですよね。 手に取って青い渦巻きのジャケットを見て、懐かしいと思って思わず購入しました。
買った後、買った時はファーストアルバムかなと思って懐かしいと思って買ったんですけど、
よく見たらEPで、ミニアルバムで、しかも日本オンリーで、そういうアルバムでした。
そういえばね、その後思ったのはファーストアルバムはもっと渦巻きがピンクっぽくてカラフルだったなぁと。
背拍子はそのリサイクルショップにある段階では英語だったので、輸入版かと思っていたんですが、開けてみたらライナーノーツが入っていて、
ちゃんと売った人がね、ライナーノーツも入れて売ってくれてラッキーでした。
いい買い物しましたね。そしてこれまたまた小川忍さんのライナーノーツでしたね。2002年のアルバムでした。
その頃ね、超話題になっていたザ・ミュージックって聞いたらね、やっぱり最高でした。
そこで今週の一節です。
それは、次の瞬間、一体どこに向かうのか予測不能な音の塊がゴロリと転がり出した際に立ち上るカオスや、そんなロックンロールの規定に立ち会ってしまった興奮の祝図である。
要は、予測不能のカオスの音、最高の音がこれからどういう風に転がっていくのかっていう、
それが楽しみで仕方ないよ、ワクワクするなっていうことですからね、僕なりに訳すと。
で、このアルバムというか、ファーストアルバムもそうだしザ・ミュージックもそうですけど、サイケデリックでカオスで、それでいてロックのサウンドっていうアルバムですね。
僕は最近カオス好きで、この前もキングクリムゾンのカオスだった時期のアルバムが最高だっていう話もしたんですけど、ちょっとカオス好きでプログレーにちょっとハマっているんですが、それでこのザ・ミュージックの魅力を改めて感じたっていうのもちょっと流れ的に自分でうなずける気がします。
で、このファーストアルバムね、ザ・ミュージックのファーストアルバムは結構リアルタイムで聴いたんですけど、でもその時はね、やっぱり良さがまだ分からなかったですね、凡人なんでね。今の方が良さが分かる、やっと分かってきたかなと思います。
で、ザ・ミュージックは同年代ですよね。だから僕20年遅れてやっと、20年以上遅れてやっとこの凄さが分かるっていうか感じられたっていう、そういう超超凡人ですけれども。
で、当時、2002年当時、そう、17歳、18歳だったわけですね、彼らはね。16歳くらいの時に作った曲もあるみたいな。発表されてるというね。そこにね、40歳過ぎてやっと気づいたわけです。だからロックリスナーとしては、ちょっとね、ダメですよね、これは。
別にいいんですけど。これ当時ね、日本でも熱狂的にザ・ミュージック支持されていたみたいです。で、その時はちょうどロックンロールリバイバルとかの時代ですよね。僕もロックンロールリバイバルの方は当時すごくハマっていました。
ガレージロックもありましたけど。でもそれ、そういうバンドとは違う唯一無二の音を鳴らしていたんだなっていうのを今聴いて分かりますね。そのかっこよさと、あとなんか唯一無二のアーティストだったんだなっていう、そういうアーティスティックな感じにもね、気づかされます。
彼らもガレージでジャムってたって、子供の時にジャムってたって、この時も子供か。ガレージロックというジャンルではないんですけど、ガレージでジャムっていたとはインタビューで言っていますけどね。でね、やっぱり最初の曲ですよね。
いきなりのヘビー再現。5分以上ありますけど、今のプログレーをいっぱい聴いている僕にとっては5分くらい、もう全然短い方。で、今の趣味にドンピシャっていうのもあります。あとはね、このトランス感がね、すごいですね。
で、ボーカルも含めピンクフロイドみたいな空気感なんですけど、ギターはね、ストーンローゼツのジョンスクワイヤーのセカンドアルバムのね、ギターっぽくて、そこに強烈なグルーヴが乗っかってくるって、もうカサビアンを超えるんじゃないかっていうくらい強烈なグルーヴが乗っかってくるっていう、もう大好きですね。
ライナーノーツの冒頭で小川さんが、そう彼らは間違いなくあなたの明日のスリルを鳴らすバンドになるはずだって、今後どうなっていくんだこの子たちはっていうワクワク感をかいています。
確かに彼らと同年代ですけど僕は、彼らと同じ子供だった当時の僕が、もし今の感性持っていたら、おじさんの感性じゃ嫌ですけどね、今の感性持っていたら、もうこのライナーノーツ通り未来が楽しみで、これどうなんのっていう、どういう活動していくの、どういう曲出していくのっていう、未来が楽しみで仕方なくてワクワクして仕方なかったと思います。
彼ら自身もTake the long road and walk it、長い旅を、道か、長い道を自分の足で行けって、きっとワクワクしながら決意も込めて歌ったんでしょうね、曲のタイトルに。
でもね、2011年に解散しちゃうんですよね。そういうその後の彼らを思うと、ちょっと切なくなったりします。
ここからはAI調べなんですけども、彼らのバンドとしての長い旅路は、年月にすると10年ほどしかなかったわけですね。
フロートマン・ロバート・ハーヴェイを中心とするモチベーション低下、燃え尽き、それからアルコールと薬物依存、心身の限界に至ってしまいます。
新しい挑戦がしたいんだよと解散の前にインタビューで言ったらしいですけど、実際は心身の限界だったんじゃないかとAIは言っていましたね。
でも、17歳でこんなとんでもない曲を書いていて、とんでもない音を鳴らしていて、どんだけの才能なんだって思いますよね。
見方によって、それが10年で枯渇しちゃったのかっていう風にも見える。恐ろしいわみたいな。
でもね、才能の枯渇ではなく、その才能、そのあふれんばかりの才能を出力し続けるための心と体のシステムが壊れちゃったって言われてます。
肉体的な、ライブバンドでもありますから彼らは肉体的な激しいライブを、全身全霊のライブを膨大なステージ数やって、命を削ってグルーヴを生み出し続けて、さらにクリエイティブも維持するっていうのは過酷すぎるなと、そういうの物語ってますよね。
あと思うのは、きっと彼らの才能は次々と新しいことをしたがっていたんじゃないかと、挑戦したがっていたんだけど、
ファンとか会社とかレコード会社とかからは、Take the long road and walkitを鳴らすThe musicであることが求められ、
グルーヴや高揚感やトランス感をライブや作品から求められ続けて、またバンドもプロである以上、それに応え続けなければいけないですから、その中で疲弊していったのかなっていうことが想像できます。
でもね、やっぱり凡人からしたら、ずっと聴かせて欲しい、この体験をずっとさせ続けて欲しいって思っちゃう音楽ですよ。
20年経って聴いてもそうなんですからね。
再結成ライブ、2020何年?にしましたけど、それはもちろん興奮もしたでしょうけど、やっぱり感動的だったんじゃないかなって、
そういう彼らが帰ってきたっていう、それをね、映像も見てもいないのに、ファン目線からリスナー目線から勝手に想像します。
彼らの活動は時間にしたら約10年ですが、凡人には及ばないほどとんでもない密度で、長い旅路だったんだと思いますね。
だって僕みたいにね、20年遅れて中年になった奴にも興奮やトランス感をもたらしてくれるわけですから、
だから彼らのザ・ミュージックの存在と作品があって本当によかったな、救われたなって、最高の体験をさせてもらってありがとうって思うわけですよ。
はい、ということで今日はザ・ミュージックの日本オンリーデビューミニアルバムを紹介しました。
めくるめくライナーノーツでした。
はい、改めまして田中義人です。
「仕事ができる」とは何か?完璧すぎる人材の功罪
最近思っている仕事ができる、仕事的ってなんだろうっていう話なんですよね。
これ一般的にというか、すぐ思うのは自分の仕事ができるのは当たり前。
それだけでも仕事ができるんですけど、今は過酷な時代ですよね。
自分の仕事ができるのは当たり前で、それはもちろん部下などへの支持も的確でリーダーシップもあり正しい知識があって、
向上心があって、そのための努力をちゃんとしていると。仕事への情熱があって、愛もあるみたいな。
そういうのですかね、仕事的の人って。
で、それでも嫌な奴っていると思うんですよね。
そこまで金備えてるのに、もう人間的に嫌な奴じゃんみたいな、残念だわみたいな。
でもね、それが残念じゃないかもしれないですよね。
もしそんな仕事的の人が、いい人で純粋な人で圧倒的にね、全人格的に正しい人だったらどうでしょうっていう。
こっちの方が、まあ立ちは悪いって言ったらあれですけど、きつい、周りはきついんじゃないかなとちょっと思うことがあります。
もちろんね、その仕事的の人に罪はありません。
全くないですね。何にも悪くない。
でもね、その悪くないだけに周りはきついですよね。憎めもしないですから。
だから何かミスをして指摘されるときも、もう偶の音も出ないですよ。
指摘していただいてるみたいな、本当にありがとうございますみたいな感じに捉えざるを得ない。
そしてもし部下も、そういう現実、自分ができてないわっていう、受け入れられる頑張り屋さんだったら、
行ってもらった方が本当によかったです、ありがとうございますみたいな。
そしたらその部下の人も、そんな完璧、仕事的人間に育っていくわけですよね。
これは理想的なのかという。
ちょっと怖いところもあるなって、怖いなって思うんですよ。難しいですよね。
いい人ばっかりでも、真面目な人ばっかりでも恐ろしいっていう。
圧倒的な正しさとか、人間的に人格的に正しい火の打ち所がないっていうのは、
時にね、武器になっちゃいますからね、人を傷つけちゃう。
具体的にはですね、私、小学校の先生をやってるんですけど、
先生っていう仕事がさらに特殊だからね、またね、この仕事的の人、完璧な人格者が大変なことになっちゃうんですよね、周りにとって。
先生なんで、いわゆる生殖者ですよね。神父さんとか牧師さんとかと同じなんですかね。
つまりね、その存在自体が仕事みたいなところがあるんですよ。
簡単に言うと、口だけの先生はね、すぐ子供にバレちゃうわけです。
子供は純真で、やっぱり鋭い自観性あるから。
だから能力あっても、指導力あっても、人間性が伴っていないと結果的に子供がついてこないから、
指導的とはならないんですね。
能力があるだけじゃ指導力があるとは言えないというね、それがこのややこしいところなんですけど、この教師という仕事の。
そう考えると、教師の指導的っていうのは、完璧な人間であるってことをベースにして指導技術が乗っかってくるっていう、そういう形だと個人的には思っています。
でね、さらになんですけど、隙のない完璧人間でも子供はついてこないんですよね。
先生の欠点とか弱さとかね、人間味を感じて、それも含めて子供は他人の先生とか教師を信頼するわけですよね。
だからはみ出しちゃうこの気持ちだって理解して寄り添えるっていうのがやっぱりいい先生ですからね。
でも仕事的な教師は、たぶんね、はみ出し者ではないはずなんですよ。
なのに、はみ出しちゃうこの気持ちまで、分かってもらってるんだって子供が思うように狙って、意図的に弱さをさらけ出したりするんですよ。
恐ろしいですよね。
そういうところまで含めての完璧人間。
それに加えて事務処理能力やら、クレーム対応力、危機管理能力やら、プレゼン能力、あと計画立案能力までも完備しちゃってるこういう一流の人がいるわけですよね、たまに。
この事務処理とかクレーム対応とか危機管理能力とかプレゼン能力とか計画立案能力、これは一般企業だったらすごい大事ですけど、先生の場合は子供からは直接は見えない能力ですね。
だから僕は個人的にはそこまで大事じゃないなと思ってるんですけど、これはきっと古い考えですね。
今は求められます。
若い人も求められるわけですけど、でも求められるってことはできないとダメ出しの対象になるってことですね。
せっかくいい先生なのに見たくなっちゃうと。
こういうのがね、さっきも言いましたけど、こういうのは全部揃ってる学校のエースになるような先生がたまにいますよね。
そんなエースの下に向上心と情熱のある、そして自分に厳しくできる若手が集まったら、きっと完璧な学校の出来上がりなんですよ。
そんな精神が受け継がれていきますからね。
理想的だと思われますよね。
でも今はそんな簡単にはいかないんですよね。
教師という特殊な職業における「仕事ができる」の難しさ
なぜなら、そういう循環、そういう輪に入れない先生もやっぱりいます。
はみ出してしまう先生ですね。
本来は能力があるのにもかかわらず発揮できない人もいると思いますよね。
あといろんな働き方がありますから、時短勤務とかフレックス生とか、育てなど家庭の事情があって時間に制約がある先生とか、
あと病気や体調の問題がある人とかね。
僕みたいな必要な人も少数ですがいますからね。
この教師の仕事ははっきり言って勤務時間では完結しないんですね、もともと。
よく言われるのは、授業以外の業務が多いからっていうことで言われるんですけど、
例えば、理想的とされる指導のあり方に、
例えば朝、教室でクラスの子どもを先生は待ってるのがいいんだよっていうのがあります。
最初の一人が教室に入る瞬間から最後の子どもまで、
教室に入った時の表情とかコア色とかテンションとかね、
朝一番で子どもの状態を把握しなさいと。
これを三十何人分やると。
これすごく大事なことですよね。
でもそのためには勤務時間のかなり前から出勤するっていう意識がある、
そういうスタンスでいるよっていうのが前提になるわけです。
だからご自分のお子さんを幼稚園とかに送って、保育園か、
送ってから勤務時間開始にギリギリに来るとこれはできない。
その他にもこれだけじゃなく、勤務時間前にやった方がいい仕事っていうのはあるわけですからね。
校庭のライン引くとかね、いろいろ。
でもやっぱり教師たるもの、そういうことを頭に入れて、
そういうスタンスで仕事に向き合わなきゃいけないみたいなのがあるわけですよ、ずっと。
あとは教師にとっては一応休憩時間なんですけど、
2時間目が終わった後の長い休み時間とか昼休みが休憩時間に設定されている学校が多いです。
ここも休んでいる場合じゃねえぞと。
できるだけ子供と一緒に遊んで、信頼関係を深める子供の様子を把握するんだよみたいな。
それが理想とされるわけですよね。
こういうスタンスの面で、いわゆる勤務上の時間とかからはみ出しちゃう部分がいっぱいあるんですよね。
こういうのだけじゃなくて、よく言われることですけど、
事業の準備とか事務処理とか保護者対応とか計画を作るとか会議とかね、勤務時間外にやるべきことはいっぱいあるわけです。
だから、教師という理想と子供のためっていうのを追い求めれば求めるほど無限にやることがあるっていうのがこの仕事ですよね。
それは大切だっていうのはみんなわかってるわけですよ。
でもわかってるんだけど、さっき言った制約があったりしてできないと。
それは苦しいですよね。
真っ当な意識を持ってて、それが大事だってわかっててやらなきゃと思ってるのにできなくて苦しむ。
いい先生なのに苦しむっていうね。
そういう息苦しい組織になりかねないんですよね。
あとは、今話したことは全部真っ当な意識を持っているっていうのが前提ですけど、
別に今その真っ当な意識持ってなくたって、いい時代ですよね。
仕事は人生の一部なんだからみたいな。
だから最近半身で仕事するみたいなね、というのも流行ってますけど、
そういうやる気とか向上心とかが、言ったらない人でもやれるぐらいの仕事が本当はいいと僕は思います。
でも教育の専門職だからそうはいかないんですかね。
息苦しい組織と「まともな人」のすり減り
自分のことを言うと、僕は精神疾患みたいな病気をしてからは、
本当は自分の人生と心のために、健康のために仕事は半身は無理でも、
僕の能力では無理なので7割ぐらいでやりたいんですけど、
若い人だって別に何の性悪がない人、病気とかしてない人とかだって、
そういう人いますよね。そういう人も認められるべきですよね。
でもそういう人がダメだとかやる気がないみたいに思われない職場が素敵ですよね。
その人も一定はちゃんとやるっていうことが条件ですけどね。
ネット記事でそういうのありますよね。
いい人ばかりの職場は息苦しいみたいなやつ見ました。
確かにそうだなと思いますよね。
いわゆる仕事ができるエースのいることを信じて、
自分の未熟さに向き合って、努力して、モチベーションを保ち続けて、
それを限られた時間でやりくりして、職場に迷惑をかけないようにして、
子育ても家庭も頑張り、本調子じゃなかったりした時に体にムチを打ったり、
あとは実はしんどいのに本音が言えなくてみたいな、
そういう状況になっちゃうんですよね。
仕事ができる人に従ってついていくっていう人がいい人である場合、
そのついていく側もいい人な場合は、
人の気持ちを考えたり空気を読んだりしちゃうわけですよね。
自分を責めたりもしちゃうわけです。
だからあのエースの人はこんなにやってくれて、
時短してる人の分まで働いてくれて、
こっちに丁寧にダメ出ししてくれて教えてくれるんだから、
こっちも手抜けないなって思うわけですよね。
そういう気持ちはなかったとしても、
子供の安全のためにこういうスタンスでいろみたいなこと言われたら、
教師としては妥協できなくなりますよね。
だからね、パワーワードでありキラーワードなんですよね、
子供のためって教師にとっては。
そうなると余計本音を言いづらくなるのかなって思います。
そしたら組織の中でいくら管理職とかが、
休んでもいいよとか言ったって、
そんなの休めないですよね、まともな神経の人はね。
だからまともな人からすり減っていくっていう状況が生まれるんですよね。
かといって、嫌な人がいたりね、ほんとに。
あと勝手なやつがいたり、
ほんと休みまくっちゃう、
仕事の職場全体のことなんか考えないで休みまくっちゃう人がいたりして、
仕事がまっとうにやってる人のとこ回されちゃったり、
あとは同行した口とかね、掛け口があって雰囲気が悪くなったり、
そういうのも嫌ですけどね。
だからこの辺りは難しいところで、
汚すぎても綺麗すぎてもどっちも息苦しいみたいなね、
そういう話になってきますよね。
となってくると今までの話を踏まえると、
今の時代の究極の仕事的な人、
仕事自体が完璧にできる人じゃないんじゃないかなと。
バリバリとかっていう言葉がありますけど、
バリバリの先生だよね、みたいなあの人みたいな。
そういう人じゃないんじゃないかなと。
本当の究極か、究極の仕事ができる人っていうのは。
むしろ自分が思う完璧さや信念をちょっと捨てて、
ある言い方をすればレベルを落とせる。
自分より下の人、能力的にも年代的にも、
そういう人たちが生き生きと働ける枠組みまで考慮できる人なのかなと思います。
でもそういうのを調整するのは管理職ですけどね。
個人的には私はですね、仕事ができるかどうかはどうでもいいなと。
できるようにこうしたことはないですけどね。
でもそれは公務員としてクビになりにくいからね。
身分が守られているから言える恵まれたことなんですけどね。
もちろんね、身分にアグラをかかない程度には頑張ります。
だから半身で仕事は無理でも7、8割ではいきますよね。
全力出して体調を崩したくないのでね。
いやでもこの成長成長成長っていう資本主義がきついですよね。
向上心とかね、あとブラッシュアップしていきましょうとかね。
もういいじゃんって言いたいですよね。
昔と同じくらいで良くないみたいな。
今の子は大変ですよね。そういう社会に出ていくんですから。
頑張ればいいよ。気持ちと情熱があればなんとかなるよって時代は終わったんですよね。
そういう精神があっても状況的に環境的についていけない。
その中でやっていかなきゃいけない。これはきついですよね。
ちゃんと真っ当な意識があるのに。
だから自分を責めるのはさっきも言ったけど、
まともな人ほど傷ついていくっていうね。残酷ですよね。
でもね、かといって死後的な人が悪いわけじゃないですけどね。
その死後的な人たちがいるおかげで、
その組織とか社会が回ってるわけだから、
その人たちを責めることもできない。
そんなめちゃくちゃ働いてくれてるわけだからさ、
それは責めることはできないですよ。だから余計難しいっていう。
職場の環境的には一定のモラルとプロ意識をみんなが保ちつつ、
かつ思ったことを言いやすいっていう、
ちょうどいい空気感を持った職場環境はいいですね。
だから理想に向かって突き進むパワーが猛烈すぎてもいけないですよね。
みんなが幸せになるっていうのは難しいことです。
ウェルビングみたいなことをね。
簡単に言うなと。ということですよね。
仕事、才能、幸せへの問い
ということで、仕事ってなんだろう。
あと才能ってなんだろう。
それを維持して幸せにやっていくっていうのはどうなんだろうって思いますよね。
前半の音楽のコーナーのザ・ミュージック。
人まではいかないまでも誰しも自分なりに得意なことがあって、
情熱を注ぐっていうことがあって、
それが仕事になることもありますよね。
仕事になるってことは周囲の期待に応えるってことですので、
そこで楽しくなくなっちゃったりしますしね。
だからそう思うと能力が高い仕事的な人も、
組織の中で周囲に合わせるっていうのは、
やっぱストレスなんでしょうね。
仕事的な人も本音を言えないのかな。
実は、みんな俺みたいにやってくれよ、俺みたいになってくれよって、
そんなこと言い出したら傲慢だって思われちゃうから言えないですしね。
そう思う気持ちも分からないでもないですよね。
でもやっぱりそういう人についていく周りも苦しいですよね。
高いレベルに合わせる辛さもある。
かといってレベルを落とす辛さもある。
というわけで、能力を出力していくこと、
それを仕事でやるっていうことについて考えさせられました。
と、無理矢理まとめておきましょう。
では今日もこの辺で終わります。
もし聞いてくださった方がいたら本当にありがとうございます。
田中義人のスタマースサジオでした。
ありがとうございました。
29:30
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