2023-10-29 05:11

#41 ディストピア3

みんな大好きディストピア。ディストピア概念の成り立ちからアーレントの「悪の不在」概念まで話します。

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、ジョージ・オウエルの1984年から
ディストピア感あふれるところを紹介してみます。
したがって、作品の内容やネタバレを含みます。
まず、1984年の世界にはバカでかい国が3つあって
オセアニア、ユーラシア、イースタシアっていう国があるんですけど
これらの国は戦争をしているフリをしています。
国民には戦争をしているって伝えておいて
定期的に市街地にミサイルが打ち込まれるんだけど
これは戦争をしているフリです。
その方が国民がまとまるから生産的であるというわけです。
それからテレスクリーンというテレビがあって
これで政府当局がニュースとかを流すんだけど
テレビであると同時にカメラでもある。
だからテレビの前にいる人の様子も
当局の方に配信されていて監視されています。
だから家の中で不適切なことを言えば警察に捕まります。
あと言語の語彙、ボキャブラリーを減らすという政府の仕事があります。
作中に今日は形容詞を3つも破壊したよみたいな描写があるんですが
要は辞書から単語を減らしていく仕事です。
そして国民は辞書からなくした言葉を使うことは禁止されます。
具体例を出すと協調表現だったらプラスとダブルプラスしかありません。
協調表現ってめちゃくちゃ多様で
スーパーとかハイパーとかベリーグッドとかプレティグッドとか
クワイトとかリリーとかアブソルートリー、トゥルーリーいくらでもあります。
これらを全部削除して協調表現はプラスとダブルプラスだけに統一されている。
これは語彙を減らすことで国民が複雑な思考をできないようにするのが目的です。
というのもボキャブラリーの多様さによって様々な表現が可能となり
僕たちは複雑な思考ができるようになっているわけですが
だからこそディストピアでは新しい統制された言語の使用を強制しているというわけです。
ものを複雑に考えられない方が統制しやすいですからね。
ちなみにこの新しい統制された言語はニュースピークと言います。
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それ以前の普通の言語のことはオールドスピークと言います。
ただそんな社会の中ですが国民の大多数は結構幸せに暮らしているんですよ。
疑問さえ持たなければ幸せに暮らすことができるのがディストピアの特徴でもあります。
創作としてとても面白いというだけじゃなくて、さらに掘り下げてみます。
直感的にはディストピアはとんでもなく邪悪な人々に支配されている世界なんだと感じると思うんですが
ディストピアの研究をしている論文に当たってみると、さらに深い考察がなされています。
もともとは社会主義批判、ソビエト連邦批判というテーマでしたけど、
ディストピアにおいては悪が不在であるという論考があります。
政府とかあるいは権力者が意図的に悪いことをしようと思ってディストピアが形成されたのではなく、
政府公館の人たちはあくまでも善意で最大多数の最大幸福を追求しているというわけです。
この辺は多分直感に反するんじゃないですかね。
いや、悪い奴が悪いことをしようと思ってるから社会が悪くなるんだというストーリーの方が直感的にわかりやすいと思います。
でも実はこの悪の不在っていうテーマは、
ハンナ・アーレントっていう哲学者がナチスドイツを対象に研究しているテーマでもあって、
一定の妥当性があるという話を次回してみたいと思います。
というわけで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
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