1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #107 脱構築3 具体例など
2025-02-02 08:09

#107 脱構築3 具体例など

サマリー

脱構築の哲学について、特に骨を別の骨に繋ぎ替えるイメージを用いてその概念を解説しています。また、モダン建築とポストモダン建築の対比を通じて、脱構築的な考え方を建築の世界にも適用していることが述べられています。

脱構築の基本概念
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回は脱構築の方法論について、特に2番目の概念の屋台骨を組み替えるという方法が大事なんだという話をしました。
脱構築はですね、脱臼とも呼ばれます。
脱臼というのは、肩の関節が外れるあの脱臼です。
脱構築って当時すごく流行って、でも流行るとすごい雑な理解で、
何でもあれも脱構築、これも脱構築とか言われるようになって、それがジャック・デリダがすごく嫌だったみたいで、
意図的に脱構築と言わずに脱臼という言葉を使い出したそうです。
で、脱臼という言葉からイメージされるように、骨と骨とが繋がっているわけだけど、
骨を関節から外して別の骨に繋ぎ替えるというのが脱臼、つまり脱構築のイメージです。
骨Aと骨Bが仮固定されていて、それが当たり前になっているところを関節から外して、
骨Aを骨Cに繋ぎ替えるみたいな感じ。
この脱臼のイメージで考えた方がわかりやすいかもしれないです。
前回挙げた例だったら、従来は精神と肉体っていうのががっちり繋がっていたわけだけど、
関節から外して精神を無意識っていう別の骨に繋ぎ替えたというイメージです。
こういうのって探せば結構あるんですよ。
例えばアートって、昔は金持ちのための高尚で高級なものでした。
だから従来はアートって言えば、なんか高尚で高級なもののことを指していたわけだけど、
それを脱構築すると、金持ち向けの従来のアートのことをハイアートと呼ぶ。
そして金持ち向けではない庶民向けのアートのことをポピュラーアートと呼ぶ。
このハイアートとポピュラーアートという概念の発明も非常に脱構築的です。
あと一気に身近な例になるんだけど、漫画家の織田英一郎っているじゃないですか。
ワンピースの作者の織田英一郎先生。
ワンピースは登場人物たちが海賊として世界中を冒険するという物語ですが、
織田先生が言うには、冒険の対義語は母なんだそうです。
普通は冒険の対義語は日常とか平穏だと思うじゃないですか。
これは冒険と日常という二項対立が脱構築されて、
冒険と母っていう二項対立が繋ぎ直されているわけですね。
織田先生曰く、母親から離れることで冒険ができる。
だからワンピースでは母親は描かれないということだそうです。
これマジで天才だなと思ったんですけど、全くその通りですよね。
母親といえばグレートマザーという概念があります。
日本語だと大母って言いますけど、グレートマザーには二面性があって、
慈しむ母と支配する母です。
グレートマザーの概念を先ほどの冒険と母っていう二項対立に当てはめてみると、
確かに慈しむ母に守られていては冒険はできないし、
支配する母の言いなりになっていてもやはり冒険はできません。
だから冒険の対義語は母っていうのが文学論の観点からも妥当だと言えます。
これも脱構築的な考え方ですね。
建築における脱構築
あと脱構築建築の話もしておきます。
ポストモダンの思想的根拠っていう本によると、
モダン建築とポストモダン建築との対比という形で説明されています。
脱構築建築イコールポストモダン建築です。
これは厳密には違うという人もいると思うんだけど、
わかりやすかったからこの本の脱構築建築イコールポストモダン建築という考えを今回は採用します。
それでこのモダン建築とポストモダン建築を対比させるっていうことなんですけど、
モダン建築というのはゴチャゴチャした装飾が一切ない、
装飾性を排して機能性を追求した建物です。
装飾性を排除しているから必然的に直線がデザインの基調になっていて、
大体が直方体を組み合わせた形をした建物になります。
要はすごく真面目な感じのシンプルでミニマルな建物がモダン建築です。
モダニズム建築家のミース・ファンデル・ローエが言ったとされる、
少ないことは豊かであるっていう意味のレスイズモアっていうコピーが割と有名だと思うけど、
よりシンプルにしていくって感じです。
一方でポストモダン建築はモダン建築があまりに猛威を振るってそればかりになってしまったから、
カウンターとしてモダン建築の真面目さを転倒させて、
遊びを取り入れた、ある意味で不真面目さを取り入れた建築です。
これは以前、悪とは何かの回転をやったように、
あまりにも真面目であることに人間は耐えられないんでしょうね。
モダン建築は合理主義的、機能主義的であるわけだけど、
それって言い換えると装飾性を排除する、極めて禁欲的なものなんです。
思想的に言えば、数学的な直線を基調とする理性的なスタイルのモダン建築っていうのは、
禁欲的であり、それって啓蒙主義の系譜なんですよね。
そもそも啓蒙主義ってクソ真面目じゃないですか。
啓蒙思想家の啓蒙思想によってフランス革命が起こり、
その結果がロベス・ピエールの恐怖政治だったわけですし、
クソ真面目な啓蒙思想は不真面目さを許容できません。
だから思想的には、そういう啓蒙主義の否定という意味で、
脅落的な欲望や遊びを肯定するような、一見非合理には見えるが感覚的に訴えることに力点が置かれたという、
楽しくて面白いデザイン・建築が着想されるようになったというのがポストモダン建築です。
そのために、歴史的なレトロなデザインがコピーされたり、さらにはパロディ化されたりもします。
従来モダン建築において、建物という概念の屋台骨は機能性であったわけだけど、
その屋台骨を脱究させて、楽しめる体験とかアバンギャルドな体験とか、
体験を建築という概念の屋台骨として繋ぎ替えたということです。
はい、直感的に理解するということが、その性質上難しい脱構築の概念を、
できるだけ直感的にわかるように説明するということを目指して話してみました。
なんとなく脱構築についてわかったと感じてくれたら嬉しいです。
というわけで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
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