1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #51 危険思想で授業が禁止され..
2022-10-19 39:25

#51 危険思想で授業が禁止されたトマス・アクィナス。13世紀頃のキリスト教哲学

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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00:00
(テツラジオ)
はい、それテツラジオ
今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
今回はキリスト教をテツナクってものを見ながら
中世とか暗黒時代と言われていた時代の
世界観とか価値観ってものを見てきているんですけれども
前回は4世紀頃
グレゴリオスとかアウムスティネスを見てきたんですけれども
今回はどういった話になってくるんでしょうか
(テツラジオ)
今日はですね
時代が一気に飛んでしまうんですけれども
13世紀1220年代に生まれたと言われる
トマス・アクイナスっていう人の話をします
もちろんその間にもいろんな人はいるんですけど
今回ざっと
何だろうな
掴むっていう目で
外せなかろうっていう人としては
トマス・アクイナスという人がいるんですけど
この人がどういう評価を
後世から受けているかっていうと
最大のスクラテツ学者であり
完成者だっていうふうに言われていて
スクラテツ学って何っていうと
当時教会とか
修道院とかっていうキリスト教の施設がある中で
そこの付属学校みたいな
教育施設っていうのがありました
そこでキリスト教の
いわゆる教会の権威を認めるとか
強めるような学問っていうのが
発達しているんだけれども
スクラテツ学っていうのは
教会の権威っていうものを
哲学をもって言うと理性だよね
ただ聖書に書いてある神が
こう言ったからこれを信じろじゃなくて
それは哲学的に解釈できるとか
理性でこういうふうに理解できるから
神の言葉を信じるべしみたいな
いうことをやっている人たちがいて
その中の最大の偉人であるみたいな
なるほど
そういう流れがある中で
それをまとめたりだとか
さらに標高に完成させた人って感じか
うんうんうん
そうだね
作ったとかじゃないんだね
そうだね
信仰させたみたいな感じが多分強くて
どういう形かっていうと
さっき最初のトマスアクリエンス
トマスっていう人は1220年代
だから前回取り扱ったグレゴリオスとか
アーグスニュースよりも800年とか
前時代が違う人たちなんですけど
南イタリアに生まれるんですよね
南イタリアはローマ
キリト教中心地に近くはあるんだけれども
伝統だけ継ぐっていうよりは
大学にも入るんですけど
その当時だと新しく創設された
ナポリ大学っていうところで
アリストテレスを学んだりとか
ドミニ後輩っていうところに
03:01
所属したらいいんですけれども
ここも結構いわゆる
新進経営の若手有望株が集まる場所
みたいな感じらしくて
はいはいそうなんだ
はい
そうそれまでの教会のあり方を批判して
もっと新しいことするぞみたいな
グループがあった
それがドミニ後輩っていうところで
そこに入りましたと
アリストテレスも実は当時で言うと
中世では受け継がれてなかったんですよ
アリストテレスの本とか考え方がね
はいはいでも暗黒時代だからさ
忘れされてたのかなと思ったけど
なんかしれっとアリストテレスを学んだとかって
出てきたような
そうそうそうで何かっていうと
いわゆるその12世紀レッサンスみたいな
前回もちょっと触れて
前々回かな中世のところで触れたような形で
別に閉じた世界だったってよりは
結構そのいわゆるイスラーム圏とかアラブ圏とかとの
交流とかも当時あった中で
そっちからアリストテレスの本が
逆下入というか伝わってくるんですよ
なるほどそういう時代というか
そういう流れがあったんだね
そうそうそうだから
それまでのスクロア哲学とか神学においては
アリストテレスみたいなものはそんなに
扱われてなかったんだけれども
それまでの神学の流れとアリストテレス的な哲学とか
ギリシャ的な哲学っていうのをグッと混ぜて
それで新しい宗教というか
キリスト教の体系を作ったみたいな人が
トマスだというふうに言われてますと
なるほどそうなんだね
だから新しいとか
先進的なって言ってたんだけれども
逆に言うとアリストテレスの考えって
当時からすると危険思想なんですよね
その異端的というか
それこそ科学とか自然科学的なものダメみたいなね
天道説ダメみたいな
そうそうそう
天道説があるから神の権威を否定するものじゃないかみたいな
ところで後ほどナポリ大学を出て
パリ大学とかの教授にもなるんだけど
そこでアリストテレスの抗議をしてたら
大学側からそれやめてって言われて
授業停止されるみたいなことがあったりとか
本当にかなり新しいことというか
当時のど真ん中がなかったんだね
そうそう完全に暴流というか先端というか
結果から見ると先端だけど
当時からすると下手したら異端扱いされかねないみたいな
そうそうそう
だから1個エピソードが伝わってて
ドミニコ会というところに入るってなった時に
トマスのご両親というか家系は結構有意所正しい家系みたいな
06:03
もともと白尺家みたいな感じらしくて
「もうやめてくれ」みたいな「そんなとこに入んないでくれ」って言うと家族がめっちゃ驚いて
なんか2、3年軟禁されるみたいな
そう、軟禁されちゃった
「お前の考えが変わるまでは家から出さない」みたいな
でも最終的には家族の方が折れて
トマスがちゃんとドミニコ会に入るっていう
学んでいくよっていう感じらしいんですけど
はいはいなんか面白いね
こういう歴史に名を残す哲学者のさ
こういう2、3年の軟禁エピソードとかってさ
なんかそういう思想に吹ける
思索に吹ける時間みたいなものって
なんかいいね
面白いねそういうだけでやっぱり
信じるものがあるというか
自分はこっちだっていうものはあったからこそ
これだけ歴史に名を残すようになったのかなって思うし
そうだねなんかそうそう
たぶん教科書とかでも出てくるよね
たしか神学大全とかでたぶん
そうそう神学大全っていうのがあるんだよね
覚えてた気がするけど
それ以上の知識はないんだけれども
そういう人だからさ
なんかど真ん中の人っていう感じで思ってたんだけど
結構それこそキリスト教の流れとか歴史も変えちゃった人ぐらいの感じなのね
なんか雰囲気変えた人ね
そうだねその後のスパー哲学というか
キリスト教哲学
やっぱりこう大きな土台とか軸になった人みたいな
もっと言うとキリスト教だけじゃない西洋哲学の
なんかやっぱりその一つの大きな流れを作った人みたいな感じではあって
それはなんか表現としてはその
やっぱりそれまでのギリシャ哲学とかがトマスに入って
その後の西洋哲学を生み出したみたいな
直接的に哲学を何か作ったっていうわけではないんだけれども
やっぱりあらゆる思想はそこにちゃんと結立しているみたいな
評価を受ける人ではあるって感じですね
でただなんかそれ以外にすごい劇的な人生を送ったり
なんか前回はねアーグスティンスみたいに
なんかすごい自分の欲望に悩んで
それを告白っていうふうにまとめたとかっていうことはそんななく
あと結構早く亡くなっていて49歳で亡くなっていますと
まああれでも多分当時からすると普通かもしれないけれども
今まで見てきたね
ソクアテス70何歳とか
パラトン80何歳とかとは全然違うよってことはある
そうに比べるとちょっと早いよと
っていう感じなんですけどね
さっき言ってくれた通り有名なのは
新学大全っていう本を書いているんですけれども
実はそのなんでこの本を書いたかみたいなのは
実は目的としては明らかじゃないらしいんですよね
でなぜかっていうとそのちょっと前に
09:01
タイ異教徒大全っていうこれも結構すごい本があって
タイ異教徒?
タイ異教徒異教の人に対して
何かを伝える大全
もっと言うと異教徒を論爆する大全っていう名前があるぐらいの本なんだけど
あそうなんだはいはいはい
そうそうそう
でその本の中でトマス自身のアリソテレスを受け入れた
新たなその進学みたいなものとか
トマス自身の考えというのを結構ガッツリ出してるんだよね
うーんはいはいはい
でその上でなんかこの新学大全っていう本なんだけど
なんか日本語に訳した本あるんだけど
全部45巻に及ぶなんかすごい本らしいのね
あこの新学大全の方が長いんだ
そう長い
でタイ異教徒大全も全然すごいボリュームある本ですと
はいはいはいはい
だからなんでそんな本を立て続けに2つも出さなきゃいけなかったのかみたいなのって
わかるようでわからんというか
なんでわざわざ違う?
例えばタイ異教徒大全っていうキリスト教以外の人に向けたような本と
新学大全っていうキリスト教の人に向けたような本というのを
それぞれ書かなきゃいけなかったのか
みたいなことはトマス自身はあんまりちゃんと言っていないらしくて
ただまあどっちもやっぱりすごい本だし
やっぱりトマスってすごい人だったよねみたいな感じになってるんですけど
じゃあ何がすごかったのとか
どんなことを言ってるのみたいなところをね
今日、今日とあともう1回分ぐらい
ちょっと2回分ぐらいで追っていきたいねっていうのが今回なんですけど
はいはい、ボリュームすごそうだもんね
そうそうそう
だから本当に一部をちょっと買いつまんで
本当にこれもやっているだけなんですけど
トマスがどんなことを言おうとしてるかっていうと
新学はどんな学問で
神の学ね
新学ってのはどんな学問で
どんな範囲をその学問の中に含むのか
扱うのかいったことを問いますと
はいはい、哲学だねなんか
そうそうそう
これまでもやっぱりその学とは何かとか
その学問とはねどういうあるべきかみたいなことを結構やっぱり
いろんな哲学者がそもそも考えていたと思うのけれども
まさにそれと近いようなことを考えていきますと
はいはい
だから新学大全っていうのはいろんな問いを出して
それに対する反論とか否定を出しながらそれさらに否定して
その答えていくみたいな形で書かれているんだけれども
例えばその聖なる教え
まさにキリスト教の教えっていうのは学であるか学問であるかとか
あるいはある人は現世において神を本質的に見ることができるかとか
12:00
神は真理であるかとか
そういう問いをもいっぱいバーって
しかも体系的にただ羅列するんじゃなくて
構造的に並べてそれを一個一個答えていきますと
この調子でさっきの45巻ぐらいみたいな
うん45巻ぐらい
はいはいそうそう
やっぱりすごい本なんだけれども
しかもかつそれっていうのは
その正常の言葉みたいなものを
その哲学的に解釈していくことにつながるんだよね
うんうんうん
あくまでその土台の上に成り立ってるって話だもんね
やっぱ前提としては神の言葉とか聖書の言葉っていうのがあるから
哲学が神の言葉とか神学ってのを超えて何かを言うことができないんだけれども
その範囲内
神学の範囲内では自由にいろんなことを考えることができるよね
哲学とか人間の理性の自由な働きがそこにあるよねっていうところで
実はこれがその言葉として聞いたことあるかな
その哲学は神学の端溜みたいな言葉が教科書に売ったりするんですけど
あそうなんだ覚えてない
へーそうそう
ねなんかそれでその哲学っていうのが
その神の神学の下に位置づけられちゃったみたいな
説明をされることもあるんですけど
でまぁ実際それはそうなんだけど
ただその哲学の位置が何だろう
落としめられちゃったとか低くなっちゃったってことじゃなくって
ある種それを補完するような補強するような関係だよみたいな形で
トマスは捉えてますと
で今回はその中でも特に有名な
その神は存在するかみたいな議論を取り上げようと思っていて
これねあの前回とかもあれやデカルトの時とかにも出たと思うんですけど
神の存在証明みたいな話で
で実はこの13世紀とか1200年の当時において
そもそもこれを問うことじゃ結構冒険だなって思うんですよね
まあそうだよね
信じろって言われてるのに
そうそうそう
思ったよりと神っていうのはもう存在するっていうのは
まあ自明明らかなことなんですよね
はいはい
あーそうか多くの人にとってそうか
別に確認するまでもないことなのか
しようとも思わないそもそも
そう問うとも思わない
知っておえるとも思わないみたいな
問うことに意味があると思う
だって神が存在そのものなんだから
神が存在するかっていう問い自体が
なんか適切ではないみたいな感覚が普通にあるんだよね
なのでただあえてそこから問うっていうのが
トマスがやっぱりやったすごいところかなとは思うんですけど
なぜかというと
なぜかというか
なぜそれを問う必要があるって
トマスが言ったかっていうと
トマス自身も神の存在は明らかだ
自明だって言ってるのね
ただその神の存在が
15:01
私たち人間にとって自明か明らかかっていうと
そうではないと
だからそれを論争する必要があるよね
なぜなら別に異教徒とか
キリスト教の神を信じない人もいるわけだし
だから論争する必要があるよっていう
そういった思考者に特徴があるなとは思うんですけど
結構まず結構独特なのが
その議論の進め方としてね
まずその反対とか反論を出すんですよ
神は存在するかというに対して
まず神は存在しないってことを言いますと
そこにも理由を出していて
なぜならその無限に善なる神みたいなのがいるんだったら
世界に悪があるのはおかしいじゃないかとか
あとは別に人間の理性と自然の働きとか営みっていうのがあれば
全然世界って成り立つよねと
だからわざわざ神みたいな考え方を
持ち出せる必要もないんじゃないか
っていうことを言うよね
おーなるほど
ただテーマだけ言うんじゃなくて
その理由みたいなところも
反対理由みたいなものも想定される?
あ、そうそうそう
歴史展だ
うん、だからちゃんと批判を一応自分からするんだよね
みたいな感じで神は存在しないっていうことをまず言いますと
そこで「しかし反対に」って言いながら
シツ・エジプト記っていう聖書の言葉があるんだけれども
そこに神自身の言葉で
「我はありてあるものなり」っていう言葉があるよっていうのを出すのね
はいはいはいはい
だから神が「我はありてあるものだ」って言ってるんだから
存在するじゃねえかって言って
なるほど
そう、それをどう論争します?
神のことを言うのね
おー、はいはい
それは確かに強そうだな
うん、そう
だからその聖書は疑えないっていうか
聖書の言葉で残っているし
神自らこう言ったって言ってるんだから
それは言ってるよねっていう言葉と
でも普通に考えたら別に
善だけじゃなくて悪もあるし
理性で言ったら別にそれを疑うことも例えばできたりとか
別に神なんてものを想定しなくていいんじゃないっていう
両方に立ちながら議論を進めていくっていうのが結構面白いところで
ここに対してトマスは5つの道がありますよっていうのね
これ自身はあんまり複雑じゃなかったりするから
さらっと1から5までっていうふうに説明しようと思うんですけど
一つ目は運動による証明っていうのがあって
運動っていわゆる僕らが言う体を動かすとか
もっと言うと物事が変化するみたいなことを運動って捉えた時に
運動するものは他の何かによって動かされますと
要は人間が動く時もそれこそ筋肉がとか神経がとかエネルギーがとかって
いろんなものを原因としてたどれるじゃないですか
18:01
あるいは球が転がる時も
誰かに力を加えられたから動くみたいなことがあるので
その動くものっていうのは誰かに動かされてるんだけど
それは無限にたどることはできませんと
動かされるものの動かされるものって言ったら
結局それが無限速になっちゃう
だからこそ自分は動かされないんだけど
他の人を動かす第一動員っていうのがあるっていうふうな話をして
それが神だよって言いますと
実はこれってアリストテレスが第一動者
不動の動者っていう考え方を出しているっていうのを
アリストテレス解説に言った気もするんですけど
第一原因となる不動の動者
自分は動かないんだけどあらゆるものを動かす力っていうのが
根本にあるんだよみたいな話をしてるのと
結構それと近い考え方なんですよね
なのでこれが一つ目の運動による証明っていうやつで
2つ目は指導員っていうこれもアリストテレス的なんですけど
その因果みたいな時にいろんな原因があるよっていう中の一つに
指導始めに動く因とか
物事が始まる原因っていうものがあって
これも一つ目に近いんだけど
何かが始まるっていうことは
何かを始めるための始まりがあるよねと
これもさっきの運動の話と一緒で
始まりがより始まるならっていうふうに
始め始め始めってどんどん辿っていくと
結局最初の一番最初の始まりにつながって
それって神だよねみたいな
なるほど確かに似てるね
そうそうそう近い話なんですよね
3つ目もちょっと近いと近いんだけど
今度は必然性みたいな話で
例えばもしあらゆるものの存在が偶然だとしたら
例えばよく言うじゃん
なんか僕がこの世に生まれたのも偶然だとか
君と出会ったのも偶然だみたいな
あと必然だとか偶然だってあると思うんですけど
もしそんな風にあらゆるものが必然か偶然か
どっちかわかんなくてかつ偶然であり得るんだったら
偶然あらゆるものがないっていう状態が
いつか起こるかもしれないとか
過去起きてたかもしれないみたいなことが考えられますと
ああはいはいはい
そうある?
確率の話だよね
そうそうそう
コインの表と裏だったら
全部裏である状態もあり得るよねみたいな話だよね
まさにまさにそういう話
それが偶然全部ない状態みたいな話
全部裏っていうのと同じだよね
そうそうそう全部裏っていう話になった時に
そうするとあらゆるものがなかったら
そこから何も生じないじゃないですか
21:02
そういうことは必然的に何かが存在するっていうものが
絶対求められますと
はいはいはい
それは最高度に必然性のあるものっていう
つまり神だみたいなことを言いますと
なるほどね
そうか確率論で動いてるとしたら
全部さっきのコインで言うと裏である可能性があって
そうしたらもう無から無の状態になっちゃうよね
まさにまさに無になっちゃう
その無っていう確率をなくする存在として神
全部裏だった時に表にしちゃえみたいなのが神みたいな
そうかその確率は存在しないよっていう話だよね
そう絶対に必然的に
一枚は表になっていなければならないっていう状態があるとしたら
それがもうそもそも神だよねみたいな
いやーなんか面白いね
そう言われればって感じは
そうそうそう
若干ねそのこじつけっぽいところもあるかもしれないけど
確かにまあそんな感じってなるじゃないですか
そうだね
でここまではその無限に遡るとか
ポンポンそのそもそも全部裏になっちゃったらダメじゃんみたいなことに遡る
っていう意味では結構近しい論章の形なんだけど
あと4番目と5番目っていうのがあって
その4番目は何かっていうとその完全性みたいなことを言いますと
どういうことかっていうとその世の中の物事には基本的にそのいろんな段階があって
より良いとかより悪いってことが言えたりしますと
うんでこれちょっとそのなんだろうな
あの本体というかそのイディアみたいに近いんだけど
要はよりっていうのは最低限より良いものとか
より厚いものとかなんかそういうものを想定した上で
それに近づくっていうのがより良くなることだみたいな
だから僕らはその比較するとか段階を考えたっては
最大限そのもの自身であるってものを想定していて
だからその原因を備えているから
あるものに対してこれは良いよねとか悪いよねとか言えるってことを言うよね
でだからこそその最高度に最大限良いとか完全だっていう
その概念自体が神だっていうふうに言いますと
うんはいなるほど
例として上がってるのが例えばその最大限に厚いものみたいな
それイコール火なんだけど
っていうものを想定して
そのそれにより近いものが厚さっていう原因を持つから厚い
要は鉄を熱したら火のように真っ赤に燃えて
より厚くなるみたいな
火そのものじゃないんだけど
鉄が厚さっていう属性を持っていて
それがどんどんどんどん厚いっていうのに近づいていくみたいなことを
例として挙げたりするんだけど
24:00
それを良さとか
何だろう善みたいなもので捉えたものが神だよね
みたいな風に言います
はいはいなるほどなるほど
これがその完全性という話で
目的みたいなものが5つ目なんだけど
さっき2つ目で指導員っていう物事が始まる原因
っていう遡ることをやったんですけど
目的という何のためにみたいな
未来に行く話があって
例えばその人の意思があったりする人間で言うと
何かの目的のために動くってのって普通にあるじゃないですか
自然物、人以外のものも
何かその場合によっては特定の目的に従って
動くように見えるよねって言いますと
例えばっていうのがあって
弓矢、矢を放った時に
何かこう的にちゃんと向かうじゃないですか
矢自体が的に向かっていく動きっていうのを
そういう目的を持つように見えるんだけど
それっていうのは射手
だから撃った人が的を目指すっていう目的を持って矢を放っているから
そういうふうに何らかの認識力とか理解力を持つ存在が
動かしているよねっていうふうに考えられますと
そういうふうに自然の秩序立てるとか
目的づけて動かそうとする存在っていうのが
もう神だよと
うまいね
なるほど
いやーこれは納得させられちゃいそうなとこはあるね
人間もその撃たれた後の矢であると考えればって話だね
そう人間が自分の意思を持っているように見えて
実は持ってないというか
ある程度方向は規定されてるんだよみたいな
だからその自由はあるんだけど結局大きな目的っていう意味だと
神っていうものが存在していて
そこに中で動いてるよねみたいなことを言ったりしますと
今言ったその5つの論述というか証明をした上で
例えば最初に挙げた
神が本当に善なんだったら悪なんてないじゃないかみたいなものに対して
神っていうのは悪と思えるものからさえ
善良いものを引き出すことができるんだ
そのぐらい善そのものなんだみたいな話をしたりとか
あとは自然と人間だけでいいじゃんみたいなことに対しても
さっき言ったみたいに
実は人間とか自然っていうのも
根源とか目的の方においては
より大きな支配する力があって
その神っていう存在がないと僕らの秩序っていうのもないよ
27:00
みたいなことを言って
再度反論した上で
だから神は存在するみたいなことを結論付けますと
っていうようなことを延々に繰り返していく
延々とかめちゃくちゃ繰り返していくんだけど
はいはいはい
で僕が読んでる本の人からも別に
これ自体は神を前提として論述しているから
現代人がこれを読んだ時に
だから神はいるんだみたいに信じ切れるかっていうと
多分そうではないんだけど
ここでの大事なことというか確信は
いわゆる神がこう言っているとか
聖書がこう言ってるとか
あるいは教会とか牧師さんがこう言ってるから
神秘さんがこう言ってるからとかじゃなくて
僕らの経験的な日常の世界から出発して
神に到達できるっていうことを
言おうとしているのが結構重要ですと
はいはいはい
だから前の前回のアーグシンスとかでも話したように
神と世界とか神と人間っていうのは
基本的には断絶しているんですよね
次元が違うって兄貴も言ってくれたと思うけど
でもっと言うと神っていうのは
創造主であり原因
で世界とか人間っていうのは非造物であり結果だから
その原因と結果っていうのでも
全然違うものになっちゃってますよと
だから神っていうのは直接語ることができない
なぜなら僕らは作られた世界で
作られた世界の中の言葉で喋っているから
神っていうその原因を語ろうと思っても
もう土台無理だよねみたいな認識が
その当時のキリスト教哲学のようなやっぱりあるんですよね
はいはいその前回のアーグスキンスが言ってた通りも
そこそこ時間的も空間的も
もうあのすごい断絶って言葉早いと使ってたけど
もう認識不可みたいな
ただあると信じることしかできない
天国みたいな話だよね
少なくとも天国はあるだろうみたいな
めちゃくちゃ頑張ったら
たどり着けるかもしれないんだけど
それはもう普通の現世では無理だって
死んだ後の世界だよみたいなね
そうそうそう言っているんだけれども
だからその認識はあるんだけど
トマス自身も
その乗り越えて
現実の経験的な世界のことから
神の世界のことを語ることができて
それはなぜかっていうと
比べたり累積する
要はいろんな思考を思い巡らせて
さっきみたいに
火と鉄みたいな関係と
神の意思と神の完全性と
現世にある予算みたいなものを比較すると
火の数高さと神の数高さっていうのが
近いんじゃないかとかってのが言えたりしますと
なるほど
30:01
アイストセレスっぽいね
そっかその2回の仕方
なるほどね
そうそう類とか火とか近いでしょ
A=BとB=Cはみたいなあれだよね
そうそう三段論法とかね
それを神にやっちゃったみたいな話か
そうそうそうそう
まさにまさに
兄貴に蓄積されてるのに
実はすごい
ありがとうございます
でもほんとそういう感じで
だから実は今ね
僕がこれまでの話の中で
神は存在するかみたいな話とか
あるいは世界は存在するとか
と言っているんだけれども
これ実は同じ存在するっていう言葉を
使ってるんだけど
実はその世界の観点
今僕らが生きている観点から
神を捉えるっていう
下から下上ってあえて言うんだけど
僕らの次元から神の次元を捉えようとする限り
この存在するっていうのは
意味としては違うんだよね
同じ存在するって言葉なんだけど
そうね
それこそはさっきの時間っていう概念が
あるかないかみたいな話
みたいな近いよね
そう
明日みたいな言葉が現世では通用するけど
神の世界では通用しないみたいな感じで
神の存在の仕方と
世界の存在の仕方は違うんだけど
でも神は存在するとしか言えないし
世界は存在するとしか言えない
みたいなことになってきます
だから逆に神の世界から見ようとすると
見れないんだけど
見ようとすると
その世界が存在するっていうのは
神が存在するっていう存在の仕方を
分有する
これもイデアの時だと思うんだけど
禅とかいろんなイデアがあって
そういう現実のものは
そのイデア性を一部持っているみたいな
現象界に映されてるけど
一応そういう
映しではあるよねみたいなイメージかな
そうそう
映しだよねっていうところで
そういうあり方で
世界というのは存在してるんだっていうふうに言えますと
逆にそうじゃないと
神について何かを言うってことが
意味を持たなくなる
無意味だってなっちゃう
そうだね
そうなると結局
聖書に書いてある言葉とか
誰かが言った言葉を
信じるしかなくなっちゃうから
そうするといわゆる宗教哲学というか
学問じゃなくなっちゃう
それこそあれだよね
例えばキリスト教で言うと
神様とかキリストとか
聖書の言葉の存在自体も
もう無意になっちゃうもんね
そこを認めないと
そうそう
結局神は言ったっていう言葉が
どのレベルで言ったか
意味で言うことを定義した
その言葉だけしか残らなくなっちゃうから
もっと言うとこれちょっとまた次で
33:00
多分切り受けゴールとか話すんだけど
じゃあキリストが現世に降り立って
実際に人間たち生きてきたって
どういう意味だなみたいなことも
問題になってきたりするんだよね
キリストは神であるのに
現世に生きたみたいなこととか
現世に辛い思いをしたみたいなことって
どういう意味があったのみたいなことも
すごく大問題になっちゃいますと
はいはいそうなんだ
ちょっとそれはまた今後テーマとして
取り上げていこうと思うんだけど
トマスの話に戻ると
だから神が世界を作ったって言えば
それはもう神学
もう宗教の話だし
実際そうとしか言えないよねって
なっちゃうんだけど
神っていう普遍的とか
根本的な原因っていうものから
あらゆる存在が生じましたっていうと
それは哲学になりますと
はいはいはい
これを両方統合してというか
意気地しながら
キリスト教的に神が世界を作ったとも言えるし
あらゆるものの究極の根本原因である神っていうものから
あらゆる存在が流出したみたいな
哲学的にも言えるみたいな
ことを両方やってるのがトマスの特徴だし
多分すごいところ
なるほどねそっか
今の視点から見ると
その先の三段論法的な理解って
当たり前に見えるかもしれないけれども
そういうのはある意味は
忘れ去られてたというか
なかった時に
しかもアリストテレスの考え方がなかった
逆輸入するしかなかったみたいな時代では
多分そもそも想定していなかったってことなんだね
私はそれ以前にね
今回の冒頭で言ってた
神様についていないんじゃないか
みたいなことを考えるっていうことすらもなかった時に
それを考えた上で
アリストテレス的な考え方を統合させて
ここまで述べたっていうのは
確かによっぽどおかしい人だね
そうだよそんな感じするでしょ
した
なかなかやっぱり自分で
ちゃんと考えるとした人なんだろうし
もちろん似たようなことを考えていたとか
神を存在証明しようとした人がいたとは思うんだけど
そこにちゃんとアリストテレスの哲学っていうものを
ちゃんと自分で理解しようとして
ちゃんと身につけて
それをちゃんとロジックの土台として
やっぱり提出した
っていう意味で
やっぱりその証明の強度というか強さというか
そこにきちんと土台がやっぱり据えられたっていうのは
トマスがやったことだよね
っていうような話になってる感じですね
これは確かにね
キリスト教馬神学にとって
すごい強い武器になりそうだね
この奥義構造奥義体系っていうのはね
36:00
教するにしてもとか
やっぱりね
僕らが普段感じられない神の世界っていうのも
実は普段の生活から感じられるんだよみたいな
音にもつながるだろうし
だから逆に言うとこういうことがやっぱり
組み込まれたことで
逆に神学っていうのは
今後理性が食いつぶしていくというか
どんどん理性が膨らんでいって
神の言葉っていうものを
ある種壊していくみたいな
これも起きていくんだろうな
と思ったりはするんですけど
この前のヘイデル的な話を言うと
理性と対立するものとして
すごく強固な体系だったんだね
この神学大全トマス・アキュリアスの話っていうのはね
対立し得るかその後の理性と
どれだけキリスト教ってものが根付いていたかとか
強い思想、宗教であるかみたいな
今もそうだと思うんだけど
いうことだと思うんですけど
そんな感じで今回神は存在するかっていう
トマスの問いかけてみたりして
いろいろ膨らませて話をしてたんですけれども
冒頭言った通り45巻あるみたいな
すごい本なので
いろんなことをそれ以外にも話してるんですよ
今話聞いてくれただけでも
結構キリスト教神学と哲学って
いろいろ関連してると面白いねっていうのを
ちょっと感じいただけたんじゃないかなと思うんですけど
ちょっと次の回でも少しね
他にもこんな話があるよみたいなところを
少しいろいろたいつまみながら
それを見ていくことで
結局神の視点から考える
神の視点を言おうとするってどういうことなの?みたいな
っていうところのちょっとキリスト教神学的な見方について
もう少し馴染むみたいなことを
ちょっとチャレンジしたいなって思ってます
そうか面白そうだね
今回で神がいるっていうことを考えたから
じゃあその神の視点からどう考える?
という話にちょっと入っていくって感じか
神の視点には立てないんだけど
それについて考えを巡らそうとした時に
どんなことが問題になるかとか
どういうことが問いとしてあげられるのかみたいな
そういうことをしていただくと
なんとなくこの中世の哲学みたいなものの
そういうことにチャレンジしようとしたよねとか
それこそ前優意識か不意識の時にやったように
ブッダの言葉はあるんだけど
ブッダは全ては無だって言ってるんだけど
でも実は無じゃない領域があるみたいな
苦労したがあるじゃないですか
はいはいはい
あんな感じで聖書ではこう言ってるんだけど
こんな解釈もできるみたいな
こういう苦労の跡も見えたりするので
へー面白そう
そういうのは次回いろいろ話しながら
39:00
もうちょっとキリスト教
神話からトマス・アキリナス
ことをちょっと知っていこうかなと思うので
ぜひそちらも楽しみにしてください
はい了解
じゃあ次回も引き続き
トマス・アキリナス後編ということで
よろしくお願いします
はいお願いします
(♪ BGM)
39:25

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