#33 他人の人生に熱狂するより、自分の人生がんばります
2026-07-15 26:01

#33 他人の人生に熱狂するより、自分の人生がんばります

宇野常寛さんと箕輪厚介さんのユーチューブを見て、「自分の人生がんばる」ことについて考えました。ワールドカップをはじめとした「他人の人生」への熱狂よりも、「みんなで一丸となる」ことで生きている心地を得るよりも、やっぱり自分の人生をもっとよくしたい!そういう意味で自己中で生きていってもいいんじゃないか、と思いました。自分の人生を必死で頑張った人こそが成功者だ!

<大体のチャプター>

吃音じゃなかったらもっとひどい奴になっていた/

ノエルがほめていたカサビアン/ アルバム「ヴェロギラプトル」の紹介/

ワールドカップに盛り上がるのはいいけど、他人の人生に熱狂しすぎないようにしよう/ 「自分の人生がんばる」という意味では「自分のことしか興味ない」でもいいのでは?/ 「みんなと一丸となること」を他人に求めていた頃/ 「自分の人生を一生懸命生きている人」へのリスペクトを込めて応援しよう/ 「自分の人生生きよう」と思ってやっているポッドキャスト

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サマリー

このポッドキャストでは、吃音を持つパーソナリティが、自身の経験を振り返り、他人の人生に熱狂するよりも自分の人生を大切にすることの重要性について語ります。宇野常寛と箕輪厚介のYouTube動画をきっかけに、ワールドカップのような他者の熱狂に流されるのではなく、自分自身の人生を充実させることへの意識を高めます。また、音楽コーナーではカサビアンのアルバム「ヴェルヴェット・ラプター」を紹介し、自身の人生を生きることへの肯定感を深めます。

吃音との向き合い方と自己肯定
どうもこんにちは、田中嘉人のスタマースタジオです。 この番組は、スタマー、つまり、吃音の人である私、田中嘉人が、大好きな音楽や人文学、そして自分の吃音のことについて、一人で語っていくポッドキャストです。よろしくお願いします。
はい。で、私、昔から日記をつけていたり、マイブックというね、何も中に書いてない本を買って、文庫本型の本を買って、それに日記をつけていたりするんですけれども、それで、若い時のとか昔のをたまに見るんですよね。
そうすると、今日ちょっとパラパラとめくっていて、20代後半の時とか、結構、吃音に悩んでいる時、私、小学校の先生をやっているんですが、ちょうどその20代後半の時は、採用試験にちょうど合格できなくて、面接でね、やっぱりうまくいかなくて、吃音のせいだみたいなね。
うまく思っていることとか、せっかく考えてきたこと、準備をしてきたことが言えなくて、悩んでいた時期ですよね。
そんな時期の日記に、食音でよかったみたいなことが書いてあって、何でかっていうと、もしもっとペラペラ喋れたら、簡単に人を傷つけるような人間になっていただろうということを書いていたんですね。
で、それ、その通りだなと今、振り返って思って、その後、だんだん吃音が治っていくにつれて、後ね、飲み会とかでアルコールとかが入った時に、結構ね、ひどいことを言ってたなっていう反省があるんですよね。人を傷つけていたっていう。
だから、僕は吃音があるぐらいで、ちょうどいい人間なんだなと、そういうことをね、ちょっとしみじみ思ったっていう話なんですけど。
まあ、その吃音があったっていうことと、後、ちょっと人を傷つけてきたなっていう反省があるので、今、結構ね、コミュニケーションには慎重ですね。慎重になりすぎてもいけないと思うんですけど。
なので、そういうふうに慎重になれているので、これは吃音があったからかどうかわからないですけど、ちょっと自分について考えさせられました。
はい。まあ、吃音、難しいですよね。ないのが一番いいんだから。ないに越したことはない。なんですけど、もしなかったら、もっと今よりもひどいやつになっていただろうなっていう感じがします。
音楽紹介:カサビアン「ヴェルヴェット・ラプター」
はい。では、音楽のコーナーに行ってみたいと思います。めくるめくライナーノーツ。このコーナーは音楽が大好きな私がCDに入っているライナーノーツの力を借りて、そのCDアルバムを紹介していこうというコーナーです。
はい。そして今日紹介するのは、カサビアンです。
カサビアン。ベロギラプトルという2011年のアルバムなんですけど。
まずカサビアン。まあ、これ一番印象に残っているのは、最近のカサビアン。ボーカル交代したとかありますけど、最近のカサビアンはあんまりちょっと聴いてなくて、このベロギラプトルぐらいまでですね、2000年代から2010年代の初めによく聴いていました。
なんで聴き出したかというと、ノエルギャラが褒めてたからですね。っていう記憶があります。これ定かではないんですけど、ノエルギャラが批判ばっかりしている人ですけど、他のバンドのね。
でもそんな彼が褒めている、ノエル兄貴が褒めているバンド。でもなんかダンサンブルな音楽をやるっていうイメージだったので、そういうのをノエル兄貴が褒めてるのかと聞いてみたら、うわロックだなと。そういう印象ですね。
で一応なんかこれAIでこのカサビアンのバンドの評価を調べても、やっぱオアシス以降の最高のライブバンドって評価があるみたいですね。で労働者階級のふてぶてしい精神を受け継いでるみたいだね。
とにかくライブがすごいと。なんか今やUKロック界のいける伝説としてリスペクトされていますと。もうそんなになってたんですね。
で僕が一番好きなアルバムは、彼らのアルバムはサードアルバムが好きなんですけど、コンセプトアルバムですよね。サードアルバムは。最高傑作と評価されることが多いんですけどね。
でもこのアルバムはカオスをカオスのまま表現したアルバムと言われてます。サードアルバムは。それでこのベロギラプトルはもうちょっと聞いたら、結構当時の印象も今の印象も同じですけど、結構綺麗にまとまっているなーっていう。すごくシンプルだ。シンプルだなと。
そこで今週の一説です。ライナーノーツを書いているのは小川忍さんですね。それで今週の一説です。
このアルバムに通定する突き抜けた感覚。長いトンネルを抜けた先に待っていた。開けた地平の爽快は、過去の混沌があってこそビビットに感じられるものだから。
これはですね、前作のサードアルバムね。ルナティックアサイラムですよね。それがやっぱりカオスだったんですよ結構。
カオスをカオスのまま放り出したって小川さんは書いてますけど、そこがいいんですよね。このサードアルバムのルナティックアサイラムの。
だから僕のカサビアンのイメージはファーストアルバムでもセカンドでもなくこのサードなんですよ。
でもこのベロギラプトルはその次のアルバムなんですけど、このカオスが均衡を取り戻すまでの道筋を描くっていう風に書いてます。小川さん。
カオスなんだけどだんだん均衡に向かって収束していくと。そこの美しさっていうことですよね。
だから結構サイケデリックな曲もたくさん入ってるんですけど、アルバム全体としてすごく綺麗にまとまっているなっていう感じですね。
だから作るべくして作ったみたいな発言をサージがしてるんですよね。だからなんだっけなロッククラシックかな。ロッククラシックを作ってやるぜみたいな。
どっかに書いてあったな。古典的なブリティッシュレコードを作りたいっていうね。ロックンロールクラシックを作ろうぜみたいな感じで。
名盤かな。名盤を作ろうと思って作ったっていうとんでもないアルバムですよね。狙って作ったっていう。すごいですよね。
詩も良くて幻想的だったりサイケデリックだったりするんですよね。
昔は詩をちゃんと読んでなかったんですけど、今読むと詩の世界もすごく面白いな世界観があるなっていう感じですごくいいです。
ボーカルがちょっと変わっちゃいましたよね。2020年くらいかな。
ソングライティングをしているバンドの中心人物であるサージがボーカルになったので、
映画の挿入か主題かよく詳しくわからないですけど、それにこのベロギラアプトルのリードトラックというか、
2曲目のDays I've Forgottenをその映画バージョンで聴いたらやっぱボーカルが違うと、
あれなんですかね、これちゃんと調べてないですけど、曲を書いた人自身が歌ってるってことですよね。セルフカバーじゃないけど。
で、ちょっとだけテンポが原曲よりちょっとだけ遅くて言ったりしてて、なんか色気があったり、
あとボーカルのロングトーンの感じが違ったりして、全然違うな。
声とか歌い方とかは似てるのかな。詳しい人からしたら全然違うよって言われるかもしれませんけど、
同じようにはきっと歌ってるんだけど、でもまた違う良さが感じられて、
これ2曲目のDays I've Forgottenはやっぱり名曲なんだなっていうのを改めて感じました。
あとボーカル変わって、サージがフロントマンになっても、また新しいカサビアンになったなっていうのを感じましたね。
音楽的に言うと、サイケデリックなところが僕は好きですけどね。
特に初期のサイケデリック感が好きですけど、あとグルーヴがあるんですよね。
ベースラインも暴れてて変で面白かったり。
だからそんな彼らの前期のカサビアンの一番バランスが良いアルバムがこのベロゲジャプトルなのかな。
前期の集大成ですよね。そういうアルバムですね。
ということで今日はカサビアンの4thアルバムベロゲジャプトルを紹介しました。
めくるめくライナーノーツでした。
他人の人生への熱狂より自分の人生を生きる
改めまして田中芳人です。
前回、ワールドカップに全然自分が浸れてなかったお祭りムードというか、
冴えない毎日を忘れさせてくれるみたいな、熱狂させてくれるみたいな、
そういうワールドカップのせっかくの雰囲気に全然浸れてなかったなという反省をしたんですけど、
そうじゃなかったなという、浸れてなくて良かったんじゃないのかなという、
そういう話ですね、結論から言うと。
これはですね、何で思ったかというとですね、
宇野恒博さんと美濃和光介さんが喋っているYouTubeがあって、それを見たんですよね。
で、そこでそういうお祭りムードというか、ワールドカップに熱狂するムードと、
そこに入ってこない人とか、水をさず発言をする人をすごいディスるみたいなね、
そういう雰囲気はどうなのって話をしてたんですよね。
ああ、と思って。
要は、あれなんですよ。結局、すごいシニカルな見方なのかクールな見方なのかなと思うんですけど、
結局、他人の熱い物語でしょ、ワールドカップっていうのはっていう批判と、
あと、みんなが一丸となっていることで生きている心地を得ていると、
それは必ずしも正しくないんじゃないのかなっていう問題提起なのかな、
そこに人を巻き込むなよ、みたいな。
ここに入っていかない人とかを巻き込んでいくんじゃないよ、みたいなね。
そういうことを言ってて、すごく共感しました。
それですごく心に残っている言葉が、
それに熱狂していて、それに入ってこない人とか、水をさす人とか、正論を言う人を攻撃している暇があったら、
もっとお前の人生頑張れよっていうのを言ってて、
これがすごく痛快に感じたんですよね。
別に自分が嫌な思いしたとかじゃないんですけど、
違和感まで感じてなかったのかな。
サッカー自体は好きで、ワールドカップ自体は好きで、
でもやっぱりあれなんですかね、押し勝つ文化じゃないけど、
やっぱり僕も心のどこかで、他人の熱い物語に参加した気になりたいなというふうに思っていたのかもしれないなという、
反省じゃないんですけど、そう思っていることは必ずしも正しくないんだということが分かったときに、
ちょっとスッとしたんですよね。
結構最近、自分と関係ないことに興味が持てなくなっちゃっていて、
自分と関係あることは何かというと、仕事とか家庭の普段の生活とか趣味とかなんですよね。
あと喫音とかね。
あとこのポッドキャストとかもそうですけど、そういうことですよね。
あとこれからの人生とかね。楽しく生きるにはどうしたらいいのかなっていうね。
そういうことにはすごい興味があって、そうじゃないもの、ワールドカップもその一つだったのかわからないですけど、
いまいち熱が入らなくなっていて、これすごい自分中心になっちゃったなって、ちょっとショックだったんですよね。
もっと昔はみんなで何か成し遂げるとか一丸となるということが好きだったなって。
そういうテンションで、私小学校の先生ですけど、担任とかやってましたしね。
小学校の担任で一つのまとまったクラスを作ることへの情熱もちょうどなくなってきていたので、
うわ、ほんと自分中心になっちゃったよっていう。
熱いものなくなったなとか、情熱なくなったわって思ってたんですけど、
いや、今は今でいいっていう。そんなに悪くもないよっていうことを、
宇野さんと美濃和さんの議論から思わせてもらいました。
でも面白いですよね。所詮、担任の人生だろうって言ったら身も蓋もないですけど。
このワールドカップとかの期間が終わったら現実に戻っていくと。
そこでまた落ち込んでいくんでしょうみたいなね。
僕は結構毎日の生活いっぱいいっぱいでワールドカップどころじゃなかったんですよ、最初ね。
今でもそうか。今でもやっぱり大変だから。
それはやっぱりちゃんと自分と毎日と向き合っている証拠だったのかなと思って、
悪いことじゃなかったのかなっていうのを感じました。
でも若い時って僕もみんなが一丸となることで生きがいを得る人だったなっていう。
生きている心地がしている人だったなっていう。
それで心のどこかではそこに入ってこない人とか冷ややかな目で見てる人とか、
はみ出す人とかに対して嫌な気持ちになっていたなっていうふうに思いますね。
みんながやってるからやろうよっていうのは一番、人間としても教師としても一番言いたくない言葉なんですよね。
でもやっぱりたまに言っちゃう時があるんですよね。
子供に良くないなーって反省するんですけど、
ダメですよね。人を巻き込んで、みんながやってるからっていうのでそこに人を無理やり巻き込むっていう。
何の正当性もないですからね。
ちょっとこれハラスメントですもんね。むしろハラスメント。これはね。
やっぱりでもまぁ、このワールドカップの熱狂ぶりも、なんかちょっと昔と感じが違うなっていう。
言われてみればですけど、そういうちょっとした気持ち悪さも感じますよね。
なんか、もっと現実的にもっとちゃんとした応援の仕方はあるんじゃないのかななんてちょっと思ったりしますね。
なんて言うんだろうな。だから無条件で手放しで称賛したり、絶対正しいって言ってもダメだし、
無駄に厳しくてもダメだし、批判ばっかでもダメだし、やっぱりちゃんとした目で見て、その上での応援?
それがどういうことかよくわかんないですけど、スポーツ好き?サッカー好きとしての応援かな。
国民としての応援もいいけど、そういうすごいレベルが高いところで、多くの人に勇気とか感動を与えようとして、
頑張っている人に対するリスペクトじゃないけど、そういう応援の仕方ですよね。それがいいのかなと思いますよね。
あとでもあれなんですかね。サッカー選手にしてみたら自分の人生を必死で生きている。
サッカー選手かどうかとか、日本代表かどうかとか、プロかどうかとか、能力があるかないかとか、そういうことじゃないですよね。
一生懸命自分の人生を生きている人を応援するっていう。それで自分も頑張る。自分の人生も頑張るっていう。
そういう原動力にこうしていけばいいのかなと。誰かを攻撃する道具ではなく、無条件に盛り上がるものでもなく、
そういうふうにできればいいんじゃないのかなっていう僕なりの考えです。
でも嬉しいですけどね。日本勝つとね。
まあそういうシンプルなのは別にあってもいいんですかね。スポーツが好き、勝負事が好き、サッカーが好きっていうのもあってもいいと思いますけどね。
自分を肯定し、人生を豊かに生きる
ということで、みんながやっていること、みんなが盛り上がっていることにちょっと後ろめたさを感じていた自分。
でもその自分は別に悪くないと。誰かを応援するっていうこと自体も楽しめたらいいんですかね。
でもそこで自分の人生に対するパワーにそれを変えられなければ、今批判されている押し勝つ文化見たくなっちゃいますけどね。
自分の人生生きろよっていう、自分の人生頑張るぞっていう、そういう話です。
このポッドキャストも僕が自分の人生をもっと楽しむために始めたものの一つなので、
結構割と最近仕事に対する情熱はちょっとなくなってきちゃったかなと思ってましたけど、
なんかもっと広いところで自分の人生に対して向き合ってばかりでも疲れちゃいますけどね。
向き合えて頑張られているのかなとは思います。
でも過去もそうか、俺は喫煙があるぐらいがちょうどいいなと、人を傷つけちゃうからなというふうに思いながら、
喫煙をなんとかしたい、喋れるようになりたいと思ってもがいていた時期も向き合っていたし、
その悩みが一段落して今度はそれまで楽しかった仕事とか学校とかが苦しいぞとなってきちゃったら、
それだけじゃないからね、人生。どうすればもっと豊かなものになるのかっていう別の方向から考え出したことも良かったのかなと思いました。
なので、能力のあるなしとか仕事ができるできないとか、情熱を仕事に傾けられるとか、それもきっと大事なんですけど、
そこにはまれなかったからといって全然大したことはないっていうことをやっと最近感じられてきましたかね。
まあ職場に行けばね、それは仕事ができた方が色々上手くいきますから、気分良くできますけどね。
そうすると見えなくなってくるものもきっとあるので、だからまあどっちにしても今の自分を否定しない方がいいのかなっていう感じですかね。
ということで、色々世の中のこととか自分のこととか振り回されますけど、そこから元に戻してくれるというかね、目を覚まさせてくれるというか、
起動を修正してくれるものが今日の僕でいうと、宇野さん、富野さんのYouTubeだったっていう。
良かったですね。本当にそういう知識人というか文化人というか、そういう人の目線はやっぱりすごいですよね。
あとそれを言語化できちゃうっていうね。
ということで何の話か分からなくなってきたので、今日もこの辺で終わりたいと思います。
もしここまで聞いてくださった方いたら本当にどうもありがとうございます。
それではこの辺で終わりたいと思います。
田中よしとのスタマースタジオでした。
ありがとうございました。
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