1. SNSで"教育の未来を作る"ラジオ
  2. 母の日なので感謝を伝えます
2025-05-11 1:17:09

母の日なので感謝を伝えます

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確かに数学の教員免許を持っているし
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サマリー

母の日に感謝の気持ちを伝えるこのエピソードでは、Sotaが母親との関係について語り、母親がどのように彼のキャリアや価値観に影響を与えたかを振り返ります。特に、母親が教育業界に対して持つ反発心や、一緒に仕事をすることで築かれた特別な親子関係について述べられています。 このエピソードでは、母親との思い出や母の日への感謝の気持ちが語られます。特に小学生の頃の放置されていた経験や、祖父母による育てられ方について触れ、両親の仕事が与えた影響を思い出します。 母の日を迎え、子供が親への感謝を深く考える様子が描かれます。中学校と高校での親の職業や家族の出来事を通じて、親に対する理解が育まれていきます。 母の日に感謝の気持ちを表すエピソードでは、親への感謝と大学進学の決意が語られます。また、群馬大学教育学部での経験や母親との絆が強調されています。 このエピソードでは、大学生活や自立の過程を振り返り、親との関係や楽しい思い出が語られます。特に、母の日に感謝の意を表しながら、教員という職業への理解が深まる様子が描かれています。 母の日に感謝の気持ちを伝えるエピソードでは、教育の現状や家庭の歴史が語られ、特に母親への尊敬が強調されています。教育界における親の影響や自身の育った環境がどのように思考形成に寄与したかについても触れられています。 母の日に感謝を伝えるエピソードでは、両親に対する尊敬や愛情、特に母親の教育者としての姿勢が語られています。子育ての中で得た教訓や両親の影響が自らの成長にどのように寄与しているかが述べられています。 母の日に感謝の気持ちを伝える中で、教育や子育てに関する経験を振り返り、親から学んだ価値について語ります。特に、母親に対する感謝と尊敬の念が強調され、教育と人生のルーツがどのように結びついているかを深く掘り下げます。

感謝を伝える母の日
毎度ちょっと準備に時間がかかり申し訳ないです。
皆さんおはようございます。おはようございます。こんばんは。
本日は母の日ということですので、ライブの方に母も来ていますが、
1年に1回の感謝を伝える日ということで、
親孝行という面として返せることは返していくのが
旅行とかそういう形ではなくて、
形もちゃんと渡すんですけど、後でね。
一応思いとしてちゃんと残そうということで、
去年も確か母の日にはこの場で何かお伝えをしたって記憶があるので、
今日はコメント返信とかもせずに、改めて、
親子関係みたいなところ、お前らよくね?みたいなことをよく言われたりとか、
仲良さそうだよね?みたいなことを言われるので、
そうなった経緯とか、自分なりの思いとか、
そこについて今日はお話しできればと思いますので、
よければ聞いていってください。よろしくお願いします。
母との独特な関係
じゃあ録音開始してやっていきます。
どうも、Sotaです。
このチャンネルではフォロワー数1万人以上、
たくさん配出するステップというコースを運営したり、
フォロワー数1万、5万、10万、そして20万人を超えるような
インフルエンサーのマネタイズのサポートを行うエスロードを運営したり、
メンズ美容サロンのフランチャイズオーナーとして、
僕にしかできないような一時情報のみを
厳選してアートフットディスクラジオとなっております。
皆さんが知って本当に良かったって思う情報のみを
厳選してお届けしてまいりますので、
よければフォローのほどよろしくお願いいたします。
Sotaの伊沢大学は概要欄からチェック。
ということで、本日5月11日は母の日ということで、
1年に1回の母に感謝を伝える日ということですので、
このボギシーという場をお借りして、
1放送分として感謝をお伝えしようかなというふうに思います。
1年に1回の定期の話ですから、
親孝行というほどのものはね、
僕は普通にめちゃくちゃ返せるわけではないですが、
話として、ネタとして返すことで、
僕と母の謎の親子関係とかがね、
参考になるという人もいるかもしれへんので、
そこについてだったりとかちょっとね、
あればいいかなというところがありますので、
本日もよろしくお願いします。
なので、今日はコメント返信なしで
直接本題の方に入っていきます。
よろしくお願いします。
ということで、母の日、
1年に1回の母に感謝を伝える日ということで、
1放送分として感謝をお伝えしようかなというふうに思います。
ということで、母の日、
1年に1回の母に感謝を伝える日ということで、
1年に1回の母に感謝をお伝えしようかなというふうに思います。
なので、改めていつもありがとうございますということですね。
なので、改めていつもありがとうございますということですね。
はい、今となってはですね、
会社の部分のちょっと経理部分だったりとか、
そういうのを任せたりとか、
少しずつ手伝ってもらえる面は
手伝ってもらいながら色々進めたりとか、
あとはね、実際の僕の運営している講座ですね、
ステップとSロードってそれぞれありますけど、
ステップとSロードってそれぞれありますけど、
そっちの講座って中での一種のムードメーカー的な、
一種のシンボル的な立ち位置として、
一種のシンボル的な立ち位置として
なんか過去を不快にうちの親が来ないと
え、来てないんですか?みたいな
いう風になるぐらいの
なんか
ヌックがコンサルをしてる時間の時に
コンサルじゃないゾーンで昔の子育てとか今の教育論を話してくれるっていう
もう一つのちゃんと一つのムードメーカー
象徴的存在として今はね
動いていただいたりもしてるので
まあ僕の講座運営というところでは
なくてもならない存在ですし
純粋にこう会社としても
一つ大きな部分を任せしている面があるので
まあ今でもね
だからこそなんですけど
まあそういう仕事というか
一緒に働くっていう面でも
関わったりとかしてるから
ぶっちゃけですね
まあ普通の親子関係とはまた一種
ちょっと別のご縁があるみたいなところは
まあレアかもしれないですね
例えば何だろうな
普通本来だったら寄生するとか
実家に帰るって
親に顔を見せるとか
なんか親と顔を合わせる機会がほとんどないから
まあ今元気かどうかを確かめる
LINEもロックにしないから
元気かどうかを確かめるために
まあねお盆とかお正月とか帰って
顔を合わせますみたいなことが多いと思うんですけど
まあうちの場合はですね
そもそも親が東京で散歩をするのが好きというね
まあ母と父両方とも東京に来て
あのクソ田舎群馬から東京に来て
歩き回るのが好きってことで
定期的に東京来るんで
まあそれで時間が合わない時が多いですけど
会えば顔を合わせたりしてるんで
そもそも顔を合わせますと
まあオフ会があればオフ会で顔を合わせる機会もありますと
っていう感じだから
まあ言うてなんですよね
言うて別になんかその顔合わせなさすぎて
あの今俺が何やってるか知らないなんてことはないと
それとこれこんだけ毎日発信してしまってるので
僕が今現状どんな感じかっていうのは
セキュララにバレてるということですので
まあまあまあそういう面もあって
まあわざわざ規制する必要ってのも
本当にもうほとんど僕には必要ないんですね
母の教育に対する姿勢
そうぶっちゃけだから
まあこれから正月
まあ正月はね戻らないとおばあちゃんに怒られるからな
はいあのまあそこは考えもんですけど
お盆とかはねバーサル買えなくてもいいかな
とか思っちゃうぐらい
まあある意味こう仕事っていう方に
せん振りできている
一つのこともあったりしますと
まああの何やともはですね
本当にあのこうして今の会社をなんとかね
やれてるのも一つ大きな要因として
母の存在っていうのはあるので
まあ改めて感謝ですね
本当にいつもありがとうございますと
はいでまあ僕にとって
母っていうのはなんだろうな
今は仕事としても重要なピースとしてもそうですけど
そもそもですね
いつもよく言ってるんですけど
僕としては尊敬の対象なんですね
そうなんか自分こんだけこう偉そうに教育学とか
なんかこうインスタ業界というものに溢れる
この謎の祖母というか違和感みたいなものに対して
まあアンチテーゼを唱えていく
まあいわゆるその唯一無二みたいなところとか
まあなんかそういうところで
まあ世の中でずっとされているものに対して
歯向かってアンチテーゼを唱えていくっていうこと
こういうものっていう状態にしてくれてるのって
まりに母親の背中があったからなとは思うんですね
よくこういう場でちょこちょこ話題に出したりしますが
まあうちの母はとにかくですね
既得権益に対してめちゃくちゃな反発心を持っている
ってタイプだったんですよ
もともと今の教育業界がダメだとか
教育委員会がクソだみたいな
そういうものをもともとめちゃくちゃ持っている人だったと
特に女性の働き方っていうところですよね
会社も男尊女卑みたいなことは
昔あったと思います
当然ね男尊女卑で
まあ今はだいぶそれがなくなってきて
まあちょっとバランスが取れてきたっていうのは
あると思いますけど
教員の世界の男尊女卑のレベル感ってのは
半端なかったわけですよ
まあいろんな意味で平等層に見えて
そこに対してもっと女性が権益を持つ
女性校長っていうのが少ないのも
一個の原因だと思うんですよね
それもいい事例だと思うんですよ
っていうところが既得権益への反発心ってところから
教頭やって校長先生やって
で校長になったら教育委員会に歯向かって
自分の子が学校だけ違うこと知らすみたいな
そんなことすらやっていたようなタイプだから
まあそんな背中を見て育ってきたタイプなんですね
僕は
だからアリンによく言われるのは
性格弁とかやろうとしてる
そういう何かにやりきっちゃう姿とか
そっくりっぽいんですけど
だからアリンに僕の今の
何だろうな
インスタ業界とかに対する違和感だったりとか
そこの既得権益に対して
容赦なく反発していく
これはどうなん
そもそもおかしくねみたいな感じで
自分なりの考えや思いっていうのを
容赦なくぶつけていくっていう
このアンチテイズ性みたいなもの
こういうのは結構親譲りなんじゃないかな
とは思ったりもします
まあ本当にそれぐらい
母親がやってたことって
すげーことだなって
今別に学校の先生を知ったわけではないですよ
知ったわけではないけど
まあいろいろこう見ていく世界の中で
やってたことって
結構すげーことやってたんだなっていうのは
改めてすごい感じますね
まあなんかその大学生の時は
塾講師のバイトしながら
もう1個のバイトが
学校の先生の副担任のワルバイトをしていたので
生徒指導員っていう役割ですけど
事実上数学の先生の副担です
完全に
サポートとか5時間6時間とかをね
授業一緒に回って
各学年の授業回って
手伝ってたんでガチで
とかそういうことしてきた人間なので
まあ学校っていうもの
そして職員室っていうこの闇
職員室の闇の雰囲気というか
あとはなんかその
金だけもらってる公務員の
ドロドロした部分とか
人間関係のヤバさとか
隠室ないじめ関係構造とか
そういう人間関係の
気持ち悪さみたいなものも
まざまざと
別に長くいたわけじゃないけど
1年ぐらい見てしまった
っていう中もあります僕は
あんなのを40年間以上見てきて
そこに対して反発したんだなって考えると
すげえなって改めて思ったりもします
僕は耐えらんですね
あの職員室のあの雰囲気って
ヤバすぎますね
僕の同期とかがよく耐えられてるなって
改めて思ってますけど
みたいなそういう世界線で
生きてきてる
生きたと
でそこから実際に
教頭校長ってのをやって
そして今どういうわけか
なぜか僕の会社の手伝いを
してくれているという
すごいキャリア形成になってますけど
だからこそ
そんな姿を見てきたからこそ
今のね僕があるとは思ってます
でよく多くの人が言ってることとして
なんかあるのが
僕みたいな子供って
どうやったら育つんですか
みたいなこと
うちの母に聞いたりとか
どんな子育てをしてきたんですか
みたいなことって
よく言われるわけですね
で僕が子供目線として
感じていたことですね
これをこういう日だからね
実際息子さんとかいらっしゃる方とか
多いと思うので
僕が小学校の頃から
中学高校と
そして大学今と
どう自分は感じていたのかってことを
今振り返って考えてみようかなって
思います
まず小学生の頃ですね
幼稚園の頃の記憶はあんましないです
0歳から途中まで
0歳から3歳後半ぐらいだっけ
4歳前ぐらいまでは中国にいたので
中国の日本人学校に
中国の天心ってところに住んでいたので
ぶっちゃけその頃の記憶は
もうほぼ皆無です
1回だけハッピーハロウィンみたいな
ハロウィンの時に
幼少期の記憶
自分の母親の頭が
かぼちゃかぶって出てきた時に
大泣きしたっていう
この記憶だけは
なぜか自分の記憶に強烈に残っていて
そのシーンだけ中国の記憶があります
なぜかそのシーンと
最終日に車で出て行くシーンだけは
記憶にあるんですけど
それ以外の中国の細かい記憶は
マジ1ミリも無いです
すいません欠片も無いです
4歳ぐらいまで僕は分からないです
記憶がマジで無い
どうやって中国語も喋ってたらしいし
日本語も同時もいじまじって喋ってたらしいけど
どうなってたかもよく分からない
幼稚園の記憶もあんましないんですよ
ぶっちゃけ
めっちゃあるかというとそんなない
なんかマラソン大会とかは
早かったなぐらいですね
運動会とか
何したかってよく覚えてない
ってのがぶっちゃけなところです
あと延長生生の中で言うか
そのぐらいじゃないですかね
でしたと
小学校小学生ですね
小学校1年から6年
小学校の時の低学年の時に
僕は感じていたのは
多分純粋な寂しさだったと思います
あの当時は
多分ですね
皆さんが想像している100倍ぐらい
僕は放置されて育ってきてます
皆さんの想像の100倍ぐらい
放置されてきてます
親聞いてるまで言うことか
って思うかもしれないけど
事実として多分
普通の家庭からしたら
お前ほぼ放置だろっていう
育てられ方を
特に低学年の頃はしていた
と思います僕は正直ね
だってそうですね
小学校1年2年3年の頃から
学童に入れられていたので
基本的に僕は学童暮らしでした
学童にボーンって
放り込まれてる状態で
学童で父母が迎えに来るけど
ほぼ最後でしたからね
学童の中で
最終争いみたいな
そうもう残り2人か
僕1人かみたいな
夜早くて
7時半から8時ぐらい
じゃなかったですかね
多分早くても
どんだけ早くても
7時はこうやってたと思うので
そりゃそうですよね
父母双方とも中学の先生で
特に僕の小学校時代なんて
うちの父と母が
最も熱が入る部活に
所属していた時だったんで
部活動命の2000年代前半ですから
2000年代後半
2000年後半ぐらいの
部活動第一みたいな時に
母吹奏楽
父ソフトボールみたいな
ガチガチのね
お互い県の中でも
ちょっと名を馳せてる
みたいなタイプやったから
遅くなって当然やみたいな感じで
全然迎えこないみたいな
ゲームとかいろいろしたいけど
できないとか
土日もいないんですよ
土日いないです
土日だって部活だから
土日も部活でいないでしょ
基本朝早くいなくなるでしょ
学校行く時も
僕が一番ラストでしたね
学校に行くのラストでしたね
基本的に親のお見送りなんて
長かったですし
親の方が先に出てくる
7時ぐらいになると
二人ともいなくなってる
みたいな感じだったんで
自分で出てくるみたいな感じでした
母方の父母
母方のいわゆる祖父祖母ですね
に週一月曜日の週一で
学童に行かずに月曜日だけは
その時だけは低学年の頃は
サッカーに行ってました
群馬県の隣町に
祖父祖母が住んでたんですけど
そこで週一でサッカーやってましたね
低学年の頃はサッカー
サッカーで一応キャプテンやってたんかな
その当時は
みたいな感じでしてました
僕結構小学校時代は
親に育てられたというよりかは
そのおじいちゃんおばあちゃんに
育てられた感が半端ないです
実際に高学年の話もしますけど
その頃はもう
自分の父方のおばあちゃんに
大反抗期みたいなパターンのタイプだったんで
だから小学校の頃は
低学年の頃はそうですね
特にそっちの母方の
おじいちゃんおばあちゃんに
すごくよく育ててもらったな
っていう印象があります
だからおじいちゃんはなくなっちゃったんですけど
めっちゃ悲しかったですね
なんか遠く離れてたって感じじゃなくて
めちゃくちゃお世話になってた
みたいな感じなんで
僕たまにこうやって関西弁が出たりすると思うんですけど
それは多分完全にそっちの家系のせいです
ちっちゃい頃から
あとあんまし日本語っていうものを覚えたのが
低学年の生まれからすぐの時とかは
中国語と日本語が入り混じってたんで
その後から日本語っていうので
その時にそっちのおじいちゃんおばあちゃんに
よく見てもらったから
多分そっちが定着してるんやろうな
みたいな風に思うんですけど
みたいな感じでした
なので僕の低学年の印象としては
俺って本当に育てられてるのレベルで
半分以上放置だったような記憶があります
一緒にいる時間は夜寝る時みたいな
小学校時代の反抗心
夜寝る時朝超早いみたいな
そんな感じの生活でしたね
懐かしい
そしたら小学校高学年の方に
移行していくわけです
小学校高学年の方になってくると
いよいよですね学童が嫌いになります
なんで俺らは
なんで俺はこんな時間にゲームをできずに
なんでこんなところに閉じこめられなきゃいけないんだ
ふざけんじゃねえみたいになりまして
俺は家に帰りてんだと
友達と家で遊びてんだごらん
みたいな感じの反発心で
確か小学校5年生あたりで学童を辞めます
確かそっから足枷が外れた
僕は大暴走して
ゲームをマジで死ぬほどしまくるみたいな
パターンを送ったタイプですね
野球をサッカーを辞めて
野球を始め
野球でレギュラーとかなかなか取れずに
ちょっとカーストの下に行っちゃって
ちょっといじめっぽいのを受けたりとかしましたけど
最後はレギュラーだったけど
それでもカースト制度をしたいって言ったなって
あの時はそういうの分からず
なんでこうなるみたいな
でも友達として遊んでくれるみたいな
なんやねんその飴と鞭みたいな
謎な現象を繰り返しながらやってましたね
その時から多少ね
ちっちゃい頃の悲しさってよりかは
そうやってゲームがあれば
なんでもOKみたいな時間が生まれ始め
家族とはね
テレビをよく見る
テレビっ子みたいな感じな
よくいる子供になったのかなと
それでも親の帰ってくる時間は
相変わらず死ぬほど遅いとか
もっと遅くなった気がしますね
なんでまあとにかく接する時間ってのは
めちゃくちゃ短かったような記憶があります
ただ親との対談動画とかでも
たまに出てますけど
まあそういうゲームとか含めて
こう買ってもらう時とか
っていうのはすごい何々ができたらとか
すごい条件だったりとか
すごい節約的な思考だったりとか
ある程度の自由度制限みたいなものは
ちゃんとやられながら
その限られた時間での子育てみたいなところを
最大化されていたなあっていう感じです
小学校高学年の頃から
祖父祖母もそうやし
家にいる父方の祖母の方への反骨心も
反抗期と呼ばれるものですね
が激通になりますと
自分は両親に対して
反抗期がなく
祖父祖母そっちはそんななかったか
特に実家にいる祖母への反抗期
っていうのが半端な激通だった
みたいなキャラですね
めちゃくちゃ反発しました
今はそういうのも
一周回ってないですけど
当時はもうめちゃくちゃ嫌いでしたね
なんやねんっていう感じですけど
まあ何言っても通じないんで
ダメだこれみたいな感じになってた
記憶があります
っていう感じかな
あとはね
父と母っていうのに
反抗しようという気すら起きなかったんですよね
一つあったのは
なんでかっていうと
父と母ってね
うちの母親とかを見たことある
講座生の方々って
結構何人かいると思うんですけど
まああんなおちゃらけたキャラで
フワフワやってますけど
あの人一応県の中で有名なんですよね
地味に
地味に県の教員の中で有名だし
父親なんて
群馬県の先生の中で
切れさせたら一番危なっかしい人
みたいなので
なんか流し入れてるっていうのが
噂に入ってくるような人だったんで
絶対反抗しちゃダメじゃんみたいな
そんな感じだったんですよ
なのでなんかしたくても
できないみたいな
絶対この人怒らせちゃダメだっていうのが
なんかねずっとね
小学校高学年の頃からあったんですよね
この両親を切れさせたら
俺は死ぬ
多分死ぬんだなって思ってたんで
なので今もどの道喧嘩することもなく
ほとんど喧嘩なんかしたことないですね
っていうまま来たって感じです
親の働きと理解
まあ喧嘩したのはピアノぐらいか
幼稚園の頃からピアノを習ってたんで
ちょうどその高学年の小4か小5ぐらいで
ピアノは辞めました
なのでピアノ歴5、6年ぐらいですかね
みたいな感じでした
小学校高学年の頃の印象としては
多少親の働きを理解というか
諦めに入りましたからね
低学年の頃は寂しさだったと思う
寂しさとなんかかまってくれてないか
みたいなので育って
高学年の時に悟るみたいな感じですね
あ、学校の先生ってこういうもんなんだ
みたいな
だからどうやらなんか
小学校の担任の先生とかに
遅いんでしょみたいなことをよく言っていた
みたいな歴史があるぐらい
みたいな感じで一周回りました
っていう小学校時代でしたね
なので皆さんのお子さんとか
小学生の方々って
結構多かったりするなって
僕勝手な印象があるんですけど
小学生の頃僕は多分
最も構われてないですね
てかだいぶ放置された記憶があります
今のまだ俺の親大丈夫?
みたいな感じになりそうですけど
それでもちゃんと一緒にいた時間は
しっかりやってくれたっていうのは
あったなっていう印象ありますし
特に野球の頃は
野球の時とかはね
試合とかの時とかはね
積極的に来てくれたりとか
あとは家でバーベキューやったりとかね
でそこで一緒に
家みんな近いんで
バーベキューで一緒に集まったりとか
親が家にいる時とかはね
今となっては
ガチで申し訳なかったなって思うけど
両親が休日として家にいる時って
激レアなわけですよ
そういう働き方してるから
部活で土日も潰れるわ
平日は働いてるわで
なのに土日に親が家にいる時に
友達を呼んで遊ぶっていうね
今更だから
クソ迷惑なことやっていたなって思いますけど
そういうこともやらせてもらってたので
色々悟って
もうそっかっていう感じで
親ってこんなもんだよなって
たっかんした気が
小学校高学年だったなっていうふうに思います
続いて中学校時代に入ります
中学校時代は
野球っていうのの奴らと
一緒になりたくなかったので
バドミントンを将棋法で選びました
バドミントンが好きで
中学校の頃の思い出
バドミントンを選んだんじゃなくて
野球を活用できて
一緒にいる奴らが仲良くて
かつ俺強くなれそうな部ってなんだ?
っていうので選んだのがバドだった
っていうだけなんですよね
それが結果こんなにもバドミントン好きに
育ったわけですから
人生何があるか分かんないなと思いますけど
バドミントン部を選びました
で中学校の時からですね
僕の人格形成
アイデンティティの確立ってのが
ちょっとずつ起こっていく気かなと思います
中学の時は
学級崩壊ももちろん見ましたし
担任の先生が処人の先生で
学級崩壊するっていうね
もう同情しかしないですよ今だったら
あんなやべえ奴らを
どうやってまとめるねみたいな
その中学も昔悪で有名だったんですけど
その歴史上の中でも
最大の悪クラスみたいな
レベルだったので
まあやべえなみたいなのも見てきたし
あとはいよいよ部活
そして両親の働いている
職業の世界に来て
部活というのを見て
両親の仕事や働き方を
ちょっとずつ知ったりしていきます
実際に僕が中2中3の時に
なんと僕の父親がですね
バドミントン部の顧問になるんですよ
しかも男子
なので実際に練習試合に行って
まさかの敵中学校の顧問で
自分の父親がいるってことを
僕は1回経験しました
面白いですね
大会に普通に父親がいるんですよ
実際のスタッフとして
なんとも複雑な感情ですよね
向こうの中学のトップのやつとかと
ナンバー2のやつがいたんですけど
そいつとはまさかの大学で再会する
っていう面白いオチもあったりとか
いろいろあるんですけど
楽しかったですね
自分の父親っていうものを
学校の先生としての父親を見るっていうのは
また違った感情が湧くなっていうのを
感じた中学期でした
この頃からもう親のことを
だいたい把握して全てを悟ってます
学校の先生ってやばい職業だよねっていう
純粋なここを悟ります
ここを悟り
ある程度の自律性を持ってます
なので何か過干渉みたいなことは
お互い様にないみたいな感じですね
会える時に会えるじゃんみたいな感じ
あと母親がいよいよ足がやばかったんで
手術とかしたりとかしましたからね
今となってあんな歩いてますけど
あの人は足の腫瘍がやばすぎて
一時期歩けなくなるというか
足エシしてたみたいなタイプの人なんで
よくも今あんだけ1日何万本歩いてるなって
マジで思います
奇跡としか言いようがないですね
みたいなので
初めて家族という人が手術で入院して
家にマジで帰ってこないなどを経験します
ゆうてですよ
自分の両親が修学旅行で
2泊3日ぐらい帰ってこねえとか
1泊2日で両親が家にいないなんてことは
全然経験してきたことありました
ぶっちゃけね
それ自体も皆様からしたら
結構衝撃的かもしれないですよ
普通に自分の両親が
普通に家に帰ってこないんですよ
今から修学旅行2泊1回行ってくるわとか言って
いないっていう
結構これは別に僕からしたら
特段すごいイベントでもなかったから
どっちか片方が家にいない
もしくはとてつもない運が重なると
両方家にいないなんてザラでした
とかあとは両親とも飲み会
それぞれ別の飲み会行って
2人とも12時過ぎに帰ってくるみたいな
小学校の時にですよ
自分1人で家に残されて
1人でずっと家にいて
12時ぐらいに両親帰ってくるとか
結構ザラにあったみたいなタイプですけど
まあでも修学の時にそうやって
母親がガチで手術で
1週間いなくなる時に
やべえ親って本当にいなくなるかもしれないな
っていう風にガチで思ったっていうのが
1回ありますね
結構今も強烈な記憶で
残ってるエピソードの1個です
親っていなくなる可能性あるんやな
みたいな風に感じたことの1個でしたね
まあでもそんななんだろうな
もうその頃からはもうすでに
親っていうものは忙しい職業だなってもう分かってたし
まあそれとまざまざとなんだろうな
その職業の世界で映ってしまったので
実際に例えば
自分の両親の教え子が
僕の担任になるだったりとか
そこに行く人が僕の両親と
これまで働いていただったりとか
その去年4月から去年まで
一緒の学校で働いてた人が移動してきた
とかみたいなのを
ざらに味わうようになります
中学に僕の行っている中学では
面白いですよね
行った職場で
あ、〇〇先生の息子さんか
みたいな感じになるっていうのを
すごく味わって
なんかちょっとはすげえ
やっぱうちの両親ってすげえんだ
みたいなのもちょっと実感したりします
あとはちょっと意気揚々として
気分になったりとか
これかバックナンバーだ
これかとかのバックナンバーを知ったのも
その中学校の頃ですね
中学1年の頃清水よりとかいう人が
どうやら全国大会で
陸上に行っていたらしいっていうのと
そんな人が高根の花子さんというのを
出したらしいって
なんか堂々と職人妻に貼ってあったんで
誰だよこいつらって
マジで思ってましたあの時
2012年くらいの話ですよ
誰やねんこの人たちみたいな思ってた
けどそれがまさかの気づいたらね
今やブルーアンバーなんて
社会現象を巻き起こすかのようなものやったり
クリスマスソングとかで
クリスマスの代名詞とかになるとは
一ミリも思わなかったです
あの当時本当に
なんだこのヒゲボサボサの
だって高根の花子さんの
表紙見てくださいよ
誰やねんこのおっさんみたいな感じで
なのになぜか陸上部の全国大会の所で
清水よりって書いてあるんですよ
なんやねんこの人みたいな感じだったけど
高根の花子さんいい曲やなみたいな感じでした
で実際の合唱コンクールとかで
歌うホールにバックナンバーが来るとか
当時あったんですよ
まだそれぐらいまだマイナーバンド
メジャーデビューしたけど
ちょうどマイナーだったみたいな感じなんで
そう様々な家庭の関係ありますね
そうみたいな
そんな感じでいた頃ですね
懐かしいという中学校期
なので中学校の頃に親という職業を
全く別の形で
ものすごく理解するということになります
そうここが親への理解
親への理解期っていうね
高校での感謝の形成
だから遅くなっちゃうのはしょうがねんだ
とか親が忙しいのって
こんな語り方してるんだから
そりゃそうだみたいな納得だわって言って
なんかよくある
親が何してるか分からないから
子供はすごいわめくとか
なんかねみたいなものとかを
色々と悟るっていう期が
ちょうど中学校の頃だったなって思います
そして高校が感謝と
感謝と威厳の期っていうふうに
僕は呼んでるんですけど
高校時代の親がね
僕が部員が全員辞めそうになった時に
裏で動いてくれたってエピソードやったりとか
とかあとは僕自身がね
学校の先生というものを
目指すというか
こんなクソ忙しい職業の世界を生み出す学部って
何なのかを知りてえとか言って
教育学に行くみたいなきっかけになったのが
この高校ですけど
この高校は本当に感謝と尊敬の形成かな
っていうふうに思っています
いよいよですね
僕のアイデンティティっていうのも
ある程度確立されて
酸いも甘いも色々経験する気になりましてですね
ここでいよいよ母親が
教頭とか校長の世界に入り出します
っていうか多分確か中学校の途中ぐらいから
教頭試験とか受けて教頭先生だったかな
異次元なぐらい早く出てって
異次元なぐらい遅く帰ってくる人になります
うちの母が
朝6時半ぐらいにはもう家出てたんですよね
誰よりも早く行って
鍵を開けなきゃいけないから
朝6時半には多分いなかった
6時半にはいなくて
家に帰ってくるのは
9時半とか10時みたいな
ブラック企業にも程がありますよね
そうっていう形で
まあいよいよですね
母親がとてつもなく忙しくなる
なのに毎朝お弁当を作ってくれている
ということに出会います
朝5時とかの前に起きて
親がお弁当を作ってくれているっていう姿と
両親が最も忙しい日っていうのに味わい
毎回作ってくれて
それへの感謝っていうので
本当に純粋になんだろうな
うちの母のエピソードで
多分僕が毎回
ごちそうさまでしたって
必ず言ってお弁当を置くとか
途中から洗い物は必ず僕がやってたとか
最後の日には
全部ちゃんとお礼を伝えて
これまで3年間ありがとうって言った
って言ったと思うんですけど
もう言うに決まってるよ
みたいな姿を見ていたんですよ
僕も割と朝早く
当時5時半とかに起きてたんで
結構早くから起きてるのに
めちゃくちゃ前から起きてるんですよ
っていう姿とかを見て
しかも作ってもらってるみたいなんで
感謝する以外の感情が出てこないような
姿をずっと見てたんですね
こんな超絶忙しい
教頭なんて想像しなくたって忙しいの
わかるじゃないですか
教員の世界を知ってしまった
ちょっとだけ触れてしまったので
そういう中学の世界でね
超絶忙しいよみたいな
分かってるのに毎日作ってくれてたんですよ
しかも結構ちゃんと
ってのを見た時に
いや感謝もしないやつって
マジでクソだなみたいな
そういう風にガチで思ってたので
なのでずっと感謝を伝えるみたいな
必ずご馳走様は言おうっていう風に
その時に決めたんですよね
途中から本当に帰ってくるのが
僕の部活終了と一緒みたいな
パターンが多かったんですよ
だからよく駅まで迎えに来てもらったりしました
学校の帰りだから
ちょうどいいから迎えに行くよみたいな
そう自転車はその駅に置いといて
みたいな感じとか
本当に僕部活動
バドミントン部の部長やってたんですけど
マジでその高校の部活の中で
一番やってた部活なんですよ
夜9時とか過ぎまで普通にやってるって
この野球部と同じぐらいみたいな
野球部のライトと
バドミントン部の体育館が
ついてるかみたいな感じだったんですよ
それは部活自体はいつも7時に終わらせたんですけど
居残り伝みたいな感じで
顧問の先生がめちゃくちゃ僕の尊敬する一人なので
尊敬する先生の一人が
顧問の先生とずっと試合してるみたいな
ずっと勝負してるみたいなことをやってたので
バドミントンに来てましたね当時は
今更ですよ今更だ
今更思うのは
あの当時バイトをするって
経験をしても良かったなと思ってます
ちなみにですけど
週1回か2回ぐらいでもいいから
バイトをするって経験はしても良かったなと
今更だから思ったりします
うちの高校自称進学校だったせいで
ほとんどバイトしてる奴いなくて
みんな部活やってたんで
親への感謝
やろうと思っても難しいけど
この業界とかこの世界に来て
高校からバイトしてる人の話とか聞くと
その人生ってのも面白そうだなと思ったりしますね
ちょっと話ずれました
色々話したんですけど
それを通して高校でいよいよ
親への感謝っていうものが強くなります
こんなクソ忙しいのに
こんなやってくれて
本当に助かるのはすげーわ
なのに自分の辛い時には
救ってくれたりとか
あとはバドミントンで僕ガチ勢すぎたので
ガットが死ぬほどよく切れるんですね
早いと2日ぐらいで切れてましたガットが
ポンド数とか色々あるんですけど
あとはラケットの感覚
握りの触感とか感覚とか
ガットも種類があるんですよちゃんと
このガットのこのポンドの
この人にこういう風に作ってもらわないと
自分の当てた瞬間の気持ちよさから
その完全なるコントロールが効かないっていう
それをめっちゃ上手にやってくる人がいたんですよ
お世話になってた人が
その人の店とか行って
毎回やるみたいなのも送り迎えしてもらったりとか
色々やってもらってましたね
本当に感謝でした
大学進学の決意
なので高校生の頃に親への感謝と
そこから教頭と父親は普通に
そっからなんかものすごい既得権益を使って
めちゃくちゃ早く帰ってくるようになってましたけど
こんなヤバすぎる職業を生み出す学部
そもそもそんな教員って
どんな状態で大学行くんか
ヤバくねえかっていうのを思ったのと
尊敬する先生が2人とも数学の先生であったこと
と大学の消去法ですね
まず親に絶対迷惑をかけたくないっていう
思いが心の底からあったので
私立大学に行くっていうのは
選択肢にありませんでした当時は
絶対私立はねえと
ありえんという感じでしたね
私立で年間数百万親に払わせる
ありえない絶対嫌だって思って
国立しかありえないっていう風に
もう決めてました
東京に行くって選択肢も当時はなかったですね
なぜかっていうと今渋谷に住んでて
東京来いよとか言ってる人間ですけど
当時はまじ田舎の価値観に染まりきってるんで
いやいやいや東京なんてあんなヤバい場所
人が住む場所じゃねえよって
マジで思ってたんで
あんなところに行って大学に行って
なんか金髪になって
なんか遊んでるの全員ヤンキーだって
ガチで思ってたんであの頃
視野狭かったですね
東京なんてありえねえと本気で思ってました
じゃあとしたら国立大学としてあるのが
高崎経済大学っていうのと
群馬大学の一つなんですね
そうで高崎経済大学は興味なかったんですよ
高崎は面倒だと
行く気も大きいと
まあ論外
じゃあ群馬大学一択だってなったわけですね
国立大学群馬大学に行くっきゃねえと
ちなみに自称進学校のせいなんで
群馬大学に行けるなんて
上位1%いないぐらいの高校ですよ
ちなみにですけど
なのに群大一択だってなったわけですよ
その年でも僕含めて群大に行ったのが
たぶんね5人ぐらいかな
5人ぐらいで320人いるので
同学年320分の5ぐらいですね
ちなみに群大行けるのは
の中で知り合いが友達が3みたいな
同じクラスが3人いるっていう
だから結構超頭のいいクラスに
ありがたいこと言いたいんですけど
で群馬大学教育学部数学専攻ってところに
その行ってた自称進学校の高校が
まあ元々男子校と女子校があって
それが合併したみたいな感じなんですよ
合併して創立10周年記念
みたいな感じだったんですね
10年この10年の中で
僕が一応初めてです
でその群馬大学ってところの
教育学部に行くっていうのは
その創立以来初の人なんですよ
一応僕ってめちゃくちゃ祝福されました
なんでお前ほんと教育やってないの
っていうレベルで祝福されました
だって学校作ってから
まあいわゆるその公立高校で
県立か県立高校で
偏差値普通にめっちゃ進学校じゃない
自称っていうところで
行くところとしては
まあいかに群大ってところに
行かせるかってのが
まあ今のマーケティングだと
KPIなんですよ
大学からしたら
そこにどれほどすごい人たちが
行けるかっていうのが
めっちゃ見られてる中で
5教科科目のしかも一番難易度の高い
数学なんかで行けちゃったんですよ
僕まあ一応その群馬大学の中の
その各専攻っていう中の
偏差値の難易度で言ったら
一番数学が難しいです
一応ね
っていうのに行けちゃったんですよ
偏差値自称進学校ごとにの人間が
そうこれ奇跡なんですよね
よく一応言ってるんですけど
っていうのでめっちゃ祝福された
っていう経験があります
なんかこれはただの自慢話っぽく
なっちゃいますけど
母との絆
だからまあ一応僕の群大の
国立に行ったのって
なんかGマーチとか
あの早稲田とか
ぶっちゃけそのセンター式の点的に
言ったらそのセンターだけ出して
行けるってのあるじゃないですか
あれだったら普通にGマーチは
余裕で受かってました
別に行けました正直
それぐらいの点を
奇跡的に取れて行ってたんですけど
それで群大に行きますと
でもじゃあ群大に行けたっていう時に
なんで教育学部選んだかっていうと
さっき言った通り
まず親の職業を知りたかった
そして尊敬できる人が
数学の先生が2人だった
だから数学選んだみたいな
まあこういうのがオチがあります
あと他の学部に行きたくなかった
というのがありますね
群大の他の学部
まず理工学部遊べない
女の子と出会えない論外だ
ありえんバーンって弾いて
医学部無理行けるわけない
ダー無理みたいな
残るが教育学部と
社会情報学部って2つで
僕当時パソコンなんて
1ミリもいじれなかったし
僕パソコンいじるの大嫌いだったんで
今のお前が言うから楽しいですよね
ここら辺の話本当に
マジで1ミリもタイピングできないみたいな
情報の授業なんて
僕大嫌いでしたから高校の時
なんでこんなめんどくさいこと
やらなきゃいけないんだって
マジで思ってたタイプなんで
論外ってなって
教育学部の消去法だったんですよ
語教科の中で得意だけど
好きじゃない数学ってのかつ
尊敬できる人がいたから
数学選んだみたいな
おうちです
ていうので選びました
ていうので高校で
親への感謝っていうのを
素直に思ったのと
親への尊敬と感謝っていう念が
生まれたのがこのタイミングでしたね
こんだけバカみたいに長く働いて
ほとんど家にいないのに
毎朝ご飯
毎朝お弁当作ってくれるこの人って
すげえってマジで思ってました
ていうので母への
感謝っていうのが出ましたね
なのに送り迎えとかも
適宜にしてくれたり
一緒にラケットでガッと張って
借りに行ってくれたりとか
あとはもちろんね
練習試合だったら
僕ら電車で行きますよ
同じ県内でも
ぶっちゃけ東京行きより遠いような
高校って普通にあるんですよ
ふざけてんのかってくらい
遠いところあるんですね
皆さんからしたら群馬県って
高崎って言ったらさ
ああ高崎ね
皆さんの普通の標準語で
高崎?高崎?
わかんないけど
僕ら群馬弁だと前橋って言うけど
皆さんだと前橋ですよね
僕ら太田って言うけど
皆さんだと太田なんですよね
これちょっとむずいので
一旦僕群馬弁のまま
行っちゃってるんで
許してください
この辺は
太田から高崎行くって
距離感と電車の乗り換えの数見たら
こっちから東京側向かったら
区域は超えるんですよ
余裕で
区域どころか大宮とかまで
行けるんですね
ぶっちゃけ距離感的に言ったら
多分大宮よりもっと先まで行ける
ほぼ東京行けるんですよ
ってくらい遠い
みたいなとこ練習試合行くとかあったんで
でも全部そういうのを含めての
特に練習試合は
全然送り迎えとかほとんどなかったけど
大会とかで前橋に行く
太田から前橋行くってのも
僕大学の時になって実感したんですよ
片道35キロです
片道35あります
一番県で有名な群馬アリーナ
っていうのがあったんですけど
そこでの試合とかは
35キロかけて行きます
同じ県内ですよ
35キロですよ
バカなんて話ですよね
普通に埼玉側行ったら
マジで東京近くまで行けるんで
35回ったら
っていうぐらいの距離感のところに
行ったりしてました
で大学生になるわけですね
大学生で
親の職業の理解
そして真の自立っていうところに
行ったりするかなって感じですね
大学さっきやったとおり
群馬アリーナってところが
僕の通っていた大学のキャンパスの
徒歩2分のところにありますので
簡単に言うと僕は大学生時代
片道35キロかけて
旅をしていました
片道35キロです
バカですね
僕毎日70キロ運転しました
アホなみたいなところでしたね
あコメント来てる
ありがとうございます
数学嫌いで苦労しました
勉強嫌いですが子供が好きで
子供に携わる仕事がしたかったから
やるしかないと勉強しました
群馬弁私は大好き
友人は高崎で一度会いに行きました
よかったです
そうだからね
皆さんがね
太田とか前橋っていうのが
僕からすると
すげー違和感ですね
逆にそう太田
何それってなるんですよ
太田やろみたいな
前橋やろみたいな
自分の住んでる市のこと自体が
通常のイントネーションと違うし
県庁所在地も通常の
イントネーションと違うっていうね
謎すぎるやろって話ですけどね
っていうところでした
大学の話に戻りますが
大学になり
片道35キロをかけて
大学に帰ります
その大学は
母親が通っていた大学でもあります
僕の母親が群馬大学教育学部
音楽専攻ってところ出身でございます
そして僕は群馬大学教育学部
数学専攻ってところ出身ですので
学部は一緒なんですよ
完全に専攻が違うって言っても
それって何何かみたいなもんですから
専攻は一緒なんで
直属の先輩です
40ないぐらい
30何年先輩が
うちの母なんですよ
完全な直属の
キャンパスも全く一緒なので
全ての文化が一緒です
大学生活の振り返り
なので親が歩んだ大学の青春を
違った形で歩む
みたいな感じですね
父親は北海道の大学なんで
全然違うんですけど
っていう形になってました
ここの大学の世界に入って
いよいよ本当に
親の職業の完全なる理解と
そこから自立
真の自立ってところが起こってきます
大学生になり
完全なる自立をほぼ遂げていくわけです
平気で朝帰りはするわ
余裕で余裕で片道35区なんで
毎日行って帰ってこれっかって
話になってくるので
ザラに向こうであの夜サークルとかで
飲みさーとか飲み家とか飲みに行ってとかで
お酒飲んで帰ってこねーみたいな
今日も帰れないみたいな
何回送ったことかみたいな感じです
家に2日3日帰れないなんてザラみたいなね
そうとか春休みとかになったら
週7でスキーに行って
毎日違うメンバーとスキーに行くみたいな
とんでもない遊び方をしていた僕です
髪色も当時はシルバーとか入れてましたね
ブリーチハイブリーチ2回ぐらいして
銀髪入れたりとか
普通にブルーブラックとか茶髪とか
普通にやって
であのちょっとカジュアルなファッションとかを
えーとウィーゴーとかで買ったりとかして
あのネックレス買ったりとか
なんかダニエル・ウィリントンとか時計買って
みたいなことやってました
普通の大学生です本当に
だから皆さんからしたらまず想像つかないのは
僕大学生活送ってます
大学1,2年ははい
今のお前そんなことやるやつじゃねえだろ
みたいな感じのことやってました
髪の毛染めることに全身全霊注いでいたし
サークルで楽しむことだけを考えたりとか
大学のメンバーといかに飲みに行くかとか
いかに大学の授業をサボるかですね
3コマ4コマをサボって
あの高崎のイオンに行って遊ぶとか
あとはあのなんだっけ
群馬県内の二郎系ラーメンは全部制覇しようっていう
二郎組みたいな感じなのを4,5人のメンバーで作って
毎回車にニンニク臭くなるから
じゃんけんで負けたやつの車で
そいつが運転で有名な店をずっと回るとか
やったりとか
あとはそういうメンバーでどっか出かけたりとか
平気で大学サボったりとかみたいな
本当に今考えたらね
いやいくら安いと言ってもですよ
学費ってさインスタ口座の2倍以上はかかるわけですよ
ね1年間でバカかっていうことですよね
それをめんどくさい誰一でサボるっていう
クソもったいないことをしていたなっていう
はいあの思ってますね
教師のお仕事をそばで見てきましたが
仕事の時間はあるようでない
終わりなき仕事だと私は感じます
いやその通りですよ
この後その話しますけど
さっきの大学でアホかみたいな生活をしています
なのでいよいよですね
僕はほぼ完全自立状態なので
親もある意味自由で
しかも親はいよいよ校長先生という世界になっています
そんな感じで大学1、2年は半分暴走族感みたいな
成人式の日なんて
ガチで成人式の日は
たぶん3日くらい帰ってなかったですね
3日間連続で別のメンバーと昼間から飲み会とかしてたんで
みたいなね
今の僕から本当に1ミリ単位も
想像できないような大学生活を送っていた僕ですが
そこにコロナウイルスとかいうやつが来ます
コロナですね
ドカーンと来るわけですよ
これによってですね
それまでのスーパー遊んでいた生活は
真逆の生活が訪れます
とにかく暇です
やることが皆無になります
なんだかんだですね
その高校とかあとは
僕の今のコスパ思考みたいなものは
やっぱり身についていてですね
大学1、2年でほとんどのタイムを取り切ってました
ぶっちゃけ
遊び期間中で
大体のタイムは全部取り切っちゃったんですよ
大学3年から取る授業が
週1、1コマとゼミだけっていう
大学4年はゼミのみっていう状態になりました
やばいですね
必須必須科目
大学1コマとゼミだけと
あとは教育実習行くのみっていう形になり
死ぬほど暇になります
なのに外に出てはいけないという宣言を喰らい
家から出られない生活になります
やることなさすぎて
とりあえずスマホゲームとかを
ある程度全部ゼンクリして暇になりすぎて
それでも足りないからって言って
それすらも全部解除して
まあ仕方がねえって言って
あれしてました
本読んだりとか
だから僕が本読みに行った理由ってのは
まあコロナのせいで
やることがかまりにもなくなりすぎて
で見るもんもねえからって言って
たまたまメンタリスト大学とか見始めて
本読むっていい暇つぶしじゃんってなって
本を読み始めたのがきっかけです
で1日2冊3冊とか
で本を1年中読むっていう
あのきちがいな生活を送ったんですね
その頃から僕っていう
人格形成が逆転します
完全に今の僕になります
それのせいで
毎日本を読んでて
知識知見が広がっていくことへの面白さ
なのにそれを実践に生かせないことの
もどかしさっていう
この2つのモラトリアムに出会い
ここの話はあの僕の初めましてですね
ところで結構大学生活の頃の話は
言ってると思うので
とかあの就職とかね
そっちの世界に行く話は
初めましての自己紹介の時を聞いてください
でまぁ今回はね
母の日ルートなので
ここで真なる自律と教員の理解
って話があった通り
ここでですね
えっと親と毎朝と毎夜
散歩をするようになります
母とはい
まぁこのまま家で
ずっとぐーたらしていても
あの不健康になるだけだっていうのと
まぁ当時メンタリスト第五に
メンタリスト第五僕は
あの100億%トレースみたいな状態だったので
大学3年生の頃は
はい前も言ったことあると思うんですけど
朝起きたら
朝起きた瞬間に
何も考えずに水を2リットル飲み
そして頭の思考を整理することなく
1時間歩行瞑想で
決まったルートを
完璧に決まったルートを
完璧な歩数で回るみたいな
でその時に頭の中では常に
感謝の感謝の詞を唱えてたんですよ
あの〇〇のこういう人よ
こういう風な物事で
こういう風になれることに感謝を申し上げます
まそして〇〇というこの日々歩けてること
日々健康できてること
こういうことに感謝を申し上げます
そして全て自他
そして他者ともに
こうした関係性を取り留めることに対して
感謝を申し上げます
ってことは永遠と頭で唱えながら
歩くことと感謝をすることだけに集中して
1時間歩くみたいなことをした後に
戻ってきた後に
ノルウェー式ヒートっていうね
4分間心拍数185ppm以上をやって
その後4分間それをやって
3分間軽いランニングをするっていうのを
5セットから7セット繰り返すという
きちがいなことをしていて
それが終わった後に
何したっけサプリメント飲んで
サプリも決まったサプリを完璧に把握して
朝飲む夜飲む用途が把握して
完全な生活を送ってました
いかれてますね
あの当時の僕はやばかったです
その当時の名残のせいで
今もなんか無駄な雑学がいっぱいあります
やばかったです
あの時はこのサプリの
ここのこの成分のコレコレは
このタイミングのこの寝る前の
こういう時に飲むことによって
こういう成分が寝る時に
こう活性化されて
メラトニンがどうこうどうこう成立されて
夜寝てる時の
こういう時の睡眠レスが
何パーセント向上してみたいなの
全部入れてました
マジやばかった
その時は
ってぐらいやることがなかったんですね
シンプルに言うと
っていう中の一つの事象として
母親と夜散歩を一緒にするっていうのが
事象にありました
朝は一人で歩行瞑想して
夜は親と散歩をするっていう感じでしたね
1時間ぐらいかな
1時間から1時間半ぐらいかけて
そのめちゃくちゃ長くゆっくり
歩くっていうのはやってました
その時にやっていたのが
今みたいな感じで
今僕は皆さんの画面の前で
こうやってベラベラ喋ってますけど
同じような感じで
母親に読んだ本をひたすら喋ってました
この本のこれに書いてあるから
こうでこうこうこうなんだよ
こうこうこうやって言っててさ
こうこうこういうことなんだよって
ずっと言ってました
一方ですね
母親からのその会話のリターンで
帰ってきたのが
学校業界の闇でした
母との散歩と感謝
ようやく僕はそこで
学校業界の闇というものを
深々と知ることになるんですね
うちの母がどんな世界で働いているのか
そしてどんな職業なのか
教員という世界が
そしてその教員ごとのイベント
昔の母親が
昔普通に勤めていた頃
教頭時代校長時代各学校
そのとある先生職員室の様子
授業の様子生徒の様子
その後の成人式とか
様々なイベント
様々なことを365日以上かけて
大学3・4というこの期間ですね
この大学3年4年という
僕が実家にいて働くっていうところに
入る前までの間
毎日聞いてました
教員の理解と経験
そして僕のこの無駄な記憶力と
無駄な情報把握能力のせいで
母親より職員室っていうものを
イメージできるみたいな
母親がこれのことなんだけど
言った時に
これの人この人
前高校行ってた人でしょって
情報が繋がるみたいなレベルで
やってました
ということによって
僕は教員という世界と闇と
そんな世界のアンチテーゼとして
母親が反抗し続けてきたんだってことを
まざまざと実感します
そしてさらにですね
大学3年生から僕は学習指導員といって
学校の先生の副担任の
アルバイトをしだします
簡単に言うと大学3年から
僕は始めて大学1年から
4年間塾講師やって
そのコロナに入った後から
学校の先生の補助っていうのを
やりました
そして大学3年生の時は
合計2ヶ月ぐらいかな
2ヶ月ないぐらい
教育実習も行きました
群馬大学付属小学校というね
最強のおぼっちゃのたちが通う
国立小学校
何もかもの次元が違うということを
さまざまと実感した小学校の
小学校1年生を僕は
教育実習してました
僕がですよ
僕が小一をなだめてました
教育の現状と家族の歴史
折り紙作ったのすごいねとか言いながら
マジでやってました
笑ってください
教育士とかやってる皆さん
笑ってください
そういうようなことやってました
でも大学3年生2020年ですよ
2020年の時点で
完全リモートの全校集会とか
できてましたね
びっくりしました
今は普通だと思うんですよ
別に
でも当時5年前はやばかったですね
普通の公立高校とか
自分の父母ですら導入しなかった頃
そうでもひたすらそのところね
父と特に母親と
歩いてる時とかは
いや早くIOTやれよって
マジで言ってましたね
っていう時代が今やね
結構みんなiPadで
勉強するようになったから
変わったなと思いますけど
小一とあとは地元の
僕の出身校に行かなかったんですけど
僕の母の母親が
最初に勤めた学校の隣の学校かな
そうみたいなところに行きました
1ヶ月間でそこでも
やっぱり母親に教わってたって先生とか
母ともともと働いてたって人もいましたし
さっき言った軍隊の附属小学校には
僕の父母がめちゃくちゃ可愛がっていた
お気に入りの生徒がいるんですよ
父も母も関わってたみたいな
パターンの人がいるんですね
しかも数学っていう
その人は本来だったら
そういう差別とか
否記ダメだけど
半分否記してくれて
わざわざ僕の公開授業とか
わざわざ時間をかけて
見に来てくれたりとか
その後わざわざアドバイスくれたりとか
結構やってくれましたね
本当にコネって怖いですね
今更考えれば教員っていうものに対しての
コネは僕反則ルートしか辿ってないので
不平等だなと思います
この世の中みたいなものをやってました
ていうのでいよいよそこで
僕の中で頭の中にあった
その親から聞いていた
とこれまでの人生で歩んできた
その教員像ってイメージと
実体験ベースにおける
このズレっていうものが
完全に保管されます
そしてこれによってですね
僕は普通のここまでの話を聞いて
皆さん思うと思うんですけど
こんなに教育学ルートで
僕の過去経験を話したことないと思うので
初劇の人も多いと思うんですけど
だから僕は教育業界とか教員の世界ってのを
おかしいぐらい知ってるんですよ
わかります?
普通の人と普通に
ただただ教育学部に通って
先生になりました
両親先生ですみたいなのとは
ちょっとわけが違うんですね
残念なことに
ていうもので問題提起だったりとか
おかしいだろこれだったりとか
そもそも教えるってなんだろう
みたいなこととかに
ひたすら向き合ってきたっていうことがあります
それが今の僕のインスタってとこに
移ってきた基本ルートに存在しています
ここにおいて
いよいよ母親が
そういうアンチケースをしてるってことと
母を純粋な尊敬対象として
見るようになりました
この真の自立と
教員の完全なる理解の二つを通して
親ってすげぇんだなっていうことを
まざまざと実感したんですね
やはりですね
インスタグラムっていう運用でも
そうだと思うんですけど
第三者から聞く意見って
ものすごく参考になるじゃないですか
まるまる
例えばまるまるちゃんの
この絵言ってるのめっちゃおすすめだよ
みたいになったりとか
まるまるちゃんめちゃめちゃいい人だよ
ってなったら
この人いい人なんだってなるじゃないですか
その当人が
私いい人っていうよりも
別のところの人が
まるまるさんはめっちゃいい人だよ
って言ったら
絶対そっちの方が信用しますよね
これ第三者の意見っていうね
手法ですけど
よく恋愛でね
この彼氏彼女にしていいかって時には
共通の知人に聞けみたいなのと一緒ですけど
これの時にですね
自分の両親のことを知ってる人とか
自分の両親と同じ学校で働いてたとか
教わってたとか
元生徒であるとか
教わったことがある
一緒に働いてたことがあるっていう人たちが
口揃えっていうのが
岡田先生はマジでいい人だったって言うんですよ
そうもう本当にね
一回も悪いこと聞いたことないです
息子がいるからってのは
もちろんあると思いますよ
息子に悪いこと言わねえだろってのは
そうかもしれないけど
結構素直な顔で言うんですよ
みんなそう
いや特に母とかのね
一緒に勤めてた人とかは
もう本当に感謝だったとか
あんなにこう学校のために
動いてくれる人ってなかなかいないよね
みたいなところで言ってたりとか
父親のことも
父親のことってあんましね
僕のこの生活ルートの中で
あんまし出てこないと思うんですけど
父にすごくお世話になったとか
すごくいろいろ良くしてもらったとか
飲みに連れて行ってもらったとか
そういう話を僕は聞くんですね
まあレアでしょ
簡単に言ったら
皆さんの勤めてる職場に
息子が来て
しかも違う時に
たまたま一緒に働いてた人が
別の会社のところで
なんか職業体験でいて
君のお母さんはめちゃくちゃ
良くしてくれた人なんだよ
みたいなそういうこと
っていうのをずっと言ってくれてるのを
僕はもうとてつもない数を
聞いてきたんですね
これまでそう
特に母も多い
母父両方多いですね
どっちも多い
どっちとも関わってるって人が
めちゃくちゃ多かったから
でそういう人たちが
みんな口揃えてるんですよ
いや岡田先生は本当に
いい人でいい先生でとか
本当に部活動とかでも
お世話になった人が
本当に学年主任なんて
もうこの人たち当たり前に
やってたんで
このうちの両親どういうわけか
もう学年主任が普通みたいな
デフォルト学年主任
普通に教務主任
教頭校長みたいなパターンだったので
基本的に立場が上なんですよ
役職ついてるとか
何々会のトップみたいなことばっかり
やってるんだよこの人たち
どっかしらどうそうなったみたいな
人とかが大量に言うんですね
っていうのを聞いてきて
大学とか含めてで
まざまざと聞いていくんですよ
そうやって
学生時代の時は
純粋に親ってすげーみたいな
親の状況ってこうなんだ
みたいな理解から
深い理解と実体験別を伴って
完全な尊敬に変わったんですね
それなのに
なんでお前教員やってないね
って本当思いますよね
ここまでのルーツ聞いて
お前どうしたら教員じゃない道に
行くねっていう話だと思うんですけど
これで教員を捨ててるんですから
だからこそ僕が
今ここに教育学の信念が
母親への尊敬の気持ち
こんだけ強いの分かってくれると
嬉しいんですけど
だから僕は教育学ルーツだよ
と捨ててるんですけどね
私は子供に携わる仕事で
教育に関係する仕事なんで
共感することばかりです
私は次なり夢に向けて
指導し始めてます
素晴らしいですね
ありがとうございます
ということで
改めて教員として
特に大学4年生の頃に母親は
完全に教育委員会に反駆ってましたね
こんなにIOT導入してるのおかしいだろ
って完全に反発したので
すげーなみたいな
僕がさっき学習指導員として
副担当として入っていたのも
うちの母親が
オーラ町っていう町のところの
とある小学校の校長先生をやってました
僕が行ったの中学校なんですけど
そこがオーラ南かな
オーラ南中学校ってところで
もともとうちの僕の父親が
実際に勤めていた
長年勤めていた学校というか
もっと言ってしまえば
さっき僕が中学校の頃に
自分の父親とバドミントンで
練習試合に行ったといった中学が
オーラ南中学校なんですよ
僕はそこに学習指導員に行くわけで
当然父親が働いた頃から
ずっといる人もいる
みたいな学校に行きました
そのうちの母親の小学校の生徒が
中学になると多分オーラ南に来るっけ
これは後で聞いてください
オーラ南かオーラ町の
どっちかに行くはずなんですけど
っていう形の中学で
そこの校長とうちの母は
めちゃめちゃ仲が良かったんですね
中学校2つと小学校3つぐらいだったかな
しかないので
校長先生の数がそもそも
その町内で4,5人しかいないと
僕の父親もそのオーラ町内の
小学校の教務主任みたいな
ところにいるみたいな
朝自分の実家の町から出てて
みんな同じ町の学校にいるって
意味不明な家系でしたけど
みたいなことをやっていて
まあなんかもろもろいろいろあって
そこで母の話とかを
そうやっていろいろ聞かせてもらったりとか
なんかいろいろしてました
それを通してですね
なのでそこから大学を卒業し
そしてうよ曲折あり
今があるんです
今母親がちょうど
学校の先生校長辞めたのが
一昨年かなもうちょい前か
僕が多分ね
このフリーランスとして
完全に働き出すタイミングの
ちょい後ぐらいだったと思うので
っていうことなんですよ
で僕は東京に来て
そして今こうして関わってるって
ところなので
だから僕はもう母親に
尊敬の念しかないんですね
わかりますこのルート
なぜ僕が母親のことを
こんだけいつも立てるのかとか
普通に感謝してるかっていうと
いつも言うんですよ
どんな時にも
僕は母親尊敬の対象だって
言ってるのは
こういう理由からなんです
今となっては尊敬しかないんです
だってそういう姿を見てきたから
だし母親っていう存在とか
両親という存在の
仕事感っていうのを僕は
人生経験を通して
間接的にいろいろ聞いてきたんですね
教育委員会にすごい熱意ある方だと
教育界における影響
すごい熱意ありましたね
だからぶっちゃけですね
僕は両親が授業をしてるところを
見たことがありません
一回もないです
僕は父と母が授業をしてるシーンを
マジで見たことがないです
見たことがない
一回その水槽学部
母親の水槽学部に
ちっちゃい頃に連れてってもらって
ひたすら可愛いねって
中学生に可愛がられるっていう
子育ての影響
男としては得しかないような
経験を昔したなっていう
うつすらとした記憶がありますけど
その時は別に授業してるわけじゃないんでね
父親の部活の姿は見たことあるけど
別に授業してる姿は
マジで見たことないんですよ
だけどすげえっていう話とかを
これまで散々パリキーできました
周りの第三者から
そしてその働き方を
実体験でも知りました
この人生経験の
自分の見てきた世界と
その姿立ち振る舞いを見て
僕は勝手に自立してったってタイプです
簡単に言うと
なので今日の
そもそも伝えたかったことが
あれでしたね
どういう子育てをされてきたかって
話だと思うんですけど
僕は勝手に背中を見る世界線に生きてきて
勝手に両親の背中を見て
勝手に理解して勝手に尊敬しています
簡単に言うと
基本的な子育てっていうものの
根本はされてきたと思います
いわゆる放置は
放置っていう中でも
なんか完全無視ではないですし
一緒にいる時間を楽しんでくれましたし
旅行とかも小学校の頃とかよく行きましたし
毎年野球のキャンプに
2泊3日で行ったりとか
野球観戦小学校高学年の頃は
野球観戦で千葉ロッテマリンズの
マリンスタジアムに行って
夜でかい近くにあるアパホテルのところ泊まって
次の日も応援するみたいなこと
一緒にいる時間とか休みの時間とか
全員が休み取れる時間は
一緒にいる一緒に出かけるとか
やってきました
休日っていう中の
午前中部活でとか
途中から働き方改革があったので教員は
午前中だけ部活行って午後いるとか
片方は絶対休みとかになってきたんで
結構家にいる機会も増えてきて
一緒に出かけたりとかっていうのも
高校とかかな
中学高校の時から増えましたね
正直言って一番アイデンティティ形成において
重要な期間の小中はマジで放置です
特に小学校は完全放置みたいな世界で
生きてきたので
まあすごいね
そんな中で今は逆に
それもあってよかったなと思えるように
生きてきてよかったなと思います
それで結果今は尊敬の念というか
そこを生き抜いて
特に最後の図書館の方の
自分の母の学校の既得経緯に対する
反骨心反発精神というか
そこの納得のいってなさとかを
よくまざまざと聞いていたし
そことかを聞いていて
かっけえなと思ったんですよね
やっぱその既得経緯とか
その世の中で決まってるからとか
当たり前だからって言って
そこで諦めちゃう普通の人は
とか校長とか立場になってしまったら
結局なんかよくある
その立場っていうものを通しちゃって
まあなんか固いお固いものにするとか
っていうものをうちの母は
全部ぶっ壊してた人間だなって思うんですね
校長先生の話とかを
いつも母含めての校長先生の話を
いかに笑わせるか
面白くするかだけを考えてるって
毎日聞いてたし
それの仕方とかの話とかも
よく聞いてたらやっぱ面白いなと思うし
とか学校通信とかの校長先生の
校長先生の通信のところとかも
いかにみんなに面白く楽しんでもらえるかってことを
ずっと考えてみたいタイプで
固いことは言わないとか
みたいなこともやってたし
すげー人だなって思いますね
そういうのでどんどん話せば
思い出すことっていっぱいあるんですよ
例えばなぜか中学校とか
小学校の時の保護者代表挨拶
なぜか自分の両親だったし
その時にもなんかテクニック使ってるって話聞いて
天才だなこの人たちとか思ったし
とかなんかいろんなエピソードあります
まあただただですね
とにかくなんかこの1時間ぐらいかけて
僕の育ってきたっていうルーツとして
喋ったのは多分初だと思うんですよね
誰にも僕視点で
僕の成長過程で
どう子育てされてきたかっていう話は
したことなかったと思うんですよ
多分初めてこういろいろ喋ってみました
ですがどうですか
まあなんか僕っていう
こうアイデンティティの形成とかの中で
結構すごいキーパーソンになってるのって
結局背中を見て育ってきたっていう方なんですよね
僕は手厚くされたとか
なんか丁寧に育てられたじゃなくて
背中っていうものを
母親の教育者としての姿勢
すごく見せられてきたなって思います
姿とか
当然全てが全て両親のね
全ての姿がかっこよかったとか
尊敬できる対象だったとは言い切れません
酒に酔っ払って
財布全部なくして帰ってくるとか
平気で家で吐くとか
階段から落っこちそうになるとか
顔キツザラケで帰ってくるとか
今の俺じゃねえかみたいな
帰り方をする父親を見たことも何度もありますし
とかね
母と父が謎な喧嘩をしてるとか
超機嫌悪いとか
そういうパターンとかも
何度も見てきましたし
とか家で仕事してるみたいな
パターンとかも見てきましたし
とかいろいろありましたよ
いろいろあったけど
だからこそ今はね
特にこの僕のね
今のこのインスタグラムの物語では
母親がね深く登場してくるけど
僕は父親の方も死ぬほど尊敬します
死ぬほど尊敬するし
まあよくね僕はジャンプとか
漫画の話とかアニメの話とか
何気ないことで盛り上がる
ただのおっさんだと思ってるんで
みたいな関係になったっていう形なんですね
そうなんかそうですね
だからこそ僕は父親と母親のことを尊敬できてる理由ってのは
やっぱりその立ち振る舞いや姿を
僕は見てきたからだと思うんですね
結局その働き方っていうものをよく見てきたし
まあその姿っていうのを大変さというか
まあ学校っていうね
もっと既得権利の深いところ
子供とか含めてと関わるそういうもので
やっぱり見られる世界って
やっぱり教えてるシーンだと思うんですね
やっぱり教員でかっこいいところって
やっぱり数学の授業とかで
やっぱかっこよく教えてる
その授業のシーンだと思うんですよ
とか勉強教えてるシーンとか
だけど学校の先生とかもそうだし
だから僕も塾講師っていうので
バイトしていてすごく意識していたのが
そこじゃない価値ってのが
本当に多いんだなっていうのを感じたんですね
だから僕の今のインスタ講座のルーツとしても
インスタを教えることなんていうものに
価値が大事なのはそんなないんだよってのが
そこにあって
うちの親ってたぶん授業するのも
たぶん上手いんですよ
たぶん上手いのは間違いないんだけど
どう考えても周りの人たちがすいてる
うちの母親とか成人式になると
みんなめちゃくちゃ人気出るんですよ
あの母親のああいう感じなんで
とか父親も謎に人気なんですよ
なんでだろうと思った時に
たぶんこれって授業が上手だったからじゃないんですね
たぶんそこ以外のそういう細かい要素とかで
本気でそういうことを考えてるんだなってのが分かった
やっぱそこが教育者やな
そこが先生としての
本当の尊厳なんだろうなって思ったんですね
だから教育者であるとか
教えるってことの本当の価値っていうのは
そこの教えるっていう
うちの母で言ったら音楽
うちの父親技術家庭科なんですよ
技術
たぶんそこじゃないんですね
あの人たちが人気になってたのって
たぶんうちの母とかってたぶんね
最後の音楽の授業のラストの方とか
たぶん好きな歌でバンド作ってやるだったりとか
育成の学び
好きな曲歌おうぜみたいな
そういうこと平気でやるタイプなんで
とかそういうなんか教えるっていうところにない
もっと先のその人生経験とか
その人たちの思い出に残ってほしいとか
何だろう合唱コンクールとかも
たぶんねその人たちのうちの父母の合唱コンとか
見たことないけど
そうなんだろうな
そういうのをただやってたとか
ただ優勝するためにやったじゃなくて
たぶん思い出としてどう残るかとか
その人たちの青春時代ってのを
どう彩った素晴らしいものでするかってのを
たぶん考えて生きてきたんだなってのを
まじまじと感じたんですね
だから僕も教育学っていうね
今僕はインスタの講座運営とか教えるってのは
僕はもう教育学として見てるので
普通の人は多分インスタをただ教えるとか
こうただ講座運営みたいな
コンテンツ販売だと見るけど
僕は教育学として
いつも見てるって言ってるより
それで見てるからこそ
自分のバイトで塾講師っていうのを
バイトしてる時も塾で
塾で教える価値っていうのは
塾のお勉強その勉強とか
その問題を解かせるための
その問題を教えることっていうのに
価値なんてほとんど存在しない
そのまま別に僕じゃなくたって
誰だってできるんですよ
アルバイトで何とかまかないでしまう
本当に定量的に
本当に見るべき価値ってそこじゃなくて
そこの来てくれたお金払って
親子お金払ってますけど
それだからせっかくだったら
来たいって思ってほしいじゃないですか
そこの塾に来たいと思ってほしいし
楽しんで欲しいし
なんかもっとそれによって
この塾っていうさ
本当だったら学校の終わりに
友達と遊ばずに塾来るなんて
嫌じゃないですか
死ぬほど嫌ですよ
僕も中学校の時塾帰ってましたけど
嫌すぎて車で親に送ってもらった後
40分ぐらい外で何もしないとか
ゲーム隠して持ってて
ゲームして40分遅れで入るとか
やつは人間なんですよ僕
中学の時ね
今時効だから言いますけど
親にはマジで迷惑かけました
はいすいません本当に
すいませんね送ってもらった後
40分ぐらい僕外でゲームとかしました
クソですみたいなぐらい
僕塾行くの大嫌いだったんですよ
だけど塾講師やった時に
だから勉強をするために
来るじゃなくて
なんか楽しんで欲しいとか
なんかその人たちのね
なんか人生とか
その塾通ったって
その思い出として
ずっとかかってくわけじゃないから
なんかその後の人生に
僕っていう思い出が
残って欲しいなって思いで
塾講師やってました
その結果起きたのが
その塾内で一番問題視されてるとか
ちょっと塾不登校気味やったりとか
他の先生じゃ手に負えないとか
っていう生徒を
僕は大体沸かせられるんですね
いつもで
僕はほとんど授業をしませんでした
教育と体験の重要性
ぶっちゃけほとんど何か教えるとか
何か指導するっていうのをせずに
僕は本当にその子たちの恋愛話だったりとか
その子たちの趣味とか
楽しかったこととか
最近の出かけた話とかをしながら
それとか話しながら
ちょっと好きなように進めておこうか
って進めてきながら
一緒になって
遊びながら楽しんだりとか
平気で僕自分の大学の宿題とか
やってました一緒に
俺も一緒に宿題やるからさって
大学マジ面倒ですよ
何なんこの宿題とか言いながら
分かんねえんだよ
これとか言いながら
ちょっと答えてくれない
代わりにとか言いながら
僕大学の宿題とか
やりながらやってたんですよ
そしたらその塾の中で
僕の教えてる生徒が
一番成績ゼロから全部伸びたし
親からも絶対行きたくないって
言ってた子が
絶対行きたいって
言ってくれるようになったとか
もう僕が来る日に
何か選べるんですよ先生とか
僕が来る日に絶対に来るって言って
僕の来る日を事前に把握して
絶対に僕を指定してくれるみたいな
子がいたりとか
その子とは2年間ぐらいだったかな
一緒にやって
多分めちゃくちゃ成績上がったかな
っていうのをやって
やってきたってタイプなんですね
そう僕ってそもそものルーツが
そういうところにあるんです
だから教えるなんてものっていうか
その内容を教えるとか
内容でそんな伸ばすなんてものは
めちゃくちゃ当たり前だと思ってる
そうそんなんできて普通
そんなん再現性しかないから
でも本当に大事なのはそうやって
そこにない今みたいな
人間性の訂正化されたものだったりとか
その人にとっての思い出に
残ってほしいとか
この姿や立ち振る舞いっていうものは
正直言って
親の背中から学んだものです
僕は母親だったり
父親だったりの
どういうわけか
この母たちとかの成人式とかで
楽しんでる写真が
非常に人気じゃねえかとか
周りの先生がいい先生だって言うとか
そういう姿を見て
きっとそこじゃない価値っていうのが
あるんだろうなって背中を見てきて
やってるから今の僕があるんですね
そうだから今の僕の
インスタ講座運営とか含めての
ここにある僕の教育論っていうのが
なぜ普通の人の教育論と違うのか
教育学と違うのかっていうのは
親からのルーツです
僕ははいっていうのと
それなりに教育学っていう
この教員っていうところを見てきたからこそ
今の僕があると思ってます
だから教え方が違うよね
全然その視点が違うよね
大切にしてることが違うよね
それは違うんですよ
家族への感謝
そもそも人生レベルのルーツが違うから
ここら辺で最近インスタコンサルとか
講座とか始めた
一年目や一二年の人とは違うんです
僕は人生分だけその教育っていう姿を
見てきてるんで
だからその分いろいろと
もがき葛藤もあったし
その塾講師の経験ってのも
結構偉大なものだったし
副担任のバイトって
経験もすごい大きなものだったし
だからこそ毎度言うとおり
僕は母親父親に感謝しかないって
いつも言ってるんですね
尊敬なんですよ
だってこういうこんだけ大変なこと
今形は違えど
そういうものに関わってる身として
こんだけ大変な世界っていうもので
もっと大変
親から怒られる
理不尽なこと言われる
自分の思ったとおりにできない
決められたことやるしかない
っていう世界で戦ってた親って
すげーなって
マジで思ってるって感じですね
すごいそういう寄り添いが大切ですよね
私の場合は勉強嫌いだから
そちら側の味方になります
そうそれも大事ですね
僕も勉強大嫌いなんですよ
もともと死ぬほど嫌いでした
だって僕いつも言う通り
中学校3年生の時
僕偏差39ですよ
中学校3年の7月時点で
偏差39ですからね
絶望的にもほどがあるでしょ
そんな人間がね
高校の次小進学校までギリギリ行って
その高校設立以来
初の国立大の5教科科目の
教育学専攻に受かるんだから
人生何があるかわからない
でしかもだから教えるってところで
僕も今だからコンツァ運営とか
やってる音声部屋とかのところでは
インスタのことについて
教えることなんていうのは
あんまししてないと思うんですね
そんなできて当たり前だと思ってるし
そこ自体でそんなところで
負けるはずがないって僕は思ってる
そこだけは圧倒的自負があるから
見てきたもの作ってきたもの
経験してきたものが普通じゃないって
自信があるから
そんなんで他の人の教えるとかに
負けるはずがないと思ってる
けどそこ以外の要素っていうのは
もっと僕は大事だと思ってるから
そこを大切にしてるってことですね
だから教育学っていう
母の日のメッセージ
僕の中の一つの道筋っていうのを
作ったもの
それが今の僕のやってる講座
そしてその基盤
その僕のルーツ
そしてそれらすべてを作ってくれて
今こうして一緒に
しかもそのところに関わりを持ちながら
一緒にやれてるのが
自分の母親なんだっていうのが
正直あります
だからあんまし皆さんがね
いっぱいオフ会とかでいる前で
僕の母ってそっちの姿を
ほとんど見せないので
あんましイメージつかないかもしれないですけど
ぜひそっちの世界観とかも
見ていったりとか
聞いていただいたりすると
面白いかなと思いますし
これから結構ね
多分自分の母も
ちょこちょこオフ会には
ガヤとして来るとは思うので
むしろ僕としては
自分が教えるっていう中で
教えるというこの領域において
近くに関わってる中で
尊敬できる対象っていうのは
本当に少ない中の一人だと
僕は思ってるし
その絶対心というか
僕の教育っていうものの
絶対的なメンターって言ったらいいの?
やってきた姿立ち振る舞いっていうのは
自分の母なんで
だからこそ
今も感謝をしてるし
今日改めていつも助かってますと
いつもその姿を見させてもらってます
という話をさせていただきました
ぜひ結構初めて喋ったこととか
全然違う普段の
僕とは違うルーツで
結構長くだらだらと
1時間12分喋り続けたんだ
コメント返信もしてないから
喋りましたが
いかがでしたでしょうか
こういうことを公開するっていうのも
一つ珍しいかもしれないですけど
僕っていうのが
どうして出来上がったのか
っていうところには
今みたいなものが存在します
だからそもそも教育学っていうのに
なんでこんなに
僕がこだわってるのかって言うと
僕の人生そのものっていうのが
教育学っていうものと
共にあったからです
だから大事にしてるし
だからこれを他の人たちが
真似できるはずがないし
するわけがないって思ってる
っていうのはそういうところにある
っていうのがあります
ぜひ今日の話がちょっとでもね
面白いなと思っていただけたら
嬉しいなと思いますし
皆さんなりな感想や
なんか僕のこの話を聞いて
どう感じたかって
人それぞれによって違うと思うんですよね
子育ての面で刺さった人もいれば
教育学っていう面で
刺さった人もいるかもしれないし
全く刺さんない人もいるかもしれない
でもその何かに対して
ちょっとでも気づきとか
深く食ってくる点とかが
もしもあれば今日話したことは
価値になるんじゃないかなと信じます
本日は本当にご清聴いただきまして
ありがとうございました
無駄にエンディングでベラベラ
告知とかは今日はいいやって思ってます
改めて感謝を伝えてください
いつも1年間ありがとうございます
そしてこれからもよろしくお願いします
そしてぜひですね
母親がいる子供
母親がいる方は
母への感謝を伝えていただければと思いますし
逆にお子さんがいる方は
母の日だからこそ
今日は1個なんか楽しんでいただければ
いいんじゃないかなというふうに思いますので
よろしくお願いします
子育てをしながらの仕事発信
いわゆるマミーギルドという
罪悪感に襲われますが
今日の話を聞いて
自信を持って背中を見せていこうと思いました
そうですね
僕は背中を見てきた人間ですね
完全になって思います
はいぜひ引き続き
明日から通常モードでまたやりますので
よろしくお願いします
本日はご清聴いただきまして
ありがとうございました
続きの雑談は軽く
YouTubeの方でしますので
よろしくお願いします
それではまた次回の放送でお会いしましょう
以上そーたでした
ありがとうございました
よしじゃあ続きは
YouTubeでベラベラ語ります
また明日
01:17:09

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