自己表現の重要性
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はい、ということで今回はですね、誰かの正解を歩くのではなく正解を作り出せというテーマでお話をしています。
11月も最終日ということで、いよいよ12月1年も終わりというところでですね、
いろいろと僕自身も新しい挑戦をこの12月からまたしていこうということで、昨日新しい試みとかを実際にスタートしています。
講座生の方々も、一緒に仕事をしている方々も、一日でこんなにいろいろ始めるのやめてくれよって思うかもしれないんですが、
いろいろ変えました。僕にとってはいろんなものが本当に新しい挑戦で、どうなるかわからないし、まだまだ見えないこともたくさんあるけど、
頑張らなきゃいけないなと思う事案は非常にたくさんあるなと素直に思っている次第です。
僕自身はこれまでいろんな会社に関わったりとかもしてきた経験もあります。
かかればかかるほど組織が似合わないということがよくわかって、いろんな信頼できる方からソータ君は一匹狼がいいと言われ、
確かになぁと思いながら生きてきた自分自身も、このSNSっていうものを仕事にしていくという中での上を目指すためのロードマップっていうのはわかっちゃってるわけですね、なんとなく。
こういう風にしていくのが正解だろうっていう。でも僕はその正解の道を歩きたくはないんですね。
その見えている正解の道、示されている正解の道筋っていうものを素直にテクテク歩いて、誰かの正解を歩いて、
それっぽい同じような正解を見つけるんじゃなくて、誰も見てないものや自分だけが見える、そんな景色の中の正解っていうものを素直に作り出したいなと個人的には思ってるんですね。
正解をね、選んだ道を正解にするのみだって言葉にもかなり連結する表現になるんですけど、
自分自身の正解を見つけるってものすごく難しいし、ものすごく怖いことだと思うんですね。
しかし、唯一無二のアカウントを作るっていうものだったりとか、自分らしさ、自分だけの信念や思いを持ったアカウントを持ってさ、
まずよりも先にあるフォロワーさんや本当に見てくれる人のためになる、そんなコンテンツを届けることって正解ってないと思うんですよ。
正解って、誰かが唯一無二のアカウントで成功している、その唯一無二のアカウントの成功例を参考にしたら、それはもうあなたは唯一無二ではないですよね。
それはもう誰かの正解を歩もうとしている時点で、それは正解、誰かの正解、作られた正解だから正しいように見えて、でもそれは実は自分らしさを消している行為。
それは誰かの正解や誰かの成功ルートというものに沿った、おべっか書いたコンテンツになっていく。
唯一無二という直した誰かの正解を歩むだけ、これは唯一無二に見えて唯一無二ではないんです。
誰かの自分らしさを出しているアカウントに憧れて、私も自分らしさを出そうとすることは、それは自分らしさではない。本当にそうですね。そうだと思うんですよ。
バズの選択とは
これは誰かが作った正解を歩もうとしている、結局自分だけのものではないと思ってるんですね。
だから皆さんに伝えたいのは、誰かの正解を歩く、憧れるのもわかる。自分らしさ、自分だけのアカウントを作る、プロセスエコノミーを作る、衝撃のエピソードを欲しくなる。
唯一無二のアカウントと呼ばれる世界の中でも正解のようなものって見えるかもしれない。
衝撃性のあるプロセスエコノミーを作って、最初の一羽で自分を下げて、応援してもらうための応援コメントを集めて、批判及び
成り上がっていくような衝撃性を作る。あれが唯一無二に見えるかもしれない。でもあれは唯一無二に見えて、あのフォーマットだと呼ばれている、実は唯一無二ではないんですね。
そう。 だと思う。1投稿目から大バズを作ることが正解か。
まあ嬉しいでしょう。 ただ、器を超えたフォロワードバズは間違いなく発信者としての帰りを作り出す。
と思うし、なんかいろんなものにとって、例えば僕の言っている唯一無二のアカウント設計の作り方。
過去を深掘って、未来を決めて、理想の理念を作って、ポジショニングを決めて、現在の価値観を作って、自分の見られ方を決定していく。
という、型みたいなものは確かにあるが、僕は今教えている人にその型通りに教えているかというと、そうではない。
素直に、と思っているんですね。 それぐらい移りゆくものであるし、
なんかこれが正しくて、これが間違っていて、みたいな。
うん。っていう、なんかそういう善悪の判断やったりとか、なんか絶対の正解値ってのはない。
から、皆様自身が歩んで、皆様自身が考えて、皆様自身が迷って、迷って迷って、悩んで、
つまづいて、それでもまた考えて、で、汗水垂らして絞り出した、その未来の一筋の、なんかその道っていう、でも誰もやってない。
誰も見たことがない。そんなルートってものが、あなただけが作れる本当の唯一無二の道なんじゃないかなと、
思います。 だから、
なんだろうね、誰かの正解を歩もうとしてしまうのではなく、自分だけの道、自分だけのルートってものを
大きく作っていくってのが大事なんじゃねえかなっていうことを伝えたいなというふうに思っています。
1投稿目にバズってしまうと、次の投稿がプレッシャーになって怖くなったり、ダメだと思ってしまったり、逆に病むことも往々にしてあるなと。
いや本当にそうですよ。めっちゃそうだと思う。 1投稿で1万フォロワーを超えるとかって、
あの、羨ましく感じるかもしれない。いいなって思うかもしれない。 けど、
あなたのこと何も知らないフォロワーがほとんどだし、 まあ想像してみてほしいんですね。いきなり明日、
いきなり明日ですよ。いきなり明日あなたはフォロワーが3万人を超えます。 ストーリーズも3000人から6000人ぐらいが見えます。
ってなった時に、あなたは何のストーリーズをあげますか? 怖くてあげられない人もいるでしょう。
うん、まあそういうことです。 それぐらい対立することもある。
だから大バズを作ることが正解ではない。これはずっと言い続けてますけどね。 バズることが正解なんじゃないと。
あなたの価値や感覚っていうものをちゃんと伝えて、 信じてくれるフォロワーが適切に増え続けることの方が
正解なんだよなって、急に思います。 今日の朝勝で同じような話してた。すごい。
俺朝勝何やってるか知らないのに同じ話になるっておもろいですね。 だからなんかこう
バズることが正解。稼げることが正解。早く伸びることが正解。 少ない投稿数で上手くいくことが正解。
大バズを起こして一投稿でフォロワー数が数万人にいくことが正解。 初めの方の投稿数でバズることが正解。
一案件で大きく稼げることが正解。本当に正解なのかって話なんですよ。 憧れるの気持ちもわかる。
羨ましくなる気持ちもわかる。 それが正しいと思う気持ちもわかる。
でもそれは本当に正解なのか? 本当に正しいのか?
わかんないですよね。 だし仮にそれが正しかったとしてもそれを皆さんが憧れて歩む必要があるかというと
そんな必要はないと僕は思っています。 インスタのスクールとかオンラインサロンとかこういう世界ではきっとそういう人が
価値観の再考
スーパースターとしてあがめられてその人がすごいと。 あがめ立てまつられてその人になれと。
その人を目指せと。 その人を作れと。その人のようになれと。ロールモデルはこの人だと。
いうふうにうまくいった。バズった。 すごくきれいなアカウントになってる。うまくいった。
その事例のその人をフォーカシングされやすい。 と思う。
でもそれが正解なのか? それが正しいのか?
それが本当にその人にしかない価値なのか? 違いますよね。
それは正解なのか?いや違いますよね。 っていうこと。
だから僕は自分だけの道、自分だけの正解、自分だけの正しさがあれば
いいんじゃねえかなって。 すごく思ったりする次第なんですね。
まあ本当にバズりたいと思うけど実際エラー起きてるよねってのは本当にそう。
本当にね想像以上にそういう人たちは多いですよ。 これ結構僕このボイシーでもそうだけ言い続けてきたけどやっぱりね
憧れちゃう気持ちはわかる。本当に。 でも本当にみんなエラーが起こる。
それぐらいね 自分が急にそれだけのフォロワーを抱えることって
なんだろうね 覚悟が必要というか器が追いつかないと
敗利するんで本当に。 自分なのに自分じゃないようになっちゃうので
それはきついなって思いますよ素直に。 コツコツ筋肉つけていく方がその先得るものも深みを違ってくると思います。
本当にそう。 早めにマネタイズを開始することが正義なのかそれも違うと思うし
早く稼げることが正解なのかそれも違うと思う。 別に
正解に見えるかもしれないけど別にその正解じゃない。 まあ間違いでもないと思うけどね。
自分自身の正解を探求する
あくまでもその人のそのルートだっただけって話で じゃあ何が正解なのか何が正しいのか
って何が正しいってのもないと思うんですよ。 善悪とか正しいとか間違ってるとか何かがすごい悪い
良いとかみたいな良い悪いとかの判断とか善悪とかそういうもの自体が そもそもないんじゃないかなと
思っていて。 だから
皆さんにとっての正解、皆さんにとっての正しい
皆さんにとっての 良いと言えること
にとことん追求してあげて とことん向き合ってあげるっていうのが
11月総括しておよび12月以降の皆様に向けて言える一つのメッセージなのかなっていう
ふうにしてほしい思いますね。 多面的に見るとどっちもあるし白黒だけでもない。
本当にそう思う。 だから良いんです。皆様なりの正解でいいじゃないですか。
成果報告とかでね、多分他の講座入っている方とか、どっかのそこに所属している方はどうせ来月の
月曜からみんなのあのマウント合戦が始まります。 3日間か4日間ぐらいかな。1週間ぐらいかな。
マウント合戦。 いくら稼げました。いくらバズりました。いくら伸びました。
とか、どういうふうに稼げました。
って言って、あがめ立てまつるような。で、周りからすごいと思われたいという承認欲求のような。
そんな成果報告があふれると思います。 うちの講座はそういうのさせない。それは所詮承認欲求と
その人たちの英語でしかないと思っているし、そこに価値はないと思っているから、 あとは何よりも僕の養分になっちゃうだけだと思ってるんですね。
よく言うんですけど。そこで良い成果とか良い言葉とか良い実績っていうのは、僕のストーリーズの養分になるだけじゃないですか。
それが何かやるせないからやめてますけど。 でも、だから皆様に伝えたいのは、そこですげーことを書くとか
そこで良い実績があることが偉くて、そういう場所で成果報告を書けないことが偉くない。
そういう場所で成果報告を堂々と書くことが正しいとか、 そこで上手くいってる人たちを見てこの人たちが正しいと思う
ということも別に正解じゃねえってことです。 別にそれが正しくて
書かない。上手くいってない自分が間違っている。 良くない。上手くいってない。そんなことはない。
数字の意味を見極める
別にいつどんな風になるかなんてわからない。 最後に僕からのそういう人たちに言えるメッセージは、僕は
大学を群馬大学教育学部数学専攻っていうところに行きました。 ありがたいことに志望校の
大学に行かせてもらったんですけど、僕は1週間前の 本当に最後の模試って言われるやつですね。
センター試験前の最後の試験と呼ばれるものまで僕はずっとE判定でした。
残酷ですよね。判定的に言ったらA判定S判定とかランクまで出ていった。 E判定だったんですよ。
1週間前まで。周りから永遠とやめろと言われ続けて、でもそこを選びました。
で僕は本番の本番の最終で全体の1位を取りました。 センター試験。
全体の1位です。 結局
何があるかわかんないんですよ。 そのタイミングでその瞬間がそこで強い実績がある人が正解に見えるだけで
それが正しいとは限らない。 そこで出る判決やそこで出る世界が正しいなってのはわからないと。
僕は思ってるので、いつ何がどう起きてどう変わるかなんて誰だってわかんないから 自分の正解を作るっていうのが
いいんじゃないかなっていうふうに思ってますね。 そんな成果報告の場だったら数字がないと価値がないとそれを思ってしまうし
脅迫観念的に捉えた発信が楽しいものではなくなってしまいそうです。 調子良い時悪い時
どれもあるからこそ数字に操られるのは心が疲れてしまいますよね。 そう本当にそう思います。
僕はそのさっき言った通り数学専攻ってところ言ってるので 僕は素直に数字は嘘をつかないと言うのは正しいと思ってます。
数字は嘘はつかないんだけど数字はいくらでも嘘を作れると思ってます。
数字は嘘をつかないんだけど数字はいくらでも嘘の感情を作り出せるので気をつけた方がいいと思います。
数学の苦手な皆さんなら。 数学得意な人とかはねこの数字のマジックってものすごくわかりやすく出るんですけど
うんそう っていうこと。結局例えば
私の〇〇の投稿が300万再生いきました嬉しいです って言っているとしても300万再生という数字は確かに嘘をついてないんだけど
どういう条件でどんな投稿をして300万再生なのかの方がはるかに大事なわけですね。
どんな計算式で300万再生にいったかの方が圧倒的に大事なんだけど、でもみんな好きなのは300万再生いったって事実なんですね。
これが数字は嘘をつかないけど数字はいくらでも人を騙すことができるという事象です。
前提条件が大事なんですよ。どの計算式で300万にいったのかの方が大事なんです。
どんな投稿をしてどんなコンテンツでどんな方なことがあって300万いったのか。
でもみなさんが好きなのは300万再生。こんな感じですよ。数字は嘘をつく。数字は嘘はつかないけど、いくらでも人を騙してくれたらこういう感じなんで、お気をつけいただければいいんじゃないかなっていうのが最後のちょっとしたメッセージでございます。
まあ是非ね、数字に縛られず誰かの正解を歩み回す自分なりの正解に行ってみたらいかがでしょうかというメッセージでございました。